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2010年02月11日

泣ける話 6 父親編

うっかり萌えた父親のエピソード より


133 :おさかなくわえた名無しさん :2005/08/24(水) 15:50:50 ID:LNepweEf

何年も前の紅白で森山良子が「さとうきび畑」を歌った
戦争で父を亡くした子の歌なんだが、途中
「お父さんて呼んでみたい」と森山良子が歌ったところで
妹が父に「お父さん」と呼びかけると、父は「はあい」と返事をした
「お父さんどこにいるの」と歌は続き、
父は小さく手を振って私たちに「ここにいるよ」と言った
萌えた

父はその2ヶ月後に他界した。「ここにいるよ」と笑った顔は一生忘れない



398 :おさかなくわえた名無しさん :2005/10/16(日) 11:25:34 ID:SNFFF+21

私は今年の4月、実家(関西)を出て東京の企業に就職した。
始めてのGW、両親と兄弟が東京に遊びに来た。
もちろん家を出てから会うのは初めてだったし、1ヶ月以上会わなかったのも初めてだ。

父のことは、嫌いじゃないけどやたらとスキンシップを
取ろうとしてくるところがずっと苦手だった。
抱きつこうとしてきたり、ほっぺにちゅーしようとしてきたり
あくまでも冗談なのはわかってたけど、やっぱり嫌だった。

久しぶりに会った家族と、東京を観光してまわった。
楽しかった。
そんな時間はすぐ過ぎて、別れるとき。
私は母親と、兄弟とハグをした。母も兄弟も、ちょっとうるうるしていた。
普段じゃ絶対思わないけど、父親ともハグしたい、と思って父に向き直ったら、
「……頑張れよ」
そう言って、父は手を差し出した。
普段なら私がそういう仕草を見せたら、大喜びしたのに。
私はうん、と言いながらその手を握り返して、皆は改札の向こうに消えていった。

うっかり萌えて、ちょっと泣いた。



465 :おさかなくわえた名無しさん :2005/10/24(月) 02:34:31 ID:pagx+QnU

初めてハムスターを飼った時。
うちの父は子供の頃のトラウマからネズミ系が嫌いで大反対された。
ケージから出して抱こうものなら「早くケージにしまえ!」って怒鳴ってくる始末。
近寄りもしなかった。
でもそのハムが死んでしまって私が大泣きしていた朝、
会社に行く前に父がハムにお線香をやって手を合わせてくれて
「生まれ変わったらまた○○(私)に飼ってもらいなさい」
大泣きした。
いま書いてても涙が止まらない。



866 :おさかなくわえた名無しさん :2005/12/01(木) 20:37:44 ID:E+eegU05

結婚式の時さ、バージンロード歩く前
「これからうんと幸せになれ」ってさぁ
充分幸せに幸せにしてもらったから
お父さん、大好きだよ。



246 :おさかなくわえた名無しさん :2005/12/19(月) 09:45:32 ID:cL+aKuck

何気にこのスレ覗いたら父親との会話が懐かしくて「いいなぁ…」と思う。

俺の親父は割と寡黙で仕事バカな男で、休みの日になると酒を飲んでるか
城や戦艦のプラモを買って組み立てたり、刀のレプリカ(備前長船)を買って悦に浸り、
誰も居なくなったらパジャマ姿で抜刀の練習をして俺に見られて照れる親父だった。

ある時、盆で親戚が集まって宴会になってる時
母:「この人の夢って、○○と酒を飲む事なんだって」
父:「バカ、恥ずかしいこというな」
で、俺は子供だったので右から左に聞き流していた。
そして俺が成人を迎えてしばらくしたら病気で逝っちまった。

社会人になって理解したが「男親にとって息子と酒を飲む」ってのは
特別な事なんだと。これが親孝行の類に入るとは思わないが、
ただ「孝行したい時に親は無し」とはよく言ったモンだなぁ、と思った。



729 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/02(木) 14:49:48 ID:ycxaeGJW

頑固でいつも眉を吊り上げてる昭和一桁生まれの父。
当時うちには雑種犬が2匹いて、父は特に可愛がってるでもなく、
犬も子供と同じように厳しくとかって言ってよくぶん殴ってた。

その犬が11歳で死んだ。
フィラリアで、最期は家族みんなで介護した。
母と私達姉妹はわぁわぁ泣いたが、父はいつものように眉をつり上げて黙っていた。
その夜、夕食の席で、いつもはあぐらをかいている父が正座している。
やがて少し上を見上げて「実に…実に残念だなぁ…」って言った途端、涙をボロボロこぼした。
手を膝において眉をつり上げたまま。

あんなに悲しんでる人を見たのは初めてだと、今でも思ってる。
鬼瓦みたいな顔して心の中に優しい気持ちを隠してたお父さん、私はずっと好きだからね。



770 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/04(土) 02:13:24 ID:FKDXs6bq

もう何年も前の話だけど、私が高校卒業して進学の為に上京する日の事。
夕方のブルートレインで行く事になってて、家族が皆で駅まで見送りに来てくれた。
行きたくなくて泣きたいんだけど、昔っから家族の前では涙を見せなかった私は、
旅立ちの日だと言うのにホームでニヤニヤニヤニヤ。
入線して来たブルートレインを見てヘラヘラヘラヘラ。

絶対泣くかと決めてたから妙にハイテンションのまま乗車し、
家族も私も微妙な雰囲気のまま、微妙な別れをしてしまった。(車内で号泣)

その後聞いた話で、あの日終始無言でニヤニヤニヤニヤしてた父は、
電車が発車すると、窓から顔を出す車掌さんを追い掛けながら、
「娘が上京するんです。よろしくお願いします!」と涙目で頭を下げてたとか。
そんな父に、車掌さんも敬礼を返してくれたそう。

意地っ張りな、変な所が似ちゃったなと思う長女。(顔も父似)
そんな父にちょっと萌え。



799 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/05(日) 03:25:54 ID:xL0PDTP3

男です。

大学入学と同時に一人暮らし。もちろん長期の休み等には帰省。
卒業して就職後も、会社近くで一人暮らしを継続。
が、就職してからは、忙しさでなかなか帰省できず。

ある日、仕事で実家のそばを車で通る事になり、数分だけ実家に立ち寄った。
その日は日曜日で(仕事は休日が稼ぎ時の仕事です)家族は家に滞在。
到着後、俺が放った一言で親父を号泣させてしまいました。

泣きながら「ここはお前の家だ。他人行儀な事するな!」と怒鳴る親父。
俺と、おかん、兄貴呆然。とりあえず必死でなだめて、「もうああいう事は言わない」と固く約束。
今まで生きてきて、親父が泣く姿を2回しか見てなかった俺は、ショックを受けながら
ホントに悪い事したと車内で涙目になりながら後悔しました。

ちなみに俺が目撃した、親父が泣いた時とは
祖母が亡くなった時と映画「ハチ公物語」を見た時。

俺が親父を号泣させた一言
「ごめん、トイレ貸してくれ」



839 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/07(火) 03:10:54 ID:moQ5VX0v

私はあまり家で料理とかしないんだけど、この前彼氏が泊まりに来たから、カレーを作ったんです。
次の日鍋を見たら、カレーはまだいっぱい残ってて、誰も手をつけてませんでした。
あーあっせっかく作ったのに。と大きな独り言を言っても、みんな無視。
私は拗ねて自分の部屋に戻りました。
何時間かして、台所に戻って鍋を見たら、失くなってました。
近くにいた母が『あんたが拗ねたりするから、お父さんが全部食べたよ。お父さんカレー嫌いなのにねぇ。』
と言われて泣きそぅなった。



850 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/07(火) 22:17:21 ID:F3134j9x

4年程前の話。

母方の祖父がなくなった葬儀の帰り。
母親が自分の父親を亡くして
本当に悲しんでいるのを見たためと思われる、
二人きりの車の中で言った一言。

『○○、大丈夫、お父さんは死なないぞ。お父さんは不死身だからな!』

私を悲しませまいとするパパン。ありがとう。
お母さんのことも私のことも大切に思って
言ってくれた一言だったんだろうなって思ってちょっと泣いた。



276 :おさかなくわえた名無しさん :2006/03/12(日) 21:18:59 ID:Os2U/yfA

萌えるとは少し話が違うかもしれないけど、俺は死んだ親父の大ファン。
教師をしていて、授業の腕もクラス造りの腕も抜群で生徒や保護者からの信頼も厚かったんだが、生徒をかばうために上司と喧嘩をしたりで経営陣からは煙たがられていた。
学校で不審者による事件が起こり、全校生徒を休ませる事になったが校長だけが反対。
「俺は自分を悪者にしてでも生徒をかばうぞ!」と言う発言と共に校長を殴り、解雇。
当時学生だった俺と妹の学費を払うために塾講師のバイトを掛け持ちするが、収入が減ったのと担任を持って生徒と直に触れ合えないのでストレスが溜り、飲酒運転をして事故を起こし、45歳の働き盛りで教育界から追放。
それからはいつもジャージで髪はボサボサ、無職で酒を飲んでばかりの生活に。
酔っぱらって石段からころげ落ち、一時入院。
その後いつもうわ言のように「担任を持ちたい~」と言いながら酒をあおり、51歳で亡くなった。
無職の落ちぶれた親父の葬式なんて誰も来ないと思ってたら教え子が1700人参列。
破滅型人生だが、こんなにも自分の職業を全うした人間はいないと思う。



381 :おさかなくわえた名無しさん :2006/03/21(火) 10:08:54 ID:312nh1nx

うちのとうちゃん、飼ってた九官鳥に父ちゃんと呼ばれて喜んでた。
すごく、すごーく可愛がっていて。
なのに父ちゃんが会社に行ってる間に放し飼いの猫に襲われた。
九は父ちゃん父ちゃんと助けを呼んだが、がっつりやられてご臨終。
父ちゃんに電話したら九の声が届いていたらしい。
いま、呼ばれた気がして昼休みにでも電話しようと思っていたと
・・・事の顛末を説明。
電話先では怒るでもなく、泣くでもなく、ただうなずいていた。
帰りに九の好きなバナナと花を買ってきた。
かあちゃんにさえ花なんて買ってくること無かったのに。

それ以来猫嫌いで動物は飼ってない、飼えない。



580 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/07(金) 19:04:02 ID:4IifbRgO

去年のGWに結婚式をした。
花粉症が酷くてさ~なんていいながら、真っ赤な目でうるうるしてた父。
パパ、知ってるんだよ、花粉症じゃないよね??



639 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/14(金) 23:27:03 ID:pynkqxLg

親父は母方の家業を継ぐため夫婦揃って家を離れていった。俺と兄を一戸建ての家に残して。
数年後兄も結婚し家を出た。
そして俺も転勤で家を出ることになった。
とりあえず家をどうするかは後回しで、俺の引越しの準備のため親父が遠路はるばるやってきた。
俺は母譲りの心因性貧乏症ゆえなかなかモノが捨てられず、我が家はゴミ屋敷状態だったのだ。
家族が揃ってた頃は、ソレによる夫婦喧嘩もよくあった。

親父がやってきて片づけをはじめたが、案の定モノ貯めすぎだとグチグチ口うるさかった。
そしてひと段落ついた今日、俺が会社行ってる間にようやく親父は帰った。
帰宅し、手伝ってくれたことには感謝しつつもようやくのんびり落ち着けると思いながら静かになった部屋の明かりをつけると置き手紙が。
仕事しっかりやれとかエロ本きちんと片付けろといった小言が続き辟易してたら……

家を片付けてると押入れの奥から懐かしいものが出てきたと書かれていた。
俺ら兄弟が赤ん坊の頃のかいまきや子供服やらおしめやらタオルやら、そんなものまで丁寧にしまわれていたという。ソレを見つけた親父は涙が止まらなかったそうだ。
手紙も、そのあたりで文字は滅茶苦茶に乱れ、読み取るのに往生した。

変にこだわらず捨てろ捨てろとうるさかったくせに……。
なんかキーが打ちづらいな、タイプミスしまくり。何でだろ?

俺の転勤先は今よりは親元に近いから、父の日には親孝行してやるか。



777 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/26(水) 16:50:19 ID:BJGHnsT4

私の父は真面目で寡黙、自分にも他人にも非常に厳しいひとだった。
中学生の時のこと。
リビングで寝ていた父が突然ガバっと起き上がり
隣でテレビを見ていた私に言った。
「比叡山いこっ!比叡山!」
私が( ゚д゚)ポカーン な顔をしているとまたすぐに寝てしまった。
どうやら私が小学校のときに
家族で比叡山へ登った時のことを夢に見ていたらしい。
普段の物静かな父とのあまりのギャップに萌えてしまった。
朝になってこのことを言うと
「知らん!覚えてない!」とのこと。
このころは家族仲があまりよろしくなくて
父なりに昔のようになりたいと頑張ってたんだろなぁ・・。

結局一緒に行ってあげることは叶わなくなりましたが、
残された家族は今仲良く暮らしてるよ。
心配しないでね。



825 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/28(金) 21:12:35 ID:FtMBstoA

オトンが毎日納豆を食べていた。
納豆2パックに卵1個に大量のネギ。
卵を1個まるまる入れるのでちょっとちょっとゆるい感じがする。
で、オトンは納豆を酒のつまみにして
私もおすそ分けしてもらった納豆をご飯のおかずにして……

それから約30年。私は嫁に行った。
ダンナは納豆にたれとカラシの普通の食べ方だった。
オトンに孫を見せると喜んでくれた。
で、オトンが死んだ。別に急死でも変死でもなかった。
今年3回忌だった。
思い出話の1つとして「お父さん、納豆好きだったよね」と母に話した。
私「お父さん、いつも納豆2パックに卵1個入れてたよね」
  「そういう食べ方ってわりと珍しいよね」
母「お父さんっていうよりあんたが好きだったからね」
  「お父さんは普通に醤油かけるのが好きみたいだったよ」
  「あんたがそういうの食べたいっていうから」
 
あやー、オトン、バッカじゃない。
納豆くらい自分の好きなように食べればいいじゃない。
30年ホントに全然気がつかなかったよ。

オトンのバカへ。ありがとう。



984 :1/2 :2006/05/08(月) 21:50:40 ID:ALFFcM60

うちの父は傍若無人で「子供か!」と思うぐらいバカな奴だった。
小学校5年の時に脳内出血で右半身不随になったけど、病院でもワガママばかりで、
トラブルを起こしまくり、最終的に病院から追い出された。
転院先も見つからず、自宅介護になったが、殿様気分な態度でウンザリしてた。

当然、父の事は大嫌いだった。憎んでいたかも知れない。

私が受験の時にもワガママをぶつけてきて、
「(私が産まれた事や生きてる事や暮らしてる事全てをひっくるめて)誰のおかげだと思ってんだ!」
の一言にぶち切れて「お前さえいなければー!」と殴りかかった事もあった。
身動きの取れない病人相手だったので、当らないようにわざと外して枕やクッションを殴ったけど、
父にとってはショックだったと思う。
その時、父は「情けない」と大泣きしていた…。
その言葉が自分に対してなのか、親に殴りかかった娘に対してなのか今でもわからないが…。



985 :2/2 :2006/05/08(月) 21:51:30 ID:ALFFcM60

時が過ぎ、24歳になった頃…
父はすっかり衰え(…と言ってもワガママと傍若無人は相変わらず)合併症を起こして再入院していた。

元々余命3日と言われた状態で14年生きてきたので、いつ何があってもおかしくは無かったけど、
やせ細って 食欲も落ち「本当に長くはないんだろうなぁ…」と言う感じだった。

丁度その頃、結婚を考える彼氏がいた。彼には重荷だったと思うが、
一度見舞いに付き合ってもらい、父に「息子になるかも知れない人」だと説明した。

てっきり怒るか拗ねるか説教するかと思ってたら、父はとても嬉しそうに笑った。
「いい男じゃないか」と言ってニコニコしてた。
後日、叔母にも嬉しそうに自慢していたらしい…

その数日後、父は他界した。


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Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 10:04 │Comments(0)泣ける話

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小さい頃の夢はマザーテレサとジャンヌダルクでした。
あれから20数年、今では立派なメタボとなりました。

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