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2014年05月30日

回帰5 呪いの地へ再び(祟られ屋シリーズ㉖)



回帰5 呪いの地へ再び



910 :回帰5 呪いの地へ再び ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:24:38 ID:bz1odVGo0
マミの治療は、マサさんが呼び寄せたチェンフィに引き継がれた。
俺の治療で縁の出来たチェンフィには、月に1度ほどの頻度で姉の診察・治療もして貰っていた。
人見知りの激しいマミもチェンフィとは面識が有ったので、比較的すんなりと治療に入れたようだ。
彼女の腕は確かだ。
マミの体のことは、安心して任せておけた。
 
俺はその日、天見琉華の呼び出しを受けていた。
マサさんと共に、彼女の教団本部に赴くと、其処には例の3人の子供達が来ていた。
やがて、天見琉華が姿を現した。
俺は、まず彼女に礼を述べた。
「礼なんて無用よ。
私は貴方を何度も危険な目に遭わせてきたのだから。
むしろ、膨大な借りが残っている。
それに、貴方やマミさんのことは、こちらの都合でもあるのだから、気にしないで」
実のところ、かなり緊張して赴いていた俺は拍子抜けしていた。
これまでの彼女のイメージと懸け離れた印象だった。
俺のそれまでの天見琉華へのイメージは、出来れば関わりを持ちたくない、冷酷で恐ろしい人物だった。
実際、彼女によって俺の手に余る危険な仕事を『押し付けられた』ことは1度や2度ではない。
我ながら、よく今日まで生き残れたものだと感心する。
彼女と彼女に関わる全てが俺にとって不吉だった。

911 :回帰5 呪いの地へ再び ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:26:56 ID:bz1odVGo0
だが今、目の前にいる彼女は、柔らかい、孫とでも遊んでいるのがお似合いの、ただの老女だった。
一木耀子と似た優しい雰囲気を醸し出していた。
慶が言っていた。
『組織』の上層部は既に『呪術』を捨ててしまっていると。
これほど変わってしまうものなのか?
俺は、驚きを隠せなかった。
そして、改めて確信した。
『呪術』とは、人を不幸にしかしない、自分自身を傷付ける自傷行為に他ならないのだと。
マサさんの息子が俺に話しかけてきた。
「オジサン、『例の言葉』は見つかった?」
「ああ。『全てを許し、その存在を許容する』と言った所かな?」
「まあ、ほぼ正解。それを他人だけでなく、自分自身にも適用できれば良いのだけどね」
「自分自身に?他人にではなくて?」
「そう。他人を許すことはそんなに難しいことじゃない。許すと『決めて』しまえばいいんだ。
でも、自分自身を許すことは何倍も難しいよ。
マミを見れば判るでしょ?オジサン自身も自分の事を許せていないじゃないか」
「そうかな?」
「そうだよ。まあ、自分自身を完全に許せている人なんて、いないと思うけどね」
「だろうな」

912 :回帰5 呪いの地へ再び ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:29:32 ID:bz1odVGo0
俺は、天見琉華に尋ねた。
「俺の死期とされていた『定められた日』って何だったんだ?」
「貴方も『瞑想者』なら気付いているはずよ?
勿論全ての『瞑想者』が気付いている訳ではないでしょうけど。
でも、貴方になら判るでしょう。
あなたが眠りに付く前と後では大きく変わった事があるはず」
「それは、『障壁』の事か?」
「そう、深い精神の階層との壁が一つ、消えてしまった」
「そうか、……あれは、俺の個人的な事象では無かったんだな」

913 :回帰5 呪いの地へ再び ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:30:51 ID:bz1odVGo0
瞑想状態に入り込むと、ある一定の深度から先の段階で見たり聞いたりしたものを記憶に残す事が非常に困難となる。
同時に、昼間の顕在意識下での思考や意思をその先の瞑想深度で保持し続ける事も困難だ。
その境界を仮に『眠りの壁』と呼ぼう。
正にその名の如く、『眠り』が壁になってしまうのだ。経験のある人も多いだろう。
ただ、この壁を乗り越えることはそう難しい事ではない。
瞑想を繰り返せば『壁』自体が弱くなるし、一定の方法を知り訓練を重ねれば普通に思考する事も可能だ。
だが、次の段階にある『壁』は難物だ。
仮に『音の壁』とでも呼ぼうか?
この壁の向こう側では、言語による論理的思考は不可能だ。
人間は言語により思考する動物だから意識を保つ事も難しい。
言語で思考できない領域だから言葉で表現することは非常に難しい。
この領域ではバイブレーション、敢えて言うなら音の高低やリズム、音質で……『音楽』で思考する。
感情の起伏も『音』に顕著な影響を与える。
多くの宗教に様々な形で『音楽』が取り入れられているのは、この段階の精神階層にアクセスする為ではないかと俺は考えている。
俺は、この階層の瞑想中に聴いた『音楽』を持ち帰った。
そして、それを再生・演奏したものを繰り返し聞いて身に付けた。
イサムに託したUSBメモリーに入れてあった音楽ファイルだ。
あの音楽に、瞑想中に見聞きしたものを『感情』を『接着剤』に使って結び付けて記憶し、顕在意識下に持ち帰っていたのだ。

914 :回帰5 呪いの地へ再び ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:33:56 ID:bz1odVGo0
一昨年末に、大きな変化が生じたという。
音の世界に『言葉』が混入し始めた。
曲に歌詞がついて『歌』となり、音の世界の音楽に混入し始めた、とでも言えば良いのだろうか?
今回、俺はこのように表現したが、瞑想のやり方は色々だし、感じ方もそれぞれ、表現も人によるだろう。
他人がどう表現するのか、俺にとっても興味深いのだが。
だが、確かに大きな変化が生じたようなのだ。
そして、変化の結果、人間の顕在意識下での思考が、言語による思考がより深い階層の意識に届き易くなってしまったらしい。
これは恐ろしい事態だ。
『願い』や『呪詛』が叶い易くなってしまったのだ。
より深い階層から、大きく強いうねりとして。
『願い』は良い。
潜在意識にアクセスする術を持つ者は、より早く、より強く自己の欲望を実現して行くだろう。
そして、恐らく、この精神の深奥を利用する術に気付くか気付かないかで、人々の間に新たな二極分化が生じるだろう。
問題は『呪詛』だ。
以前に書いたように、自己も他人も同じ生命体の一部。
他人を傷付ける事は、自己を傷つけることに等しい。
自己も他人も相対的なものだ。
違いがあるとすれば、それは呪詛の発信源からの『距離』か?
上手い表現が見つからない。
これまでの『呪詛』のエネルギーは、浅い階層を徐々に弱まりながら同心円状に広がっていった。
相手に当たった呪詛のエネルギーは跳ね返って自分にも戻ってきた。『呪詛返し』だ。
だが、『変化』の後、状況は変わった。

915 :回帰5 呪いの地へ再び ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:35:28 ID:bz1odVGo0
浅い池の表面を叩くのではなく、深い池に重い石を投げ込んだ時、高く水柱が立つように、呪詛は仕掛けた者に直接降り掛かるようになったのだ。
今後、他人に呪詛を仕掛ける者は、恐らく、予想外の激烈な形で滅びを迎えるだろう。
俺は思う。
これは恐らく、『生命の樹』に備わった免疫反応なのだ。
他人に呪詛を仕掛ける存在を……『生命の樹』を傷つける『癌細胞』をより効果的にデリートするための。
先に延ばされた、次の変化のために。。。
俺には、これといった欲望は無い。
マミや他の家族と、仲の良い隣人に囲まれながら、平和に穏やかに暮らしたいだけだ。
だが、大人しくしているだけで、多分、俺の中には今尚住み着いているのだ。
激しい憎悪を内包した『鬼』が。
『鬼』の憎悪や怨念は、俺とマミの平穏を何れ破壊するだろう。
一度は『滅び』を免れたが、今尚俺は『生命の樹』を傷つける『癌細胞』の一つなのだ。
目を逸らして、知らない振りをしても無駄だ。
真の意味で『鬼』を鎮めなければならない。
和解しなければ。
既に途絶えているはずだった、俺の一族が今日まで存続し続けたのは、その為だったのかも知れない。

916 :回帰5 呪いの地へ再び ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:38:26 ID:bz1odVGo0
「カズキ、お父さんに頼んで、コンタクトを取って欲しい人がいるんだ」
「行くんだね?」
「ああ。お前達には、全てお見通しだったな」
「まあね。お父さんにはもう頼んであるよ」
「そうか」
「おじさんが、本当は『赤い人』なのか『青い人』なのか、見極めさせてもらうよ」
マサさんが再会してから一度も外さなかったサングラスを外した。
マサさんの両眼は、俺が榊家に向かう直前に、マサさんの息子が見せたのと同じ青い光を帯びていた。
「この光が見えるということは、オジサンも僕らと繋がっていると言う事なんだよ」
「だから、俺は知らないはずのマミの治療法を知っていたんだな」
「そういうこと」
「マミを介して、オジサンは僕らと繋がっている。
オジサンが『赤い人』なのか『青い人』なのかは、まだ判らない。
マミが目覚めないのは、その為だろうね」
『赤い人』とは、多分、鏡に映った、夢の中でマミを手に掛けた、『鬼』の事なのだろう。

917 :回帰5 呪いの地へ再び ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:40:41 ID:bz1odVGo0
「マミの為にも、オジサンには『青い人』になって欲しいな。
無事に帰ってきて、『今度は』セイジにオジサンの空手を教えてあげてよ。
あいつはオジサンの事が大好きなんだ。マミのこともね。
くれぐれも『赤い人』には気を付けて」

俺たち一族にとっては、捨て去った筈の呪いの地。
かつて、その地で俺たちに向けられた『呪詛の視線』を思い出し、俺の掌には冷たい汗が滲み出していた。
其処に何が待つのかは判らない。
だが、俺は行かなくてはならない。
俺たち一族を呪い続ける人々との『和解』のために。
それが、坂下家同様に、既に絶えていた筈の俺たちの一族が存続し、俺が今日まで生き延びてきた理由だと思えるからだ。 
今度こそ、逃げる訳には行かない。
逃げた先に安住の地はない。
今度こそ、手に入れるのだ。
マミや家族との平穏な暮らしを。
俺は父の実家のあった『田舎』、怨念の地へ向かう事にした。
  
 
おわり








  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 21:16Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2014年05月30日

回帰4 夢の樹に繋げば(祟られ屋シリーズ㉕)



回帰4 夢の樹に繋げば



888 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:20:04 ID:bz1odVGo0
一木邸に一泊することになった俺は、眠れぬ夜を過ごしていた。
横になりながら、ぼんやりと考え事をしていると「いいかしら?」と言って、一木耀子が室内に入ってきた。
暫く無言の状態が続いたが、やがて、耀子が口を開いた。
「マミさん、……あの娘が貴方の『夢』だったのね?」
「ああ」
少し間を空けて、耀子が言葉を続けた。
「マミさんが言っていたわ。
あの娘は、子供の頃からずっと望んでいた。
無条件に自分を愛してくれて、守ってくれる存在を。……父親のような存在をね。
望んでも、自分には得られないものだと、初めから諦めていたらしいけど。
あなたも知っているように、辛い事ばかりだったあの娘は、更に辛い状況に追い込まれていたわ。
逃げ出したいけれど、怖くて逃げられない。
誰でもいいから、自分をここから連れ出して、救い出して欲しい。でなければ、いっそ死んでしまいたい。
実際に、死に方や死に場所を探している時に現れたのが貴方だったそうよ」
「……」
「貴方は、マミさんに、あの娘の貴方への思いは『刷り込み』かも知れないと言った事があるそうね?」
「ええ、ありますよ」
「そう。……貴方は、『引き寄せ』という言葉を知っている?」
「言葉だけなら聞いた事はあります」

889 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:21:22 ID:bz1odVGo0
「マミさんは、まだ目覚めてはいないけれど、私たちが探し続けてきた『新しい子供』の一人。
そして、今判っている子供達の力の一つが『引き寄せ』の力なの」
「へえ……。それが、どうしたと? 俺には、アンタが何を言いたいのか、まるで判らないな」
「本当に? ……子供達は深い精神の階層から現実をコントロールするわ。時に利己的に、或いは利他的に」
「で、アンタは俺が、マミに引き寄せられた存在だとでも言いたいのか?」
「ええ。『引き寄せ』の対象が貴方だったのは、母親の深層心理が反映したのでしょうね」
「……くだらない! 実にくだらないね。それが本当だったとして、何の問題もないだろう?
俺とマミの問題だ。俺達が良ければ、それで良いじゃないか!」
「そうね。私もそう思うわ。でもね、マミさんは違っていた」
「どういう事だ?」
「マミさんの『干渉』が無ければ、あなた達が出会っていなければ、貴方は奈津子さんと結ばれていたはず」
「それはないだろう。榊さんが反対しただろうし、俺は『アンタたちの世界』から足を洗いたかったのだから」
「榊さんの反対は、貴方とマミさんが出会ってから出てきた事象に過ぎないわ。
更に言えば、あの娘が貴方を『保護者』ではなく、一人の男性として好きになってからの事象よ。
それに、貴方なら、多分、奈津子さんを連れ出して逃げたでしょうね。この世界に残して行く事は無かったはず。
榊さんも、奈津子さんを連れ去ったのが貴方なら、結局は追認したでしょう。あの人たちは、貴方の事が好きなのよ」

890 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:23:32 ID:bz1odVGo0
「全ては仮定の話にすぎないだろ?」
「そうね。でも、マミさんにとってはそうではなかった」
「どういう事だ?」
「あの娘はね、未だに自分の存在に罪悪感を持っているのよ。可哀想にね。
母親の不幸も、貴方に降りかかった生命の危機も、全て自分のせいだと、持たなくても良い罪の意識に苛まれていたの。
そして、奈津子さんに出会って、あの娘の罪の意識は決定的なものになってしまった。。。」
「何故?」
「奈津子さんは、優しくて、本当に良い娘だからね……あの娘は、マミさんにも優しかったわ。
そして、貴方の事が大好きだから。。。あの娘は、自分の感情を隠さない。
見ていて羨ましいくらいに自分の気持ちを真っ直ぐに表現する。……奈津子さんの存在はマミさんを打ちのめしたわ」
「どういうことだ?」
「マミさんは、自分が奈津子さんから貴方を奪ってしまったと、持たなくても良い罪悪感を持ってしまったようね。
そして、貴方を深い眠りから目覚めさせたのが奈津子さんだった事が決定的だったみたい」
「馬鹿な。。。」
「そう、馬鹿よね。あの娘は、貴方を本当に幸せに出来るのは奈津子さんだと思ってしまった。
それだけじゃないわ。
貴方があの娘に注いだ愛情は、自分が捻じ曲げて奪ったものであって、本来は全て奈津子さんのものだった、そんな風に誤解してしまったの。
貴方が奈津子さんの声に反応して目覚めた事で、マミさんの罪悪感は決定的なものになってしまったのよ」

891 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:26:03 ID:bz1odVGo0
「馬鹿な。何で、そんな事を。。。」
「そうね。本当に馬鹿よね。……可哀想な子。
悪い事なんて何もしていないのに。
奈津子さんに負けないくらい優しくて良い子なのにね。
あなたや貴方のご家族、イサムくん、他の『子供達』にも愛されているのに……奈津子さんにだって。
傷付き過ぎて、自分が他人に愛される存在だと信じられないのね。
持たなくても良い罪悪感に囚われて、自分の存在を否定してしまった。
自分の存在を消し去りたい、死んでしまいたい、そんな風に思ってしまった。
あの娘は、その願いを、自分の死を引き寄せつつあるわ。
あの子は今、緩やかで苦しい自殺の過程にいるのよ。
もうね、私達には手の施しようがない。
あなただけが頼りなの。
こんなことは頼めた義理ではないけれど、お願い。
あの娘を助けてあげて」

892 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:27:21 ID:bz1odVGo0
やがて夜が白み始めた。
未だ寝静まっている邸内から庭に出た。
背後に人の気配を感じ振り返ると、3人の『子供達』が立っていた。
一人とは面識が有った。
マサさんの息子だ。
もう一人は、20歳前後、丁度マミと同じくらいの年恰好の青年だった。
そして、12・3歳くらいの少年。
青年……カズキは一木貴章氏の息子、少年……セイジは一木耀子の孫らしい。
セイジが鋭い視線を向けながら1歩前に出てきた。
拳を握り構えた。浅い右前屈立ち・中段構え。
子供にしては様になっている。気魄は並の大人を軽く凌駕している。
俺は受けに回った。
「行くよ」
セイジが動いた。
中々キレのある動きだ。
セイジは同じコンビネーションを繰り返した。
何度かセイジの攻撃を受けていて、俺は気付いた。
そして、背筋に冷たいものを感じた。
このコンビネーションは、子供の頃、組手が苦手だった俺が李先輩と考えて、繰り返し練習したパターンだった。
まさか、この子は!

893 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:28:43 ID:bz1odVGo0
マサさんの息子が例の頭の中に直接響く声で話しかけてきた。
恐ろしい視線と共に。
以前は無かった、青く光る眼光……昔見たデビット・リンチの映画を思い出させる、怪しい光を帯びた不気味な目だった。
『約束だ。マミを助けてあげて。やり方は判っているはずだよ』
「ああ、判っているさ」
何故か、俺はそう答えた。
 
朝食を済ませ身支度を整えると榊家から迎えの車が到着した。
運転手の男が「お迎えに上がりました」と言って、後部座席のドアを開けた。
男を見た瞬間、俺は固まった。
後部座席に乗り込み、車が出て直ぐに俺は運転手の男を問い詰めた。
「星野 慶、何故お前が此処に?」
「驚いたか?無理もないな。お前らに捕まって開放された後、木島さんにスカウトされてな。
今は、榊さんの下で修行しながら、お嬢さんたちの運転手兼ボディーガードを勤めている」
星野 慶は、アリサの実兄だ。
以前、俺は彼に襲われ、殺されかけた事がある。
「逢いたかったよ。その内、逢えるとは思っていたけどね」
「俺もだ。……俺は、お前に詫びなくてはならない。済まない、俺の為にアリサが。。。」
「言うな。俺よりも、お前の方が辛いだろう。それに、アイツの事で俺にお前を責める資格はない。
アイツは、あの時点でああなる事を知っていたのだよ。判っていて選んだんだ。
お前は最初から最後まで、アイツを一人の『女』として扱った。
望み半ばだったとはいえ、惚れた男の為に命を張ったんだ。女冥利に尽きるだろうさ」

894 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:31:13 ID:bz1odVGo0
「だから、優、いやアリサの事は引き摺るな。忘れろとは言わない。お前には無理だろうからな。
あのマミって娘、良い子じゃないか。
幸せにしてやれよ。そして、お前もな。月並みな言い方だが、あいつもそれを望んでいると思う」
「……すまない」
「あの娘は、ずっと意識がないままだ。
お前の許を去って此処に来てから、殆ど何も口にしようとしなかったからな。
今は点滴と奈津子の『手当て』で何とか命を繋いでいる状態だ。
『気』を通してやれば何とかなるのだが、全く受け付けないんだ。
意識はないけれど、他人の『気』を体内に受け入れることを強烈に拒絶しているんだよ。
あれは、一種の自殺なんだろうな。
奈津子が頑張っているが、あの娘に何かのスキルがある訳じゃないから、もう限界なんだ。
他の『子供達』にも心を閉ざしたままだ。手詰まりなんだよ」
「慶、お前は『新しい子供達』の事を知っているのか?」
「ああ、知っているよ。
『組織』を離れていたお前は知らなかっただろうが、組織は以前のものではない。
事実上、呪術集団としては終わっている。上層部は既に『呪術』を捨ててしまっているからな。
お前も逢っただろ? 一木家の3人の子供たち。
組織を動かしているのは、あの『子供達』の意思だよ。一木家も榊家も彼らの代弁者に過ぎない。
まあ、組織の人間でも気付いていないヤツの方が多いけれどな」

895 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:33:24 ID:bz1odVGo0
やがて、俺達は榊家の『別邸』に着いた。
緑も多く『気』の濃厚な土地だ。
俺には直ぐに判った。
この土地は、榊家の『井戸』に繋がる土地の一つだと。
門を潜ると榊夫妻と奈津子の母親の千津子が俺を迎えた。
病弱で痩せていた千津子は、幾分ふっくらして血色も良く、健康そうだった。
挨拶もそこそこに奥の部屋に入ると、点滴を繋がれたマミがベッドに横たわっていた。
ベッドの横で奈津子がマミの手を握っていた。
「マミちゃん、お兄ちゃんが来てくれたよ」
「なっちゃん、ありがとうな」
そう言って、俺は奈津子と位置を交代した。
マミの手を握ってみた。
悲しくなるくらいに細くて小さな手だった。
恐る恐る、痩せた両頬に触れた。
柔らかだったが、生きているのか不安になるほどに冷たかった。
「マミ……」
目を開けてくれ!
だが、眠り続けるマミは、目を離した隙にその細い寝息まで止まってしまいそうだ。

896 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:35:29 ID:bz1odVGo0
何故だかは判らないが、この時の俺には何をどうすれば良いのか判っていた。
知らない、知る機会も無かった『知識』が俺の中にあった。
俺はマミの額と胸に手を置き、目を瞑り、目の前の『スクリーン』に彼女を映し出した。
彼女の『気』の滞りが手に取る様に判った。
頭部と心臓に『黒い気』の塊があり、内臓、下腹部の辺りには気が殆ど通っていなかった。
特に子宮周辺の滞りは慢性的なものらしい。
『赤黒い冷たい塊』が深く根を張っていた。
この塊が全身の気の滞りの『核』になっている。
俺は、マミの中に『気』を注入してみた。
予想通り、マミの意識は硬い『殻』の中にあり、殻が弾いて『気』を全く受け付けない。
俺は、マミに『同化』を図った。
イメージの中のマミは、俺に背中を向け、膝を抱えて震えていた。
呼びかけても何も応えない。
ぶつぶつと何かを言っている。
『耳』を澄ませると、「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」と、終わらない呪文の様に唱えていた。
空ろで希薄な意識のまま……。
俺は、背中からマミを抱きしめ、マミの言葉に答えるように「許す」と唱え続けた。
「ごめんなさい」と「許す」が交互に続き、シンクロして行く。
しかし、ここから中々進まない。

897 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:38:48 ID:bz1odVGo0
どれくらい続けただろう?
既に時間の感覚は無かった。
疲労からか「許す」と唱える俺の意識の方が希薄になり始めていた。
だが、ふと気が付くと大きな変化が生じていた。
「許す」と言う俺の言葉に「本当に?」というマミの言葉が繋がっていた。
「本当に?」と言う言葉に「本当だ」と繋げた。
徐々にイメージの『空間』が軽く、明るくなってきた。
俺は言葉を変えた。
「許して欲しい」と唱えた。
始め、マミからの言葉は返ってこなかった。
だが、唱え続けていると、やがて言葉が返ってきた。
「許している」と。
「ありがとう、マミ。愛しているよ」
この言葉は瞑想状態のまま、実際に口に出していたらしい。
「本当に?」
「本当だ!」
気の流入を拒んでいた、マミの『殻』は消えた。
マミの中に俺の『気』が入って行く。
枯渇状態だったマミの中に『気』が吸い込まれて行った。
やがて俺は限界に達し、意識を失った。

898 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:39:53 ID:bz1odVGo0
丸一日眠り続けて、俺は意識を取り戻した。
全身が鉛のように重く、体の節々が軋んだ。
俺は床から出て、マミの部屋に行った。
相変わらず意識は戻らず、眠り続けたままだ。
しかし、その肌には血色が戻り、冷たかった手や頬に体温が戻っていた。
ほっとしてマミの傍から立ち上がろうとしたら、立ち眩みがした。
マミに付き添っていた奈津子が俺の体を支えた。
だが、小柄で華奢な奈津子は俺を支えきれず、そのまま縺れ合うように、俺達は床に倒れこんだ。
起き上がろうとすると奈津子が抱きついてきた。
俺を抱える腕に力が篭る。
すると、俺の体から力が抜け、痛みや全身を覆っていたダルさが抜けていった。
『気』を注ぎ込むのではなく、苦痛を抜き取る、そんな感じだ。
これが奈津子の『力』なのか?
奈津子は、マミが倒れてから俺がここに来るまでの間、この『力』で一人、マミの命を支え続けていたのだ。

899 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:42:21 ID:bz1odVGo0
「ありがとう、なっちゃん。もう大丈夫だ」
「そう?……でも、もう少し、このままでいさせて」
暫く、無言のまま、俺は奈津子に身を任せていた。
やがて奈津子が口を開いた。
「お兄ちゃん……お兄ちゃんは、私の事好き?」
「好きだよ」
「うれしい。私も、大好きだよ。でもね、私、知っているんだ」
「何を?」
「……お兄ちゃんの私への好きは、マミちゃんへの好きとは違うってこと」
奈津子は泣き始めていた。
「私のお兄ちゃんへの好きは、お兄ちゃんのお嫁さんになって、赤ちゃんを産みたい、そういう好き。
マミちゃんと同じ好き。。。」
奈津子は本格的に泣き始めた。
堪らなくなって、俺は奈津子を強く抱きしめた。
「ごめんな。。。」
「謝らないで。。。
みんな私に優しくしてくれる。お爺ちゃんも、お婆ちゃんも、お母さんも。大家のオバちゃんも、アパートの人たちも。
耀子さんや琉華さんも、慶ちゃんやカズ君、セイちゃんも……お兄ちゃんとは違う好きだけど、みんな大好きなの」
「そうか」
「うん。マミちゃんにも好きな人や優しくしてくれる人達はいるけれど。。。
マミちゃんの好きな人達は、みんな、お兄ちゃんを通して繋がっているの。
お兄ちゃんがいないと、マミちゃんは一人ぼっち。だから、私、我慢する。
私、マミちゃんよりも、お姉さんだから。マミちゃんのことも好きだから我慢する。えらいでしょ?」 
「ああ、ごめんな」

900 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:45:53 ID:bz1odVGo0
「謝らないで、……褒めて欲しいな。頭を撫でて欲しいな」
俺は、奈津子が泣き止むまで、細くて柔らかい髪を撫で続けた。
やがて泣き止んだ奈津子は、腫れた目で俺の顔をじっと見つめ出した。
見つめ返すと、奈津子は目を閉じて唇を尖らせた。
「ご褒美!」
少し迷って、俺は奈津子の額にキスした。
「ううぅ、ちょっと違う! でも、まあ、いいか。マミちゃんに怒られちゃうものね!」
 
マミの『治療』は難航した。
他の治療師や榊氏たちが『気』の注入を試みたが、マミは俺の『気』以外、相変わらず受け付けようとしなかった。
俺を『通路』にして、榊家の『井戸』から『気』を導入してみたが、結果は芳しくなかった。
しかし、俺の能力不足で、自前で回した俺の気や気力では全く足りない。
方法は合っている筈なのだ。
少々無理をして『気』を引き出し続けたために、俺の体調は急速に悪化して行った。
榊夫妻が「もう止めろ」と言ったが、止める訳にはいかなかった。
慶が俺をフォローしたが、慶の疲労の色も濃くなって行った。

901 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:48:38 ID:bz1odVGo0
もう駄目なのか?
俺には無理なのか?
悔しさや悲しさ、無力感や倦怠感に囚われていた。
いっそ、このままマミと。。。
明らかに『気』の欠乏状態が精神に影響を及ぼし始めていた。
症状が進行すれば、やがて自殺願望が出てきて、突発的な自殺行動に出る可能性もある。
限界だ。
だが、此処で投げ出せばマミは助からないだろう。
もう少し、あと一歩なのだ。
続けるしかない。
しかし、気力の果てた俺が足掻いたところで効果など上がる訳もなく、とうとう俺は倒れてしまった。
起き上がることも出来ない。
俺は何て無力なんだ!悔しい、ただそれだけだった。
 
マミの治療を開始してから、俺は毎晩同じ夢を見ていた。
深い森の奥に立つ一本の巨木。
間違いなく、この森の『ヌシ』だろう。
そして、樹の纏う神々しさ。
この樹は『神木』の類なのかも知れない。
ただ、固定観念の成せる業だったのだろう。
俺は、この夢をただの『夢』としか捉えていなかった。

902 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:50:31 ID:bz1odVGo0
だが、その晩は違っていた。
疲労困憊していた俺は、夢と現実の判断を完全に失っていた。
目の前の『神木』を実体を持った存在と認識していた。
俺は、目の前の樹に対して『同化の行』を行った。
樹から夥しい量の『気』が流れ込んでくる。
大量の『気』と共に、俺は嗅いだ事のない花、或いは香のような匂いを感じていた。
嗅いだことのない匂い?
いや、あるのか?
やがて俺は目覚めた。
俺の全身には、信じられないほどに『気』が漲っていた。
俺はつまらない固定観念から、やり方を少し間違えていたようだ。
全ては始めから用意されていたのだ。
俺は夢の中の『神木』と繋がっていた。
神木から引いた『気』を体内で一回ししてからマミに注いでみた。
上手く行く。確信があった。
予想通り、マミの中に大量の『気』が入って行くのが判る。
30分ほど気の注入を行い、俺はマミから離れた。
終わった。
慶に礼を言い、瞑想に入った。
瞑想を通じて、榊家の森と夢の中で見た『神木』に礼を述べた。
瞑想から覚めたところで榊婦人が俺を呼びに来た。
「マミさんが目を覚ましたわ!」

903 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:52:43 ID:bz1odVGo0
「おはよう、マミ」
「XXさん、何で此処に?わたし、まだ夢を見ているのかな?夢なら覚めないでほしいな」
俺はマミの頬を片方、指で摘んだ。
「痛い!」
「もう片方も行っておくか?」
「やめて下さい。もう、せっかく感動してるのに、ぶちこわしじゃないですか!」
「ごめん」
「謝らないで下さい。わたし、嬉しいんですから。もう二度と会えないと思っていたから。。。」
マミは泣き始めた。
泣き止むと、マミは話し始めた。
「ずっと、怖い夢を見ていました。暗くて寒い所にずっと一人ぼっちで。。。淋しくて、苦しくて。
死ぬって、こういう事なのかなって。。。」
「そうか」
「でも、XXさんの匂いがしたんです。懐かしい、大好きな匂いが。そうしたら、だんだん暖かくなってきて。。。」
「そうか……もう、何も言うな」
俺は、マミを抱きしめた。
最初は恐る恐る。そして、少し力を強めて。

904 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:55:48 ID:bz1odVGo0
どれくらいそうしていただろうか?
マミが口を開いた。
「XXさん、私、おなかが空いちゃった」
「俺もだ。何か、食べたいものはあるか?」
「XXさんの焼いたアップルパイ! シナモンは抜いて」
「そんなのはお安い御用だけど、さすがに今は無理じゃないかな?」
「そう? それじゃ、ミルクティーでいいや。うんと甘くして。
……ラーナさんが入れてくれたのは美味しかったよね。シナモンは余計だったけど」
 
「……マミ、早く元気になって家に帰らないとな。みんな待っているぞ?」
「私、もう帰れない」
「何で?」
「私、久子さんに嫌われちゃった。大好きな久子さんに……合わせる顔なんて無いよ!」
「そんな事ないって」
「XXさんは、知ってる?
……私は、お母さんに聞いたのだけど。。。
久子さん、素子さんが結婚した時に、お父さんに言ったんだって」
「何を?」
「久子さん、……一生、誰とも結婚しない。子供も産まないって」
「そうか……。昔、嫌な事件があったんだ。アイツはそれ以来、男性恐怖症気味だから……仕方ないな」

905 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 04:58:14 ID:bz1odVGo0
「XXさん、違う。そんなんじゃないよ?」
「違う?」
「そう、違うの!
……XXさんが意識を失って、目を覚まさなくなったとき、一番取り乱していたのは久子さんだったの。
泣きながら言われたわ。
なんで、XXさんを信じて待っていなかったの、何でXXさんの事を受け止めてあげなかったのって。。。
わたしがあなただったなら、わたしがあなただったならって、何度も言いながら、あの久子さんが泣いていたのよ。
私、鈍いから、それで始めて気付いたわ。
そんな久子さんが、私のことを認めてくれたのに、XXさんのことを任せてくれたのに、私は。。。」
俺は、何を言えば良いか判らなくなっていた。
更に、マミは続けた。
「……それに、私はXXさんとは一緒にいられない。そんな資格はないの」
「何で?」
「みんながXXさんを助けようと頑張っている時に、私、酷い事を……とっても酷いことを考えていたの」
「何を?」
「このまま、XXさんが目を覚まさなければいい。
私のものにならないなら、いっそ死んでしまえばなんて……ごめんなさい。許してなんて、言えないよね」
「……何故?」
「だって、敵わないもの。
私、ほのかさんや香織さんみたいにキレイじゃないし、藍さんみたいに頭も良くないし、ジョンエさんみたいに優しくもない。
祐子先生みたいに強くもなれない。……奈津子さんを差し置いて、XXさんに選ばれる理由なんて思いつかないもの」

906 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:01:11 ID:bz1odVGo0
「そんなことはないよ。
確かに、ほのかや香織はちょっと居ないレベルだけど、マミだってキレイで可愛いぞ?
ホモか余程の変人でもない限り、男ならお前に好きだと言われたら、10人中9人は舞い上がるだろうさ。
マミは、ジョンエみたいに誰にでも優しい訳ではないかもしれないけれど、俺や周りの人たちには十分過ぎるほど優しいじゃないか。
それに、俺だって藍みたいに頭は良くないし、祐子みたいに強くも無い。
……馬鹿で同じ失敗を何度も繰り返しているし、お前と同じくらいに、いや、お前以上に弱い。
恐怖に負けずに、お前と一緒に居る強さがあれば、お前に全て打ち明ける勇気があれば、お前をここまで傷つける事は無かった。
ごめんな。……俺が弱かったばかりに」
「……奈津子さんの事は? 私、XXさんの事は大好きだけど、奈津子さんほど強く想えているのかは判らない」
「そんなことは、誰にもわからない。人間の感情を数値化して比較することなんて出来ないのだから。
奈津子は確かに良い娘だよ。人の姿をしているけど、本当は天使か何かなんじゃないかって位にな。
でも、俺はお前を選んだ。
ただ、それだけだ。理由なんて無いよ」
「ごめんなさい……」
「謝る事なんてない。
俺だって、同じような状況だったら、同じようなことを考えるかもしれないからな。
マミが誰かのものになりそうなら……マミを誰にも渡したくないから。
独占欲ってヤツなのかな? 俺はむしろ、マミに其処まで思ってもらえて嬉しいぞ?」

907 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:04:06 ID:bz1odVGo0
「以前、お前に言ったはずだ。
俺はもう、好きな女を失ったら、お前を失ったら耐えられそうに無いって。
昔、俺の先輩……お前の伯父さんが言っていたよ。
どんな理由があっても、どんな形であっても人殺しは許さないってな。
人殺しは最も重大な罪だからな。その中でも、自殺は特に罪深いと思うぞ?
ただの人殺しなら、残された者は殺した者に対する怒りや憎しみ、復讐心に縋って生きることも出来るだろう。
殺した者にも、贖罪の道が残されている。
でも、自殺は、残された者に悲しみしか残さない。贖罪の道も最初から絶たれてしまっている。
前に、お前が手首を切ったときに言ったはずだ。
お前が自分自身を傷付ける事は、俺や父さん、母さんや久子を傷つけることに等しいって。
死にたくなったら、先に俺を殺して、もう一度考えてからにしろって。
お前が何をしたとしても、俺は許せると思う。時間が掛かったとしても、いつかは。
生きてさえいてくれたらな。
お前に去られたとしても、耐えてみせよう。
でも、自分を傷付けるのは、自殺だけは止めてくれ。
お前は、俺にとっては誰よりも大切な存在なんだ。その存在を、おまえ自身が否定するのは止めてくれ。
……俺は、それに耐えられるほど強くはないんだ。いっそ、お前に殺された方がマシだよ」

908 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:06:56 ID:bz1odVGo0
……こんな事じゃなかった。
俺がマミに本当に言いたいのは、こんな事じゃなかった。
もっとシンプルな、何度も、何度も、毎日繰り返していた言葉じゃないか!
何故言えない?
言え!
臆病者め!
同じ過ちを何度繰り返せば気が済むのだ!
考えるな!
さっさと言ってしまえ!
愚図、鈍間、低脳、ヘタレ!
俺は、自分の弱さ、勇気の無さに呆れ果てていた。
自分自身に嫌気が差す。
こんなヤツではマミも愛想を尽かすだろう。
もう、どうにでもなれ!

909 :回帰4 夢の樹に繋げば ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/31(金) 05:08:55 ID:bz1odVGo0
「マミ」
「はい?」
「俺は、お前を……愛しているんだ。今でも。そして、これからも」
言っちまった。
……しかし、マミは何も応えてくれない。
俯いたままだ。
マミの肩が震えている。泣いているのか?
「……ごめん」
「何で謝るんですか?
わたし、嬉しいんですよ!もう二度と言っては貰えないと諦めていたから」
「……俺も、もう二度と言えないかと思っていたよ」
「私も愛してます。だから、もっと言ってください!」
そのままマミは、ずっと泣き続けた。
良くもここまで涙が続くものだと呆れるくらいに。
だが、この泣き顔も俺にとっては愛しい表情の一つだ。
「ごめんなさい、私、こんなに泣き虫じゃなかったはずなのに。。。」
「いや、マミは前から泣き虫だったよ」
「泣き虫は嫌いですか?」
「いや?泣き虫なマミも可愛いよ。愛してるよ、マミ!」
やっと泣き止んだマミがまた泣き出した。
  
  
つづく





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 21:15Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2014年05月30日

回帰3 鬼哭(祟られ屋シリーズ㉔)



回帰3 鬼哭



860 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:46:28 ID:XU1AEzQY0
移動中の車の中で、俺は『あの日』の事を思い出していた。 

12月21日の朝だった。
朝7時。
PCの電源を落したばかりの俺の部屋のドアがノックされた。
「XXさん、いますか?」
「いるよ。おはよう、マミ」
「昨夜は遅かったの?」
「ああ。よく寝ていたから起こしたら悪いと思ってね」
「目、真っ赤ですよ?寝ていないんですか?」
「ああ……寝そびれてしまって」
「そう……」
マミはゆっくりと俺に近づいてきて、一瞬躊躇したかのように止まると、抱きついてきた。
細い肩だ。
思いに任せて力いっぱい抱きしめたら壊してしまいそうだ。
「嘘つき……」
俺の腕の中でマミは肩を震わせていた。……泣いているのか?
「どうした、何があった?」
「知っていましたか?私、XXさんと一緒じゃないと眠れないんですよ?
愛してるって言ってもらって、キスしてもらって、XXさんが先に眠りに就くのを見届けないと眠れないんです」
「……何で?」
「怖いんです。朝、起きたら、XXさんが居なくなっているんじゃないかって。
目が覚めたら、あなたと出会ってからの日々が全て夢で、あの団地のあの部屋にいるんじゃないかって……怖いんです!」

861 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:48:06 ID:XU1AEzQY0
「俺が、マミの前から居なくなる訳が無いだろ?馬鹿だな」……胸が苦しかった。
「本当ですか?XXさんは、私に何か隠しています……馬鹿だけど、それくらい、私にだってわかりますよ!
……大事なことは何も、教えてはくれないんですね。。。」……もう耐えられなかった。
何を言おうとしても、まともに言葉にできる自信がない。
俺はマミを強く抱き締め、長い、とても長いキスをした。
このまま時間が止まればいい。
もっと時間が、マミと過ごす時間が欲しかった。
だが、時を司る神は残酷だ。
俺は既に時を使い果たしてしまっていた。
時が与えられないのなら、このまま世界が滅んでしまってもいい。
唇を離すとマミが言った。
「XXさん、何で泣いているんですか?」
迂闊にも、俺はいつの間にか涙を流していた。
「……何でかな?俺にも判らないよ。でも、お前以上に『大事なこと』は、俺には無いよ。
俺は、いつもお前の傍にいて、お前を愛してる。それだけは、何があっても本当だ」
「私もです。……私は、何があってもXXさんの傍にいます。愛してます」
……お互いに何百回も『愛している』と囁き、口づけを交わしたが、俺達の間には本来有るべき確かな証がなかった。
紙一枚の法律的なものではない。……そんなものは大した問題ではない。婚姻届など、いつでも出せたのだ。
俺の身体的な問題もあったが、マミの抱えた深いトラウマを俺は恐れていた。
落ち着いては見えるが、マミの心の傷は出血が止まっただけで、今なお生々しく、深く抉られたままだ。

862 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:50:03 ID:XU1AEzQY0
俺はマミの笑顔が好きだった。彼女の笑顔の為なら全てを捨てても惜しくはない。
泣き顔も好きだ。そして、泣き虫な彼女が泣き止んだ時に見せてくれる、涙混じりの笑顔はたまらなく可愛いかった。
怒ったときの膨れっ面も好きだった。彼女を宥め、機嫌を取ることも、俺にとっては楽しいひと時だった。
彼女の喜怒哀楽全ての表情が俺にとっては宝石だった。
だが、マミの恐怖に歪んだ顔は見たくなかった。
初めて出会った頃の、『どうなってもいい』と全てを諦め、涙を流すことも出来ない絶望した顔は二度と見たくなかった。
感情の消えた、凍りついた死人のような目を二度とさせたくなかった。
だが、触れ方を間違えれば、深く刻まれたマミの心の傷は血を流し、彼女は再び心を閉ざしてしまうだろう。
俺以上にマミは恐れていたはずだ。
傷つけられ、心を切り刻まれた者のフラッシュバックの恐怖は、他人には計り知れない。
一部の例外を除いて、マミにとって『男』とは、未だに恐怖の対象でしかないのだ。
『24日の夜は二人きりで過ごし、翌朝、婚姻届を出しに行く』と言う約束は、彼女にとっては決死の覚悟だったのだ。 
マミは、俺を信じて心を開いてくれた。
多くの人々に彼女が救われたように、俺もまた彼女に救われたのだ。彼女の想いに報いたかった。
だが、俺が彼女との約束を果たせる可能性は低い。
しかも、これから俺が行おうとしていることは、彼女にとって恐怖と嫌悪の対象である『暴力』と大差ない。
彼女に事実を話すことはできなかった。
午前10時、身支度を整えた俺は、誰にも、何も告げずに家を出た。

863 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:52:09 ID:XU1AEzQY0
待ち合わせの場所に迎えの車が来ていた。
タバコを咥えた朴が車外で俺を待っていた。
「来たか……」
「ああ。待たせたな」
「……では、行こうか」
俺たちは、後部座席に乗り込んだ。
道中、車内の沈黙を破って朴が口を開いた。
「何故、来たんだ? 逃げてしまえばよかったんだよ、除のようにな」
「ケジメだよ。 俺一人なら、それも悪くない選択肢だけどな」
「そうか……。 なあ、拝み屋。拝み屋を辞めたいなら、辞めればいいさ。
でも、『会社』まで辞める必要は無いじゃないか。 俺が社長に掛け合ってやるから、もう一度、一緒に遣らないか?」
「悪いな。 もう決めたことなんだ。俺は脚を洗うよ、キッパリとな」
「……そうか、判った。 もう、何も言うまい。 今夜は、全力で掛からせてもらうよ」
「ああ、そうしてくれ。 そうでないと意味がないんだ」
これから12時間後、俺はキムさんが選んだ10人の男達と戦う事になっていた。
朴もその中の一人なのだろう。
恐らく文も。
俺の腕では朴に勝てる可能性は低い。
普段の稽古なら3回戦って、1回勝てれば良い、そんな所だ。
文に至っては、どう戦えば良いか見当も付かなかった。
文や朴以外も、出てくるのは猛者揃いのあの道場の中でも選びぬかれた男達だろう。
まともに戦っても、勝ち目は薄い。
1人目で終わる可能性も低くは無い。
普通に考えて、逃げるのが一番の得策なのだろう。
だが、それが出来ない理由が俺には有った。

864 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:53:20 ID:XU1AEzQY0
キムさんから、場所と日取りの連絡が来た直後の事だった。
風呂上りに洗面台の鏡を見た俺は、その場に凍りついた。
鏡に映っていたのは、異様な『何か』だった。
死体のような?どす黒い肌をした『それ』は、赤く光る目で俺を睨み付けていた。
怯んで後ずさった次の瞬間、鏡に映っていたのは普通の俺の姿だった。
……あれは、何だったのだ?
鏡に映る、不気味な『何か』を見た晩から、俺は毎晩、同じ悪夢に魘されるようになった。
見覚えのある、古く薄汚れた部屋。
マミとユファが住んでいた、団地の部屋だ。
耐え難い悪臭が漂っていた。 ……この臭いは、屍臭だ。
部屋の奥に誰かがいる。
中に進むと、あの不気味な何かが、誰かを組み敷いて犯していた。
……マミだった。
激昂した俺は、マミから引き離そうと、ヤツの髪を掴んで引っ張った。
引っ張った髪は、大した手応えも無く頭皮ごとズルリと抜け落ちた。
凍り付く俺に、両眼から赤い光を放ちながらソレは襲い掛かってきた。
俺は喉笛に喰い付かれ、噛み砕かれた。
激痛とゴボゴボという呼吸音を聞きながら俺の意識は薄れていった。
次に気付いた時、俺は誰かを組み敷いて、その首を絞めていた。
マミだ。
マミは既に息絶えていた。
正気に戻った俺は絶叫した。
そして、絶叫した瞬間に俺は目覚めていた。

865 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:55:07 ID:XU1AEzQY0
それは、現実と区別が付かないほどリアルな夢だった。
いや、果たして夢だったのか?
俺の両手には、マミの首を締めた生々しい感覚が残っていた。
隣で眠るマミの寝息を確認して、俺は初めて、それまで見たものが夢だった事に胸を撫で下ろした。
そして、悟った。
あの不気味な何か、マミを組み敷いていた『あれ』は、俺自身であると。
 
マミの卒業パーティーの日、俺はマミに俺とPの過去と一木耀子の霊視による『定められた日』のことを話してはいた。
だが、マミにとってはくだらない迷信、ただの与太話にしか過ぎなかっただろう。
無理もない。
通常の世界に生きてきた者であれば、それが当然の反応だ。
俺自身が、近付きつつあるという自分自身の死期も、『定められた日』とやらも、どこか本気に捉えていない部分があった。
……この期に及んで、信じたくなかったのだ。
マミとこれまで通りの暮らしを続けながらやり過ごしたい、やり過ごせると信じたがっていたのだ。
だが、そんな甘い夢は、脆くも崩れ去った。
自分自身の死もだが、いつか正気を失いマミを手に掛けてしまうのではないか、それが恐ろしかった。

866 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:57:42 ID:XU1AEzQY0
そんな俺にイサムの姉の香織がコンタクトを取ってきた。
霊能者・天見 琉華の使いということだった。
ある行法を伝える為だった。
もたらされた『行法』自体は、ごく単純だった。
ただひたすらに、声に出さず頭の中で『真言』を唱え続けるだけの行だ。
単純だが困難な行だった。
『真言』は常に唱え続けなければならない。
あらゆる場面で、飯を食っているときも、寝ている時も、人と会話している時もだ。
これは、やってみれば判ると思うが、非常に苦しい。
気を確かに持たないと精神に変調を来しかねない。
実際、俺の精神は何処か壊れてしまっていたのかもしれない。
だが、『行』が安定するに従って、徐々に悪夢は見なくなっていった。
やがて、『ヤマ』を超えると、苦痛も消えて無くなった。
意識しなくても、勝手に『心』が真言を唱えているようになった。
そして、俺の精神は『独り言』を止め、意識的に思考しなければ真言の詠唱以外、何も考えなくなっていった。
それが『儀式』の前提条件だった。
このような形を選び、決行日を俺の死期として予告された『定められた日』に合わせてくれたのは、キムさんの厚意だったのだろう。
正体の判らない『死』に怯えるよりは、目の前の『敵』と戦う方が余程いい。
今夜がその仕上げだ。

867 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 05:59:23 ID:XU1AEzQY0
やがて、車は通い慣れた道場に到着した。
キムさんのボディーガードの3人組、文・朴・徐が修行した道場であり、権さんに命じられて徐とタイマンを張った場所でもある。
徐に誘われる形で俺も通い、稽古を重ねた場所だ。ここでイサムとも出会った。
開始まで、まだ大分時間があるので、俺は事務室のソファーで横になった。
『……結局、与えられたチャンスとやらは活かすことはできなかったな』
マサさんの息子……いや、『新しい子供達』が示した、俺が怨みや怒りを捨てたことを示す言葉……
唱えれば、新しく全てが始まるという『あの言葉』とやらに、俺は辿り着くことが出来なかった。
琉華によってもたらされた『行』の効果にも期待はしていなかった。
ならばこそ、出来る事だけに全力を注ぐ。
目の前の敵と戦うのみだ。
勝目は薄いが、全ての『敵』を打ち倒して、真の『自由』を手に入れてやる。
父と約束したように、最後まで足掻き抜いてやる。
そして、帰るのだ。
マミと家族の待つ家に。
俺は、考える事を止め、頭の中に響く『真言』だけを聞いていた。

868 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:01:04 ID:XU1AEzQY0
時間が来た。
道着に着替えて地下の道場に下りると、キムさん達が既に待っていた。
キムさんと師範。権さんもいる。
文と朴、その他7名の有段者たち。
どの面々も曲者揃いだ。
文が若い男に声をかけた。
「安東はどうした?」
……イサムもメンバーだったのか!
だが、イサムが姿を現さなかったのは、俺にとっては好都合だった。
俺が居なくなったあと、マミのことを託せるのはイサムしかいなかった。
マサさんの井戸の中に入っていた『箱』に触れ、動かすことのできなかったPにマミを委せることはできない。
俺の杞憂であれば良いのだが……ヤスさんのいた工務店の社員たちのように、『箱』がPと彼の周りの人々の命を奪うかもしれない。
マミに危害の及ぶ可能性は、どんな些細なものであっても見逃すことはできなかった。
奈津子を俺から遠ざけた榊夫妻の気持ちが俺には痛いほど理解できた。
それに、まだ強烈に男性恐怖が残っているマミにとって、イサムは心を許せる数少ない男の一人だった。
俺と俺の父、義兄以外では、ほぼ唯一と言える存在だ。
そして、口にこそ出さないが、イサムがマミに単なる好意以上の感情を持っているのも確かだった。
姉の香織以外、女性に対する猜疑心や嫌悪感の強いイサムには、自分の感情の意味は未だ理解できてはいない様子だったが。

869 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:03:12 ID:XU1AEzQY0
文に問われた男が答えた。
「判りません。逃げたんじゃないですか?……別に来なくても構いませんよ、あんな奴。
それに、先輩方の出番もありません。俺で終わりますから」
一人目はコイツか。
一人目の男、具(ク)は、凶暴な男だ。
組手のスタイルも荒い。
誰彼構わずに勢いに任せた戦い方をするので、一般道場生との組手を禁止されていた。
キムさんの「そろそろ始めようか?」という声で『儀式』は始まった。
「お互いに、礼!」
……俺は、一人目の勝負、勝利を確信した。
文や朴は別にして、こいつらはこの勝負の本質を理解していない。
具は、勢いに任せて一気に相手を攻め落とす戦い方を得意としていた。
勢いに飲まれると秒殺されかねない危険な相手だ。
だが他方で、攻撃は直線的で、力みから予備動作が大きく、技の出処を読むのは容易かった。
強烈な『殺意』は感じたが、戦い方も通常の『空手』のルールから逸脱したところはない。
暫く俺は受けに徹して、具の『空手』に付き合った。
具に攻め疲れが見えたところで、俺は当初から立てていた作戦通りの行動に出た。
俺は、苛立ちから無理な体勢で大技を出してきた具を捉えた。
そして、彼の頭を引き込みながら、顔面に頭突きを見舞った。
2発・3発……更に見舞う。
具の顔面が鮮血に染まり、道場の床に血溜りが出来た。
具が俺の手を切って逃げようとした瞬間、俺は彼の金的に蹴りを見舞った。
具は、悶絶して床に崩れ落ちた。
俺は、具の頭部を足底で踏み潰し、床に叩きつけた。
彼の顔面が道場の床に激突して鈍い音をたてる。
更に、踵で彼の頭部を蹴り抜いた。2発、3発……。

870 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:05:43 ID:XU1AEzQY0
「や、止めろ!」
審判役の男が慌てて俺にしがみついて、具に対する俺の攻撃を止めさせた。
具の意識はなく、大きな『鼾』をかきながら、ピクリとも動かない。
凄惨な光景だった。
道場内は騒然となった。
文と朴、その他2名のベテラン以外の若手4人は殺気立って俺に詰め寄ってきた。
「反則だ!それに、具は試合続行不可能だった。ここまでする必要はなかったはずだ!」
俺は挑発目的で、わざとニヤリと笑いながら言った。
「こいつは『参った』とは言っていなかったからな。ならば、攻撃は続けないと。
当人が『参った』と言えるかどうかは問題じゃない」
「ふざけるな、この野郎!」
乱闘でも始まりそうな騒ぎだ。
しかし、師範の「黙らんか!」と言う大音声で道場内には静寂が戻った。
「ですが……、これは明らかに反則です!」
「問題ない。私はお前たちに彼を『殺す気で潰せ』とは言ったが、『空手の試合』をしろとは言っていない。
お前たちが殺す気で掛かる以上、彼もお前たちを殺す気で掛かってくるのは当然だろう?
そんな簡単なことも判らない様では、キム社長に推薦することはできないな。使い物にならない」
文や朴、その他2名のベテランは別にして、若手のこいつらは、俺と徐の後釜としてキムさんと契約する事を餌に参加させられたらしい。
足抜けする俺に『ヤキ』を入れるくらいの認識でこの『10人組手』に参加したのだろう。
命のやり取りをする覚悟など初めからない。
今更知ったところで覚悟など決められるものでもない。
普段は剛の者として鳴らしている彼らも浮き足立っていた。
事前に立てていた作戦通りだ。
重傷を負い意識のないまま運ばれていった具の惨状を目の当たりにして、彼らの動きは硬かった。
普段ならばそんなことは有り得ないのだろうが、『参った』が連続した。
消耗しながらも、俺は大きなダメージもなく5人目までをクリアすることができた。

871 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:09:23 ID:XU1AEzQY0
前半を終え、水を入れていると、権さんが俺に話しかけてきた。
「腕を上げたようだな。技が身についている。
徐とやった時とは大違いだ。相当な稽古を積んだのだろう。
連中は完全にお前の術中に嵌っていた。
駆け引きも戦略も冷静だ。修羅場を潜ってきただけのことはある、大したものだよ。
だが、魅力が無くなった……俺は、お前の何を仕出かすか判らない『狂気』を買っていたのだけどな。
姜種憲……ジュリーのガードをした頃の自分を思い出せ。
あの頃のお前は、ジュリー以上の『悪鬼』だったぞ?
まだまだだ。もっと、本性を曝け出せ……お前の中の『鬼』とやらを解放して見せろ。
次の相手は久保だ……小細工は通用しない。
全てを出さなければ、お前、殺されるぞ?」
『何を言っているんだ?』
だが、権さんの助言は的を射ていた。
 
6人目の男、久保は、事前の印象では、何故この場にいるのか不思議な男だった。
見た目は、小太りでやや小柄な体躯。
柔和なイメージで少年部や女性部の指導補助を務めており、子供や父兄からの信頼や人気が高かった。
一般の会社員として定職を持ち、正式な指導員ですらない。
こんな戦いに参加する意味は、彼にはないはずだった。
だが、この男の内包している『狂気』は凄まじかった。
使う技も狙う位置も、致命傷狙いのモノばかりだ。
そう言った『使えない技』で久保の戦い方は組み立てられていた。
具の後に戦った4人のような苦し紛れのものではない。
何万回と繰り返されたであろう『身に付いた』動きだ。

872 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:13:14 ID:XU1AEzQY0
久保は、殺意の塊のような男だった。
何がどうなれば人は内面にこれほどの『狂気』を内包できるのだろうか?
俺が久保を倒せたのは、全く偶然の成り行きだった。
もつれあって倒れるときに、咄嗟に久保の喉に肘を当て、全体重をかけて倒れ込むことに成功したのだ。
恐慌状態の俺は馬乗りになって、久保の顔面を殴り続けた。
 
戦っている間、打たれても打たれても、薄ら笑いを浮かべながら前に出てくる久保の狂気に、俺は恐怖を感じていた。
だが同時に、体の内側から湧き上がってくる何かを感じていた。
脳内麻薬にでも酔っていたのだろうか、戦うことに強烈な快楽を感じ始めていた。
強烈なテンションに突き動かされて、技を振るうことが楽しくて仕方がない。
俺の頭の中には、例の『真言』が大音声で鳴り響き、何も考えられなくなっていた。
久保の『狂気』が乗り移ったのか、俺は完全に『狂気』に支配されていた。
7人目の男、岡野とはどう戦ったのかさえ覚えていない。
気がついたら岡野は床に横たわり、動かなくなっていた。
ただ、強烈な殺意と憎悪に突き動かされ、力の限り蹴りを放ち、突きを出していただけだった。
前半のように、スタミナの温存を計算に入れた、『受け』に重点を置いて組み立てた戦い方ではなかった。
息が完全に上がっていた。
ダメージも蓄積している。
だが、苦痛は全く感じていなかった。
痛みさえ甘く心地よい、そんな感覚だ。
休憩を取る間も惜しんで、俺は次の相手を求めた。
「次だ!次の相手を出せ!」
自分の中にあった『何か』を解放し、異様なテンションに飲み込まれていた俺は、権さんの言うところの『悪鬼』だったのだろう。
憎悪と殺意の塊となって正常な判断力を完全に失っていた。
8人目の相手は、いつ来たのかは判らないが、イサムだった。
誰でも構わない。
全力の殺意と憎悪をぶつけたい、湧き上がってくる『力』を振るいたい、ただそれだけだった。

873 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:15:47 ID:XU1AEzQY0
イサムと本気で手合わせしたのは、この時が初めてだった。
一緒にロングツーリングに出かけたとき、俺は計画していた。
適当なところでイサムを打ち倒して逃亡を図ろうと。
だが、計画を実行しても、恐らくは失敗に終わっただろう。
意外だった。
強い。
今日、ここまで相手にした男たちの中では最強だ。
俺の攻撃が当たらない。
僅か数センチのもどかしい距離で全て躱されてしまう。
躱すとともに放たれる蹴りが強烈だ。
長い脚がしなるように叩き込まれてくる。
追ってもフットワークの速さが俺よりも1枚も2枚も上手だ。
……この戦い方は、権さんか?
俺は戦い方を変えた。
再び、『受け』に重点を置いた『待ち』の戦い方に戦法をシフトした。
ロングレンジで軸足をスライドさせながら、踵で蹴り込んでくるサイドキックが厄介だ。
被弾を覚悟して肘を落とす。
鞭のようなイサムの蹴りが襲ってくる。
蹴りをカットし続けた脛に激痛が走る。
だが、足にダメージが溜まり、焦りが出たのだろうか、イサムの蹴りが上段に集中しだした。
そして、チャンスが到来した。
俺はイサムの後ろ回し蹴りをキャッチすることに成功した。
すかさず軸足に足刀を叩き込んだ。理想的な角度で膝に蹴りが入った。
イサムの膝は確実に破壊されただろう。
倒れたイサムが膝を庇おうとするよりも早く、俺は踵でイサムの破壊された膝を踏み抜いた。
イサムが苦痛の悲鳴を上げた。
更に俺は踵で倒れたイサムを蹴り付ける。
膝を、腹を、顔面を……これまでのフラストレーションをすべて開放するように。

874 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:18:12 ID:XU1AEzQY0
血まみれのイサムは動かない。
トドメだ。俺はイサムの右腕を引き、彼の頭を床から浮かせた。
このまま足底で頭部を踏み抜き、床に叩きつければ終わりだ。
ゾクゾクするような歓喜。
俺は蹴り足の膝を引きつけようとした。
その瞬間、冷水をかけるような女の悲鳴が道場内に響いた。
「もう止めて!」
声のした方向へ俺は視線を向けた。
マミだ……なぜ、彼女がここに?
先程まであれほど昂っていたテンションが一気に冷め、俺の全身から力が抜けていった。
イサムの体が床の上で音を立てた。
……見られてしまった。
マミに、一番見せたくなかった俺の姿を。
三瀬や迫田に痛め付けられ続けたマミにとって、『暴力』は強烈なトラウマだ。
そんなマミに暴力の快楽に身を任せた悪鬼の姿……醜い俺の本当の姿を見られてしまった。
「……マミ」

875 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:20:24 ID:XU1AEzQY0
頭の中に大音声で鳴り響いていた『真言』は停まっていた。
同時に、それまで気にも留めていなかった疲労とダメージが一気に噴き出していた。
重い足をマミに向けた。
次の瞬間、俺は絶望の底に叩き落とされた。
「来ないで!」
涙を流し、恐怖の表情を張り付かせたまま、マミは悲鳴を上げて俺を拒絶した。
……終わった。全てが終わった。
終わらせてしまったのは俺自身だ。
声にならない声が湧き出してきた。
激しい後悔。
誰かが泣き叫んでいる。
獣のような咆哮だ。
声の主は俺自身か?
自分自身の泣き叫ぶ声を聞きながら、俺の意識は消滅していった……。

876 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:22:19 ID:XU1AEzQY0 
やがて、俺たちの車は目的地に到着した。
一木氏の邸宅だった。
文と朴が出迎えに門から出てきた。
文は、酷く蒸し暑いというのにマスクを外そうとしなかった。
朴は左耳が一部、欠損していた。
朴の話によると、マミの悲鳴を聞いた俺は、人間とは思えない物凄い奇声を上げて、その場にひざまついて、床を殴りつけていたそうだ。
あまりの異様さに、その場に居た全員が凍りついた。
そして、奇声が止んだ次の瞬間、俺はマミに襲い掛かった……らしい。
最初に反応して俺を止めに入ったキムさんは、頭部に肘を喰らい、頭蓋骨骨折の重傷を負った。
この時点で、未だリハビリのため入院中と言う事だった。
キムさんに続いて俺を取り押さえに掛かった文は、鼻を噛み切られたらしい。
朴は、左耳の一部を『喰われた』ようだ。
権さんが暴れる俺を捕らえ、更に若手の連中が取り押さえ、師範が俺を締め落したそうだ。
「……まるで、獣のようだったよ。人喰いのな。
正直に言わせて貰えば、俺は今でもお前が怖い。 あんなことは、二度と御免だ。。。」
朴の俺を見る目は、明らかな怯えを含んでいた。
朴の話を聞いて、俺は激しい衝撃を受けていた。
俺は、マミに襲い掛かったのか?
あの、マミに。。。

877 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:25:18 ID:XU1AEzQY0
取り押さえられた俺は、そのまま昏睡状態に陥ったらしい。
マミも精神的に深刻なショックを受けていたようだ。
久子経由で連絡を受けた祐子は、キムさん達を集団暴行で告発すると息巻いていたそうだ。
特に、マミの状態は、彼女の為に各方面に掛け合って尽力した祐子の怒りに火を注いだ。
だが、被害で言えばキムさん側の方が甚大だった。
キムさん以下、6名が病院送りとなり、3名が未だ入院中なのだ。
マサさんが言った。
「そのまま放置すれば、お前の命はなかっただろう。
バルド・トドゥルの49日間の間に命を落していたはずだ」
 
俺がマサさんの井戸の中身の『箱』を封印している間、木島氏と天見琉華は、秘密裏に俺の両親とマミに接触していた。
そして、マミは、俺の置かれた状況の詳しい説明を受けた。俺が知っていた以上の。
彼女は、琉華たちの説明や一木家の人々との面談を通して、はじめて俺の置かれた状況を『理解』したようだ。
だが、その事は敢えて隠された。
俺が『定められた日』を回避する為の道は、『戦う』以外の最良の道は、他にあったのだ。
俺は、香織を通じてもたらされた『行』を続けながら、マミと共に『定められた日』を震え、怯えながら過ごしていれば良かった。
朴の言ったように、俺が逃げてしまえばよかったのだ。
ヒントは与えられていた。
俺に逢いに来た除だ。
クライアントの愛人の女と逃げた彼のように、マミを連れて逃げてしまえば良かったのだ。

878 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:27:01 ID:XU1AEzQY0
だが、天見琉華はマミに言ったそうだ。
恐らく、俺は『逃げる』という選択は出来ないだろうと。
『行』では、俺の中の『鬼』は抑え切れない。
それが俺の業であり性質であると。
俺が抱え続ける『死への執着のカルマ』により、俺は、『死地』の中に逃げ込むだろう、と。
だが、これは、俺が自ら気付き、越えなくてはならない関門だ。
他の者が、特にマミが俺に教えてはならない、と、念を押したらしい。
俺が、自分の中の『鬼』と対峙する場、『行』により鬼を調伏出来なかった俺が逃げ込む『戦いの場』は、彼らの方で用意しようと。
この『戦いの場』で、イサム達との戦いの過程で、俺が命を落す危険性は高い。
生存本能による抑制が、働かないからだ。
だが、問題はその後だ。
死線を越えた後、俺が今生の、今ある『生』に執着するか、それが最大の問題だ。
俺の『生』への執着のポイントになるのがマミの存在だと、念を押したという事だ。
耐えて待つしかないと。
マミは、耐えた。
本当は、真相を話し、俺に『逃げる』選択を促したかったことだろう。
だが、最後の最後でマミは耐えられなかった。
それが久子の言っていたマミの脆さ、弱さだったのだろう。
俺が家を出たことを知ったマミは、イサムに連絡を入れ彼を問い詰めた。
イサムはマミを止めようとしたが結局押し切られ、マミを道場に連れて行ってしまったようだ。


879 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:31:13 ID:XU1AEzQY0
運命の夜が過ぎ去った後、俺は眠り続けた。
やがて年が開けた。
どうにか落ち着きを取り戻したマミは天見琉華に呼び出され、激しく叱責された。
マサさん曰く、
「琉華の奴がお前の事であんなに怒り狂うとは思わなかったよ。意外だった。。。」
マサさんによると、天見琉華はマミに問うたそうだ。
まだ、俺を助けたいか?と。
マミは助けたい、助けて欲しいと答えた。
天見琉華は言ったそうだ。
俺の命を救う事は可能だと。
意識も戻るだろう。
だが、意識が戻っても俺がマミを『選ぶ』可能性は殆どないだろう。
恐怖か憎悪かは判らないが、俺はマミに対し激しい拒絶感を抱く。
マミ本人によって刻み付けられた拒絶感だから、こればかりはどうにもならない。
元の二人には戻れないが、それでも良いか?と。
マミは答えた。
それで構わないと。

880 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:32:59 ID:XU1AEzQY0
マサさんが動いて、俺と関わりのある女たち……俺を『生』へと執着させる可能性のある人物が集められた。
日替わりで彼女達は自宅療養中の俺を訪れ、天見琉華の『術』を介して俺に語りかけた。
本来は、マミが行うはずだった『儀式』だ。
訪れた女達の中で、俺を目覚めさせたのは奈津子だったらしい。
目覚めはしたが、俺は全くの白紙の状態だった。
生ける屍だ。
天見琉華が俺を助ける条件として提示したのは、一定期間、マミが木島氏たちの許に身を置くというものだった。
俺が目覚めた時点で、マミは木島氏の許に行くはずだった。
だが、俺の意識が完全に戻るまで傍にいさせてやって欲しい、と俺の両親が木島氏に頼み込んだらしい。
榊氏の計らいでマミは実家に留まる事を許された。
やがて、俺は、記憶はないものの完全に意識を取り戻した。
天見琉華の予告通り、俺はマミに激しい拒絶感を抱いていた。
態度には出すまいとしていたが、マミも感じ取っていたはずだ。
記憶を失う以前の事については、周りの人間が俺に教えることは厳しく禁じられていた。
俺が意識を取り戻してから暫くの間は猶予が与えられたが、それも遂に終わりを告げた。
イサムの訪問だ。

881 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:35:58 ID:XU1AEzQY0
マサさんは、イサムから俺が彼に託したUSBメモリーを示された。
中には音声ファイルが入っていた。
マミのMP3プレーヤーの中に入っていたあの曲だ。
あの曲は、俺が深い瞑想中に聞いた曲を『耳コピ』したものを権さんがピアノで弾いて再現したものだった。
マサさんは、曲を聞いて俺が事前に何を行ったかを瞬時に理解したそうだ。
そして、イサムに言った。
恐らく、この曲を聞かせれば、俺は以前の記憶を取り戻す。
俺とマミ次第ではあるが、元通りにやり直すことも出来るだろう。
どうするかは、お前自身が決めろ。
この事を知っているのはイサムとマサさんだけだ。
どのような行動に出たとしても、マサさんは誰にも言わないし、イサムを責める事も軽蔑する事もない、と。
結局、イサムは託された曲をマミに渡した。
俺は、あの曲を聞き、記憶とマミへの思いを取り戻した。

882 :回帰3 鬼哭 ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/29(水) 06:38:20 ID:XU1AEzQY0
マミが去って3ヶ月弱。
今、マミは榊氏の許に居ると言う。
「明日、逢えば判る」そう言って、詳しい事情は教えられず仕舞いだった。
だが、マミにただならぬ事態が生じているのは確かだ。
今すぐにでも、マミの許へ走り出したかった。
彼女に何が起こったのか、無事なのか?
俺の眠れぬ一夜は始まったばかりだった。
 
 
つづく





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 21:12Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2014年05月30日

回帰2 目覚め(祟られ屋シリーズ㉓)



回帰2 目覚め



830 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:00:10 ID:i66qlXSQ0
木島氏の指定した待ち合わせ場所に居たのは、意外すぎる人物だった。
50代半ば程の年恰好。
暗い店内にも拘らず、濃い色のサングラスを外そうとしない男に俺は言い尽くせぬ懐かしさを感じていた。
彼には、話したい事も、聞きたいことも山ほどあった。
だが、全ては後回しだ。
何よりも重要な用件が俺には有った。
そのために俺は、この日を待ち続けていたのだ。
「俺は待ったぞ。 約束だ、マミを帰して貰おうか? 今直ぐにだ!」
「まあ、そう慌てるなよ。 まずは、席に着いたらどうだ?」
冷静な男の声が俺の神経を逆撫でた。
「……すまないな。事情が有って、彼女を帰す訳には行かなくなった」
サーっと、血の気が引いてゆくのが判った。
焦燥と共に、激しい怒りや殺意、憎悪が俺の血管の中で沸騰した。
「ふざけるなよ? 舐めた事を抜かすと、幾らアンタでも容赦はしないぞ?
話が違う! どう言う事なんだ、答えろよマサさん!」

831 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:02:28 ID:i66qlXSQ0
2月某日
白い朝の光に包まれて、俺は目覚めた。
「おはようございます、XXさん。 今日も良い天気ですよ」
若い女が、そう俺に声を掛けてきた。
状況の飲み込めない俺は、錆付いた言語中枢と舌を駆使して、たどたどしい言葉を発した。
「ここは……どこだ?」
女が驚いた表情で俺の顔を覗き込んだ。
彼女の眼から、大粒の涙が落ちてきた。
「少し待っていてくださいね!」
そう言うと、彼女は慌しく部屋を出て行った。
どうやら、俺は前年末から眠り続けていたらしい。
数週間前に意識を取り戻したが、外界に反応を示さず、ただその場に居るだけの存在と化していた……ようだ。
ただ、目覚めはしたものの、俺の中は空っぽだった。
何も思い出せない。
目に見える全て、耳に聞こえる全てに強烈な違和感があった。
いま、俺がいる此処は何処だ?
俺の目の前にいる人々は誰だ?
そして、俺は誰だ?
俺は、鏡の中に映る己の姿にさえ強烈な違和感と嫌悪感を感じずにはいられなかった。

832 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:06:18 ID:i66qlXSQ0
俺が今いる場所は、俺が育った家らしい。
目の前の老夫婦は俺の両親だということだ。
二人は俺をXXと呼んだ。
俺の名前か?
だが、強烈な違和感があって、とても自分の名前だとは思えない。
そして、甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれている若い女。
老夫婦を『お父さん』『お母さん』と呼ぶ彼女は、俺の妹ということか?
だが、『マミ』と名乗るこの女に、俺は最も強烈な違和感を感じていた。
彼女の姿、声、触れられた指の感触……全てに、耐え難い違和感があった。
他の者からは感じられない、ざわざわとした何かが俺のなかに沸き起こった。
それが、恐怖なのか嫌悪なのかは、すべてを忘れてしまっていた俺には判らなかった。
ただ、ひたすらに居心地が悪かった。

833 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:08:02 ID:i66qlXSQ0
マミは、朝、俺が目覚めてから、夜、眠りに就くまで付きっ切りといった按配で俺の身の回りの世話をし続けた。
20歳前後の年格好の彼女が、何故そこまでするのか、俺には理解不能だった。
俺の見舞いに訪れた二人の女……俺の姉と妹と名乗った女達にも違和感を感じた。
眼鏡をかけた長い黒髪の小柄な女が素子。俺の姉らしい。
背が高く、髪をベリーショートにした、見るからに勝気そうな女が久子。妹のようだ。
二人の体格や雰囲気は大分違っていたが、顔立ちは良く似ていた。
俺のきょうだいだとは信じられなかったが、二人が姉妹なの間違いなさそうだった。
そして、二人の顔立ちは俺の『母』にも良く似ていた。
だが、マミの顔立ちは二人とはかなり違っており、姉妹とは思えなかった。
違和感は消えなかったが、俺は徐々に家や両親、素子や久子の存在に『慣れて』いった。
だが、マミに感じていた違和感は強まりこそすれ、彼女の存在に慣れることは無かった。
マミが心根の優しい娘である事は直ぐに判った。
まだ幼さの残る容姿も、細過ぎる嫌いは有ったが、美しいと言えるだろう。
だが、彼女に甲斐甲斐しく世話をされるほどに俺の感じる違和感……嫌悪感は強まっていた。
理性の部分では彼女に感謝していたが、彼女の存在は俺にとって苦痛でしかなかった。
何故?
父も母も、素子や久子、そしてマミも、意識を失う以前の俺の事を何も教えてくれなかった。
錆び付いていた心身の回復に伴って、俺の中に耐え難い焦燥感が生じ、大きくなっていった。

834 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:09:25 ID:i66qlXSQ0
目覚めてから1ヶ月、日常生活に支障が無くなった頃に、一人の青年が尋ねてきた。
何か大きな事故にでも遭ったのだろうか、膝に装具を着け、松葉杖で歩く彼は『イサム』と名乗った。
彼との関係も思い出すことは出来なかったが、イサムは俺を『先輩』と呼んだ。
彼の存在は、俺にとって不快なものではなかった。
俺が眠り続けている間も、怪我を押して2度も見舞いに訪れてくれていたらしい。
俺にとっては初対面同然だったが、イサムとはウマが合った。
同時に、なんとなく判った。
俺の見舞いを口実にしては居るが、イサムはマミ逢いたくて此処に来ているのだと。
……お似合いじゃないか。
イサムの不器用さを微笑ましく思うと共に、俺は何故か一抹の寂しさを覚えていた。
理由は判らなかったが。

835 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:11:42 ID:i66qlXSQ0
俺が引き止めて、2・3日逗留していたイサムが帰って行った日の晩の事だ。
俺は、喉の渇きを覚えて目が覚めた。
何か飲もうと、部屋を出て1階のキッチンへと向かった。
階段を下りると居間に誰かがいる。
マミだ。
こちらに背中を向け、ソファーに深く身を沈めていた。
光取りの窓から街灯の光が入り込み、真っ暗ではなかったので階段の灯りは点けていなかった。
イヤホンで何かを聞いていたらしく、マミは俺に気付いていなかった。
……マミは、肩を震わせて泣いていた。
胸が締め付けられた。
比喩的な意味ではなく、本当に胸が痛んだ。
マミを泣かせている原因が、恐らく俺自身であることを考えると、いたたまれなかった。
このまま跡形もなく消滅してしまいたい……。

836 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:13:30 ID:i66qlXSQ0
立ち尽くす俺に、マミが気づいた。
慌てたように涙を拭い、明らかに無理をして作った明るい声で言った。
「XXさん、こんな時間にどうしたの?」
「ちょっと喉が渇いたのでね。マミは……こんな時間まで起きてたの?」
「はい、ちょっと眠れなくて……」
……気まずい空気が流れていた。
『何で泣いていたの?』と聞ける訳もなく……だが、泣いているところを見てしまったのはマミにもバレているだろう。
ふと思いついて俺はマミに言った。
「何を聞いていたの?」

837 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:15:26 ID:i66qlXSQ0
「これですか?何の曲かは知らないのですけど、気に入っているんです」
「聞かせてもらってもいい?」
「どうぞ」
俺は、マミからプレーヤーを受け取り、イヤホンを耳に嵌めて曲を流し始めた。
単純な旋律が続くピアノ曲だった。
曲名は判らないが、何処かで聞いたことがある曲だ……何の曲だ?
やがて、曲が流れ終わると、何故か、俺は激しい頭痛に襲われた。
「どうしました?」マミが心配そうな表情を俺に向けた。
「何でもない。音量が大き過ぎたみたいだ。いい曲だね」
「……はい」
「もう遅いから寝ないと……おやすみ、マミ」
「おやすみなさい……」
マミは、じっと俺の顔を見つめながら、淋しげな表情を見せた。
 
頭痛を抱えたまま、俺は床に戻った。
あの曲は何だったのだ?
疑問を感じたまま、やがて俺は眠りの中に落ちていった。

838 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:18:12 ID:i66qlXSQ0

昨夜の激しい頭痛は治まっていた。
その朝は、いつも7時丁度に起こしに来るマミが姿を現さなかった。
階段を下り、1階のキッチンへ行くと、朝食が用意されていた。
だが、誰もいない。
珈琲を淹れて飲んでいると、テーブルの上に置かれたmp3プレーヤーが目に付いた。
マミの物だ。
そして、不意に、昨夜に聞いた曲と共に、俺は全てを思い出していた。
……何てことだ!
何故、忘れていたんだ!
胸の奥から溢れ出てくる熱いものがあった。
意識が戻って以来、晴れることのなかった『靄』が消え、『現実感』が戻っていた。
だが、同時に俺は深い絶望感に囚われていた。
『あの日』マミが俺に向けた、あの表情……『恐怖』に歪んだ表情を思い出したのだ。
マミに激しく拒絶された、あの絶望感と喪失感を。

839 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:21:41 ID:i66qlXSQ0
前の晩に聞いた曲は、イサムに託したUSBメモリーの中に俺が入れて置いた曲だった。
ファイルには財産目録や遺言書のコピー、そして、マミに宛てた遺書が書き込まれていた。
俺に何かあったとき、マミに渡して欲しい……そう、頼んであったのだ。
そして、俺はこの曲を使って自己暗示を掛けていた。
この曲を切っ掛けにして、全ての記憶を思い出す精神操作だ。
……深い瞑想時に、深層意識下で見たり聞いたりしたものを覚醒後に思い出す為の技術の応用だ。
この曲は、長年、俺が使い続けて来た曲でもあった。
役立つとは思っていなかったが、一縷の望みをかけて自己操作を行っていたのが功を奏したのだ。
  
俺は、目論見通り、『定められた日』を回避する事に成功していた。
だが、その事に何の意味がある?
俺は、足掻いた。
全力で。
しかし、俺の足掻きは彼女を決定的に傷付ける結果となってしまった。
俺には、もう、彼女に触れ、愛を囁く勇気はなかった。
記憶のない俺に、マミは献身的に尽くしてくれた。
俺の記憶が戻らなければ、あるいは、徐々にでも新たな関係を構築する事も可能だったのかもしれない。
だが、それは叶わない。
俺は、マミにとっては恐怖と嫌悪の対象。
『あの日』と同じ自分でしかないのだから。

840 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:24:34 ID:i66qlXSQ0
誰も居ない家の中で、俺はジリジリとしながらマミと両親の帰宅を待った。
そして、何となしにマミのMP3プレーヤーをもう一度聞いてみた。
中には一曲だけ、昨夜のピアノ曲とは違う、聴いたことの無い歌が入っていた。
歌を聴いて、俺は目の前が真っ暗になるのを感じた。
マミは、もう帰ってこないのではないか?
俺の悪い予感は的中した。
昼前に、両親だけが戻ってきた。
俺は両親に「マミはどうした?」と尋ねた。
嫌な予感に俺の声も体も震えていた。
父が答えた。
「マミちゃんは、木島さんと一緒に行ったよ。。。」
俺が予想していた中でも、最悪の回答だった。
体の内側から弾け出すものに訳が判らなくなって、俺は泣き叫んだ。
「何故だ! 何故行かせた!」

841 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:27:06 ID:i66qlXSQ0
連れ戻してやる、そう思って家を飛び出そうとした俺を父が制した。
「何処へ行くつもりだ?」
「決まっているだろ? マミを連れ戻しに行くんだよ。離してくれ!」
「駄目だ」
「何故?」
「これは、あの娘が決めたことだからだ。 誰でもない、お前のためにな。
お前の為に、あの娘は木島さんたちと契約したんだ。
それを、お前が無駄にしてはいけない」
 
意識を失ったままの俺を目覚めさせる為、組織が動員を掛けて多くの人が関わったらしい。
霊能者の天見琉華を中心に、奈津子や木島氏の次女・藍、仕事でガードした事もあるオム氏の娘・正愛(ジョンエ)。
イサムの姉の香織や、組織に全く関係の無い、ほのかや祐子も俺を目覚めさせる為に手を貸してくれたようだ。
何が行われたのか、詳細は判らない。
ただ、その交換条件が、一定期間、マミが木島氏たちの下に身を置く事だったらしい。

842 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:29:28 ID:i66qlXSQ0
俺は、組織を恐れていた。
未だ目覚めては居ないものの、マミは組織が探索していた『新しい子供』の一人……らしいからだ。
だが、他方で、俺に何かが有った時、マミの身の安全の保証を頼めるのも、木島氏達の組織しかなかった。
だからこそ、俺は古くからの友人であるPではなく、イサムにマミのことを頼んだのだ。
可能であれば力ずくでも、組織の人間を一人づつ的に掛けてでも、マミを探し出し取り戻したかった。
だが、萎え切った今の俺の心身では不可能に近い。
俺は、父に尋ねた。
「マミは、戻ってこれるのか?」
「ああ、そう聞いている。あの娘が望めばな」
「そうか。。。」
「今は耐えて、待つしかない。
あの娘は、絶望的な状況でお前が目覚めるのを待ち続けたんだ。
あの娘は耐えた。お前が目覚めてからも、耐え続けた。
誰のためでもない、お前のためにな。
今は、お前が耐えろ。お前が出来る事はそれしかない」

843 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:31:32 ID:i66qlXSQ0
「あの娘と暮らした思い出の詰まった家じゃ、居辛いでしょ?
私の所に、いらっしゃい。あの娘が戻ってくるまで。
少しの間だけ、また一緒に暮らしましょう。……学生の頃みたいに、ね?」
という、久子の言葉に甘えて、俺は実家を出て久子のマンションに身を寄せた。

来る日に備えて、俺は『修行』を再開した。
時間だけはあるのだ。
「いつも家に居て、炊事・洗濯、家事一般をやってくれるなら、稼いでこなくても幾らでも食わせてやるわよ」
「おいおい、俺に専業主夫をやれと? んっ?前にも、同じような台詞を聞いたな。。。」
「一番大事な『かわいい』って条件は満たしていないけれど、大目に見てあげる。
家事一般は、お兄ちゃんの方が上手いもんね」
「姉さんに厳しく仕込まれたからな。……お前、調子の良い事を言って、そっちが目的だったんだろ?」
「あら、今頃気付いたの? 鈍いわね」

844 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:35:39 ID:i66qlXSQ0
久子の許に身を寄せて3ヵ月。
木島氏と約束した日の前夜。
眠れぬまま横になっていた俺の布団の中に久子が入ってきた。
そして、無言のまま、背中から抱きついてきた。
「……おい、何だよ?」
「……ごめん、少しでいいから、このままで居させて」
背中で久子が泣いているのが感じられた。
やがて久子は泣き止み、口を開いた。
「いよいよ、明日ね」
「ああ。 ……なあ、マミは帰ってくると思うか?」
「判らない」
「そうだよな。
嫌な事を思い出させて悪いんだが、あの事件の後、お前、俺のことを酷く怖がっていたよな?
……俺は、そんなに怖かったか?」
「……怖かったよ。お兄ちゃんが、私のせいで、私の知っているお兄ちゃんじゃ無くなっちゃったんじゃないかって」
「そうか。。。」
「頭では判っているの。例え『鬼』になっても、お兄ちゃんが女の子に手を挙げる事は無いってことは。
むしろ、お兄ちゃんが『鬼』になるのは、誰かを守りたいからなんじゃないかな?
でも、怖いのよ。 理屈じゃないの。
特に、マミちゃんは、私なんかと比べようが無いくらいに傷付けられているから、理屈抜きに怖かったんだと思う」

845 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:39:10 ID:i66qlXSQ0
「そうか。。。」
「うん。……そして、物凄く後悔していると思うんだ。
お兄ちゃんを怖がって、拒絶してしまった事を。傷つけちゃったことを。
……ごめんね。お兄ちゃんは、私を助けてくれたのにね。。。」
「泣くなよ。……過ぎたことだ、気にするな。アレだけの事をやっちまっったんだから、むしろ当然の反応だよ。
それに、俺自身が怖いんだよ。時々歯止めの利かなくなる、際限なく冷酷になれる自分が。
何かの拍子にコントロールを失って、お前やマミに矛先を向けてしまうんじゃないかって。。。」
「それは無いよ。 絶対にないって!
でも、どんな結果になっても、あの娘の事は許してやって」
「むしろ、許しを請わなければならないのは俺の方だよ。
でも、例え俺が拒絶されたとしても、アイツはやっぱり連れ戻さなきゃいけない。
頼むな。マミの事を一番判ってやれるのは、やっぱりお前なんだよ」

846 :回帰2 目覚め ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 01:40:58 ID:i66qlXSQ0
マサさんは言った。
「すまない。……予定では、もっと早く帰して遣れるはずだったんだ。
想定外の事態だ。
我々も、あの娘を救いたい。 一緒に来てくれないか?」
マミに、ただならぬ事態が生じているらしかった。
俺は、マサさんに同行した。


つづく




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 21:10Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2014年05月30日

回帰1 妹と(祟られ屋シリーズ㉒)


回帰1 妹と



821 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:36:01 ID:i66qlXSQ0
バスルームで汗を流していると電話の鳴る音がした。
子機を持って来た妹の久子が強張った表情で言った。
「お兄ちゃん、電話よ。……木島さんって方から」
「そうか」
そう言って、俺は久子から子機を受け取った。
用件は判っていた。
3ヶ月近くの間、俺はこの時を待っていたのだ。
用件を聞いて電話を切り、俺は子機を久子に渡した。
俯いたまま子機を受け取った久子が、消え入りそうな声で言った。
「行くの?」
「ああ」
暫しの沈黙の後、久子が口を開いた。
「行かないで欲しい……ずっと此処にいてよ、お兄ちゃん!」
「そうは行かないだろ?……マミを迎えに行って遣らないと」
「私は嫌よ……行かせない。絶対に!
行かないで。……このまま、ずっと私の傍に居てよ。お願いだから。。。」

822 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:38:15 ID:i66qlXSQ0
「そう言う訳には行かないだろ?マミが待っているのだから」
「本当に?……あの娘とは、もう終ってしまったんじゃないの?」
久子の言葉は、俺の中にあった怖れを抉り出した。
「あの娘と関わったら、お兄ちゃんは、また、危ない世界に戻らなければならなくなるんじゃないの?
あんなに抜けたがっていて、やっとの思いで抜け出したというのに。
……私は嫌よ。あんな思いをするのは、もう絶対に嫌!」
久子は泣いていた。
「マミは家族だから、……お前の大切な妹だから、迎えにって遣らないと」
「それでも嫌。……私、あの娘には、もう2度と戻ってきて欲しくない。
判ってる。……私、酷い事を言っているよ。でも嫌なの!」
「何故? お前は誰よりも、アイツの事を可愛がっていたじゃないか。本当の妹のように。
お前、マミのこと、嫌いだったのか?」
「ええ、嫌いよ! お兄ちゃんと関わった女の人達なんて、みんな嫌いよ。最初からね!
マミちゃんも由花さんも、……会った事は無いけれど、……命懸けでお兄ちゃんを守ってくれた人だけど、アリサさんも!」
「何故?」
「理由なんて、……理由なんて無いわよ!
でもみんな、お兄ちゃんを不幸にする。お兄ちゃんを傷つけて、危険な目に遭わせる。
……あの人たちのせいで、お兄ちゃんはいつか命を落す。そんな気がしていたのよ!」


823 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:40:24 ID:i66qlXSQ0
「心配性だな。考えすぎだよ」
「はあ?何を言っているのよ!……実際に、2度も命を落し掛けているじゃないのよ!
……お兄ちゃんは、全然、判ってくれないんだね。。。
子供の頃から、お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、私も、……いつも心配していたわ。
いつか、……いいえ、明日にでも、お兄ちゃんが居なくなってしまうんじゃないかって。
二度と会えなくなっちゃうんじゃないかって……いつも怖かった。今でもね!
私達、家族なのよ? 本当の……偶には振り返ってよ。
あの娘の事ばかりじゃなくて、私のことも見てよ!……お願いだから。。。」
泣き出した久子を抱き寄せて、彼女の頭を撫でながら俺は言った。
「お前、相変わらず嘘が下手だな。
そんな事を言っても、本当は、マミのことを心配しているんだろ?」
「ええ。……それでも、……マミちゃんとお兄ちゃんは、……嫌」
「何故? ヤキモチか何かか?」
「そんなんじゃないわよ。……いいえ、それが全く無いとは言わないわ。
それでも、私は別に、お兄ちゃんが恋人を作ったり、結婚すること全てに反対と言っている訳じゃないのよ。
でも、マミちゃんは駄目。 あの娘は……お兄ちゃんと一緒に居るには、脆すぎる。傷付き易すぎる。
お兄ちゃんも弱い人だから、傷つき易い上に、立ち直りが遅いわ。
あの娘に何かがある度に、あの娘の事で傷ついて、いつまでも自分を責め続ける。
由花さんやアリサさんみたいにね。
お兄ちゃんの相手は強い人じゃないと。……祐子さんみたいな。
祐子さん、……私のせいで駄目にならなければ、お兄ちゃん達、今頃。。。」
俺は、語気が荒れそうになるのを抑えながら言った。
「お前は、何も悪くない。 それに、祐子は同級生で、ただの昔の勉強仲間だよ。
それ以上でも、それ以下でもない」

824 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:42:36 ID:i66qlXSQ0
マミは、三瀬と迫田の暴力と、醜い男の欲望に晒され続けて、今尚深いトラウマを抱えたままだ。
そして、持ち前の気丈さで人に悟られまいとしているが、久子もまた、マミと同様の男性恐怖や嫌悪を抱えている。
久子が、マミを引き取る事を俺たちの両親に強力に働きかけてくれたのは、同様の心の傷を抱えた者同士だったからでもあるのだろう。
久子もまた、学生時代に顔見知りの男に襲われ、深く傷つけられた経験があるのだ。
だが、久子のトラウマの原因は、犯人の男よりも、むしろ俺自身の『狂気』だったのかもしれない。。。
 
まだ、ストーカーという言葉も一般的でなかった頃の事だ。
久子は2年以上に渡って、中学時代の同級生による執拗な付き纏いを受けていた。
ストーカー規正法もまだなく、相手の保護者に再三抗議したが、その男の付き纏いが止まる事はなかった。
やがて俺は一浪、久子は現役で大学に進学し、地元を離れた。
俺たちは家賃の節約も兼ねて、同じ部屋に同居して大学に通学した。
地元を離れて油断していた俺たちは、ストーカー男の存在をほぼ忘れかけていた。
そんな時に事件が起こった。
祐子たち勉強仲間と自主ゼミを行った後、俺は祐子に誘われて彼女の部屋に寄って、予定より1時間ほど遅れて帰宅した。
点いているはずの部屋の灯りは消えていた。
医学生だった久子は、急に帰宅時刻が遅くなる事も少なくなかったので、特に不審には思わなかった。
だが、玄関のドアの鍵が開いていた。
部屋に入ると玄関先にスーパーのレジ袋と中身が散乱していた。
部屋の奥から人の気配がする。
照明のスイッチを入れて、「久子?」と声を掛けた瞬間、暗いままの奥の部屋から誰かが駆け出してきて俺にぶつかった。
男の襟首を掴んで奥の部屋を見ると、半裸状態の久子が海老のように体を丸めて横たわっていた。
俺は全身の毛が逆立つのを感じた。
そして次の瞬間、逃走しようとした男に俺はナイフで刺されていた。

825 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:44:36 ID:i66qlXSQ0
冬物の革のライディングジャケットのお陰で、出血は派手だったが、傷自体はそれほど深いものでは無かった。
ヌルヌルとした血の感触に、俺は逆上する訳でもなく、むしろ異様に冷めた精神状態になった。
左手で男の顔面を掴み、そのまま人差し指と中指を男の目に捻じ込み、思い切り握り込んだ。
グリッとした硬い手応えと共に、男は獣のような凄まじい叫び声を上げた。
本能的な行動だったのだろう、男は顔面を抑えたまま、玄関の方へ逃げていった。
玄関を出て、廊下の壁にぶつかりながら、階段の方へと逃げて行く。
階段の前に来たところで、俺は後ろから男の襟首を捕まえた。
そして、股間部を掴んで男を持ち上げると、頭から階段に投げ落とした。
男は、階段の中ほどに頭から落下し、そのまま転がり落ちていった。
騒ぎを聞きつけて出てきた、隣の部屋の女学生が俺の姿を見て悲鳴を上げた。
後日、聞いた話では、俺は血塗れで薄ら笑いを浮かべたまま立っていたらしい。
幸い、久子の激しい抵抗にあって男は行為には及んでいなかった。
だが、久子は頬骨と肋骨を折る重傷を負わされ、数針縫う切創も負っていた。

826 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:46:54 ID:i66qlXSQ0
相手の男は両眼をほぼ失明し、頭蓋骨の陥没骨折、頚椎の骨折と脱臼いう瀕死の重傷を負っていた。
何とか命は取り留め、意識も回復したが、首から下が完全に麻痺したらしい。
祐子の父親の尽力も有って、俺は刑事上も民事上も責任を問われる事はなかった。
しかし、事件が久子に与えた精神的衝撃は、余りにも酷かった。
そして、久子と仲の良かった祐子の精神的ショックも大きかった。
あの日、俺を誘わなければと、自分を責め続けた。
久子や祐子とは違った形で、事件は俺にも深い影響を与えていた。
男の眼を潰したとき、そして、階段に頭から投げ落とした時、俺は極めて冷静だった。
人一人を殺そうとしておきながらだ。
咄嗟の事態に狼狽してでは無く、ナイフで刺されて逆上したからでもなく、結果を予見しつつやったのだ。
極めて冷静に、眼を潰され抵抗力を失った男を投げ落とした時には、むしろ、楽しんでさえいたのだ。
後に、権さんは俺に言った。
俺の狂気を、ジュリーこと姜 種憲(カン・ジョンホン)以上の狂気を買っていると。
そして、俺の中には、確かに棲んでいるのだろう。
マサさんの息子が言っていた『鬼』とやらが。

827 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:48:54 ID:i66qlXSQ0
体の傷が癒えると、周囲の心配を振り切って、久子は学業に復帰した。
事件を気に病む祐子を気遣っての事だったのだろう。
だが、そんな久子の俺を見る目は、怯え切っていた。
事件は、俺自身にも暗い影響を与えていた。
俺は、あの日の『暴力』の味が忘れられず、黒い『期待』を抱いて夜の街を徘徊した。
半ば挑発して、不良の餓鬼やチンピラと揉め事を起こしたりもした。
飢餓感すら感じながら暴れ回ったが、素人相手に拳を振るっても『渇き』は増すばかりで癒されることはなかった。
隠したつもりでいても、俺の異常な状態は久子にはお見通しだったのだろう。
子供の頃から、久子に俺の秘密を隠し果せた事など無いのだ。
やがて俺は、夜の町で知り合った女の部屋に転がり込んで、久子と住んでいた、あの部屋に戻ることは二度と無かった。

828 :回帰1 妹と ◆cmuuOjbHnQ:2014/01/24(金) 00:50:38 ID:i66qlXSQ0
俺は、久子のマンションを出て、木島氏の指定した待ち合わせ場所へと車を走らせていた。
運転しながら、マミが残していったMP3プレーヤーの中に残されていた歌をリピートして聞いていた。
『……さよならって、言えなかったこと、いつか許してね……』
何を話せば良いのか?
マミは帰ってきてくれるのか?
俺は、マミとやり直せるのか?
俺は、マミの傍に居ても良いのか?
判らない。
だが、全てはマミを連れ戻してからだ。
俺の両親が待つあの家へ、マミを連れ戻す。
全ては其処からだ。
やがて、俺は待ち合わせの場所に到着した。
 
 
つづく




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 21:07Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2013年01月21日

イクリプス(祟られ屋シリーズ㉑)

イクリプス


2038 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:16:07 ID:Y4grlhQ20
俺は、キムさんに辞表を提出して実家に戻った。
はいそうですかと、簡単に辞めさせてもらえる業界ではない。
だが、俺に残された時間は少ない。
俺のために動いてくれている一木氏や榊夫妻とも、シンさんやキムさんとも、二度と会うつもりはなかった。
向こうが何と言おうとも、俺は呪術の世界とは二度と関わりは持たない。そう誓ったのだ。
『定められた日』とやらが近づいた為か、或いは裏切り者の俺に『呪詛』でも仕掛けられているのか……
俺の肉体の変調が確実に始まっていた。
体重がどんどん減少して行き、70kg程あった体重が60kgを切りそうな所まで落ちていた。
キムさん達からのアクションは全くなかった。
それは、不気味なほどだった。
俺は、Pに頼んで姉と妹に監視者を付けた。
キムさん達による拉致を恐れたからだ。
もちろん、そういった事態を防ぐために、他にも手は打ってあった。
俺は、可能な限りマミと行動を共にした。
マミの卒業が目の前に近付いてきた、そんなある日のことだった。
俺は、街中で一人の男に呼び止められた。
キムさんのボディーガードの一人で、同じ空手道場の同門3人組で一番若い徐だった。


2039 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:17:21 ID:Y4grlhQ20
徐は、急激に痩せて人相の変わった俺に驚きを隠せない様子だった。
「久しぶりだな、拝み屋」
「徐か……何をしに来た?」
「そういきり立つなよ。別に社長に命令されて来た訳じゃないのだから」
「そうか?」
「判っていると思うが、社長はお前を手放すつもりはない。
ただ、暫くお前の自由にさせておけと言っている。
俺たちが、お前の家族や友人に手出しすることはない。だから、早まった真似だけはするな」
「判った。お前たちが手出ししてこない限り、俺の方も何もしないよ。約束しよう」

「お前と一緒にいた、あの娘は……あんな小娘のためにお前は?」
「ああ、そうだ。おかしいか?」
「馬鹿げている。
お前は社長やシン会長にも気に入られて、期待もされている。
俺たちと違って学もあるし、『呪術』って売りもあるからな。
黙っていても、あと2・3年もすれば幹部だろ?
もう、危ない橋を渡らなくても、金や女がいくらでも自由になる身分じゃないか!
何も、あんな小娘に拘らなくても、他にいい女はいくらでもいるだろう。
あの娘と一緒になるにしても、良い暮らしができるだろう。
今更抜けてどうしようって言うんだ?
堅気になってサラリーマンにでもなろうってか?
無理だよ、お呼びじゃねえって。
俺たちにはツブシなんて効かないんだ。他に行き場なんてないんだよ!」


2040 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:18:42 ID:Y4grlhQ20
「そういう問題じゃないんだよ。お前には判らないかもしれないけどな。
ぬるま湯に浸かりすぎて感覚が麻痺しているんだ。俺もお前も。
異常な世界に安住してしまっているんだよ。独りならそれも良いだろう。
でも、異常な世界にどっぷりと浸かりながら、普通の結婚生活や家族生活を送ることはできないよ。俺にはな。
熱湯に入るのか、冷水に飛び込むのかは判らないけれど、取り敢えずぬるま湯からは出ることにした。
ここまで来るのにウダウダと時間を食ってしまったが、抜けて後悔はないさ」
「判ったよ……、俺はもう何も言わない。
……お前、あの娘と一緒になるのか?」
「ああ、そのつもりだ」
「そうか。……それじゃあ、一杯奢らせてくれ。前祝いだ」
「判った。付き合うよ」
ハイペースでグラスを空けながら徐は昔話をした。
権さんに命じられてタイマンを張ったこと、仕事や道場でのこと、そしてアリサのこと……
「拝み屋……今度こそ上手くやれよ。幸せにな」
「ああ、ありがとうな」
そう言って、俺は徐と別れた。


2041 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:20:00 ID:Y4grlhQ20
数日後、キムさんのボディーガードで徐の先輩の朴が俺の前に姿を現した。
身構える俺に朴は言った。
「徐の行方を知らないか?」
俺は、徐が俺を訪ねてきたことを話した。
徐の行方は知らないことも。
徐は追われていた。ガード対象の女……大口のクライアントの愛人と駆け落ちしたらしい。
その女は、クライアントの『金庫番』だった。
どうやら、徐の件以外にも、キムさんのビジネスはケチの付き通しらしかった。
俺のことなどに関わっている場合ではないらしい。
俺は『休職扱い』という事だった。
原因は定かではないが、キムさんが急速に『運気』を落としているのは確かだった。
キムさんたちと手を切ろうとして、四苦八苦していたPの方も、纏まった『手切れ金』を払うことで足抜けに成功していた。
完全に焼きが回った状態のキムさん、そしてシンさん達は、その勢力を確実に削り取られていった。


2042 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:21:30 ID:Y4grlhQ20
やがて、マミの高校卒業の日がやってきた。
日を改めて、俺は父と母、姉夫婦と妹、そしてP夫妻を呼んで食事会を開いた。
両親とマミ以外の面々は痩せこけた俺の姿に驚きを隠せないようだった。
この時の体重は55kgを割っていたか。
義兄は、そんな俺を心配し「近いうちに検査に来なさい」と言ってくれた。
だが、普通の医者にこの症状の原因は判らないだろうし、治療も不可能だろう。
俺の体調自体はすこぶる良好で、チェンフィですら、俺の症状の原因は判らなかったからだ。
「卒業おめでとう、マミちゃん!」皆がマミを祝福した。
「ありがとう!……XXさん、約束、覚えていますよね?」
「ああ。でも、俺はもう、結構いい年のオッサンだぞ?」「いいです。私、多分、ファザコンだと思うし」
「そのうちメタボって、腹とかも出てくるぞ」「むしろ、最近痩せすぎだと思います」
「オヤジを見れば判るだろうけど、確実にハゲるぞ?」「構いません。今だって坊主頭じゃないですか」
「最近加齢臭が……」「そうですか?わたし、XXさんの匂い、好きですよ」
「……」「もう良いですよね?……私、今でも、あの時よりもXXさんのこと大好きです。だから……」
「待て、そこから先は俺が言うから」
俺は深呼吸をして気持ちを落ち着けた。これほど緊張するものだとは!
「マミ、俺と結婚してくれるか?」「はい。でも条件があります」
「条件?」
「はい。私、XXさんと、おじさん達みたいな夫婦になるのが夢だったんです」
「ちょっと待て!『アレ』はどこに出しても恥ずかしいバカップルだぞ?」
「おいおい、親を捕まえてアレとか、馬鹿はないだろ!」
「それに、マミちゃん、おじさん、おばさんじゃなくて、お父さん、お母さんでしょ?
マザー・イン・ローだけどね」


2043 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:22:39 ID:Y4grlhQ20
「うん……ずっと、そう呼びたかった。ありがとう、お父さん、お母さん」
「それで、条件って?」
「毎日、私も言いますから、愛してるって言ってください」
「……お、おう」
「それと、毎日3回……5回はキスして下さい」
「……恥ずかしいな」
「お父さんは、毎日してますよ?」
「それは、あの二人がおかしいんだ!」
「私は、そうして欲しいんです。してくれますよね?」
「判ったよ。仰せのままに」
「ありがとう。私、こんなにワガママだけどXXさんの奥さんにしてくれますか?」
「もちろんだ!」
……それは、至福の瞬間だった。
このまま時が永遠に止まって欲しい、そう、俺は思った。


2044 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:24:02 ID:Y4grlhQ20
母が小さな箱を取り出した。
「昔、お父さんに貰ったものなの。サイズは直してあるから、マミちゃんにあげて」
俺はマミの左手の薬指に指輪を嵌めた。
「ありがとう!」
マミがポタポタと涙を流した。
泣き止んだマミが指輪の嵌った薬指を俺に向けて言った。
「ねえ、XXさん見て。とても、綺麗」
「ああ」
「もっと近くで。……目を瞑って」
俺は目を瞑らなかった。
「何で、目を瞑ってくれないんですか?」
ミユキが言った。
「古臭い手口よね。2度も引っかかったら馬鹿だわ」
不意を打つように俺はマミにキスした。
「最初から騙し討ちされてたまるか!」
顔を赤くしながら、マミは言った。
「私、XXさんとキスするの初めてじゃないですよ?」
「え?」
「初めて、XXさんのアパートに行った時に……XXさんは寝てたけどね」
……あの時か!


2045 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:25:08 ID:Y4grlhQ20
姉が声をかけてきた。
「ねえ、あなたたち、そろそろ席に着かない?
店員さんが困っているわよ」
久子が呆れたように続けた。
「あんた達、バカップルの才能十分よ。
見ているこっちが恥ずかしい。
人前でこれだけイチャつければ大したものよ。ご馳走様」
店員が注文していなかったシャンパンを持ってきた。
「おめでとうございます。これは、当店からのサービスです」
俺たちは乾杯した。
「あまり派手には出来ないけれど、ウェディングドレス、必ず着せてやるからな」
「はい。……お母さんにも見せてあげたかったな……」
義兄が言った。
「でも、成人式の晴れ着姿は見せてあげられたじゃないか。お母さん、喜んでいたよ」
ユファは、マミの成人を見届けると、耐え続けた全ての糸が切れたかのように意識を失い、二度と目覚めることなく亡くなった。
40歳の誕生日の少し前のことだった。


2046 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:26:46 ID:Y4grlhQ20
俺たちはPを連れて自宅に戻った。
そして、マミに全てを打ち明けた。
これまでの俺たちのことを、そして、一木燿子の霊視のことを。
「そんなの……ただの迷信じゃないですか!バカバカしい!」
「Pよ、俺たちの10何年間、一言で切り捨てられちまったな」
「そうだな」Pは苦笑いした。
「マミ、お前が言うように、ただのくだらない迷信だ。
俺は、『定められた日』とやらの後も生き抜くつもりだ。
だから、その日が過ぎたあと、全てがスッキリと片付くまで待っていて欲しいんだ。
ドレスは来年までお預けだ。いいね?」
「はい。……私たち、ずっと、一緒ですよね?」
「当たり前だ」
「なら、いいです。
ドレス、じっくりと時間をかけて選んでおきます」
「すまない……そうしてくれ」


2047 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:28:32 ID:Y4grlhQ20
マミとの平穏な日々は続いていた。
5月21日の朝だった。
俺は、内容は思い出せないが、得体の知れない悪夢の中にいた。
夢から目覚めようとするのだが、どう足掻いても目覚めることができない。
悪夢の中で苦闘していた俺はマミに起こされた。
「XXさん、そろそろ起きないと始まっちゃいますよ?」
「おはよう、マミ」
目を閉じたマミに軽くキスをする。
「今日も可愛いね。愛してるよ」
「私もです。愛してます」
両親が、俺が子供の頃から続けてきた朝のセレモニーは、俺とマミの習慣となっていた。
餓鬼の時分には『恥ずかしい親だ』と思っていたのだが、今は忘れると落ち着かない。
「珈琲を淹れるから、顔を洗ってきてください」
「ああ、ありがとう」
時刻は7時20分位になっていた。
「そろそろですよ」
両親とマミと共に庭に出て、日食眼鏡を目に当て空を見上げた。
空の真ん中で欠けていった太陽が小さな金色の輪を作った。
金環日食が始まった。
その瞬間、俺は異常な感覚に囚われた。
全身を静電気に覆われたような、産毛を逆立てられたようなザワザワとした感覚だ。
軽い目眩を感じていた俺に、「綺麗ですよ」と言ってマミが日食眼鏡を渡してきた。
眼鏡を受け取った俺の体は、気持ちの悪い浮遊感の中にあり、動かなかった。
眼鏡を手に持ったまま立ち尽くす俺に、心配そうにマミが声をかけてきた。


2048 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:30:22 ID:Y4grlhQ20
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。軽い立ち眩みだ。夜勤続きだから、寝不足かな?」
だが、俺は異様な感覚と妙な胸騒ぎを覚えていた。
これは、長年慣れ親しみ、忘れようとしていた感覚に近いものだ。
今、この瞬間、何かが起こった。
……直接ではないが、俺にも関係のある何かだ。
不吉な予感に、俺は恐怖を感じていた。
心配そうに俺の手を握ってきたマミの手を俺は握り返した。
俺の掌は、冷たい汗で濡れていた。
やがて、天体ショーは終わりを迎えた。

日食のあった週の週末だった。
登録されていないアドレスから『緊急』と言う件名で、俺の携帯に一通のメールが入っていた。
キムさんからだった。
内容は、『マサさんが見つかった』と言うものだった。
そして、指定された日時にキムさんの事務所に来て欲しいと書かれていた。
俺は、メールを消去した。
俺には、もう関わりのないことだ。
絶対に、行くものか!


2049 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:31:46 ID:Y4grlhQ20
だが、キムさんからの知らせは俺の心に引っかかり続けた。
悟られまいとしたが、マミは直ぐに俺の様子がおかしいことに気づいたようだ。
問い詰められて、俺はマミにキムさんからのメールの事を話した。
「そのマサって人が、XXさんの先生で、XXさんを『呪術』の世界に引き込んだ人なんですよね?」
「まあ、そういう事になるのかな」
「行って下さい……XXさんの心は今、ここにはないから。
でも、私のところに帰って来てくれますよね?」
「ああ、必ず!……当たり前だろ?
俺の帰れる場所は、マミのいるここだけだからな」
 
俺は、キムさんの事務所に行った。
半年ぶりか。
事務所の雰囲気は、物の配置こそそのままだったが、暗く沈んだものに変わっていた。
事務所には、キムさんの他、シンさん、P、イサムとその姉の香織がいた。
皆、マサさんとあの『井戸』の関係者だった。
俺たちは、マサさんが来るのを待った。
だが、姿を現したのは意外な人物だった。


2050 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:33:06 ID:Y4grlhQ20
「……アンタが、何故ここに?」
5・6歳くらいの男児を連れた中年女性。
この女と俺は面識があった。
俺とPが呪術の世界に引き込まれる切っ掛けとなった事件で、俺たちに『生霊』を飛ばして来た女だった。
彼女はマサさんの『代理人』として来たらしい。
「今、『主人』と会っても、意思の疎通は不可能ですから」
……法律的にどうなっているのかは判らないが、マサさんは、俺たちを『斬った』この女と結婚していたのだ。
かつて、この女に付けられた『傷』の跡が疼いた。
俺もPも、イサムも全く気付いていなかった、意外な事実だった。
キムさんに「知っていましたか?」と尋ねた。
だがキムさんの答えも「知らなかった」と言うものだった。
『監視者』であるキムさんに気付かれる事なく、マサさんは密かに妻と子を設けていたのだ。
『組織』にとっては、重大な裏切り行為だ。
だが、マサさんの気持ちは理解できた。
呪術の家に生まれ育ったマサさんは、ある意味、俺以上に呪術の世界を忌み嫌い、抜けたがっていたからだ。
俺は、マサさんの叔母の一木燿子の言葉を思い出した。
彼女は、そして、マサさんの母親の一木祥子は、このことを知っていたのかもしれない。


2051 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:34:42 ID:Y4grlhQ20
『生霊の女』……マサさんの妻の話によると、マサさんが姿を消した直接の原因は、マサさんの『呪いの井戸』が霊的に『破壊』されてしまった為らしい。
あの時か……俺はすぐに思い当たった。
マサさんが寺尾昌弘に『同化の行』を用いて『潜った』あの時だ。
マサさんは俺に、寺尾昌弘の魂が引き込まれていた『世界』からマサさんを引き上げるのに、あの『井戸』を使えと言った。
あの時、『呪いの井戸』は霊的に破壊されたに違いない。
……まさか、あれは、俺に井戸を破壊させるために仕組んだことだったのか?
俺の背筋に冷たいものが走った。
 
『井戸』の崩壊後、マサさんは井戸を封じる『儀式』を行っていたらしい。
そして、『儀式』は完成した。
そう、あの日食のあった朝だ。
マサさんは全身全霊を注いだ『儀式』の後遺症で『五感』を失い、意思の疎通は不可能な状態ということだ。
最後の儀式を行う前に台湾から呼び寄せた治療師……チェンフィの父親が、『屍』状態のマサさんのフォローをしているらしい。
回復には日食の日から49日掛かるということだ。
だが、その49日以内に、井戸の『中身』を封印する『仕上げの儀式』を行わなければならないらしい。
女とキムさんたちの打ち合わせが別室で行われていた。
Pが一服するために外に出ていった。
続いてイサムが「何か買ってきます」と言ってコンビニに出かけた。
香織もイサムに付いて外に出て行く。


2052 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:37:03 ID:Y4grlhQ20
部屋には、俺と男児だけが残った。
俺と彼の目が合った。
子供の癖に、なんて恐ろしい目をしているんだ……俺は、彼の目から目を逸らせなくなっていた。
この子は……間違えなく『新しい子供』の一人だろう。
室内の耐え難い静寂を破って彼が声をかけてきた。
「オジサン、アッパのお友達?」
「ああ……」
『アッパ』という単語の発音、そしてその声で確信した。
マサさんに『移入の行』を行い、『井戸』を探していた俺の背後から声を掛けて導いた主は彼だ。
「オジサンは4番目だからね」
「4番目?何のことだ?」
「直ぐに判るよ」
やがて、キムさんたちの打ち合わせは終わった。
俺たちは2台の車に分乗して、移動を開始した。
マサさんの『井戸』のある、あの場所へ。


2053 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:38:25 ID:Y4grlhQ20
目的地には、意外なほど直ぐに到着した。
まさか、こんな場所にあったとは……俺もPも、イサムたちも驚きを隠せずにいた。
封印の鉄杭は全て引き抜かれて無く、井戸も埋め戻されて痕跡しか残っていなかった。
倉庫も解体されており、民家が一軒残っているだけだ。
残された家に俺たちは上がり込んだ。
懐かしい。
かつて、半年近く過ごした家だ。
居間の床には、鉄枠で補強された立方体の木箱が置かれていた。
俺はイサムと顔を見合わせた。
ヤスさんが話していた『井戸の中身』に違いない。
女が言った。
「この箱をある場所に運び封印しなければなりません。
皆さんは、あの井戸と深い関わりを持っています。
皆さんの中から一人、この箱を運んで頂く方を決めます。
よろしいですね?」
女の言葉には、逆らえない強制力があった。


2054 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:40:01 ID:Y4grlhQ20
一人目はシンさんだった。
老体のシンさんが全身の力を込めて持ち上げようとしたが、箱はビクともしなかった。
二人目はキムさん。
やはり、箱は動かない。
三人目はPだ!
『よせ!その箱に触れるんじゃない!』そう言おうとしたが、少年の視線に射竦められた俺は、言葉を発することが出来なかった。
イサムの方に視線を移すと、イサムも恐怖の表情を浮かべたまま金縛りにでもあったかのように固まっていた。
Pが箱に手を掛け、力を込めた。
「うっ、重い!」
僅かに箱は持ち上がったが、揚げきる事は出来ず、重そうな音を立ててPは床に箱を落とした。
Pに続いて香織が箱に近付いた。
今にも泣きそうな表情でイサムが首を振る。
俺は、香織に声をかけた。
「大の男が持ち上げられないんだ、女のアンタにできる訳がない。
時間の無駄だ。俺が先にやるよ」
俺は覚悟を決めて、箱に手を掛けた。
持ち上げる瞬間は恐ろしく重く感じた。
だが、床から離れると箱は意外な程簡単に持ち上がった。
「……なんだ、軽いじゃないか。……俺で決まりだな」
目を真っ赤にしたイサムが安堵の表情を浮かべていた。
「そうですね。あなたにお願いしたいと思います」


2055 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:41:47 ID:Y4grlhQ20
箱の封印場所は、俺の知っている場所だった。
***神社……かつて、朝鮮から持ち込まれた最悪の呪物『呪いの鉄壷』が封印されていた神社だ。
「この子を連れて、***神社で最後の儀式を行ってください」
俺は少年を連れて山の麓まで車で行き、背中に木箱と儀式の道具を背負って緑溢れる山の奥へと向かった。
麓から目的地まで大人の男の足でも6時間以上掛かる。
川原が見えたところで一泊し、翌朝から川沿いに進んで正午前に目的地の***神社に到着した。
ここまで、俺と少年は一切の言葉を交わさなかった。
それも、儀式の一部だからだ。
俺は、気が狂いそうだった。
少年の視線が心底恐ろしかった。
俺の思考を覗かれている……深層心理、いやもっと深い、俺自身も到達することの適わない『魂の深奥』まで見透かされている、そんな恐怖だ。

俺は少年に食事させてから、洞窟の中で仮眠を取った。
目が覚めると、日が落ちかけていた。
俺はメモを見ながら儀式の準備を進めた。お互いが、用意された数10種類の中から籤で相手の唱える『呪文』を1つづつ選び出した。
短い呪文を交互に唱えながら、以前は鉄壷の収まっていた縦穴の中に起こした火の中に、糸で綴じられた『本』の頁を1枚づつ破って投入した。
恐ろしく単純な『儀式』を続けていると、儀式を行っている自分と、もう一人の自分が分離したような、妙な精神状態になってきた。
穴の中の炎に意識を集中していた俺は、少年の視線が俺に注がれていることに気づいた。
俺は、彼の『恐ろしい眼』を見ないように、さらに炎への精神集中を強めた。
『同化』するかのように、意識が炎の中に入り込む。
だが、次の瞬間、俺と少年の視線が交錯し、俺は少年の眼に魅入られていた。
言葉では表現し難い、異常な状態だ。
そして、炎に集中している意識と、少年の眼に囚われている意識の他にもう一つの意識があった。
その意識が、自問自答しているのか、少年と話しているのか、他の『誰か』と話しているのかは判らないが『会話』していた。
初めは何を言っているのか判らなかったが、会話の内容は徐々に明瞭になっていった。


2056 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:43:18 ID:Y4grlhQ20
「それでは、『呪術』に意味なんて無いじゃないか!」
『そう、人は同じ木の同じ小枝から生えた、1枚の小さな葉。
目の前の他者は、自分自身の一部。それを傷付けることは自らを傷つけることに等しい』
 
『声』は、『新しい子供達』が出現してきた理由を語っていた。
彼らの出現は変化の『予兆』に過ぎない。
『3人目の聖者』は、聖者として転生を重ね、彼らと同じ意識を持ち、彼らと繋がり、過去世からの記憶を全て持っている。
『新しい子供達』とは、転生を重ねて積み重なった経験値が一定のレベルを超えた『古い魂』らしい。
第3段階以降、『古い魂』は徐々に『新しい子供達』と同種の人類として転生し始める。
それと同時に、『過去世』を持たない『新しい魂』も生み出されるらしい。
だが、古い人間である我々も含めて、それらは全て一つの生命体の一部。
人間だけでなく、樹木や動物、山や海、空気や水、土や石までもが、ひとつの生命体の一部らしい。
『声』は、全てを包括する生命体を『樹』と表現した。
個人としての我々は『樹』の末端に生えた1枚の『葉』に過ぎない。
我々古い世代の人間は、末端の1枚の『葉』としてしか『自己』を認識できない。
それ故に、目の前にある別の末端である『葉』を自分とは別の他者として認識してしまう。
だが、他者とは認識の限界から生じる錯覚であり、万物は一つの生命体である『樹』の一部分でしかないのだ。
肉体という殻を持ち、殻の内側に『顕在意識』という個別の意思を持った『葉』は、『枝』との間に壁を作ってしまう。
この『壁』を意識的に乗り越える技術が『瞑想』であり、『呪術』なのだ。
『個』となり、潜在意識、或いは集合的無意識との間に壁を作った人間は、『言葉』を使って末端としての『葉』同士でコミュニケーションを取るようになった。
言葉によるコミュニケーションは『顕在意識』をより強固なものとし、錯覚であるところの『他者』の認識をも強固なものにした。


2057 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:44:21 ID:Y4grlhQ20
『言葉』は、非常に強い力を持っていた。
言葉により思考する人間の強固な顕在意識は、末端でありながら、より『幹』に近い階層の意識……潜在意識に影響を及ぼすようになった。
そして、目の前の他者を自己の一部と認識できなくなった人間は、自己の一部であるところの他者に『呪詛』を仕掛けるようになった。
つまるところ、『呪詛』とは自分自身に向けられた自傷行為に過ぎないのだ。
この世界には、一つの法則がある。
生命体としての『樹』の存続に有益なものは『善』であり、害を成すものは『悪』なのだ。
その意味で、自傷行為である『呪詛』は、世界の法則……『律』に反する絶対的な悪なのだ。
際限なく呪詛を振り撒く存在は、自らを傷つけ冒す病変……癌細胞のような存在で悪である。
一本の大きな『枝』としての人類の『集合的無意識』は、『葉』としての『個』を産み出し、『魂』に経験を積ませて、その記憶を集積することによって『人類』全体の成長を図ろうとしている。
集積された魂の記憶……『歴史』の事実に反する虚偽の言葉を振り撒き、人類全体の『魂』の成長を阻害する存在……それもまた、悪である。
他者への慈愛や赦し、施しは『命』の傷ついた部分に『栄養』を分け与える行為であり、善であり功徳である。
他者からの慈愛や赦し、施しに対する『感謝』は、与えた者に対する『癒し』であり、善であり功徳である。
そして、感謝を受けることにより得られる喜びもまた功徳である。
『布施』は、それに対する『感謝』と両輪となることで、善と功徳の拡大再生産となり、『魂』の成長を促す。
だが、与えられることのみを望み、『感謝』しない存在は『善のサイクル』を断ち切る者であり悪である。
『悪』は生命の『歪み』であり、許容できなくなった『歪み』は生命に備わった『免疫反応』によって消去される。
多くの『個』としての人の死や、『部分』としての民族や国家の滅亡は、歪みを是正する作用として『善』足り得るのだ。
今、この世界は歪みが飽和点に近付きつつある。
第3段階の『新しい子供達』の出現と共に現れるという『過去世』を持たない魂を持つ子供の為に、歪みの全ては是正されようとしている。
その消滅が『新しい子供達』出現の端緒となる『旧世代の偉大な霊力』の持ち主、『3人の聖者』は、急激な是正を食い止める存在らしい。
そして、三段階を経て現れる『新しい子供達』……膨大な過去世を蓄積させた魂は、大きな破滅を経ることなく歪みを是正する為に現れた存在。
緩やかに、穏便に『歪み』を修正する者、『調律者』なのだ。
集合的無意識……或いは生命の『樹』の深い階層、『人類の枝』までを自己と認識できる彼らが、全体としての意思と個別の意識を持つのは当然だろう。
そして、是正され排除されるべき『呪詛』に関わる旧世代の能力者……『悪』の存在が、彼らの意思を『敵意』と感じ、その能力が通用しないのもまた当然のことなのだろう。
 
ここに書いたことは、俺が受け取ったイメージが、俺自身の知識や『個』としての俺の認識力と言うフィルターを通ることによって表現されたものに過ぎない。
だが、どの段階だったのかは判らないが『新しい子供達』と、恐らくは彼の息子を介して『接触』したマサさんは、全ての呪術を捨てる覚悟を決め実行したのだ。


2058 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:46:19 ID:Y4grlhQ20
やがて、朝がやってきて、『儀式』は終わった。
俺は、マサさんの息子に尋ねた。
「なぜ、俺だったんだ?」
彼は俺に、あの恐ろしい視線を向けながら、頭の中に直接響く不思議な声で答えた。
『もうすぐ、妹が生まれるんだ。
妹は、オジサンのことが大好きなんだよ。早くオジサンに会いたいって。
でも、オジサンは妹には会えない。“第3段階”が少し先に伸ばされたから。
オジサンには時間がないからね』
……何を言ってるんだ?
混乱する俺に彼はさらに言葉を続けた。
『オジサンにはチャンスをあげる。僕たちの仲間を救って、守ってくれているから』
「仲間?」
『マミだよ。あの子は、まだ目覚めていないけれどね。
オジサンがいなくなると、あの子が悲しむから……そうなると、あの子は『罪』を犯して、二度と僕らとは繋がれなくなってしまう』
……確かに、マミが生まれたのは1990年……彼女は、第1段階の『新しい子供』だというのか。
『オジサンには、マミと共に、これから生まれてくる3人の子供達……僕らの仲間を守ってもらいたいんだ。
でもね、その為には、オジサンに呪詛を……恨みや怒りの感情を捨ててもらわなければならない』
「俺は……呪詛なんて、とっくの昔に捨てているぞ?」
『そう言う意味じゃないんだよ。オジサンの“血”の中に潜んでいる恨みだよ。
オジサンの中には“鬼”が住んでいる。それを抑えて来たものが失われて目覚め始めているんだ。
自分でも判っているんじゃない?オジサンの体は、それに耐えられる強さがなくて、食べられてしまっているんだよ』
……何を言っているんだ?
『まだ、少しだけ時間があるから、答えは急がなくていいよ。
僕らの提案を受け入れてくれるなら、一言、あの言葉を言ってね。
そうすれば、そこから全てが始まるから』
……あの言葉?俺には何の事か判らなかった。今でも判らない。
マサさんの息子に今一度、訊ねようと思ったが、彼の目からは、あの恐ろしい光は消えていた。


2059 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:47:34 ID:Y4grlhQ20
俺は、メモに記された手順に従って『箱』を封印し、少年を連れて山を降りた。
その足で、キムさんの事務所に向かい、少年を母親の許に送り届けた。
そして、キムさんに宣言した。
「俺は二度と呪術と関わりは持たない。呪術と関わる人間とも関わらない。
これが本当に最後だ。
長いあいだ世話になっておいて、こんな言い草はないと思うが、二度と俺に関わらないでくれ」
「……そうか、判った。だが、ケジメだけは取らせてもらう。
何をしてもらうかはこれから決める。もう一度連絡する。それで本当に最後だ」
 
俺はマミの許に帰った。
時間は恐ろしい速さで過ぎていった。
……とうとう『定めらた日』とやらが、来てしまった。
24日は、二人きりで過ごそう……
翌朝、婚姻届を出しに行って、忘れられない二人の記念日にしよう……マミと交わした約束は恐らく、果たせないだろう。
だが、俺は諦めない。
父との約束通り、最後の瞬間まで足掻き続けるつもりだ。


2060 :イクリプス ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 06:49:01 ID:Y4grlhQ20
我が黄金に燃え立つ弓をよこせ!
我が欲望の矢をよこせ!
我が槍をよこせ!雲よほどけろ!
我が炎の戦車をよこせ!
決して精神の戦いをやめないぞ
我が剣をいたずらに眠らせておくこともしないぞ

 
願わくば、事の顛末を報告したいが、それが出来るかは判らない。
ほんの気まぐれで始めたことだったが、この投稿をくだらない文章を5年間も吐き出し続けたケジメとしたい。
 
 











  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 10:46Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2013年01月21日

病める薔薇、白い蛇(祟られ屋シリーズ⑳)

病める薔薇、白い蛇


2017 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:44:35 ID:Y4grlhQ20
俺がイサムを伴って実家に戻ってから2・3週間ほど経った日のことだった。
部屋のドアをノックする音で俺は目覚めた。
安眠を妨害され、眠い目をこすりながら俺はドアを開けた。
「誰よ?」
浅黒い肌をした小柄な女が立っていた。
ラーナ……俺が住んでいたボロアパートの住人の一人、アナンドの彼女だ。
二人は同じ職場に勤務している。
「カラテの兄さん、アナンドが大変なの!」
アナンドの部屋に行くと、彼は脂汗を流しながらガタガタ震えていた。
体温計で熱を計ると38度を超えている。
「どうした?」
前の晩、自転車で出勤中に、突然の雨に降られてずぶ濡れになってしまったらしい。
職場まで自転車で30分ほど。
着替えるのが面倒なので、作業服のまま出てしまったようだ。
ずぶ濡れの格好のまま吹き曝しの現場で一晩作業をしていたそうだ。
「この季節に……アホだな。風邪を引くに決まってるだろ。待ってな、薬があるから」
すぐに医者に連れて行ってやりたいところだが、健康保険に入っていない外国人の辛いところだ。
薬を飲ませ、お粥を作って喰わせて、「とりあえず寝ろ」と言ってから、俺ももうひと寝入りすることにした。


2018 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:46:05 ID:Y4grlhQ20
何時間寝たのだろうか?
俺は微妙な振動と、誰かの激しい息遣いで目が覚めた。……またか、あいつら。
俺は壁に蹴りを入れて怒鳴った。
「病人が、昼間から盛ってんじゃねえ!」
ボロアパートの壁は薄く、隣の音や声は筒抜けの丸聞こえだ。
時計を見ると、昼の13時を過ぎたくらいか。
30分ほどして、ラーナがノックもせずにいきなり部屋のドアを開けた。
「なんだよ!」
「何をアワテテルの?ソロ活動中だった?」
「するか、アホ!」
「暇なら買い物に付き合って。ゴハンご馳走するよ!」
俺はラーナの買い物に付き合った。
いったい何日分買ったのか判らないが、ダンボールに纏めた食材を俺がアパートまで持って歩いた。
病み上がりのアナンドに食わせるのはどうかとも思ったが、ラーナが作ったマトンのカレー風味の炒め物は、若干香辛料がきつく癖があったが旨かった。
やがて日が落ち、夜になると、昨晩よりも激しく冷たい雨が降り始めた。


2019 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:47:23 ID:Y4grlhQ20
23時前くらいだったか、雨が少し弱まったのを見計らって「もう帰るよ」と言って、ラーナがアナンドの部屋を出て行った。
「俺たちも、そろそろ寝ようや」と言って、ビールやチューハイの空き缶を水洗いしてビニール袋に詰めていると、帰ったはずのラーナが慌てて戻ってきた。
「外に誰かいるよ!凄い目で睨まれた。怖いよ!」
こんな土砂降りの深夜に……変質者か何かか?
あまり柄の良い地域じゃないからな……
俺は、表からアパートの2階を睨み付けていると言う『男』を追い払い、徒歩で10分ほどの場所にあるラーナと彼女の女友達の部屋までラーナを送って行くことにした。
ラーナが言ったように、角の電柱のところに誰かが傘もささずに立っている。
「あれか?」
「うん!」
ラーナの慌てた様子に勝手に『男』決め付けていたが、どうも様子が違う。
女?
電柱の所まで近づいてみて、俺は驚いた。
「え?マミ?何で?」
血の気の失せた白い肌に濡れた髪が張り付き、唇は紫色だ。
冷え切った体が震えている。


2020 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:49:13 ID:Y4grlhQ20
俺はマミを部屋に上げた。
何時間立っていたのか知らないが、全身ずぶ濡れで、靴の中まで水浸しだった。
直ぐに熱い風呂に入れてやりたいところだが、アパートは風呂なしだ。
15分ほどの場所にある銭湯も、もう閉まってしまっているだろう。
デイバックに入れてきた着替えも全滅だった。
仕方がないので、俺の下着とTシャツ、ジャージを着させた。
マミが着替えている間、俺はマナーモードのまま部屋に置きっ放しになっていた携帯をチェックした。
実家の母から10数件の着信が入っていた。
電話すると1コール鳴るか鳴らないかのタイミングで母が出た。
「俺だけど?」
「何度も電話したのよ。何していたの?」
「ごめん」
「そんなことより、大変なの。マミちゃんが昨日から帰ってこないのよ!」
「ああ……マミなら、俺のところにいるよ。
雨の中、ずぶ濡れでずっと立ってたみたいで……何があった?」
母の話では、俺とイサムが帰ったあと、俺の両親は早速マミに『養女』の話をしたらしい。
マミは「返事は少し待って欲しい」と答えたようだ。
両親も「返事は急がなくていいから、ゆっくり考えて欲しい」と言ったそうだ。
それからマミは、口には出さないが相当悩んでいたようだ。
そして、前日の晩、学校から帰ってくる時刻になってもマミは帰宅しなかった。
夜通し眠らずに帰宅を待った父と母は、朝から心当たりに片っ端から連絡を入れてマミを探していたらしい。


2021 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:50:48 ID:Y4grlhQ20
朝晩は結構冷え込む季節にはなっていたが暖房器具はまだ出していなかった。
出しても燃料がない。
「温まるよ」と言って、ラーナがスパイスの効いたネパール風のミルクティーを持ってきた。
「何か、食べられそうか?」と聞いてみたが、マミは小刻みに震えながら首を横に振った。
床を用意して「とりあえず寝ちまいな」と言って布団に入れたが、身体の冷え切ったマミは震えたまま寝付けない様子だった。
「かわいそうに、完全に凍えちゃってるよ。人肌で温めてあげないと、ダメだよ」とラーナが言った。
「人肌って……俺が?」
「他にいないでしょう?」
ラーナの指示に従って、マミをTシャツとトランクス一枚の姿にして、同じような格好になった俺はマミと布団に潜り込んだ。
「嫌かもしれないけど、我慢してくれ」そう言うと、マミは俺の背中に手を回し抱きついてきた。
氷のように身体の芯まで冷え切った感じのマミだったが、腕枕しながら背中を摩っていると、徐々に体が温まり、やがて静かに寝息を立て始めた。

まだ薄暗い時間だったが、知らない間に寝ていた俺は、マミに腕枕していた左腕の痺れで目が覚めた。
腕の感覚がない。
目を開けるとマミの顔があった。
既に目覚めていたようだ。
「ごめん、起こしちゃったか?」と言うと、マミは掌で顔を隠した。
薄暗がりでも耳まで赤くなっているのが判った。
腕を抜いて身体を起こそうとすると、マミは俺の体に腕を回し抱きついてきた。
前々から思ってはいたのだが、俺は改めて思った。
『この娘、かわいいな』
そのまま背中を軽く叩いていると、マミは再び寝息を立て始めた。


2022 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:52:21 ID:Y4grlhQ20
やがて、日が完全に昇り、外は明るくなった。
朝食は作るのが面倒なので、前の晩の残り物や、出勤途中に牛丼屋などに寄って定食を喰うことが多いのだが、その日はマミ用に卵粥を作ってみた。
白粥は味がなくて嫌いなので、粉末の鶏がらスープを使って粥を作る。
別の鍋で出汁と薄口醤油を煮立たせてから水溶き片栗粉を投入。
刻んだネギを混ぜた溶き卵と合わせて、粥の上にぶっかける。
目覚めたマミは、食欲は出たようで取り敢えず安心した。
着替えは前の晩にラーナが近所のコインランドリーで洗濯してくれていて、既に乾いていた。
「俺は、これから出勤しなければならないんだ。
昼は適当にやってくれ。あるものは好きなようにしていいし、金も置いていくから外に行ってもいいよ。
話は帰ってきてから聞くから」

仕事から戻ると、部屋がきれいに片付けられ卓袱台の上に夕食が用意されていた。
帰って来た部屋に明かりが点いていて、誰かが待っているというのは良い。
「全部マミが?」
「うん」
実家の母の直伝なのだろう。
味付けが全て俺の好みにピッタリだった。
「……どうでした?」
「美味かったよ。マミは、明日にでも良い嫁さんになれるな。
旦那になる奴が羨ましいね」
「ほんとうですか?」
「ああ、本当だ」
マミが笑った。いい笑顔だった。
この笑顔だけで100万の価値はある。


2023 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:53:39 ID:Y4grlhQ20
この雰囲気は壊したくなかったが、俺は敢えて聞いた。
「……家出…だよな。何で黙って家を出てきたりしたんだ?
父さんも母さんも、凄く心配していたぞ?
原因は『養女』の話なんだろうけど……マミは家の娘になるのは嫌か?
まあ、今更『養女』何て形に拘らなくても、父さんや母さんにとっては、もうマミは娘みたいなものだし。
姉さんや久子にとっても可愛い妹だよ?」
「おじさんやおばさんには優しくしてもらって、感謝してもし切れないくらいです。
その上、本当の娘にならないかって言ってもらって、凄く嬉しかったです。
素子さんや久子さんが、お姉さんになってくれるというのも嬉しいです」
「それじゃ何で?」
「私が養女になるってことは、XXさんは私のお兄さんになるってことですよね?」
「そういう事になるな。
まあ、複雑だよな……正直なところ、俺も引っかからないと言えば嘘になるからな」
「多分、XXさんの言ってる意味と私の言ってる意味はズレてると思う……」
「そうか?」
「私、おじさんやおばさんの事は大好きだし、素子さんと久子さんも大好きだから、いい娘や妹になれる自信はあるの。
でも、XXさんの妹にはなれない。多分、ものすごく嫌な女になって、みんなに嫌われる」
「なんで?」


2024 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:55:21 ID:Y4grlhQ20
「XXさんに彼女や奥さんが出来たら、私、絶対に嫉妬して意地悪する。
子供が出来たら、その子のことを憎んでしまう。二重の意味で……多分、絶対に。だから、XXさんの妹になるのは無理」
「やっぱり、そっちか……」
「えっ?」
「俺だって、そこまで馬鹿でもなければ、鈍くもないからな。ここに来た時点で判るよ。
……ところでお前、ここが良く判ったな」
「久子さんが教えてくれました。お金も貸してくれて……」
「あの馬鹿!」
「久子さんが言ってました。……XXさんは、亡くなった恋人さんのことを今でも引きずってるから、難しいって。
でも、私なら……生きている私なら、ずっと一緒にいてあげられるから、気持ちを正直に話してぶつかってみろって……
……私じゃダメですか?」
「それは、結婚でもして、一生お前と一緒に居るってことか?
……正直なところ無理だな。俺は嫌だもの」
不味い言い方をしてしまった自覚はあった。
だが、俺の中で一木燿子の言葉がわだかまっていた。
俺が人を愛することを俺たちの一族が対峙している『神』は許さない。
俺の愛した者は俺から引き離され、抵抗して側に居ようとする者は命を奪われる……。
俺が愛した女達、ユファは引き離され苦界を彷徨い、アリサは命を奪われた。
……そう、……俺は、マミを失うことを恐れていた。


2025 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 04:58:10 ID:Y4grlhQ20
俺の言葉に想像以上のショックを受けたらしく、マミは泣き始めた。
「酷い。XXさん……胸が痛いって言葉知ってますか?本当に痛いんですよ……。
XXさんは、私のこと嫌いだったんですか?」
 
激しく泣き始めたマミが少し落ち着いてから俺は言った。
「好きか嫌いかで言うなら、俺はマミのことは大好きだよ。
マミには、ほかの誰よりも幸せになって欲しいと思っているんだ。
だから、周りの全てがお前の敵になっても、俺だけはマミの味方をしてやるよ。
でもな、俺の『好き』は半分位が父親目線なんだ……。
お前が男を連れてきて、父さんたちが反対しても、お前が好きな相手だったら全力で応援するよ。
例えば、イサムとかだったらな。
でもさ、アラフォーのオヤジとか、……俺みたいなのを連れてきたら、絶対に、全力で止めるもの。
相手の男も、二度とお前に近づかないように半殺し以上にはすると思うし」
「……半分ってことは?」
「女としてのお前のことも好きだよ。マミは優しいし、物凄く可愛いからな。
少なくとも、俺にとってお前くらいに良い女はいないよ。
そうやって、泣いてる顔も可愛いけど、お前の笑顔は効くんだよ……ノックアウトだ。
だから俺は、お前の笑顔が見れただけで幸せだ。
それだけで、俺たちの家にお前を迎えられて、本当に良かったと思っているんだ」


2026 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:01:06 ID:Y4grlhQ20
「それなら……私が笑えるようになったのはXXさんが居たからじゃないですか」
「そうか?でも、俺はもう、好きな女を喪ったら、二度と耐えられそうにない。
だから逆に、好きな女に、マミにこんな思いはさせられない。
俺は、確実にお前より20年は先に逝ってしまうからな……20年もお前を独りには出来ないよ。
俺が死んだあと、お前が他の誰かのものになるのも嫌だからな。お前より先に死んだら成仏できそうにない。
だったら、父親目線で、お前の幸せを見せてもらった方が余程いい」
「そんな言い方はずるいです。私のXXさんを好きな気持ちはどうなるんですか?」
「マミはさ、『刷り込み』って言葉を知ってるか?」
「?」
「孵化したばかりの鳥の雛が、初めて目にした動くものを親と認識してしまう、一種の本能だ。
お前の気持ちは嬉しいけど、お前のその気持ちは『刷り込み』かも知れないぞ?
お前は三瀬や迫田みたいなクズのような男達に痛めつけられて、大人の男の醜い所ばかりを見せつけられてきたからな。
初めて男に優しくされて勘違いしているのかもしれないぞ?
死の淵から自分自身を救い出そうとする生存本能に騙されてな。
俺も、連中と中身は大して変わらないのだけどな」 
「そんな言い方は酷いです。それに、XXさんは、あんな奴らとは絶対に違います!」
「ありがとうよ。
でもな、お前の倍生きてきた経験から言うと、若い時の気持ちを余り真に受けない方がいい。
今のお前の気持ちが嘘だと言っているんじゃないぞ?
でもな、色々な出会いや経験を重ねて行く内に変わって行くものなんだ。
マミは、同じ年頃の女の子が普通に経験すべきことをまだ余り経験していないからな。
人並みに学んで、人並みに遊んで、人並みに恋をして、泣いたり笑ったりして欲しいんだ。
まだ、学校にだって通い始めたばかりだろ?
……そうだな、お前がちゃんと高校を卒業して、その時、まだ俺のことを好きでいてくれたら、先のことを真剣に考えさせてもらうよ。
それまでに好きな男ができたら、俺に遠慮なんてしないで、そいつと幸せになれ。
どんな結果になっても俺はお前の味方だし、祝福するよ」


2027 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:04:14 ID:Y4grlhQ20
「私の気持ちは変わりません。絶対に……今の話、約束ですからね!」
「ああ、俺の方の話は約束だと思ってくれていい。他に女を作る気も当てもないしな。
でも、お前の方は、約束だなんて思わなくていい。
好きな男が出来たら、俺の事なんて忘れてしまえ。
どんな結果になっても、お前は俺たちの家族だからな。遠慮なんてする必要はない」
 
……何を口走っているんだ、俺は!
俺は自分自身に驚いていた。
そして、一木燿子に『夢はないか?』と問われて答えた『俺の望み』を思い出していた。
いつからなのかは判らない。
俺はマミと、燿子に語って聞かせた『夢の生活』を送ることを望んでいる。
アリサを喪ってから俺を捉え続けていた喪失感が、何がどうなろうと構わないといった、投げ遣りな感情が消えているのに気がついた。
アリサへの思いが嘘だったと言う訳ではない。
ついさっき、マミに語ったように、俺自身が変わったのだ。
それが、チェンフィの『治療』の効果なのか、マミとの出会いがもたらしたものなのかは判らない。
だが、俺は強く思っていた。
『生き続けたい』と。


2028 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:06:46 ID:Y4grlhQ20
マミは、なかなか帰りたがらなかった。
正直な気持ちを言うなら、マミが傍にいるママゴト生活は、俺にとって心地良いものだった。
だが、実家の両親も心配しているし、学校をいつまでも休ませる訳にも行かない。
渋るマミに俺は言った。
「学校もあるのだし、明日、お前は家に帰れ」
「……嫌です」
「言っておくが、お前が留年したり、学校を卒業できなかったら、あの話は無効だからな!」
そう言うと、マミはやっと実家に戻ることを了承した。
マミの希望で、俺はマミをバイクで実家まで送ることになった。
マミの荷物はラーナが大量に持たせた『お土産』と共に宅急便で実家に送った。
少しダブついたがパッド入りの革ジャンを着せ、予備のヘルメットを被らせた。
ショウエイのMサイズはマミには若干大きいか?
オリジナルのペイントが施されたこのメットは、アリサから最後に貰ったプレゼントだ。
「この匂い……」
「あ、ゴメン、臭かった?」
「いいえ。ただ、これがXXさんの匂いなんだなって思って……嬉しくって」
……やっぱり、実家に連れて帰るの止めようかな……とも、思ったが、タンデム中の注意をして、俺たちは実家へ向けて出発した。


2029 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:08:26 ID:Y4grlhQ20
実家に着くと、エンジン音を聞きつけたのだろう、両親がすぐに出てきた。
タンデムシートから降りると、メットを外す間も与えずに母がマミを抱きしめた。
「お帰り、マミちゃん!もう、この娘は心配させて……XXに、変なことされなかった?」
メットを外したマミが俺を見る。
父と母の視線も俺の方に……
「なんだよ、俺は何もしていないって!」
「おじさん、おばさん、心配をかけてごめんなさい……。
あの……養女にならないかというお話……有難くって、すごく嬉しかったけれど……お受けすることはできません。
わがままを言って、ごめんなさい」
「そのことは、もう、いいんだよ。
私たちの方こそ、気づいてあげられなくてごめんな。久子から、話は全て聞いたよ」
「私、ここにいても良いのですか?」
「当たり前じゃないか。どんな形であれ、マミちゃんは家族の一員だよ」


2030 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:09:47 ID:Y4grlhQ20
夕食が済んだあと、俺は父の部屋に呼ばれた。
「たまには付き合えよ」
グラスに父が医者に止められるまで好んで飲んでいたマッカランが注がれた。
「いいのかよ?」
「いいだろ、今日くらい」
「氷は?」
「相変わらず、酒の飲み方を知らないな。そのままで飲むんだよ」
 
「お前とマミちゃんのこと、驚いたよ」
「ああ、自分でも驚いているよ。孫は抱かせてやれそうにないんだけどね」
「そんなことは気にしなくていい。
お前たちが生まれて、父さんも母さんも幸せだった。
でも多分、お前たちが生まれなくても、父さんと母さんは幸せだったと思うよ。
お前は、マミちゃんと幸せになれば、それで良い。
ありのままのあの子を愛してやればいいんだ。その酒みたいにな」
「俺は……いい息子じゃなかったけど、これで親孝行の真似事位は出来たのかな?」


2031 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:12:27 ID:Y4grlhQ20
「いや、お前は十分に親孝行をしているよ。
素子も、とても小さな赤ん坊だったが、あの子は元気で生命力に溢れた子だった。
でも、お前は今にも死にそうで、母さんにはとても言えなかったが、まともに育つようには思えなかった。
親として、幼い我が子を看取ることほど辛いことはない。
お前は生き続けて、ちゃんと育ってくれた。それで十分だよ」
父の言葉は、俺の胸に刺さった。
俺は、グラスの酒を飲み干した。
そして、これまでの事全てと、一木貴章と燿子に聞いた話を父に話した。
「全て知っていたよ」
「え?」
「自分の親をあまり侮るものではないよ」
「侮ったことなど一度もない。これまでも、これからも!」
「そうか。それならば良い。
私が日本に帰ってきてから……帰ってきたというのは正確ではないな。
この国に来て、田舎を出るまでにあったことをお前たちに話さないのは、お前たちに私の『怨念』を引き継がせたくはないからだ。
だから、爺さんの葬式の時に、田舎と縁を切ったのだ。
……確かに、これは宿命ってやつなのかも知れないな。
でもな、俺はお前が『宿命』とやらを口実に諦めたり、投げ出したりすることは許さない。
お前にはマミちゃんが居るのだから。
足掻けよ。とことん、……最期の瞬間までな。
もしもの時は家族が、俺や母さん、素子や久子がマミちゃんを支えるから」


2032 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:14:51 ID:Y4grlhQ20
「役に立つか判らないけれど、これを持って行け」
父は棚の引き戸から何かを取り出した。
黄色く変色した新聞紙を剥がすと一枚の絵が出てきた。
白い大蛇をその身に纏付かせた女神?が描かれていた。
ただの絵ではない。
見ているだけで、足元からゾワゾワと何かが登ってきて、血の気が失せ頭がクラクラする。
全身の血液ごと魂を引き込まれる……そんな感じだ。
何なのだ、この絵は?
「感じるか?」
「ああ……。何なんなの、この絵は?」
「坂下家の娘……佐和子ちゃんのこと覚えているな?」
「……覚えているよ」
「あの子が描いたものだ」
「……いいのかよ、持って行ってしまって」
「いいんだよ。その絵は、あの子がお前にって遺したものなのだから」


2033 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:17:14 ID:Y4grlhQ20
「その絵の女はな、お前が生まれる前の晩、母さんの夢枕に立った女神……或いは悪魔なのかもしれないが……それにソックリらしい。
お前に、ということで預かったのだが、あまりの禍々しさに今日までお前に見せることはできなかった。
今、お前にしてやれることは他に思いつかないが……マミちゃんのことは任せておけ。
お前は全てにケリを付けて、生き残って、マミちゃんとの約束を果たすことだけを考えろ」
「判った」
部屋を出るときに父が言った。
「マミちゃんの花嫁姿、綺麗だろうな」
「ああ。俺だって、あいつにウェディングドレスを着せてやりたい」
「お前が愛想を尽かされて、振られたら全てパァだけどなw」
「そういうことを言うか!」
「それが嫌なら、マメにマミちゃんに会いに帰ってこい。
あの娘と、俺たちの時間の感覚は違うんだ。
寂しがり屋のあの子を放っておいたら、誰かに横から攫われてしまうぞ?
そこまでは俺も責任はもてないからな!判ったか、バカ息子!」
「判っているよ、クソ親父!」


2034 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:19:45 ID:Y4grlhQ20
俺は、絵を持って一木燿子を訪ねた。
「あなた、僅かな時間だったけど、随分と雰囲気が変わったわね?」
「そうかな?……ただ、どうしても死にたくない、死ねない理由が出来たものでね。
悪あがきして『定められた日』とやらを回避したくなったんだ」
「あなたの『夢』は叶いそう?」
「ああ、叶えたい……絶対にな!
それで、……これを見て欲しいんだ」
俺は、燿子に問題の『絵』を見せた。
「凄いわね……」
「判るのか?」
「ええ、なんとなくだけどね。
これ程のものだと……描いた人は、亡くなっているでしょうね。
全身全霊をこの絵に注ぎ込んで。……この絵は、そういった類のものよ」
「坂下家の最後の『娘』が俺に遺した物らしいです。
何故俺になのかは判らないのだけど。
ただ、父が言っていました。
この絵の女は、俺が生まれる前の晩、母の夢枕に立った『女』にソックリらしいです。
女神なのか、悪魔なのかは判りませんが」


2035 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:22:19 ID:Y4grlhQ20
「私には、判断は下せない……この手の呪物の専門家に依頼してみましょう」
「専門家?」
「榊さんの奥さんよ」
絵は、榊家に持ち込まれ、榊婦人による霊視が行われた。
一木燿子も貴章氏も驚いていたが、榊婦人の霊視は佐和子の『絵』には通用しなかった。
しかし、意外な人物から『絵』に描かれて居た女の正体がもたらされた。
奈津子だった。
『絵』に描かれている女は、いつも俺を見ているらしい。
女が身に纏わせている『赤い眼をした白い蛇』は、俺に纏い付いている『青い眼をした白い蛇』と番だということだ。
青い眼をした白い蛇?
白い蛇を纏付かせた女が、恐らく、俺の一族と対峙している『神木の主』、先祖の住んでいたという村で信仰されていた『神』であることは俺も予想していた。
一木燿子の見立ても、霊視が利かず確証はなかったが、同じだった。
だが、奈津子の見立ては予想を裏切った。
『絵』の女は、『人柱』に捧げられた女だという事だ。
そして、奈津子によると、俺に纏付いている『青い眼をした白い蛇』はかなり弱っているらしい。
訳が判らなかった。
そして、一木貴章が言った。
「こんなことは初めてだが、先に君に話した『見立て』に確信が持てなくなった。
我々は、重大な何かを見落としているような気がする……君の『魂の二重性』を含めてね。
姉、燿子の見通した『定められた日』になれば判るのかもしれないが……それでは間に合わない。
もう一度、洗い直してみる。
絵は我々で預からしてもらおう。良いね?」


2036 :病める薔薇、白い蛇 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/21(金) 05:24:17 ID:Y4grlhQ20
一木姉弟、そして、榊夫妻が俺のために動いてくれることになった。
だが、それは俺が抜けたくて堪らなかった呪術の世界に留まり続けなければならないことを意味していた。
マミの為に、一刻も早く全てにケリを付けるつもりだったが、それは出来なくなった。
俺は、立ち去りたくて堪らなかった呪術の世界に留まり続けた。
その間、マサさんが姿を消し、長年住んでいたボロアパートが燃えた。
そして、マミとの約束の日が近づいてきた。
結局、事態は何の進展も見せずに、時間だけが空費された。
一木燿子の見立てによる『定めらた日』は近い。
俺は、『定めらた日』を回避することを諦めた。
……残された僅かな時間を無駄にはしたくない。
一秒でも長く、俺はマミと一緒に過ごしたかった。
俺は、キムさんに辞表を提出して実家に戻った。
こんなことが通用する世界ではないのは百も承知だ。
だが、俺にはマミと、そして家族と過ごす残された1分、1秒の時間が重要なのだ。


おわり


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 10:44Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2013年01月21日

傷跡(祟られ屋シリーズ⑲)

傷跡


1947 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:35:33 ID:cFFR5zTA0
木島氏の元から戻った俺はしばらく悩んでいた。
悩みの原因は、マサさんの『叔母』、一木燿子の霊視だった。
燿子の言うところの『定められた日』……俺の死期はそう遠いものではないらしい。
そのこと自体は、少し前の俺にとっては大した問題ではなかった。
そう、アリサを失ってからの俺にとっては、どうでも良いことだったのだ。
失って惜しいモノは何もないと、イサムと出かけたロングツーリングを利用して、失踪しようとまで考えていた。
だが、今はそうもいかない。
俺には、どうしても片付けなければならない問題があったのだ。
俺は、実家に電話を入れると、イサムを誘ってバイクで実家に戻った。
 
実家に戻ると、両親と妹、下宿して定時制高校に通う真実(マミ)が俺たちを迎えた。
「この馬鹿息子!マミちゃんを預かる条件として約束したわよね?
どんなに忙しくても、月に一度は帰ってきなさいって!
片道3時間の所に住んでいるくせに、何ヶ月帰ってこなかったの?約束が違うでしょ!」
「ごめんなさい……」マミが母に謝った。
「何で?マミちゃんが謝る必要はないでしょう?
あなたはウチの娘なんだから、嫌だと言っても、お嫁に行くまで家に居てもらうわよ」
「悪かったよ。理由はコイツに聞いてくれよ」
俺は、家族にイサムを紹介し、イサムは俺とロングツーリングに出かけていたことを話した。


1948 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:37:22 ID:cFFR5zTA0
「先輩の妹さんって、美人ですよね。スタイルも良いし」
「そうか?でも、アイツは止めておいた方が良いぞ」
「なんで?」
「……性格が無茶苦茶キツイからな。軽い口喧嘩でも、情け容赦なしに人の心を折りに来るぞ?
それに、腐り切って三次元の男に興味がない上に、ガチ百合だ。結婚とかするタマじゃねえ。
お陰で、完全に、パーフェクトな嫁き遅れだ。あんなの貰ったら人生の不良債権化間違えなしだ」
「……そこまで言います?」
「ああ。お前も今頃、受けだの攻めだのって、くだらない妄想のダシにされているかもな」
「……」
「それより、マミちゃんはどうよ?あんな腐った年増の不良債権女より、お前にはピッタリな子だと思うけどな」
「ああ、確かに可愛い子ですよね。ただ、影があるというか……訳ありっぽいな、と」
「やっぱり、判るか……」
「ええ。……姉さんと、似た雰囲気があるから。何となくね」
「でも、すごく良い子なんだ。仲良くしてやってくれ」
 
そんなことを話していると、妹が夕食の準備が出来たと呼びに来た。
「黙って聞いていれば人のことを悪し様に言いたい放題。私は腐女子でもレズでも何でもないって言うの!
私だってね、炊事洗濯、家事一般が完璧でいつも家にいてくれる可愛い子が居れば、いつでも結婚してやるよ?
別に稼いでこなくても、しっかり喰わせてやるし。忙しくて出会いがないだけだって!」
「お前なぁ、そう言うのを世間一般では『嫁』って言うんだ。……こんなオヤジ化した年増女じゃ誰も相手にしないよ」
「イサム君、こんなクソ兄貴を相手にすると馬鹿が移るよ?せっかくイケてるのに、もったいない」
「お兄ちゃん、晩御飯食べたらお父さんの部屋に来てね。話があるそうだから」
 
マミは、俺と妹の久子が両親に頼み込んで実家で預かって貰っていた。
今でこそ、家事一般を積極的にこなし、定時制ではあるが高校に通うなど外出もできるようになったが、ここまで道のりは平坦ではなかった。
俺たちの実家に来た頃のマミは心身ともにボロボロに傷付いて、自殺の可能性すらあったのだ。
マミを実の娘……或いは、抱く事の叶わなかった孫のように可愛がってくれた俺の両親と、主治医としての久子のケアのお陰だろう。
俺とマミの出会いは、奈津子と出会った事件の後、マサさんが静養中だった頃に遡る。


1949 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:40:13 ID:cFFR5zTA0
俺は、中学時代の友人の葬儀に出席していた。
ヒロコは3年生のときのクラスメイト、リョウタは水泳部で一緒だった。
中学時代のヒロコは、かなりぽっちゃりしていたが明るい性格で、友人的な意味で男子からも女子からも人気のある子だった。
リョウタは少々お調子者だったが、イケメンでスポーツ万能なヤツだったので、密かに思いを寄せていた女子は多かった。
同学年や後輩の女子にリョウタのことを相談されたことは2度や3度では無かったので間違いない。
ヒロコもそんな中の一人だった。
ヒロコがリョウタの事を好きだったのは公然の秘密だった。
だが、多くの女子に思いを寄せられていたリョウタは、1学年上の先輩一筋だった。
全く相手にされていなかったのだが、リョウタは周りに自分の思いを公言していた。
基本的にアホだったリョウタが、先輩の進学した学区で2番目の高校に猛勉強して進学したのは恋のパワー成せる業だったのだろう。
高校進学後、先輩に告白してフラれた話は、度々本人がネタにしていたので、仲間内では笑い話になっていた。
そんなリョウタとヒロコが大学生の頃に学生結婚したのには驚かされたものだ。
俺は、結婚式には身内の不幸があったので参加できなかったが、祝電を送ったのを覚えている。


1950 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:42:14 ID:cFFR5zTA0
中学の同級生で葬儀に来ていたのは、ヒロコと小学校から大学まで一緒で仲の良かったマサミと、リョウタと仲が良く同じ高校に進学した吉田。
卒業から20年も経つと、仲が良かったとしても中学時代の友人の参列者はこんなものだろう。
明日、俺が死んだとしても、葬儀に出席しそうなのはPとその他数名といった所だろう。
それだって、多い方に違いない。
ヒロコとリョウタの死因を結婚後も付き合いのあったマサミに聞いてみた。
暖房器具の不完全燃焼による一酸化炭素中毒だったらしい。
……今時、そんなのありかよ。
だが、年代物のボロアパートに住んでいた俺も注意することにした。
俺にヒロコとリョウタの葬儀の連絡をしてきたのは藤田という男だった。
3年生の時のクラスメイトと言っていたが、俺に藤田の記憶は全く無かった。
手元に卒業アルバムもなかったので確認の仕様も無かったが、担任の先生の名前と他のクラスメイトの名前は合っていた。
失礼な話だが、俺の方が忘れていただけだろう。
俺は吉田に尋ねた。
「藤田って来てないよね?
俺は、藤田から連絡を貰って葬儀の事を知ったんだけどさ」
「藤田?ああ、確か、そんなヤツがいたな。
でも、お前、藤田と同じクラスだったことってあったっけ?」
「実は、覚えが無いんだよな。どんなヤツだっけ?」
「俺も、お前に名前を聞いて思い出したくらいで、殆ど覚えが無いんだよな」
「そうか」


1951 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:43:36 ID:cFFR5zTA0
俺は、マサミと吉田と暫く話した後、少々距離はあったがタクシーを待つのも面倒なので、歩いて駅へ向かっていた。
駅に向かって歩いていると後方から声を掛けられた。
「おい、XXだろ?俺だよ、藤田だよ!」
顔に見覚えは無かったが、声には聞き覚えがある。
俺の携帯に電話を掛けてきた声の主だ。
メタボって禿げ始めていた吉田も初めは誰か判らなかったので特に疑問は持たなかった。
「おう!遅かったんだな」
「ああ。先に用事があってな。一足違いだったみたいだな」
俺と藤田は、どうでも良い話題を話しながら駅へ向かって歩いていた。
駅が近付いてくると藤田が急に話題を変えた。
「Pに聞いたんだけどさ、お前、拝み屋って言うの?『そっち系』の仕事をしているんだって?」
俺は答えに困った。
クライアントや仕事の関係者以外に俺の『裏の仕事』の事は知られたくないからだ。
俺の家族さえ俺の『裏の仕事』の事は知らないのだ。
俺の家族とキムさんや権さん達との間には、俺の入院中の見舞いなどで面識はあったが、姉を除いて只の勤務先の上司としか思っていなかった。
Pもそのことは知っている。Pは口の軽い男ではない。
「どうしても、相談に乗ってもらいたいことがあるんだ。話だけでも聞いてくれないか?」
渋々だったが、俺は藤田と近くのファミレスに入った。


1952 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:44:37 ID:cFFR5zTA0
「お前さ、『エンジェル様』事件って覚えている?」
「ああ」
『エンジェル様』とは、降霊術の一種として有名な『コックリさん』の数あるヴァージョンの一つだ。
俺が中学2年生だった頃、この『エンジェル様』が俺の通っていた中学校と近隣の小学校で大流行したのだ。
俺は余り興味が無かったので参加しなかったのだが、休み時間になると教室の何箇所かでエンジェル様に興じる連中がいたことを覚えている。
藤田の話を聞いていて思い出したのだが、この『エンジェル様』の流行は妙な方向へと流れて行った。
『自分専用』のエンジェル様を『呼び出す』連中が現れたのだ。
上手く説明し難いのだが、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の『スタンド』みたいなものか?
異常に盛り上がったオカルト熱と、所謂『中二病』の複合感染みたいなものだったのだろう。
だが、この自分専用のエンジェル様を『降ろせる』と称する連中を中心に、クラスの中に『派閥』のようなものが形成されていった。
派閥同士が対立して、教室内の雰囲気が妙に殺伐としていたのを覚えている。
そんな中で『事件』が起こった。
授業中に隣のクラスの女生徒が錯乱状態に陥って暴れたのだ。
隣の教室から他の女生徒の悲鳴と騒ぎが聞こえてきた。
確か、俺達のクラスは『保健』の授業をしていたと思う。
ごついガタイをした男性体育教師が廊下に出て行った。
恐らく、その体育教師は女性徒を取り押さえようとしたのだろう。
だが、体育教師が女性徒に殴られ騒ぎは更に大きくなった。
怪我の内容は知らないが、殴られた体育教師は重傷だったらしく事件のあと1ヶ月ほど休職した。
取り押さえようとした教師を振り切った女生徒は俺達の教室にやってきて、鉄製のドアに嵌め込まれたガラス窓を素手で叩き割った。
割れたガラスは厚さが1cm近くあって、成人男性が力いっぱい殴ったとしても素手で割るのはかなり難しそうだった。
それを細身の女生徒が叩き割ったのだ。


1953 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:46:42 ID:cFFR5zTA0
俺や他の傍観組は、初めは女生徒の『芝居』だと思っていた。
『エンジェル様』はエスカレートして、トランス状態に陥った『振り』をするヤツや、『口寄せ』の真似事までするヤツが現れていたからだ。
だが、錯乱した女生徒の起こした事件は、傍観組も騒然とさせた。
俺達の教室のあった校舎の階は大混乱となり、その日の授業はその時間で中止となり、2年生は全員下校となったのを覚えている。
学校側は事態を重く見てエンジェル様は禁止された。
当然の措置と言えるだろう。
その後も、隠れてエンジェル様を行っているところを見つかって反省文を書かされた連中もいた。
だが、学年が変わるころにはエンジェル様の流行は完全に終息していた。
問題の女生徒は、確か卒業アルバムに名前があったので転校などはしていないはずだが、その後、学校で姿を見ることはなかった。

「あれって、殆ど自作自演だっただろ?今となっては、恥ずかしい青春の1ページってやつ。お前も、やってたクチ?」
「ああ、確かに。皆で握っていた鉛筆を動かしたりしてさ。でも……」
「でも?」
「俺、ヒロコ達とエンジェル様をやったことがあるんだ」
「ああ、アイツ、そう言うの好きそうだったからな」
「その時、みんなで握っていた鉛筆を動かしたんだ。ヒロコはリョウタと結婚するって。
ほら、ヒロコがリョウタのことを好きだったのはみんな知ってたからさ」
「それで?」
「ヒロコのヤツが『子供は何人?』って聞いたから、オチを付ける位の軽い気持ちで動かしたんだ。
子供が生まれる前に2人とも死ぬって。……知ってる?ヒロコってお目出度だったんだぜ!」
「ただの偶然だろ?」
「それじゃ、青木のことは知ってる?」
「確か、ブラバンやっていたヤツだよな?
クラスも一緒になったことないし……しらない」
「高校生の時、海で溺れて死んだんだ」
「へえ……」
「やっぱり、その時動かしたんだ、『3年後に溺死』って」
「それで?」
「その時のエンジェル様で出たんだよ」
「何が?」
「俺が死ぬって……首を吊って自殺するって!」


1954 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:48:16 ID:cFFR5zTA0
「それって、お前が動かしたの」
「俺じゃない!」
「それじゃあ、お前と同じように他の誰かが動かしたんだろ?
お前自身に首を括る予定は無いんだろ?考え過ぎだって」
「でもさ、あの時の『エンジェル様』を仕切っていたのは川村だったんだよ!」
川村とは、錯乱して事件を起こした、問題の女性徒だ。
「そう言えば、川村ってどうなったの?
確か、卒業アルバムに名前は有ったはずだけど、あの後、学校に来ていなかっただろう?」
「川村は、何軒か医者に掛かったり、あちこちで御祓いを受けたみたいだけど、結局、元には戻らなかったんだ。
両親が離婚して、今も母親の実家にいるよ」
「詳しいんだな」
「幼稚園の頃からの幼馴染だからな」
「その時、他に『エンジェル様』をやっていたヤツっているの?」
「川村と青木、ヒロコと菅田、それと川上だ」
川上は、俺が高校時代に付き合っていた彼女『由花(ユファ)』が中学卒業まで使っていた通名だ。
ユファの事は別れ方が最悪だったので、聞きたくなかった。
「ふうん。……そう言えば、菅田ってヒロコ達と仲良かったよな?
今日は来てなかったけど、今、どうしているか知ってる?」
「知らない」
菅田は、幼稚園入園前からのユファの幼馴染で、いつもユファと一緒にいた子だ。
大人しいが、非常に頭の良い子だった。
成績は、学年で常にトップクラスだった。
気が強く口煩い姉と妹に挟まれた中学時代の俺は、活発なタイプのユファよりも、物静かで大人びた雰囲気の菅田に惹かれていた。


1955 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:50:32 ID:cFFR5zTA0
「とにかく、気にしすぎだと思うぜ?
どうしてもと言うなら御祓いの紹介くらいはするけど。
気になって眠れないとかなら、心療内科でカウンセリングでも受けた方が良いよ。
御祓いなんて、所詮、気休めでしかないからな」
そう言って、俺は藤田と別れた。
 
後日、Pに会ったとき、多少の抗議を込めて藤田と彼に聞いた事を話した。
睨む様な目付きでPは俺に向かって言った。
「お前は、その時、何も気付かなかったのか?」
「何のことだ?」
「俺は藤田にお前のことを話したりはしていない。
それは無理な相談だからな。
藤田は、ずいぶん前に死んでいるよ」
「……本当か?」
「本当だ。俺達が高校に進学して直ぐだよ。首吊り自殺だ。
藤田のお袋さんは、ウチの店でずっとパートで働いていたからな。通夜にも行ったよ」


1956 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:53:02 ID:cFFR5zTA0
俺は言葉を失った。
Pは、彼の知っている事情を話し始めた。
藤田と川村、青木は幼稚園の頃からの幼馴染だったらしい。
俺に藤田についての記憶が無いのは無理の無いことだった。
藤田は1年生の3学期から不登校となり、その後、1度も登校していないからだ。
藤田の不登校の原因は、川村、青木を中心とするグループによる『いじめ』だった。
いじめグループにはユファも居たそうだ。
クラス内で求心力のあった川村たちの行動に異を唱える者はいなかった。
藤田へのクラスメイトのいじめはエスカレートして行った。
そんなクラスメイト達の行動を諌めた者が一人だけいた。
ユファの幼馴染、菅田ミユキだった。
だが、菅田の諌言は、いじめグループの行動の火に油を注ぐ結果となった。
藤田は、菅田の目の前で下半身を裸にされて、射精するまでセンズリを扱かされたらしい。
耐え難い、惨い虐めだ。
菅田の前で藤田にセンズリを扱かせようと提案したのはヒロコだったそうだ。
翌日から、藤田が登校することは二度と無かった。
藤田が不登校になると『いじめ』のターゲットは菅田に変わったようだ。
1学年11クラスあった中での他のクラスの事でもあったし、当時の俺は全く気付かず、今、Pに聞いて初めて知った事実だった。


1957 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:55:09 ID:cFFR5zTA0
「待てよ、それじゃ、藤田が『エンジェル様』に参加するのは……」
「まあ、常識的に考えて無理だろうな。でも、お前の話は大筋で合っているよ。
ところで、お前さ、『エンジェル様』のルールって知ってる?」
「知らない。やったこと無いからな」
「他ではどうだか知らないけれど、俺達の学校で流行った『エンジェル様』は、必ず5人でやるんだよ。
それ以上でも、それ以下の人数でも駄目なんだ」
「えっ?……川村、青木、ヒロコ、菅田、ユファで5人だぞ?」
「……或いは、エンジェル様の鉛筆を藤田が動かしたと言う話は、本当なのかもしれないな」
俺は気になって、Pに疑問をぶつけた。
「お前、随分と事情に詳しいんだな?」
Pは、これまでの長い付き合いで始めて見せるような、苦い表情で言った。
「いま、俺が関わっている案件のクライアントに関わることだからな……。
中学時代の同級生を当たって調べたんだよ。
お前の為にも、クライアントの為にも、お前だけには知られたくは無かったんだ。
だが、こんな形でお前に知れるのは、何かの縁なんだろうな」
 
思いもしなかった形で、過去の黒い影が俺を捉えた瞬間だった。


1958 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:57:00 ID:cFFR5zTA0
後日、俺はPのクライアントに引き合わされた。
高校時代、俺の彼女だったユファの幼馴染で、中学時代の同級生だった菅田ミユキだった。
ミユキが現れたことも驚きだったが、俺を見た彼女の反応は更に俺を驚かせた。
「P君、なんでXX君を連れてきたの!」
物凄い剣幕だった。……女のヒステリーは苦手だ。
俺は彼女に嫌われるようなことをしていたかな?
少々怯み気味に俺はミユキに言葉を掛けた。
「久しぶり……その、なんだ、俺がここに来ちゃ不味かったのかな?」
Pはミユキを宥めながら、俺がここに来た理由、藤田と『エンジェル様』に関わる話を説明した。
Pの説明の後、俺はミユキに尋ねた。
「何があった?」
Pは一通のミユキ宛の封書を取り出した。
中には紙が一枚。
『エンジェル様』の文字盤だ。
文字盤には赤いペンで、このような文句が書かれていた。
「呪。****」
ミユキによると、****とは、川村が呼び出したと言う、彼女専用の『天使』の名前だそうだ。


1959 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:58:48 ID:cFFR5zTA0
「私、藤田君に恨まれているのかな?」
「藤田の不登校の原因になった『あれ』か?
お前は、他のクラスメイト達を諌めて止めようとしたんだ。
『あれ』は、その結果に過ぎない。恨むならもっと恨むべき人間がいるはずだ。
それとも、他に何かあるのか?」
「うん。あのことがある少し前、私、藤田君に告白されたんだ。
嬉しかった。……でも、断ったの。私、他に好きな人がいたから」
「……そうか、でも、それは仕方の無いことだろ?」
「でもね、その事で藤田君、クラスの皆にからかわれていたから。
私が原因なのに、私が余計な口出しをしたから、あんな酷いことをされて……」
「でも、それで藤田がお前の事を恨むとかは無いと思うぞ?」
「そうかな?……そうだと良いのだけど。
……藤田君、死んじゃったんだね。わたし、全然知らなかった」
ミユキはボロボロと涙を流しながら嗚咽を漏らした。


1960 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:00:06 ID:cFFR5zTA0
俺は、ミユキが泣き止むのを待って質問した。
「封書の差出人に心当たりはあるの?」
ミユキは中々答えようとしない。
答えないミユキに代わってPが口を開いた。
「お前には知られたくなかったが……由花(ユファ)だよ」
「ユファが何故?お前たち、仲が良かったんじゃないのかよ?」
ミユキは興奮気味に言った。
「私たちが仲が良かったって?本気で言ってる?
XX君って、素直って言うか、本当に昔から鈍いよね。
だから、ユファに裏切られていたことにも気付かなかったんだよね」
ミユキの言葉は俺の胸にチクリと突き刺さった。
「……ごめん。でもね、ユファと私は仲良しなんかじゃない。
私は、小さい頃からユファの奴隷だったわ。
昔からユファは私の持っているものを何でも欲しがって、全て奪って行ったわ」
そう言えば、ミユキは藤田が不登校になった後、ユファ達からいじめを受けていたのだ。
俺やPと同じ高校に進学するはずだったミユキは、県外の私立に進学していた。
いじめが原因……いや、ユファから逃げるためだったのか?


1961 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:01:22 ID:cFFR5zTA0
「ねえ、XX君、覚えているかな?
わたし、中3の2学期に入院したことがあったでしょう?」
「ああ、盲腸だったっけ?
内申書の成績が出る一番大事な時期だったからな。
その所為で、県外の私立を受けることになったんだと思っていた。
ほら、お前もH高を受けるとばかり思っていたからさ」
「……私の初体験の相手はトイレのモップの柄だったわ。
力任せに突っ込まれたから、お陰で一生子供の産めない体にされちゃったけどね」
無表情に酷く冷たい目をしながらミユキは語った。
思いがけず聞かされた、余りにエグイ話に俺は言葉を失った。
「ユファに……なのか?」
「ええ……。それと、ヒロコたちね」
俺の中で、楽しかったはずの中学時代の思い出がドロドロとした真っ黒なものに変色していった。

「でもね、それは耐えられた。やっと、ユファから逃げられると思ったから」
「まだ、……何かあったのか?」
「XX君って、残酷だよね。それを私に話させる?」
「……何のことだ?」
「卒業式のあと、美術準備室であったこと、覚えているよね?」


1962 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:02:26 ID:cFFR5zTA0
中学の卒業式が始まる前、俺はヒロコに呼ばれてこう言われた。
「式が終わったら美術準備室に行って。
待っている子が居るから。判っているわね?女の子に恥をかかせるんじゃないわよ」
リョウタみたいにモテるタイプではなかった俺はドキドキしながら式が終わるのを待った。
式が終了し、最後のHRが終わった。
クラスメート達と写真を撮り、部活の後輩達から花を貰ったあと、ヒロコの『早く行け!』というアイコンタクトに従って、俺は美術準備室へ向かった。
美術室に入り扉を閉め、準備室のドアを開くと奥の机にユファが座っていた。
「ええっと、ヒロコに聞いて来たんだけどさ、俺を呼んだのってユファ?」
「うん。来てくれないかと思った。
ほら、XXと私って、高校別々になっちゃうじゃない?だから言っておきたいことがあって」
俺はドキドキしながら答えた。
「言っておきたいことって?」
「XX……君って、好きな子とか、付き合っている子って居る?」
「いないよ」
「……私のこと嫌い?」
「いや、そんな事はない」
「じゃあ、高校に行っても、私と付き合ってくれる?」
「うん、いいよ」
「うれしい!」


1963 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:05:00 ID:cFFR5zTA0
こんなやり取りをした後、俺とユファはあんな事をしたい、こんな所へ行ってみたいなどと取り留めのない話をしていた。
そのあと、確かユファが髪留を外して、掌の上に乗せて言ったのだ。
「ねえ、見て」
俺は少し腰をかがめて髪留を見た。
「目をつぶって」
目をつぶるとユファは、俺の唇に唇を重ねてきた。
唇を重ねると、そのまま柔らかく抱きついてきた。
ユファのやわらかい唇の感触に童貞街道まっしぐらだった俺はフル勃起していた。
耳まで真っ赤に染めたユファが言った。
「これで、私とXXって、恋人同士だよね?」
「……ああ!」
「じゃあ、これからもよろしくね!」

ミユキが話し始めた。
「卒業式のあと、私、美術準備室へ行ったんだよ。手紙を持ってね。
ヒロコが、私に酷いことをしてきた罪滅ぼしに協力するって……わたしって、馬鹿だよね。
そんな言葉を信じて、徹夜で手紙を書いて、二度と行きたくなかった学校に行って。
それで、XX君が待ってるからと言われて、一生分の勇気を振り絞って美術準備室に行ったら……」
「行ったら?」
「中に……XX君とユファが居た。ユファと目が合って、思わずドアの影に隠れたわ。
それで、もう一度、準備室の中を覗いたら……。あなたとユファがキスしてた。もういいでしょ!」


1964 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:06:43 ID:cFFR5zTA0
俺は、心底オンナが、いや、人間の悪意を怖いと思った。
ユファとの思い出は、最後に彼女の裏切りにあって苦いものとなっていた。
何も、被害者面をするつもりはない。
男女間での事だ。
俺の方にも大いに非はある。
だが、ミユキの話を聞いて、俺の知らなかった、いや、薄々は気付いていたユファの黒い一面を知って、俺の背中に冷たいものが走った。
一時は何も見えなくなるくらいに好きだった女が、得体の知れない怪物だった、そんな恐怖心だった。

俺は、ミユキに「お前は『エンジェル様』に何て言われたんだ?」と尋ねた。
ミユキは震えながら言った。
「大勢の目の前でレイプされた上で、首を絞められて殺されるって」
ミユキは怯え切っていた。
ミユキが帰った後、Pは俺に話した。
藤田がミユキの前で自慰行為をさせられた件には、もっと酷い前置きがあったのだ。
問題の虐めがあった日、首謀者の川村はユファや他の連中に藤田とミユキを取り押さえさせて、ミユキの下着も剥ぎ取って言ったそうだ。
「藤田ぁ~、菅田に振られて、笑いものにされて、お気の毒。
さすがに可哀想だから、協力してあげる。ここで菅田とSEXしなよ。みんなで見届けてあげるから。
菅田も、お前にイかしてもらったら、惚れ直して告白を受け入れてくれるかもよ?」


1965 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:08:32 ID:cFFR5zTA0
ミユキは泣き叫び、藤田は必死に抵抗したらしい。
その場にいた男子生徒にボコボコにされ、周りから「早くやれ!」と囃し立てられたそうだ。
藤田は泣きながら「それだけは勘弁してくれ」と哀願した。
そして、ヒロコが提案した。
ミユキをオカズにセンズリを扱いて、射精したら勘弁してやると。
恐らく、エンジェル様の『お告げ』は、この前置きがあった上での川村たちの嫌がらせと脅迫だったのだろう。
その後もミユキへの『いじめ』は続きエスカレートして、彼女は複数の女生徒たち(男子生徒もいた可能性がある)にトイレで暴行を受け、回復不能な深い傷を負わされたのだ。
俺の胸の底に吐き気がこみ上げてきた。
心神喪失のままの川村にこの脅迫状は出せまい。
他にエンジェル様の『お告げ』を知っていて、脅迫状を出せるのはユファしかいない。
俺は、Pに「協力させてくれ」と頼んだ。

俺は、これまで知らなかった過去の闇の中に足を踏み出した。


1966 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:09:38 ID:cFFR5zTA0
俺はまず、ユファの行方を捜した。

俺とユファの出会いは小学生の頃に遡る。
子供の頃の俺は、かなりの虚弱児だった。
俺は、小学校低学年の頃に川で溺れ、死に掛けたことがあった。
近くにいた大人に救助されて溺死は免れたが、その後、暫く高熱を発し危なかったらしい。
高熱で脳にダメージでも負ったのか、俺はそれ以前の記憶が殆ど無い。この事は、以前の投稿で既に触れた。
それまで俺の父親は、ひ弱だった俺を家から殆ど出さず、何のまじないかは知らないが、服まで女物を着せて、酷く過保護に育てたらしい。
そんな父は、俺が回復すると、教育方針を180度転換した。
他に何もしなくて良いから体だけは鍛えろと、親友だったPの父親の紹介で俺を近所の空手道場に放り込んだのだ。
とばっちりを受ける形でPも一緒に入門した。
俺が『運動馬鹿』になる第一歩だった。
この空手道場にいたのがユファの兄の『李先輩』だった。
俺とPが入門した頃、まだ中学生だった李先輩は、稽古に耐え切れず練習中に度々ぶっ倒れた俺を背負って家まで送ってくれたりした。
高校生になると道場に顔を出す機会は減ったが、稽古の後、実家で経営している焼肉店に俺とPを連れて行った。
「沢山喰って体をデカくするのも稽古の内だ。お前はひ弱なんだから、人一倍がんばって食わなきゃ駄目だぞ」と言って飯を食わせてくれたものだ。
小学校から朝鮮学校に通い、高校ではラグビー部に所属していた先輩は、名センターだったらしい。
だが、地元ではラグビーでの名声よりも、喧嘩の武勇伝の方が有名だった。
自宅に良く招かれた関係で、妹の由花(ユファ)とは小学生の頃からよく知った間柄だった。
ついでに、ユファといつも一緒にいたミユキとも顔見知りだった。
小学校時代、ミユキ以外のユファの友達はユファの事を『川上さん』とか『ユカちゃん』と呼んでいた。
他の子が居るときは、ミユキもそうだった。


1967 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:12:09 ID:cFFR5zTA0
俺やPと通っている学校は違ったが、ユファは『川上 由花』という通名でミユキと同じ日本の小学校に通っていたのだ。
李先輩がユファの友達、特に幼馴染のミユキに気を使って居たのは子供心にも良く判った。
妹、ユファに対する溺愛ぶりもだ。
俺とPにとって、李先輩は、子供好きで面倒見が良く、兄馬鹿で、ちょっと怖いところもある兄貴のような存在だった。
高校進学を期にユファは通名を使うのを止めたのだが、中学時代には皆から『ユファ』と呼ばれて通名を使う意味はなくなっていた。
 
中学の卒業式の日にユファから告白を受け、付き合う事になった俺は、既に社会人となり、実家を出ていた李先輩に呼び出された。
卒業祝いと言う割には、Pとミユキの姿はなかった。
「まあ、飲め」と言われ、「押忍」と答えて両手で差し出したコップに李先輩がビールを注いだ。
初めて飲んだビールは苦く、中々飲み干せなかった。
「ところでさ、お前ら付き合ってるんだって?」
俺は飲んでいたビールを噴出しそうになった。
「お、押忍、ユファと……いえ、妹さんと交際させて頂いてます!」
「ふ~ん、そうなんだ。ところで、お前ら、もうヤったの?」
俺は耳まで赤くなっているのを感じながら、慌てて答えた。
「滅相も無い!まだ、手も握っていません!」少しだけ嘘をついた。
「だよな~。お前、無茶苦茶オクテそうだもんな」
「はあ、……」


1968 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:14:26 ID:cFFR5zTA0
助け舟か、ユファが李先輩に食って掛かった。
「お兄ちゃん、いい加減にしてよ!」
「お前は少し黙っていろ!」
そう言われると、ユファは膨れっ面をしながらも黙った。
「ヤリたい盛りのお前にこんな事を言うのは酷かもしれないけれど、半端な真似は許さないよ?
どうしてもヤリたいと言うなら無理には止めないが、俺とタイマンを張る覚悟はしてくれ。
そう言う事は自分で自分のケツが拭けるようになってから、自分の力で女と餓鬼を食わせられるようになってからにしておけ」
「……押忍」
そして、更に厳しい顔つきでユファに向かって言った。
「高校生になった妹の恋愛にまでクチを挟む気はないが、出来ました堕胎しますは絶対に許さないからな?
どんな理由があっても、人殺しは許さない。誰が相手でも産ませてキッチリ責任を取らせるからそう思え」
「判っているわよ!」
「判っていれば、それでいい。健全で高校生らしい男女交際に励んでくれ。
おい、XX、何だかんだ言っても、コイツの付き合う相手がお前で安心しているんだ。
ワガママで気の強い女だけど、宜しく頼むよ」
そう言うと、やっと李先輩は笑顔を見せた。
どこまでも兄馬鹿な人だな、と、緊張の解けた俺は微笑ましく思った。
俺は、そんな先輩を尊敬していたし、堪らなく好きだった。


1969 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:16:41 ID:cFFR5zTA0
高校生活と共に俺達の交際も本格的にスタートした。
だが、初めから何かがおかしかった。
周りの連中に言われるまでもなく、人目を惹く『華』のあったユファと俺が『釣り合っていない』ことは自覚していた。
俺はユファに夢中だったが、同時に、彼女と会う毎に不安が増していった。
彼女に嫌われていると言う事はなかった。それは判った。
だが、愛されている自信も無かった。
少なくとも俺が好きだと想っているほどには、彼女は俺の事が好きではなかったのだろう。
逢瀬を重ねるほどに、俺は自信を喪失していった。
やがて、16歳の誕生日を迎えた俺は、親や学校に隠れて中免を取った。
バイト代や預金をはたいて中古のバイクを手に入れてからは、バイクに嵌まり込んでいった。
まだポケベルさえ普及しておらず、携帯電話など無かった頃なので、連絡は家の電話で取っていた。
だが、姉と妹、特に妹が、何故かユファを良く思っていなかったらしく、俺が電話したり、ユファから電話が来ると露骨に機嫌が悪くなった。
放課後の俺は、ガス代やタイヤ代稼ぎのバイトに明け暮れ、膝に潰した空き缶をガムテで貼り付け、夜な夜な峠で膝摺り修行に邁進した。
ユファの方も、急に経営が傾き出し、従業員を解雇した実家の焼肉店の手伝いで忙しそうだった。
通っている学校も違っていたので、俺達の逢う頻度はどんどん下がって行った。
電話も、姉や妹への引け目から余りしなくなっていたので、話す機会も少なくなっていた。
そして、決定的だったのは高校2年生の時のクリスマスだった。
先輩の警告を破って、半分賭けのつもりでユファに迫った俺は、見事に彼女に拒絶された。
やがて3年生になり、大学受験の準備に入った俺は出遅れを取り戻すために、連日、選択の補習授業に出るようになった。
ユファとは公衆電話から電話を掛けてたまに話はしたが、殆ど逢う事はなかった。
次に逢う時には別れ話を切り出されそうで怖かったのだ。


1970 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:19:15 ID:cFFR5zTA0
俺にとって、バイクも受験勉強も、ユファを失う恐怖から目を逸らすための逃避行動だったように思う。
やがて年末となり、大学受験の本番が目の前に迫っていた。
クリスマスもユファとは会っていなかった。
冬休みに入っていたが、自習室として開放されていた学校の図書室で閉室時間まで勉強していた俺は、帰り道で5・6人の男達に囲まれた。
男達は朝鮮高校の制服を着ていた。
俺は朝鮮高校に何人か知り合いもいたし、特に彼らとトラブルを起こした覚えも無かった。
「H高のXXだな?悪いが、顔を貸してもらえるか?」
駅は目の前だ。リーダー格のコイツをブチのめして、ダッシュで改札に飛び込めば逃げ切れるか?
……いや、無理だろう。
こういった事に関しては彼らに抜かりはない。
改札前やホームに人を貼り付けているはずだ。
誰の命令かは知らないが、彼らが失敗した時に『先輩』から加えられる『ヤキ』は苛烈を極めるのだ。
恐怖に縛られた彼らから逃げ遂せるのは不可能だろう。
俺は、「わかった」と言って、彼らと共に移動した。


1971 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:21:58 ID:cFFR5zTA0
連れて行かれた先には意外な人物が待ち構えていた。
李先輩だった。
李先輩は鬼の形相だった。
「オ、押忍!お久しぶりです」
「ああ。ところでお前、以前、俺と交わした約束は覚えているな?」
「押忍」
「ならば準備しろ。タイマンだ。死ぬ気で掛かって来い。殺す気で相手をしてやる」
「嫌です」
「何だと?今更逃げる気か?」
「いいえ。でも、俺には先輩が何を言っているか判りません」
「とぼけるつもりか?ユファのヤツの様子がおかしいとオモニから相談されて、まさかと思って病院に連れて行ったら、本当に、まさかだったよ。
半端な真似は許さないと言ってあったよな?」
まさか……。俺はショックから立って居られなくなり、その場に座り込んだ。
そして、精一杯に強がって言った。
「煮るなと焼くなと好きにして下さい。でも、先輩とタイマンは張れません。
俺はユファとは何もしていません!」
俺はこの時、泣いていたのだと思う。
李先輩は俺を抱き締めて言った。
「本当に済まなかったな。お前は嘘を言っていない。俺には判っている」


1972 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:23:21 ID:cFFR5zTA0
「XXはこう言ってるぞ!お前の本当の相手は誰なんだ?」
朝高生の男2人に脇を抱えられたユファが俺と李先輩の前に引き出されて来た。
「嘘よ。相手はXXよ。他に有り得ないでしょ!XXもそう言ってよ!」
……誰だ、この女?
ユファに良く似た姿をしているが、他人の空似に違いない。
この女はユファじゃない。
堪らなく好きだった、俺のユファじゃない!
他人だ。ユファに良く似た他人だ。でなければ、悪い夢を見ているんだ!
「いい加減にしないか!」
李先輩はユファを平手で叩いた。
兄馬鹿で、幼い頃からユファを溺愛していた先輩が、妹に手を上げたのは初めての事だったのだろう。
ユファは一瞬、何が起こったのか理解できなかったようだ。
暫くきょとんとしていたかと思うと、やがて大声で泣き始めた。
李先輩は朝高生の一人に朝鮮語で何かを命令した。
「イエー!(はい)」と答えたその男は何処かに行った。


1973 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:25:20 ID:cFFR5zTA0
何処か近くに待機していたのか、10分ほどすると車が1台入ってきた。
車の後部座席から、見るからに柄の悪そうな男2人に脇を抱えられた、20代後半か30代前半くらいの男が引き出されてきた。
運転席からは男達の兄貴分だろうか?
見るからに貫禄のあるスーツ姿の男が降りてきた。
李先輩はスーツ姿の男に深々と頭を下げた。
引き出されてきた男を見たユファは半狂乱になって叫んだ。
「違う、その人じゃないの!XXなのよ、信じてよ!」
俺は、もう、全てがどうでも良くなっていた。
李先輩は酷く冷たい声色でユファに言った。
「いい加減にしろ。
男女の恋愛沙汰だ。別れる別れないとか、他に好きな男が出来るとかは良くあることだ。
そんな事はどうでもいい。それはお前とXXの問題だ。
だが、お前のやっている事は何だ?
お前のやっている事は余りに誠意と言うものが無いじゃないか!」


1974 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:27:10 ID:cFFR5zTA0
李先輩は、ユファの相手の男に歩み寄った。
「お前、人の妹に、未成年に手を出しやがって……。責任は取ってもらうからな?」
更にユファに向かって言った。
「出来ました、堕胎しますは許さない。誰が相手でも産ませるといった事は覚えているな?
どんな形であれ、人殺しは許さない。自分の行動の責任は自分で取るんだ。子供は産んでしっかり育てろ」
「ふざけるな、冗談じゃない!」相手の男が悲鳴のように叫んだ。
「俺には妻も子供も居るんだ。そんなことをされたら身の破滅だ」
「なんだと?それじゃあ、妻子持ちが高校生の餓鬼を騙して弄んだというのか?
俺の妹に、初めから捨てるつもりで手を出したのか?」
「あ、遊びだったんだ。軽い気持ちで、こんな事になるとは思っていなかったんだ!」
……この馬鹿!
この場に居る誰もが緊張した。
これから、この場所で殺人が行われる。
だが、李先輩は冷静だった。


1975 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:29:13 ID:cFFR5zTA0
先輩はユファに向かって言った。
「店は畳む。オモニは俺が引き取る。
お前には、アボジが残してくれたあの家をやろう。だが、それだけだ。
お前とは縁を切る。もう兄でもなければ妹でもない。
俺にも、オモニにも、それからXXにも二度と近付くな」
そして、俺の両肩に手を置いて、声を震わせながら言った。
「こんな事になって、本当に済まない。
……ユファの相手がお前だったら、良かったんだけどな。
あんな馬鹿な妹で、本当に済まなかった。
俺達兄妹とのこれまでの事はなかったものとして忘れてくれ」
先輩の目からは涙が溢れていた。
始めて見る、李先輩の涙だった。
……声が詰まって俺は何も言えなかった。
スーツの男に李先輩が言った。
「すみません、彼を送ってやって下さい。お願いします」

それから、李先輩とユファがどうなったのか俺は知らない。
俺からユファを奪った、あの男がどうなったのか、生死も含めて知る事は出来ない。
俺は受験に失敗して浪人する事になった。
ユファ達の家には、いつの間にか売家の札が貼られていた。


1976 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:31:14 ID:cFFR5zTA0
俺は、キムさんが『裏の仕事』でよく利用する調査会社の男にユファの行方調査を依頼した。
呪詛や心霊関係にも明るく、そのような方面からの切り口で調査を進められる稀有な人材だ。
「アンタが社長を通さずに直接俺に調査を依頼するとは珍しいな。『あっち方面』の依頼か?」
「ああ。ちょっとした呪詛絡みでね。人を探してもらいたいんだ」
「探すのは構わないが、あんたの個人的依頼と言う事になると結構掛かるよ?」
「その点は大丈夫だ。スポンサーが居るんでね」
「そうか、1週間……いや、10日待ってくれ」
 
2週間後、調査会社の男が調査報告書を持って来た。
「アンタにしては掛かったな」
「ああ。意外にてこずったよ。だが忠告しておく。
あんたは、この報告書を見ないほうがいい」
「なぜ?」
「……あんた、その女に惚れていたんだろ?他にも色々とあるんだが、辛いぞ?」
「おいおい、半人前かもしれないが、俺も一応はプロだぜ?」
「そうだったな」
彼が言ったように、調査報告書の内容は、俺にとって衝撃的で辛い内容だった。


1977 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:33:54 ID:cFFR5zTA0
李先輩とその母親は10年前の震災で亡くなっていた。
俺もPも知らなかった事実だった。
別れた後のユファの足跡も読んでいて辛いものがあった。
ユファは高校を卒業後、女の子を出産していた。
兄に厳しく言い渡されていたとはいえ、堕胎せずに出産していた事に俺は驚いた。
その後のユファの人生は男の食い物にされる人生だった。
最初は自宅を売りアパートを借りる際に頼った不動産業者の男だった。
ユファの実家を売った金は、1・2年で使い果たされ、金が無くなると男はユファと子供を捨てて逃げたようだ。
男が逃げて直ぐに、ユファはスーパーのパート店員から水商売に転じた。
其処でのユファの評判は余り芳しいものではなかった。
店の売り上げを持ち逃げした、客から多額の借金をして行方をくらました等、悪評が付いて回った。
水商売の世界に居られなくなり、やがて風俗嬢に。
ヘルスからソープを経て、某新地へ。
新地時代のユファのヒモだった男の名を見て俺は驚愕した。
三瀬……中学時代の同級生だった。
ユファが新地で働いていた頃、俺は三瀬に会った事があったのだ。


1978 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:35:04 ID:cFFR5zTA0
俺が、バイトでバーテンをしていた店に三瀬が2・3人の女を伴ってやってきたのだ。
当時の三瀬は、まだ、大学生だった。
俺の居た店は、大学生が出入りするには少々高い店だった。
まあ、場違いなバカボン大学生が来る事も無かったわけではなかったので、その時は別に疑問も持たなかった。
偶然の再会……を喜び合った俺たちは、一緒に遊びに行く事を約束して別れた。
後日、俺は三瀬の車に乗って、彼と遊びに出かけた。
彼の車はFD、ピカピカの新車だった。
「金回りが良いんだな」
「まあね」
そんな三瀬に連れられて行ったのが、報告書にあった某新地だったのだ。
報告書と俺の記憶を照合すると、俺はユファのヒモだった三瀬に、ユファが働いていた新地に連れて行かれたことになる。
その頃は、俺の女遊びが一番激しかった時期だった。
何周か店をひやかして歩き回った。
中にはそそられる女もいたが、風呂もシャワーも無いと言う事で、その不潔さから「俺はいいや」と言って店に上がる事はなかった。
報告書を読みながら、俺は心拍が上がり呼吸が苦しくなって行くのを感じた。


1979 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:37:32 ID:cFFR5zTA0
報告書には無かったので俺は調査会社の男に「三瀬は、いまどうしているんだ?」と尋ねた。
何度か留年を重ねて大学を卒業した後、三瀬は一旦就職したが、すぐに退職して無職だったようだ。
ユファのヒモを続けていたのだろう。
その後、ユファに逃げられ、覚せい剤取締法違反で逮捕され収監されている。
自己使用だけでなく売人もやっていたようだ。
出所後、更に2度収監され、今でも中毒者ということだった。
俺は、更に報告書を読み進めた。

三瀬から逃げたユファは、迫田というチンピラの情婦になっていた。
迫田は薬物事犯や暴力事犯での逮捕歴が二桁近くある男で、関東の某組から『赤札破門』『関東所払い』を受けて流れて来たようだ。
通常の破門ならば拾ってくれる組もあったのだろうが、『赤札破門』の迫田を拾ってくれる組は無く、当然堅気にも戻れなかった。
迫田はユファを使って『美人局』を行って生計を立てていたようだ。
確かに、読んでいて辛い内容だった。
だが、最後の項目を目にした俺は、激しい怒りに捕らわれた。
信じ難く、許せない内容だった。
李先輩やおばさんが生きていたら、絶対に許さなかっただろう。
俺は、調査会社の男に「これは本当なのか?」と、確認した。
「本当の事だ」
ユファと迫田は、ユファの娘を使って『美人局』を行っていたのだ。


1980 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:39:10 ID:cFFR5zTA0
ユファの調査は進めたが、俺はユファと、できれば直接に関わるつもりは無かった。
だが、無視する事は出来なかった。
絶縁したとはいえ、李先輩が生きていて、この事を知ったならば、やはり放置しなかったはずだからだ。
こんな形で、この事を知ったのは先輩の導きかもしれない。
この際、ユファの事はどうでもよかった。
だが、ユファの娘は何とかしたかった。
巡り合わせ次第では、俺の『娘』だったかも知れない子だからだ。
俺はユファ達の棲む町へと向かった。
 
事に移る前に、俺は地元のヤクザに金を包み、話を通しに行った。
話はすんなりと進んだ。
「ああ、あの胸糞の悪いチンピラと朝鮮ピーだな。
最近調子に乗りすぎていて、目障りだったんだ。好きにしてかまわない。手出しも口出しもしないよ」
そう言って、そのヤクザはユファの娘を拾う方法まで教えてくれた。


1981 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:40:13 ID:cFFR5zTA0
ユファの娘が客を拾っていたのは、川沿いのラブホテル街だった。
夜の通りに7・8人の30代から50代くらいまでの中年女性が立っていた。
女を物色していると思われる男たちが、川沿いを何度も往復していた。
往復している男たちに女が世間話を装って話しかけ、見極めたうえで交渉に入るようだ。
俺は男たちに倣って川沿いの道を何往復かしてみた。
ユファの娘らしき女は立っていなかった。
それはそれで構わない。
やがて、一人の女が話しかけてきた。
「お兄さん、さっきからずっと歩いてるよね。夜のお散歩?」
「まあね」
少し雑談していると、女が切り出してきた。
「お兄さん、これから遊びに行かない?」
「遊び?」
「判ってるんでしょ?ホテル代別でショートでイチゴー、ロングなら3だけど、お兄さんならニーゴでいいわよ?」
「今日はいいや」
「お目当ての子が居るの?」
「ああ。この辺に高校生くらいの子が立ってるって、ネットで見てさ」
「ああ、あの子ね。あの子は火曜日か木曜日にしか来ないよ。
その先のローOンの前の橋のところに10時位から立つけど……止めた方がいいわよ」
「なんで?」
「あの子、お客の財布からお金を抜くのよ。それがばれると……判るでしょ?」
「美人局か」
「そうそう!それで、悪い噂が立っちゃって、私たちも迷惑してるのよね」
俺は女と別れて、その日は撤収した。


1982 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:42:35 ID:cFFR5zTA0
何度か空振りした末に、俺はユファの娘を捕まえる事に成功した。
「ホテル代別で3。朝までなら5よ」
「お、強気だね」
「嫌なら……別にいいんだよ」
金髪にして、少し荒んだ感じだったが、娘には昔のユファの面影が確かにあった。
まだ幼い顔立ちと、細すぎる肩。
正直、胸が痛んだ。
「OK!5だな。朝まで楽しもうぜ」
俺は、彼女に付いて少し先のラブホテルに入った。
「お金。前金でお願い」
「嫌だね」
「……それなら帰る」
「それも駄目だ」
「……お金、出しておいた方がいいよ?」
「迫田には連絡したのか?まだだったら電話しろよ」
彼女は、驚いてはいたが妙に落ち着いていた。
「あなた、警察の人?」
「いいや。……妙に落ち着いてるんだな」
「そう?……私なんて、どうなっても、……どうでもいいから」
彼女の手首にはリストカットの痕が幾筋も残っていた。
「逃げた方がいいわよ?迫田って、無茶苦茶だから。オジサン、殺されちゃうよ」
「俺が逃げたら、お前が酷い目に合うんじゃないか?」
「そうかもね。でも、殺されはしないだろうし……。
『仕事』をしなくちゃいけないから、そんなに酷くはやられないと思う……」
正直、痛ましくってやっていられなかった。


1983 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:45:19 ID:cFFR5zTA0
「どうせ、下の出口にでも待ってるんだろ?とりあえず、ここに呼べよ」
彼女が電話すると直ぐに迫田が上がってきた。
ドアの鍵は開いていた。
室内に入って「てめえ、人の娘に……」と言うか言わないかのタイミングで俺は迫田に襲い掛かった。
虚を衝かれ、怒りに歯止めが利かなくなった俺の暴力に晒された迫田は動かなくなっていた。
まあ、死にはしないだろう。
こんなクズは、死んだところで問題はないが、死んだら死んだで面倒なので生きていた方が都合は良かった。
「こいつ、お前の親父なの?」
「違うよ。母さんのオトコ」
「お前の母さんは、……お前がこんな事をさせられているのを知ってるのか?」
「……うん」
「お前の本当の父親は?」
「良くは知らないけど、母さんを捨てて逃げちゃったらしいよ。私のせいだって」
「……そうか」
「オジサン、何なの?私をどうするつもり?」
「どうもしないよ。俺は、李 ユファの、……君のお母さんの昔の知り合いなんだ。
君のお母さんに会いたい。案内してくれないか?」
「いいよ」


1984 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:47:18 ID:cFFR5zTA0
車の中で聞かれた。
「オジサンは母さんの昔の知り合いなんでしょ?
私のお父さん、母さんの彼氏だった人のこと、……どんな人だったか知ってる?」
「さあな。俺は中学生の頃の同級生だから」
「……そうなんだ。ほら、そこの角を右に曲がって……あれよ」
ユファ達が住んでいたのは、三階建てのコンクリート作りの建物が5棟ほど建った古い団地だった。
建物のひとつの階段を上り、二階の右側の鉄扉を彼女が開けるとアルコールと生ゴミの混ざったような悪臭が鼻を突いた。
室内はゴミが散乱していて汚い。
彼女が「ただいま……」と消え入りそうな弱々しい声を発すると、灯りの消えた真っ暗な部屋の奥から女の声が聞こえた。
「あ……ん?早いんじゃない?あの人はどうしたの?一緒じゃないの?」
彼女は俯いたまま、黙って立ち尽くしていた。
「黙っていないで、何とか言え!」
怒号と共に何かが飛んできた。
飲み残しの入ったビールの空き缶だった。
ブチッと、俺の中で何かが切れるのを感じた。
俺は、明かりを点けて部屋の奥に踏み込んだ。
何日も櫛を通していないようなボサボサ髪に薄汚れて犬小屋の毛布のような臭気を発するTシャツ一枚の女が眩しそうに顔をしかめた。
俺は酒臭い女の髪を掴んで風呂場に引きずっていき、薄汚れた水が張りっぱなしになった浴槽の中に放り込んだ。
「だれ?何をするのよ!」と叫ぶ女に、更にシャワーで水をぶっ掛ける。
「俺が判るか?ユファ!」
一瞬、呆然とした表情を見せた後、ユファは口を開いた。
「XX……なの?何で、ここに……?」
「何でも、糞も無い。何なんだ、このザマは?」


1985 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:49:53 ID:cFFR5zTA0
「アンタには関係ないでしょ!」
「ああ、関係ないね。お前がどうなろうが知った事じゃない。
けどな、お前らが娘にやらせている事は見過ごせねえ。
……おまえら、人間じゃねえよ。なんでこうなった?」
ユファは、吐き捨てるように言った。
「何を偉そうに。この子と一緒と言う事は、この子を『買った』んでしょ?
やる事をやっておいて、大口を叩くんじゃないわよ。同じ穴の狢じゃない!」
ユファは怒気の篭った声で娘に言った。
「何でこんな奴をここに連れて来たの!迫田はどうしたのよ!」
「あの人は、……この人にやられちゃった」
「アハッ、迫田がXXに?無理よ。XXはね、小っちゃくて弱っちいんだよ。背だって私の方が大きかったし、足だって私の方が速かったんだ」
……いつの話だ?虚弱だった小学生の時分、俺が初めてユファに逢った頃の話か。
「そうだ、XXは弱い子だから、私が助けてやらないといけないんだ……お兄ちゃんが言ってた」
何か様子がおかしい。
酒で泥酔しているからだと思ったが、明らかに挙動がおかしく、話す内容も要領を得ない。
そう言えば、ユファのヒモをしていた三瀬は薬物事犯で服役したし、迫田も薬物事犯の累犯犯罪者だ。
薬物中毒か……。
「XX、早くここを出て行って!迫田が戻ってきたら、私もあなたも殺されちゃうよ!」

ユファも娘も、迫田に暴力で支配されていたのは間違えないだろう。
俺は娘に言った。
「悪いようにはしないから、俺と一緒に来い」
「無理だよ。私もお母さんも迫田に殺されちゃうよ?」
「その迫田から逃げるんだよ。迫田はさっきのホテルでまだノビてる。逃げるなら今しかないぞ?
ここに居て、迫田が戻って来たら、また同じ事の繰り返しだぞ?
一緒に来い。何があっても今の状況よりはマシだろう?」
「……判った」
「ユファ、嫌だと言っても、お前には一緒に来てもらう。問い質さなければならない事があるからな。
2人とも、身の回りの荷物を纏めろ。30分後に出るぞ」
 
俺はPに連絡を入れ、彼とミユキの元へと向かった。


1986 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:51:04 ID:cFFR5zTA0
俺は、Pの元にユファとその娘を連れて行った。
ユファは思った通り、重度の覚醒剤中毒だった。
艶を失くした髪や肌はボロボロで老婆のよう。
重度の覚醒剤中毒患者に特有の症状らしいが、歯がボロボロに腐り、腐敗したキムチのような耐え難い口臭を放っていた。
痩せ細り骨ばった体は30代の女のそれではない。
やはり薬物中毒患者に多いと言う肝疾患を患っていたため、黄疸で白目も黄色く変色していた。
変り果てたユファの姿に、俺は少なからぬ衝撃を受けた。
俺は、ある医師を頼りユファと娘を診させた。
だが、その前にすることがあった。
ミユキに送られてきた『脅迫状』について問い質さなければならない。
 
ミユキとユファが対面したのは、中学卒業以来、20年ぶりのことだった。
ミユキは、あまりに変わり果てたユファの姿に絶句していた。
ユファは、俯いたままミユキの顔を見ようとしない。
Pが、ユファにミユキに送られてきた脅迫状、『呪。****』と赤文字で書かれた『エンジェル様』の文字盤を見せながら言った。
「手短に聞こう。これをミユキに送りつけたのはお前か?」
「いいえ」
「本当に?」
「ええ、本当よ。
でもね、ミユキや他のみんなを呪っていなかったかと言われれば、嘘になるけどね。
XX、あんたの事もね」


1987 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:53:25 ID:cFFR5zTA0
Pがそれまでの経緯をユファに話して聞かせた。
ユファは驚いていたが、「結局、エンジェル様のお告げは全て当たったのね」と呟いた。

俺は、ユファに尋ねた。
「お前は『エンジェル様』に何て言われたんだ?」と。
ユファは声を震わせて答えた。
「一生、生き地獄……」
俺は何と言って良いか判らなかった。
代わりに尋ねた。
「ミユキに脅迫状を送りつけた主に心当たりはないか?」
ユファは首を横に振った。
……振り出しか。
最後に、俺はユファに訊ねた。
「なぜ、ミユキにあんな真似をしたんだ?
お前たち、友達じゃなかったのかよ」
「そうね、私にとっては唯ひとりの友達かもね。
私を初めから本名で、『ユカ』じゃなくて、ちゃんと『ユファ』と呼んでくれていたのはミユキだけだったからね」
「だったら、何故?」
「友達だから、ミユキの下に立つことは絶対に出来なかったのよ」
「なんだよ、上とか下って!……友達というのは対等なものじゃないのか?」


1988 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:55:09 ID:cFFR5zTA0
「アンタには判らないでしょうね。……P、アンタになら判るでしょう?」
Pは苦々しい表情で言った。
「……ああ。わかるよ」
「ミユキは、私がどんなに頑張っても敵わない位に頭も良かったし、女の私から見ても羨ましいくらいに可愛かったからね……。
何をやっても敵わない。……そんなミユキの下に立ったら、惨めじゃない。
アンタやPだって、兄さんだって私よりミユキの方が好きだったでしょう?」
「待てよ、少なくとも先輩は、いつもお前のことが第一だったじゃないか。
ミユキがお前の一番の友達だったから、気を使っていただけだろ?
俺だって、お前と付き合っていたじゃないか。少なくとも、俺は本気でお前のことが好きだったぞ?」
「いいえ、それは嘘。でなければ、あなたがそう思い込もうとしていただけ」
俺が言い返そうとするのを遮るようにミユキが言った。
「卒業式の日、美術準備室であったことは、なんだったのよ?」
「兄さんはね、あなたのことが好きだったのよ。本当にね。
まあ、あの兄さんだから、あなたが気づかなくても仕方ないけどね。
なのに、あなたはXXまで……許せなかったわ。
……ねえ、XX。あなた、あの日、告白したのが私じゃなくてミユキだったら、ミユキと付き合っていたんじゃない?
私よりも、ミユキに告白された方が嬉しかったんじゃない?」
「もしもの話をされてもな……。
俺はお前と付き合った。あの日のことは物凄く嬉しかった。舞い上がるくらいにな。それだけだ」
「相変わらず、狡いのね。……もういいでしょう?疲れたわ」


1989 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:57:06 ID:cFFR5zTA0
事件は振り出しに戻った。
俺とPは、千津子と奈津子の『力』によって負ったダメージから回復するために静養中のマサさんに相談してみた。
マサさんは言った。
「お前たちは、ひとつ大事なことを見落としているぞ?
もう一人、ミユキを含めた『エンジェル様』のメンバー全員を呪う人物がいるだろう」
「誰ですか?」
「判らないか?藤田の母親だよ。
それとな、川村が呼び出した天使『****』と言うのは、韓国のあるキリスト教会で猛威を振るった『巫神』……悪魔の名前なんだ。
その辺も含めてもう一度洗い直してみろ」

俺とPは、藤田・川村を中心に過去を洗い直した。
すると、意外な事実が浮かび上がってきた。
藤田家と川村家は、両家に子供が生まれる前から接点があった。
両家はあるキリスト教会の信者であり、その教会の牧師は韓国人だった。
俺の母親もクリスチャンだがカソリックなので、プロテスタント系の地元のその教会には通っていなかった。
その韓国人牧師には、韓国人聖職者にありがちな問題行動があった。
藤田の母親は、Pの実家が経営する店でパート店員として働き、一人息子の藤田を女手一つで育てていた。
藤田の父親は、藤田が小学生の時に自殺している。
川村の両親も、川村が中学生の頃から夫婦仲が悪化し、娘が心神喪失状態になると父親が家を出て帰らなくなり、やがて離婚が成立した。


1990 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 07:58:26 ID:cFFR5zTA0
Pが主に動いて、意外な、そしておぞましい事実が明らかになった。
藤田の父親の自殺と川村の父親の出奔の原因は、共に妻の不貞だった。
そして、妻たちの不倫の相手は、共に教会の韓国人牧師だった。
その牧師が川村と藤田の本当の父親だったのだ。
更に、川村の問題行動……藤田への悪質で執拗ないじめが始まる少し前に、凶悪な事件が起こっていた。
中学生になったばかりの川村は、血縁上の父親でもある韓国人牧師に強姦されていたのだ。
事件を揉み消すために、教会から信者に多額の金が流れ、問題の韓国人牧師は韓国に帰国していた。
この韓国人牧師は日本に来る前、韓国の教会で起こったある事件に連座して韓国の宗教界に居られなくなり、その過去を隠して来日していた。
その事件とは、聖職者数名が未成年者を含めた多数の信者女性を集めて『サバト』を開いていたというものらしい。
川村が呼び出した天使……いや、悪魔『****』とは、その『サバト』で呼び出されていたモノらしい。
どうやら、問題の韓国人牧師は日本でも『サバト』を開いていたようだ。
そこで、川村は牧師に強姦され、父親の自殺時に藤田が知ることになった自らの出生の秘密を知る事になったようだ。
川村が幼馴染の藤田に抱き続けた恋心は激しい憎悪に変わり、その憎悪は藤田が想いを寄せた菅田ミユキにも向けられた。


1991 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:00:59 ID:cFFR5zTA0
俺たちは、藤田の母親を問い詰めた。
藤田の母親は、驚くほどあっさりと、ミユキに脅迫状を送った事実を認めた。
息子を自殺に追い込んだ連中の幸せな様子が許せなかった……らしい。
だが、それだけではなかった。
韓国人牧師に逃げられた藤田の母親は、父親の自殺以降、自分に軽蔑の視線を送り続けていた我が子を『****』に捧げていた。
息子を生贄に、牧師の『寵愛』を奪った川村を呪ったというのだ。
狂っている……そう形容するしか言葉が思いつかなかった。
そんな、藤田の母親の怨念に再び火をつけたのは、息子が想いを寄せていた、菅田ミユキの結婚話だった。
ミユキはPのプロポーズを受け入れていたのだ。
そうだ、思えばPは小学生の頃、俺と一緒に李先輩の所に遊びに行っていた頃からミユキが好きだったのだ。
Pは、長いあいだミユキの相談に乗り続け、彼女を支えていた。
「水臭いじゃないか、P!
おめでとう。何で話してくれなかったんだ?」
「……全て片付いてから話すつもりだったんだ。
それに、ミユキと結婚する前に、やっておかなければならないことがあるからな」
「やっておかなければならないこと?」


1992 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:02:31 ID:cFFR5zTA0
「ああ、俺は、呪術の世界の一切と、マサさん達と今度こそ手を切る。
恐らく、すんなりとは抜けることは出来ないだろう。
だが、俺は、ミユキ以外の全てを失っても、絶対に抜けてみせる」
「そうか……」
「だから、お前とも……」
「判るよ……皆まで言わなくていい」
「すまない、俺がお前をこんな世界に引き摺り込む原因を作ったのに……」
「Pそれは違う……こういう形だっただけで、こうなることは必然だったんだ。
うまく抜けて、ミユキを幸せにしてやってくれ。
もし、俺がお払い箱になって足を洗うことができたら、その時は就職の斡旋でもしてくれよ」
「ああ、必ずな。待っているよ……必ず来てくれ」


1993 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:04:14 ID:cFFR5zTA0
俺は、ユファのことを弁護士をしている大学時代の友人に頼んだ。
彼女は、DVや少年問題をライフワークにしている。
彼女の活躍で、ユファには執行猶予が付き、実刑は受けずに済んだ。
しかし、彼女はもう手遅れの状態だった。
肝臓を完全にやられ、売春や薬物中毒といった経歴から恐れていた感染症にも罹患し、既に症状が出始めていた。
俺は、妹の久子にマミの診察と治療を依頼した。
最悪の事態も含めて、ある程度の予想はしていたが、マミは数種類の病気に感染していた。
だが、不幸中の幸いで、マミの罹っていた病気は、全て治療可能なものだった。
しかし、他方で、慢性化していた病は、マミから受胎能力を奪い去っていた。
そして、肉体よりも精神的なダメージの方がより深刻だった。
自殺願望が強く、拒食の傾向が顕著に出ていたのだ。


1994 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:06:01 ID:cFFR5zTA0
俺は、療養中のユファに面会に行った。
精神医療のことは全く判らないので、医師の指示に従うしかなかったのだが、マミはユファには会わせない方が良いらしい。
死相の浮かんだユファは、痩せこけて老婆のようだった。
俺は、カサカサで骨張った小さな手を握った。
俺が手を握ると、ユファが目を覚ました。
暫く無言の状態が続いたが、俺は特に答えを聞くつもりもなく言った。
「俺たち、なんでこんな風になっちまたのかな……」
ユファが俺を見つめながら言った。
「あなたの妹さん……久子ちゃんって言ったかしら?
あの子に言われたのよ……お兄ちゃんは、ずっと無理をしているって。
私と付き合うようになってから、あなたが全然笑わなくなったって……
お兄ちゃんのことが好きじゃないなら、もう解放してあげて下さいってね。
泣きながらよ?……ブラコンよね、重症の」
「ブラコンについては、お前は人のことは言えないだろ?」
「そうかもね。でもね、妹さんに言われて、納得したわ。
私、付き合っている間、あなたの笑顔を見たことなかったもの。
子供の頃、お兄ちゃんやミユキたちと遊んでいた頃は、あなたはよく笑っていたのにね。
私、あなたの笑顔が大好きだったの」


1995 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:08:44 ID:cFFR5zTA0
「無理をしていると言えばそうだったかもな。
臭い言い方をすれば、お前は俺にとっては眩しすぎたから。
周りの連中にも言われていたけれど、俺は、お前とは釣り合っていないってね。
妙なコンプレックスを感じていたのは確かだよ。
結局、俺はお前と向き合うことから逃げていたんだよな」
「馬鹿ね。私から、あなたに告白したのよ……周りから何を言われても関係ないじゃない?
何も気にしないで、私だけ見てくれていたら良かったのにね」
「そうだな」
「あのクリスマスの夜……なんで、途中で止めて、何もしないで帰っちゃったの?すごく、悲しかった」
「お前に拒絶されたと思って……判っているよ、俺がヘタレだったんだよ。
妙なコンプレックスを持っていて、萎縮してしまったんだ」
「私たち、付き合うのが少し早すぎたのかもね……もう少し、大人になってから付き合えば、幸せになれたかも。
少なくとも、マミをあんな風にはさせなかった……あの子を愛してあげられたかも知れないのにね」
「……」
「あの子が、あなたの子だったら……」


1996 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:10:57 ID:cFFR5zTA0
「苦労することが分かっていても、お前はあの子を産んだ……堕ろすって選択肢だってあったのにな。
それに、あの子を産んだあとだって、捨てると言う選択肢があったはずだ。
でも、お前はそうしなかった。……それは、心の底では、お前があの子を愛してるってことじゃないか?
そうでなければ、俺は今日、お前に会いに来ることはなかったよ」
「でもね、あの子を見ていると、お兄ちゃんやミユキ、それにあなたを裏切った自分の愚かさを突き付けられるのよ。
自業自得なのは分かっているの。それなのに……何の罪もないあの子を傷つけてしまうのよ。
わたし、あの子の笑ったところを一度も見たことがない……」
ユファは泣き始めた。そして、言った。
「こんなことを頼めた義理ではないのは判っている。
でも、私にはあの子の事を見届ける時間はないと思うから……あの子のことをお願いします」
 
その後、色々とあったが、俺と妹が両親に頼み込み、弁護士の友人や、その他多くの人々の働きがあって、マミは俺の実家に身を寄せることになった。


1997 :傷跡 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 08:14:02 ID:cFFR5zTA0
夕食のあと、俺は父の書斎に行った。
そこで、両親に切り出された。
「マミちゃんの事なんだが……素子と久子の了解はとってある。
後は、お前の了解を得るだけなんだ」
「……なんだよ」
「あの子の事情は、全て知っている。
その上での事なんだが、お前さえよければ、あの子を養女に迎えたいんだ。
私と母さんが生きている間にあの子を嫁にでも出してあげられれば良いのだけど、父さんも母さんも、もう年だからな」
「いい話じゃないか。俺に異存はないよ。ありがとう」
「そうか!あの子の前で揉めるのは避けたかったんだ。それじゃ、あの子に話してみるよ」
 
思いがけない形で、俺の心残りだった懸案は片付いたようだ。
思い残すことは、もうない。
これまでのマミの人生はあまりに辛く、酷いものだった。
すぐには無理かもしれないが、人並みに学び、人並みに遊んで、人並みに恋をして、泣いて、そして笑って欲しいのだ。
マミが幸せで、いつも笑顔でいてくれるなら、俺のこれまでにあったこと全てに意味が見出せるだろう。
例え、明日『定められた日』が来ても、俺は満足できるに違いない。


おわり







  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 10:43Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2013年01月21日

日系朝鮮人(祟られ屋シリーズ⑱

日系朝鮮人


1930 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:01:31 ID:cFFR5zTA0
イサムと出かけたロングツーリングから戻った俺は、以前からの約束通り、木島氏の許を訪れていた。
呪術師としての木島氏しか知らなかった俺は、木島氏の意外な一面を知ることになった。
木島氏は婿養子らしい。
5歳ほど年上だという奥さんの紫(ゆかり)さんは、少しきつい印象だが女優の萬田久子に似た美人だった。
紫さんの父親に関わる『仕事』で気に入られ、木島家に婿入りしたようだ。
木島家が何を生業にしているのかは判らない。
見るからに高そうなマンションのワンフロアを借り切り、そのマンションには目付きの悪い男たちが頻繁に出入りしていた。
招かれたのでもなければ、あまり近寄りたい雰囲気ではない。
木島氏には20代後半で『家事手伝い』の長女・碧(みどり)と女子大生の次女・藍(あい)、中学生の3女・瑠璃(るり)の3人の娘がいた。
木島家に滞在して、俺がそれまで木島氏に抱いていたクールで冷徹なイメージは脆くも崩れ去っていた。
家庭人としての木島氏は、女房に頭が上がらず、娘に大甘なマイホームパパだった。
少し引き篭もり気味だが、碧は家庭的な女で家事一般が得意、料理は絶品だった。
藍は、頭の回転が早く、話し相手として飽きない楽しい女だった。
人懐っこい性格の瑠璃は、テニスに夢中……。
色々と驚かされることもあったが、家族仲の良い木島家は見ていて微笑ましかった。
思いのほか居心地の良い木島家で俺は寛いだ時間を過ごした。
だが、リラックスした時間はやがて終わり、『本題』が訪れた。
どんな目的があるのかは分からないが、かねてより俺に会いたがっていると言う人達の許に俺は向かった。


1931 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:02:32 ID:cFFR5zTA0
木島氏に連れられて俺が訪れたのは古い邸宅だった。
表札には『一木』と書かれていた。
木島氏と共に奥の部屋に通され30分ほど待たされたか。
少々イラ付きもしたが、神妙な木島氏の様子に、態度や表情には出さずにいた。
やがて、家主らしい初老の男性と榊夫妻、和装の老女が部屋に入ってきた。
「お待たせして申し訳ない……」
この男性は、相当な地位にある人物のようだ。
榊夫妻や木島氏の様子、何よりもその身に纏う『威厳』がそれを物語っていた。
この初老の男性が一木貴章氏だった。
挨拶もそこそこに一木氏が「本題に入ろう」と切り出した。
一木氏は、何かの報告書らしいレポートに目を落としながら話し始めた。
「XXXXX君、昭和XX年X月XX日、A県B市出身。父親は……母親は……。兄弟は姉と妹が一人づつ……」
一木氏は、俺や俺の一族の背景、その他諸々を徹底して洗ったようだ。
一木氏の話す内容は俺が自ら調べて知っていたことだけでなく、調べても判らなかったことも数多く含んでいた。


1932 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:03:48 ID:cFFR5zTA0
俺の父親は、70数年前、今の北朝鮮・平壌で生を受けた。
警察関係の役人だったという祖父と祖母は、まだ幼かった次女を連れて朝鮮半島に移住した。
二度と帰国するつもりはなく『日系朝鮮人』として朝鮮の土になる……覚悟の出国だったようだ。
父の実家は、地元では一応『名士』とされていたようだ。
婿養子で軍人だった曽祖父が、東京である『特別な部隊』に所属し、その後も軍人として出世したかららしい。
その部隊に所属することは大変な栄誉とされていたらしい。
地元選出の国会議員や市長クラスの宴席に呼ばれることも度々だったそうだ。
曽祖父が出世して『名士』扱いされてはいたが、父の実家のあった地域は一種の『被差別部落』であり、父の一族はその中でも特に差別された一族だったようだ。
俺の一族が『田舎』で差別された存在だったことを俺が知ったのは、祖父の葬儀のために、父の『実家』を訪れた時のことだ。
祖父の葬儀は異様な雰囲気だった。
参列者は俺たち親族と、祖父の『お弟子さん』だけで、近所からの参列は古くから付き合いのある『坂下家』だけだった。
俺たちの様子を伺う近所の住人達の視線を俺は生涯、忘れることはないだろう。
差別とやらの内容は知ることは出来なかったが、憎悪や恐怖、その他諸々の悪意の込められた視線……『呪詛』の視線だ。
96歳で台湾で客死した祖父は、韓国や台湾、中国本土を頻繁に行き来する生活を送っており、弔電は国内よりも国外からの物の方が多かった。
国内の弔電も『引揚者』やその家族からのものが殆どだったようだ。
父達の引揚げは『地獄』だったそうだ。
父は、昭和24年に引き揚げたらしいが、引揚時に負った傷が元で右目の眼球と右耳の聴力を失っている。
だが、父が話すことはないが、帰国後の日本で父が見た『地獄』は、引揚時に朝鮮半島で見た地獄よりも苛烈だったようだ。
父にとっての故郷は、生まれ育った『朝鮮』であり、ルーツである日本の『田舎』は記憶から消去したい、呪われた場所らしい。
祖父の葬儀が終わったあと、父は姉と妹、そして俺に言った。
「これで、我々の一族とこの土地の縁は完全に切れた。私がここに来ることは、もう二度とないだろう。
私たちは、もう他の土地の人間なんだ。お前たちも、二度とここに来てはならない。全て忘れるんだ」


1933 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:05:54 ID:cFFR5zTA0
祖父は、苦学しながら高等文官試験?を目指す学生だったそうだ。
翻訳や家庭教師といったアルバイトをしていて、東京で女学生をしていた祖母に見初められたらしい。
祖父は、高等文官試験には通らなかったようだが、特殊な才能をもっていたそうだ。
全く知らない外国語でも1日あれば凡そ理解することができ、1・2週間ほどで読み書きは別にして、自由に話すことができたそうだ。
事の真偽はわからないが、祖父が日本語のほか、英語・フランス語・ドイツ語・朝鮮語・中国語・ロシア語・スペイン語・ポルトガル語の会話と読み書きが出来たのは確かだ。
祖父は婿養子として祖母と結婚し、内地でキャリアを積んだあと警察関係の役人として朝鮮に渡った。
日本の敗戦により、朝鮮の土になるつもりでいた祖父たち一家は、やむを得ず、多数の引揚者を連れて帰国した。
本来ならば、差別の残る祖母方の実家ではなく、祖父方の実家のあった地に戻るところだったのだろうう。
だが、祖父の実家は、終戦直前に家族親戚とともに一瞬でこの地上から消滅してしまっていた。
父は高校卒業まで田舎にいたが、大学進学を期にそこを離れ、祖父の葬儀まで二度と戻ることはなかった。
大学に進学した父は知人宅に身を寄せた。
父が下宿していた知人宅、それが俺の友人Pの父親の実家だった。
詳しいことは分からないが、朝鮮半島で俺の祖父とPの祖父は何らかの関係があったらしく、俺の祖父の手配でPの祖父一家は日本に移住してきたらしい。
俺の一族にPの一族は返しきれない恩があるとかで、『俺の一族に何かあった時には、何を差し置いても助けろ』と言うのがPの父親の遺言だそうだ。
俺にとっては、Pは友人であり、恩や遺言は関係ないのだが、彼にとってはそうではないようだ……。


1934 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:07:51 ID:cFFR5zTA0
カトリックだった祖父の実家は同じくカトリックだった母方の祖母の実家と家族ぐるみの付き合いがあったそうだ。
父と母の結婚は母方の祖母の強い要望によるお見合い結婚だった。
日本に帰国後、公職追放されていた祖父は処分が解けた後も公職に復帰することはなかった。
金になっているのか、成っていないのかよく判らない芸事で身を立て、祖母が亡くなったあとは、一年の半分位は外国を回る生活を送っていた。
母方の祖母の話では、祖父の上京前、父方の祖母と出会う前、母方の祖母と祖父は恋仲だったらしい。
母方の祖父も早くに亡くなっているので、子供の単純な発想で「なら、おじいちゃんと再婚しちゃえば良かったのに」と言った覚えがある。
祖母は、「そういう事はできないんだよ……。それに、あの人には大事な仕事があるから……」
祖父の『大事な仕事』が何なのかは、結局、知ることは叶わなかった。
ただ、祖父の結婚も、朝鮮への移住も、曽祖父の強い意向が働いていたのは確かだ。
日本国内での厳しい差別から逃れるため……だけではなかったようだ。

一木氏は、俺たちの一族が受けてきた『差別』の実態について語り始めた。
父の『実家』があったのは、とある漁村の一角だった。
だが、その集落は、元々は山二つほど内陸にあった『村』が『移転』してきたものらしい。


1935 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:09:19 ID:cFFR5zTA0
この『村』は、ある特殊な信仰を持っていた。
教義や儀式、念仏や礼拝など信仰の実体に関わるものは全て口伝で伝えられ、元々文書等は一切残されていない。
一向宗の一派とも隠れキリシタンの一種とも言われるが、口伝が失われて久しく実態はもはや知ることはできないそうだ。
移転して来る前にあった『村』が大きな災害によって全滅してしまったかららしい。
この村の宗教は、仏壇や仏像、十字架など形のあるものではなく、家の中の決まった部屋の白壁に向かって『瞑想』を行い、『神』の姿を思い浮かべて、それに対して礼拝する形を取っていた。
さらに、特殊な礼拝法の他に、この村には『人柱』の風習があったようだ。
ある特定の家から10年に一度とか、20年に一度といった感じで『人柱』を立てていたのだ。
代々、その『人柱』を出していた家が『坂下家』らしい。隣近所で祖父の葬儀に唯一参列した家だ。
坂下家は3年ほど前に最後の生き残りだった坂下 寅之助氏…『寅爺』が亡くなって絶えてしまったが、代々父の実家との付き合いが続いていた。
祖父達が日本を離れるとき、長女はまだ10代で、結婚したばかりだった。
坂下家は、まだ若い伯母夫婦の後見をしていたようだ。
深い関わりを持っていた両家だったが、証言者によると、父の実家は坂下家の世話をしつつ、その逃亡を防ぐために監視する役目を負った家だったらしい。
以前、読者の方に『憑き護』に付いて質問を受け、回答したことがあった(自分の身元がばれたかと一瞬焦りもしたのだが)。
俺が10代の頃、『寅爺』に連れられて坂下家の娘さんが遊びに来たことがあった。
耳が悪く、言葉も話せなかったが、とても綺麗な女性だった。
彼女は絵が上手く、不思議な力を持っていた。
こちらが考えていることや、前の晩に見た夢の内容を恐ろしく正確に、いつも肌身離さずに持っていたスケッチブックに描いたのだ。
坂下家には、代々、何らかの障害と共に、こういった不思議な力を持った娘が生まれるそうだ。
この女性は数年後、20代の若さで亡くなってしまったのだが……
姉の結婚式の時、不思議な力を持った坂下家の娘が『人柱』にされていた話を俺は最後の生き残りとなっていた『寅爺』に聞かされていた。
一木氏の話は俺の記憶に合致し、それを補強するものだった。
坂下家は、いわゆる一種の『憑き護』の家系だったのだ。


1936 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:10:49 ID:cFFR5zTA0
父たちの帰国時、伯母夫婦は既に亡くなっていた。
米軍機による機銃掃射に巻き込まれて死んだと言う説明だった。
だが、一木氏の話によるとそうではなかったらしい。
伯母夫婦は、集落の若衆……証言者の父親達によって惨殺されたらしい。
帰国後、暫くして亡くなったという次女も、病死ということになっているが、そうではなかったようだ。
昔から『実家』にいた頃の話をしたがらない父に尋ねても真相は聞けまい。
何故、父の実家はそれほどまでに恨みを買っていたのだろうか?
一木氏による証言者の話では、集落の元いた『村』が滅びる『原因』を作ったのが、俺の先祖だった……らしいのだ。

証言者の話によると、『人柱』は村を見下ろす『御山の御神木』に磔の形で捧げられていたらしい。
代々、坂下家の世話をしながら監視を続けていた俺の家の長男が、人柱を捧げる役目を負っていたようだ。
だが、何代前だかは知らないが、人柱を捧げるべき俺の家の男が、『人柱』の娘を連れて村から逃亡したらしい。
男は追手を何人も斬り殺し、娘を連れたまま逃げ果せたそうだ。
逃げた二人がどうなったのかは判らない。
娘を連れて逃げた男の父親は『御神木』を切り倒し、『御山』に火を放ち焼き払った。
御神木を切り倒した男は、逃亡を図ろうとしたのか、追手を食い止めようとしたのかは判らないが、激しく抵抗した上で、片目を矢で射抜かれて死んだそうだ。
村の『名主』の子孫だという証言者の先祖が逃亡した男に斬り殺され、その父親が御神木を切り倒した男を射殺したと伝えられているそうだ。


1937 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:12:05 ID:cFFR5zTA0
一木氏の話を聞いて、俺の背中にゾクリと冷たいものが走った。
隠していた悪事をいきなり暴露されたかのような、異様な、そして経験したことのないような衝撃を俺は感じていた。
坂下家と俺の先祖の生き残りは、村を追放された。
両家の者は、山二つを越えた漁村に落ち延びた。
俺の先祖は医術だか薬草学の知識があったらしく、流行病で住民が次々と死んでいた村を救い、村での居住を許されたようだ。
先祖が元いた村は、『御神木』が失われた以降、井戸や川が枯れ、飢饉や疫病が続き、多くの村人が近隣の村へと逃亡したそうだ。
そして、ある年、嵐による大雨が続いた村は神木のあった山の『山津波』によって全滅したらしい。
生き残りの者たちは村の全滅を『御神木』の祟りとして、俺の先祖や一族を深く恨んだようだ。
滅んだ村の生き残りは、俺の先祖や坂下家を受け入れた村に次々と入り込み、いつの間にか村を乗っ取っていた。
俺の一族と坂下家は生贄や人柱を捧げさせられることこそ無くなったが、元のように監視され、集落内での差別と呪詛を一身に受け続けた。
それから何年、何世代経ったのかは判らない。
俺の一族には男の子が産まれなくなり、養子に貰った男の子も育たなくなった。
一族の女の嫁ぎ先でも似たような状況になったらしく、断絶した家もあって『XX家の地獄腹』と言われていたそうだ。
証言者は、今でも俺たち一族を恨み呪っているらしい。
『恨み』が語り継がれ『呪詛』と『差別』が残った。
だが、正直なところ、何世代、何百年も前のことで人を差別し、恨みを持続できる心情を俺は理解できなかった。
彼らの論法で言えば、一度も会ったことはないが、二人の伯母を殺されている俺の方が恨みや呪いを抱く『適格』があるだろう。
だが、俺は、証言者や祖父の葬儀と調査の為に二度しか行ったことのない田舎の人間を恨んだり呪ったりする程の生々しい感情は持ち得ないというのが正直なところだった。
俺は、正直な感想を一木氏に伝えた。


1938 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:13:43 ID:cFFR5zTA0
一木氏は俺の言葉を肯定するように頷いたあと、さらに言葉を続けた。
「彼らが、君の一族に世代を超えて呪詛を向け続ける理由は確かにあるのだよ。切実な形でね」
問題の集落は近くに鉄道の駅ができ、国道が整備され、過剰なほどの県道や市道が整備され、元いた住民よりもここ2・30年ほどで流入した人口のほうが多いらしい。
最早、外見上は『被差別部落』の残滓を探すことも難しい現状のようだ。
だが、『部落』の子孫、俺たち一族と坂下家を追放した連中の子孫には深刻な『祟り』が残っているそうだ。
『部落』の子孫たちには生まれつき外貌や知能に障害を負った者や、常軌を逸して凶暴だったり乱脈だったりといった精神や性格に問題のある者、難病を患う者が絶えないらしい。
家族にそう言った問題を抱えていない家庭はないと言えるくらいの頻度だそうだ。
それが何世代も続いて、俺たち一族への恨みや呪詛は今でも語り継がれているらしい。
そして、何よりも彼らにとって重大だったのは、神木が切り倒され山が焼払われて以降、彼らの信仰の対象だった『白壁の神』の姿を見ることが出来なくなった事だった。

一木氏は更に言葉を続けた。
一木氏や他の霊能者の見立てでは、父と俺は、本来は生まれてこないはずの人間だったらしい。
これは、坂下家と俺の一族の背負った『業』のようだ。
両家の命数は既に尽きている……という事だった。
一木氏の言葉を俺は受け容れざるを得なかった。
認めたくはないが、坂下家は既に断絶し、俺の一族も恐らく、俺たちの代で絶えるであろうことは俺も予感しているからだ。
嫁に行った姉は不妊持ちで既に治療を諦めているし、俺と妹は結婚の予定もない。
俺はこれまで碌に避妊などしたことはないが女を孕ませたことはなく、アリサを喪った事故以来、性的には不能状態なのだ。


1939 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:15:48 ID:cFFR5zTA0
既に滅んでいたはずの俺たちの一族を今日まで存続させてきた理由があるとすれば、それは、祖父母による朝鮮への『移住』だった。
『日系朝鮮人』として朝鮮の土になる、その覚悟が一時的にではあったかも知れないが、俺たち一族の『滅びの業』を食い止めたのだろうか?
そんな俺の思いを一木氏の言葉は打ち砕いた。
「君たちの一族の『ガフの部屋』には、本来、次なる魂は用意されていなかったのだ。
もう君も気づいているのではないか?
君の父親は、生贄の女と息子を逃した男の生まれ変わりだ。
そして、君は生贄の女を連れて逃げた男の生まれ変わり……いや、そうではないな。
生贄の女と逃げた男の生まれ変わりだ」
俺は、ぞわっと全身の毛が逆立つのを感じた。
『何を言っていやがる、このジジイ!ぶっ殺してやる!』何故か俺は、激しい憎悪と殺意に囚われた。
そんな俺の激情を受け流すように一木氏は静かに言った。
「君には、断絶した記憶が有るはずだ。その断絶した時点の記憶を思い出すのだ」
俺は、激高を抑えるように、記憶の断絶点、子供の頃、川で溺れて死にかけた時のことを思い出した。
すると、妙な記憶?……映像が浮かび上がってきた。
俺は、水の底から子供の足を掴み、その子供を水中に引き摺り込んだのだ。
子供の顔は見えなかったが、俺は子供の首を絞めていた。
何なのだ、このイメージは!


1940 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:17:06 ID:cFFR5zTA0
一木氏は言った。
「それが君だ。君は女の魂を宿した子供を殺そうとした、言わば『悪霊』……
だが、君自身も女の魂……『悪霊』に殺されそうになったことがあるはずだ」
俺に瀕死の重傷を負わせ、アリサの命を奪った『ノリコ』のことか?
俺の体には異様な悪寒が走っていた。
アリサやほのか、その他の性同一性障害を持ったニューハーフの女性たちに抱いていた不思議なシンパシー……
俺自身が妙だと感じていた感情の理由を俺は突き付けられた気がした。
一木氏は、更に追い討ちをかけるように言った。
「君は、朝鮮時代に君の祖父母たち一家に雇われていた『お手伝い』の女性の話は聞いたことがあるかな?」
「あります。父が話すとき『オモニ』と呼んでいる女性ですね。引き揚げの直前まで実の子のように可愛がってもらっていたそうです」
「その女性が、方 聖海(パン ソンヘ……Pの父親)氏の伯母に当たる人物だ。
君達は知らないかもしれないが、非常に高名な呪術師だった。
様々な呪術を用いたが、朝鮮でも今ではもう絶えて居ない『反魂の法』の数少ない実践者だった。
君の祖父は、『反魂の法』の対価として、その権力を用いて、彼女の弟一家を日本に……」
こみ上げてくる吐き気を押さえ込むように、俺は言った。
「もういい。十分だ。もう止めてくれ」
一木氏は、静かに言った。
「そうだな……私の話したいこと、話せることは殆ど話した。ここまでにしよう」


1941 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:18:29 ID:cFFR5zTA0
俺の両目からは涙が流れ、止まらなくなっていた。
木島氏の顔は青ざめ、何も言おうとはしない。
一木氏が部屋を出たあと、榊氏が俺の前に跪き、涙を流しながら言った。
「済まない……本当に、余計な……済まないことをしてしまった。
私は、そして家内も夢を見ていたんだ……。
榊家など継いでくれなくても良いから、君が孫の……奈津子の夫になって欲しいと。
あの子が君のことを話さない日はないんだ……私も家内も君のことは本当に気に入っている。
そして、あの子の願うことなら全て叶えてやりたい……だが、それは出来ない。
あの子は私たちの全てだ。
あの子を失うようなことは絶対にできない。
勝手なことを言ってすまない、もう二度と奈津子にもチヅさんにも関わらないでくれ」
榊夫妻は木島氏に伴われて部屋を出ていった。


1942 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:19:37 ID:cFFR5zTA0
呆然とする俺に、和装の老女が語りかけた。
「私たちもね、まさかこんな結果になるとは思っていなかったのよ。本当に。
貴方の一族が対峙している『神』の正体は私達には判らないの。ごめんなさいね。
榊さんが是非あなたを奈津子さんの婿に迎えたいから、調べて欲しいという事だったのだけどね。
あなたには特殊な『才能』があったから、それを把握するためにもね……。
私たちも、あなたに榊さんの家に伝わる『術』を受け継いで欲しかったのよ。
でも、調べれば調べるほどに……あなた方の一族は……」
俺は何も言えなかった。
そんな俺に、老女は言葉を続けた。
「……あなた、本当に人を好きになったこと、ある?」
「ありますよ。もちろん」
「貴方が人を愛することをこの『神』は許さない。
あなたが愛した人は、その意思に関わりなくあなたから引き離されて行く。それが運命なの。
それに抵抗してあなたと一緒に、側に居ようとする人は命を奪われるでしょう。この『神』にね」
「それが『呪い』なのか?
……呪いなら、マサさんのあの『井戸』で……」
「それは、無理でしょうね……あなたに降りかかっているものは『呪い』の類ではないから。
むしろ『愛』に近いのかも……」
「そんな……馬鹿な」


1943 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:20:54 ID:cFFR5zTA0
「いいえ。本当よ。
あなたはこの国にいる限り、『定められた日』までは、どんな災厄に巻き込まれようとも生き残り続けるでしょう。
周りの人が死に絶えるような事態に陥っても……物凄く強力な『神』の加護があるから。
でもね、あなたの周りの人は、あなたの『加護』には耐えられない。
あなたに愛されたら、一緒にいれば命を落としかねない。
奈津子さんは、とても強い力を持った娘だから、命を奪われるまで抵抗してあなたの側に居ようとするでしょうから……
でも、それは、榊さんご夫婦には耐えられないことなのよ。
判ってあげて欲しい。
……そうでなくても、あなた自身が奈津子さんの側に居てあげられる時間はそう長くはないから……」
「あんたの言う『定められた日』とやらは近いのかい?」
「ええ。近いわね。
……ところで、あなたに夢はある?どんな望みを持っている?」


1944 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:22:02 ID:cFFR5zTA0
女の言葉に、俺の家族や木島一家の顔が浮かんだ。
「大した望みはないよ。
とびっきりの美人でなくてもいいから、よく笑う可愛い嫁さんを貰うんだ。
尻に敷かれたっていい。
安月給でもいいから、昼間の普通の仕事に就いて、毎朝ケツを叩かれて満員電車に揺られて……
朝から晩までこき使われて、疲れて家に帰るとカミさんと子供が『お帰りっ』て、迎えてくれて……
子供は勉強なんて出来なくて良いから、ひたすら元気で、休みの日にはクタクタになるまで遊ぶんだ……
月曜日の朝には、またケツを叩かれて……そんな生活がずっと続くんだよ。
そのうち、俺もカミさんも爺さん婆さんになって、孫と遊んだり小遣いをせびられたりして……ああ……」
そう言いながら俺は自分の声が震えているのに気づいた。
「素敵な夢ね」
「だが、もう叶うことはない……そうなんだろ?」
「いいえ、夢は叶うわよ?
いつもその夢を思い続ければ……寝ても覚めても想い続けて、祈り続ければ……。
人間の精神の力は、人の『想い』は、翼のない人間に空を飛ばさせ、神界だった星の世界に生きた人間を送り込んだでしょう?
人の心は、あらゆる不可能を可能にしてきたじゃない!
どんな邪な願いであっても、願い続ければ必ず叶う……道元禅師も言っているわ。
それが例え『神の意思』に反したとしても、生きて祈り続ければ必ず叶うわよ」


1945 :日系朝鮮人 ◆cmuuOjbHnQ:2012/12/19(水) 06:23:19 ID:cFFR5zTA0
「随分とプラス思考なんだな。あんた、何者なんだい?」
「一木 燿子、さっきまで貴方と話していた一木貴章の姉よ。
私の姉の祥子は、あなたの師匠、『マサ』の母親なのよ。
長いあいだ患っていて、最近亡くなってしまったのだけどね。
姉は、あなたにも逢いたがっていたわ。さっき言った事は姉の受け売り。
姉は、あなたがさっき言っていたような人生をいつかは息子が送れますようにって、生前、ずっと祈っていた。
マサも、多分あなたのような夢を抱きながら、これまでの人生を耐えてきたのだと思う。
私は、姉の祈りを引き継いで甥の為に祈り続けるわ。
貴方のことも祈ってあげる……それしかしてあげられないから。
だから、あなたにも夢をあきらめずに祈り続けて……生き続けて欲しい」
「ありがとう。……お返しと言っては何だけど、俺に何か出来ることはあるかな?」
一木燿子は、俺に一枚のメモを渡した。
「これをマサに渡してあげて。
生前、姉はマサに会うことを許されなかった……そういう『契約』だったからね。
姉の、マサの母親のお墓の住所なの……必ず、お願いね」

俺は、木島家を出るとそのまま駅へと向かった。
ホームでマサさんやイサム達の待つ地元に向かう列車を待ちながら、ふと思った。
『随分、遠い所まで来たしまったんだな』
地元に戻ったら両親に電話して、久しぶりに実家に帰ろう……そう思った。


おわり






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 10:42Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2012年12月23日

呪いの井戸(祟られ屋シリーズ⑰


呪いの井戸



1736 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:26:47 ID:Jx756Ba60
こっそりと投下させて頂きます。


イサムと出かけたロングツーリングの終盤の話だ。
 
俺たちは、関東の某県に住むマサさんの古い知人を訪ねていた。
ヤスさん……忍足 靖氏は、個人タクシーを生業としており、呪術や霊能の世界とは基本的に関わりを持たない人物だ。
年齢は70歳を過ぎているはずだが、その身から発散される『肉の圧力』は老人のものではない。
服を脱ぐと顔だけ老人で、首から下のパーツの全てが厚くて太い。
何かの冗談のような取合せだ。
70歳を過ぎた現在でもベンチプレスで100kg以上を挙げ、スクワットやデッドリフトはフルで150kg以上を扱うという妖怪ぶりだ。
並のタクシー強盗など返り討ちにされるだろう。
以前、マサさんは、夜間は都内の某大学に通いながら、ある霊能者の元で修行していたらしいのだが、その時、ヤスさん宅に下宿していたそうだ。
マサさんの説明では、ヤスさんはマサさんの『空手の先生』だという事だった。
マサさんの母校のすぐ近くには同系の流派の高名な先生の道場があるらしいのだが、マサさんはヤスさんの指導に拘った。
その気持ちは判らなくはない。
俺自身、70歳を過ぎたヤスさんとまともに渡り合って勝てる自信はないからだ。
俺とイサムはマサさんが使っていたという部屋をあてがわれた。
10畳ほどの室内には何百冊あるのか判らないが、大量の古い書籍が平積みされていた。
全てマサさんの物らしい。
マサさんが出て行くときに「全て『覚えた』から捨てて良い」と言ったらしいが、そのまま残しておいたそうだ。


1737 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:27:31 ID:Jx756Ba60
「マサの奴から、兄さんの『治療』のことは聞いている。
多分、明日の晩あたりに来ると思うから、その時に診てもらうと良いよ」
「……?……来るって、誰が?」
そう聞くと、ヤスさんは小指を立てながら言った。
「ああ、俺の『コレ』だよ」
「?」
 
翌日の夕方、居間でイサムとヤスさんの飼い猫を構いながらゴロゴロしていると、玄関の扉が開く音が聞こえ、女が一人入ってきた。
30代半ば位の女で、食材でも入っているのだろうか、大きな買い物袋を持っていた。
固まっている俺とイサムに向かって女は言った。
「あの人は?」
「……明けなので、まだ2階で寝ています」
そうイサムが答えると、女は袋を台所に置いて2階に上がっていった。
「先輩、今の人、何なんでしょうね?」
「さあ……。ヤスさんの娘さん……かな?」
「……ですよね~。服装はちょっとアレだけど……でも、ヤスさんの娘さんにしては、綺麗な人でしたね」
そうは言ったものの、スキンヘッドの千葉真一といった風貌のヤスさんと女は似ても似つかない感じで、血縁関係は無さそうだった。


1738 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:28:41 ID:Jx756Ba60
10分ほどすると、ヤスさんと女が2階から降りてきた。
俺はヤスさんに「その女性(ひと)は?」と尋ねた。
女が答えた。
「ワタシは、陳 千恵(チェン チェンフィ)と言います」
「え……っと、チェンフィさんは、ヤスさんとどういった関係で?」
チェンフィは少し照れた様子で言った。
「ん~、ヤスさんのカノジョ……かなw」
俺とイサムは顔を見合わせた。
お互いに言いたいことは判っていた。
『嘘だろ!』
まあ、熟女ブームとやらで、老女に欲情する若い男もいるのだ。
逆のパターンもあっても良いのだろう。
だが改めて思った。
男女関係ってディープだ……。
意外なことに、チェンフィは治療家としてはかなりの人物らしい。
後に木島氏を訪ねた折に聞いたところでは、俺のような有象無象が彼女の治療を受けることは殆ど不可能なことのようだ。
治療家としての彼女もだが、彼女の祖父がかなりの人物らしい。
小顔に不釣合いな大きな眼鏡。
しま○ら辺で売っていそうなジャージ姿に便所下駄?を引っ掛け、買い物袋をぶら下げた小柄な女が、そんな人物だとはとても信じられなかったが……。


1739 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:29:27 ID:Jx756Ba60
俺はチェンフィから『移入の法』を含めた数種類の治療を受けた。
今でも定期的にヤスさんの元を訪れ、チェンフィの診察を受けなければならないが、彼女の治療により、俺は長年苦しんできた諸々の症状から解放されたのだ。
逗留中、俺はヤスさんとマサさんの関係を尋ねた。
軽い気持ちで尋ねたのだが、俺とイサムはヤスさんの口から意外な話を聞くことになった。
ヤスさんは、マサさんの『井戸』を作った関係者だったのだ。
 
詳しい事情は判らないが、ヤスさんは郷里から東京に『逃げて来た』ということだ。
簡易宿泊所をねぐらに日雇い仕事で食つないでいたヤスさんは、恋人も友人もなく、孤独を紛らわすために休日は上野の公園で時間を潰していたそうだ。
そんなヤスさんは、一人の男と出会った。
隻腕で足を引き摺って歩く当時50代くらいのその男は、台湾人の傷痍軍人だった。
戦いに傷付いた身体を通行人に晒して小銭を得ていたその男と顔見知りになったヤスさんは、やがて男の分の握り飯を持って公園を訪れるようになった。
台湾に妻子がいるという彼が、なぜ日本に留まり続けているのかは判らなかった。
それを尋ねる気も無かった。
ヤスさんも郷里を捨てた理由は話せないのだ。
尋ねられたところで、結局は嘘を吐かなければならない。
ならば、お互いに聞かない方が良い。
そう思っていたそうだ。


1740 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:29:57 ID:Jx756Ba60
あるとき、ヤスさんは現場での作業中、足に酷い怪我をしたそうだ。
歩くだけでも相当痛んだらしいが、日雇い仕事でその日暮らしだったヤスさんは仕事を休むわけにはいかない。
無理を重ねた結果、さらに腰まで痛めて動けなくなってしまったそうだ。
仕事に出れなくなって2週間ほどで蓄えも底を尽き、ねぐらの簡易宿泊所を追い出されホームレスになった。
だが、上野の公園近辺で野宿をしていたヤスさんに救いの主が現れた。
例の台湾人の傷痍軍人、陳さんだった。
陳さんは、ヤスさんを自分のねぐらへと連れて行き、ヤスさんに飯を食わせ、治療を施した。
まだ若く、しっかりと休養を取れたおかげでもあったのだろうが、ヤスさんは身動きが全く取れないような激痛から1週間ほどで回復し、元の体に戻ることができた。
ヤスさんが転がり込んだ陳さんのねぐらは、とある工務店の社員寮だった。
隻腕で歩行にも障害のある陳さんが建築作業や土木作業に従事できるとはとても思えない。
だが、陳さんは『先生』と呼ばれ、丁重に扱われていたそうだ。
ヤスさんは、そのまま日払いの人夫としてその工務店に雇われ、寮に住み込みながら働き始めた。
この工務店で職長をしていた喜屋武という沖縄出身の男がヤスさんに空手を仕込んだらしい。
だが、喜屋武を始め古株の職人や社員たちは、ヤスさんやその他の日払い契約の寮住まいの連中とは仕事上必要な最低限以上の関係を持とうとはしなかった。
ヤスさんは『感じの悪い連中だ』と思いながらも、黙々と日々の仕事をこなし続けた。


1741 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:30:59 ID:Jx756Ba60
ある時、喜屋武と社員の男が、ヤスさんの後から入ってきた男たちを3人ほど連れて、夜の街に繰り出していった。
男達によると、いい店で高い酒を飲ませてもらった上に、女まで抱かせてもらったということだった。
その話を聞いて「なんであいつらばっかり!」と連れて行ってもらえなかった他の2人が不満を漏らした。
ヤスさんは『どうでもいい』と、特に不満を漏らすこともなく、我関せずの態度をとっていた。
そんなヤスさんに古株の職人の一人が話しかけてきた。
「まあ、腐るなよ。あいつらは『あれ』だからな……」
「あれ?」
「ん、まあ、そのうち判るさ……」
次の週、ヤスさん達はある病院の建築現場に派遣された。
その現場は、労災事故が続き、工事が何度も中断して工期が大きく遅れていたそうだ。
そして、ヤスさん達が現場に入って3日目に大きな事故が起こった。
クレーンで揚重中に玉掛けのロープが外れて資材が落下。
3名の死者が出たのだ。
死んだのは喜屋武が飲みに連れ出した例の3人組だった。
だが、その事故を境に頻発した労災事故はピタリと止み、工程が順調に進むようになったそうだ。


1742 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:31:58 ID:Jx756Ba60
その後も喜屋武や他の社員が寮の人夫を飲みに連れ出し、その人夫が事故死すると言った出来事が何度も続いた。
勘の働く奴もいるようで、飲みに連れて行かれたあと寮から逃げ出した者もいたらしい。
ヤスさんも何度か喜屋武たちに飲みに連れ出されたが、ヤスさん自身は特に怪我をすることもなく無事に過ごし、いつの間にか日雇い寮で一番の古株になっていた。
そんなヤスさんが、ある日社長に呼び出された。
日雇いではなく正社員にならないかと言うことだった。
ヤスさんが申し出を受けて社員になると、それまでの態度が嘘のように職人やほかの社員たちはヤスさんに親しく接するようになった。
陳さんの勧めでヤスさんが喜屋武から空手を習い始めたのも、正社員になってからだ。
そして、以前『腐るな』とヤスさん話しかけてきた男がこう言ったそうだ。
「日雇いの連中とは出来るだけ関わるな。情が移ると良くないからな。
……お前も、もう、何となく判っているんだろ?」
社員となって初めて、ヤスさんは、喜屋武を始めとした古株の職人や社員の多くがヤスさんと同じような寮住まいの日雇い人夫あがりの『生き残り』であることを知った。
やがて、ヤスさんは『この現場は危ないな』とか、『この現場は何人持っていかれるな』という事が直感で判るようになって行った。
そして、陳さんと喜屋武と飲みに行った折に聞かされたそうだ。
「『ウチ』は普通の工務店じゃないんだ……」
曰く付きの土地での工事で、その土地に捧げる『生贄』や『人柱』となる人間を集めて派遣することが、ヤスさん達の工務店の『裏の本業』だった。
陳さんは土地に生贄を捧げる『儀式』を執り行うと共に、『護り』のない人間……家族や友人、先祖やその他諸々との『縁』の無い人間を見つけ出して集める役目を負っていたのだ。
ヤスさんや喜屋武、ほかの社員たちは『護り』が無いにも拘わらず生き残った、異常にしぶとく生命力の強い『個体』ということらしい。
そして、その中でもヤスさんと喜屋武は、殊、生存ということに関しては一種の『異能者』と呼べるだろう。
何故ならば、あのマサさんの井戸に関わって生き残ったのだから。


1743 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:32:54 ID:Jx756Ba60
マサさんの父親が韓国から持ち込んだ『呪いの井戸』の起源は明らかではないそうだ。
『家伝』によれば、百済滅亡の折に朝鮮半島に残留した貴族が、彼の一族を虐殺し、国を滅ぼした唐と新羅を呪うために作らせたもの……と、されている。
この井戸は、半島本土からマサさんの先祖が住んでいた済州島に移設された。
三別抄の乱の折、耽羅に落ち延びた三別抄に同行した呪術師によって持ち込まれた……らしい。
『元』を呪うために井戸を持ち込んだ呪術師は、三別抄の乱鎮圧後、耽羅総管府により捕らえられ処刑された。
だが、『井戸』とそれに関わる呪法は、済州島三姓神話の『神人』の直系子孫を自認し、神話になぞらえて代々日本の呪術師の集団と縁戚関係を結び続けてきたマサさんの一族に託された。
どうやら、この『井戸の呪法』を作り上げ、伝えてきた呪術師一族も日本と深い関係があり、代々マサさんの一族とも接触があったようだ。
マサさんによれば、その『効果』は兎も角、井戸の呪法の縁起自体は恐らくハッタリを含んだこじつけだろうという事だった。
だが、マサさんの祖母と母親が日本人なのは確かだということだ。


1744 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:33:41 ID:Jx756Ba60
マサさんの父親が『井戸』を日本に持ち込む切っ掛けとなったのは、8万人にも及ぶ住民虐殺事件である『済州島4・3事件』だったらしい。
マサさんの父親は、同じ韓国人でありながら、同胞である済州島民の虐殺と島の焦土化を命じた大統領の呪殺を試みたが失敗した。
以前にも少し触れたかと思うが『天運の上昇期』にある人物の呪殺は非常に困難なのだ。
彼の大統領は狂人であったが、同時に巨大な『精神的質量』あるいは『恨』の持ち主だった。
やがて彼は、韓国を追われハワイに亡命した。
そして、真偽は不明だが、そこで『呪詛』を仕掛けた。
建国の父であり『王』たるべき自分を4・19学生革命で追い落とした韓国の民衆と、彼の積年の『恨』の対象である日本に対する呪詛だ。
実際に『呪詛』が仕掛けられたのか、その呪詛が功を奏したのかについては、俺に判断することはできない。
だが、『呪詛』が本当ならば、韓国民の意識ないし精神の『流れ』が、異様な程に強烈な『反日』へと流れ、固定化される切っ掛けのひとつには成り得たと思う。
一個人の強烈な精神が民衆を煽動し、破滅まで突き進んだ例は他にもあるからだ。
朝鮮人がその精神の深奥に抱き続けた日本への漠然とした『恨』は、今や巨大なうねりとなって民族全体の『呪詛』に育っている。


1745 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:36:27 ID:Jx756Ba60
人を呪わば穴二つの言葉通り、呪詛は必ず仕掛けた者に返る。
仕掛けた相手を『護る』力と共に。
朝鮮民族、特に韓国民が日本や日本人に向けた呪詛は、やがて彼ら自身に強烈な『呪詛返し』となって返る。
強大な日本の『護りの呪力』と共に。
強大な日本の呪力は、呪詛返しとして一旦発動すれば、もはや誰にも止められず、朝鮮民族を滅ぼすだろう。
日本人の精神の深奥に蓄積し続けた『呪詛返し』の内圧もまた、彼らの向けた『呪詛』に呼応して上昇を続けているのだ。
朝鮮民族に呪詛返しとして返る呪詛のエネルギーは朝鮮人自身のものでなければならない。
日本国内に危険な『呪いの井戸』と『井戸の呪法』を持ち込むことが許され、マサさん親子が『井戸の呪法』にこだわった理由だ。
日本に移ったマサさんは、朝鮮人と朝鮮人に関わる呪詛やその他諸々の『悪しきモノ』をその身に受け、『井戸』に送り込み続けた。
 
ヤスさん達は、とある土地に送り込まれた。
この土地は、木島氏たちが所属する呪術団体が管理する地脈の空白地帯『ゼロ・スポット』の一つだった。
工事は、韓国から来た呪術師と台湾人呪術師……マサさんの父親と隻腕の傷痍軍人・陳さんの手による儀式と並行して行われた。
工事現場には一人の少年がいた。
韓国人呪術師の息子だ。
まだ、日本語に難のあった暗い目をしたこの少年に、ヤスさんと喜屋武は、彼の気が紛れれば良いと思って彼らの空手を仕込んだ。
既に心得のあった少年は、ヤスさん達の教えを驚くべき速さで吸収していった。
この少年がマサさんだった。


1746 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:37:19 ID:Jx756Ba60
やがて、工事は完成した。
だが、ヤスさんの周りで次々と怪死事件が起こった。
『呪いの井戸』建設関わった工務店の社員、……皆、曰く付きの危険な現場に『人柱』として送り込まれても尚、生き残ってきたしぶとい連中だったが……
陳氏と喜屋武氏、そしてヤスさんの3人を除く、社長をはじめとした社員24名が井戸の完成後3年間で死に絶えたそうだ。
陳氏は、井戸の工事の完了後、故国の台湾へと帰っていった。
会社が潰れてしばらくの間、喜屋武氏は知人の沖縄料理店を手伝っていたらしいが、やがて同郷の人間に誘われて南米へと移住した。
何処にも行く当てのないヤスさんは、タクシー会社に就職し、定年後、個人タクシーを始めた。
陳氏とは、彼の帰国後も連絡を取り続け、ヤスさんを頼って孫娘のチェンフィが来日。
独り者のヤスさんの身の回りの世話をしているうちに現在のような関係になったそうだ。

俺は、ヤスさん、そして儀式を行った呪術師の孫であるチェンフィに井戸について他に知っていることはないか訊ねた。
『井戸の地』で俺やイサム自身が見聞きしたことを全て話した上で……。
ヤスさんによると、井戸を掘り終わったあと、井戸に『黒い石』で蓋をするまでは、『井戸』や井戸のある土地に打たれていた鉄杭はまだ無かったそうだ。
チェンフィによれば、井戸を『黒い石』で塞ぎ、鉄杭を打ったのは、恐らく、チェンフィの祖父だろうということだった。
どうやら、台湾にも『悪いモノ』を『井戸』に封じ込める呪術があるようだ。
マサさんの父親がどんな儀式を行っていたのかはわからないが、彼が毎晩儀式をしている間は、一般人でも判る程に『空気』が重くなり、あの地にいた者はみな一様に激しい頭痛と耳鳴りに襲われたそうだ。
そして、チェンフィの説明によると『地光』と言うらしいのだが、井戸の周りの木々の葉や、岩が赤く薄ぼんやりと発光していたらしい。
俺には、確認したわけではないが確信があった。
恐らく、マサさんの父親は『三角陣』を用いた儀式を行っていたのだろう。
韓国、恐らく済州島にあった『井戸』から、三角陣を用いてオイラー線に乗せて日本に新たに作った『井戸』に井戸の中身を送り込んだのではないだろうか?


1747 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:38:13 ID:Jx756Ba60
ヤスさんによると、井戸に『黒い石』で蓋がされる前に、ヤスさん達は井戸の中に『何か』を入れた。
鉄枠で補強された各辺20cm位の立方体の頑丈そうな木の箱だったそうだ。
中身は何か判らないが、20kg位の鉄か何かの塊が入っていたようだ。
現場に派遣されていた社員たちは、マサさんの父親に木箱を井戸まで運ぶように指示された。
だが、誰も木箱を持ち上げることができない。
何とか持ち上げることが出来たのはヤスさんと喜屋武氏だけだったらしい。
ヤスさんと喜屋武氏は井戸まで箱を運び、二人で箱を井戸の底まで下ろしたそうだ。
箱を持ち上げることのできたヤスさんと喜屋武氏の身に特に変わった事はなかったらしいが、工事と儀式の完了・撤収後、その『箱』に触れた者たちが次々と命を落としていった。
そして、謎の死は現場に派遣されなかったほかの社員たちにも広がり、結局、工務店の社員は社長を含め、ヤスさんと喜屋武、そして儀式の終了後、すぐに台湾に帰国した陳さんを除いた全員が相次いで命を落としていった。


1748 :呪いの井戸 ◆cmuuOjbHnQ:2012/11/16(金) 04:38:59 ID:Jx756Ba60
ヤスさん宅に俺とイサムは3週間ほど逗留し、俺はチェンフィの治療を受けた。
「半年に1回は診察させてもらわなければならないけれど、肉体的な問題はもう大丈夫。
精神的な問題はあなた次第だけれども、肉体的不調からくるものは徐々に消えるでしょう」
ヤスさん宅を出た後、俺とイサムは地元に戻った。
シンさんやキムさん、空手道場の師範などに挨拶して回った。
イサムとマサさんの許を訪れ、イサムの姉に旅立ちの前に渡された石のお守りを返して、俺はイサムと別れた。
挨拶回りが終わり2・3日休んでいると、木島氏から連絡が入った。
俺は以前交した約束に従って、木島氏の許に向かった。


おわり



  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 19:01Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2012年12月23日

黒猫(祟られ屋シリーズ⑯)

黒猫


1661 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:23:54 ID:GbxTGrZM0
お久しぶりです。  


俺の住んでいたアパートは、築50年ほどの古い建物で、1階は元店舗、2階は4部屋で風呂なしトイレ共同の昭和の遺物のような物件だった。
1階のスペースを自由に使って良いのと、家賃が月2万8000円と激安の『昭和価格』だったことが決め手となって、結構長い間借り続けていた。
週に1度か2度、寝に帰るくらいの俺にとっては格安の物置兼屋根付きバイクガレージとして好都合だったのだ。
アパートには、耳の悪い爺さんとネパール人の若い男が住んでいて、トイレ前の部屋が1部屋空いていた。
猫好きの爺さんは、そろそろ尻尾が二つに裂けそうなヨボヨボの三毛猫と、どこからか拾ってきた黒白の毛足の長い洋猫を飼っていた。
爺さんが拾ってきたときは今にも死にそうな小さな子猫だったその猫は、数年後、体重10kg近くの巨体に成長していた。
特に肥満と言うわけではなく、ノルウェーなんとかキャットという元々デカくなる品種だったようだ。
この猫は俺にも良く懐いていて、俺が部屋にいる時には窓をガリガリとやって中に入ってきた。
体重10kgの『猫マフラー』は夏場には勘弁して欲しかったが、たまにアパートに帰るときはカリカリやお気に入りの『黒缶』を土産に買っていった。
そのお返しだろう、生保暮らしの爺さんは毎日のように出かける釣りで大漁だったときは、魚を良くくれた。
ネパール人の男、アナンドに言わせれば『猫のお下がり』らしかったが。
そんな爺さんがアパートで火事を出した。
俺の携帯にアナンドから、アパートが火事で全焼し、爺さんが病院に運ばれたと連絡が入った。
アナンドは夜勤に出ていて無事だったらしい。
火事の原因は、爺さんが消し忘れた仏壇の蝋燭が倒れて燃え移ったようだ。
耳が悪いうえに寝ていて出火に気付かなかった爺さんを洋猫の『ヤマト』が廊下まで引きずって助けたらしい。
長い付き合いの『ミケ』の方は素早く逃げ出し、火事のあと近所の『別宅』で見つかった。
爺さんは足と背中に火傷を負って一時危なかったらしいが、どうにか命は取り留めた。
アナンドと共に爺さんを見舞ったとき、爺さんは燃えてしまった俺のバイクのことをしきりに気にしていた。
実際のところは、部屋にあったパソコンや資料の方が痛かったのだが、金額的な損失はさほどではなかった。


1662 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:26:10 ID:GbxTGrZM0
俺のバイクは92年型のカワサキの1100ccだった。
モデルチェンジ直前に値下がりしたところを初めて新車購入した大型だ。
当時は世界最速。
その後、ホンダやスズキから同じカテゴリーのもっと早いバイクが出たが、いまひとつ気に入らず、結局20年近く乗り続けていたのだ。
爺さんは買って返すと言ったが、価格はともかく、中古市場にコンディションの良い車両など殆ど残っていないだろう。
よしんば有っても、生保暮らしの老人にそんな出費はさせられない。
俺とアナンドは爺さんに「気にするな」と言って、病院を後にした。
病院を出るとき、爺さんは『ヤマト』のことをしきりに気にしていた。
火事のあと『ミケ』は直ぐに見つかったのだが、爺さんを助けた『ヤマト』は行方不明のままだったのだ。
『ヤマト』はアパート前の道路を通学路にする小学生たちのアイドルだった。
「近所の家に保護されているんじゃないかな?見かけたら連絡するよ」と言ったが、『ヤマト』の行方は結局判らないままだった。
 
親や学校に隠れて16歳で中免を取って以来、事故って入院していた期間を除いて、俺のバイクなしの生活は最長になっていた。
ある日、俺は仕事帰りに、ぼちぼち次のバイクでも、と馴染みのバイク屋に立ち寄った。


1663 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:27:19 ID:GbxTGrZM0
「久しぶり、ダブジー燃えちゃったんだって?」
「ああ。だから、そろそろ次を探そうかなと思って」
「どんなの探してるのよ?」
「あんまりピピッと来るのがないんだよな。
俺もいい年だし、実用的で楽な奴が良いな。S1000RRとかZX10R辺り?」
「お前、サーキットや峠なんかもう殆ど行かないだろ?
街乗りやツーリングじゃ持て余すだけで良いこと無いぞ・・・それに、同じバイクに長く乗るタイプにSSは余り薦められないな」
「じゃあ、1400か?新ブサはイマイチ好みじゃないんだよな」
「いい加減、世界最速とか最高馬力は辞めとけよ。いい年なんだしさ。
もう少し大人しくて、まったり乗れる奴にしておきな」
「それもそうか・・・何か良いのある?」
「あるよ!お前好みの奴が。そろそろ来る頃だと思ってキープしてあったんだ」
バイク屋の店長はガレージから問題のバイクを引っ張り出してきた。
初期型のZX12R・・・最高速規制前の350km/hフルスケールメーターの付いたA1型と言う奴だ。
「ちょっと待て、コレのどこが大人しくてまったりと乗れるバイクなんだよwww」
「年式は古いし、少々距離は走っているがナラシは完璧で、しっかり回された極上物だよ。
出物の中古はコケてフレームが怪しいのや、碌に回さないでエンジンが腐ってるのが多いんだけどな。
Dタイプも駄目、ブラバやブサも気に入らなかった偏屈野郎には丁度良いと思うぞw」
「あんまり良い評判は聞かないけどね」
「乗れば判るよ。どうせ暇なんだろ?1週間ほど貸してやるから試しに乗ってみなって。
レンタル料3万。購入の場合は車両価格から引くからさ」
「OK。借りてくよ」


1664 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:28:39 ID:GbxTGrZM0
ZX12R・・・発売当時は同じカワサキから出ていた9Rの方に興味があったので試乗経験は無かった。
ZZRに比べると車重は軽いが、かなり腰高で重心が高い。
違和感を感じるほどにスクリーンも近い。
だが、ぱっと見とは違って意外にハンドルは近くて高く、操作はし易かった。
直線番長で曲がらないと聞いていたが、開けさえすればしっかり曲がった。
ただ、開けないとどうにも言う事を聞いてくれないので、万人向けではなさそうだ。
直ぐに手放すオーナーと乗り潰すまで長く乗り続けるオーナーの両極端だと言うのもうなづけた。
得意とされる高速走行は圧巻だった。
以前、出たばかりの初期型ブラックバードに試乗したとき、200km/h以上の速度でのレーンチェンジの軽さに感動したものだった。
ブレーキの違和感さえなければ乗り換えていただろう。
ZZRのD型やハヤブサは、加速力はともかく、この速度域での動きはブラックバードに比べると鈍重だ。
車列を縫ってのレーンチェンジはちょっと遠慮したい鈍さだ。
だが、この初期型ZX12Rは250km/h以上の速度域で200km/hでのブラックバードよりも更に軽快にレーンチェンジが決まった。
硬すぎるとも言われるモノコックフレームの剛性の高さもあるのだろうか、速度が上がるほどに車体の安定性が増して行くようだ。
店長が言ったように、まさに俺好みのバイクだった。
俺は連日、高速に上がって上機嫌でバイクを飛ばし続けた。
そして土曜日、バイクを返しに行く前日の夜がやってきた。


1665 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:30:48 ID:GbxTGrZM0
その日は道場に寄った所為もあったのだろうか、肩や首が妙に重たかった。
今夜は走りに行くのを辞めて、コイツに決めてしまおうかな・・・とも思ったが、スピードの誘惑には勝てず深夜の高速に上がった。
土曜の晩だというのに嘘のように他の車両を見かけなかった。
覆面もいない。
最高速アタック、行っちゃいますか!
1速落として『カチッ』と当たるまでアクセルON。
5速からだが凄い勢いでメーターの針が上がる。
全開から『チョン』と一瞬スロットルを戻して6速にシフトアップ。
もたつく事無くレッドまで一気に回り切る。
すっげ~楽しい!
上り線を降りてUターン。下り線に乗ってしばらく140km/hほどで巡航。
気持ちよく真ん中の車線を流していると、バックミラーが黄色い強烈な光を反射した。
大型トラックか何かにハイビームで煽られたか?
うぜえ・・・追い越し車線に入ってさっさと抜いてけよ、と思ったが、光の主は一向に追い越し車線に入ろうとしない。
一向に煽りを止めない光に『ハイハイ、開けてやるからさっさと行けよ』と左の車線に移ったが、光は俺を追尾し続けた。
・・・なんだこいつ?
光を振り切るべく、俺はシフトダウンして一気に加速した。
一瞬でスピードメーターの針は真上を超し200km/hの速度に達した。
だが、背後からの光を一向に振り切れない。
馬鹿な?!
背中に嫌な汗が流れ出した。
俺は更にスロットルを捻った。
メーターの針は250km/hを超えていただろう。


1666 :黒猫:2012/08/23(木) 11:32:23 ID:GbxTGrZM0
前方の闇に赤いテールランプが見える。
まずい、そう思ってスロットルを戻そうとした瞬間だった。
ゾクリと俺の背中に悪寒が走った。
前方から伸びた二本の手が俺の両手首を掴んだのだ!
思わず俺はスクリーンに伏せていた上体を起こした。
強烈な風圧に上体を持っていかれそうになった。
そして、スクリーンの向こう側を見た俺は凍りついた。
確かに見た。
顔面が半分石榴のように潰れた男の顔を!
男の残った片目と視線の合った俺は金縛り状態だった。
赤いテールランプは物凄い勢いで接近してくる。
『終わった・・・』
そう思った瞬間、首筋にふわふわした感触を感じ、耳元で『にゃあ』と猫の声を聞いた。
見覚えのある、フサフサの黒い長毛に覆われた、先の白い猫の前足が男の顔面を引っ掻いた。
その瞬間、フッと男と手が消え、俺の金縛りが解けた。
だが、恐らくミラーを見ていなかったのだろう、左車線を走っていた車がウインカーを点けて俺の走っていた中央車線に車線変更してきた。
俺は咄嗟に左レーンにレーンチェンジした。
ぶつかった!と思って、俺の体は硬直したが、間一髪、俺は衝突を免れた。
恐怖に震える手足で減速操作をして、俺は路肩にバイクを止めた。
足が震えてサイドスタンドが中々出せない。
難儀してやっとサイドスタンドを出してバイクを降りた俺は、腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。


1667 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:34:12 ID:GbxTGrZM0
どれくらいの時間がたったのだろう、東の空が明るくなり出していた。
俺は、バイク屋の店長の携帯に電話を掛けた。
留守電に現在位置を吹き込むと、5分も待てずに再び電話を掛け直した。
そんなことを5・6回も繰り返すと眠そうな声の店長が電話に出た。
「何だよ、こんな時間に!」
イラッとした店長の声を聴いた瞬間、なぜか俺は激しい笑いの衝動に襲われた。
ゲラゲラ馬鹿笑いしながら「XX高速下り線の**辺りの路肩にいるからバイクを引き取りに来てくれ!」
「おい、何があった?事故ったのか?」
「いいから早く来いよ!大至急な!」
かなり急いできたのだろう、1時間ほどしてバイク屋のトラックが到着した。
店長の顔見ると先ほどまでの異様なテンションが水が引くように冷めていった。
そして、ガタガタと俺は震えだした。
「大丈夫かよ?」そう言って店長はお茶のペットボトルを渡した。
俺はうなづいて受け取った飲み物を飲み始めた。
その間、店長がトラックにバイクを載せる準備を始める。
「なんだよ、動くじゃねえかよ。足回りにも問題はないし、何があった?」


1668 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:35:37 ID:GbxTGrZM0
無言のまま、俺は店長の積み込み作業を横目にトラックの助手席に座った。
リフトを操作してバイクを積み込み、固定作業を終えた店長が運転席に乗り込んできた。
お互い無言のまま高速を降り、一般道に入った所で俺は店長に話しかけた。
「あのバイクさ、何か曰く付きのシロモノなんだろ?」
「・・・いや、そんな事はないよ・・・あのバイクにはな・・・」
俺はついさっき起こったことを店長に話した。
「まあ、こんな話、信じられないかもしれないけれどな」
「まあ、普通ならばな。でも、信じるよ・・・」
店長はタバコに火を点けた。
やがて、トラックは店の前に到着した。
バイクを下ろすと店長は俺を店の奥に誘った。
事務所の壁に額に入った何枚かの写真が飾られていた。
ショップ主催のツーリングやサーキット走行会の集合写真が飾られていた。
草レースの記念写真らしき写真も何枚かあった。
その中の少し古い1枚を指して言った。
「その写真の左側の男があのバイクのオーナーだよ」


1669 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:37:38 ID:GbxTGrZM0
写真の男がスクリーンの向こう側から俺の腕を掴んだ男かは判らなかった。
答えは判っていたが聞いてみた。
「この男はどうなったんだ?」
「死んだよ」
「あのバイクで?」
「いや、別のバイクだ・・・ホンダの250、VTだよ。古いバイクだ」
「事故で?」
「ああ、自損事故で・・・お前が停まっていた、あの辺りだ」
「本当に自損だったのか?」
「判らないよ・・・昔はむちゃくちゃに飛ばす人だったけどね。
結婚してからは大人しく走っていたし、子供が生まれてからは更に慎重に運転するようになっていたよ。
お気に入りだった、あの12Rだって手放そうとしていたからね。
でもさ、箱の付いた緑ナンバーで最高速アタックする奴はいないだろ?」
「・・・」
「警察に言われても、カミさんは信じちゃいなかったけどね。まあ、直線区間のあの場所で単独事故は普通に考えたら有り得ないよな。
でも、他の車両が絡んだ証拠もないしな。死人に口なしだよ」
「・・・」
「奥さんはダンナのバイクを処分せずに残してあったんだけど、今度再婚することになったんだ。
それで、もう一台と一緒にね。
もう一台のガンマは古くてパーツもないし、外装もぼろぼろだったから廃車にしたんだけどさ」


1670 :黒猫 ◆cmuuOjbHnQ:2012/08/23(木) 11:42:55 ID:GbxTGrZM0
あの晩の男が彼だったのか、それとも他の何かだったのかは俺には判らない。
だが、あの12Rに二度と乗る気は起こらなかった。
男の幽霊?云々ではなく、乗り手を異常な速度域に引っ張り込む魔力のようなものを感じて怖くなったのだ。
連日連夜、あのバイクで飛ばしていた自分の行動の異常さに、今更ながら気が付いたのだ。
バイク屋の店長には「タンデムの楽しいバイクがいいな。女の子のおっぱいが良く当たるヤツ」と言っておいた。
だが、俺の中では、バイクそのものに対する欲求は萎んでいた。
 
ところで、あの晩、潰れた男の顔を引っ掻いて俺を救った主は、行方の判らなくなった爺さんの猫『ヤマト』だと思っていた。
一宿一飯の恩義と言う奴なのか?
猫の恩返し、そんなこともあるのか・・・あの猫、やっぱり、あの火事で死んじまったのかなと、少し寂しい気分になっていた。
だが、火事から大分時間の経った、オム氏の娘のガードの仕事が終わった後のことだった。
意外な所で『ヤマト』は見つかった。
火事の直後、『ヤマト』は大家に保護されていたらしいのだが、遊びに来た孫が気に入って連れて帰ってしまったらしい。
まだ、爺さんが入院中で意識が戻っていなかった頃だ。
一応ペット禁止のアパートだったが、住人のペットを勝手に連れ去る形だったので口を噤んでいたらしい。
色々と悶着も有ったらしいが、爺さんが飼い続けることは不可能になったので、治療費は大家持ちという事で、大家の孫に譲られることになったのだ。
礼という訳ではないが、俺は無事の確認された『ヤマト』に、大家を通じて黒缶プレミアムまぐろを贈った。
 
 
おわり




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 19:00Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2012年12月23日

チルドレン(祟られ屋シリーズ⑮)

チルドレン




1573 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 05:47:12 ID:kgX5MNas0
お久しぶりです。
中途半端になっていた前回の話の続きを。
纏り無く拙い文章ですがお付き合い下さい。


少年の両親の許可を得て、俺達は彼を霊能者・天見琉華の許へと連れて行った。
詳しい事情の判らないキムさんは憮然としていた。
「まさか、お前が琉華と接触しているとは思わなかったよ・・・」
「いや、俺も好き好んであの人と関わっている訳では・・・俺だって、出来れば関わりは持ちたくないですよ」
「だろうな」
琉華の弟子の40代くらいの女性の仕切りによる儀式と琉華による少年の『霊視』が行われた。
霊視は3時間を予定していたが、40分ほどで琉華は瞑想から覚め、霊視を切り上げた。
事前に予想していた事だったが、少年からは何も得る事は出来なかった。
宿命通や他心通、天眼通といった『力』が全く通用しないらしい。
霊視が失敗に終わり、何も得る事が出来なかった・・・・・・が、それ自体が、収穫と言えた。
「・・・・・・どうでしたか?」
「そうね、この子は『新しい子供』で間違いなさそうね。封じられて切り離されてしまっているみたいだけど」
満を持してキムさんが尋ねた。
「その、『新しい子供』とは、何の事なんだ?」
俺は、琉華の方を見て訊ねた。
「話しても良いのですよね?」
「ええ、いいわ。彼にも聞く権利はあるからね」
俺は、呼吸を落ち着けてから話し始めた。
「キムさん、これはマサさんにも関わりの有る話なんです」


1574 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 05:48:40 ID:kgX5MNas0
俺が琉華から聞いた『新しい子供たち』の話は大凡、以下のようなものだ。
『新しい子供たち』とは、一部の霊能者や宗教家、占術家などの間でかなり以前から出現が予想されていた特別な子供だ。
『子供たち』の出現は『旧世代の偉大な霊力』の消滅を期に3段階を辿るとされているそうだ。
第一段階は1989年、第二段階は2005年だったらしい。
その翌年をピークに『新しい子供達』は世界中で出生していると予想されている。
出生前から確実視された極少数の例外もあったが、霊能者集団や宗教団体の探索にも関わらず、その発見は困難を極めた。
『例外』についても、霊的にだけではなく現実的な強固な護りの中にあり、霊能者や宗教家が手出しする事は不可能だった。
何人かの霊能者が遠隔での霊視を試みたようだが、結果は悉く失敗に終わった。
しかも、事態は霊視の失敗だけでは済まなかった。
その子供の霊視を試みた霊能者たちは、霊視の失敗と同時にその『霊力』を失ったのだ。
天見琉華も『子供たち』の探索を行っていた。
そして、ある特殊な事例を通じて『新しい子供たち』の謎の一端に触れる事に成功していた。
俺とマサさんは、偶然、その事案に関わっていたのだ。


1575 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 05:49:49 ID:kgX5MNas0
その日、俺とマサさんは、俺の旧い知人の店で一杯やっていた。
マスターを交えて取り留めの無い話をしていると、メールを受信した俺の携帯が鳴った。
メールの発信者は住職だった。
住職の呼び出し自体は、そう珍しい事でもなかった。
時々「たまにはアリサの墓参りに来い」だとか、「珍しい酒が手に入ったから飲みに来い」と言って俺を寺に呼びつけた。
俺自身、住職の事は好きだったので、呼び出されては寺を訪れていた。
住職はカルトに嵌ったり、誤った『行』の世界に足を踏み入れ『魔境』に陥った者に対する救済活動を行っていた。
考えてみると、俺自身が住職にとっては『救済対象』なのかもしれない。
だが、そのメールはいつもとは趣を異にしていた。
「是非、頼みたい事がある。出来ればマサさんも連れてきて欲しい」
住職が俺に頼み事をするのは初めてのことだった。
まして、面識の無いマサさんを連れてきて欲しいと言うのは只事ではなかった。
どうしたものかと悩んでいると、マサさんが「どうした?」と声を掛けてきた。
俺はマサさんにメールを見せた。
「お前の恩人なんだろ?まあ、俺もこの住職には興味があるしな・・・・・・いいよ。付き合うよ」
俺達は、指定された日に寺を訪れた。


1576 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 05:52:08 ID:kgX5MNas0
寺に到着すると意外な人物が俺達を迎えた。
山佳京香・・・かつて、俺が『仕事』で関わった女だ。
元ヨガ行者だった彼女は、所謂『超能力』に魅せられ、薬物や『房中術』を濫用し、『能力』を悪用していた。
深い『魔境』に堕ちていた彼女は、天見琉華の手により『気道』を絶たれ『能力』を封じられた。
そんな彼女を俺は住職に紹介したのだ。
『能力』を封じられたはずの彼女は以前とは質の異なる強い『気』を発していた。
住職に引き合わせた頃・・・・・・琉華の手による『処置』と『行の反動』で憔悴し切っていた様子からは信じられない回復ぶりだった。
既に還暦に達しているはずだったが、見掛けは四十代くらいにしか見えない。
「なぜ、アンタがここに居るんだ?」
「住職にはお世話になっているからね。そちらが貴方の『先生』ね。
早速で悪いのだけど、一緒に来ていただけるかしら?住職が待っているわ」
京香の運転する車に15分ほど揺られていると旧い作りの民家に到着した。


1577 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 05:53:23 ID:kgX5MNas0
寺で京香に出迎えられた時点で、俺は嫌な予感がしていた。
そして、その予感は的中した。
京香に続いて門を潜るとマサさんが言った。
「結界だ・・・この感じは、多分、琉華だな・・・・・・」
俺にとっても、マサさんにとっても天見琉華は、余り接触したい相手ではない。
「どうする?・・・・・・戻るなら、今のうちだぞ?」
「ここまで来て、そうもいかないでしょ。住職に挨拶だけでもしないと・・・・・・」
「・・・・・・そうだな」
 
門を潜ると妙な臭気が鼻を突いた。
何の臭いだろう?
玄関を開けると家主だという若い男性が俺達を迎えた。
強烈な臭いが屋内を満たしていた。
獣臭とも屍臭ともつかない、吐き気を催す類の臭いだ。
家主はこの臭気に全く気付いていない様子だった。
俺達は奥の部屋へと通された。


1578 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 05:54:26 ID:kgX5MNas0
居間では、品の良さそうな老夫婦と住職が俺達を待ち構えていた。
老夫婦に挨拶してから俺はマサさんを住職に紹介した。
「彼が、何度かお話した事のある『マサさん』です」
「そうか、この方が・・・・・・無理なお願いを聞いて頂いて、かたじけない。よく来て下さった」
暫くマサさんと話をした後、住職は襖を開け隣の部屋に俺達を通した。
12畳ほどの和室の中央に一人の男が横たわっていた。
住職は俺に尋ねた。
「お前さん、彼をどう見るかね?」
「生きているのが不思議な程に精気が抜け切っていますね。
・・・・・・これに似た状態の人間を以前に見た事がありますよ。
その人物は、質の悪い行者に房中術で精気を抜かれていたんですけどね。
・・・・・・そう、アンタの被害者の松原にそっくりだよ。何でこうなった?」
俺は、住職の傍らに座っていた山佳京香に向って言った。
一目見て判った。
質の悪い『世界』に繋がっている・・・・・・そして、彼を『通路』にして『魍魎』が湧き出していた。
「判る?・・・・・・彼はね、以前の私と同じなのよ。それが、私が送り込まれた理由。経験者ってことね」
何となくだが、事情は理解した。
だが、彼は既に手遅れに見えた。
虚ろな目は開いているだけで何も見てはおらず、精気の抜け切った身体は死体のようだった。 
 
俺達の前に横たわる男、それが、寺尾昌弘だった。


1579 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 05:56:43 ID:kgX5MNas0
寺尾昌弘は30代後半の日本人男性だった。
彼は、特殊な経歴の持ち主だ。
中学生の頃から『行』の世界に興味を持ち始め、没頭してきたのだ。
彼が多くの『修行者』と異なっていたのは、敢えて『師』を持とうとはせず、自らの手で『行法』を組み立てたことだった。
中学生ではあったが、『宗教的師弟関係』や『教祖的個人信仰』の欺瞞や危険性に気付いていたのだ。
だが、自己流の『行』に邁進した結果、彼を待っていたのは深い『魔境』だった。
 
寺尾の両親の話では、彼が『修行』にのめり込む切っ掛けが何だったのかは良く判らないようだ。
だが、中学生だった彼は急にオカルトやスピリチュアル系の書物を読み耽り、収集するようになった。
寺尾の両親は多忙を極めており、寺尾の学業成績はトップクラスをキープしていたので『変なものに興味を持ったな』と思ったくらいで特に干渉はしなかったようだ。
しかし、高校生になると、寺尾の『修行』は奇行と呼べるレベルに達した。
部屋に引篭り、日によっては10時間以上も『修行』に没頭した。
学校も欠席しがちとなり、出席日数は進級・卒業に必要なギリギリの日数だったようだ。
だが、目覚めている時間の殆どを『修行』に費やしている感のあった彼は、第一志望の難関大学に現役で合格した。
周囲は彼の『快挙』を喜ぶよりも、何故?と薄気味悪く思ったそうだ。
大学生となった彼は益々『修行』にのめり込んだ。
さらに、アルバイトで資金を貯めては、一回数10万円もする海外のセミナーにも参加するようになった。
寺尾は留年を重ね、両親は彼の将来を半ば諦めていた。
だが、大学6年生の時、寺尾は何か憑物が落ちたように『修行』をキッパリと止め、今までの遅れを取り戻すかのように勉学に励んだ。
放校寸前の8年生でどうにか卒業し、大学のブランドも効いたのだろう、大手企業への就職も決めた。
やがて同じ職場の女性と結婚し、海外赴任中に長女にも恵まれた。
曲折はあったが寺尾の人生は順調そのものに見えた。
だが、海外赴任から戻った息子と再会した時、寺尾の両親は戦慄した。
一時帰国時には気付かなかったのだが、寺尾は以前の彼に戻っていたのだ。


1580 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 05:58:34 ID:kgX5MNas0
案の定、寺尾は『修行』を再開していた。
寝る時間も惜しんで『修行』に没頭し、無断欠勤を重ねて会社を解雇された。
失業後、暫くすると寺尾は失踪した。
寺尾の失踪後、妻は娘を連れて実家に戻った。
だが、実家に戻って暫くすると、寺尾の妻は幼い娘を残して自殺した。
更に、娘が事故死し、孫娘を引き取っていた寺尾の妻の両親も死亡している。
事故とは言え、孫娘を死なせた事を苦にしての覚悟の心中では?と噂されたようだ。
妻の実家が死に絶えた数ヵ月後の事だった。
寺尾夫妻に警察から連絡が入った。
失踪していた息子が保護されたというのだ。
入管が不法滞在の外国人女性宅に踏み込んだ際、その女性の部屋に心神喪失状態の寺尾がいたらしい。
財布に入っていた、期限切れの運転免許証から身元が判明したようだ。
複数の医師に掛かったが、寺尾は心神喪失状態から回復しなかった。
やがて、自宅療養する寺尾の周りで、妙な現象が多発するようになった。
『怪現象』だけではなく、夫妻は連日悪夢に襲われるようにもなった。
寺尾が大学生の頃、夫妻の相談に乗っていた人物がいた。
その人物を介して紹介されたのが、誤った『行』に嵌り込んで『魔境』に堕ちた若者を数多く救ってきた住職だった。
 
住職を尋ねてから、寺尾夫妻は息子の修行遍歴・・・・・・参加したセミナーや接触した組織について調査した。
調査を進めると次々と意外な事実が明らかになっていった。


1581 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 05:59:35 ID:kgX5MNas0
職場結婚の筈だった寺尾と妻の出会いは、学生時代に参加したとある海外セミナーでの事だったようだ。
寺尾の妻は帰国子女だ。
驚いた事に、妻の実家の両親はセミナーの主催団体の有力幹部だった。
セミナー参加の為に渡航する度に寺尾は妻とその両親の家に滞在していたらしい。
そんな事実は息子からも、妻の両親からも聞かされていなかった。
寺尾の妻の両親はその団体の幹部であり、妻も会員だったが、寺尾自身は団体に加入していなかった。
妻の団体だけでなく、彼は『行』の情報を収集する為に各種のセミナーに参加し、様々な団体と接触していたが、特定の団体に所属する事は無かった。
あくまでも、自分で組み立てた『行』を補完し、改良する為であり、特定の人物に師事したり宗派に帰依する気は無かったらしい。
寺尾の両親は息子夫婦の海外赴任中の様子を元同僚などに当たって調査した。
海外赴任中の寺尾夫妻の評判は芳しくなかった。
特に、妻が駐在員の家族や現地人の同僚などを熱心にとある団体の無料セミナーなどに勧誘していた。
その勧誘は執拗で、苦情が入り寺尾は直属の上司から叱責も受けていたらしい。
「息子さん夫婦が参加していたのは、どういった団体だったんですか?」
「ヨガを元にした『人間を超越する瞑想修行』という触れ込みのセミナーだったようです。
セミナーの主催者は宗教団体ではなく、韓国系のフィットネス事業を展開する企業だったみたいですね。
『韓国発祥のヨガ』をベースにした『脳力』と『丹力』を開発すると言う触れ込みの『行』だったようです」
「韓国発祥のヨガって・・・・・・まあ、ヨガに似た『行』は無い事もないのですけどね・・・臭ぇ・・・詐欺の臭いしかしないな」
「ローンを組ませて法外な料金を請求したり、講師が受講者に性的暴行を加えたりして、向こうでは訴訟も起されているみたいですね。
息子夫婦が参加していたのは、その分派の団体だったようですが・・・・・・」


1582 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:01:04 ID:kgX5MNas0
京香が言った。
「オウム事件の前、まだ日本経済が元気だった頃ね。
日本の大手企業が瞑想行や断片的な『行』を社員研修に積極的に取り入れていたことがあるのよ。
それに倣って、欧米の大企業でも瞑想セミナーが流行ったみたいね。
日本での『流行』が下火になると、向こうでも廃れていったみたいだけど・・・・・・最近、また流行り出しているらしいわ。
その団体も勤め先の企業に浸透する目的で息子さん夫婦に近付いたのかもね」
「私も、そう思います。
ただ、息子の場合、更にそこからいかがわしい連中と付き合うようになったみたいです」
住職が俺の前にi-podを差し出して言った。
「お前さん、これをどう思う?」
俺は、i-podの中身を聞いてみた。
日本人の男性の声・・・・・・寺尾本人の声か?
自律訓練法に似た手法で肉体の緊張を取り去った上で、瞑想上の指示を与えているようだ。
自己催眠とも言えるか?
自分の音声を利用して、一定の瞑想手順を反復して、一種の『条件反射』を形成させる目的のモノのようだ。
条件反射化されるものには瞑想中の生理的反応、『丹光』のようなビジョンも含まれていた。


1583 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:02:03 ID:kgX5MNas0
「面白いだろ?
元々は日本人の瞑想家が開発した手法らしいが、これはその応用だな。
色々と工夫が凝らされているようだ」
京香が続けた。
「言葉じゃなくて、バックグラウンドの音声を注意して聞いてみて。
・・・・・・多分、貴方には判るはずよ?」
バックグラウンドには脈動するような独特な金属音が流れていた。
・・・・・・深い瞑想状態に入ったときに聞こえてくる『音』
マサさんから『導通』の儀式を受けた時に聞いた『音』にも良く似ている。
「聖音か?」
「そう。・・・・・・呼び名は色々有るけれど、これを作った人たちはアストラル・サウンドと呼ぶらしいわ。
個人の脳波や心拍をサンプリングしてシンセサイザーで作った音のようね。
機械的な反復による瞑想の条件反射化に加えて、外部から強制的に深い階層まで瞑想をコントロールする目的のようね・・・・・・
自力の瞑想では、薬物を使っても同じ瞑想状態を再現する事は難しいから・・・・・・これは、良く出来ているわ」
「しかし、どうなんだろう?そんなことで瞑想をコントロール出来るのかね?
仮に出来たとしても、肉体的なコンディションを無視して無理やり深い瞑想に入るの危険なのでは?
例えば、間違って『三昧』に入り込むと戻って来れなくなるんじゃないかな?」
「そうね。・・・・・・その、成れの果てが今の彼ね」


1584 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:03:35 ID:kgX5MNas0
寺尾の部屋からは、『瞑想指示』を吹き込んだ大量のカセットテープが見つかっている。
どうやら、似たような手法の『行』を行う団体と接触して、寺尾は再び『行』の世界に引き込まれたようだ。
住職は言った。
「彼の陥っている魔境は深い。
一度『行』の世界にのめり込むと、逃れても逃れても『行』が人を引き戻しに掛かってくる。
彼はその典型例と言えるだろう。
全てを奪い尽くしながら人を捕らえ、場合によっては命までも喰らい尽くす・・・・・・
一度堕ちた魔境から逃れることは、一生を掛けた大事業なのだよ」
 
救済活動に勤しむ住職や寺尾の両親を前に口にこそ出さなかったが、俺には寺尾の『救済』は不可能に思えた。
見たところ、既に彼は『向こうの世界』から戻って来れなくなっており、戻ってくる生命力も残っては無さそうだった。
そして、マサさんに続いてi-podの音声を文章に書き起こした物を読んだ時、俺の背中に嫌なものが走った
俺もマサさんも敢えて口に出す事はしなかったが、寺尾の『行』には非常に危険な、一種の『奥義』に属するものが含まれていたのだ。
 
「マサさん、あれは・・・・・・」
「ああ、『移入の行』だ。自己流であそこまで到達したのなら大したものだ。とんでもない天才だよ。
・・・・・・だが、全くの自己流だったとしたら不味いな。行の『禁則』は知らないだろうからな」
 
『移入の行』は、俺がイサムとパワースポット巡りのツーリングに出た際、『治療』の最終段階として行ったものだ。
『行』の内容を簡単に言えば、イメージの力によって『もう一つの体=幻体』を作り出し、『幻体』に意識を移入するというものだ。
『幻体』とは、瞑想により没入した精神世界における肉体といった存在だ。
この幻体を使って『行』を行うのだ。
俺は、この『幻体』を用いた行で、厳しく禁じられていた『丹田から尾底に気を送り込む行』を行い、『二次覚醒』を起こす事に成功した。
要するに、これまで起こらないように必死に抑え続けてきた『二次覚醒』に伴う肉体的損傷を『幻体』に肩代わりさせたのだ。
マサさんやキムさんの元で続けてきた修行や、シンさんに指定されたパワースポットを巡っての『気の取り込み』はその為の準備と言えた。
この『移入の行』によって、ようやく俺は修行を辞めても大丈夫な状態に戻る事が出来たのだ。


1585 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:05:02 ID:kgX5MNas0
『移入の行』により没入する世界は、現実世界と殆ど見分けの付かない非常にリアルな世界だ。
視覚や聴覚だけでなく、味覚や触覚・・・肉体に備わった全ての感覚があるのだ。
むしろ、その感覚は現実世界のそれよりも冴えてクリアでさえある。
現実世界と異なるのは、精神世界に属する世界であるが故に時間感覚が存在しないこと。
そして、望みさえすれば何でも叶うと言う事だ。
宗教的修行者は、この精神世界で『師』を得る事が出来る。
そして、この精神世界における『師』を得る上で、宗教的な信仰が大きな力となる。
祈りを捧げ続けた『神』の存在が『師』を生み出すのに必要なイメージの核となるからだ。
他方で、精神世界であるが故に、その人の持つ欲望がダイレクトに反映される。
いや、欲望の反映された世界が『移入の行』により『幻体』が活動する世界と言えるだろう。
それ故に、宗教的修行者たちは持戒し、厳しい行や宗教的修行によって欲望を昇華し、止滅させなければならないのだ。
俺の場合は、宗教的な『行』としてではなく、肉体の代用、或いは身代わりとして『幻体』を利用したかっただけなので、持戒や欲望の昇華は問題ではなかった。
繋がった『世界』が地獄であろうが餓鬼であろうが問題はなかったからだ。
唯一つ厳重に注意されたのは『移入の行で没入した世界で肉体的な欲望を果たしてはならない』と言うものだった。
『幻体』を用いて没入した『世界』は精神世界に属することから、欲望を果たす事による『快楽』は肉体次元とはまるで比較にならないのだ。
その強烈な『快楽』ゆえに、食欲や肉欲といった肉体的欲望を果たすと『幻体』に移入した意識・・・魂が幻体に定着し、現実世界に戻って来れなくなるのだ。
マサさんの言う『禁則』とは、この事を指す。
そして、心神喪失状態のまま意識の戻らない寺尾は、『禁則』を知らないまま瞑想世界の『快楽』に囚われてしまっている可能性が高かったのだ。


1586 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:06:49 ID:kgX5MNas0
大凡の事情が説明された後、山佳京香に俺は言った。
「それで、俺にどうしろと?俺に出来る事は無さそうだけどな」
京香が答えた。
「琉華『先生』の指示を伝えるわ。
先生が準備を整えて此処に来るまで、貴方には『それ』を使って瞑想を行っていて欲しいと言う事よ。
私はそのフォローの為に此処に送り込まれてきたの」
「?」
怪訝な顔をする俺にマサさんは言った。
「鉄壷の供養を覚えているか?以前お前に遣らせた『同化の行』の初歩だ。
琉華がお前に遣らせようとしているのは、恐らく、その応用・・・『移入の行』との合わせ技だな。
彼と同じ瞑想行を行って『慣らし』てから、彼に対する『同化の行』をやらせようとしてるのさ」
「そんなことできるんですか?」
「そう難しい事じゃない。霊能者や霊媒師にとっては初歩的な『技術』だ。
・・・・・・だが、これは俺が遣らせて貰う。
ダメだと言うなら、この話はご破算だ。俺は、コイツを連れてこの場を立ち去る」
「私の一存では決められないわ。琉華先生に聞いてみる」
京香は天見琉華に電話を掛けた。


1587 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:07:52 ID:kgX5MNas0
どうやら、天見琉華は、マサさんの申し出を飲んだらしい。
マサさんは寺尾のi-podを使って瞑想を開始した。
この瞑想法の原型は、今では余り見かけなくなったテープレコーダーを利用して行うものだった。
瞑想状態に誘導する基本的なシナリオから、個人の瞑想段階に応じて編集を重ねる。
テープの編集を繰り返して『育てる』ものらしい。
寺尾のそれは、かなりの段階まで『育った』完成形に近いものだったようだ。
一回の瞑想に要する時間は2時間弱。
他人のリズムや音声によるものだった為か、マサさんをしてもかなり消耗が激しかった。
俺と京香による気の注入を行いながらでも朝晩1回づつ、1日2回が限界だった。
だが、10日ほど繰り返すと慣れてきたのか、1日3回をそれほど消耗する事無くこなす事が出来るようになった。
半月が経過した、天見琉華が来る前日の事だった。
マサさんが言った。
「琉華がお前に、本当は何をさせようとしていたか判るか?」
「いいえ」


1588 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:09:01 ID:kgX5MNas0
「お前にも判っているんだろ?
彼の両親には悪いが、寺尾はもう助からない。俺達が此処に来た時点で手遅れだった」
「でしょうね・・・・・・。
で、琉華のオバサンは俺に何をさせようとしていたんですか?」
「文字通り『同化』だよ。同化と言うよりは『入れ替わり』だな。
思考や精神を持った『人間』に対する『同化の行』は、お前が思っている以上に危険なんだよ。
狂人と接触している人間の精神が徐々に狂って行くって話を聞いたことはないか?
自我の弱い普通の人間の精神が、強烈な『狂人の精神』に侵食されて起こる現象だ。
深い瞑想状態・・・・・・潜在意識の階層では人間の自我の境界、防壁は曖昧になる。
寺尾の瞑想法は・・・・・・多くの瞑想行がそうなんだが、あの手法は自我の境界が消失するような深い瞑想状態でも自我を保つ為の訓練だ。
顕在意識での思考を潜在意識、或いは集合的無意識の階層まで送り込む手法でもある。
寺尾は長年『瞑想行』を続けていて潜在意識下で『意識』を保つ力が強いんだよ。
そんな奴に、精神的に丸裸のお前が『同化』したらどうなると思う?」
「さあ・・・・・・寺尾の性格に近くなるとか?」
「そんなに甘くは無い。
奴に精神を『乗っ取られる』ぞ?並みの憑依なんて生易しいものじゃない。
『あっち側』から戻って来れなくなってる奴には渡りに船だ。逆に、お前が奴の繋がっている世界から戻って来れなくなるだろうな」


1589 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:10:26 ID:kgX5MNas0
俺の背中にゾクッと冷たいものが走った。
「何のためにそんな?」
「さあな。実際遣ってみなければ判らない。
ただ確かなのは、琉華はお前を寺尾から何かを得る為の道具に仕立て上げようとしていた。・・・・・・使い捨てのな。
俺を呼びつけたり、お前と『気の交流』のある山佳京香を寄越している時点で薄々感付いてはいたんだが・・・・・・」
マサさんは深刻な表情で言った。
「恐らく、俺の力だけでは寺尾の繋がっている世界からは戻って来れないだろう。
そこで、お前に頼みたい。寺尾の中から俺を引き上げて欲しい。
やり方は簡単だ。俺に対して『移入の行』を行って、俺とお前が共有する強烈なイメージを利用して俺を引き上げてくれれば良いのだ。
イメージは・・・・・・あの『井戸』を使え」
更にマサさんは続けた。
「もし、俺が戻って来れなかったら・・・・・・目覚めなかった時は、俺を置いて、お前は直ぐにこの場から立ち去れ。
逃げるんだ。出来れば、この国から立ち去って二度と戻ってくるな。
もしもの時の事は、『ヤスさん』に頼んである。
琉華はお前を使い捨てにしようとした。つまり、組織はもうお前に利用価値はないと判断しているという事だ。
組織にとって無価値なだけではなく『邪魔』と判断されたら、場合によっては消されるぞ?」
 
翌日の夕方、天見琉華はやってきた。


1590 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:11:28 ID:kgX5MNas0
深夜0時に向けて、儀式の準備が着々と進められた。
寺尾を囲むように四体の仏像が置かれた。
住職によると「四天王だな」と言うことだった。
東の持国天、南の増長天、西の広目天、北の多聞天・・・四方を護る守護神の視線が寺尾に集中していた。
琉華がマサさんに技法の説明をしている。
寺尾にi-podのイヤホンを嵌め、マサさんも同様に装着した。
マサさんが琉華を挟んで寺尾の横に横たわった。
琉華が中央で二人の胸に手を置いて座る。
深夜0時、同時に2台のi-podのスイッチを入れ、琉華が『マントラ』を唱え始める事によって『儀式』は開始された。
儀式開始2時間が経過しようとした頃、『瞑想終了』の指示が流れる前にi-podは停止された。
此処からが本番だ。
午前3時を過ぎた頃、琉華のマントラ詠唱は止まった。
やがて、部屋の中に異変が起きた。
この民家の玄関を潜った時に感じた臭気・・・・・・獣臭とも死臭とも知れない悪臭が漂い出したのだ。
この悪臭には、家主や寺尾の両親も気付いたようだ。


1591 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:12:25 ID:kgX5MNas0
寺尾の母親が不意に「ひぃっ!」と悲鳴を上げた。
壁際の本箱のガラス戸に人影が写っていた。
真っ青な顔をした血塗れの女の姿だった。
家主の男性が「うわっ」と声を上げた。部屋のあらゆる物陰から、気味の悪い顔をした沢山の男女がこちらを睨んでいた。
こんなあからさまな『霊現象』は俺も初めてだった。
俺の頭は混乱の極みだった。
悲鳴を上げたり失禁しなかったのは我ながら上出来だ。
もし、一人でいるときにこの状況に遭遇したら正気を保っていられる自信はない。
俺は琉華達の方を見た。
寺尾の体から、目では捉えきれない『何か』が湧き出していた。
これは見覚えがある・・・『魍魎』・・・以前、山佳京香の体から湧き出してきたものと同質の物の怪だ。
寺尾の体から湧き出した『魍魎』は床と壁を伝って天井に集まった。
そして、家主も寺尾夫妻も、京香も俺も天井に目を奪われた。
天井一杯に巨大な人の顔が浮き出していた。
俺達はパニック寸前だった。
その瞬間、『ぱぁん!』と大きな拍手の音が室内に響いた。
住職だった。
拍手の音が響いた瞬間、部屋からは臭気も『顔』も、魍魎も消え去っていた。
寺尾を中心に漂っていた嫌な空気の全てが霧散していた。
ガラッと変った部屋の空気に俺達は困惑した。
住職によると『場の空気』に飲まれて、俺達は同じ幻覚を見ていたらしい。
住職の拍手によって『夢見』の状態から目覚めさせられた、と言うことのようだ。


1592 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:13:37 ID:kgX5MNas0
俺は住職と京香に寺尾と琉華の処置を頼んで、マサさん対する『移入の行』を行った。
『移入の行』自体は事前にシミュレーションしていた事もあってすんなり進んだ。
『リンガ・シャリラ』の瞑想状態に入って道を辿った。
だが、井戸が見つからない。
そう、俺は『井戸の地』への道筋を知らないのだ。
焦った。
だが、心が乱れれば『移入の行』は解けてしまう。
俺は「落ち着け、落ち着け!」と自分に言い聞かせた。
道を辿っていると、いつの間にか見覚えの有る砂利だらけの道を歩いていた。
何処からか複数の子供の笑い声が聞こえる。
声のする方に向って歩いていると、不意に背後から、耳許に『アッパ』という生々しい男児の声が聞こえた。
驚いて振り返ると、其処には、あの井戸があった。
俺は井戸に蓋をしている黒い石を抱えた。
恐ろしく重かったが何とかどける事が出来た。
恐る恐る井戸の中を覗いた。
井戸の中には、真っ黒なドロドロとした『闇』が詰まっていた。
俺はマサさんの名を有らん限りの大声で呼んだ。


1593 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:15:20 ID:kgX5MNas0
井戸の闇の中から白い人間の腕が出てきた。
俺は、その腕を有らん限りの力で引き上げた。
だが逆に、俺は井戸の中に引きずりこまれた。
無数の手が俺を井戸の底へと引き込む。
目の前が真っ暗になって、俺は意識を失った・・・・・・。
 
どれくらいの時間が経ったのか、俺はマサさんの胸に手を置いた状態でマサさんの横に座っていた。
何時間も経った気がしたが、俺がマサさんに対する『移入の行』を始めてから1時間も経ってはいなかった。
マサさんは、未だ目覚めてはいない。
『ダメだったか・・・・・・』そう思った瞬間、マサさんが目を見開いた。
琉華がマサさんに声を掛けた。
「どうだった?」
マサさんが頭を抑えながら言った。
「沢山の子供達が・・・・・・何だったんだ、あれは?寺尾はどうなった?」
俺とマサさん、住職は琉華に促されて部屋を出た。


1594 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:16:28 ID:kgX5MNas0
マサさんは青い顔をしてまだグロッキー状態だった。
再度、琉華がマサさんに何を見たか尋ねた。
マサさんは暫し考え込んでから答えた。
マサさんが見たもの・・・それは、数十人の子供達だった。
寺尾=マサさんは気付かれないように子供達を観察していた。
子供達は何かを話していたが、何を話しているのかは判らなかったようだ。
『瞑想世界』で見聞きした事を顕在意識下に持ち帰る・・・・・・覚醒後も覚えているには一定の精神操作が必要だ。
マサさんは『精神操作』を行った。
その瞬間、子供達の視線がマサさんに集中した。
『しまった!』と思ったのと同時に突然『何か』が現れ、マサさん=寺尾を喰った。
喰われた瞬間、マサさんは意識を失ったと言う事だ。
マサさんは琉華に尋ねた。
「あれは、何だ?」
「はっきりした事はまだ言えない・・・・・・敢えて言うなら『新人類』・・・私達とは違う新しい人間。
肉体的・物質的には判らないけれど、霊的・精神的にはホモ・サピエンスとは別種の人類かも知れない、そう言う存在よ」


1595 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:17:32 ID:kgX5MNas0
琉華は、事のあらましを話し始めた。
 
天見琉華は、知り合いの霊能者からある老夫婦の紹介を受けた。
面会した時、その老夫婦は何かに酷く怯えていた。
老夫婦の『恐怖』の対象は、まだ幼い孫娘だった。
孫娘の父親は失踪していた。
夫の失踪後、娘が子供を連れて実家に戻ってきたが、間もなく自殺している。
実家に戻ってきた頃からノイローゼ気味で、孫娘に酷く怯えていた様子だった。
そして、老夫婦もまた、娘の自殺後、孫娘の『異常さ』に気付いた。
ある宗教団体の祈祷師に孫娘に取り憑いた『悪霊』を祓う為の祈祷を依頼した。
だが、孫娘の異常さは『憑依』によるものではなかった。
祈祷師に紹介された霊能者を通じて天見琉華が紹介された。
孫娘を視た霊能者が、この娘が琉華達の探している『新しい子供』ではないかと疑いを持ったからだ。
老夫婦と面談した琉華は、知り得る限りの情報を老夫婦から聞き出した。
そして、孫娘との面談の日を取り決めた。
老夫婦は一刻も早く、出来ればその日のうちにでも孫娘を琉華に引き渡したい様子だったらしい。
だが、『霊視』を行う約束の日の直前、孫娘が事故死した。
マンションのベランダから転落死したらしい。
琉華たちは老夫婦と接触しようとしたが、警察の取調べが続き、なかなか接触できなかった。
ようやく面談のアポを取ったが、老夫婦は台風で増水した川に乗っていた車ごと転落し、死亡してしまった。
周囲では、孫娘を死なせた事を苦にしての心中ではないかとも噂されたようだ。


1596 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:19:20 ID:kgX5MNas0
『新しい子供たち』を知る為の糸口は失われた・・・と思われたが、意外な所から切れた糸が繋がった。
山佳京香から、住職の許を訪れた寺尾夫妻の話がもたらされたのだ。
彼らの息子こそが、問題の孫娘の失踪した父親、寺尾昌弘だったのだ。
 
「俺にはいまひとつピンと来ない話だが、要するにアンタが寺尾から娘について・・・・・・『新しい子供達』の情報を得ようとしていた事は判った。
だが、何で俺とマサさんが呼び出されたんだ?
俺では明らかに力不足だし、マサさんには関わりの無い話だろ?
其処の所の納得のいく説明をして貰いたい」
「それには、まず、彼に目を覚まして貰わないとね。
とりあえず、彼を現実世界に引き戻す為の道筋は付いたわ。
京香にマサ、それにアナタにも手伝って貰うわよ。
彼は『旧世代』の大人で、『新しい子供達』と精神世界で接触した、私の知る範囲では唯一の人間だからね」


1597 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:20:50 ID:kgX5MNas0
マサさんの『術』によって『道筋』を付けられた寺尾は、琉華の術によって意識を取り戻した。
だが、衰弱が激しく、話の出来る状態に回復するには俺とマサさん、京香による三交代で三日三晩『気』の注入を行い続けなければならなかった。 
大量の『気』の注入によって一時的に回復した寺尾は琉華の質問に答える形でこれまでの経緯に付いて話し始めた。
 
寺尾家は厳格な教育一家だったようだ。
物心付いた頃から勉強ばかりで、同年代の子供たちと遊んだ記憶は殆ど無かった。
多忙な両親は寺尾を同居していた父方の叔母に任せ切りで、彼の記憶では父に褒められた事も、母に甘えたことも無かった。
更に、寺尾の叔母には家族も知らなかった『特殊な性癖』があった。
頼るべき両親には勉強勉強と責め立てられ、叔母からは異常な欲望の捌け口にされた寺尾にとって、安らぎの場所であるべき家は牢獄だった。
いつの頃からか、そんな『牢獄に閉じ込められた』昌弘少年の許を毎晩のように訪れる女性が現れるようになった。
彼女は話し疲れるまで彼の話を聞き、父の代わりに褒めてくれた。
彼は母の代わりに彼女に甘え、話し疲れると彼女の胸に抱かれながら眠りに就いた。
少し考えてみれば、その女性が実在しない『幻影』であることは子供だった彼にも判った。
だが、彼女の『存在』が昌弘の救いとなっていたのは確かだった。
寺尾は言った。
「彼女の存在が無ければ、僕は生きてはいられなかっただろう」と。
長ずるに従って『彼女』の出現頻度は少なくなっていき、中学受験が終わるとピタリと現れなくなったそうだ。
難関を突破して、厳格な父親が彼をはじめて褒め、母親が彼を抱きしめた夜だった。


1598 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:22:42 ID:kgX5MNas0
『幻の女』が消えてから、寺尾は『魂の渇き』に苛まれた。
自分を追い込めば再び彼女が現れるかもしれない、そう思って猛勉強に励んだ。
全国的な秀才揃いのその学校でもトップクラスの成績を維持し続けたが、『彼女』が姿を現すことは無かった。
そんな彼が、偶然一冊の本を目にした。
クラスメイトが持ち込んだオカルト系の雑誌だったようだ。
普段の彼なら「くだらない」と言って、直ぐに読むのを止めただろう。
だが、その中に印象的なストーリーが書かれていた。
山で一人暮らしする孤独な男が、寂しさの余り女の『幻影』を生み出し、やがて『幻影』に魂が宿った。
男は魂の宿った『幻影』を妻として幸せに暮らしていたが、ある日突然に妻は姿を消した。
悲しみに打ちひしがれた男は人里に下り、悟りを開く為に仏門に入った。
やがて、修行を重ねた男は妻の魂と再会を果たした・・・・・・と言った話だったらしい。
他愛の無い話だが、寺尾には強烈なインパクトを与えたようだ。
『彼女』が自分の精神が生み出した『幻影』であるなら、自己の『精神』の探求によって再会を果たせるのではないか?
彼女の『幻影』に宿っていた『魂』と接触する方法が有るのではないか?
寺尾は心霊や瞑想、超能力開発関連の書籍を読み漁った。
『方法』を模索する中で興味深い手法に行き当たった。
例のテープレコーダーを利用した瞑想法だった。
本に従って瞑想を行ったが、中々上手くは行かなかった。
試行錯誤の上、瞑想中に様々な光やビジョンを目にするようになったが、それと同時に強烈な恐怖心が沸き起こった。
瞑想を行う事に底知れない恐怖を感じるのだが、瞑想を辞められない。
『恐怖心』は瞑想を行っていない時にも沸き起こった。
やがて、彼は自殺未遂事件を起した。
得体の知れない何かに追われ、近所のマンションの廊下から飛び降りたのだ。
再三の両親の説得と『瞑想』に対する恐怖心から、瞑想行を辞めようと思い立った翌日の事だった。


1599 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:23:57 ID:kgX5MNas0
寺尾は『瞑想』を止められなくなった。
恐怖から逃れる為に恐怖の対象である『瞑想』を続ける・・・・・・理解し難い、まさに『魔境』に嵌った状態と言えるだろう。
寺尾は『瞑想法』の効果自体には確信があった。
この『瞑想法』は透視能力・・・・・・所謂『天眼通』を得る事を目的とした手法として紹介されていたが、『願望達成法』としても効力があった。
寺尾の手法は、所期の目的は得られていなかったが、『願望達成法』としては目覚しい効果があったからだ。
彼は手法自体ではなく、中身・・・・・・『シナリオ』に改善の余地ありと考えた。
彼は、自分の『瞑想法』をカスタマイズする為に更に様々な書籍、様々な団体の修行メソッドを研究した。
その過程で後に妻となる女性とその家族にも出会った。
やがて、幾つかの能力が開花し、宗教団体や修行団体の勧誘を受けるようになった。
だが、寺尾は特定の宗教団体に所属したり、特定の人物に師事しようとは思わなかった。
特定の宗派や教義、『指導者』と結び付いた『瞑想』は強烈な『洗脳』に成り得ること・・・・・・特に、自分の行ってきた手法が強烈な洗脳手法であることに気付いていたからだった。
やがて、寺尾は自らの『瞑想法』を完成させた。
『瞑想世界』で懐かしい『彼女』と再会したのだ。
寺尾は『瞑想世界』に耽溺した。
やがて、瞑想世界が彼の『生活の場』となった。
だが、ある日を境に寺尾は瞑想行を止め、現実世界に生きるようになった。


1600 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:25:05 ID:kgX5MNas0
何故、瞑想行を止め『瞑想世界』から戻ってきたのかについて、寺尾は中々話そうとはしなかった。
だが、やがて寺尾は重い口を開いた。
先に述べたように、修行者の『瞑想世界』における禁則事項が幾つか有る。
その中で特に重要なものとして、根源的な生物的欲求・・・・・・食欲や性欲を『瞑想世界』で満たしてはならないというものがある。
精神世界に属する『瞑想世界』での快楽は、肉体と言うフィルターを通さない分ダイレクトで強烈な快感となり依存性が高いのだ。
いや、依存性などと言う生易しいものではない・・・・・・垣間見た『世界』に魂のレベルで結び付いてしまうのだ。
この性質を逆用しようと言う宗派も存在する。
『神』と交歓して神界と繋がろうという邪宗だ。
だが、『行』のみで『持戒』や『功徳』の無い者が繋がる世界は、殆どの場合『地獄』や『餓鬼』といった低い世界となる。
寺尾は『瞑想世界』で、再会した『女』と夫婦になった。
現実世界で女性経験の無かった寺尾は瞑想世界での『妻』との行為に耽溺した。
だが、かつての山佳京香がそうだったように、やがて寺尾も自分の繋がっている『世界』の本当の姿を思い知る事になる。


1601 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:26:05 ID:kgX5MNas0
瞑想世界で寺尾は子を設けた。
『行』により瞑想世界と現実世界を行き来するたびに、『娘』は驚くほどの速さで成長した。
そして、娘が12・3歳の姿まで成長した時にそれは起こった。
『娘』が『妻』を殺して喰ったと言うのだ。
それだけではなく「お父さんも食べて」という娘の言葉に逆らえずに、娘と一緒に妻の『肉』を貪ったというのだ。
血の滴る妻の『肉』は恐ろしく美味で、一度口にすると止まらなかったそうだ。
更には、妻の肉を貪りながら寺尾は娘とも交わった。
妻の時とは比べ物にならない快楽が寺尾を捕らえた。
妻の肉を喰らい尽くし、娘の中に精を放ちつくした瞬間に、恐ろしいほどの渇きと共に寺尾は『正気』に戻った。
自分の居る『世界』の本当の姿を目の当たりにしたのだ。
 
マサさんが静かに言った。
「餓鬼道だな」
寺尾は瞑想行を止め、現実世界に戻った。
放棄していた学業を再開し、遅れ馳せながら就職活動を行い、就職後は仕事に邁進した。
寝る間も惜しんで・・・・・・いや、眠りから逃げるように。
瞑想を止めても寺尾は悪夢に襲われ続けた。
毎晩のように『娘』が現れ、寺尾と娘は交わりながらお互いの肉を貪り合っていたのだ。


1602 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:27:12 ID:kgX5MNas0
そんなある日、寺尾は数名の派遣社員の中に知った顔を見出した。
海外のセミナーに参加した折に世話になった日本人家族の娘だった。
再会は偶然ではなかった。
寺尾の能力に目を付けた『団体』がこの女性を送り込んできたのだ。
寺尾の勤め先の会社は、この女性の所属している団体の背後にいる宗教団体の信者が多数潜り込んでいた。
女は、寺尾の置かれている状況を有る意味寺尾本人以上に把握していた。
女を通じて、女とその家族の所属する団体の幹部に寺尾は面会した。
幹部の女性は寺尾に言った。
寺尾が繋がった『世界』と、向こうの世界で設けた『娘』との縁を切る方法を教えようと。
その対価として、寺尾が完成させた『修行法』の全てを提供し団体に協力しろ・・・・・・それが、『団体』と寺尾の契約だった。
契約に従い寺尾は『修行法』を提供し、団体の指示に従って結婚した。
結婚して初夜を迎えると、それまでのことが嘘のように悪夢を見なくなり、夢の中に『娘』も現れなくなった。
やがて寺尾は妻を伴って海外に赴任した。


1603 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:28:20 ID:kgX5MNas0
「赴任中、何があったの?」天見琉華の質問に寺尾は答えた。
寺尾はある人物に引き合わされた。
初老の日系人男性だったが、寺尾夫妻が所属する団体の『親団体』でかなりの地位に在る人物だったようだ。
団体の幹部は興奮気味に「直接面会できるだけで、非常に名誉な事だ」と言ったそうだ。
寺尾夫妻は、その人物に命じられて日にちと場所を変えて3人の霊能者・・・西洋風に言うなら『魔道師』或いは『魔女』といった類の人物と面談させられた。
そして、再び日系人紳士に呼び出されて命じられたそうだ。
『儀式と手順に従って子を設けろ』と。
団体の指示に従って結婚した寺尾夫妻だったが、夫婦仲自体は悪くなかった。
自由意志ではなく他人の命令で結婚した事に後ろめたさを感じていた夫婦にとって『子を設けろ』と言う命令は、口実としてむしろ望む所だった。
複雑な儀式を繰り返しながら、一定の手順による子作りに励んだ寺尾夫妻は念願の子を授かった。
娘は儀式を行った『魔女』の予想した日に、月足らずだったが自然分娩により誕生した。
喜びに包まれながら寺尾は保育器の中の生まれたばかりの娘に会いに行った。
だが、寺尾の喜びは次の瞬間、恐怖と絶望に変った。
寺尾が近付くと眠っているはずの娘が目を開き、頭の中に直接響く『不思議な声』でこう言ったというのだ。
「見つけたわよパパ。今度は逃がさないわ」
恐怖に慄いた寺尾は『魔女』に相談した。


1604 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:29:15 ID:kgX5MNas0
『魔女』は寺尾に言った。
寺尾の娘は、『特別な子供』だと。
この『特別な子供』は同じような子供たちと精神の深奥で繋がっていて、相互にコミュニケーションを取っている。
この子供たちから『情報』を引き出せば、解決の糸口が掴めるかも知れない。
『瞑想行』を行い、子供たちが『精神の深奥』で何を話し合っているのか探りなさい・・・と。
寺尾は、再び瞑想行を開始した。
瞑想世界で寺尾は17・8歳くらいに育った『娘』と交わり続けた。
悪夢のような『苦行』だった。
だが、『夢』ではなかった。
まだ言葉も覚束ない幼い娘が頭の中に響く『不思議な声』で言ったそうだ。
「昨夜は良かったわ、パパ。今夜も抱いて・・・」
寺尾は、幼い我が子に対する恐怖と殺意を徐々に蓄積させて行った。
そして、遂に限界に達した寺尾は娘の首に手を掛けた。
間一髪のところで妻に見咎められた寺尾は、そのまま妻子を捨てて出奔した。
出奔と同時に寺尾は瞑想行を止めた。
だが、長年の『行』の成果、いや後遺症の為、最早、『行』を行わなくてもちょっとした切っ掛けで寺尾は深い瞑想状態に落ち込むようになっていた。
ナルコレプシーのように瞑想状態に落ち込む寺尾は、偶然知り合った外国人ホステスの部屋に潜り込んだ。
やがて、寺尾は落ち込んだ『瞑想世界』で『魔女』の言っていた『話し合う子供たち』を見つけた。
だが、同時に『瞑想世界』から戻ってくる事が出来なくなった。
心神喪失状態の寺尾は、外国人ホステスが入管に摘発されるまで彼女の介護を受けながら『肉体の死』を待つだけの存在に成り果てていたのだ。


1605 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:31:00 ID:kgX5MNas0
「瞑想世界であなたは何を観たの?子供たちはどんな事を話していた?」
琉華の質問に首を僅かに振りながら寺尾は弱々しく答えた。
「思い出せない・・・・・・だけど、あの子供たちは僕たち大人に対して敵意を持っている。
そんな気がする。
恐ろしい。あの世界には戻りたくない!助けてくれ!」
寺尾は何度か『瞑想世界』と『現実世界』を行き来した後に昏睡状態に陥った。
その後、2週間ほど収容先の病院で生き続けたが遂に目を覚ます事無く息を引き取った。
極度に死を恐れていた寺尾の魂の行き先は誰にも判らない・・・・・・。
 
琉華と俺の話を聞き終わるとキムさんが言った。
「そうか・・・・・・
マサの奴が姿を消したのはその後だな?マサの行き先に心当たりはないのか?」
「ありません。『ヤスさん』にも問い質しましたが、マサさんの行方は判らないそうです」
キムさんの視線に琉華が答えた。
「私が知る訳ないでしょう?」
「だろうな・・・アイツは、アンタ達から逃げたかったのだろうからな」


1606 :チルドレン ◆cmuuOjbHnQ:2012/06/21(木) 06:31:59 ID:kgX5MNas0
暫しの沈黙の後、キムさんが琉華に尋ねた。
「どうにも判らない・・・アンタ達の言う『新しい子供達』って何なんだ?
俺達みたいな『大人』に敵意を持っているって、どういう訳なんだ?」
「私にも判らないわ。
でもね、精神構造・・・『魂の基本構造』が私たちと根本的に違うような気がする。
私たち旧世代の『能力者』の力が全く通用しないからね。
でも、判ってきた事もあるわ」
「彼らが前世の記憶を持って生まれてきている事、現実世界と深い階層の精神世界の境界がない事。
個人としての意思のほかに、彼ら全体として一つの意思を持っていること・・・・・・
彼らには、私たち大人の意思や思考の全てが、潜在意識の段階から全て見えていること。
・・・・・・彼らにとって、私たちの意思や行動をコントロールする事など、造作もない事かもね。
それと、人為的に彼らのような子供を作ろうとしている集団があること」
「厄介だな・・・・・・そんな連中が俺達『大人』に敵意を持っていると言うのか?
そもそも、なんで現れたんだ?」
俺は、思いつきで言ってみた。
「進化だとしたら、『新しい種』だとしたら、『古い種』である俺達を淘汰する為じゃないかな?
アウストラロピテクスやネアンデルタール、新人類の登場と共に旧人類は滅んできたわけだし・・・・・・
ホモサピエンスだって・・・・・・取って代わろうとする『新しい者』が、『古い者』に敵意を持つのは当然なんじゃないかな?」
キムさんは黙り込んでしまった。
天見琉華と弟子の女性が俺の顔を見ていた。
 
寺尾昌弘の葬儀に出席して別れた後、マサさんは突然に姿を消した。
木島氏や組織の人間が血眼になってマサさんの探索を続けたが、マサさんの行方は未だに判らない。
 

おわり




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 18:59Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2012年12月23日

黒い御守り(祟られ屋シリーズ⑭)




1403 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:35:32 ID:MrlAqaA.0
俺は、金融業を営むオム氏から、大学生の娘さんのガードを依頼された。
最近、オム家の庭に猫の生首が放り込まれたり、家の壁に『ひとごろし』と落書きがされていると言う事だった。
商売柄、オム氏は人の恨みを買い易い。
以前、悪質なストーカー被害に遭った事の有る長女は怯え切っており、家から足を踏み出せない状態に陥っていた。
それだけなら、まあ、よくある話だし、俺にお鉢の廻ってくる話でもなかった。
オム夫人は、最初に猫の首が放り込まれる数ヶ月前から、毎晩のように悪夢に魘されていた。
見知らぬ男に娘が刃物でバラバラに切り刻まれる夢だったらしい。
なんとか娘を助けようとするのだが、夫人は全く身動きが取れず、成す術も無く愛娘がバラバラに解体されて行く様子を見せつけられるのだ。
『・・・・・・ただの夢だ』、そう思ってオム夫人は夫にも『夢』の話はしていなかった。
だが、ストレスからだろう、体重が7kgほど落ち、貧血で倒れたりするようになった。
悪夢は続き、そのまま新年を迎えた。


1404 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:37:56 ID:MrlAqaA.0
オム夫人は新年のバスツアーに参加して、初詣で訪れた関東のある寺で気になることを言われた。
参拝客を相手に赤い着物を着た占い師が占いをしていたらしい。
娘が占って欲しいと言い、オム氏が金を出して占いが始まった。
占いは15分ほどで終わり、3人はその場を立ち去ろうとした。
去り際に占い師が声を潜めて夫人にだけ聞こえるように言った。
「奥さん、長い間水子の供養をしていませんね。
山門の前でお守りを売っているから、売り子の中で一番若い男性からお守りを買いなさい。
買ったお守りは身に付けて、1年間、絶対に手放さないように」
オム夫人は、『水子』と言う言葉に一瞬ドキッとした。
まあ、中年の女性に『水子』という言葉を投げかければ、結構な確率で思い当たる人はいるだろう。
こういう場所だから、的屋や露天商同士で客の融通でもしているのだろう・・・・・・そんな風にあまり気にはしていなかったそうだ。
境内は物凄い人だかりで規制が行われていた。
観光バスの集合時間もあるので、護摩を郵送で頼み、本堂で賽銭を投げると、そのまま階段を下った。
本堂を出て階段を下りると後戻りできない。
山門の手前で夫人はオム氏に「お父さん、お守りを買って行こう」と言って、大きな人だかりの出来た露店に足を向けた。


1405 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:39:39 ID:MrlAqaA.0
露店には8人ほどの売り子がいた。
どの店員も中年以上で、半分は老人といって良い年代だった。
一番端の男だけ20代後半から30代半ばといった年恰好だった。
先ほどの占い師と同じくらいか・・・女占い師のオトコか何かか?
「お守りを頂けるかしら」
「持つ方の干支は?判らなければ何年生まれかでも結構です」
男がゾッとするような、射すくめるような鋭い視線を向けた。
『何なの、この人?』
3人分の干支を伝えると、男は黒い札を3枚選び出し、目の前に置かれた守り袋の中に入れた。
色とりどりの袋があり、他の客は好きな物を選んでいたが、男はどれにするかも聞かず赤い袋を選んだ。
お守りを入れた包装用?の紙袋には、中身の干支がペンでそれぞれに書き込まれていた。
オム夫人は完全に気分を害していた。
『ふざけた店員ね、頭にくるわ!』
娘と夫が買ったものと一緒に会計を済ませると、3人は山門を出た。
仲見世で土産の葛餅を買うと、駐車場に向った。
次の目的地の中華街へ向うバスの中で、先ほど買った御守りを検めると、一つ余分なものが入っていた。
袋には、同じペンの似た筆跡で『昭和XX年・Y年』と書いてある。
他の客の物が混ざったのだろうか?
払った代金には過不足は無かったので『後で処分すれば良いわ』と、余分な御守りの事は忘れる事にした。


1406 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:41:06 ID:MrlAqaA.0
ツアーが終わり、オム一家は逗留していた親戚宅を後にした。
地元に戻って暫くは平穏な日々が続いた。
お参りの効果があったのか、あれほど悩まされた悪夢もピタリと見なくなった。
やれやれと思って部屋を掃除していると、初詣の時、『間違って入っていた』御守りが出てきた。
紙袋の中を見ると『悪趣味な』黒い御守り袋が出てきた。
御守りを見ると、あの『頭にくる店員』のことが思い出された。
『他人のお守りを持っていても仕方がないわ』そう思って、オム夫人は黒い御守り袋をゴミと一緒に捨てた。
やがて2月に入った。
節分が過ぎた週だった。
オム夫人は再び『悪夢』に襲われ始めた。
以前より鮮明な悪夢だった。
娘を助けようとするのだが、何かに足を固定されていて動けない。
そして、風呂に入っていて気付いた。
足に覚えのない痣が出来ている。
痣は日に日に濃くなって行った。
不安になったオム夫人は、痣と夢の事をオム氏に話した。
オム氏は「痣はどこかにぶつけたんだろ?後になって青くなる事もあるし・・・お互い若くはないからな。
夢は夢だよ、気にするな。気にするから何度も同じ夢を見るんだよ」そう言って、あまり真剣には取り合わなかった。
だが、猫の生首が庭に放り込まれるとオム氏の態度は一変した。


1407 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:42:29 ID:MrlAqaA.0
自営業者には、『縁起を担ぐ』者が多く、人の恨みを買っている自覚からか、祟りや呪いと言った話に敏感な人がかなりいる。
キムさんは、そう言った自営業者の中では知られた存在だ。
オム氏は人を介して、キムさんに面会した。
キムさんは「どんなに都合の悪い話でも、思い当たる事は全て、包み隠さずに話して欲しい」とオム夫妻に言った。
オム夫人は占いや御守りの話も含めて、全てを話した。
オム夫人は、若い頃、堕胎の経験があった。
オム氏と出会う以前の話で、オム氏の知らなかった事実だった。
「捨てた『黒い御守り』がポイントだったな・・・・・・その占い師と店員、只者ではないだろう。
まずはその二人に当たってみよう」
キムさんは問題の寺を訪れた。
寺は閑散としていて、予想はしていたが問題の占い師も店員も・・・・・・御守りを売っていたという露店さえも無かった。
キムさんは、受付の人に聞いてみた。
当然、判らないという返事が返ってきた。
ただ、正月の露天商の仕切りは、檀家総代もしている人物がやっているらしい。
娘婿が寺の職員をしているから呼んでみようと言ってくれたそうだ。


1408 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:43:55 ID:MrlAqaA.0
キムさんは総代という人物に会って、問題の店員の事を聞いてみた。
個人のプライバシーに関わる事なので教える事は出来ない・・・・・・と言う答えだった。
売り子の店員は、近所の老人と地方からの出稼ぎの人達で、年末から2月半ばまで働いているということだった。
問題の『若い店員』の名前などは教えて貰えなかったが、3月の震災で津波に襲われた地域から来ている人らしい。
安否の確認は取れていないという事だった。
占い師の女性は『管轄外』という事だったが、占いの元締めに金を払って店を開いているか、元締めの元で修行中の占い師の卵だろうという事だった。
占い師の元締めに、それらしき女占い師を尋ねたが、やはり、連絡先や消息は判らないという事だった。
そうなると、猫の生首を放り込んでいる人物を直接捕まえるしかない。
もちろん、その人物が呪詛を仕掛けているとは限らないが、思い当たる要素を潰して行くしかなかった。
キムさんはオム夫人を水子供養で実績の有る霊能者に紹介した。
その霊能者は、気になる事を言った。
オム夫人に水子の霊は憑いていない。が、強烈な恨みの念が纏わり憑いてる。
物凄く強い念らしいが、肝心の念の主が見えない。
ただ、悪霊の類ではなく、生きた人間のものである事は間違いないだろう、という事だった。


1409 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:45:44 ID:MrlAqaA.0
俺は、キムさんの命を請け、オム氏との間で、娘さんを24時間体制でガードする契約を結んだ。
猫の生首を放り込んでいた犯人は予想よりも早く捕まった。
驚いた事に、犯人は男子小学生だった。
小学生がそんな残虐な真似をした事実に驚きはしたが、正直、拍子抜けした。
『ひとごろし』の落書きの犯人も彼だった。
また振り出しか・・・・・・。
とりあえず、保護者に連絡して、今後このような事をさせないように注意させる必要があった。
俺達は、オム氏宅に少年の両親を呼び出した。
少年の両親は菓子折りを持って姿を現した。
だが、少年の父親とオム夫人の目が合った瞬間、二人は凍りついた。
俺は『・・・何だ?』と怪訝におもった。
どうやら、二人には面識が有るらしい。
とりあえず、少年の両親は、我が子の待つ居間へと通された。
オム氏が両親に息子が行った事を話して聞かせた。
オム氏の長女は俺の腕を掴みながら、恐怖の視線を少年に送っていた。
恐縮する少年の母親。
そして、激昂した父親が少年を張り飛ばした「何て真似をしてくれたんだ!」


1410 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:47:34 ID:MrlAqaA.0
「子供相手に、止しなさい!」オム氏が慌てて少年に駆け寄った。
オム夫人が青褪めた顔で少年に問いかけた。
「ボクは、なぜ、あんなことをしたの?」
ニヤリと嫌な笑みを見せながら少年は答えた。
「おばさんが・・・ううん『おかあさん』が人殺しだからだよ」
オム氏も少年の母親も狐につままれたような顔をしていた。
オム氏の娘は、得体の知れないものを見る目で少年を凝視している。
オム夫人と少年の父親の顔は青褪めていた。
「僕はバラバラに切り刻まれて殺されたんだ。おかあさんにね。
怖くて、痛くて、寒くて・・・・・・バラバラにされた僕はゴミバケツに捨てられたんだ。
他の僕みたいな子達と一緒にね。そこのお姉さん、いや『妹』は可愛がって凄く大事にしているのにね」
オム氏が「どういう事だ」と語気を荒げた。
キムさんがオム夫人に言った。
「辛いかもしれないが、全てを話した方がいい。でなければ、何も解決しない」


1411 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:49:05 ID:MrlAqaA.0
オム夫人は話し始めた。
少年の父親は、オム夫人が中学生の頃、家庭教師に来ていた大学生だったらしい。
高校受験が終わり卒業式後、入学式前の春休みの事だった。
オム夫人は少年の父親に誘われて、彼の部屋を訪れた。
そこで、大学生だった彼は15歳のオム夫人に襲い掛かった。
信頼していた相手に犯されて、茫然自失の彼女の裸身を彼はポラロイドカメラで撮影した。
写真をネタに彼は何度も彼女を呼び出し、その身体を玩具にした。
やがて、彼女は妊娠した。
誰にも相談できず隠していたが、母親に露見した。
堕胎できるギリギリの日数だったらしい。
オム夫人の父親は激怒した。
だが、教師をしていた大学生の彼の父親は、組合の幹部で某政党に顔も効いた。
半ば、娘を人質に取る形で脅しを掛けてきた。
最低な連中だが、そんな過去を持つ男が今、教師として教壇に立っていると聞いて、俺は反吐の出る思いがした。
彼の親が幾許かの慰謝料を払い、二度と彼を彼女に近付けない事、写真を全て破棄する事が取り決められた。
代わりに、彼女の方は、今後一切の民事・刑事の法的措置を採らない事、事件を口外しない事を約束させられた。


1412 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:50:41 ID:MrlAqaA.0
オム氏は妻の肩を抱きながら、怒りに充ちた視線を少年の父親に向けた。
少年の母親は、何か汚い物を見るような冷たい視線を夫に向けていた。
少年は、子供のものとは思えない冷たい視線を送りながら言った。
「お父さんはね、僕を殺した頃の『おかあさん』と同じくらいのお姉さんたちに、
お金を渡していやらしい事をしているんだ。今でもね」
父親に比べるとかなり若く見える、少年の母親の表情は凍り付いた。
思い当たる事があるのだろう。
あくまでも勘だが、彼女自身、この男の被害者だったのかもしれない。
少年は冷たい声で言った。
「『おかあさん』はね、もう長くは生きられない。
切り刻まれて死ぬんだ、僕がされたみたいにね」
オム氏の娘が少年に土下座して絶叫した。
「お願い、お母さんを助けてあげて」
「無理だよ」
「お前の『力』なんだろ?」オム氏が歪んだ表情で言った。
「『僕たちの力』だ。もう、手遅れだよ」
・・・・・・例の『黒い御守り』か・・・袋に書かれていた昭和XX年という年号は恐らく、オム夫人が堕胎した年なのだろう。


1413 :黒い御守り ◆cmuuOjbHnQ:2011/12/23(金) 11:53:15 ID:MrlAqaA.0
俺は、少年に声を掛けた。
「『お前達』は、生まれる前の記憶を持っているのか?」
「まあね」
「お前も、他の子供達と『繋がっている』のか?」
「さあ、どうだろうね?でも、オジサンには判ってるんでしょ?
オジサン、僕を『怖いおばさん』の所に連れて行こうと思っているでしょ?
でもね、無理だよ。
オジサン達、古い大人たちには、僕らのことは判らない。
僕らには全て見えているけどね。
見えているから、見えない振りも、わからない振りも出来るんだ」
キムさんが「何のことだ?お前達は何を言っている?」と語気を荒げた。
次の瞬間だった。
キムさんの声を合図にしたかのように、少年は突然、火が付いたように泣き出した。
周りの大人は、成す術も無く、おろおろとするだけだった。
小一時間も泣き続け、やがて少年は泣き止んだ。
泣き止んだ少年は、憑物が落ちたように普通の子供に戻っていた。
そして、俺達に話したこと、猫を刻んだ事も全て無かった事のように、綺麗さっぱりと忘れ去っていた。
後日、少年の言っていた『怖いおばさん』・・・女霊能者・天見 琉華の許に少年を連れて行ったが、
予想通り、彼女の霊視を以ってしても何も得る事は出来なかった。
 
 
おわり




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 18:58Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2011年02月28日

鏡(祟られ屋シリーズ⑬)


1167 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:13:45 ID:3PDqro4M0
季節が冬に変わろうとしていた頃だった。
俺は、オカマのきょうこママに呼び出された。
「ちょっと、相談したい事がある」と言うことだった。
久々に会ったきょうこママは巨大化していた・・・ま、マツコ・デラックス?
「久しぶり。相談って、何よ?ダイエットの話なら無理だぜ・・・・・・もう、手遅れだよwww」
「そんなんじゃないわよ、失礼な!真面目な話だから、ちゃんと聞きなさい」
ママの目は真剣だった。
「アンタ、ほのかちゃんの事、覚えてる?」
「ああ、覚えてるよ。大分前に店を辞めたはずだけど、元気にしてるの?」
 
ほのかとは、アリサと出会う前、店の子のガードを請負った折に知り合った。
初めて会った頃の彼女は、ホルモン注射を開始したばかりの段階だった。
元々華奢な体格で、顔の造りも女性的だったためか、女装すると普通の女にしか見えなかった。
ママやガードしていた子の話では「あの子は続かないかもね」という事だったが、勤めは長く続いた。
アリサと共に何度か遊びに行った事もあった。
あまり、自分の事は話したがらない子だったが、『神様のミステイク』に苦しんだ者同志だったからだろうか、アリサに良く懐いていた。
アリサが亡くなってから会った事は無かったが、恋人が出来て店を辞めたと聞き及んでいた。


1168 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:14:49 ID:3PDqro4M0
「あの子がどうかしたのかい?」
「この間ね、偶然会った店の子がほのかちゃんを連れてきたんだけどね・・・・・・あの子、危ないのよ・・・・・・放って置くと多分自殺しちゃう。
アタシはね、何人もそんな子を見てきたから判るのよ」
「そいつは穏やかじゃねえな。それで、俺にどうしろと?」
「あの子の所に顔を出してやって欲しいのよ。アタシや店の子達じゃ会ってくれないから」
「ママ達に会わないのに、俺が行ったからって駄目だろ?」
「そうかもね。・・・・・・でも、あの子にとって、アンタ達は特別だから」
「え?俺達?」
「アンタとアリサちゃんよ。あの子だけじゃなく、店の子達にとって、アンタ達はある意味理想だったのよ・・・・・・
それが、あんな事になって、みんな悲しんでいるわ・・・・・・アンタが思っている以上にね」
「そうかい・・・・・・役には立てないかもしれないけど、行くだけは行ってみるよ」

俺は、ほのかの部屋を何度か訪れたが、彼女がドアを開けることは無かった。
郵便受けにメッセージだけを残して帰る事が何度か続いた。


1169 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:16:06 ID:3PDqro4M0
その日も、メモだけ残して帰ろうとしていた。
だが、郵便受けに封筒を投函すると、部屋の中から物音がした。
彼女は部屋に居るようだ。
俺は、インターホンを連打しながらデカイ声で言った。
「おい、ほのか居るんだろ?
早くドアを開けろ!開けないとウンコするぞ!」
鉄製のドアに何かが当たる音がしたが、扉は開かない。
スコープからこちらを見ている事を確信した俺は、壁際まで下がってベルトを外し、後ろを向いてしゃがみ込んだ。
「ちょ、ちょっと、止めてよ!」と言う声と共にドアが開いた。
「よお、久しぶり!」
「・・・・・・アンタ、馬鹿?恥ずかしいから中に入ってよ!」


1170 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:17:54 ID:3PDqro4M0
俺が部屋に入ると、ほのかはドアを強く閉めた。
ふぅ~っとため息をつくと、呆れた様子で言った。
「兄さん馬鹿でしょう?もう、恥ずかしくって外を歩けないわ!何考えてるのよ?」
「いや、居留守を使うお前が悪いでしょ?俺はちゃんと、次に来る時間も残して帰っていたんだしwww」
「それで、何よ?」
「いや、手紙にも書いたけどさ、ママや店のみんなも心配してるし、俺だって心配だったからさ」
「そう?」
「とりあえず、お前の顔も見たし、今日は帰るよ」
そう言って、ドアを開けようとした俺の腕を彼女が引っ張った。
「久しぶりに会ったんだから、夕食ぐらい食べて行きなさいよ」
俺の訪問に合わせて作っていたのだろうか、テーブルの上には結構な品数の料理が並べられた。


1171 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:18:56 ID:3PDqro4M0
俺達は、無言で食事を続けた。
「美味かったよ。やっぱ、独り者に女の子の手料理はグッと来るものがあるね。やべぇ、惚れちまいそうだよ」
「アリサ姉さんの直伝だからね」
「・・・・・・今日は遅いから、また来るわ。
今度はこんなに凝らなくても良いぞ。・・・・・・そうだな、カレーでいいや!」
「ばか」
とりあえず、ほのかが笑みを見せたのを由として、俺は彼女の部屋を後にした。
沈んだ様子だったが、ほのかからママの言っていた『死相』は見て取れなかった。
だが、形容し難い、妙な空気は確かにあった。
俺は、暫くほのかの部屋に通って、彼女の様子を見る事にした。


1172 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:20:39 ID:3PDqro4M0
何度も足を運んでいるうちに、ほのかの表情は明るくなって行った。
外に連れ出す事にも成功し、ママの店にも連れて行った。
そんな彼女の様子に、油断していたのだろう。
俺は、口を滑らして、店の子たちが話していた『彼氏』の話題に触れてしまった。
とんでもない地雷を踏んでしまったようだ。
ほのかは喚き散らしながら暴れた。
「出て行け!もう顔も見たくない。二度と来るな!」
そう言われて、俺は何も言わずに玄関に向った。
靴を履き、立ち上がると、背中を何発も拳で叩かれた。
「帰れと言われて本当に帰るような奴は二度と来るな!」
振り返ると、涙でベソベソになったほのかが抱き付いてきた。


1173 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:22:10 ID:3PDqro4M0
暫くそうしていると、やがてほのかは泣き止んだ。
「せっかくの美人が台無しじゃないか」
そう言ってハンカチを渡すと、ようやくほのかは落ち着きを取り戻した。
俺は靴を脱いで部屋に上がると、爆撃後のような惨状の室内を片付け始めた。
とりあえず片付けが終わり、腰を降ろして休んでいると、俯いて黙り込んでいたほのかが立ち上がった。
「?」
「ねえ、見て」
見上げる俺にそう言うと、彼女は服を脱ぎ出した。
俺は、黙って彼女を見ていた。
震えながら服を脱ぎ、全裸になった彼女は胸や股間を隠していた手を外して、もう一度言った。
「見て」
「・・・・・・」
「私、女になったのよ。・・・・・・今はね、結婚だって出来るの。・・・・・・私、キレイ?」
「ああ、キレイだよ」
「でもね、彼は私を抱いてはくれなかった・・・・・・彼の為に、彼に喜んで欲しかったのに・・・・・・
あの人は・・・・・・女になった私を捨てて逃げたのよ!」


1174 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:23:09 ID:3PDqro4M0
出会った時、ほのかの彼氏は大学生だったそうだ。
飲み屋でコンパの二次会をしていた彼らと、仕事帰りに飲みに繰り出したほのか達は意気投合して、そのまま三次会に繰り出したそうだ。
ほのかがメアドの交換をした事も忘れかけた頃に、大学生の男から誘いのメールが入った。
暇潰しのつもりで誘いに応じたほのかを男はその後も誘い続けた。
何度も逢瀬を重ねて、ほのかの中で男の存在が大きくなってきて、あぶない、そろそろ『潮時』だと思っていた頃に告白されたそうだ。
告白されたその場で、ほのかはカミングアウトした。
だが、男は驚いたものの、引かなかった。
『一度関係を持てば彼の目も覚めるだろう。最後に一度だけなら』そう思ってホテルに行ったそうだ。
『・・・・・・これで終わった』と思ったが、彼はほのかから去らなかった。
やがて、彼は卒業し、社会人となった。
仕事に慣れ、社員寮から出た彼はほのかに言った。
「一生傍にいて欲しい。一緒に暮らそう」と。


1175 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:24:16 ID:3PDqro4M0
彼の家族は、一人息子がニューハーフと同居する事に激しく反対した。一緒になるなど論外だった。
家族の激しい反対に遭ったが、彼は家族よりもほのかを選んだ。
そんな彼の行動に、ほのかは長年悩んできた性転換手術を受ける覚悟を決めた。
女性の身体になることは彼女にとって長年の夢だったが、手術への恐怖心が大きく、それまで踏み切る事が出来なかったのだ。
何度もカウンセリングを受け、面倒な手続きを経て彼女は決死の覚悟で手術を受けた。
術後、患部が安定するには半年程度の時間が掛かるそうだ。
だが、医師の許可が出て1年以上経っても、彼はほのかの身体に触れようとしなかった。
そして、何か悩んだ様子で、外泊も多くなっていた。
ある日、『一生分の勇気』を振り絞って、彼女は彼に言った。
「抱いて」
服を脱いだ彼女の身体を見て彼は言った。
「・・・・・・すまない」
そのまま彼は部屋を出て行き、二度と戻る事は無かった。


1176 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:25:32 ID:3PDqro4M0
「酷い話だな・・・」
「でしょ?だから、アイツの荷物は全部捨ててやったし、写真も全部燃やしたわ。
彼の事は吹っ切れてるのよ・・・・・・ただ、女としての自信というか、プライドがね・・・・・・」
見え見えの嘘だったが、俺は頷くしかなかった。
「ねえ、良かったら、兄さんが私を『オンナ』にしてくれる?・・・兄さんなら、いいかな・・・」
「悪いな、それは出来ない」
「何で?やっぱり、私って魅力ないのかな?」
「いや、そんな事は無いよ」
「それなら何で?・・・・・・まだ、姉さんのことが?」
「・・・・・・」
「ごめん、変な事を言って・・・・・・忘れて!」


1177 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:26:59 ID:3PDqro4M0
俺は、ほのかの相手の男の事を調べた。
男の居所は、あっさりと割れた。
男は勤務先を退職し、実家に戻っていた。
俺は、男の実家に向かった。
 
ほのかの男・・・・・・宗一郎の父親は、彼とほのかの同棲中に癌で亡くなっていた。
息子に取り次いで欲しいと彼の母親に頼んだが、俺がほのかの縁者だと聞くと、彼女は頑なにそれを拒んだ。
連絡先だけ残してその場を立ち去ると、後日、宗一郎本人から俺の携帯に連絡が入った。
待ち合わせの場所に行くと、従妹だという若い女が待っていた。
事と次第によっては、1・2発ぶん殴ってやりたいと思っていたが、それは出来なかった。
ベッドに横たわる、余り先の長そうではない病人・・・・・・それが、宗一郎だった。
事情がありそうだ・・・・・・
俺は、宗一郎にほのかの許を去った理由を尋ねた。


1178 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:28:20 ID:3PDqro4M0
ほのかの治療中、宗一郎は微妙な体調の変化を感じていた。
妙に体がだるく、首や肩に常に鈍痛を感じていた。
世話女房タイプのほのかは店に出ていた頃から、家事の一切を行っていて、宗一郎には何もさせようとはしなかったらしい。
慣れない家事や、ほのかの見舞い、忙しくなってきた仕事・・・・・・それらの無理が溜まって疲れている、その程度に考えていたらしい。
ほのかの術後の痛みは相当酷かったらしく、宗一郎はほのかの身の回りの世話に精一杯で、自らの体調を気にする余裕は無かった。
だが、宗一郎の体調は確実に悪化した。
はじめは、指先の痺れや頻発する『こむら返り』といった症状だった。
やがて、不意に膝から力が抜けて転倒したり、軽い『寝小便』をするようになった。
『医者に見てもらわなければ』と思ったらしいが、日常生活が忙しく、ズルズルと時間が過ぎた。
そして、会社の定期健診で異常が見つかった。
再検査の結果、肺と胃、頚椎に腫瘍が見つかったらしい。


1179 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:29:44 ID:3PDqro4M0
若い宗一郎の病気の進行は早く、検査で発見された時点で既に手遅れだった。
持って1年と言う宣告に、宗一郎は打ちのめされた。
ほのかに何て話せば良いのだろう?
そう悩んでいた時に、あの夜が訪れた。
「何故逃げた?」と言う俺の問いに、宗一郎はこう答えた。
「もうすぐ居なくなる自分のせいで、ほのかに取り返しの付かない事をさせてしまった。
そう考えたら、怖くなって逃げ出してしまった」
 
「アンタに去られたほのかは、今は何とか落ち着いてるけど、一時は自殺の心配をされる位に落ち込んでいたんだぜ?
そうなる事くらい、アンタにだって判っただろう?」
「俺は、どうすれば良かったんですか?」
「俺にも経験があるから言うけど、あの手の女は特別に情が深いんだ。並のダメ男じゃ見捨ててはくれないよ。
望み通りに抱いてやれば良かったんだよ。
抱きながら、死にたくねえってアンタが涙の一つも見せれば、こんな面倒な事にはならなかったんだ。
大事な時間を無駄にしやがって・・・。アンタ、ほのかに会いたいんだろ?」


1180 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:34:18 ID:3PDqro4M0
宗一郎は頷いた。
「アンタが会いたいと言っても、ほのかがウンと言うかは判らないぞ?
それに、そこの彼女の許しも貰わないとな」
「姐さん、ほのかが彼に逢うことを許してやってくれないかな?アンタには酷な話かもしれないけど。頼むよ」
女の顔は強張っていた。だが、彼女はこう答えた。
「宗ちゃんが会いたいと言うなら・・・・・・」
「そうか、ありがとう」
今週中に連絡すると言って俺は病室を後にした。
 
駐車場で俺は肩を叩かれた。
宗一郎の母親だった。
「お話があります」
深刻な表情の母親を乗せて、俺は車を出した。


1181 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:35:29 ID:3PDqro4M0
スタンドに車を入れ、併設されていたドトールに俺達は入った。
「それで、話って?」
硬い表情のままだった彼女は、しばしの沈黙の後、重い口を開いた。
「お願いです・・・ほのかさんを息子に会わせるのは止めて貰えませんか?」
「何故?」
「私達親子はあの人に恨まれています。
私、あの人にとても酷い事を言ったの・・・・・・私なら絶対に、一生許せないような酷い事を・・・・・・
許して欲しいなんて言えないし、私の事だったらどんなに恨んでもらっても構わない。
でも多分、ほのかさんは、あの人を捨てた息子を恨んでる・・・・・・」
「何故、そんな風に思うのですか?」
「こんな事、言った所で信じては貰えないでしょうけど・・・・・・私は見たの!何度も、何度も!」
「何を?」
「あの人の・・・・・・何て言うの?怨霊?亡霊? それが、息子に取り憑いているのよ!」


1182 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:36:56 ID:3PDqro4M0
母親の言葉を聞いて、俺はようやく納得した。
ほのかの部屋に漂う異様な気配はそう言うことかと。
「お母さん、人を呪わば穴二つって言葉は知ってますよね?
貴女は多分、ほのかに初めて会ったときから、そして、宗一郎君が病気になってからも、ずっと思っていたんじゃないですか?
『あの女さえ居なければ』と・・・・・・
それに、こうも思っていた。宗一郎君の病気の発見が遅れて手遅れになったのは、ほのかの所為だと・・・」
彼女は俯いたまま涙を流した。
「貴女が病室で見たほのかの『生霊』を怨霊だと思ってしまったのは、貴女が彼女に抱いている感情がそう見せているだけですよ。
あの娘と知り合って長いし、俺にもあの娘と同じような境遇の彼女がいたから判るんです。
ほのかは貴女に言われた事で傷付きもしたし、悔しさや悲しさに涙も流しただろうけど、多分、貴女に対する恨みなんて忘れてしまってますよ。
それより、総一郎君に会いたいって気持ちで一杯のはずです。それこそ、生霊を飛ばしてしまうほどにね」
「・・・・・・」
「ほのかは今、精神的に危ない状態なんです。何とかバランスを取っているけれど、ちょっとしたショックでどう転ぶか判らない。
嫌われて捨てられたと誤解したまま、宗一郎君が亡くなったら、後を追いかねない・・・・・・あの娘には宗一郎君しか居ないんです。
・・・・・・彼との思い出があれば、多分、あの娘は生きて行けます。だから、彼女が彼に会う事を許してやって下さい」


1183 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:38:23 ID:3PDqro4M0
俺は、ほのかに宗一郎の病気の事を話した。
始めは駄々を捏ねたが、病院まで無理やり連れて行くと後は流れに任せるだけだった。
宗一郎は余命1年の宣告を受けてから、3年間近く生き続けた。
 
宗一郎の通夜の日。
焼香を済ませて立ち去ろうとする俺に声を掛けてきた女が居た。
「私の事、覚えてます?」
「ああ、病院で会った・・・。その節はどうも」母親と交代で宗一郎の看病をしていた従妹だった。
「ほのかに会っていかないんですか?呼んできましょうか?」
「いいよ」
「それじゃ、ちょっと私に付き合って下さい」


1184 :鏡 ◆cmuuOjbHnQ:2011/02/20(日) 11:40:27 ID:3PDqro4M0
俺達は、葬儀場の直ぐ近くの喫茶店に入った。
ショートケーキを頬張り、飲み物を啜りながら彼女は言った。
「私、貴方を恨んでます」
「・・・・・・そうか」
「そうです!貴方が来なければ、最期まで宗ちゃんを独占できたのに!」
「悪かったな」
「それに、ほのかなんて大嫌いでした」
「・・・・・・」
「私、ずっと宗ちゃんが大好きで、やっと気持ちを伝えたのに、好きな人が居るからって・・・・・・
会った事無かったけど、ほのかも宗ちゃんも居なくなっちゃえって思ってました」
「伯母様に、ほのかの事は聞いていたから、どんなキモイのを連れてくるかと思ってたけど・・・・・・
ほのか・・・・・・悔しいくらいキレイで・・・・・・いい子だったんですよ。
嫌な奴だったら良かったのに・・・・・・私にまで優しくて・・・・・・私が男だったら放って置きません」
「それで、俺にどうしろと?」
「ほのかとの友情に免じて、ここの支払いで許してあげます」
涙を拭きながら、彼女は店員を呼んだ。
「すみません、シフォンケーキを一つ。コーヒーのお代わりもお願いします!」

俺は、ぬるくなった珈琲を飲み干した。


おわり

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 19:28Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2010年03月05日

オイラーの森~祟れ屋シリーズ⑫

オイラーの森


600 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:25:38 ID:6qXL85WU0
シンさん、そしてキムさんに暇を貰った俺は、久々に愛車を引っ張り出してロングツーリングに出ることになった。
ただ、暇を貰ったと言っても、全くの自由行動と言う訳ではなかった。
シンさんが指定した幾つかのポイント・・・所謂『パワースポット』を廻って来いという指示が含まれていた。
俺は、キムさんから念入りに『気』を取り込む行法をレクチャーされた。
旅の目的は、その時はまだ自覚症状が無かったものの、自律的回復が困難な段階になっていた『心身のダメージ』を抜く事に有った。
以前、世話になった住職の言葉を借りれば『魔境』の一歩手前の段階にあったのだと思う。
その頃の俺は、俺の身を案じてくれるシンさんやキムさんの気持ちをありがたく思いながらも、一つの目論見を持っていた。
この旅を奇貨として、失踪を図るつもりだったのだ。
自分自身の変調に自覚症状が無かった事もあるが、想定外に長くなった異常な生活に心底嫌気が差していたのだ。
嫌気が差したと言っても、辞表を出して「はいそうですか」と言って辞めさせて貰えるはずもない事は俺にも判っていた。
キムさんから貰っていた『表』の仕事のサラリーは悪くない額だった。
『裏』の仕事のギャラは不定期だったが、元の職場で10年勤めても得られない額が殆ど手付かずで残っていた。
特に使い道も無く貯まった預金通帳の残高は、5年や10年なら潜伏するに十分な額があった。
逃亡資金が尽きて、最悪、ダンボール生活に堕ちても、それはそれで構わない。
消されるリスクを冒してでも、俺は異常な世界から逃げ出したかった。
さいわい、その頃の俺に失ったり捨てたりして惜しいものなど何もなかったのだ。


601 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:26:22 ID:6qXL85WU0
そんな考えに至る事自体が『魔境』に嵌り掛けていた『症状』そのものだったのかもしれない。
俺の計画を見透かすかのように、俺の旅には同行者が付けられることになった。
同行者の名は安東 勇・・・俺の出入りしていた空手道場の練習生だった。
少年部上がりのイサムは、キャリアは長いが万年茶帯の幽霊会員だった。
顔を合わせたのも2・3度で、見覚えは有るが特に印象の無い男だった。
だが、イサムと俺には意外な共通点があった。
イサム・・・安 勇(アン ヨン)は、かつてマサさんのクライアントとして、彼の姉と共に例の『井戸』のある『結界の地』に滞在した事があったのだ。
イサムに引き合わされる数日前に、それとは知らずに姉の方とは会っていた。
マサさんに連れられて、ツーリングの道中に身に付ける『お守り』を作るために引き合わされた女がイサムの姉だった。
イサムからは『能力者』の雰囲気は感じられなかったが、姉の方はゾクゾク来る『雰囲気』があった。
彼女が発する独特の雰囲気は、そう、かつて俺がこの世界に入るきっかけとなった事件で『生霊』を飛ばしてきた女に非常に似ていた。
違っていたのは、マサさんに向ける視線が艶を含んだ『オンナ』のそれだったことだった事か?
マサさんと女の微妙な間に、『このオッサンにも春が来たかw』と思ってニヤリとしたが、あえて突っ込む事はしなかった。
詳しい事情は判らないが、マサさんにとって安東姉弟が信頼の置ける人物なのは確かだった。


602 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:27:18 ID:6qXL85WU0
幾つかの行法の指導を受け、イサムの姉にパワーストーンの『お守り』を作ってもらいながら、俺は旅の準備を進めた。
放電し切って液も蒸発し、サルフェーションを起したバッテリーを交換。
オイルやフィルターも交換して、タイヤも前後新品にした。
久々に火を入れた147馬力のエンジンは10数年落ちの車齢が嘘のように快調な吹け上がりだ。
少々煩いノイズはご愛嬌。
リアシートに荷物を括り付け、タンクバッグにはマップ。
久々に腕を通したジャケットの革が硬い。
170サイズのリアタイヤが埃っぽいアスファルトを蹴り出して、俺とイサムの旅が始まった。
 
基本的にテントと寝袋で野宿しながら、時には倉庫の片隅などに寝泊りしながら、俺達はシンさんに指定された『ポイント』の半分ほどを回り終えていた。
移動の便宜を考慮してくれたのか、シンさんの指定したポイントはバイク移動に支障のある場所は殆ど無かった。
だが、その場所は少々勝手が違っていた。
詳しい位置が指定されておらず『管理人』の連絡先だけが指示されていた。
俺は、シンさんに渡されたメモを頼りに管理人の熊倉氏に連絡を入れ、指定の場所を訪れた。
促されてバイクを待ち合わせ場所のガレージに入れると、熊倉氏は表に停まっていたジムニーを『乗れ』と指差した。


603 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:28:09 ID:6qXL85WU0
長身のイサムは後ろで荷物に押しやられながら「狭い!」と呻いていた。
熊倉氏は、淡々と車を走らせ、やがて山に入っていった。
かなり舗装の傷んだ道路を暫く上ると、やがて林道だろうか、車一台がやっとと言った未舗装道路に入った。
オフ車ならそれなりに楽しそうだが、オンロードバイクにはちょっと厳しい道程だ。
雨でも降れば普通の乗用車はスタックしそうだし、ランクルのような図体のデカイ四輪駆動車ではストレスが貯まりそうな道だった。
暫く進むと開けた場所に出て、山小屋が現われた。
車を降りると濃密な空気が肺を満たした。
聞こえるのは沢を流れる水音だけで、ひんやりとした空気が心地よい。
意外なことに、この山小屋は・・・いや、この山自体が榊氏の持ち物らしい。
 
荷物を下して山小屋に入ると、事前に熊倉氏が運び込んだのだろう、一週間分くらいの食料品が運び込まれていた。
俺とイサムが腰を下すと、熊倉氏はそのまま厨房に立ち、食事の用意を始めた。
殆ど口を開かず、神経質な雰囲気の熊倉氏は取っ付きにくい印象だった。
イサムは俺以上に居心地が悪そうだった。


604 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:29:10 ID:6qXL85WU0
囲炉裏に火を起こし、鍋を吊るした。
釜から飯をよそって食事を始めると、やっと熊倉氏が口を開いた。
「どうだ?」
イサムが「美味いです」と答えると、ニヤッと笑って「そうじゃないよ」と言って俺の方に鋭い視線を向けた。
「この山のことですか?」
「そうだ」
「自分らは、あちこち廻って来たんですが・・・この山ほど濃厚で強い『気』が満ちている場所はありませんでしたね」
「俺に『気』だ、何だといった話を振られても答えようが無いんだが、まあ、アンタが言うならそうなんだろうな」
熊倉氏は俺の顔をじっと見つめながら言った。
「シンさんから聞いてはいたんだが・・・似てるな」
「?」
「榊さんの息子は、私の学生時代の友人でね・・・シンさんも言っていたが、アンタは友人に良く似てるよ」
「そうですか・・・」


605 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:30:08 ID:6qXL85WU0
翌朝、俺達は熊倉氏に連れられて森の奥へと入って行った。
20分ほど進むと、樹齢何年になればこれほどになるのかと言う大木が現われた。
間違いなく、この山の『ヌシ』だろう。
俺は、この大木の下を修行のポイントに決めた。
3日間、朝昼晩の1日3回90分づつ、この大木の下でキムさんにレクチャーされた『気』を取り込む行法を行った。
4日目の朝、俺が『行』を行っている間、暇つぶしに付近を散策していたイサムが、慌てて俺の許にやってきた。
『行』を中断されて憮然とする俺に「先輩、こっちへ来てください!」と言って、森の更に奥へと腕を引っ張って行った。
しぶしぶとイサムに付いて行くと、熊笹に半ば埋もれた状態の『妙なもの』が現われた。
平べったい石を幾層にも重ねてコンクリートで固めた円筒は井戸だろうか?
直径1mほどの『井戸』は板状に加工された黒い自然石3枚で蓋がされていた。
更に、井戸の周囲には黒錆に覆われた鉄杭が8本。
・・・似ている。
少し形は違うがマサさんの『井戸』に良く似ている!
精神的な動揺が大きく、『行』は不可能なので、朝の行を取りやめにして山小屋に戻ることにした。
『ヌシ』の前を通過して少し進んだ辺りで、俺は突然、吐き気に襲われた。
鉄臭いニオイの後、大量の鼻血も流れ出てきた。
どうやら、そのまま俺はそこで意識を失ったらしい。
次に気が付いたとき、俺は山小屋の床に横たわっており、外は日が落ちて暗くなっていた。


606 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:30:55 ID:6qXL85WU0
「先輩、大丈夫ですか」
俺が目を覚ましたことに気が付いたイサムが声を掛けてきた。
「ああ、大丈夫だ」そうイサムに答えた後、俺は熊倉氏にかなり強い調子で尋ねた。
「あの、森の奥の井戸のようなものは何なんですか?」
「そう慌てないで、まずは飯を食ってからだ。
 朝から何も喰ってないだろ?」
確かに、異常に腹は減っていた。
普段、俺は食が太い方ではないが、その時は自分でも呆れるくらいに食いまくった。
俺の食いっぷりにイサムは呆れ顔だった。
それを見越したかのように熊倉氏は普段よりかなり多めに用意したようだが、用意された食事の半分以上を俺一人で平らげていた。
食事が済んだ所で、俺は熊倉氏に再度尋ねた。
「あの井戸のようなものは何なんですか?」
 
熊倉氏は、暫し考えてから言った。
「アンタ達はあの『樹』の所からも帰ってきたし、『井戸』を見付けられたんだから、話しても良いのだろうな」
そう前置きして、熊倉氏は興味深い話をし始めた。


607 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:31:42 ID:6qXL85WU0
「君達、この日本と言う国の特殊性をどう考える?
 呪術的と言うか、精神文化的な側面から見た特殊性という意味で」
「前に聞いたのですが・・・、建国以来途絶える事無く続く、制度的・精神的『中心軸』としての『皇室』の存在ですか?」
「そう、確かにそれもある。
 じゃあ、その『皇室』を中心とした『日本国』或いは『日本民族』を存続させてきた『力』の根源は何だと思う?
 王朝や帝国は地中海沿岸や中国大陸、エジプトやメソポアミアにもあった。
 日本の皇室以上に呪術的な王朝は数限りなく存在したが、なぜ、日本の皇室や日本国だけが存続できたと思う?」
俺も、イサムも答えに困った。
熊倉氏の説明によれば、それは日本列島を覆う豊かな森林に負う所が大きいと言う事だった。
日本は先進国中ではトップクラスの、世界的に見ても特に森林の豊かな国と言う事だ。
乱開発による伐採によりかなり減少したとは言え、日本の国土の68%が森林であり、バブル期の乱開発の前は実に75%の森林面積を誇っていたのだ。
68%の森林率は、森林国として有名なフィンランドの73%強に続き、同じく森林国のスウェーデンの67%弱よりも大きい。
因みに世界の陸地の森林率は30%を割っていると言うから、日本が如何に森林に恵まれた国かが伺われる。
この日本の森林の際立った特徴は、森林蓄積の割合で、自然林は意外に少なく、実にその6割以上が植樹による人工林と言う事らしい。


608 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:32:35 ID:6qXL85WU0
日本列島には、太平洋の海流エネルギーが集中し、日本の海域には世界でも最も流線密度の高い暖流が流れている。
流線密度の高い海流が集中する地域は、穏やかな気候に恵まれ雨量も豊富となる。
気候が良く雨量に恵まれれば、その地域に人口が集中し、大都市が形成されやすく、文化・文明が発達する可能性が高い。
海流流線密度が低い地域は乾燥した気候が多く、その分遠隔地から真水を引いてこなければならない。
砂漠が広大となれば大都市が発達する可能性は低く、発達しても都市を支える後背地の自然環境が悪ければ居住環境も劣悪となる。
人口が集中しても文化・文明を発達させる余力に乏しく、貧困やスラムを産むだけだ。
日本列島は元々有利な自然・地理的環境にあったが、そこに住む日本民族自身が、良質な真水を得るために大変なエネルギーを自然に加え続けてきた。
真水を生み出すのは豊富な森林である。
過去、世界で森林を失った国は忽ち砂漠化し、文化・文明から大きく取り残される事になった。
現代においても、産業や先端技術を支えるのは教育の普及などの人的側面も大きいが、物的側面として良質な真水の存在が欠かせない。
産業の基礎となる鉱物資源等を入手する事以上に良質の真水を得ることは難しい。
だが、ただ豊かな森林があるだけでは、例えば広大な熱帯雨林があるだけでは高度な文明や文化は発達しない。
自然環境と人的エネルギーの融合が無ければ、人間の文化・文明を支える良質な背景的自然環境に成り得ないのだ。
日本人は、この自然環境との共生が民族的深層心理のレベルで最も進んだ民族と言うことだ。
日本の神社には必ず森があり、神木がある。
日本民族古来の自然・宗教的な無意識領域では、森が無ければ神は天降ってこない事になっているからだ。
日本民族は、この日本列島と言う自然環境に気の遠くなるようなエネルギーを注ぎ込んできた。
そして、民族的深層心理のレベルで『一体化』を図ってきたのだ。


609 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:33:32 ID:6qXL85WU0
高麗時代、朝鮮半島にも豊かな森があり、白磁・青磁に代表されるような高度な文化・文明があった。
森を切り開いても、その跡には植林が施されていたらしい。
蒙古の侵略を受け、軍船の建造や製鉄の為にかなりの森林が失われたが、それでも植林は行われ森は残った。
高麗の宗教が儒教ではなく、仏教だった事が大きく作用していたようだ。
しかし、500年前、李朝になった途端に朝鮮半島の森林は荒廃し始め、植林も全く行われなくなった。
李朝は、過激なまでに儒教を奨励し、仏教を始め従来の宗教を徹底的に弾圧した。
儒教の教えは人間関係の道徳だけである。
森が無ければ神は降りてこないといった、日本の神道に見られるような、自らの生存基盤である自然環境と調和しようとする民族的深層心理の醸成に全くと言って良いほどに寄与しない。
画して、李朝時代の朝鮮半島では材木や燃料として木を切り出しても植林される事は無く、山々から緑は失われた。
やがて、『森を失った李朝』は衰退し、朝鮮民族は文化・文明的な死に瀕することになる・・・
 
熊倉氏の説明に俺は疑問を感じた。
森の生み出す『真水』の重要性は理解できるが、朝鮮半島には漢江のような流量の豊かな河川が数多く流れているではないか?
熊倉氏に疑問をぶつけると、彼はニヤリと笑って答えた。


610 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:34:24 ID:6qXL85WU0
そう、豊かな水が有るだけでは、多くの人口が集まるだけでは豊穣な文化も高度な文明も生まれない。
そう言ったものが生まれるには、人間のエネルギー、『気』や『念』と言ったものが集積され昇華されることが必要なのだ。
その源泉となるのが、太陽や大気からの『気』、或いは土や岩石などの大地からの『気』なのだ。
だが、人間を始めとした動物は、そう言った天地の『気』を自らの力として直接に使うことは殆ど出来ない。
風水などを用いて『気』の流れに手を加えるのが良い所であり、肉体や精神に自然界の『気』を取り込むには特殊な技術を要する。
太陽や大気、大地と言った『無生物の気』『環境の気』を直接使える『生きた気』に変換出来るのは植物・・・つまりは森だけなのだ。
自然環境を破壊して森を失った民族は、エネルギーの源泉を失い、やがては衰退して行く。
風や太陽、大地などの『無生物の気』は非常に強く、それに抗う人間という生物の持つ『気』は余りに微弱なのだ。
 
疑問もあったが熊倉氏の話には納得できる点も多々あった。
確かに大気中の二酸化炭素を光合成によって酸素と炭水化物に、或いは土中から各種の無機物を取り入れ栄養素と出来るのは植物だけである。
これ程までに科学の発展した現代においても、光合成の完全人工化には未だ成功してはいないのだ。
無生物から生物への気の流れの話は、『森が無ければ神は降りてこない』という話とも辻褄が合う。
納得仕切る事は出来なかったが、面白い物の見方だと俺は思った。


611 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:35:18 ID:6qXL85WU0
朝鮮総督府は、朝鮮半島全域で大規模な植林事業を展開した。
禿山に少しでも早く緑をと、生育が早く寒冷な朝鮮半島の気候にも耐えられるアカシアの木が多く植林された。
だが、日本の支配が終わると、朝鮮民族は後先を考えない無軌道な乱伐で、再度自国の山々を不毛の禿山にしてしまった。
彼らは、乱伐の責任を商品価値の低いアカシアを植林した朝鮮総督府に転嫁しつつ、自ら植林しようとはしなかった。
だが、禿山だった韓国の山々に30年ほど前から緑が復活し始めた。
政府主導で植林事業が強力に推し進められたからだ。
だが、植林の初期には、ある程度育った若木がオンドルの燃料などとして無断で伐採される事も少なくなかったそうだ。
韓国政府は国有林の無断伐採に懲役刑も含めた重刑を科すことで森林の育成を推し進めた。
森の復活と共に、やがて韓国はエネルギッシュな経済国として目覚しい発展を遂げた。
同じ民族の国家である北朝鮮とは好対照である。
政治経済が破綻し、国民に餓死者を出す有様の北朝鮮の山々は、今なお岩肌をむき出した禿山が殆どである。
だが、先進国の一角を占めるようになった韓国の国土面積に占める森林率は実に63%強。
主要国ではスウェーデンに次ぐ森林大国となっている。
批判的に見る向きも多いのだろうが、数百年ぶりに森の戻った韓国の体質は北朝鮮やその他の国々に比べ極めて有利なものと言えるのではないだろうか?
恐らく、朝鮮民族始まって以来最大の繁栄を謳歌している現代の韓国人の姿を見たとき、俺は熊倉氏に聞いた『森の話』を思い起こさずにはいられないのだ。


612 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:36:11 ID:6qXL85WU0
熊倉氏の話は興味深かったが、俺とイサムの疑問、あの『井戸』が何なのかには全く答えていなかった。
俺は熊倉氏に詰め寄った。
熊倉氏は数枚の地図を持ち出してきた。
「日本にはナントカ三山と呼ばれる場所が何箇所もあるが何故だか判るかな?」
「いいえ」
「ピラミッド等もそうだが、三角形と言うのは、『気』や大地のエネルギーを集めるのに適した形なんだ」
「へえ」
「エネルギーを集める効果を強める為に三角を上下に重ねて、集めた気を外に逃がさないようにした図形があるんだが知っているかな?」
イサムが答えた。
「ダビデの星って奴ですか?」
「そう。
 イスラエル国旗の意匠にもなってるね。
 日本では籠目紋と言って、伊勢神宮や鞍馬寺でも用いられていて、しばしば日ユ同祖論の論拠にもされている」
熊倉氏によると、この籠目紋は、比較的狭い空間で『気』やエネルギーを集積する効果を狙った図形らしい。
等辺六芒星の中心点、二つの正三角形の中心にエネルギーを集中する図形だそうだ。


613 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:37:11 ID:6qXL85WU0
熊倉氏は、持ち出した5枚の地図に赤いマジックで点を打った。
赤い点に定規を当て、黒のマジックで線を引くと、それぞれバラバラな形をした三角形になった。
5枚の地図には番号が振ってあって、何やら鉛筆で補助線を引いて三角形の中に点を打った。
点の一つが三角形の重心なのは俺にも判った。
熊倉氏は三角形内の点を通る青い直線を三角形を貫くように引いた。
5枚の地図に同じような図形を描くと熊倉氏は俺達に「何だと思う?」と質問をぶつけてきた。
暫く地図と睨めていると、「あっ」と言ってイサムは地図に書き込みを始めた。
イサムの作業を見て俺も直ぐに気付いた。
この青いラインはオイラー線か!
三角形内に打たれた点は、垂心・重心・外心だったのだ。
熊倉氏は縮尺の異なる別の地図に緑の点を5つ打ち、点に番号を振った。
緑の点の位置はバラバラで規則性は無かった。
熊倉氏はイサムに先ほどの地図と同じ角度で緑の点を通る青いラインを引かせた。
5本の青いラインは、ほぼ一点で交差した。
熊倉氏は青いラインの交点を指差して言った。
「君らが先ほど見た『井戸』はここにある。
 この山にも井戸の蓋と同じ材質の岩が正三角形に配置してあって、井戸はその重心に位置している。
 何故だかわかるかな?」
「正三角形は垂心・外心が重心に一致してオイラー線を定義できないから?」
「正解だ。
 三角陣はオイラー線に乗せて、集積した『気』やエネルギーを外心から重心を通して垂心方向に飛ばす性質があるのさ。
 井戸は集積した『気』を溜め込む仕掛けだな。
 ピラミッドやストーンサークルでも組んだ方が雰囲気も出るが、使用目的から井戸と言う形になっている。
 5枚の地図の赤い点の場所には祠があったり、同じ材質の岩が置いてあったり、お地蔵さんが立ってる」


614 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:38:17 ID:6qXL85WU0
「へえ」
「この仕掛けは、あまり知られてはいないけれど結構ありふれたものなんだよ。
 古墳や遺跡で石室が見つかる事があるだろ?
 全部がそうだとは言わないが、引き込んだ『気』を溜め込む仕掛けとして作られたものも少なくないと思うよ。
 作った人間や関係者じゃないと『気』を持ってくる先の三角陣を見つけて特定するのは不可能に近いけどね」
「面白いですね」
「この仕掛けは、朝鮮半島から渡来人が持ち込んだ物とされているが、逆に日本人が百済に持ち込んだという見解もある。
 出所は不明だが、似たような仕掛けは韓国にもあるんだ。
 まあ、任那日本府とか、天智天皇が済州島の耽羅という国と連合して百済救援の為に新羅と戦ったりしているから関係は相当に深かったのだろう。
 白村江の戦いに敗れた日本は、朝鮮半島から全面撤退したが、その時、滅亡した百済の民を数多く日本に連れ帰ったという言い伝えもあるしね。
 日本の皇室と百済の王室は縁戚関係にあったようだし、百済人と古代日本人はかなり共通した精神文化やメンタリティーを持っていたのだろう。
 両者に共通した祭祀や呪術が有っても不思議は無いだろうさ」
 
「熊倉さん、『気』だの何だの話を振られても困ると言ってる割に随分詳しいんだね」
「友人の榊の受け売りと、自分でも随分研究したからね」
「へえ。
 それで、あの井戸の使用目的って何なんですか?」
「あの中に入るのさ。
 榊家の人々は、代々、成人すると一度はあの井戸に篭るらしい。
 友人の榊も大学2年生の時、あの井戸に一昼夜篭っている」
「なんで、アンタがそれを知っているんだい?」
「アイツの付き添いで私も立ち会ったからな」
「・・・・・・そうなんだ」


615 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:39:11 ID:6qXL85WU0
ややあって、熊倉氏が俺に言った。
「どうだ、試しにあの井戸に入ってみないか?」
「おいおい、勝手にそんな真似して良いのかよ?」
「私は、榊氏からこの山の管理を一任されている。
 榊家の次期当主は既にこの世にはいないし、榊家の血縁者も榊氏以外いないから、問題があっても無くても同じ事だろう。
 大木に同化して、山の木々から根を通じて『気』を取り込むより効率的なんじゃないか?
 井戸に溜め込まれているのは、森から集めた『生きた気』だから、『消化』の為の『循環の行』も必要ないだろうしな。
 怖いと言うなら、無理に勧めないがね」
「それって、挑発されてるんですかね?
 ・・・・・・面白い、その挑発に乗りましょう」
俺は、問題の『井戸』に潜る事になった。
熊倉氏によると、『呪術師』榊は一昼夜、井戸に篭ったらしい。
翌朝、準備を整えると、俺達は問題の井戸へと向った。
 
持って行った鎌で井戸の周り、鉄杭の内側の熊笹を刈り取ると井戸の蓋の石板を外しに掛かった。
石板は1枚80kg程か?
バーベル等のウエイトとしてなら左程重いとも言えない重量だが、相手はただの石の板。
大人二人でなければ扱えない重量だった。
まして、井戸の中から1人で押し上げて外すのは不可能に近い。
刈り取った熊笹を束ねたものに火をつけて井戸に放り込んでみた。
井戸の底で火は消えずに燃えている。
枯れ井戸で水は無いようだ。
心配した酸欠も大丈夫なようだ。
俺は井戸の壁面の石を足掛かりに井戸を降りていった。
真っ暗闇の中、手足の感覚とイサムと熊倉氏が手繰るロープだけが頼りだ。
俺は井戸の底に到達した。
かなり深い。
見上げる空は500円玉ほどの大きさしかない。
やがて正午となったのだろう、イサムが「閉めま~す」と声を掛け、井戸に石板で蓋がされた。


616 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:40:26 ID:6qXL85WU0
全く光の無い漆黒の闇。
壁面に吸収されるのか、全ての音が反響する事無く篭ってしまい、空気をより一層重苦しいものにしていた。
深い深い海の底に沈められたかのように、闇の静寂が圧力となって、やがて俺の精神を押し潰して行った。
井戸の傍には熊倉とイサムが待機しているはずだが、二人の気配は感じられない。
もし、二人がこの場から立ち去れば、俺はこの重苦しい闇の中で朽ちて行くしかない。
熊倉の挑発に乗って・・・いや、好奇心からこの井戸に入ったが、俺はとんでもない判断ミスを犯したのではないか?
昨日、俺が気を失ってる間に熊倉とイサムが通謀して、俺をこの穴の中に遺棄する計略だったのではないか?
そもそも、イサムが旅の随伴者となったのは、色々と知り過ぎて用済みとなった俺を消す為だったのではないか?
俺の脳裏は、恐怖心と猜疑心に埋め尽くされて行った。
心拍と呼吸が乱れ息苦しさは耐え難いものになって行った。
とても『気』を感じるどころではなかった。
・・・・・・不味い、信じ難いことだが、予定の24時間を待つ事無く俺の精神は破綻する!
余りやりたくは無いが、『アレ』をやってみるか・・・・・・
「GyaaaaaWawoogyふじこlp;@:『湖jhンbhbhvgcgcxdzsdftdrgftrsrdty!!!!!!!」
俺は狭い空間でのた打ち回りながら、有らん限りの奇声を発した。
もし、俺の姿を見る者がいたら、発狂したとしか思えなかっただろう。
精神を圧殺する恐怖感を忘れ、人間の恐怖心を足掛かりに憑依しようとする悪霊や魑魅魍魎から身を守る『技法』。
朝鮮式精神均衡法・・・『泣き女』或いは『火病』の術を俺は行った。
『発狂』を演じる事で、逆説的だが恐怖や怒りといった強烈な感情の支配から精神を解放し、冷静な精神状態に戻ることができるのだ。
『感情のエネルギー』が過多で、精神の均衡を失い易い朝鮮人に適した方法だ。
『禅』や『瞑想』と言った日本人好みの『静』的な手法で、既に潰れかかった精神を正常な状態に引き戻すのは非常に難しい。
狂い疲れてきた所で、どうにか俺は精神の均衡を取り戻すことが出来た。


617 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:43:13 ID:6qXL85WU0
冷静さを取り戻してきた所で、妙な事に気付いた。
井戸の中の『気』が恐ろしく希薄なのだ。
不思議だ・・・そう思った瞬間、俺の脳裏に閃くものが有った。
上手い喩えではないが、これまで意識していなかった自分の頭を覆っていた『袋』が急に取り払われたような感覚だった。
頭の霧が晴れた俺は直感的に理解した。
井戸の周りの鉄杭・・・あれは、この山全体が放出する濃厚な『気』からこの井戸を遮断する為のものだったのだ!
「大木に同化して、山の木々から根を通じて『気』を取り込むより効率的なんじゃないか?」という熊倉の言葉が脳裏に浮かんだ。
これは、俺が出発する前にキムさんからレクチャーされた技法の核心だった。
『鉄壷』の時の供養法を更に進めたものだ。
俺は、『井戸』の中に全体に意識を広げ、同化を図った。
瞑想状態が今までの俺の限界を超えて深くなって行くのが判った。
井戸に同化することで、俺は昨晩地図で示された5箇所を含めて8箇所のパワースポットとこの井戸が『繋がっている』ことを『発見』した。
意識を『解放』すると予想通り、俺の中に大量の『気』が流れ込んできた。
この施設は、各地の『パワースポット』から『気』を溜め込むのが目的ではなく、また、溜め込まれた『気』を浴びるのが目的でもなかった。
各スポットからの『気』を集める『道』の集結点である事に意味があったのだ。
そして、俺はマサさんの事を思い出していた。
マサさんと『井戸』は『繋がって』いて、マサさんは井戸のある『結界の地』に祓いの対象者を連れて行かなくても、悪霊や魑魅魍魎を井戸に送り込む事ができるのだ。
榊家の人々が成人後一度はこの井戸に潜るというのは、『一度潜れば』十分ということなのだ。
一度『同化』すれば『繋がる』・・・恐らく、そういうことなのだろう。
以前、榊老人が、老体にも拘らず奈津子の力で仮死状態に陥った飯山とマサさんの処置を同時に行えたのも頷ける。
恐らく、榊老人は、この井戸と『繋がって』いて、この井戸から『気』を引き込んでいたのだ。


618 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:44:09 ID:6qXL85WU0
やがて、予定の24時間が過ぎ去った。
ザイルに引かれながら、俺は壁面の突起を頼りに井戸を上った。
24時間ぶりの外の空気は実に美味かった。
俺は、眩しい太陽の光に目を細めながら、山の木々が発する『気』を目一杯に吸い込んだ。
 
その晩、熊倉氏の最後の手料理に俺達は舌鼓を打った。
俺は熊倉氏に聞いた。
「熊倉さん、俺が井戸に入る前、あなたが言った『大木に同化して、山の木々から根を通じて『気』を取り込む』と言うのは一種の奥義って奴なんだ。
 なんで、呪術師や修行者でもないアンタが知ってるんだ?」
「そんなこと、言ったかな?」
「それともう一つ。
 俺はあの井戸に近付いて、ゲロを吐いて気を失ったが、あれは『結界』の効果なんじゃないですか?
 あなたは俺達に『見つけられた』と言ってましたよね?
 昨日はなんとも無かったけれど、あれは、あなたが結界を解いたからじゃないですか?」
「おいおい、私はただの管理人だよ? 
 知る訳ないじゃないないか」
「井戸の中でも不思議な事が有った・・・色々な事に気付いたり、思いついたりしたんだが・・・本当に自分で『気付いた』り『思いついた』りしたのか確信が無いんですよ。
 流れ込んできたと言うか、誰かに植え付けられたような気がしてならないんだ・・・率直に聞きますが、俺が気を失ってる間に何をしました?」
「私には、君が何を言ってるのか全く理解できない。
 『結界』云々と言うのならイサム君に何も起らなかった事の説明がつかないし、君に何かしたらイサム君がキミに言うはずだろ?
 暗闇で精神を押し潰されて発狂寸前まで追い込まれて、被害妄想が強くなってるんじゃないかな?」


619 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:46:55 ID:6qXL85WU0
暫く無言の時間が過ぎ、熊倉氏が口を開いた。
「木々の根が絡み合って地下で繋がっているように、人間も意識の底で、時間や空間を越えて潜在意識とか集合的無意識で繋がっているそうだよ。
 木々の根のように、・・・蜘蛛の巣のように、絡み合いながらね。
 ここは、代々呪術の世界に囚われ生きてきた榊家所縁の地だ。
 君のインスピレーションは、案外、深い瞑想を行い、井戸と同化する事によって、『榊家の意識』と繋がって得られたものなのかも知れないね」
・・・・・・俺は熊倉氏に『発狂寸前まで追い込まれた』ことも、『井戸と同化』したことも話してはいなかった。
だが、これ以上、熊倉氏を追及する気はなくなっていた。
 
「榊家も次期当主だった榊は既に亡く、現当主の榊氏もかなりのご高齢だ。
 1000年以上続いた呪術の血統も途絶えて、間もなくこの地上から消え去る。
 恐らく、君はあの井戸に潜った最後の人間になるだろうな」
熊倉氏は寂しそうに言った。
 
翌朝、俺達は熊倉氏のジムニーに乗って山を降りた。
別れ際、俺は榊氏と握手を交わしながら言った。
「呪術のことは判りませんが、榊家の血統は残り続けますよ。
 追われる身だった榊氏には、籍は入っていませんが奥さんがいたんです。
 榊氏が亡くなった後に発覚したのですが、奥さんは妊娠していました。
 奥さんは無事女の子を出産されましたよ。
 榊氏のお弟子さんだったキム氏、マサ氏、それと木島氏の手によって先日、親子は保護されました。
 奥さんの千津子さんと娘の奈津子さんは、今は榊氏の許で元気に暮らしています」
「・・・へえ、・・・榊が聞いたら喜ぶだろうな」
俺はタンクバッグを開けて中から1枚のバンダナを出して熊倉氏に渡した。
「これは?」
「奈津子さんが、祖母の榊婦人と染めたバンダナです。
 良かったら使ってください。
 お世話になりました、ありがとうございます」


620 :オイラーの森 ◆cmuuOjbHnQ:2010/02/28(日) 05:51:48 ID:6qXL85WU0
後日、榊氏にお会いした際に熊倉氏と井戸の事を聞いてみた。
榊氏の答えは、「知らない」の一言だった。
『井戸の山』の存在も、管理人の『熊倉氏』も知らないと言う事だった。
シンさんまでもが否定した。
確かに、俺のツーリングマップにも、あの山は記入されていない。
俺が気を失っている間、或いは井戸に潜っている間にでも処分されたのか、熊倉氏の連絡先のメモも、携帯電話の記録も残っていなかった。
イサムまでもが熊倉氏と『井戸の山』を「知らない」と言うのだ。
そして、俺自身が、『山』へも、待ち合わせの場所にも、大凡の位置がわかっていながら2度と辿り付く事はなかった。
だが、奈津子のバンダナが1枚無くなり、俺の中に残ったものがあった。
俺のキャパシティーの問題から量は少ないが、俺は一度『同化』を果たしたあの井戸から『気』を導く事ができるのだ。
『井戸』の隠された大木の森と、オイラー線で結ばれた8つの『三角の森』。
深い緑の森を思い浮かべれば『気』は流れ込んでくる。
そして、これは特別な事ではない。
民族的深層心理のレベルで日本列島を覆う緑の森と結び付いた我々日本人は、誰でも森の『気』をその身に受けることができる。
豊かな森を思い浮かべ、強く感情を・・・『愛』を向ければ、森から流れ込む『気』を感じる事ができるだろう。
多くの人が気付いていないだけで、我々は祖先が幾世代も掛けて守り育ててきた森の木々に愛され守られているのだ。
 
熊倉氏の許を去り、俺とイサムの旅は続いた。
 
 
おわり
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 08:51Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2010年03月05日

契約~祟られ屋シリーズ⑪

契約


296 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:13:14 ID:???0
半田親子が榊家に保護されてから3ヵ月後、マサさんの回復を待って、千津子と奈津子に対する『処置』が行われた。
処置を行ったのは木島とマサさん、そして、以前、ヨガスクールの事件を持ち込んできたキムさんの知り合いの女霊能者だった。
彼女は以前にも『能力』を悪用していたヨガスクール関係者の『力』を封印していた。
そういった力なり技の持ち主なのだろう。
二人の『処置』は成功裡に終わったらしい。
俺は、シンさんの許を訪れる、木島の迎えに出ていた。
駅を出てきた木島は、迎えの車に乗り込むと、俺宛の紙包みを車中で渡した。
中には藍の絞り染めのバンダナが数枚と、2通の手紙が入っていた。
バンダナは、奈津子が祖母の榊夫人と共に染めたものらしい。
額の刃物傷や頭の手術痕、アスファルトで削られた頭皮の傷痕を隠す為に、俺が頭にバンダナを巻いていたのを覚えていたようだ。
手紙は千津子と奈津子からだった。
たどたどしい文字だったが、読み書きが殆ど出来なかった親子の知能は『処置』後、急速に伸びているようだ。
もともと、二人はアパートの大家の熱心な教育?の効果もあってか、日常生活をほぼ支障なく送れるレベルにはあったのだ。
俺は木島に「二人は元気にしているのか?」と尋ねた。
「ああ。榊夫妻が猫可愛がりしてるよ。榊の爺さんは、もう、目に入れても痛くないって感じだな。
偶には会いに行ってやってくれ。お前が行けば二人が、それに榊夫妻も喜ぶ」
「なあ、あの仕事、シンさんは何故俺を選んだんだ?」


297 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:14:05 ID:???0
やや間を置いて木島が答えた。
「シン先生は、組織内で微妙な立場に在るんだ。韓国人でありながら強い影響力を持っていて、組織でも高い地位にいるからな。
キムやマサは、シン先生の指示にしか従わないしな。
能力第一で、血筋や家柄なんて二の次、三の次の俺達の業界でも、逆恨みや、やっかみは跡を絶たないのさ。
特に、毛並みだけは良いが力のない、佐久間のような連中にとっては、シン先生達は目障りな存在なんだ。
奴らにとっての拠り所でもある、毛並みも力も備えた『名門』、榊家の次期当主を消した韓国人のシン先生達への恨みは実に根深いものがあるんだよ。
それに、組織の当初の方針に反して千津子を消さなかったのは、シン先生の強力な働き掛けがあったからだしな。
頭の古い連中に角を立てずに処理するには、非メンバーで日本人のお前が何かと好都合だったのさ。
お陰で、以前から怪しい動きをしていた佐久間や他の鼠を駆除できた。助かったよ」
「全て仕組まれていたって訳か・・・本当にそれだけか?」
「・・・否。
・・・お前は、死んだ榊先生に良く似ているんだ。顔や雰囲気、どうしようもない甘さ加減までな。
あの親子の『力』はちょっと厄介でね。一旦発動すると歯止めが利かないし、彼女達自身がコントロールできる類のものでもないんだ。
・・・死んだ旦那や、会ったことはないが父親にそっくりなお前なら、少しでも成功の可能性が高くなると踏んだのだろう。
実際、あの親子は、お前には心を開いていたからな。かなり際どかったけどな」
「T教団や飯山達は?」
「T教団とは手打ちをした。奴らがあの親子に手を出す事は今後一切ない。
奈津子にやられた飯山は、榊の爺さんの処置で何とか命だけは取り留めたが、寝たきりでアーとかウーとしか言えなくなっちまったよ。
奴らも、あの親子の『力』の恐ろしさが骨身に沁みたらしい。とても飼い慣らせるものじゃないと悟ったのだろうさ」
 
やがて、俺達の車はシンさんの自宅に到着した。


298 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:15:06 ID:???0
木島とシンさんたちの打ち合わせが終わると俺は応接室に呼ばれた。
俺と入れ違いに木島が部屋を出て行った。
「近い内に遊びに来い。榊さんやあの親子以外にも、お前に逢いたがっている人がいるんだ。一席設けるから一杯やろう」
俺の肩を叩きながら、そう言って、木島はシンさん宅を後にした。

木島が出て行くと、シンさんが「掛けなさい」と俺に席を勧めた。
テーブルを挟んでキムさんの正面の席に俺は座った。
席に着くとシンさんが口を開いた。
「汚くて危険な仕事を押し付けてしまって、君には本当に済まない事をしたと思っている。
しかし、君がいなければ恐らくあの親子を救う事は出来なかっただろうし、手の付けられない重大な事態が起っていただろう。
マサも、その後に到着した木島君や榊さんも、あの親子の力を止める事は出来なかっただろうからね」
「そうなんですか?」
「ああ。あの親子の恐ろしい力は、身を以って体験しただろう?
あのマサですら、千津子一人の力を受けきれずに命を落としかけたんだ。
お前の機転で奈津子が止まらなければ、あの場にいた者は全員命を落としていただろう」とキムさんが答えた。
「私は、あの親子をどうしても救いたかった。キムやマサ、木島君もね。
しかし、あの親子の力は危険すぎた。7割、いや8割くらいの確率で、最悪の方法を採らざる得ないだろうと覚悟していた」


299 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:15:50 ID:???0
「それほどにまでに・・・」
「ああ」
「あの親子の力って何なんですか?
あの親子は人に呪詛を仕掛けるタマではないし、あの力の発現は一種の『自己防衛』だったように思えるのですが?
それに、あんな危ない橋を渡ってまで、あなたやキムさん、マサさんや木島さんがあの親子に固執した理由も知りたい」
シンさんは俺を制して言った。
長い話になる。一杯やりながら話そう。そう言うと、若い者に酒を運ばせた。酒は自家製のマッコリだった。
大した強さでもないその酒を2・3杯飲んだシンさんは、
「すっかり酔っ払ってしまった」と言い、「これから話す事は年寄りの世迷言だと思って聞き流して欲しい」と言って昔話を始めた。
シンさんの昔話・・・それは、心ならずも呪術の世界に足を踏み入れて、人生を狂わせた男の話だった。
  
30数年前、宋 昌成(ソン チャンソン)と宋 昌浩(ソン チャンホ)と言う在日朝鮮人の親子がいた。
息子の昌浩は優秀な男で、周囲から将来を嘱望されていたらしい。
父・昌成は息子をC大学校に進学させ民族学校の教員、或いは民族団体の活動家にしようと考えていたようだ。
実際、その方面からの勧誘も盛んだったらしい。
だが、昌浩は日本の大学に進学する事を希望しており、進路を巡って父親と激しく衝突した。
昌浩は勘当状態となり、単身上京。
兄の友人が経営する会社で働きながら、勤労学生として大学に通っていたと言う事だ。

ある時、昌浩は、取引先で、ある女と偶然に出会った。
郷里にいた頃、学校の近辺の図書館や学習室でよく見かけた女だった。
その女、『美鈴』にとって昌浩は見覚えのある顔に過ぎなかったようだ。
だが、昌浩にとって美鈴は密かに憧れた『忘れられない女』だった。
始め、『美鈴』は同郷の昌浩を警戒し、彼を避けていた。
美鈴は郷里のある被差別部落の出身者だった。
また、詳しい事は話さなかったが、人の手を借りて家族の元から出奔してきていたらしい。
美鈴は自分の出自だけではなく、同郷の昌浩を通じて郷里の家族に自分の居所を知られる事を極度に恐れていたのだ。
昌浩は自分の在日朝鮮人の出自を明かして「くだらない」と一笑した。
また、自身も父親と衝突して勘当の身であり、郷里には戻れない立場である事を明かした。
二人は交際するようになり、やがて同棲を始めた。
そして、美鈴が懐妊し、その腹が目立ち始めた頃に事件は起こった。


300 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:16:28 ID:???0
美鈴が懐妊して直ぐに、二人はある男に付き纏われるようになった。
男は美鈴の兄だった。
家族に居所を知られると言う、美鈴の恐れていた事態に陥ったのだ。
だが、昌浩は、美鈴の懐妊と言う『既成事実』から事態を楽観視していた。
美鈴の兄の付き纏いは執拗だったが、同じアパートに住む職場の仲間の協力で美鈴に兄の手が及ぶ事はなかった。
しかし、そんなある日、事件は起こった。
その日は、地元の祭りで昌浩やアパート住民の男達は出払っていた。
女達も食事の世話などで出ていたが、身重で朝から体調のすぐれなかった美鈴は部屋で寝ていたらしい。
このような機会を狙っていたのであろう。美鈴の兄がアパートに侵入し、美鈴を連れ出そうとした。
兄は抵抗する美鈴に激しい暴行を加えた。その現場に祭りを抜け出して美鈴の様子を見に戻った昌浩が出くわしたのだ。
美鈴の兄と昌浩は激しく争い、騒ぎに気付いた他の住民が駆けつけた。
昌浩と争い、揉み合いの中でアイロンで頭を殴打された美鈴の兄は、住民が部屋に踏み込むと鮮血を滴らせたまま、アパート2階の窓から道路へ飛び降り、そのまま走って逃げ去った。

身重の身体に激しい暴行を受けた美鈴は住民達の手によって直ぐに病院に搬送された。
美鈴は流産しており、意識が戻らないまま生死の境を彷徨い続けた。
数日後、病院に泊り込んで、意識の戻らない美鈴の看病を続ける昌浩の下に刑事が現われた。
美鈴の兄が死亡したのだ。
凶器を用いた事、相手を死亡させたことにより、昌浩側の情状は考慮されず、結局、昌浩は3年の実刑を受けた。
昌浩は接見に訪れた弁護士に美鈴の安否を尋ねた。
昌浩の逮捕・拘留中に美鈴は意識を取り戻し、ひとまず命を取り留めた。
やがて裁判が始まり、昌浩は実刑判決を受け収監された。
昌浩は美鈴の身を案じ続けていた。
弁護士の話では、暫くの間は社長夫妻が自宅で美鈴の面倒を見て居た。
だが、結局、姉が美鈴を引き取り、美鈴は郷里に戻ったと言う事だった。
あれ程、家族に見つかって実家に連れ戻される事を怖れていた美鈴が、郷里に戻るとは・・・
美鈴の身を案じつつも、獄中に在って何もできない昌浩は己の無力を呪った。


301 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:17:13 ID:???0
刑期も半分以上が消化された頃、昌浩は毎晩のように悪夢にうなされるようになった。
鬼の形相の美鈴が炎の中に立ち、狂気に見開かれた目で昌浩を睨み付けていたそうだ。
昌浩の身体は日に日に痩せ細っていき、その顔には「死相」が浮かんでいたということだ。
美鈴は家族の元に連れ戻される事を極度に恐れていた。何か只ならぬ事態が美鈴に、そして自分に起こっていることを昌浩は直感した。
そんな昌浩の様子を見て、長年、娑婆と刑務所を出たり入ったりの生活をしていた同房者の男が彼に言ったそうだ。
「兄ちゃん、アンタ、誰かに祟られてるね。
俺は、ムショの中で兄ちゃんみたいなのを何人も見てきたが、みんな年季が明ける前に狂って死んじまった。
人を殺したヤツ、強姦や詐欺、乗っ取り・・・娑婆で他人を地獄に落とした悪党どもが被害者に祟られて死ぬなんてのはよくある話さ。
兄ちゃんが何をしたかは知らないが、お勤めが終われば全てチャラなんて、甘い甘い。
人の裁きと、お天道様の裁きは別物なのさ。
覚悟しておくんだな。
俺たちみたいなのは、碌な死に方は出来ないし、死んでも碌な所には行けないだろうさ」
何故か、昌浩に死の恐怖は無かった。
ただ、一刻も早く出所して、美鈴に会いたい、それだけだった。
美鈴の事で思い悩む彼の出所までの日々は地獄のように長かった。

やがて昌浩は出所の日を迎えた。
昌浩が獄に繋がれている間、塀の外の状況は激変していた。
昌浩の勤めていた会社は倒産し、社長夫婦や同じアパートに住んでいた同僚達もバラバラになって行方が判らなくなっていた。
昌浩は美鈴を探す為に郷里に戻った。
郷里に戻った昌浩は激しい衝撃に襲われた。
昌浩の実家の在った一帯は更地となっていた。
不審火による火事で焼失したと言うことだった。その火事で昌浩の母が亡くなっていた。
近所の住民は更に追い討ちを掛ける事実を昌浩に告げた。
火事が起こる前、昌浩と父・昌成との間に立って昌浩をかばい、何かと力を貸し続けてくれた兄が亡くなっていたのだ。
自動車事故で大破した車の中に閉じ込められた兄は、生きたまま炎に飲み込まれ焼死していた。
そして、父・昌成の行方も判らなくなっていた。
昌浩が服役していた僅か3年足らずの間に、宋家は破滅してしまっていたのだ。
余りの事に打ちのめされた昌浩だったが、当初の目的を果たすため、地元の友人・知人の伝を頼って美鈴の捜索を開始した。


302 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:18:05 ID:???0
高校の同級生や地元の友人を頼って美鈴の過去を探ると、美鈴が話さなかった数々の事実が判った。
美鈴は、出身校の学区から離れた、**部落と呼ばれる被差別部落の出身者だった。
美鈴は実家を離れ、元教師の老夫婦の家に下宿し、そこから学校に通っていた。
美鈴や進学した高校、下宿先には連日嫌がらせが繰り返されたそうだ。
昌浩は美鈴のかつての下宿先を訪れたが、そこは老夫婦が亡くなり空き家となっていた。
昌浩は美鈴の実家があるという**部落を当たってみる事にした。
だが、**部落の名が出た時点で地元の友人達は昌浩の前から皆去って行った。
近辺の同和地区の住民達からさえも**部落は決して近付いてはならないとされる「危険地帯」だったのだ。
宋家は昌浩が中学校に上がる前に逃げてきた朝鮮人の「余所者」に過ぎなかった。
地元での**部落という存在の意味を理解していなかったのだ。
そんな昌浩の前に同和団体の活動家だと言う、日本人の男が現われた。
男は駒井と名乗った。
駒井は「**部落に首を突っ込んでる馬鹿はお前か?
余所者の朝鮮人が・・・他人の土地で勝手な真似をしていると死ぬぞ?」と言って、昌浩をある人物の元に連れて行った。


303 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:18:47 ID:???0
駒井は、活動家時代の宋 昌成の同志だった。
かつて、宋 昌成は住環境が特に劣悪だった同和・在日混住地区における「公営住宅獲得闘争」に身を投じ、多額の資金援助を行った過去をもっていた。
彼は家族や家業を犠牲にして、在日活動家の仲間と共に、某政党の言う所の『日本社会の底辺で苦しむ人民の為の闘争』に身を投じた。
その結果、その地区の公営住宅建設計画が認可され、彼らの説得により戦前からその地区に住み続けていた在日は立ち退きに応じた。
やがて、更地となった土地に真新しい公営住宅が建設された。
だが、地域住民で入居を許されたのは「同和」の日本人だけだった。
「日本人ではない」という理由だけで、共に闘い、立ち退きに応じた在日住民たちは入居を許されなかったのだ。
真新しい公営住宅を目の前に、元の住居を失った在日朝鮮人たちは成す術もなく、そこに入居したかつての隣人である同和の日本人と、立ち退きを勧めて回った昌成達活動家に怨念を向けた。
宋 昌成は、彼に活動資金の拠出を何度も要請してきた某政党や、共に戦った同和団体の活動家に行政側の措置の不当性を強く訴えた。
行政に対する抗議闘争、その地区に住んでいた在日住民の公営住宅入居を認めさせる活動への協力を求めたのだ。
しかし、彼らの答えはNOだった。
昌成は絶望に沈んだ。
立ち退きの説得に回った責任感から、彼は持てる私財を全てつぎ込んで、住家を失った同胞の次の住居の手配に奔走した。
だが、朝鮮人に部屋を貸す家主は同胞の中ですら中々見つからなかった。
度重なる心労や苦労は、平等社会や日韓両民族の和合を信じる理想主義者だった彼を変えた。
日本社会で疎外された在日を守るのは経済力、そして、それを背景とした権力に連なる人脈しかないという考えの持ち主へと変貌した。
彼や在日の仲間を利用するだけ利用して切り捨てた「ペルゲンイ」や「ペクチョン」共、そして、日本社会や日本人に憎悪を燃やすようになって行った。
家業が潰れ破産した宋家は、この地に夜逃げ同然で流れてきたのだ。
家業や家庭を顧みずに昌浩や家族を苦境に陥れたが、理想主義者だった「活動家時代」の父を昌浩は深く尊敬していた。
昌浩の出奔の背景には、変貌した父への反発が大きく作用していたようだ。


304 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:20:08 ID:???0
先の「公営住宅獲得闘争」の折、分断工作に遭って共に戦ってきた在日朝鮮人達が切り捨てられた事に、末端活動家だった駒井達は心を痛めていた。
そんな駒井が、かつての同士であり友人でもあった宋 昌成が「**部落」を探っている事を聞き付けた。
始め「**部落」の事を良く知らなかった駒井は、その危険性を仲間に聞いて、昌成を止めるために、彼の許を訪れた。

宋 昌成は美鈴と美鈴の実家に付いて調べていた。
発端は「お前の息子は、質の悪い女とデキて同棲までしている。面倒が起こる前に別れさせた方が良い」と言うタレコミだった。
宋 昌成は昌浩の兄を通じて、昌浩と美鈴が同棲していることを知っていた。
さらに、昌浩の勤務先の社長から、昌浩の身辺を嗅ぎ回っている連中が居る事も聞き付けていた。
やがてタレコミは「昌浩と美鈴を早く別れさせろ。さもなくば、二人だけではなく、お前の家族にも累が及ぶ事になる」と言う脅迫に変わった。
ここで、昌成は調査会社に依頼して、美鈴と美鈴の背後の調査を開始した。
美鈴が「**部落」という被差別部落出身者であることが直ぐに判った。
だが、被差別部落出身者だからといって、昌成には、昌浩と美鈴の仲を引き裂くつもりは全くなかった。
昌成は、美鈴の妊娠が明らかになると、昌浩には内密に、昌浩の兄を通じて美鈴に当面の生活費まで渡していたのだ。
昌成には某政党と同和団体との遺恨、日本社会や日本人に対する怒りや憎しみがあった。
だが、他方で、そういった『恨』を息子の代まで継続する事は不毛と考えていたようだ。
若い二人には平穏な暮らしを送って欲しい・・・そう願って、**部落に関わってしまったらしい。
 

調べてみると、美鈴の過去は異様な闇に彩られていた。
美鈴には5歳年上の姉がいた。姉の『美冬』はある種の『虐待』を受けていた。
美冬の中学の担任教師と、同和団体の関係者は彼女を救おうと奔走したが、美冬が中学を卒業すると救いの手を差し伸べる手立てを失った。
やがて美鈴が中学に上がり、美冬の担任だった教師は、妹の美鈴の担任となった。
担任教師と件の同和団体関係者は、姉の美冬の強い訴えもあって、中学在学中、家庭訪問を密に行うなど美鈴を監視し続けた。
美鈴は担任教師と同和団体関係者の強い働き掛けにより、中学卒業後、実家から離れた学区の高校に越境入学し、担任教師の学生時代の恩師の下に下宿することになった。
美鈴や下宿先には嫌がらせや脅迫が続いたが、美鈴はこれに耐えて高校を卒業した。
美鈴は実家に連れ戻されることを避けるために、卒業式の前に下宿先の老夫婦の知人を頼って郷里を後にした。
姉の美冬は、少しづつ貯めてきた金を全て美鈴に渡し「二度と帰ってきてはいけない」と言って妹を送り出したと言うことだ。
だが、美鈴が郷里を後にして直ぐ、下宿先の老夫婦が亡くなった。
更に、美鈴の進学に尽力した担任教師と同和団体の女性も時を同じくして急死していた。
関係者の死は、事故や急病など一見普通の死因によるものだった。
だが、周囲の者は皆一様に「**部落の者に関わった報いだ」と言っていたという事だった。


305 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:22:03 ID:???0
「**部落」・・・川沿いにあったその部落は、他の地区とは大きな道路に隔たれていて、正に陸の孤島だったということだ。
50世帯程の小規模の部落で、その成り立ちは調査会社が調査しても良く判らなかった。
その地域の被差別部落は、地元の伝統産業との関わりから、それぞれの部落の成り立ちが比較的明らかだそうだ。
その地域で歴史的に地場産業の最底辺を支えていた被差別部落に、出稼ぎや密入国でやって来た朝鮮人が入り込み混住し始めたそうだ。
部落に入り込んだ朝鮮人労働者は、従来の最下層労働者であった日本人住民の更に下層に当たる最下層労働階層を形成した。
新顔の最下層労働者である朝鮮人労働者に「歴史的雇用」を奪われた部落の日本人住民の生活は困窮を極め、部落は荒れ、住環境は末期的に悪化した。
昭和期に入って技能や職能を身に付けた、或いは戦後の混乱期に経済力を付けた一部の朝鮮人移民は、劣悪な環境だった従来の部落を出た。
彼らは、元いた被差別部落周辺に、新たに朝鮮部落を形成した。
戦後、特に朝鮮動乱で祖国を捨てて流入したニューカマーの朝鮮人は、朝鮮部落内で最下層労働階層を形成して生活圏を確保した。
宋 昌成が「公営住宅獲得闘争」を行ったのは、最初に朝鮮人が流入し、労働環境や住環境が崩壊したまま放置され取り残された日韓混住部落だったのだ。
だが、**部落はその何れにも該当しない特異な部落だった。
周辺との交流が極めて薄く、いつからあったのかも、元々何を生業にして成立したのかも明らかではなかったのだ。
どの部落よりも劣悪な環境にありながら、自治体の対策事業で訪れた県や市の調査員を激しい投石などで排除し続けていた。
非常に排他性が強く、同和団体関係者を含めて、部外者が足を踏み入れるには危険を伴う地域と言う事だった。


306 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:22:55 ID:???0
宋 昌成は**部落の闇に引き寄せられて行った。
**部落に関わって不審死を遂げた者は多い。そんな危険な闇に踏み込もうとする、かつての友を駒井は必死に止めようとした。
だが、そうしている内に昌浩の事件が起こってしまった。
理由はどうであれ、道義上、親である自分が被害者の家族に謝罪しなければならない・・・宋 昌成は駒井の制止を聞かずに**部落へ向った。
駒井は宋 昌成に付いて**部落に足を踏み入れた。
**部落は異様な雰囲気だったそうだ。
駒井は、**部落で、それまで感じたことのないような、言い知れぬ不安感に襲われた。
二人は美鈴の実家に着いた。中から出てきた若い女に宋 昌成は身分と事情を明かした。
若い女『美冬』は、声を潜めて「お帰り下さい」と言ったが、中から現われた男が昌成と駒井を迎え入れた。
兄が亡くなった時点で、美鈴の家族は父と叔父、姉の美冬だけだった。
何故か、仏壇神棚の類は一切なく、美鈴の兄に線香を上げようにも、位牌・遺影もなく遣り様がなかった。
宋 昌成は美鈴の家族に昌浩の行いを詫びた。
昌成も駒井も激しい怒りの言葉を予想していたが、美鈴の父と叔父の言葉は穏やかだった。
だが、二人の眼は異様な眼光を湛えて駒井を凍り付かせた。
駒井に言わせれば『人間の目付きではなかった』と言うことらしい。
美鈴の父親は、あれは不幸な事故だったとか、司直の裁き以上のことは求めるつもりはないと言った言葉を口にした。
叔父の方も、若くして犯罪者の汚名を着ることになってしまった昌浩を心配し、父親である昌成の心労をねぎらう言葉を掛け続けた。
だが、そんな言葉の裏で駒井は耳には聞こえない不思議な『声』を聞き続けていた。
二人に言葉を掛けられている昌成は、魂を抜かれたような、呆けた顔をして頷きながら二人の言葉を聴いていた。
だが、駒井の脳裏に響く不思議な『声』の語る言葉は、恐ろしい呪いの言葉だった。
宋一族は滅ぼされる・・・これに関わってしまった駒井一族も!
駒井は恐怖に震えた。
やがて、宋家の長男が事故死し、火事で昌成の妻も焼死した。


307 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:23:33 ID:???0
駒井は、ある寺の住職に相談して、某部落の古老を紹介された。
この老人は、苦しい、未来の見えない生活に嫌気が差して故郷を後にし、ある霊能者に拾われて修行した経験の持ち主だった。
駒井を見た老人は、駒井に宋 昌成を連れて来るように言った。
駒井は宋 昌成を古老の前に引きずって連れて行った。
どこか、意識に膜が張った状態で、ボーっとした様子だった宋 昌成は、老人の裂帛の気合と共に繰り出された平手打ちの一撃で混濁した意識から呼び起こされたそうだ。
だが、意識を呼び覚まされた宋 昌成の脳裏には、駒井が**部落の美鈴の実家で聞いたのと同じ声が響き始めていた。
この、呪いの『声』は、宋 昌成が発狂するまで消えることは無かったらしい。
いや、発狂してもなお消えていなかったの見る方が正しいだろう・・・
老人は、ある朝鮮人『呪術研究家』への紹介状を書き、駒井は宋 昌成をその研究家の元へ連れて行った。
老人の紹介状と宋 昌成が調査会社に調べさせたレポート、駒井と昌成が話したそれまでの事情を聞いた『呪術研究家』は、独自のルートで**部落に付いて照会し、調査した。
**部落に付いて調査した上で、この呪術研究家が紹介した男が、駒井が宋 昌浩を連れて会いに行かせた男だった。
男は「拝み屋」金 英和(キム ヨンファ)と名乗った。

**部落は、ある『宗教団体』の信者の末裔によって形成された特殊な成り立ちの部落だった。
信仰の詳細、教団や信仰が現在も存在しているのかは判らなかった。
ただ、**部落の人間は外部の者とは交わらず、部落内だけで婚姻を続けていたようだ。
どうやら、**部落は、採石や危険な土木工事の人足のといった仕事の影で、「まじない」や「呪詛」を生業とした一族の集団だったらしい。
そのような部落に於いて、美鈴の実家は何らかの役割を担っていたようだ。
『呪術研究家』にはある程度予想は付いていたそうだが、**部落は日本全国に散らばる、敢えて言うなら『生贄の部落』の一つだった。
生贄の部落・・・
彼らは『澱み』・・・漂流する呪いや災厄、人々の欲望や怨念から生じる『穢れ』が流れ着いて溜まる、或いは溜まるように細工された土地に封じ込められた人々だった。
『澱み』に封じられた人々は外部からの「血」を入れることも、外部に「血」を広げる事も許されなかった。
彼らが『澱み』に封じ込められたのは、その血が非常に強い霊力を持っていた為だと言う事だ。
その『力』故に、民族?の名も、言語も、神話や伝承も徹底的に奪われた。
彼らの血脈が直接に絶たれなかったのは、彼らを滅ぼすことによって生じる『祟り』を祓う事が極めて困難だからと言う事らしい。
彼らは、並の霊力の血統なら3代と続かずに絶えてしまう穢れの地である『澱み』に、霊力を吸い尽くされて滅ぶまで封じられ続けているのだ。
**部落のあった場所は、地理的に『穢れ』や『瘴気』が流れ込み易いその地域にあって、それらが流れ着く『澱み』に位置していた。


308 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:24:50 ID:???0
宋 昌浩は駒井に連れられて寺に逗留していた金 英和に引き合わされた。
昌浩は、駒井と金 英和にこれまでの経緯を聞かされると、宋家に起こった不幸や服役中に見た悪夢に付いて尋ねた。
金 英和は昌浩に言った。
「宋一族には強力な呪詛が仕掛けられている。
私は君の父上から祓いを請け負ったが、残念な事に呪詛と術者の力が強すぎて祓い切る事は出来ない。
呪詛を仕掛けた人間が明らかになれば、交渉するなり、呪詛返しで凌げる可能性もあるのだが・・・」
昌浩は「呪詛とやらを仕掛けたのは、美鈴の実家の人間じゃないのですか?」と尋ねた。
「呪詛の大元は美鈴さんの実家ではない・・・いや、**部落の人間ですらない。
部落や美鈴さんの実家からの呪詛も掛かってはいるが、相手が判っている以上、こちらは大した問題ではない」
「それじゃ、誰が?」
「問題の宗教団体なのか、他の誰かなのかは判らないが、基本的に**部落の人間は、ある種の『依り代』の役目を負わされているだけだ。
あの部落では、部落を構成する『家』の間で『依り代』役を持ち回りして、当番の家を他の家が監視しているのだ。
今は、美鈴さんの実家が当番らしい。
依り代役の家の中で最も霊力の強い人間が呪詛の『依り代』役を引き受けるのが決まりということだ。
一番霊力の強かった美鈴さんのお母さんは『依り代』役をやっていて衰弱死したらしい。
次に力の強い美鈴さんが『依り代』をやるはずだったのだが、子供を作れない者・・・初潮や精通を迎えていない者は『依り代』は出来ない。
美鈴さんの次に霊力の強かった姉の美冬さんが妹の代理をしていたが、彼女は外部の人間を頼って妹を逃がした。
だが、美冬さんは部落の掟と自分達の『血』を甘く見ていた。
美鈴さんを部落の外に逃した事も問題だったが、最も不味かったのは美鈴さんが君の子を孕んだ事だったようだ」
「どういうことですか?」
「どうやら『依り代』が部落以外の、外部の胤で孕むと呪詛が滞って持ち回りの『家』や部落全体に降りかかるらしい。
それ故に、美鈴さんの兄は彼女を取り戻そうとするだけではなく、彼女のお腹の子を潰そうとし、父親である君を殺そうとした」


309 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:26:16 ID:???0
昌浩は尋ねた「それじゃあ、兄とは母は・・・。父はどうなったんですか?美鈴は?」
金 英和は答えた。
「お兄さんとお母さんは、君達の子供が亡くなったことで再び流れ出した『呪詛』によって亡くなったと見るべきだろう。
君と君の父上は相当強い霊力や生命力を持っているようだ。お父上は’まだ’生きている。
君が見たという美鈴さんの悪夢は、彼女を依り代にした呪詛の現われだろうね」
「美鈴は?」
「君が今無事でいられるのは、生まれてこなかった君達の子供の霊と、美鈴さん自身が君への『呪詛の流れ』を止めていたからだ。
一目だけでも彼女を君に逢わせてあげたかったのだが・・・遅かった。残念だ」
昌浩は泣き崩れた。

金 英和は続けた。
「泣いている場合ではない。宋一族に向けられた呪詛は今、君の父上に集中的に向いていて、君には大した影響は出ていない。
しかし、君の父上はもう長くはない。私の知り合いの霊能者が結界を張って守っているが、彼の命は風前の灯だ。
父上が亡くなれば、次は君の番だ。宋家の血脈が滅び去るまで呪詛の流れは止まらないだろう」
「・・・そうですか」
「君は死ぬのが怖くないのか?」
「家族を失い、美鈴や子供も失って、この世に何の未練があります?もう、どうでもいいですよ」
「それでは、君の父上が浮かばれないな」
「?」
「君の父上は、君を助ける為に敢えてその身に呪詛を受けていると言うのに、君がこれではどうしようもない」


310 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:26:56 ID:???0
「助かる方法があるのですか?」
「ある。だが、それには条件がある」
「条件?」
「私や、私の友人の力では君を助ける事は出来ない。
普通の加持や祈祷では、君に降りかかる呪詛は払えないだろう。
他人の力ではなく、君自身が修行して霊力や生命力を大幅に引き上げる必要がある。
その上で、君達の一族に向けられた呪詛を『引き受ける』術を持つ、ある呪術師の親子の力を借りれば君は助かるだろう。
しかし、君が呪詛に耐えるに必要な霊力を身に付けるための、修行を行う時間はない・・・」
「ならば、どうやって?」
「まもなく、韓国から問題の呪術師の親子がやって来る。
私は『契約』により、呪術師の息子が一族の業の後継者となる子を作り、次の代に引き継ぐまで、息子を監視し助ける義務を負っている。
しかし、残念な事に、私は適性を欠いていたようだ。
修行の過程で体を蝕まれ、呪術師として呪詛に触れる過程で命脈を使い果たしてしまったようだ。義務を果たす事は最早出来ない。
私は、自分が蝕まれている事を知ったときから、自分の代わりとなり得る『適格者』を探し続けてきた。
君には適性がある。
強い霊力の『血』を持つ女は、並の霊力の胤では決して孕まない。
まして、**部落の、美鈴さんの霊力の『血』は何代にも渡って濃縮された極めて強い血だ。
**部落以外の者の胤で孕むことは、極めて稀だろう。しかし、美鈴さんは君の子を宿した。
これは、君に極めて強い霊力や生命力が備わっている証拠だ。
君は私の代わりに、『監視者』たる『金』の姓を名乗って、然る時が来るまで、呪術師の息子を助けて欲しい。
私は、君の一族に降りかかる呪詛を身代わりとなって引き受けよう」
昌浩は金 英和の申し出を受け入れた。


311 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:27:45 ID:???0
昌浩は金 英和に連れられて、霊能者・天見琉奇の元に赴いた。
昌浩が着いた時には、宋 昌成は既に発狂し、衰弱し切った状態にあった。
やがて、韓国から『祟られ屋』の呪術師の親子が来日した。
昌浩は金 英和に成り代わって親子と契約の儀式を行い、父親の呪術師に息子と共に師事した。
昌浩は韓国から来た『祟られ屋』だけではなく、霊能者の『天見琉奇』、呪術師『榊』など、数多くの呪術師・祈祷師・霊能者を師に仰いで修行を重ねた。
宋 昌成や駒井の手によって保護された『美冬』は、天見琉奇に師事し、その卓越した霊力から『天見』の名と彼の教団を継ぎ、後に霊能者・天見琉華となった。
やがて、『祟られ屋』の息子は父親から一族の呪法を受け継ぎ、昌浩と共に呪術師として本格的に活動を開始した。
そんな時に舞い込んだのが、呪術師『半田千津子』の抹殺だった。
『千津子』は『美冬』とは出身部落を異にしていたが、同様の『封じられた』血脈に属する女であることが天見琉奇の霊視によって明らかになった。
『千津子』は何者かによって、その強力無比な霊力を利用され『依り代』として、呪殺の道具にされているだけだったのだ。
彼女の一族は、美冬の一族や**部落とはまた違った、巧妙な方法で呪詛の主に支配されていた。
ある種の呪詛により、思考能力を抑えられて、力の抑制や善悪の判断が出来ない『人形』にされていたのだ。
半田親子の知能障害、一旦発動すると歯止めが利かない強力な『力』は、そこに原因があったと言うことだ。
類稀な才能を認められて危険な術を託され、組織において『呪殺』を受け持ってはいたが、榊は性格に問題のある男だった。
非情になれない、特に女子供に甘い男だったようだ。
彼には、正体の明らかでない何者かに呪詛の道具として利用されているだけの哀れな女を消す事は出来なかった。
だが、彼に背後の術者を探し出す力はなく、組織にもその力を持つ者は居らず・・・天見琉奇を以ってしても特定は不可能だった。
榊は死を覚悟して、父の友人であり、弟子の昌浩や韓国から来た『祟られ屋』の息子を統括する幹部でもあった『呪術研究家』の男に後の処理を依頼して組織を出奔した。
・・・『半田 千津子』の助命を嘆願して。
榊にとって、韓国発祥の教団であり、日本の神々や呪術・霊力とは敵対する『T教団』に千津子を委ねたのは、彼女を『支配者』である術者から切り離す上での窮余の策であったのだ。
やがて、組織の命により榊は抹殺されたが、呪術研究家の「下手に千津子に手を出せば、『支配者』を失った彼女の『能力』の暴走を招き、更なる死者が出る。
下手に抹殺を図って犠牲を出すよりは、彼女を保護しているT教団と協定を結び、彼女の力を封印した方が得策だ」と言う主張が採用され、組織とT教団との間で協定が結ばれた。


312 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:28:27 ID:???0
宋 昌成・昌浩親子に『拝み屋』金 英和を紹介した在日朝鮮人実業家で呪術研究家の男・・・シンさん。
韓国から来た『祟られ屋』の息子・・・マサさん。
その父親と契約を結び、名を変えてマサさんを監視し、補佐する呪術師の宋 昌浩=キムさん。
彼らは、マサさんの一族に伝わる特異な『朝鮮の呪法』を以って、彼らの属する呪術団体の中で地歩を固めて行った。
マサさんの一族と組織の関わりはかなり古いものらしい。

以前から不思議に思っていた・・・実業家であり、呪術師や祈祷師でもないシンさんが、組織や呪術の世界、マサさん達に何故関わるのか?
俺はシンさんに疑問をぶつけた。
シンさんは答えた。
「拝み屋だった金 英和は私の息子なのだよ。
申家は、ある無茶な仕事で酷い祟りに遭ってね、一族が滅びかけた事があるんだ。いや、滅んでいるはずだった。
申一族はマサの祖父に救われたが、事業が頓挫した我々には、約束の報酬を支払う事が出来なかった。
だから、『適格者』だった私は、多額の謝礼の代わりにマサの祖父と契約を結んだのさ。
だが、私が修行に入る前に、息子が出来てしまった。
不測の事態で仕方なく、私の代わりに弟が『監視者』として修行の道に入ったが、適性を欠いていたらしく、使命を全うする事無く死んだ。
私と弟に成り代わって、申家のマサの家に対する義務を果たすべく、息子はマサの父親と契約を結んだが、彼も適性を欠いていて命を落とした。
申家の生き残りは私だけだ。
老い先短い私には、命の続く限りマサやキムを補佐する義務がある。
申家の宿命を代わりに背負った宋家・・・いや、キムにはシン家が築いて来たもの全てを託す。
その為に、私はキムを表の仕事の右腕として鍛え続けて来たんだ。事業家としても彼は優秀で、私の期待に応えてくれているよ」


313 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:30:40 ID:???0
シンさんの言葉の後、俺はキムさんに聞いた。
「適格と言うのは、例の『導通』の儀式に耐えられる能力と言うことですか?」
「マサ達が適格者を選ぶ基準は私にも良く判らないが・・・恐らくそうだろうね。
私も、マサが父親から呪法を受け継ぐ少し前に、師匠から君と同じ儀式を受けている。
金 英和は、儀式を受けた後、急速に体調を崩して寿命を縮めた。
あの儀式は相当な下準備と、生まれ持っての適性がないと致命的なダメージを肉体に及ぼすと見るべきだろうな」
「俺はマサさんと契約なんてしていない。それに、マサさんは子供どころか結婚も、女もいないですよね?」
「そうだな。君が適格者だとは思えない。君は日本人だからな。
日本人として日本の神々の加護を受けている君には、あの『井戸の呪法』関わる適性は無いと思うんだ。
肉体的特性は兎も角、霊的特性として、朝鮮民族に限られるんじゃないかと私も思う」
「何でマサさんはPではなく、俺にあの儀式を施したんだろう?」
「それは私にも判らない。ただ、確実に言えるのはP君は間違いなく候補者だったはずだ。
彼ではなく、君に儀式を施したと聞いて、我々も驚いたよ。
肉体的条件に適合しなかったようだが、P君の潜在的な霊能力は素晴らしいものがあったからね。
・・・正直、碌に準備もしなかった君があの儀式に耐えて、今も無事で生きていること自体、私には驚きだよ」 
「俺、『導通』の儀式の実験台だったんだろうか?」
「さあな。だが、アイツも相当に甘い性格をしているからな・・・そこまで、非情な行動に出られるか?
君を儀式の実験台に出来るような奴なら、多分、君があのアパートに着く前に、踏み込むと同時に千津子と奈津子を射殺していただろう。
命を落としかけてまで、あんな危ない橋を渡る事はなかったはずだ」


314 :契約 ◆cmuuOjbHnQ:2009/05/06(水) 01:31:30 ID:???0
茶碗に残った酒をグイッと一気に呷ると、シンさんは俺に言った。
「マサが何を考えているかは判らないが、いずれにしても、君は良くやってくれているよ。
君は身体の傷からも、アリサ君を喪った心の傷からも、痛みを忘れているだけで癒え切ってはいない。
本来、あんな危険な仕事を任せられる状態ではなかった。
緊張が解けて、そのうちに後遺症が出てくるだろう。
暫く暇をあげるから、今はゆっくり休みなさい。君の傷が癒えて戻ってくるのを我々は待っているよ。
好きなバイクでツーリングにでも行くと良い。思い切り羽根を伸ばしてきなさい」
 
俺が部屋を出ようとすると、キムさんが「ちょっと待て」と声を掛けてきた。
「木島の所に顔を出すのは良いが、奴には気をつけろ。アイツは、私やマサのように甘い人間ではない。
何を企んでるかは判らないが、目的の為には何処までも非情になれる人間だ。そこのところを忘れるな。
まあ、たっぷり休む事だ。
戻ってきたら、せいぜい扱き使ってやるよw」
 
俺は一礼して、シンさんのお宅を後にした。
 
 
おわり


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 08:23Comments(1)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2010年03月05日

天使~祟られ屋シリーズ⑩

天使


258 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:18:36 ID:???0
アパートの部屋に戻って一服していると、ドアをノックする音がする。
・・・もう、こんな時間か。
ドアを開けると大家のオバサンが若い女を伴って立っていた。
「金子さん、悪いけど、また、なっちゃんをお風呂に連れて行ってくれる?」
「いいっすよ。それじゃあ、なっちゃん、俺と一緒に風呂に行こうか?」
築40年以上のそのアパートには風呂がなかった。
最寄の銭湯まで歩いて10分ほど。
鼻歌を歌いながら歩いていた奈津子が俺の手を握ってくる。
手を握り返して顔を向けると、奈津子は童女のような笑顔を見せて握った手を振る。
半田 奈津子・・・彼女が今回の俺の仕事のターゲットだった。
 
『仕事』とは、要するに奈津子の拉致だった。
乗り気のしない俺は、一度はこの仕事をキャンセルした。
しかし、結局、シンさんの強い要請でこの仕事を請けることになったのだ。


259 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:19:30 ID:???0
半田 奈津子は20代女性。
家族構成は母親の半田 千津子と母一人、子一人。
彼女の戸籍に父親の名はない。
半田親子は奈津子の幼少の頃から、生活保護を受けながら、このボロアパートに住んでいた。
顔写真の奈津子は愛らしい顔立ちをしていたが、何処となく違和感を感じさせた。
資料によれば、奈津子は知能に少々問題があり、療育手帳も受けていた。
母親の千津子は日常生活に問題はないと言う話だったが、読み書きが殆ど出来ないと言う事だった。
病弱で寝たり起きたりの母親と知能障害を抱えた娘の世話をしていたのは、アパートの大家でもある某教団信者の女性だった。
半田親子も、母親が元気だった頃からその教団の信者だった。
娘の奈津子には、教団斡旋による韓国での結婚式の話が持ち上がっていた。
その地区を取り仕切る教団幹部の強い勧めと言うことだった。
確かに、問題の多い教団ではあった。
教団の布教方法や霊感商法、人身売買の疑いも囁かれる『合同結婚式』で韓国に渡った多数の日本人女性の失踪・・・
半田親子の入信の経緯も自由意志によるものだったのかは怪しい。
だが、社会の片隅に放置されていた親子に救いの手を伸ばす者は、その教団・信者だけだったのも事実だ。
家族の依頼による奪還ならまだしも、余りに理のない行為に思えた。
頭の弱い女一人を拉致するなど、半日もあれば済む仕事だろう。
誰の、どんな目的による依頼だかは知らないが、そこらのチンピラに金を握らせれば簡単に片が付く。
少なくともキムさんや、ましてやシンさんが手を下すべき類の仕事にはどうしても思えなかった。


260 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:21:10 ID:???0
再度、この仕事を要請してきたシンさんに、俺は「何故、俺なんですか?」と尋ねた。
「訳あって、任せられる者がいないんだ・・・何とかなりそうなのは君くらいしか思いつかなかった。
キムやマサには、この仕事は無理なんだよ・・・それに、色々と問題があってね」
シンさんは半田親子に付いての別のレポートを俺に渡した。
レポートによれば、シンさんたちは半田親子を20年以上に渉って監視し続けていたことになる。
レポートを読み進めるに従って、俺の背筋には冷たいものが走った。
レポートの内容が正確ならば、一見、人畜無害に見えるこの親子は恐るべき存在だった。
果たして、俺に勤まるのか?
キムさんがシンさんに促されて「どうしても無理なとき、少しでも危険を感じたら躊躇なく使うんだ」と言って、黒いヒップバッグを渡した。
中には油紙と新聞紙で厳重に梱包されたオートマチック拳銃と予備弾倉が入っていた。
・・・ありえねえ!・・・正直、俺は目の前に現われた物と、これを「使え」と言うキムさん達にドン引きしていた。
戸惑う俺に、銃の説明と一緒に、キムさんは半田親子が監視されるようになった経緯を話し始めた。
話はキムさんとマサさんの修行時代、呪術師として駆け出しだった頃に遡る。


261 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:21:59 ID:???0
ある時、シンさんの属する組織にある依頼が舞い込んだ。
それは、ある呪術師の抹殺だった。
その頃、複数の有力者に雇われた数グループの呪術師が、呪詛と呪詛返しを仕掛け合う『呪術戦』を繰り広げていた。
実際には、高い地位に上り詰め、権力の座に座るような強運の人物に対する『呪詛』を成功させるのは、ある一定の条件を満たさないと非常に困難だと言う事だ。
宿業や運気が下降局面に入った所で、マイナスの流れを加速させる形で行わないと呪詛の効果は現われないらしい。
呪詛によって滅ぼされる者は、ある意味、『運』や『功徳』を使い切って、滅びるべくして滅ぼされて行くのだ。
それ故に、天運を味方に付けている者、宿業や運気の上昇局面、絶頂期にある人物に呪詛を仕掛けて成功させることは難しい。
だが、その『呪術戦』は、権力闘争に勝利して絶頂期にあった、ある男の死によって一旦終息した。
古くからの日本の呪術師グループには、いくつかの不文律が存在するということだ。
例えば、国を導く重要人物を、権力闘争の為に『呪殺』することは基本的にしないらしい。
そこが、呪術師が『呪殺』を用いて権力闘争に積極的に加担し、国と民族を導く資質を持った『指導者』を根絶やしにして亡国を加速させた朝鮮との決定的な違いらしい。
いわば、呪術師間での暗黙の馴れ合いなのだが、その男の死は『不文律』に反するものだった。
また、その男を守護していた、『業界』でそれなりに名の通った呪術師も命を落としたということだ。
更に、他の有力者に付いた呪術師にも、呪詛によると思われる変死・事故が相次いだ。
無差別に呪詛を撒き散らし始めた強力で危険なその呪術師を、呪術界、少なくとも関与した呪術集団は放置できなくなった。
そして、『仕事』以外では、呪術師相互で呪詛は仕掛け合わないという、『不文律』に従わない危険人物を消す仕事が、シンさん達の属するグループに回ってきたのだ。


262 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:23:52 ID:???0
かなり古い成り立ちを持つシンさん達のグループは、『呪殺』も受け持つ専門の呪術師を抱えていた。
榊という日本人呪術師だ。
国内の呪術集団には横の繋がりがあり、この国を亡国に導く『危険人物』に協力して呪殺を仕掛けることも、ごく稀にだがあるらしい。
また、呪術師や呪術集団が、他の呪術集団に属する呪術師を雇ったり、大掛かりな呪法への協力を依頼することも、そう珍しい事ではないようだ。
シンさん達のグループの『呪殺師』だった榊は、キムさんとマサさんの『師匠』の一人でもあった。
榊は、シンさんの属する呪術グループに何代も属し続けた強力な呪術師家系の出身者だった。
困難ではあったが、榊は確実にこの仕事を遂行する力を持っていた。
しかし、榊は自らが所属する呪術師グループと日本の呪術界を裏切った。
消すべき相手の『呪術師』を連れて逃亡したのだ。
榊が連れて逃げた『呪術師』、それが半田 千津子だった。
関係した呪術師グループや裏社会の人間に追い詰められた榊は最悪の行動を取る。
依頼者や関係呪術師グループの秘密をネタに彼らを脅迫したのだ。
依頼者のプライバシーや秘密に深く関わる呪術師・祈祷師としては最悪の、そして命取りの行動だった。
更に、榊はシンさん達のグループが保有していた呪術や呪物のデータを手土産に某教団の下に走った。
どうやら、日本国内の『呪術・呪物』の情報と引き換えに、政・官・財界に深く食い込んだ、韓国発祥の某教団に千津子の安全の保障を求めたらしいのだ。
その話を聞いて、俺はあることに思い当たり、キムさんに尋ねた。
「もしかして、例の『鉄壷』の情報も、榊から件の教団に渡ったものなのですか?」
以前、俺が関わった、朝鮮民族の生命を生贄に、日本皇室を滅ぼさんとした呪詛の呪物である『呪いの器』
封印場所から、何者かの依頼を受けた韓国人窃盗団の手により盗み出された『鉄壷』は、盗品屋の柳から問題の教団の幹部だった西川達の手によって奪われた。
状況から、韓国人窃盗団に『鉄壷』の盗み出しを依頼したのも西川達だったのだ。
「その可能性は否定できないな。まあ、他のルートからの情報に基づいたものかもしれないが。
奴らは、あらゆる方面から、呪術や呪物、『能力者』の情報を収集しているからね」


263 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:24:49 ID:???0
その教団に対する俺の評価は、宗教を隠れ蓑にしたマルチ商法の集団という程度のものだった。
政・官・財界に深く食い込んでいるのも、結局の所、世俗的・経済的利益追求の為と思っていたのだ。
だが、俺がキムさんに雇われるテストケースとなった事件で、信者から運気を奪い取る邪法を仕掛けていたカルト教団と同様、この教団の闇も深かった。
問題のS教団の最高権力者である名誉会長は色欲と名誉欲、金銭欲にまみれた下種な俗物でしかない。
今回のT教団の韓国人教祖夫妻もまた、それなりのカリスマ性はあるのかも知れないが、色欲会長と同等以下の俗物にしか見えなかった。
しかし、T教団はS教団と比較にならない位に、危険で根深い団体なのだということだった。

T教団は成立当初から、単なる宗教団体の枠を超えた存在だった。
戦後、アメリカはソ連・中国・北朝鮮・ベトナムといった社会主義国を包囲する為に、全アジア地域に対する反共軍事同盟を結んだ。
更にアメリカは公然たる軍事的、外交的活動の陰で、CIAという巨大な諜報・謀略機関を使い、各国の財界、政界、軍隊、警察から右翼やヤクザに至る反共勢力を集めた。
世界各地で露骨な反共運動、密かな謀略活動を行わせ、気に入らない政府を流血のクーデターで転覆させ、指導者を暗殺した。
この、アメリカの国策による反共産・社会主義の流れの中で誕生したのが韓国・P政権であった。
T教団は、宗教団体であると同時に、韓国における反共活動組織として、韓米両政府の力をバックに急成長したのだ。
その頃の日本政府も、国鉄労組による左翼活動や安保闘争などに手を焼いていた。
米CIAにとっても、安保闘争におびえた日本の支配層にとっても、共産活動に対抗する、既成右翼勢力ではない新しいタイプの反共団体が必要であった。
特に献身的・無条件に、疑いを抱かず、盲目的に反共活動だけに専念する若いエネルギーが求められた。
そこで目を付けられたのが、韓国においてキリスト教原理主義のもと、数多くの若者が献身的に活動しているT教団だった。
日本に上陸したT教団は、政界・財界・警察を中心とした官界に根深く浸透していった。
国家による暗黙の下、T教団はキリスト教の外皮と呪術的手法により、日本社会を広く深く浸食していった。


264 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:26:44 ID:???0
当初から、日本の宗教界・呪術界はT教団を危険視していた。
韓国政府とキリスト教系宗教団体であるT教団が、ユダヤ・キリスト教『汎世界エスタブリッシュメント』と深く結び付いていたからだ。
T教団の使命は反共工作活動と同時に、宗教と言う『麻薬』により、彼らの支配の障害となる、各国の愛国者を骨抜きにする事にあったのだ。
そして、『皇室』を頂点として強力な霊力・呪力を有し、壊滅的敗戦によっても彼らに併呑されない日本と言う『特異国家』に於いては、更にもう一つの使命が与えられていた。
それは、日本の宗教界・呪術界に浸透し、日本民族の精神世界を破壊・荒廃させ、日本国の霊力・呪力を破壊することだった。
そもそも、T教団の『日本は悪魔の国、天皇・皇室はサタンの化身、日本民族は朝鮮民族に奉仕する奴隷・・・』等といった教義は、それ自体が日本と言う民族国家に対する呪詛そのものと言える。
『子』である日本人自身に日本の神々を誹謗させ、日本民族が受け継いできた精神世界を否定させる・・・T教団の教義に多くの日本人を帰依させることは、何よりも強烈な呪詛なのだ。
敗戦後の神道指令や新憲法下の宗教制度などにより、世俗的な力を奪われた日本の伝統宗教界に、T教団のような『侵略的カルト』に対する抵抗力は残されていなかった。
政界・財界・警察などの力をバックに持ったT教団とその信徒、彼らの走狗である在日韓国人たちが日本の宗教界に浸透し、跋扈するようになった。
彼らの浸透した教団の殆どが、下劣な世俗的欲望に支配されたカルト教団へと成り下がっていった。
程度の差こそあるが、日本の宗教団体・・・信徒数1000人を越える規模の教団で、T教団の浸透を受けていない教団はほぼ皆無と言う事らしい。
前述のS教団もT教団の浸透を受け、乗っ取られてカルト教団へと堕落した数多の教団の一つに過ぎないのだ。
T教団は、多種多様な下部組織やダミー団体を使って、大学のキャンパスや企業、官公庁などで形振り構わない信者獲得を図った。
社会的軋轢や批判を敢えて受けながら広範囲の人材を漁ったのには、もちろん、資金源や世俗的な影響力確保の意味合いもあった。
だが、それと同時に、霊力の平均値が高い日本人にあって、特に霊力・呪力の強い人物を探し出す事も重要な目的だったのだ。
T教団は、日本の宗教・呪術組織の何処よりも、広範囲に『能力者』の情報を収集・保有している組織だということだ。
霊感商法と並んでT教団を有名にした社会問題に、信徒女性を韓国に渡航させての『合同結婚式』がある。
この人身売買も疑われる『結婚式』に参加して、韓国で行方不明になった日本人女性は7000人に及ぶという。


265 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:28:27 ID:???0
なぜ、女性が狙われるのか?
それは、遺伝的に霊能力を集積・定着し、次の血脈に伝えるのは女性に他ならないからだ。
強い霊力を持つ日本女性の血に、朝鮮の呪術の血を注ぎ、より強力な呪術の血を作り出す事が目的だと言うのだ。
理由は定かではないが、日韓(朝)の『能力者』同士の混血は、同民族同士の場合よりも、非常に強力な『能力者』を生み出すらしい。
古くからの呪術や霊能の家に生まれた『能力者』は保護されており、各々の家や所属する組織によって能力をコントロールする術を学んでいるので左程問題はない。
だが、突然変異的に強い霊能力や呪術的な力を持って生まれてしまった者は、その力が強ければ強いほど、通常の日常生活や社会生活が困難になる。
そのような人物を力を削ぎ落とされた日本の呪術・宗教組織が逸早く発見して把握・保護する事は、都市化や地縁社会の解体された現在では非常に困難となっている。
かかる状況下で放置された能力者が、救いを装うカルトに絡め取られる事例は少なくない。
自らの能力に苦しめられた能力者が、居場所と庇護を与えられ、自己の存在価値を認められることによって教祖と教団に依存し、帰依してしまうのだ。
如何わしいカルト教団の中に強力な能力者が散見されるのは、このような事情によるらしい。
韓国で行方不明になった日本女性の中には、こうした『突然変異的能力者』が数多く含まれていると見られている。
また、日本国内の呪術・宗教組織が『能力者』或いは『潜在的能力者』として把握、監視していた人物も含まれていると言う事だ。

T教団には、韓国内の数多くの呪術師や霊能者が幹部、或いは協力者として加わっている。
むしろ、呪術団体としてのT教団の運営者は、『汎世界エスタブリッシュメント』の走狗である彼らだと言った方が正確なようだ。
同胞である韓国人を犠牲にすることも厭わない彼らに反抗して消された韓国人呪術師は多く、日本やその他の外国に逃れた者も少なくない。
日本の呪術団体に所属し、日本の為に働いている韓国人呪術師は多い。
韓国の呪術界から『チンイルバ』として指弾される彼らには、『エスタブリッシュメント』の走狗となって同胞を生贄にする事を厭わない者達に反抗し、祖国を追われた者も少なくないのだ。


266 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:29:39 ID:???0
追われる立場となった榊がT教団の下に走ったのはある意味、必然だったのだろう。
いや、経緯を監視していたT教団の方から榊に接触した可能性もあった。
シンさん達の呪術グループは、裏切り者であり、強力な『呪殺』の術と力を持った榊を放置する事は出来なかった。
キムさんとマサさんは、ある呪法に加わって、師匠である榊に呪詛を仕掛けた。
強力な呪術の血を引き、卓越した呪術の力を持つ榊も、強力な呪力の『源泉』を持つマサさん達には勝てず命を落とした。
榊が死んで直ぐに、T教団とシンさん達の間で手打ちが行われた。
詳細は判らないが、T教団は千津子の呪力を封印し今後一切、呪詛を行わせない事。
シンさん達のグループは、千津子やT教団の幹部に呪詛を仕掛けない事が取り決められたらしい。
千津子はT教団の手により保護された。
だが、直ぐにとんでもない事実が明らかになった。
千津子が妊娠している事が判ったのだ。
千津子はある強力な呪術の血を受け継ぐ女だった。
そこに榊の強力な呪術の血が加わったのだ。
千津子の呪術の血は、ある特殊な由来を持つ血脈に属していた。
この上なく危険な呪術の『血』が、最も危険な団体の手に落ちたのだ。
シンさん達は、千津子と彼女の娘を監視し続ける事になった。


267 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:31:00 ID:???0
奈津子は小学校に上がるまでは、多少の知恵遅れはあったものの、普通の子供だった。
だが、彼女の『能力』の萌芽は凄まじかった。
知能の遅れや動作の遅さ、貧しい身なり等の為か、奈津子は悪童達のいじめのターゲットにされていたようだ。
だが、奈津子は悪童達のいじめや、級友たちの無視にあっても泣かず、いつもニコニコしているような子だったらしい。
ある時、奈津子の通っていた小学校で学芸会が行われた。
クラス全員が体育館のステージに上がって合唱を行う予定だったらしい。
この日の為に、千津子はアパートの大家に手伝って貰いながら、奈津子の為に白いワンピースを縫い上げたそうだ。
奈津子はこのワンピースを着る日を楽しみにしていたようだ。
学芸会の当日、奈津子は千津子に手を引かれて学校へ向った。
親子が学校の正門に続く坂道を上っているときに事件は起きた。
石垣の上に待ち伏せていた悪童達が、親子にバケツで泥水を掛けたそうだ。
奈津子の白いワンピースは悪臭を放つドブの汚水に染まった。
この時ばかりは奈津子も大泣きし、そんな娘の姿を見た千津子も泣いたということだ。
アパートの大家は千津子を連れて学校に猛抗議した。
だが、校長と担任教師は悪童の味方をし、悪童の親の一人はかなり侮辱的な言葉を千津子と大家に吐いたようだ。
大家と千津子の涙を見た奈津子は、唖のように黙り込んで外界に反応を示さなくなり、2週間ほど学校を休んだ。
奈津子が自閉していた2週間の間、悲劇が連続して起こった。


268 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:33:12 ID:???0
奈津子の通っていた小学校では、普段、『登校班』を組んで持ち回りで保護者が子供達を校門まで引率していた。
そんな『登校班』の列に暴走した乗用車が突っ込んだ。
事故は、当時頻発していたAT車の操作ミスによる暴走事故の一例として、報道もされたようだ。
車が大破するほどの事故だったのにも拘らず、突っ込まれた登校班で死亡したのは3人だけだった。
奈津子に泥水を掛けた男子児童2人と、暴言を吐いた母親だった。
更に、奈津子のクラスの児童が次々と謎の高熱を発して倒れ、一人の児童が死んだ。
いつも奈津子に意地悪をする中心となっていた女子児童だった。
事故のためか、『何か』に脅かされた為かは判らないが、女児が死んで直ぐに校長が奈津子のアパートを訪れ、千津子に謝罪した。
だが、翌日から校長は学校を欠勤し、2日後自宅で首を攣っているのを家族に発見された。
校長が死んで直ぐに奈津子のクラスメイトの高熱は下がった。
後遺症の残った児童もいたようだ。
自閉から回復し、再び登校し始めた奈津子を見る周囲の目は一転した。
奈津子は恐怖の対象となっていった。
いつもニコニコして、感情の起伏のない奈津子だったが、一度感情に火がつくと彼女の周囲では死が相次いだ。
千津子が『力』のコントロールを教えたのか、中学の特殊学級を卒業すると奈津子の身辺での変死は起こらなくなった。
だが、レポートに並ぶ数々の変死の実例から、拉致の強行は余りに危険で不可能に思えた。
俺は偽名を名乗って、奈津子の住むアパートに入居した。


269 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:34:55 ID:???0
アパートに入居した俺は、住人による監視の目に晒されていた。
彼らの視線に気付かない振りをしながら、俺はまず、住民の中に溶け込む事に集中した。
やがて、俺に注がれる警戒の視線は弱まり、半田親子との接触も増えていった。
住民と半田親子を観察していて気付いた事があった。
大家を始め、このアパートの住人は、一癖も二癖もある連中ばかりだった。
半田親子が彼らの監視・保護下にあるのは間違いなかった。
しかし、そんな住民達の奈津子へ向ける視線は監視と言うには少々違和感のあるものだった。
教団の指令?や奈津子の『力』への恐怖ではなく、彼女は住民に愛されていたのだ。
奈津子は、立振舞いが少々幼く、言葉も上手くはなかったが、澄んだ目をした女だった。
ありがちな容貌上の『歪み』もなく、見た目は魅力的で健康な普通の女であり、一目見ただけは精神の遅滞など感じられなかった。
人懐っこい無邪気な彼女の笑顔は、人の気持ちを安らがせる不思議な魅力があった。
母親の千津子もそうだったが、この親子の柔らかい雰囲気は人を癒す不思議な力があった。
溶け込んでみると、このアパートには奈津子を中心に居心地の良い幸せな空間が形作られていたのがわかった。
半田親子には、『呪殺』を生業にした恐るべき呪術者の血筋である事、多くの人を死に至らしめた『能力者』の片鱗も見られなかった。
俺自身が奈津子に癒され、当初の目的を忘れかけていた。


270 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:35:57 ID:???0
入居して直ぐに、俺は、サポート役との接触の足として、中古のGB250を手に入れた。
ある日、アパートの前でバイクの整備をしていると、いつの間にか奈津子が近くにしゃがみ込んで、興味深そうに俺の作業を見守っていた。
工具を操る俺の手の動きを目をくりくりさせながら追う様子が愛らしい。
整備が終わった所でキーを挿し、セルを回してエンジンを始動させると、奈津子は「おおっ」と言って手を叩いて喜んだ。
俺は奈津子に「乗ってみるかい?」と声を掛けた。
奈津子は、首を傾げてちょっと考え込むと「うん!」と答えた。
俺は「ちょっと待ってな」と言って、部屋から紫のサテンに鳳凰の刺繍が縫い込まれたスカジャンとヘルメットを持ってきた。
痩せて小柄な奈津子には両方とも大きすぎたようだ。
奈津子の細い肩から上着がずり落ちそうだ。
ヘルメットはどうしようもないので、頭にタオルを巻かせ、アパートの廊下に転がっていたドカヘルを被せて俺達は出発した。
バイクに乗せてから、奈津子は急速に俺に懐いていった。
時々奈津子を後ろに乗せて、走りに出るのが俺にとっても楽しい時間になっていた。
俺は奈津子用のヘルメットを買い与え、紫のサテンの色が気に入ったらしい奈津子にスカジャンも与えた。
奈津子はバイクに乗るとき以外も、サイズの合わないだぶだぶの上着を着て歩くようになった。
こうして、俺は、半田親子の中に入り込むことに成功した。


271 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:37:41 ID:???0
奈津子が俺に懐くようになって、他の住民たちとの関係も急速に好転した。
だが、同時に異変も起き始めていた。
深夜、時々『怪現象』が起こるようになってきたのだ。
電化製品の誤作動や停電、人が近づくまで鳴り止まないピンク電話・・・
金縛りにあった俺は、女のすすり泣く声を聞いた。頭の中に響いてきたその声は、奈津子の声だった。
どうやら、他の住民達も、形や程度は様々だが、各々『怪現象』に見舞われていたようだ。
耐えられずにアパートを出て行った者もいた。
だが、古株の住人達は慣れていたらしく、慌てる者は居なかった。
深夜の怪現象にも拘らず、昼間の奈津子は、いつもと変わらずニコニコと笑顔を振りまいていた。
やがて、怪現象の原因が判ってきた。
現象が起こるのは、決まって、ある男が半田家に立ち寄った日だった。
この男こそが、奈津子に韓国での結婚話をしきりに勧めていた飯山という教団幹部だった。
飯山は強い調子で半田親子に奈津子の結婚を迫っていたようだ。
大家が間に入って親子を庇っていたようだが、教団に庇護されて生活する身で、これ以上の抵抗は不可能だった。
飯山の訪問の頻度が上がるにつれて、半田親子は心労のためか暗い表情を見せるようになった。
俺は奈津子をバイクに乗せて、近くの川まで花見に連れ出した。
同じアパートの住民の男が開いている露店でタコヤキを買って、露店のベンチで食べながら俺は奈津子に言った。
「なあ、なっちゃん。嫌な事は嫌だと言わないと判って貰えないよ?
俺もアパートのみんなも、大家のおばさんだって、皆なっちゃんの味方だよ」
露店の親父もうなづいている。
「自分の気持ち、正直にあのオッサンに言ってみなよ。そうしないと、いつまでも終わらないよ?」


272 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:38:36 ID:???0
数日後、飯山が半田家を訪れた。
俺は室内の様子を伺いながら、踏み込むチャンスを待った。
やがて、飯山の怒声と奈津子の泣声が聞こえて来た。
俺は、部屋に踏み込んだ。
「何だ、君は!」
「その親子の友人だ。アンタいい加減にしろよ?この親子がアンタの持ち込んだ結婚話を嫌がって拒否してるのが判らないのか?」
「信仰上の問題だ。我々には信教の自由が保障されている。部外者の口出しは遠慮してもらいたい」
「憲法20条1項ってやつだな」
「判ってるじゃないか」
「だが、憲法は24条1項でこうも言っている。婚姻は両性の合意のみに基づいて成立するってな」
「・・・」
「この親子はアンタの持ち込んだ結婚話を嫌がっている。アンタ達の合同結婚式は社会問題にもなっているよな?
知的障害を抱えた親子を、その意思に反して引き裂こうと言うアンタ達の行いは、被害対策弁護団やマスコミのいいネタだろうな」
「・・・」
「この親子から手を引けよ。それがアンタの地位と教団の名誉を守る最善の道だ。これ以上無茶を言うなら出る所に出るぞ?」
しばしのやり取りの後、飯山は怒りに煮え滾った視線を俺に向け、親子に「悪いようにはしないから、もう一度よく考えなさい。また来る」と言って出て行った。
 
部屋の片隅で、涙や鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした奈津子が肩を震わせていた。
俺が奈津子の頭を撫でながら、「あのオッサンに嫌だと言ったんだな?よく言えたな、偉いぞ!」と声を掛けると、奈津子は俺の胸に抱きついてきて、声を上げて泣き出した。


273 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:40:33 ID:???0
それから数日間は、飯山も姿を見せず、平穏な日々が続いた。
だが、このまま平穏無事に事態が終息するとは思えない。
俺は警戒を強め、計画の実行の機会を探っていた。
そんな時に、サポート役の男から『緊急事態が発生した。早急に接触したい』連絡が入った。
バイクを引っ張り出してエンジンを掛けようとすると奈津子が玄関から出てきてきた。
俺が「悪いな、これから用事があるんだ。また今度な?」と言うと、
奈津子は首を振りながら「お姉ちゃんが、行っちゃダメだって言ってる。行かないで」と言う。
だが、俺は「ごめんな」と答えて出発した。
奈津子の言葉が気にならないではなかった。
だが、奈津子の言う「お姉ちゃんを」アパート住民の水商売の女性と誤解し、彼女が飯山の再訪を警戒して言ったのだと俺は思い込んでいた。
俺の留守中の守りは、タコヤキ屋の男に任せてあった。この男は教団信者でもなく、信用できる男だった。
少なくとも、サポート役として派遣されてきている男よりは信用していた。
俺は指定された場所へとバイクを飛ばした。

サポート役として派遣されてきていた男は佐久間と言う日本人だった。
シンさんの配下ではなく、木島の関係者だった。
話をしていて、この男が、韓国人でありながら組織で重要な地位を占めるシンさん達に良い感情を持っていないことが判った。
また、呪術や霊能といった『能力者家系』ではなく、一般家庭の出身である俺を見下していることも肌で感じられた。
俺は、佐久間を信用できず、最悪、フォローなしの単独での計画実行を覚悟していた。
だが、強攻策に出れば半田親子がどんな反応を示すかわからず、シンさんに渡された拳銃を使用するような事態は絶対に避けたかったので、正直、手詰まりの状態でもあった。
 
40分ほどバイクを走らせると、俺は指定場所に到着した。


274 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:41:34 ID:???0
デイマースイッチでライトを点滅させると、前方のセダンから3人の男が出てきた。
一人は佐久間、後の二人は知らない顔だった。
一人はガタイも良く、荒事にも慣れていそうな雰囲気だった。
もう一人は初老の男性で、体躯は貧弱だが、狡賢そうな油断できない雰囲気を漂わせていた。
俺は佐久間に「緊急事態とは何だ?この二人は何者だ?」と語尾を強めて尋ねた。
すると、初老の男が口を開いた。
「金子さん・・・いや、・・・さんでしたね。あなた方の計画は佐久間さんから聞いて、貴方があのアパートに入居する前から知っていました」
「佐久間、テメェ・・・」
「お怒りはごもっとも。しかしですね、佐久間さんも、あなたも、あの韓国人たちに『拉致』なんて汚い仕事を押し付けられた訳ですしね。
韓国人の手先となって、日本人のあなた方が同じ日本人である半田奈津子さんの拉致に手を染める事に良心の呵責はありませんか?」
「・・・」正直、痛い所を突かれて俺は沈黙した。
「我々は半田さん親子をこれまでもお世話して来ましたし、これからもお世話し続けるつもりです。
奈津子さんの結婚話も、先方は奈津子さんを大変気に入っておりまして、お母様の千津子さんも韓国に呼び寄せて面倒を見たいとおっしゃっています。
このまま日本にいて、あなた方の下に行ったからといって、あの親子が幸せになれる保障は、失礼ながら無いと思いますが?
配偶者を得て子供を生む・・・女性なら誰でも望む当たり前の幸せを、私どもの許を離れた奈津子さんが得られる可能性は低いのではないでしょうか?」
この男の言葉は、俺がこの仕事を請ける以前から葛藤してきた事、そのものだった。
俺の心は揺れた。


275 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:42:29 ID:???0
そんな俺の迷いを突く様に男は言葉を続けた。
「任務を放棄すれば彼らの事だ、奈津子さんのお父様の榊氏のように、あなた方の組織は貴方や佐久間さんを消しに掛かるでしょう。
しかし、ご心配ありません。
我々も強力な呪術師や霊能者を多数抱えておりますし、あなた方の組織と交渉して半田千津子さんの時と同様に『不可侵条約』を結ぶ事も可能です」
俺は黙って男の言葉を聞いた。
反論しない俺の様子に満足したのか、更に男は言葉を続けた。
「佐久間さんは何代も続く立派な祈祷師の家系のご出身です。
あなたも、これまでの仕事振りから、相当な素質の持ち主だと思われます。
しかし、あなた方の組織は、あの韓国人たちに牛耳られて、日本人のあなた方は不当に軽んじられているのではないですか?
佐久間さんは立派な血筋なのに正式な祈祷師・呪術師の地位を認められてはいませんし、貴方はキム氏の会社の従業員扱い。
危ない仕事に数多く関わられているのに、『組織』の正式メンバーですらないですよね?
失礼ながら、正当な評価とは思えません。
もし我々に力添えしていただけるのであれば、正当な地位と報酬を約束させていただきます。
貴方の才能を伸ばすべく、『修行』のお手伝いもさせていただけると思います。
佐久間さんからは快諾を頂いております。貴方も是非に!」


276 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:43:14 ID:???0
男の言葉には納得できなかったが、反論の言葉も見つからなかった。
そんな俺の脳裏に『行ってはダメ』と言う奈津子の言葉と、何故かアリサの顔が浮かんだ。
俺は迷いを払って言った。
「俺は別に拝み屋になりたいとも、組織で地位を築きたいとも思っていないんでね。
まあ、給料やギャラは、タンマリ貰えれば文句は無いが、見境無く餌に飛びつく犬は毒を喰らって早死にしかねないからな。
俺は彼らに対して恩義がある。これは俺の信義の問題だ。
例え飢えたからといって、信義に反して他人から餌を貰うつもりは無い。
他人を裏切って自分の下に来た人間を俺は信用しないし、信用されるとも思えないしな。
あんたの言葉はもっともらしく聞こえるが、日本人の俺には、日本を悪魔の国、日本人を韓国人に奉仕する奴隷と看做すアンタ達の教義には帰依も賛同も出来ない。
日本人でありながら、あの教義に賛同し帰依できるアンタ達も理解できない。
俺はこの仕事で、あの親子と縁を持った。
韓国へ渡って行方不明になった日本人女性がどうなったか判らない以上、あの親子を韓国に行かせるつもりは無い。交渉は決裂だ」 
「残念ですね。でも、あの親子は飯山さん達がもう連れ出しているでしょうから、あなたには手遅れだと思いますよ」
俺はジャケットをめくり、ウエストバッグから拳銃を取り出して言った。
「お前ら、フェンスを乗り越えて向こうの倉庫のステージまで行け。おかしな真似をしたらコイツをぶっ放す。
佐久間、車のキーをこっちに投げろ。さあ、早くするんだ」
佐久間がセダンからキーを抜いて俺の方に投げると、3人は2mほどの高さのフェンスをよじ登って向こう側に下りた。
俺は、3人が十分に離れたのを見計らってセダンに乗り込み、アパートへ向った。


277 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:45:13 ID:???0
アパートに着くと、白いミニバンと見覚えのある四駆が停まっていた。
俺は車を降りてアパートの中に入った。
アパートの中は騒然としていた。
靴も脱がずに上がり込んで、2階にある半田家の部屋に向った。
部屋の前に見覚えの無い若い男が、魂を抜かれたように呆然と立っていた。
部屋からは異様な空気が漂っていた。
中に入ると台所の流しを背にして誰かいた。
マサさんだった。
脂汗をびっしょりとかいて、立っているのがやっとといった様子だった。
極度の集中状態で俺にまるで気付いていない様子だった。
奥の部屋には飯山と奈津子が倒れていて、マサさんの視線の先には千津子が仁王立ちしていた。
トランス状態とでも言うのだろうか?
異様な殺気を双眸から発して、千津子はマサさんを睨み付けていた。
だが、俺が部屋に入ったことで二人の均衡状態が破れたらしい。
マサさんが胸を抑えて苦しみだした。
「チズさん、いけない!」そう言って、俺は慌てて千津子に駆け寄って肩を揺すった。
千津子の目が肩を掴む俺にギロリと向いた。その視線に俺の背筋は凍りついた。
そして、千津子は白目を剥いて倒れた。


278 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:47:32 ID:???0
千津子が意識を失うと、台所でマサさんがズルズルと崩れ落ちた。
クソッ、どうなっていやがるんだ!
奈津子と共に室内に倒れている飯山は、赤黒い顔色で泡を吹いて意識がない状態だった。
奈津子と千津子の何れかは判らないが、親子を無理やり連れ出そうとして、彼女達の『力』で殺られたのか?
混乱する俺に、マサさんが肩で息をしながら言った。
「おい、シンさんから預かった拳銃を持っているな?もう、俺の手には負えない。
その子が目を覚ます前に撃て!」
「ば、馬鹿言ってんじゃねえよ!そんな事、出来るわけねえだろ!」
「いいから、さっさとやれウスノロが!説明している暇はないんだよ!どけ!」
マサさんはフラフラと立ち上がった。
マサさんの右手には俺のと同じ型の拳銃が握られていた。マサさんの銃口が奈津子に向く。
俺はマサさんと奈津子の間に立って拳銃を抜いた。
マサさんに銃口を向けて「アンタらしくないな・・・何故なんだ?」と問いかけた。
「バカヤロウ・・・甘いんだよお前は!クソッ、もう、手遅れだ・・・」そう言うとマサさんの膝がカクッと折れた。
マサさんが崩れ落ちるのと同時に、背後からゾワゾワッと悪寒が走った。
倒れていた奈津子が上体を起してマサさんを睨み付けていた。
俺は慌てて、奈津子の肩を掴んで激しく揺すった。
「ダメだ、なっちゃん!止すんだ!」そう言った瞬間、奈津子の目が俺を睨み付けた。
奈津子に睨み付けられた瞬間、俺の全身に電撃のような痛みが走った。


279 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:49:05 ID:???0
俺の胸は心臓を握り潰されたような激しい痛みに襲われ、全身の血が沸騰したかのようだった。
これが奈津子の力なのか?
呪殺者の血脈、多くの人間を死に至らしめてきた力か?
シンさんやキムさん、そしてマサさんが恐れるのは無理も無い。。。
あんなに優しくていい娘なのに、こんな力を持ったばかりに・・・不憫な・・・
ブラックアウトしかけた俺の視界に、奈津子の色の薄い柔らかそうな唇が映った。
何を考えてそうしたのかは覚えていないが、俺は最後の力を振り絞って奈津子と唇を合わせ、強く抱きしめた。
クソッタレ・・・目の前が真っ暗になって、意識が途絶えた。

女の泣き声と、男の「もう大丈夫だ」と言う声で俺は目を覚ました。
心配顔の千津子と涙でベソベソになった奈津子が俺の顔を覗き込んでいた。
「まだ動くな。調息して気を一回ししろ。それから、末端からゆっくりと『縛り』を解くんだ。できるだけゆっくりとな」
声の主は木島だった。
1時間ほど掛けて、俺はようやく起き上がることが出来た。
マサさんの処置は見知らぬ老人が行っていた。
・・・助かったのか・・・何故?
応援がやってきて、俺達はアパートを後にした。


280 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:50:57 ID:???0
木島の運転するマサさんの車に俺は揺られていた。
助手席にマサさん、後部座席に千津子と奈津子、そして俺。
二人は『力』を放出し切ったせいか、泥のように眠り込んでいた。
眠り込んではいたが、奈津子は俺の手を離そうとしなかった。
俺は目を閉じて、調息と滞った気の循環を行っていた。
そんな俺に、マサさんが、いかにもダルそうな声で話しかけて来た。
「お前、あの時、本気で撃つ気だっただろう?酷い奴だ・・・」
「二人はこれからどうなるんですか?事と次第によっては、今度は迷わず撃ちますよ?」
木島が口を挟んだ。
「そうカッカするなよ。二人は『力』を封じた上でマサの『祓い』を施して、ある人物の元で丁重に保護する」
「ある人物?」
「榊さんだ。この娘の祖父に当たる人だ。さっき、マサに処置を施していた爺さんだよ」
俺は絶句した。


281 :天使 ◆cmuuOjbHnQ:2009/04/30(木) 04:52:26 ID:???0
「しかし、よくもまあ、二人とも助かったものだ」木島の言葉にマサさんが続けた。
「まったくだ。良く、あんな状況であんな手を思いつくものだ。あんなことはしないだろう、普通?」
「・・・」
「あれで、その娘の毒気はすっかり抜け落ちてしまったからな。
木島が駆け付けた時、この娘、お前にすがり付いて、わんわん泣いていたらしいぞ」
「いい泣きっぷりだったよ。しかし、まあ、後が大変だな」
「なにが?」
「乙女の唇wを奪ったんだ、高くつくぞ?この娘にとっては初めてだったろうしな。
純粋で真っ白な娘だ。面倒な事になりそうだなw」
「自業自得だ。自分のやったことの責任は自分で取るんだな。俺は知らねぇw」
マサさんがそう言うと、奈津子が寝返りを打って、俺の方に身体を委ねてきた。

穏やかな寝息を立てる奈津子の寝顔は天使そのものだった。
 
 
おわり


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 08:21Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2010年03月05日

幻の女~祟られ屋シリーズ⑨

幻の女


149 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:42:22 ID:???0
どれくらい眠っていたのか、その時の俺には判らなかった。
だが、「ねえ、そろそろ起きない?私、もう行かなきゃいけないんだけど」と言う声で俺は眠りから覚まされた。
声の主は多分、アリサだったと思う。
頬に手を触れられる感覚で、朦朧としながらも俺は目を開いた。
眩しい白い光が俺の網膜を突き刺す。
徐々に明るさに慣れてきた俺の目は見知らぬ天井を見上げていた。
目が回り、吐き気が襲ってくる。
体が異常に重く、全身の筋肉が軋んで痛む。
状況が飲み込めずに呆然としていると、ベッドの横のカーテンが開き、見覚えのある女が俺の顔を覗き込んだ。
2・3年ぶりに見た顔だったが、姉に間違いなかった。
霧のかかった俺のアタマでは姉が何を言っていたのか判らなかったが、慌しい人の気配を感じ、俺は再び眠りに落ちて行った。


150 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:43:03 ID:???0
ヨガスクールの事件が終わり、マサさんと飯を食った後、俺はその足でアリサのマンションを訪れた。
インタホンを鳴らし、エントランスを通ってアリサの部屋まで上がると、アリサは俺を歓待した。
手土産の花とケーキの箱で両手が塞がった俺にアリサは抱き付いた。
「お仕事は終わったの?」
「ああ」
「う~、女の人の臭いがする・・・」
「えっ?!」
「・・・嘘よw」
リビングのソファーに腰を下ろす俺に紅茶とケーキを出すと、アリサは寝室へと引っ込んだ。
寝室から戻ったアリサはラッピングされた箱を俺に渡すと「ハッピーバースデー」と言った。
すっかり忘れていたのだが、俺が山佳京香ヨガスクールに潜入している4ヶ月弱の間に、俺の誕生日は過ぎていた。
箱の中身は、俺がその時使っていたものと同じカスタムペイントの施されたバイク用のヘルメットだった。
このペイント・・・マサさんが、俺の行き付けのショップを紹介したのだろうな・・・
俺はアリサに「ありがとう。大事に使わせてもらうよ」と礼を述べた。


151 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:43:50 ID:???0
俺の言葉に「うん」と答えたアリサの表情は浮かなかった。
こういう時は殆どの場合、彼女は厄介事を俺に隠していた。
そして、彼女の厄介事とは、まず間違えなくストーカー関係のトラブルだった。
俺が彼女と知り合う切っ掛けとなったのも、彼女の知人経由で悪質なストーカーからのガードを依頼されたことからだった。
アリサには強い霊感と共に、人を惹きつける不思議な吸引力があった。
それがある種の男達を繰り返し惹き付けた。
アリサに惹き付けられた男達は、一様に彼女に対し強い嗜虐心を煽り立てられるようだ。
だが、アリサがストーカー被害を相談できる相手は、ごく少数の者に限られていた。
警察に相談すれば?と言う疑問もあるとは思うが、ニューハーフだった彼女はストーカー被害を警察に相談して余程屈辱的な扱いを受けたのだろう。
彼女は警察を全く信用しておらず、相談の相手は俺や、以前働いていた店のママなどに限られていた。
俺は、ママに言われたからではなく、アリサを守ることは俺の仕事・・・そう心得ていた。
だが、俺のストーカーに対する「制裁」が苛烈すぎたのだろう。
アリサはギリギリまで俺に隠して自己解決を図ろうとした。
自己解決・・・ストーカーが諦めるのを待って、ただ耐えるのが「解決」と言えればの話だが。
そもそも、ストーカー被害を第3者の力を借りずして解決するなど、まず不可能な事なのだ。
俺はアリサを問い詰めた。
アリサが俺に語った話は意外なものだった。


152 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:44:31 ID:???0
俺の不在中、案の定アリサはストーカーに付き纏われていた。
アリサはキムさんの「表」の仕事関連の事務を請け負っており、その関連で彼女のストーカー被害がキムさんの耳に入った。
自宅と事務所の往復は事務員の男性の申し出で、彼の通勤の車に便乗していたようだ。
だが、それだけでは心許なく、キムさんはかつて行動を共にしたことのある権さんをアリサのガードに付けた。
以前、「裏」の仕事に協力してくれたということで、キムさんの計らいによるノーギャラでの警護だった。
ストーカーの正体は意外な形で明らかになった。
犯人は北見という男だった。
北見は以前にもアリサに対してストーカー行為を働き、俺の手による「朝鮮式」のヤキで一度目は「電球」を、二度目は尿道でポッキーを喰わされた男だった。
北見のアリサに対する異常な執念は恐ろしいものだったが、そんな北見がアリサのマンション近くの路上で刺されたのだ。
北見の怪我自体は重傷ではあるが、命に関わるものではなかった。
警察は治療が終わり北見の意識が回復すれば、本人から犯人に付いての供述を得られると考えていたようだ。
しかし、麻酔から覚め、意識を取り戻した彼は心神喪失の状態にあり、何かに激しく怯えるばかりで供述を得られる状態では無かったようだ。
捜査は難航し、犯人は捕まらなかった。
だが、北見が再起不能になって、アリサへの嫌がらせはピタリと止んだ。


153 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:45:22 ID:???0
北見を刺した犯人は捕まらなかったが、アリサへのストーカー被害が止んだ以上、そこから出来る事は殆ど無かった。
しかし、依然アリサは自分に向けられる「監視の視線」と尋常ではない「悪意」を感じていた。
アリサの様子に権さんも何か感じる所が有ったのだろう、キムさんに「普通」の事案ではないかもしれないと報告した。
キムさんから話を聞いたマサさんは、俺が不在の間、アリサの相談を聞いていたようだ。
北見を刺した犯人は依然逮捕されておらず、アリサは不安に怯えていた。
キムさんの「有給休暇扱いにしてやるから彼女に付いていてやれ」との言葉で、俺はアリサの警護に付く事になった。
俺は、アリサの自宅と事務所の往復に付き添うと共に、事務所に詰めることにした。
アリサの事務所には先代所長の頃からの事務員の女性と、国家試験受験生だと言う根本と言うアルバイト事務員の男がいた。
この根本が、北見によるストーカー被害が始まって以来、アリサの送迎をしていた男だった。
俺は根本と机を並べて事務所の雑用をこなしつつ、自宅にいる時間以外はアリサと行動を共にしていた。
根本はアリサに対して恋慕の感情を抱いていたようだ。
決して悪い男ではなかったが、アリサの送り迎えは彼にとって貴重な時間だったのだろう。
「受験勉強の邪魔になっては悪いから」というアリサの言葉によってだったが、彼の貴重な時間を奪った俺の存在は面白くなかったようだ。


154 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:45:58 ID:???0
俺がアリサのガードに付いて2・3週間、特に変わったことは無かった。
アリサは怯えていたが、俺にはアリサの言う「悪意」とやらは感じることが出来なかった。
キムさんやマサの元でそれなりに場数を積んだ俺には、危険に対する嗅覚が備わっていた。
力のない俺が何とか無事にやってこれたのは、危険な空気や自分の手に余る危険を嗅ぎ分ける「嗅覚」のお陰だった。
だが、ある月曜日の朝、状況は一変した。
事務所に到着した俺は、一見いつもと変わらない事務所の空気の中に「殺気」を感じていた。
「殺気」はアリサではなく、俺に向けられたものだった。
普段と変わらぬ態度で必死に隠してはいたが、殺気の主は根本に間違えなかった。
俺がアリサの送り迎えをするようになってからも、根本がアリサのマンション近辺に遠回りして通勤している事に俺は気付いていた。
それでも俺の中で根本はストーカーとしてはノーマークだったが、この敵意は彼のストーカー行為を如実に表していた。
堅い商売であるアリサの体面も考慮して、俺は以前のような泊まり込みの警護はしていなかった。
北見のこともあって、アリサを監視するストーカーは、ターゲット本人ではなく、近付く異性に敵意を向けるタイプと俺は踏んでいた。
厄介なタイプだが、俺はアリサから離れたタイミングを狙ってストーカーが俺に向けてアクションを起す事を期待していた。
だが、俺は大きな読み違え、計算間違いをしていたらしい。


155 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:46:38 ID:???0
その前の週末、いつも通りにアリサを部屋に送った俺は、そのまま帰ろうとしていた。
そんな俺にアリサが『たまには寄って行きなさいよ』と声を掛けた。
結局俺は部屋に上がり込み、久しぶりのアリサの手料理に舌鼓を打った。
久々に口にしたアルコールも手伝ってか、そのまま俺達はベッドに雪崩れ込んだ。
寝物語の中でアリサは盛んに『いっそこの部屋に住んじゃいなさい』とか『危ない仕事は辞めて、このまま事務所に勤めてよ』といった言葉を繰り返した。
結局、俺は日曜の夕方までアリサの部屋で過ごしたのだが、そんな俺の行動やアリサとの会話を「聞かれていた」のなら根本の俺への敵意にも納得が行く。
後日、俺はキムさんのボディガードの文の伝で簡易検出器を借りて、勤務時間中に事務所を抜け出してアリサの部屋を調べ上げた。
案の定、アリサの部屋から3個の盗聴器が発見された。
俺は根本を挑発する為に、盗聴器をそのままにして、アリサの部屋に泊まり込んでの警護に方針を変えた。
目論見通り、根本の俺に対する敵意や殺意は日毎に強まっていった。


156 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:47:24 ID:???0
そんなある週末の事だった。
深夜、俺は異様な気配に目が覚めた。誰かに見られているような気配、強烈な「悪意」。
根本が来ていると悟った俺は、アリサを起さないようにベッドから抜け出て服を着るとマンションの外に出た。
人通りはなかったが「気配」を感じる。
盗聴電波の受信範囲から考えて、そう遠くない場所にいるはずだ。
俺は根本を探して付近を歩き回った。
少し先の公園前の路上に見覚えのある青のプジョーが止まっていた。根本の車だ。
エンジンキーは挿しっ放しで、助手席には受信機だろう、大き目のトランシーバーのような形状の機器が無造作に置かれていた。
そう遠くには行ってないはずだ。
俺は携帯でアリサに電話をすると、俺が戻るまで誰が来てもドアを開けないこと、コンポに入っているCDを掛けてくれと頼んだ。
助手席の受信機から伸びるイヤホンを耳に刺し、電源をいれ周波数調節のツマミを回した。
直ぐに受信機が音を拾った。アリサが好んで聞いていたクラナド、いや、モイヤ・ブレナンの曲が聞こえる。
盗聴器を仕掛けた犯人は根本に間違いないようだ。


157 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:48:37 ID:???0
俺は暗い公園の中に入って行った。
テニスコートの先の遊戯場のベンチのそばに人が倒れている。根本だった。
切創などは無かったがダメージは深そうだった。
見た所、「柔らかい鈍器」、ブラックジャックやサップグローブを嵌めた拳で執拗に打ちのめされた感じだった。
俺は救急車を呼び、アリサに連絡を入れた。
根本が病院に搬送されて2時間程して根本の両親とアリサが姿を現した。
アリサのストーカー被害の話は根本の両親も知っていたようだ。
根本の両親はアリサや俺に食って掛かった。
俺は根本の車の中にあった受信機を示して、アリサの部屋に盗聴器が仕掛けられていたこと、状況から犯人が根本である事を説明した。
根本の両親は衝撃を受けた様子だったが、それ以上にアリサのショックは大きかったようだ。
アリサは病院の待合室の床に力なくヘタリ込んだ。
北見の事件のこともあり、根本の回復が待たれたが、意識を回復した根本もまた、何かに怯えるばかりでまともに言葉を交わすことは不可能だった。


158 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:49:34 ID:???0
北見と根本、アリサに付き纏った二人のストーカーは何者かの手によって完全にぶっ壊された。
その意図や目的は判らないが、相手が只者でない事は確かだろう。
アリサの落込みや怯えは只事ではなかった。
アリサは「何で私ばっかり・・・もう嫌・・・」と嘆いた。
俺の発した「全くだ。次から次へと、何度も何度も。俺もいい加減うんざりだ」という言葉にアリサは更に俯いた。
「大体、何度も頭のおかしい連中に付き纏われてるくせに、懲りずに一人暮らしをしているのが良くない。
問題があるのはお前の方かもしれないな。お前、一人暮らしはもう止めた方がいいよ」
「・・・」
「また変なヤツに付き纏われても面倒だから、俺がお前を監視する。俺の部屋には大して荷物もないし、明日にでも早速な」
アリサは「えっ?」と、一瞬呆けたような顔で俺を見て、それから首を縦に振った。
こうして、俺とアリサの同棲生活が始まった。
新生活は暫くの間、平穏に続いた。
ある休日、俺達は近くのショッピングセンターに買出しに出かけた。
女の買い物ってヤツは無駄に長い。
連れ回されて少々うんざりした俺は「ここで待ってるから」と言って、ベンチに座って書店で買った雑誌を読んでいた。
そんな俺に声を掛けてきた女がいた。


159 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:50:06 ID:???0
一瞬、『誰だ、この女』と思ったが、直ぐに思い出した。
高校生の頃に付き合っていた「ノリコ」だった。
久しぶり、どうしてた?といった取り留めのない話で俺とノリコは盛り上がった。
ノリコと暫く話をしていると、アリサがカートを押しながらこちらに向ってきた。
アリサは俺たちの前に来るとノリコを一瞥して、俺に「どなた?」と聞いた。
いつも人当たりが柔らかく、おっとりした雰囲気のアリサには珍しく、その視線や声には険があった。
女の勘ってヤツは怖いな、と思いながら俺はアリサに「彼女はノリコ。高校の同級生。偶然にあって声掛けられちゃってさ」
ノリコには「彼女はアリサ。俺たち、今一緒に暮らしてるんだ」と紹介した。
俺はノリコに「俺達、これから飯を食いに行くんだけど、一緒にどうよ」と儀礼的に誘ってみた。
ノリコは「今日は遠慮しておくわ。また今度ね」と言って、俺達の前から去って行った。
帰りの車の中でアリサは無言だった。
俺が「どうしたの」と聞くと、アリサは「なんでもない」と答えたが、その声は硬かった。
ノリコの事を気にして機嫌が悪いのかなと思って、俺はアリサの手を握った。
握り返してきたアリサの手はビックリするくらいに冷たい汗でべったりと濡れていた。


160 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:50:43 ID:???0
その晩から、アリサは毎晩悪夢にうなされるようになった。
大量の寝汗をかきながら、苦しそうに呻くアリサを揺り起した事もあった。
どんな悪夢を見ているのか、アリサは語ろうとしなかった。
だが、ぎゅっと抱きしめて「ずっとそばにいるから、安心して寝な」と言うと安心するのか、やがて寝息を立てた。
アリサが毎晩悪夢にうなされている以外は、ストーカーの影も無く、生活は平穏そのものだった。
俺はキムさんの仕事に復帰した。
そんなある日、俺の携帯に見知らぬ番号から着信が入った。
電話に出ると、女の声がした。ノリコだった。
再会を祝して飲みに行かないか?という誘いだったが、アリサの調子が良くないからと言って俺はノリコの誘いを断った。
電話を切って、アリサの待つマンションへ向けて車を走らせていて、俺はふと思った。
『あれ?俺、ノリコに携帯の番号教えたっけ?名刺も番号交換もなかったよな・・・?』


161 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:53:34 ID:???0
帰宅して玄関のドアを開けると、部屋の中は真っ暗だった。
いつも夕食を用意して待っているアリサの姿がリビングにもダイニングにも見えない。
俺は寝室に向った。
寝室のドアを開けると、ベッドの上で毛布を被ったアリサが膝を抱えて震えていた。
只ならぬ様子に俺はアリサに駆け寄って聞いた。「どうした?何があった?」
アリサは俺に抱きついて、震えながら「判らない。でも、誰かに見られてる、強い悪意を感じるの。怖い」と言った。
俺は部屋中の明かりを点け、ダイニングの席にアリサを座らせて夕食を作り始めた。
作りながら俺は考えた。
絶対におかしい。
アリサの怯え方は普通じゃない。
だけど、アリサがあれ程までに怯える「視線」や「悪意」なら、俺にも何か感じられるはずだ。
アリサの恐怖は本物だ。だとすれば、俺の勘や感覚がどこかで狂ってる。
不味いな・・・


162 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:54:25 ID:???0
俺は自分の「嗅覚」に確信が持てなくなった。
アリサを、いや、自分自身の身さえ守れる確信のなくなった俺は極度にイラ付いていた。
そんな俺にノリコから誘いの電話が頻繁に入るようになった。
怯えるアリサを放置する事は出来ないし、俺自身が北見や根本を襲った襲撃者の影に怯えてピリピリしていて、そんな気分ではなかった。
そんな俺の神経を逆撫でするように、ノリコの電話の頻度は上がり、誘い言葉も際どくなって行った。
我慢できなくなった俺は「いい加減にしろ!」と一喝して、ノリコの番号を着信拒否にした。
ノリコの電話を着信拒否にして、俺のイラ付きの原因は1つ取り除かれた。
しかし、アリサのうなされ方は夜毎に酷くなっていった。
その晩もアリサは酷くうなされていた。
神経過敏になっていた俺は眠れずにいた。
だが、悪夢にうなされていたアリサが突然目を開け、上体を起き上がらせた。
アリサが起き上がったのとほぼ同時だった。
バイブレーターにしてホルダーに刺してあった俺の携帯が鳴った。
俺の背中にゾクッと悪寒が走った。
この悪寒は危険を知らせる俺の「嗅覚」そのものだった。


163 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:56:12 ID:???0
俺は携帯の方を見た。
有り得ない事に、着信拒否にしたはずのノリコからだった。
あれほどしつこかったノリコの電話もアリサと一緒の時には掛かって来た事は無かった。
まずい、この電話に出てはいけない・・・そう思った瞬間、アリサがホルダーから俺の携帯を取り上げ、電話に出た。
電話に出たアリサは真夜中にも関わらず大声で叫んだ「アンタなんかに彼は渡さない、この人は私が守る!」
そう言うと携帯を投げ捨てて、俺に抱きついて子供のように声を上げて泣いた。
俺はアリサを宥めると、表示されたノリコの携帯の番号に電話をかけた。
しかし、帰ってきたのは「この電話番号は使われておりません・・・」というアナウンスだけだった。
俺の背中に冷たいものが走った・・・
俺はアリサを伴ってマサさんの許を訪れた。
だが、マサさんやキムさんにも、俺やアリサに向けられた呪詛や念、祟りといったものは感じられないと言う事だった。
キムさんが「私の方で調べてみる。何かあったら直ぐに知らせろ。いつでも人を行かせられるように手配しておく」と言って、俺達は別れた。
北見や根本は「物理的」に暴行を受け傷を負っている。しかし、その後の魂を抜かれたような精神状態は霊的・呪術的なものを感じさせた。
俺にはもう、訳が判らなくなっていた・・・


164 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:57:18 ID:???0
アリサは悪夢の中で何を見たのか、電話でノリコに何を言われたのかを俺に話そうとはしなかった。
問い詰めた所でアリサは話さないだろうし、話さないのには彼女なりの理由があったのだろう。
聞いた所で、こちらからノリコに接触する術がない以上、俺にはどうしようもなかった。
ただ、キムさんの知り合いの「女霊能者」が作ってくれたと言う護符のお陰か、アリサの悪夢はどうやら収まった様子だった。
俺は、俺とアリサのために動いてくれている、キムさんの結果を待つしか成す術が無かった。

キムさんの連絡を待ち続けて何日経っただろうか。
恐ろしいほど静かな晩だった。
暗闇の中で俺は何者かの視線を感じて目を覚ました。誰かが俺を呼んでいる?
激しい敵意、殺気が俺を押しつぶさんばかりに部屋に満ちていた。
濃密で強烈な「害意」だったが、アリサは全く反応していなかった。
俺はベッドから抜け出し服を着替えた。
ジャケットの下には、権さんに渡されたイスラエル製の防弾・防刃チョッキを着込んだ。
スーツの下に着ても目立たないほど薄手だが、38口径の拳銃弾も貫通させないと言う優れものだ。
手には愛用のサップグローブを嵌め、鉄板入りの「安全靴」を履いた。
俺は部屋を出た。
ドアが閉まり、施錠の音が止むとマンションの廊下は空気が凍りついたかのように静かだった。


165 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 07:58:38 ID:???0
エレベーターで1階まで下り、エントランスを出た。
冷たい空気が肌を突き刺す。
俺は辺りを見回し、駐車場へと足を運んだ。
誰もいない、そう思った瞬間、背後から人の気配と足音が聞こえた。
振り返った瞬間、どんっと激しい衝撃を受けた。
男がナイフを腰だめして体当たりしてきたらしい。
ナイフの先端がチョッキを僅かに突き破り、腹の皮膚を裂いたようだ。
鈍い痛みと流れ出る血の感触を俺は感じた。
防弾・防刃チョッキを着込んでなければ一撃で終わっていただろう。
刺された瞬間に放った右フックが男の顎を捕らえたようだ。
サップグローブの重い打撃に男も吹っ飛んだ。
だが、男の手にはまだナイフが握られていた。
脳震盪でも起していたのだろう、フラフラと立ち上がろうとした男の右手首を俺は安全靴の爪先で狙い澄まして蹴り抜いた。
男の手からナイフが吹っ飛んだ。手首の骨は完全に折れていただろう。
俺は畳み掛けるように男の顎を蹴り上げ、男の腹に踵を踏み下ろした。
男は海老のように丸まって悶絶した。


166 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:06:12 ID:???0
俺は蹴り飛ばされたナイフを拾って男に近付いた。
ナイフはダガーナイフ。ガーバーのマークⅡという、名前だけは聞いたことのあるものだった。
右前腕の手首に近い部分が僅かに曲がっており、骨折は明らかだった。
右腕の骨折と腹部のダメージに俺は油断していた。
男の顔を見ようと近付いた瞬間、ヤツの左手が横に動いた。
俺は咄嗟に避けたが額に引っ掻かれたような『ガリッ』という衝撃を感じ、流れ出る血に俺の左目の視界は完全に塞がれた。
逆上した俺は今度は顔面を踵で無茶苦茶に蹴り付けた。
コンクリートに頭のぶつかる鈍い音が聞こえた。男はピクリとも動かない。
殺してしまったかもしれない・・・
俺は血でヌルヌルとした手で携帯電話を取り出し、キムさんの事務所に電話を掛けた。
駆けつけた車で俺と男はキムさんの事務所へと運ばれた。
俺の腹の傷は深さ1cm程だったが、切られた左額の傷は骨まで達していた。
カランビットと呼ばれる特殊な形状のナイフだった為に、思いのほか深く食い込んだようだ。
男のダメージは激しかったが、命に別状はないようだった。
呼びつけられた医者が俺の傷を縫い終わると、殺気立った徐と文が男にバケツで水をぶっ掛けた。


167 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:06:55 ID:???0
水で血が流されると、鼻は潰れ、前歯の殆どが折れて痣だらけだったが、それでも男がかなり整った容姿をしているのがわかった。
「鬼相」とでも言うのか、怒りとも憎しみとも言えない険しい表情がなければ、人の目を引く「美形」と言えるだろう。
色白で特徴のある女顔・・・似ている。。。
「・・・いいナイフを持ってるじゃないか。辻斬りの真似事か?
俺の仲間は運良く助かったが、殺る気満々だったようだな。お前、コイツに何の恨みがある?
お前のやり口には躊躇いってものが無い。何故この男を殺そうとした?」
文がそう言うと、横にいた徐が男の腹に蹴りを入れた。
男は背中を丸め呻いたが、その目には怯みや恐れは無かった。
むしろ、狂った眼光にその場にいた者は圧倒された。
「北見と根本を襲ったのもお前だな?・・・お前、星野 慶だな?」
俺が男にそう問うと、男は血の塊と言った感じの唾を吐き捨てた。肯定ということだろう。
文と徐は『?』な顔をしていた。
「こいつはアリサの、いや、星野 優の実の兄貴だ。実の『弟』に虐待を加えていた鬼畜の変態野郎だよ」
「何故今更姿を現した?逆恨みか何かか?」
すると、慶は気でも狂ったかのように馬鹿笑いを始めた。
「今更だと?俺はお前がアイツと知り合う前から、そう、女になる前からアイツの事を見ていたんだよ。何故だか判るか?」


168 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:07:42 ID:???0
「・・・まさか、守ってたとでも言うのか?」
無言で答える慶に徐が口を挟んだ。
「待て、待て、待て!それじゃ話の筋が通らねえだろ?
俺が言うのも何だが、あのネエちゃんを手前がぶっ殺されそうになっても体張って、ここまで守ろうってヤツはコイツしかいねえぞ?
お前が、あの女をクソ共から守りたいと言うなら何でコイツをぶっ殺さなきゃならねえんだ?」
慶は苦笑しながら答えた。
「お前らには判らないだろうなぁ。それはな、この男のせいでアイツが死ぬからだよ」
「ふざけるな!」と食って掛かる徐を制して俺は慶に尋ねた。
「それは、ノリコの事か?」
「その女が誰かは知らないが、アイツを手に掛けるのはお前自身だよ。俺達兄弟には判るんだ。
『勘』と言うよりはもう少しハッキリした感覚だ。アンタにも有るんだろう?
そうでなければ、俺はアンタを確実にブッ殺せていたはずだ。
アンタ自身、信じられないかも知れないが、アイツを殺すのはアンタだよ。
アイツは生まれた時からどうしようもないクズ共や、色んな不幸を呼び込んで来た。いや、生まれてきた事自体が不幸といえる疫病神だ。
酷い目や危険な目に嫌になるくらい遭って来て、そういうものに対する勘は俺やアンタより数段鋭いはずだ。
判ってるはずだよ。アンタが自分にとってどれだけ危険な存在か。アイツはこっちに向ってる。本人に聞いてみるがいい」


169 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:08:37 ID:???0
文と徐は顔を見合わせた。
事務所に詰めていた二人は俺に呼び出され、俺達を事務所に運んで医者を呼んだが、アリサに連絡はしていなかった。
しかし、5分ほどするとインターホンが鳴り、権さんがアリサを伴って現われた。
室内に入ってきたアリサは慶の姿を見て凍りついた。
かつてアリサは、兄である慶の手により、かなり酷い虐待を日常的に加えられており、兄の存在はトラウマとなっていた。
以前、俺に伴われて郷里に戻った折には、実家に近付いただけでパニック障害と言うのだろうか?過呼吸の発作を起していた。
それ程までに慶の存在は恐怖の対象であり、その実物が目の前に現われ、アリサはショックを受けていた様子だった。
今にもへたり込みそうな身体を権さんに支えられたアリサに俺は「大丈夫か?」と声を掛けた。
声に反応して俺の方を見たアリサは、血塗れの俺の姿を見て一瞬、貧血でも起したのか膝がガクッと折れた。
また過呼吸の発作でも起していたのか、小刻みで苦しそうな息をしながら、権さんの腕を払ってフラフラと俺の方に歩いて来た。
アリサは膝を着き、涙を流しながら俺の両頬に触れると「酷い・・・兄さんが、やったの?私のせい?」と言って、俯いたまま黙り込んだ。
重い空気の室内に聞こえるのはアリサの苦しそうな呼吸だけで、誰も口を開こうとはしなかった。
やがて、アリサの呼吸は落ち着いてきた。
アリサが俺の頬から手を離したので『大丈夫か?』と声を掛けようとした瞬間、彼女はボソッと何かを呟いてフラフラと立ち上がった。
立ち上がり、テーブルの上に並べられた慶の所持していたナイフの一本を取り上げると、般若の形相で「殺してやる!」と叫んで慶に襲い掛かった。


170 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:11:09 ID:???0
徐と文が慌ててアリサを取り押さえた。
ナイフを取り上げられてもアリサの興奮は収まらず、履いてたパンプスを慶に投げつけた。
傷のせいか、医者に注射された薬のせいかはわからないが、熱に浮かされたような状態になっていた俺は重い身体を引き摺るように、座っていたパイプ椅子から立ち上がった。
俺は、徐に後ろから捕まえられ、慶から引き離されたアリサの頬に平手打ちを入れた。
「俺は大丈夫だから、落ち着け!」、そう言うと、アリサは子供のようにわんわん声を上げて泣き始めた。
アリサが泣き止んだ所で、「10年振り?いや、もっとか?久々の再会だろ?言いたい事があったら言ってやりな。コイツもお前に言いたい事があるらしい」
熱が上がってきたらしく、緊張が抜けて立っていられなくなった俺は床に座り込み、壁に寄りかかった。
慶とアリサの会話は暫く続いたが、意識が朦朧としていた俺には話の内容は届いてこなかった。
暖房を入れ、権さんが毛布を掛けてくれていたが、それでもひたすら寒かった事だけを覚えている。
やがて、話が終わったのだろう、権さんが俺の肩を揺すって「おい、大丈夫か?」と声を掛けてきた。
文が俺に「コイツはどうする?」と聞いてきた。
俺はアリサと慶を見た。
慶は「煮るなり焼くなり好きにするがいい。覚悟は出来てる」と言った。
俺は権さんの顔を見てから「二度と俺達の前に現われるな。警察に出頭するなり、逃げるなり勝手にしろ。次は無い」と言った。
徐が慶の手足を縛めていたタイラップを外すと、慶はヨロヨロと立ち上がった。


171 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:12:01 ID:???0
アリサと慶が何を話したのかは判らなかったが、アリサはもう怯えてはいなかった。
慶のアリサを見る目も穏やかだった。
去り際に慶が言った。
「優・・・いや、アリサ。お前は、自分に降りかかる悪意に抵抗する事も無く、ただ流されてきた。
さっき、俺にナイフを向けたのが自分でした初めての反撃だろ?
お前が、自分自身の力で立ち向かわなければ、お前自身だけじゃなく、その男も死ぬぞ」
そう言うと、何処にどうやって隠していたのか、一本のナイフを取り出し、『餞別だ』と言ってアリサに投げ渡した。
ナイフに詳しい文の話では、ラブレスの「ドロップハンター」、ブレードの両面に裸の女が表裏刻印された「ダブルヌード」と呼ばれるナイフマニア垂涎の珍品らしい。
骨まで達した顔面の傷が膿み始めていた俺は高熱を発し、キムさんの知り合いの病院の個室に1週間ほど入院する羽目になった。
顔面の傷はケロイド状に盛り上がり、そのまま残った。
退院した俺は、権さんに「今は彼女の為にならない」と言われ、アリサの部屋ではなく、元いたアパートの部屋に戻った。
入院中、アリサ達は見舞いに訪れたが、微妙な空気が流れていて、退院の連絡はしたが、その後アリサとは連絡を取れずにいた。
アリサたち兄妹が何を話していたのかは、権さんも、文や徐も話そうとはせず、聞くなと言う態度がはっきりしていたので、俺に知る術は無かった。
アリサと連絡を取らなくては・・・そう思いながらもズルズルと時間が経って行った。
そんなある雨の日の夜、アリサから俺の携帯に着信が入った。


172 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:13:13 ID:???0
着信が入る瞬間、俺の背筋には危険を知らせる『悪寒』が走っていた。
電話越しのアリサの声は、電波のせいか、喉の調子でも悪いのか・・・いつもと少し違っていたと思う。
俺はアリサの「今すぐ会いたい。出てこれる?」と言う言葉に「判った」と答えてアパートを出た。
アパートから細い路地を抜けて大通りに出た。
歩行者信号が青に変わり横断歩道を渡り始めた瞬間、俺は眩しい光に照らされた。
ワンボックスカーが猛烈なスピードで突っ込んでくる。
俺は、はっきりと見た。
運転席で女が・・・ノリコが笑っていた。
俺の身体は金縛りにあったかのように硬直した。
その瞬間、俺は強い力で背中を押された。
続いて、激しい衝撃に弾き飛ばされる感覚。
硬くて冷たい、濡れたアスファルトの感触と、ドクッ、ドクッという熱い感覚を頬に感じながら、俺は闇の底に沈んで行った。


173 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:17:19 ID:???0
俺が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。
病院に搬入された時、俺は生きているのが不思議な状態だったらしい。
骨盤と脛骨、肩と鎖骨の骨折。頭蓋骨の陥没と顔面の骨折。
頚椎や脊椎にもダメージを負っていた。
出血多量でショック症状を起し、病院に搬送中、救急車の中で心停止も起していたらしい。
俺は1ヶ月以上意識不明の状態で生死を彷徨っていたそうだ。
そんな俺に姉が泊りがけで付き添ってくれていた。
意識が戻った俺は、ドクターが「前例が無い」と言うスピードで回復して行った。
個室から大部屋に移ると、友人達が入れ替わりで見舞いに訪れた。
意識が戻って暫くの間、俺は事故の前後の記憶を完全に失っていた。
だが、キムさんと権さん、そして友人のPが見舞いに来た時に、俺は何の気なしにキムさんに尋ねた。
「一度、来てくれていたような気もするけど・・・アリサが顔を見せてくれないんですよね。今、忙しいんですか?」
姉も、キムさんも権さんも俺と目を合わせようとしない。
だが、『アリサ』の名を口にした瞬間、あの晩のことを俺は思い出した。


174 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:19:04 ID:???0
俺はアリサと待ち合わせをして、待ち合わせ場所に向っていたんだ・・・アリサはどうしたんだ?
そして、俺はPに言った「俺を車で撥ねたのはノリコだ。俺は撥ねられる瞬間、確かに見た」
Pが言った。
「ノリコ?誰だそれは?それに、雨の夜じゃヘッドライトの逆光で運転席の人の顔なんて見えるわけ無いだろ」
俺は「何言ってんだよ。ノリコだよ!俺が高校の頃付き合ってた子だよ。お前も一緒に良く遊んだじゃないか!」
Pは「お前が付き合ってたのは、李先輩の妹の由花(ユファ)だ。お前と友人関係はかなり被ってるいるけどノリコなんて女は知らないよ」
「待ってくれ。そんなはずは・・・アリサに聞いてもらえば判る。アイツもノリコに会ってるから!間違いねえよ!」
興奮する俺の肩に姉が手を置いて言った。
「その、アリサさんはね、あなたと一緒に事故に遭って亡くなったのよ・・・」
「・・・嘘だろ?」
権さんが「本当だ。お前たちの事故を最初に発見して通報したのは朴だ。
お前に付き纏ってる女の話があったから、社長の指示で彼女とお前を引き離したんだが、それが裏目に出た。
彼女には俺の独断で朴を付けていたんだが、彼女は毎晩、お前のアパートの近くまで様子を見に行っていたんだよ。
あの晩、お前は慌てた様子でアパートを出て行き、彼女もお前を追っていった。
彼女に気付かれないように朴も付いて行ったんだが、突然の事にどうしようもなかったんだ」
俺達を撥ねた車は、飲酒運転で検問を無視して追跡されていた若い男の車だったらしい。アリサは即死だったそうだ。


175 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:19:56 ID:???0
アタマが真っ白になった俺にキムさんが続けた。
「お前の言ってたノリコと言う女性に付いて調べたよ。幼稚園から小中学校、高校の同窓生まで調べたが該当する女性はいなかった」
俺の頭は混乱の極みにあった。そんな、馬鹿な・・・ノリコが存在しないなんて。。。
だが次の瞬間、俺は愕然とした。
Pの言う由花の顔は彼女とのエピソードも含めてはっきりと思い出せるのだが、ノリコの顔も彼女とのエピソードの一つも思い出せないのだ。
俺は震えながら拳を握り締めた。
そんな俺に姉が言い難そうに言った。
「ねえ、あなた、子供の頃に川で溺れた事覚えてる?」
「ああ」と俺は答えたが、俺の記憶は曖昧だった。
俺が小学校低学年の頃に川で溺れて死に掛けた事は事実だったが、俺には、その事故の詳細やそれ以前の幼少の頃の記憶は全く無いのだ。
姉は続けた。
「あなたは覚えていないのかもしれないけど、あなたは周りに『ノリコちゃんに突き落とされた』と言っていたのよ」
俺にそんな記憶は無かった。姉は更に続けた。
「あなたが小学校に上がる前、P君たちとよく遊ぶようになる前、あなたは一人遊びが多い子だったの。
お父さんがあなたを出来るだけ外に出さないようにしていたからね。
あなたは時々家から姿を消して家族を慌てさせた。そんな時、いつも言ってたわ。『ノリコちゃんと遊んでた』ってね」
更に話は続いた。


176 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:20:46 ID:???0
どういう理由でかは判らないが、幼稚園に上がるまで、俺は髪を長く伸ばし、下着に至るまで女の子用の服装を身に付けて育てられたらしい。
親父が生まれるまで、俺の実家では何代にも渉って女の子しか生まれなかったそうだ。
祖父は長女だった祖母の婿養子だった。
跡取りにと、男の子を養子にした事もあったようだが、皆、幼いうちに事故や病気で死んでしまったそうだ。
女達も嫁ぎ先で男の子を産んだ者は居なかったようだ。
俺が女の子の格好で育てられたのは、どうやら、そういった事情による「厄除け・魔除け」的なものらしかった。
姉や、近所の年上の女の子たちは俺に自分の服やお下がりを着せたりして、「女の子」、いや、半ば着せ替え人形として遊んでいたようだ。
姉の記憶が正しければ、その時、女の子、或いは「人形」として俺を呼ぶ名前が、誰が言い出したのか「ノリコ」だったそうだ。
俺が川で溺れ死に掛けた時、親父は俺の写真をプリントからネガに至るまで全て焼却してしまっていた。
姉や妹の写真は残っているのに・・・
川での事故以降の写真は、姉や妹の物よりもむしろ多い位だったし、俺自身が写真を残したりアルバムを見返す嗜好が希薄な為、全く気にしてはいなかったのだが。
姉の話を聞く中で、俺の中でゴチャゴチャに絡まっていた糸が解け、一本に繋がっていくような感覚があった。
だが、俺は自分の脳裏に浮かんだモノを見たくなかった。
気づかない振りをして、封じ込めてしまいたかった。
だが、アリサを喪った現実と悲しみがそれを許さなかった。
俺の怪我の回復とリハビリは順調に進み、ドクターや理学療法士達の予想を大幅に短縮して退院の日を迎えた。
退院の日、担当医が言った。
「殺しても死なない人間って言うのは、君みたいな人を言うんだろうね。僕にとっては驚きの連続だったよ。
でも、過信はいけない。亡くなった彼女さんの分まで命を大切にね」


177 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:21:56 ID:???0
俺はアリサの納骨の為に、星野家の菩提寺を訪れた。
アリサの唯一の肉親である慶は行方不明で連絡の仕様が無かった。
アリサの供養が終わって、俺は以前にも世話になった住職に呼ばれて、鉄壷やヨガスクールの事件も含めて、それまでの事を話した。
アリサの事を話し終えると、住職が言った「不憫だ・・・」と
俺は「はい」と答えた。
住職は言った「・・・お前さんの事だよ」
「お前さんの会ったノリコと言う女は、お前さんも判っているんだろう?お前さん自身が作り出した物の怪と見て間違いは無い。
ある資質を備えた幼い子供は目の前に幻影を実体化させて遊び相手にすることがある。
中には実体化した幻影に連れ去られて、姿を消してしまう子供もいる。『神隠し』の一種だな。
この資質は、行者や修行者、霊能者などにとって重要なものなんだよ。
イメージを幻影として視覚化する力・・・仏像や仏画、曼荼羅などはこの力を補助する為のものでもあるんだ。
私は、この力こそが『神仏』を人間が生み出した力だと思うんだ。
お前さんは、この力が特に強いみたいだね。
他者による強力な干渉があったにせよ、行の進み方は早いし、験の現われ方も強い。
鉄壷を供養したという技法も確かに初歩ではあるかもしれないが、資質が無い者には不可能な業だよ」


178 :幻の女 ◆cmuuOjbHnQ:2008/11/30(日) 08:23:30 ID:???0
しばし沈黙してから住職は続けた。
「自ら生み出した幻影に殺される・・・お前さんも、お前さんの家系も相当な因果を持っているんだろうね。
お前さんには確かに強い死の影が纏わり付いている。『魔境』とは違った、根深い影だ。
昔から星野の家の者は霊能の力が強い。長男坊の慶も、お前さんに纏わり付く、『妹』の命を刈り取りかねない程に強い死の影を見たのだろうな。
けれども、お前さんの運や生命力はそれ以上に強いようだ。まだ、生きて遣らねばならない事があるのだろう。
生きている間に、お前さんは自分自身の因果と向かい合わなければならない時がきっと来る。それまで、怠らず、十分に備えることだ」
それにしても、と住職は続けた。
「お前さんの生み出した幻影を一緒に見た彼女・・・お前さんと、魂の深い所で繋がっていたのだろうな。
そんな相手は幾度六道を輪廻して転生を重ねても、そう出会えるものではないだろう。
いや、輪廻転生とはそういう相手を求める魂の彷徨なのかもしれない。
そんな相手に今生で巡りあえたお前さんが羨ましくも、不憫でならないよ・・・」
俺はヨガスクールの事件で関わった山佳 京香たちの事を住職にお願いして寺を後にした。
山門を出て振り返り、一礼してから俺はサングラスを掛けた。

あの日から季節が一巡しようとしていた。
サングラス越しに冷たい風が目に沁みる。
駐車場へと向う俺の視界はジワリと歪んでいた。






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 08:18Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2010年03月05日

シャンバラ~祟られ屋シリーズ⑧

シャンバラ


114 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 05:59:23 ID:???0
そこはキムさんの持ちビルの一室だった。
照明は落とされ、明かりは蝋燭の炎だけだった。
ガラス製のテーブルの上には注射器とアンプル、アルミホイルを巻かれたスプーンが置かれていた。
キムさんが「大丈夫か?注射にするか?それとも、もう一度鼻から行くか?」と声を掛けてきた。
俺は、朦朧とする意識で「注射で」と答えた。
塩酸ケタラール・・・2005年12月に麻薬指定が決定され、2007年1月1日より施行されたが、この時点では合法な麻酔薬の一つに過ぎなかった。
時間感覚が消失していたが、その30分ほど前、俺はアンプルの液体を蝋燭の炎で炙って得られた薄黄色の針状結晶を鼻から吸引していた。
テーブルの上でテレカで砕いた結晶を半分に切ったストローを介して一気に吸い込むと鼻の奥に強烈な刺激が走り、やがて俺の意識はブラックアウトした。
朦朧としながらも意識を取り戻した俺に、キムさんはアンプルから吸い上げた薬液を注射した。
シリンダーが押し込まれると、ゴォーッという大音響と共に俺は深くて暗い穴の奥に吸い込まれて行った・・・

俺がケタミンという、マイナーなサイケデリック系のドラッグを試したのは「仕事上」の必要から、擬似的な臨死体験とも形容される幻覚体験を得るためだった。
薬物による幻覚体験の中で意識を鮮明に保つ必要があったのだ。
事の発端は、キムさんが知り合いの女霊能者から請けた仕事だった。


115 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:00:11 ID:???0
俺はキムさんに伴われて、ある女霊能者の元を訪れた。
日を改めて書きたいと思うが、キムさんと女霊能者との間には只ならぬ関係がある様子だった。
女霊能者は俺たちを奥の部屋に通した。
部屋には「治療中」だという一人の男がいた。
男は、狂気を湛えた獣のような眼光を俺たちに向けていたが、骨と皮ばかりに痩せ衰え、カサ付いた皮膚からは精気と言うものが一切感じられなかった。
何か質の悪い「憑物」に取り付かれているのは明らかだったが、憑物の正体に付いては俺には伺い知れなかった。
それよりも気になったのは、枯れ果ててしまったかのような男の精気のなさだった。
この男の精気のなさに俺は思い当たる事があった。
これは、「房中術」によって精気を抜き取られた成れの果てなのではないか?
「房中術」について、俺には苦い記憶があった。
初めてマサさんの下で修行した折に、娑婆に戻ったばかりの俺は、聞き覚えた「房中術」を知り合いの風俗嬢で試した事があるのだ。
マサさんの警告を無視して1週間ほど彼女と交わり続けた俺は、荒淫の果てに彼女を「壊して」しまった。
「房中術」により許容限度を越えて「精気」を奪われた人間は、肉体に回復不能の重大なダメージを負ってしまうのだ。
この、松原と言う美大生は20歳を少し過ぎたばかりの年齢だったが、痩せ衰えたその姿からはとても信じられるものではなかった。
「憑物」の方は何とかなったとしても、精気を奪い尽くされた身体の方は元通りに回復する事は絶望的に見えた・・・


116 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:00:55 ID:???0
応接室に通された俺たちの前に、女霊能者が一人の女を連れてきた。
山佳 京子・・・崔 京子(チェ キョンジャ)は、松原とは美大の同級生と言うことだった。
松原とは少し異なる類のものだったが、京子にも相当質の悪い「憑物」が憑いている事が俺にも判った。
京子や松原に纏わりついている独特の「悪い空気」は、霊感の類などなくても殆どの人が「感じる」ことが出来たであろう。

松原は女霊能者の師匠である、先代の頃からの信者の子息だった。
幼少の頃から感受性や霊感が強く、先代の霊能者には「これだけ霊感が強いと普通の生活は難しいだろうから、修行の道に入った方が良い」と言われていたそうだ。
だが彼は、人並み外れた霊感や感受性という才能を霊能ではなく、絵画と言う芸術の道に生かす人生を選んだ。
強い霊能を持つ松原は、同級生の山佳 京子に纏わり憑く、非常に強力で悪性の「憑物」に気付いた。
この時点で、松原は女霊能者の元を訪れて相談するべきだった。
松原の家族が息子の異変に気付いた時には既に手遅れの状態であり、松原は回復不能な廃人状態に陥ってしまっていた。
そして、京子の話によれば、松原をこのような哀れで無残な状態にしてしまったのは、他ならぬ京子の母親と言う事だった。


117 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:01:43 ID:???0
京子の母親、山佳 京香こと朴 京玉(パク キョンオク)は、スタジオ数3軒程のヨガ・スクールの経営者だった。
キムさんの調査によると、朴 京玉は変わった経歴の持ち主だった。
とにかく、異常な数の宗教団体を渡り歩いていた。
名の知れた教団に所属していた事もあったが、その殆どが地方の小規模な教団だった。
神道系、仏教系、キリスト教系・・・教団の教義等には共通性はなかったが、何れも「生き神的」教祖が一代で築いた新興宗教が殆どだった。
山佳 京香が入信した多くの宗教団体は教祖や教団幹部の「女性問題」が元で解散や分裂の末路を辿っていた。
夫であり京子の父親である山佳 秀一こと崔 秀一(チェ スイル)は、京玉の宗教遍歴で入信した教団の一信者だった。
老齢の資産家だった崔 秀一と娘・京子との間には、京子の東アジア人離れした容姿が示すように血の繋がりはないようだ。
朴 京玉と結婚し、京子が生まれた直後に崔 秀一は病死している。
朴 京玉の宗教遍歴の中には「A神仙の会」という後に宗教団体に改変されたヨガ道場もあった。
宗教団体化したA神仙の会が後に未曾有の事件を起こした頃まで朴 京玉の宗教遍歴は続いた。
宗教遍歴を止めた山佳 京香は夫の遺産を使ってヨガ・スクールを開講した。
事件後の「ヨガ不況」の中、スクールは順調に展開し、数年の間に常設のスタジオ3軒を構えるまでに成長していた。


118 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:02:38 ID:???0
キムさんは更に朴 京玉の過去を洗った。
朴 京玉は日本人の母と在日朝鮮人の父との間に生まれた元・在日朝鮮人2世だった。
父母共に、家系的には宗教や呪術とは関わりのない、ごく普通の家庭だった。
京玉が小学6年生のとき、交通事故で母が死亡した。
長距離トラックの運転手として生計を営んでいた父親は、京玉を自分の両親に預けた。
京玉を預かる条件として、祖父母は彼女を地元の民族学校に通わせた。
しかし、帰化家庭に育ち、木下 京香という日本名のみを名乗り、朝鮮語も学んだ事のなかった京玉は学校に馴染む事が出来なかった。
中学1年の夏休み前に京玉は不登校となり、自室に引き篭もるようになった。
元々占いや呪い、心霊写真や怪談の好きな少女だった京玉は、引き篭もった自室でオカルト雑誌や超能力関係の書籍を読み耽るようになって行った。
やがて、オカルト雑誌の読者欄を通じて同好の士と文通するようにもなった。
部屋に引き篭もり切りとなった孫娘を祖父母は心配し、その原因を作ったことに強く責任を感じていたようだ。
そんな京玉が、祖父母に初めて頼み事をした。
ヨガを習わせて欲しいと言うのだ。
ヨガがどういったものなのか祖父母には良く判らなかったが、部屋から出て身体を動かして、孫が少しでも健康になってくれればと、京玉の願いを聞き入れた。


119 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:03:28 ID:???0
京玉はヨガにのめり込んだ。
祖父母は、電車で片道1時間のスタジオ通いがそう長く続くとは思ってはいなかったらしい。
しかし、安くはないレッスン料を払い続ける祖父母を十分に満足させる真剣さで京玉はレッスンを重ねた。
真剣な受講姿勢や京玉自身の才能もあったのだろう、2年目からは特待生としてレッスン料は免除された。
3年目からは「内弟子」として寮に入ることになったが、最早、父や祖父母も京玉を止める気はなかった。
京玉の通ったヨガスタジオの主催者は旭 桐子という女性だった。
入会から5年後、スタジオが閉鎖される頃には京玉は旭のアシスタント的な存在になっていた。
旭 桐子は年に数度インドに渡航して修行を重ねるといった本格派だったが、ヨガ業界では無名の存在だった。
むしろ、そういった方面とは一線を画していたようだ。
だが、彼女の名は一部の宗教関係者、特に「法力」や「超能力」を売り物にする怪しい連中の間では知られていたようだ。
朴 京玉も旭 桐子に伴われて何度もインドに渡航していた。
スタジオ閉鎖後の旭 桐子の消息は不明であるが、朴 京玉はヨガを続け、日本で滞在費を稼いではインドに修行の為に渡航すると言う生活を続けていたようだ。
そして、長期間・・・2年ほどのインド滞在の後に、朴 京玉の宗教遍歴が始まった。


120 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:04:13 ID:???0
柔軟体操の一種のように見られがちなヨガであるが、その本質は「悟り」の獲得を目的とした霊的進化の技法らしい。
アーサナと呼ばれる数々の複雑なポーズは、長時間の座禅瞑想を行っても新陳代謝や血流の阻害を起こさない柔軟で強靭な肉体を養成するためのものらしい。
また、少し前に「火の呼吸」で有名になったヨガの呼吸法は全身を走る「気道」を浄化すると共に、悟りに必要な生命エネルギーを養う物だと言う事だ。
瞑想法も複雑多岐に渉り、呼吸法と気や生命エネルギーの操作、瞑想によるイメージ操作を組み合わせて行うそうだ。
このような「行」を重ねることによって得られる「現」や「果」をシッディ、日本語では「悉地」と言うらしい。
この「悉地」を獲得し、保持した状態を「通」と呼ぶ。
「悉地」に「通じる」事によって発現する力をアビンニャー、日本語では「神通力」と呼ぶらしい。
「神通力」には主要なものとして神足通・天眼通・天耳通・他心通・宿命通・漏尽通の6種があり、この6種を六神通と呼ぶそうだ。
ヨーガ瞑想が深まると生命活動が極端に低下する。
アーサナで強靭な肉体を養い、プラーナヤーマと呼ばれる呼吸法で気道を阻害する「業(カルマ)」を浄化し、生命エネルギーを蓄えて掛からないと容易に命を落とすそうだ。
生命活動が低下し、仮死状態に至る程に深い瞑想の究極状態をサマディ、日本語で「三昧」と呼ぶらしい。
この「三昧」に至る過程で人は生理的な反応として様々な神秘体験をするらしい。
「三昧」が人為的に仮死状態に至るものだとすれば、人為的な臨死体験とでも呼ぶべきものなのだろうか?
「三昧」に没入した状態とは、「異世界」に魂や精神が踏み込んだ状態なのだそうだ。
この三昧によって踏み込んだ「異世界」で活動する為に必要な力が「六神通」だと言う事だ。
聞きかじりの話から俺が得た理解はかなり不正確なのだろうが、取り敢えずはこう言った所らしい。


121 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:04:53 ID:???0
ヨーガには様々な手法や技法が存在するらしいが、その目的は「三昧」に至り、その中で「悟り」を得ることのようだ。
それ故に、ヨーガの行者は、気道を阻害する「業」を避け、生命エネルギーを損なわないように、持戒して禁欲的な生活を送る。
だが、裏道を行く「外道者」はどんな世界にも現われる。
数あるヨーガの教派?の中には神通力や三昧へ至る過程で得られる神秘体験を修行目的とする教派が少なからず存在すると言う事だ。
性交によって異性から生命エネルギーを奪い取る「房中術」。
自己の「業(カルマ)」を他人の体内に転移させる事で自己の気道浄化を図る「シャクティーパット」。
視覚的な神秘体験を得るためにダチュラやバッカク、その他様々な植物アルカロイド、生物毒や金属を調合した幻覚剤、「秘薬」。
「悟り」と言う目的から逸脱した、本来、長く困難な修行と持戒の上に得られる「副産物」を手早く獲得しようとした様々な手法が開発された。
ただ、こういった外法は厳しく排斥されるものらしく、特に「秘薬」のレシピは秘伝とされ、偽物を掴まされて命を落とす者が少なくないようだ。
修行用の伝統的な「秘薬」の代用として、様々な「現代薬」が用いられた。
こういった薬物の中ではLSDとケタミンは双璧であり、特に規制の甘いケタミンは、インドからヨーガ愛好家の多い欧州に大量に持ち出されているそうだ。
旭 桐子の修めた、そして、朴 京玉が彼女から学んだヨーガはこういった「外法」を行う一派だったようだ。


122 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:05:37 ID:???0
山佳 京香ヨガスクールはダイエットなどで評判が高いらしく繁盛していた。
だが、山佳 京香には良からぬ噂もあった。
男性会員との不倫や、未成年者との援助交際の噂が流されていた。
もっとも、スクールの会員や周囲の者に言わせれば「同業者の嫌がらせのデマ」と言う事らしかったが・・・
キムさんに示されたヨガスクールのパンフレットと山佳 京香の写真は実年齢と比べてかなり若そうに見えた。
見た目で30代半ばから40歳前くらい。パンフレット上では年齢は40歳代と言う事になっていた。
何れにしても、50代後半と言う山佳 京香の実年齢からはかなり懸け離れていた。
いくら鍛え続けてきたと言っても、ありえない若さと美貌だった。
俺はキムさんに「何年前の写真ですか?」と聞いた。
だが、キムさんは首を横に振って「2ヶ月ほど前のものだ」と答えた。
キムさんの調査では、山佳 京香の不倫や援助交際は実際に行われていると言う事だった。
そして、山佳 京香と一夜を共にしたとされる男達は皆一様に体調を崩し、様々な不幸に襲われていた。
関係者を襲う不幸は本人だけではなく、その家族にも及んでいた。
霊能者の女には大凡の見当はついているようだった。
俺は偽名を使って、山佳 京香ヨガスクールに入校した。


123 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:06:23 ID:???0
やってみて初めて知ったのだが、ヨガと言うものはかなりハードなエクササイズだった。
俺はマサさんの指導による修行法の他に、キムさんのボディガードの連中の空手道場にも顔を出していたが、キツさの質が異なり、かなり堪えた。
入校前、料金の割りに短いと思った週1回60分という初心者クラスの時間も、運動経験のない初心者には十分すぎる長さだっただろう。
基本レクチャーの初心者クラス5回を終えた俺は、一般コースへ上がった。
慣れさえすれば体力的に問題はなかった。
一番の難関らしい呼吸法に付いても、細かいポイントは違っても同様のものをマサさんの下で「命がけ」で学んだ俺には問題なく進める事が出来た。
週2回のレッスンが通常の所、ほぼ毎日通ったせいもあるだろうが、俺は早くても1年半、人によっては3年かかると言う上級コースに3ヶ月で到達した。
上級コースに上がって暫くすると俺はインストラクターによる個人教授を勧められた。
この個人教授でどうやら「選別」を行っているのだろう。
俺は、学院長による特別コースの受講を勧められた。
インストラクター達はすばらしい事だと褒め上げ、上級コースの面々は羨望の眼差しを俺に向けた。
特別コース・・・詳しい内容は判らないが、ヨガの奥儀によって「神秘体験」をした会員が多くいるということだった。
特別コースはワンレッスン2名限定で、宿泊費別で一回3万円の連続12回の講座だった。
一般コースから上級コースまでは1レッスン90分で3.000円ほどだが、特別コースを受ける前提要件のインストラクターの指名による個人授業といい、2名限定の特別コースといい、
人の虚栄心や競争心を突いた実に上手い商売だと俺は感心した。


124 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:07:10 ID:???0
誓約書にサインをすると、泊り込みで12回の特別コースのレッスンが始まった。
レッスンを担当した山佳 京香は写真で見たよりも更に若々しく、妙にそそられる美女だった。
俺とペアで受講した女は、中級クラスでアシスタントをしていたインストラクター候補の特別会員の女だった。
気力や霊力もかなり高そうな様子だった。
どうやら、特別コース受講の可否は、受講生の「金回り」だけが基準ではないようだ。
コースの内容は新しい呼吸法と瞑想が中心だった。
呼吸法のあと、瞑想に入る前に俺達は妙な飲み物を飲まされた。
甘い花の香りとミントの清涼感のあるこの飲み物を飲むと汗が一気に引き、頭がスカッとした。
コースの回数が進むに連れて、丹田や会陰、尾底に「気」の熱が溜まって行くのが判った。
この「熱」を表現するとすれば、正に「性欲」の塊と言ったものだった。
5回目のレッスンに入る頃には、呼吸法に入って暫くの段階で俺は激しく勃起していた。
一緒にレッスンしていた女はレオタードの股間に汗とは明らかに違う液体で大きな染みを作っていた。
さほど広くはない部屋の中に女の発する雌の臭いが充満した。
タマラナイ・・・
間違いなく、これは呼吸法と瞑想によって掘り起こされた情欲だった。


125 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:07:54 ID:???0
困った事に、この掘り起こされた情欲は一発「抜いて」も収まる事はなかった。
別室で寝ているペアの女もタマラナイ状態になっていた事だろう。
俺は尾底や会陰部に溜まった気を少しづつ抜き出して全身に循環させ、丹田に落として圧縮する作業を繰り返した。
丹田に気を集める事で俺は冷静さを取り戻していた。
それでも、高まった気によって全身は火照りっぱなしだった。
翌日のレッスンでは、レッスンが始まる前から女の顔は上気して足元も定まらない様子だった。
呼吸法が終わった時点で京香の指示で俺達は全裸となってそのまま瞑想を行った。
次の日からは最初から全裸でレッスンは行われた。
レッスン終了後、気を抜き出して丹田に集める作業を行っていた俺は紙一重で理性を保っていたが、女の方は理性の限界だったのだろう。
瞑想が終わった段階で遂に女が俺にしな垂れかかってきた。
俺もそのまま女を押し倒して激しく交わった。
女は正に狂った獣のようだった。俺も獣になっていたが、頭の一点だけは冷静だった。
激しく交わる女と俺の狂態を山佳 京香は、さも当然と言うように冷めた目で見つめていた。
女は何度も達し、俺も幾度となく放ったが、気の昂りは一向に衰えなかった。


126 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:08:34 ID:???0
最終日、女は最早、呼吸法も瞑想もままならない状態だったようだ。
瞑想の途中で覆い被さってきた女に俺は応じた。
女と交わっていると、突然、今までに感じたこともないような快感に襲われた。
快楽から引き離してあった俺の理性が、女に房中術の「導引」を仕掛けられたことに気づいた。
俺は快楽に逆らって女の体から自分の身体を引き剥がした。
そして、再び女に乗り掛かると、体力が限界に達するまで「導引」を仕掛け続けた。
やがて体力の限界に達し、女の中に大量に放出した俺は女から離れると床の上に大の字に横たわった。
失神していたのか、女は死んだように動かなかった。

体力が回復すると俺の体は驚くほど軽く、力が漲っていた。
あれ程俺を苛んでいた情欲の炎も冷めていたが、気力や霊力は充実し切っていた。
横たわる女を置いたまま、俺は当てがわれていた自室へと戻った。


127 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:09:20 ID:???0
俺は全裸でベッドに横たわったまま気を整えていた。
暫くするとドアをノックする音がして、部屋に女が入ってきた。
山佳 京香だった。
京香は着ていたガウンを脱ぐと無言で俺の身体に唇と舌を這わせ始めた。
京香の口技は風俗嬢顔負けのテクニックだった。
やがて、俺の上に跨り身体を沈めてきた。
ゆっくりと腰をくねらせながら深く身体を沈め、強く締め付けながら吸引力を強め、亀頭の位置まで引き抜く腰使いは堪らなかった。
「導引」を掛けながらの京香の腰使いに、素の状態の俺ならば耐え切ることは出来なかっただろう。
だが、俺の気力は先ほどの女から奪った精気によって充実していた。
更に「気」を整えて、精神的に極めて冷静な状態にあった。
情欲や快感に溺れて頭がピンクに染まった状態でなければ「房中術」は成功しない。
京香が「息」をつき、「導引」が途絶えた瞬間に俺は攻勢に転じた。
俺は京香を攻め立て頃合を見て「導引」を仕掛けた。
京香は抵抗したが、不発に終わった「導引」の疲労や、元々の体力差からやがて俺の軍門に下った。
どんなに修行を重ね、若々しい容姿や肉体を保っていたとしても、所詮は還暦目前の初老の女に過ぎないのだ。


128 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:10:10 ID:???0
俺は体力の限界を超えて導引を仕掛け続けた。
性エネルギーを根こそぎ引き抜かれた京香の快感は凄まじいものだっただろう。
俺は「導引」を止め、京香の中に大量に放った。
ピクリとも動かない京香を見下ろしながら俺は思わず独り言を呟いた。
「若作りしていても、ババアはババアだな・・・」
大量の精気を抜かれた為だろう、京香の肌からは先ほどまでは溢れていた瑞々しさが失われていた。

やがて、俺の体の下で京香が目を覚ました。
俺は京香の中で硬さを取り戻したモノを再び動かそうとした。
京香は「もう止めて!」と叫んだ。
俺が京香の中から引き抜くと、彼女は俺に言った。
「アンタ、何者なの?」


129 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:10:47 ID:???0
俺は答えた。
「アンタが壊した松原 正志の縁者と崔 京子に雇われた拝み屋・・・見習いだ」
更に続けた。
「アンタ達はお互いに房中術を掛け合って、時には気力や霊力の強い人間から精気を奪い取って瞑想を行っていたんだろ?
他人の精気を奪って、怪しい薬物を使って得た神秘体験とやらはそんなに素晴しいものなのかい?」
京香は答えた。
「ええ、何者にも代え難いほどにね。頭の固いグルは持戒だ功徳だ、薬物に頼らなくても神秘体験は得られるだのって言うけどね・・・
辛気臭い生活を一生続けても、シャンバラを覗ける機会は一生に一度有るか無いかじゃない?
房中術に秘薬・・・確かに反則かもしれないけれど、到達点が同じなら合理的にやったほうが良いとは思わない?
それに、房中術で精気を貰った人も、普通では感じられない物凄い快楽を得た訳じゃない?
まあ、快楽に溺れて破滅しちゃう人が殆どだけどね。
快楽に溺れるのは本人の勝手。松原君もいいモノを持っていたんだけどね・・・アンタと違って修行が足りなかったようね」


130 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:11:33 ID:???0
京香は更に続けた。「それに、そう言うアンタも余り偉そうなことは言えないんじゃない?大分ご乱交を重ねてきたみたいだけど。
アンタのそんな所が気に入って『特別コース』にお誘いしたんだけどねw」
「他心通・・・いや、宿命通かい?」
「あとは天眼通もね。天耳通は・・・あんた、いっつもインストラクターや女の子達の胸やお尻を見て助平な事ばかり考えていたから、聞くに堪えなかったわw」
俺は頭を掻きながら京香に言った。
「なあ、アンタにぶっ壊された松原 正志にアンタの娘、アンタらが食い散らかした元会員や援交のガキ共は皆、質の悪い憑物に纏わり付かれているんだ。
だから、俺たちみたいな拝み屋が出張って来る事になったんだが、何故だと思う?」
京香は「そんな事、知らないわよ」とぶっきらぼうに答えた。
俺は「それじゃあさ、お得意のクスリをキめてぶっ飛ぶインチキ瞑想で、いつものようにシャンバラとやらを覗いてきてくれよ。
精力が落ちて難儀しそうだが、アンタはそこに繋がっているんだろ?
ヤバそうだったら、ええっと胸から気を入れればいいんだっけ?しっかりフォローしてやるからさ。
首尾よくシャンバラに行けたら、俺の負けだ。
さっきの続きを楽しもうぜ。好きなだけ気を抜かせてやるから。
俺も嫌いじゃないしね」
京香は全裸のまま呼吸法を始め、気が満ちて来るとピンク色の怪しい錠剤を飲み下した。
やがて彼女の呼吸は浅くなり、体温や心拍は下がって行った。


131 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:12:27 ID:???0
俺がキムさんの下でケタミン注射を受けて「神秘体験」の予行練習をしたのは「特別コース」の3日ほど前のことだった。
「特別コース」を薬物を用いて幻覚を見せる、カルト宗教にありがちなインチキ「儀式」と踏んでいたからだ。
薬物らしいものも用いられたが、「特別コース」は目的は兎も角、比較的まともな「行」を行う本格的なものだった。
高まった気を全身に循環させて浄化して、丹田なり、ヨガ行者が重視する尾底に導いて溜め込めば文句の付け所はなかったのだろう。

ケタミンを静脈注射された俺は臨死体験とも形容される独特な幻覚に襲われた。
暗く深いトンネルに大轟音と共に吸い込まれた俺は、途切れそうな意識を何とか繋ぎ止めながら、幻覚を見続けた。
トンネルの向こうから突き刺す強烈な光、緑色の雲のカーテン、真っ赤な光の迷路。
この世の全てを理解したかのような形容し難い全能感。
言葉では表現不可能な異様な幻覚に襲われ続けていた。
トンネルに吸い込まれて数分後か数千年後かは判らなかったが、俺は元居た部屋に戻ってきていた。
身体には「実在感」があり、部屋の空気も感じられた。
誰か人の気配を感じて後ろを振り向くと、ソファーに深く身体を沈めた俺が居た。
俺は自分の身体に触れてみようとしたが、どうしても触る事が出来なかった。
更に俺は、テーブルの上の蝋燭の炎に手をかざしてみた。
手に熱さを感じることは出来なかった。


132 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:13:23 ID:???0
熱くないと思った瞬間、あれほどリアルだった自分の体や部屋の存在感は揺らいだ。
おれは、蝋燭から意識をそらし、部屋の出口を探した。
俺はビルの階段を下り、建物の外に出た。
普段と変わらない通りの雑踏。
現実感はあるものの、通行人は俺を避けず、俺も避けようしなかったが、俺が通行人にぶつかる事はなかった。
女霊能者の話では、瞑想修行中の霊能者は、この状態になると自分の知っている道をひたすら歩いて進むのだという。
道を進むと、やがて、これ以上先は知らないというポイントに至るそうだ。
これより先の、知らない道を進むには強い霊力や気力が必要だという事だ。
道が何処に続いているかは、術者の精神レベルや状態、煩悩や功徳、背負っている業などによってまちまちなのだという。
術者は六神通を駆使して「異世界」に分け入って行くそうだ。
この状態を指すのか、この道を辿る瞑想技法を指すのかは判らないが、チベットやインドでは、この「道」にまつわる瞑想を「リンガ・シャリラ」と呼ぶそうだ。
俺は「リンガ・シャリラ」によって道を辿る前に、聞いたことのない誰かの声に呼び戻され、シュワーという泡のような音と共に、元居た部屋の現実世界に引き戻された。
ケタミンによる臨死体験。魅惑的な幻覚世界だったが俺には非常に危ういものに思われた。
女霊能者の話では、見知らぬ道を突き進み、到達した世界が何処なのかを判断するには「漏尽通」の神通力が必要なのだという。
だが、漏尽通は非常に脆い神通力で、功徳を積み全ての煩悩を「止滅」させなければ発揮できないが、発揮できても自己の僅かな煩悩や願望、先入観によって容易に歪められてしまうそうだ。
六神通の他の神通力によっても歪められ、甚だしくは、他の五神通が得てもいない漏尽通を得たものと誤解させる。
それまでの修行で得た成果、現や果、「悉地」への執着を捨て、全ての神通力を放棄した先でしか漏尽通は得られないらしい。
神秘体験や神通力にのみ執着し、功徳を捨て、手段を選ばない京香たち「外道者」では、到底及びそうにない境地なのだ。


133 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:14:24 ID:???0
京香の気の雰囲気が変わり、俺はもしもの場合に備えて「気」を高めた。
深い瞑想状態にあるはずの京香の顔は、苦悶とも恐怖ともつかない表情で醜く歪んでいた。
やがて京香はガクガクと激しく震え始めた。
俺は、以前マサさんやキムさんに施された方法を真似て、京香の胸から気を一気に注入した。
電気ショックに打たれたかのように、京香はバチッと目を開いた。
どうやら「シャンバラ」には行けなかったらしい。
憔悴し切った表情は、京香を実年齢よりも10歳は老けて見せた。
松原や崔 京子に纏わり憑いていたものより、何十倍も濃密な「嫌な空気」が京香を取り巻いていた。
無理も無い。松原達に纏わり憑いていた「憑物」も、「嫌な空気」も、元はと言えば、京香が覗き込み、足を踏み込んで「繋がった」世界から溢れ出たモノなのだ。
俺には見えず聞こえず、何も知る事は出来ないが、京香は「修行」によって得た「神通力」によって、現世に戻っても尚、恐ろしいモノから逃れられずに居た。
多くの人から奪った生命エネルギーが枯渇して、強い光に隠されていただけの魑魅魍魎が見えるようになっただけなのだろう。
こんな短時間の間に、恐怖で人はここまで衰えるのかと驚きを隠せないほどに、妖艶で美しかった京香は老いさらばえていた。
俺はキムさんを呼び京香を女霊能者の元へと連れて行った。

女霊能者は京香の「気道」を断ち切り、京香の体内を通じて現世に繋がった、異世界への「通路」を断ち切った。
「業(カルマ)」が浄化されておらず、功徳の蓄積も全く無かった京香は薬物に「酔って」正常な判断力を持っていなかった。
恐らく、最下層の地獄に繋がった京香たちは、地獄の住民に騙されて、地獄を天界・シャンバラと思い込まされてしまったのだ。
自分のいる世界を正確に判断する為に必要な「漏尽通」を持ち得なかった京香たちには無理も無い事だったのだが。


134 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:15:21 ID:???0
女霊能者が松原や京子を祓わなかったのは、「憑物」の源泉である京香がいる限り祓っても無駄であるし、京香の「気道」を絶てば全ては片付くからだった。
「気道」を絶たれた事により、京香の40年以上に及ぶ「修行」の成果は永久に喪われた。
今生の「悪業(カルマ)」を浄化しない限り、気道は永久に繋がることはない。
それは即ち、来世の「無間地獄」への転生を意味すると言う事だ。

俺は肌を重ね合った縁と言う事で、以前、女友達のアリサの郷里を訪ねた際にお世話になった住職を京香たちに紹介した。
中途半端な「行」を齧った末に「魔境」に堕ちた若者を数多く救ったと言うあの住職ならば、今、正に「魔境」の底に沈み行く京香たちを救えるかもしれない・・・


135 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:16:24 ID:???0
飯を食いながら俺からそれまでの経緯を聞いていたマサさんが俺に言った。
「薬物と言うのは思った以上に危ない代物なんだ。
薬物によって人が見る幻覚は、酔っ払った脳味噌が見せる只のマボロシではないんだな。
ラリって幻覚を見ている間、人は『異次元の風』を確実に受けているんだよ。
その人の功徳や気力、霊力によって、薬物の見せる幻覚は楽しくも恐ろしくもなる。
ただ、確実に言えることは、薬物は身体を傷付け、霊的な、生命エネルギーの循環路である『気道』を傷付け、気の流れを滞らせる。
悪業が『業(カルマ)』となって気道を詰まらせ、気や生命エネルギー、魂の浄化を滞らせるのと仕組みは殆ど同じだ。
気の流れが滞って浄化されない人の見る幻覚は、確実に苦しくて恐ろしいものになって行くだろうね。
クスリに酔い、幻覚と共に『地獄』と繋がる度に、地獄との『縁』を深めて行く。
現世で深めた地獄との『縁』によって、次の来世に地獄に転生する確率は高くなるだろうね」


136 :シャンバラ ◆cmuuOjbHnQ:2008/10/18(土) 06:18:15 ID:???0
ところで、と、マサさんは言葉を続けた。

「お前、女難の相が出ているなw」

「?」

「アリサちゃんだっけ?彼女の霊感や霊力は相当なものだ。天眼通や天耳通、他心通くらいは持ってるかもしれないぞw」

「・・・マサさん、アリサに何か言いました?」

「『俺は』何も言ってないよ。彼女はお前を探していたみたいだけどねw
俺のは、敢えて言うなら宿命通ってヤツかなw
まあ、がんばれやw」

俺は花とアリサの好物のケーキを買って、アリサの部屋へ向った・・・。


おわり






  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 08:16Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

2010年03月05日

呪いの器~祟られ屋シリーズ⑦

呪いの器


48 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:00:57 ID:???0


日本国内には、いたる所に神社や祠がある。
その中には人に忘れ去られ、放置されているものも少なくない。
普通の日本人ならば、その様な神社や祠であっても、敢えて犯す者はいない。
日本人特有の宗教観から来る「畏れ」が、ある意味DNAレベルで禁忌とするからだ。
かかる「畏れ」は、異民族、異教徒の宗教施設に対しても向けられる。
また、このような「畏れ」や「敬虔さ」は、多くの民族に程度の差はあれ、共通するものである。
しかし、そういったものに畏れを感じずに暴いたり、安置されている祭具などを盗み出す者たちがいる。
その多くは、日本での生活暦の浅いニューカマーの韓国人達だ。
詳しい事は判らないが、朝鮮民族は単一民族でありながら「民族の神」を持たない稀有な存在だという。
神を持たないが故に、時として絶対に犯してはならない神域を犯してしまう。
「神」の加護を持たない身で神罰を受け自滅して行く者が後を絶たないということだ。
この事件もそんな事件の一つだと思っていた。
最初のうちは・・・

ある寒い冬の日だった。
俺は、キムさんの運転手兼ボディーガードとして、久しぶりにシンさんの元を訪れていた。
「本職」の権さん達ではなく、俺が随伴したのは、シンさんの指名だったからだ。
シンさんの顔は明らかに青褪めていた。
キムさんもかなり深刻な様子だった。
やがて、マサさんもやって来るという。
重苦しい空気の中、2・3時間待っていると、マサさんが一人の男を伴ってやって来た。
マサさんの連れてきた男は、木島という日本人だった。
上背は無いが鍛え抜かれた体をしており、眼光や雰囲気で相当な「修行」をした人物と感じられた。
これから何が起こるかは判らないが、ただならぬ事態なのは俺にも理解できた。


50 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:02:46 ID:???0
木島は手にしていたアタッシュケースから古ぼけた白黒写真と黄ばんでボロボロになった古いノートを出した。
シンさんも、テーブルの上にファイルを広げ、数枚の四つ切のカラー写真を出した。
両方の写真の被写体は、どうやら同じ物のようだ。
それは、三本の足と蓋のある「金属製の壷」だった。
その壷は朝鮮のものらしく、かなり古そうだった。
形は丸っこい、オンギ(甕器)と呼ばれる家庭用のキムチ壷に似ている。
ただ、金属製である事と底の部分に3本の足があること、表面に何かの文様がレリーフされているのが特殊だった。
表面の文様と形状に、呪術に造詣の深いシンさんやキムさんは思い当たるところがあったようだ。
それは、一種の「蟲毒」に用いられた物だった。
壷の文様は「蟲毒」の術に長けたある呪術師の一族に特徴的な文様なのだという。
しかし、通常、「蟲毒」に使われるのは陶器製の壷であり金属器は使われない。
ましてや、この壷は「鉄器」であり、「蟲毒」の器としては恐ろしく特殊な存在だという事だ。

韓国では金属製の器が好んで使用されるが、伝統的な物の殆どがユギ(鍮器)と呼ばれる真鍮製品なのだという。
李氏朝鮮では、初期から金属器の使用が奨励され、食器や祭具、楽器や農具に至るまであらゆる金属製品が作り出されたそうだ。
だが、その素材の殆どが青銅或いは真鍮だった。
高い製鉄・金属加工技術を持ちながら、朝鮮半島では鉄は希少で広く一般に普及する事は無かったらしい。
温帯気候で樹木の生育の早い日本と異なり、大陸性の寒冷な気候の朝鮮半島では樹木の生育が遅い。
それ故、製鉄に大量に必要とされる燃料の木炭が不足していたのだ。
昔の中国や朝鮮は、刀剣などを鉄製品の原料・素材として日本から輸入しており、それは非常に高価だった。
その様な貴重な鉄器を破壊して使い捨てるのが原則の蟲毒の器に用いる事は、呪術上の意味合いからもあり得ない事なのだと言う。


52 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:04:33 ID:???0
この壷は、柳という古物商から在日ネットワークを通じて照会されて来た物だった。
柳は、盗品売買の噂が絶えず、在日社会でも非常に評判の悪い人物だった。
本来なら、シンさんはこのような男は絶対に相手にしない。
しかし、流れて来た写真を見てシンさんは驚愕した。
それは、日韓併合以前の韓国で隠然たる力を持っていた、ある呪術師一族が「呪術」で用いた文様だったからだ。
なぜ、そんなものが日本にあるのか?

その呪術師一族は、韓国の「光復」のかなり前に滅んでしまっていた。
朝鮮総督府は「公衆衛生」のため、朝鮮半島に根深く浸透していたシャーマン治療を禁止し、近代医学を普及させた。
その影で、多くの呪術師や祈祷師達は恭順して伝来の呪術を捨てるか、弾圧されるかの二者択一を迫られた。
多くの呪術師が地下に潜ったのに対し、敢然と叛旗を翻した者も少数ながらいた。
この呪術師一族もその少数者の1つだった。


シンさんの調べによると、柳の照会の背景は以下のようなものだった。

日本全国で、高齢の資産家宅や旧家の蔵、寺や神社を荒らし回っていた韓国人の窃盗団がいた。
この窃盗団は「流し」の犯行の他に、「顧客」の「注文」に応じた仕事もしていたらしい。
日本の美術品、特に仏像や刀剣の類は韓国内や欧米諸国で熱心なコレクターがいるのだという。
山道や街道沿いに建てられた、ありふれた旧い地蔵などにもかなりの値が付くという事だ。
どうやら問題の鉄壷は、ある人物の「注文」により盗み出されたものだったらしい。
だが、「仕事」を終えてすぐにその窃盗団に異変が起こった。
窃盗団のメンバーが、僅か数日間で次々と怪死を遂げたのだ。


柳の元に鉄壷を持ち込んだのは、窃盗団の最後の生き残りである朴という男だった。
朴は日本国内で逮捕暦があり、他の仕事で下手を打った為に身を隠しており、詳しい事情を知らなかった。
朴は盗品の隠し場所から、他の数点の美術品と共に鉄壷を持ち出し、伝のあった柳の元に持ち込んだ。
相次ぐ仲間の死と、自分の身辺に迫る気配に恐怖を覚え、高飛びしようと考えたのだ。
盗品ブローカーである柳は、朴の持ち込んだ美術品を買い入れた。
朴の持ち込んだ盗品の中で、問題の鉄壷は最初「ガラクタ」扱いだった。
しかし、朴が盗品を持ち込んですぐに鉄壷を買いたいという人物が現われた。
その男の提示した金額はかなり破格のものだった。
だが、柳は「商売の鉄則」として、仕入れた盗品を特定の業者以外の第三者に直接転売する事は無かった。
何処で柳が盗品を扱っている事や鉄壷の存在を知ったのか謎であったし、金を持ったまま首を吊った朴の死が柳を慎重にさせた。
柳は鉄壷について同業者に照会し、購入希望者の背後を探った。


55 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:06:52 ID:???0
柳の照会はシンさんの元に届き、とんでもない代物である事が判明した。
それは、人の触れてはならない「呪いの器」だったのだ。
シンさんは、壷が朝鮮の呪物であったことから、詳細を知るために、ある人物に壷について問い合わせた。
その結果、鉄壷が、シンさんやキムさんの当初の予想をはるかに越える危険な物であることが明らかになった。
この鉄壷の用途は、「蟲毒」などという生易しいものでは無かったのだ。

鉄壷が安置されていたのは「***神社」という、人に忘れ去られた、無名の小さな神社だった。
忘れ去られたと言うのは正確ではない。
触れ得ざる物を人界から隔離する為に、人目から隠して建立された神社だったのだ。
其処までして封じようとした鉄壷の正体は何だったのか?


鉄壷の正体は「炉」だった。
蓋を開け、中に「あるもの」を封じてから蓋を閉じ、燃え盛る炎の中に入れるのだという。
その為に壷は鉄で作られ、底に足が付けられていたのだ。
鉄壷の中に入れられた「あるもの」とは何か?
それは人間の「胎児」だった!
妊婦を凌遅刑に掛け、その子宮から取り出した胎児を鉄壷に入れて焼いたと言うのだ。
その数、実に12人!
年に一人、12年の時を掛けた大掛かりな呪法だった。
鉄壷の丸い形は女の子宮を表していたのだ!
11人の女は、さらわれたり、売られたりして来た哀れな女達だった。
呪術師に慰み者にされ、子を孕んで時が満ちると切り刻まれ、我が子を「鉄壷」で焼かれたのだ。
その、恨み、怨念は如何ばかりのものだっただろうか?


57 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:13:04 ID:???0
だが、12人目の最後の儀式は更に恐ろしくおぞましかった。
12人目の女は、12年間呪術を行ってきた呪術師の実の娘だった。
犯された娘の妊娠が判ると、呪術師は彼の息子によって凌遅刑に掛けられた。
時間を掛けて切り刻まれた呪術師が息絶えると、父を殺した息子の呪術師は儀式を行った。
それは「反魂」の儀式。
殺された呪術師を娘の腹の中にいる胎児に「転生」させる儀式だった。
所定の時が満ちると、娘は11人の女達と同様に凌遅刑に掛けられ、呪術師の転生児である胎児は子宮ごと鉄壷に封じられた。
蓋は二度と開かないように封印され、更に10年近く呪術師の家に安置されたのだと言う。

醜悪で余りにおぞましい行いだが、「この手の」呪いは、やり口が醜悪で無残であるほど効力が高まるものらしい。
鉄壷が安置されていた間、呪術師の一族の人間や村人達は一人また一人と死んで行った。
村が殆ど死に絶えたとき、術を仕上げた呪術師は鉄壷を持ち出して日本に渡った。

日本に渡った呪術師には姉がいた。
妹と同様に父親に犯されたが妊娠せず、その後も生き残っていたのだ。
彼女は弟を追って日本に渡った。
彼女の弟である呪術師は、鉄壷を持ったまま身分を隠して日本各地の朝鮮部落を渡り歩いた。
本国から身一つで渡ってきた同胞を朝鮮部落の人々は匿い助けたが、呪術師の行く先々で多くの朝鮮人が死んだ。
弟を追い切れなかった姉は、ある朝鮮部落の顔役であった宗教家に呪いの事、弟の事を相談した。
自分の手に余ると考えた宗教家は、ある日本人祈祷師の元に彼女を連れて行った。
彼女は韓国で行われていた儀式やそれまでの事、一族の呪術や、鉄壷について知っていることの全てを祈祷師に話した。
彼女の話した言葉を日本語に翻訳したものの写し、それが木島が持ってきた古いノートだった。


59 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:15:08 ID:???0
鉄壷、それは「呪いの胎児」を育てる為の「子宮」だった。
そして、胎児を育てる「養分」となるのは「生贄の命」だった。
「生贄」とは?
それは、呪術師の同胞であるはずの朝鮮人だった。
儀式を完成して10年近くも壷が韓国に置かれ、壷を持った呪術師が日本国内の朝鮮部落を渡り歩いたのはなぜか?
それは、生贄の命を子宮たる鉄壷に吸い上げる為の、言わば「根」を張り巡らせる作業だったのだ!
・・・鉄壷の中の「呪いの胎児」が、標的を呪い殺せる強さへと育つまで、生贄の民であり、同胞である朝鮮人の命を吸い上げようと言うのだ。
その数は何万、何10万。
あるいは、更に多く・・・。
そこまでしなければ呪いを成就できない「標的」とは何だ?

木島は淡々とした口調で語った。
この呪いは特定の個人ではなく「皇室」を標的とし、124代に渡って継続してきた皇統を絶つことによって日本と言う国を滅ぼそうとしたものだと。
俺は木島に言った。
「蟲毒や生贄を使って、一族や血統を滅ぼす呪法があるのは知っている。
しかし、この呪法のやり口はいくらなんでも無茶苦茶だ。
大体、無差別・無制限に生贄を必要とするなんて、そこまでする必要があるのか?
仮に皇室が滅んだからと言って、それは日本滅亡とは直結はしないだろう?」
シンさんとキムさんが呆れ顔で俺の顔を見て、マサさんは深いため息を吐いた。
そして、キムさんは「お前、本当に何も解ってないんだな。まあ、日本人だから無理も無いのかもしれないな」
そう言うと、この呪法が皇室・皇統を絶とうとしたことの意味を語り始めた。


61 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:16:43 ID:???0
キムさんの話によると、この世界は、他文化・異民族、異教徒を飲み込んで支配しようとする「支配者」と、「被支配者」に分かれるのだという。
支配者とは、大まかに言ってユダヤ・キリスト教徒、被支配者は土着宗教やローカルな文化がこれに相当する。
アジア地域における支配者は中華文明であり、日本やインド、朝鮮などを除く多くのアジア諸国・地域の支配層はその多くが中華の流れを汲むということだ。

他者を支配しようとする宗教や文化、王朝は、長く続けば続く程に、その「影」の部分として呪術的側面が育って行くそうだ。
支配を続ける事は即ち「業」を積み重ねて行くことに他ならないからだ。
「支配」の本質とは「悪」なのだ。
それ故に、王朝や文明は蓄積された「悪業」が臨界点に達すると必然的に崩壊へと向かう。
被支配者や民間の呪術は、支配者や自らを併呑しようとする者に対する抵抗の手段だが、支配者や権力者側の呪術は破滅へと積み重なる「業」への抵抗なのだそうだ。
ある時は疫病を祓い、災害を祓う。反乱者や簒奪者に呪殺を仕掛ける事もある。
支配する事によって積み重なった「悪業」が招く「災厄」を祓うのが権力による呪術であり、それは徐々に大きくなり、顕在化してくる。
それ故に、本来「影」であるべき呪術が表面に出て来るようになった文明や国家は末期的で、滅びが近いと言うことだ。
王朝や宗派等は、代を重ねる毎に「悪業}だけではなく、逆に「霊力」や「呪力」も強めて行く。
だが皮肉な事に、積み重なって強まった「霊力」「呪力」は、臨界点に達した「悪業」と共に破滅への原動力となってしまうのだ。
霊力や呪力は浄化への力だからだ。


62 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:20:22 ID:???0
日本は明らかにユダヤ・キリスト教圏や中華文明といった「エスタブリッシュメント」には属さない存在である。
しかし、中華文明圏を脱してからというもの、中華文明による再併呑もユダヤ・キリスト教圏による併呑も完全支配も叶わなかった。
それには、様々な要因があった。
だが、呪術的側面から見ると、それは「皇室」という極めて特殊な存在によるものだという。
日本の皇室は通常、王朝の「影」である呪術的部分がその存在の根幹であって、その他の部分は「支配」や「権威」すら枝葉に過ぎないということだ。
日本皇室は唯一最古の帝室である前に、最古・最強の呪術の系譜なのだ。
エスタブリッシュメントに属さない存在でありながら、強い力を持つ日本皇室は、本来ユダヤ・キリスト教圏にとっても中華文明圏にとっても消し去りたい存在らしい。
しかし、最高の霊力・徳を持つ日本皇室と正面から対立する事を彼らは避けるようになった。
天安門事件に端を発する国家存亡の危機に瀕した「中華人民共和国」が、「七顧の礼」を以て天皇訪中を招請し、国難を凌いだのはその好例だそうだ。
殲滅ではなく共存を選んだのは、日本皇室及び日本人が、異民族を併呑して「帝国」を運営する力量を持たない民族であることが明らかになったからだ。
直接利害が衝突しない「触れ得ざるもの」に自ら敵対して、再び火傷する事を怖れたのだ。


63 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:21:13 ID:???0
「日本国」とは日本皇室の誕生から続く一つの王朝に過ぎない。
それ故に皇室の否定は日本と言う国の存在自体を否定する事に等しい。
本質的に、強大な「力」を持つ日本皇室や、中華文明に併呑されない「日本」を敵視する「中国」は、長期的視点で日本を内側から崩しに掛かっている。
所謂、売国メディアや自虐史観がそれだ。
自らの王室や、国家・民族に殉じた人々を誹謗する事は、国の「運気」を非常に損なう、天に唾する愚行なのだと言う。
「死人に鞭を打たない」という日本人の文化は弊害もあるが、国家の「運気」を保つ上で重要な意味を持つのだ。
現在行われている工作は、「皇室の呪力」と直接衝突せずに、日本国の「運気」や「霊力」を殺ぐ手段としては、呪術的にも理に適っているそうだ。

「呪力」「霊力」の最高位にある日本皇室に呪術を仕掛ける・・・それは、強力であればあるほど自殺行為に等しくなる。
少しでもまともな呪術的視点を持つ者なら絶対に避ける愚行である。
しかし、敢えてそれを行う者は後を絶たない。
一部日本人と朝鮮民族である。




朝鮮民族は自らを「小中華」と称し、甚だしくは中華文明の正当継承者であると自認している。
しかし、その実態は、大陸の袋小路である朝鮮半島に封じ込められた「生贄」の民族である。
彼らの特性は、如何なる外敵の支配にも抵抗しないが、併呑・同化はされないという点にある。
宿主たる征服者の体内に潜み、その内部を食い荒らし、滅びを加速させる。
そして、次の宿主たる支配者・征服者に取り入り、再び食い荒らすのだ。
支配者に同化されない為、彼らが独特の民族心理として培ってきたものが「恨」である。
支配者に対する潜在的敵意である「恨」という民族意識によって、彼らは確固たる独自文化、独自宗教を持たずして民族としての生存を図ってきたのだった。


65 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:22:54 ID:???0
自らをエスタブリッシュメントである「中華文明の担い手」とする民族的錯誤、更に「生贄」であることに気付かずに反日感情を煽られて自殺的行為に走る朝鮮人呪術師は多い。
しかし、根本的理由は朝鮮民族の潜在的な生存本能に負うところが大きいらしい。
強力な民族や国家に囲まれた弱小の朝鮮民族が、民族として生き残ってこれたのは、「恨」の精神によって頑なに異民族との同化を拒んできたからだった。
しかし、最も関係の深い隣国である日本は、外来の技術・技芸、文化・宗教、そして人間までもその内部に取り込み、強力に同化してしまう恐るべき特性を持っていた。
日本に渡った同胞は短期間で日本と言うブラックホールに飲み込まれ、日本人と化してしまった。
古来、日本に渡った者は「エリート」が多かった。
だが、そういった者ほど日本への同化、日本人化は早かった。
故郷を離れ、異国で世代を重ねながらも「朝鮮民族」である事にこだわりを見せるのは、むしろ低い身分の出身者が多いようだ。
日本人の目からは誇張に見える事も少なくないが、日韓併合は朝鮮民族にとって民族存亡の危機だったのだ。
シンさんは言った。
例え、世代が5世・6世と進み、制度的に不利な身分に置かれようとも、朝鮮民族の日本への帰化は一定以上には増えないだろうと。
朝鮮民族には他民族に併呑され同化されることへの本能的な恐怖がある。
そして、同化力の強い日本と言う国家・社会において朝鮮民族としてのアイデンティティの拠り所となるものは「国籍」位しかないのだと・・・


この特異な性質を持った日本と言う国を滅ぼす事、日本と言う国家の起源とも言える皇室を打倒することは、朝鮮民族の民族的命題とも言えるのだ。
もっとも、最近は日本皇室の「権威」を自らに引き寄せようとする動きもあるようだが・・・

ともかく、狂気とも言える「鉄壷の呪法」を行った呪術師は、自らの命を掛けるほどに強烈な覚悟を持って皇室・・・日本と言う国を呪った。
しかし、呪いの対象は、ある意味無限に近い、全世界を敵に回してもなお平然と存続してしまうほどの霊力を持った存在だった。
鉄壷は際限なく「生贄」の命を吸い取る、少なくとも日本国内にいる朝鮮民族にとって非常に危険な呪物となった。
いや、呪術師がこのような陰湿でおぞましい呪法を組み立てたのは、むしろ、それが目的だったのかもしれない。
日本への同化を嬉々として受け容れようとした、反民族的な「親日朝鮮人」を根絶やしにする為の呪法と考えた方が筋が通る。
実際、鉄壷を持ち込んだ呪術師の行く先々で多くの人々が命を落とし、謎の病に倒れた。
どのような経緯で確保されたかは謎だが、鉄壷は回収され、多くの朝鮮民族の命を守る為に日本人の手によって「***神社」に安置される事になった。
封印は功を奏し、半世紀以上の時間が経過した。
当時の関係者はいなくなり、呪いの鉄壷の存在を知る者は居ないはずだった・・・
しかし、***神社は暴かれ、鉄壷は持ち出された。
俺達は、再封印できるか***神社の確認と、柳の元にあるであろう鉄壷を確認しなければならなかった。
俺は木島と共に***神社へと向かった。


67 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:25:36 ID:???0
***神社は雪深い山奥にあった。
車で行けるところまで行き、後は地図とGPSを頼りに徒歩で進んだ。
6時間以上掛かっただろうか?
俺達は岩だらけの川原に出た。
川に沿って上流に向かうと対岸に黒い鳥居が見えた。
川幅は15m程だが、流れはかなり速い。
だが、窃盗団は川を渡っているはずだ。
上流に向かって10分ほど進むと、岩伝いに歩いて渡れそうな場所があった。
俺達は対岸に渡り、鳥居の前まで戻った。

鳥居は高さ2m程の小さな物だった。
鳥居には太い鎖で出来た輪が内側いっぱいに広げて吊るされていた。
鳥居から奥に10mほど進むと焼け落ちた祠があった。
火を放たれてそれ程時間は経っていないのだろう。
焼け跡の生々しさがまだった。
祠の裏は奥行き5m程の人工のものらしい岩の洞穴があり、最奥部には鉄壷が収められていたのだろうか、直径40cm、深さ60cm程の縦穴が掘られていた。
洞穴の中にも火が放たれたのだろう、黒い煤や油の臭いが微かに感じられた。
俺は木島に「どうですか?使えそうですか?」と声を掛けた。
暫く木島は目を瞑ったまま黙っていたが、やがて口を開いた。
「ダメだな、道が付いてしまっている。ここはもう使えない。他の手を考えないとな・・・」


69 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:27:13 ID:???0
日本各地には俗に「パワースポット」と呼ばれる地脈の集結点や、大地の「気」の湧出点がある。
それとは逆に、地脈から切り離され、大地からの「気」が極端に希薄なポイントもある。
仮に「ゼロスポット」と呼ぼう。
このゼロスポットは呪物や不浄な存在を地脈・気脈から断ち切って封印するのに適した場所なのだと言う。
ゼロスポットはパワースポットよりも数が少なく貴重なものらしい。
発見されたゼロスポットは祈祷師や神社などが把握し、監視しているということだ。
この神社も、ある祈祷師のグループが見つけて管理していたポイントの提供を受けて建立されたものだと言う。
朝鮮人の「命」を生贄として吸い取る鉄壷は日本人の神官によって封じられた。
今回、木島が呼び寄せられ、マサさんやキムさんではなく、俺が***神社に赴いたのも「道」が付くのを怖れたからだ。
生贄である朝鮮人が足を踏み入れれば、壷に「命」を吸い取られ、吸い取られる筋道が外界への「道」となる。
窃盗団の韓国人が足を踏み入れた事で、このスポットは聖域ではなくなってしまったのだ。

日が落ち始めていたので、俺達は***神社の洞穴で夜を明かすことにした。
洞穴の奥で寝袋に潜り込んでいると、やがて睡魔が襲ってきた。
浅い眠りに入りかけたところで不意に意識がハッキリした。
だが、体は動かない。
いわゆる金縛りだ。
やがて、ヒソヒソ話す複数の声、赤ん坊の泣き声、女の悲鳴が絶え間なく聞こえてきた。
俺はもう、金縛りや「声」くらいでオタ付くほどウブではなかったが、場所が場所だけに気持ちの良いものではなかった。
俺は徐々に金縛りを解き、立ち上がった。
俗にいう「幽体離脱」と呼ばれる状態だ。
「幽体離脱」は、コントロールされた夢の一形態だ。
俺は洞穴の外を見た。


71 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:28:43 ID:???0
洞穴の外にはX字に組まれた木に手足を縛られた血まみれの女が磔にされていた。
手に刃物を持った血まみれの男が、女の耳や鼻、乳房を刃物でそぎ落として行く。
女が表皮の全てを削ぎ落とされて、人の形をした赤い塊になると、男は女の膨らんだ腹に刃物を突き立てた。
凄まじい女の悲鳴。
目蓋の無い女の目が俺を睨み付ける。
男が女の腹から何かを掴み出し、こちらを振り返った。
男が掴んでいたものは臍の緒の繋がったままの胎児だった。
抉り取られて眼球の無い男の顔が俺の方を向くと、男と女、そして胎児が口々に呪文のように「滅ぶべし」と唱え続けた・・・
余りに酸鼻な光景に俺は凍りつき、やがて意識が遠のいた。

俺は木島の「おい」と言う声で目を覚ました。
洞穴の中の気温はかなり低かったが、俺はびっしょりと嫌な汗をかいていた。
ランタンの黄色い光に照らされた木島の顔にも脂汗が浮いていた。
どうやら木島も同じものを見ていたらしい。
俺が木島に「あれは・・・」と問うと、木島は「夢だ・・・だが、現実でもある・・・」と答えた。
夜明けまでは、まだ時間があったが、俺達は眠らずに太陽が顔を出すのを待った。

山を下りた俺と木島はマサさんと合流した。


73 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:29:57 ID:???0
マサさんと合流すると、俺達は鉄壷を買い取った盗品ブローカー、柳の元へと向かった。
俺達は柳の指定したスナックを訪れた。
店は古く、掛かっている曲も昭和の古い演歌ばかりだった。
事前情報によると、柳は50代前半の年齢のはずだった。
しかし、目の前にいる男の顔は明らかに老人のそれだった。
時折激しく咳き込みながらジンロを呷る柳の顔には、誰が見てもハッキリと判る「死相」が浮いていた・・・
マサさんが柳に「鉄壷は何処にある?」と聞くと、柳は「西川と言う男が持って行った」と答えた。
俺は「西川?在日か?」と尋ねた。
すると柳は「いや、アンタと同じ日本人だ。ただね、バックがやばい。ヤツは@@@会の幹部だ」
柳が口にしたのは韓国発祥の巨大教団の名前だった。
確かにヤバイ。
その教団は政界や財界、裏社会とも関係が深い危険な団体だった。
日本を「サタンの国」、天皇や皇室を「サタンの化身」とし、日本民族を朝鮮民族の奴隷とすることを教義とするカルト教団だ。
外法を以て皇室に呪いを掛けたとしても全く不思議ではない狂信者の群れ・・・それが、その教団だった。

柳は「俺も色々と訳ありのブツを捌いて来たが、あの壷は極め付きだ。引き取ってくれるなら金を払っても良いくらいだ・・・」
更に、ククッと笑うと、「いきなり大人数で押しかけて、持って行かれちゃったんで、代金を貰ってないんだ」
顔に傷や痣は無かったが、Yシャツのはだけた柳の胸には内出血の痕があった。
いつまでも鉄壷を渡さない柳に業を煮やした西川達は、柳を痛めつけて鉄壷を奪って行ったのだろう。
「あんなものはいらないけれど、只で持って行かれるのは面白くない。欲しかったらアンタ達にやるから取り返してくれ」
マサさんが「判った。そうさせてもらうよ」と言うと、俺達は席を立ち店を後にした。

帰りの車中、後部座席で木島がマサさんに「どうする?」と声を掛けた。
マサさんは「俺は荒っぽいのはキライなんだ。監視をつけて1週間ほど泳がそう。
そうすれば、向こうから壷を渡したくなっているだろう」


75 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:31:39 ID:???0
キムさんの手配で、権さん達が西川家やその取り巻きを監視している間に、西川とその周辺の者達に次々と「不幸」が訪れた。
普通ではありえない短期間に、事故や急病による死が相次いだ。
西川自身も飲酒運転の車に突っ込まれて重傷を負っていた。
「頃合だ」と言って木島は西川の元を訪れ、問題の鉄壷を手にして戻って来た。
木島が戻ってくると、マサさんは俺に紙包みを渡して「柳の所に届けてくれ」と言った。
持った感じ、100万と言ったところか?
俺は、前のスナックを訪れ柳の居所を聞いた。
柳は既に死んでいた。
俺たちが去った後、連日、目が覚めると酔い潰れるまで飲み続け、再び目が覚めると飲み続けると言う生活を続けていたらしい。
柳には家族はいなかったが、別れた女がいた。
俺は女の下に金を届けた。
女は「そう、あの人が死んだの」と、感情の無い声で金を受け取った・・・


戻った俺はマサさんに「壷はどう処理します?***神社はもう使えませんよ?」と尋ねた。
すると木島が「お前、今夜、壷と一緒に夜を明かせ。心を空っぽにして壷を『観続ける』んだ。
お前の思い付いた方法で処理しよう」と言った。
俺は「待ってくれ、西川達は日本人だけど、死人が出ていたぞ?大丈夫なのか?」
鉄壷の周辺で相次ぐ人の死に、俺はかなりビビッていた。
***神社から盗み出されて以来、この鉄壷の周辺で死んだ者は、神社から盗み出した窃盗団が5名。
鉄壷を持ち出した朴と、買い取った柳。
西川と共に自動車事故に遭って死亡した西川の妻。
心筋梗塞で死亡した西川の父親、冬の寒空の下で大量に飲酒して凍死した西川の部下など10名に達していた。
しかも、西川の周辺の死者は皆、日本人だったのだ。
神社の洞穴で見た生々しい「夢」の事もあって、俺はこの鉄壷については、かなりナーバスになっていた。


77 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:33:09 ID:???0
マサさんは「大丈夫だ。お前は日本の神々の加護を受けている真っ当な日本人だ。
壷の中身も、お前に危害を加える事は出来ない。
よしんば出来たとしても、今のお前なら自分の身を守るくらいの力は十分にある。
西川達は日本と言う国や日本民族を害そうとする『邪教』に魂を売り渡して、霊的に日本人ではなくなっていたのさ。
加護を失っただけではなく、裏切りによって日本の神々を敵に回していたんだ。
あの教団の教義を見ろ。あんなものに帰依する輩をお前は同じ日本人と認められるか?
まあ、あの鉄壷を放置したら、今の日本じゃ命を落とす日本人も少なくはなさそうだけどな。
大丈夫だからやってみろ」

俺はマサさんや木島の言葉に従って鉄壷と夜明かしする事になった。

急遽、マサさんがレクチャーしてくれた瞑想法に従って、俺は心を空っぽにして壷を「観」続けた。
やがて、洞穴の中で見た地獄のようなイメージが脳裏に浮かんできた。
真っ赤な灼熱の荒野で磔にされた血塗れの女達とその足元に転がされた赤ん坊。
まず、俺は明るい日差しの真っ白な雪原をイメージした。
次に、雪解け後の春の草原のイメージ。
瞑想によって「スクリーン」に浮かぶ景色は、俺のイメージに従って変化した。
俺は、きれいな女の裸体をイメージしながら女の縄を切り、足元の赤ん坊を女に抱かせた。
すると血塗れの母子は美しい姿に戻った。俺はイメージの中で同じ作業を繰り返し続けた


79 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:34:29 ID:???0
気が付くと、俺と11組の母子の前に、洞穴で観た眼球の無い血塗れの男が立っていた。
血塗れの女が男を見つめる。
我が子の胎児に転生し、自ら封じられたと言う呪術師だったのだろうか?
俺は女達の怯えを感じた。
俺は男に「見ろ、ここはもう地獄じゃないぞ」と語りかけた。
すると、男の顔には目が戻ったが、「・・・滅ぶべし」「・・・を呪う」という男の声が聞こえてきた。
俺は「アンタは日本人に転生しても、日本を呪うのかい?」と問いかけた。
男の意思の揺らぎを俺は感じた。
俺は、先ほどまでの赤い灼熱の地獄を思い浮かべて、「皆、あそこに戻る気は無いってさ。アンタ、あそこに一人で留まるかい?」と問いかけた。
俺の脳裏に「いやだ!」と言う、強い言葉が響いた。
男の姿は消え、目の前に血塗れの女と赤ん坊がいた。
俺は先ほどまで繰り返した「治療」のイメージ操作を行って、男だった赤ん坊を女に抱かせた。
すると、女達は一人また一人と消えて行き、最後の母子が消えて行った。
その瞬間に俺は俺は脳裏で問いを発した。「お前達、何処へ行きたい?」


やがて、景色のイメージが消えて脳裏の「スクリーン」は暗くなり、俺は瞑想から醒めた。
最後に問いを発したときに浮かんだイメージ。
それは陸の見えない、果てしない「海」のイメージだった。

俺はその事をマサさんたちに伝えた。
マサさんは「そうか、判った」と答えた。

俺がマサさんのレクチャーに従ってイメージを操作した瞑想法は、供養法の一種なのだそうだ。
俺には呪術や祈祷の儀式についての知識が無く、「調伏」のイメージが無かった事が成功の鍵だったようだ。
また、長い間神社に封じられて浄化が進んでいた、鉄壷の呪力がまだ余り戻っていなかったことも幸いしたようだ。


81 :呪いの器 ◆cmuuOjbHnQ:2008/07/23(水) 04:36:13 ID:???0
春分を待って、鉄壷の本格的な供養が行われた。
花や酒、果物や菓子を供えた祭壇に僧侶の読経の声が響き渡る。
俺は手を合わせて、瞑想で観た壷の中の人々に、「どうか成仏して、あの世で幸せに暮らして下さい」と祈った。
日を改めて俺達はキムさんのチャーターした漁船に乗って海上に出た。
やがて、船は停船した。
空はよく晴れ、波も穏やかだった。
マサさんが「これで終わりだ。最後はお前の仕事だ」と言って鉄壷を俺に渡した。
ズシッと来る鉄壷を俺は両手で持ち、できるだけ遠くへと海に放り投げた。
大して飛ばなかった鉄壷は、あっという間に海の底へと沈んで行った。
鉄壷を沈めた海に俺達は花束を投げ、酒を注いだ。
手を合わせ、しばし黙祷をすると、再び船のエンジンが始動した。

俺たちを乗せた船は、港へ戻る航路を疾走し始めた。


おわり





  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 08:14Comments(0)祟られ屋マサさんシリーズ(怖い話)

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アマミちゃん(野崎りの)
アマミちゃん(野崎りの)
小さい頃の夢はマザーテレサとジャンヌダルクでした。
あれから20数年、今では立派なメタボとなりました。