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2010年03月04日

泣ける話 15 涙が出るほどいい話

No.498 涙が出るほどいい話 より


601 :癒されたい名無しさん :04/08/25 15:23 ID:md/Yp+Xl

俺の会社の友人。
4年ほど前に交通事故で奥さんと当時4歳の長男を亡くした。
飲酒運転の車が歩行中の二人をひき殺すというショッキングな内容で、ワイドショーとかでも取り上げられたほど凄惨な事故だった。

後日談を聞くと加害者の家族もかなりつらい日々を送ったようで、今となっては同情はするが、
当時は友人の悲しみよりも加害者への怒りが大半だったのを憶えてる。
まだ娘(当時1歳)がいたことがせめてもの救いだったけど、葬儀に出席した会社の女の子なんか、
その娘の顔を見るなり泣き崩れてたよ。

その後仕事も辞めようと思ったらしいが、娘のためにと仕事には復帰。
しかしその後の育児、仕事などは大変だったと思う。
俺もそうだが会社やご両親、ご近所さんも含めて何かと気に掛けて助けられることは助けてきた。

で去年、そいつが事故後初めて家に招待してくれて、数人で一緒に鍋をつついた。

そしてある和室を見せてくれたんだけど、その部屋だけはまったく片付けてなく洗濯物とか黄色くなってたたんであるまま。
透明の衣類ケース?みたいのやおもちゃも無造作に置いてあって、奥さんと長男が最後に使っていた部屋ということで当時のまま残してるとの事。
で、気丈なそいつも、今でもその部屋を見るととても直視できない状況で、俺らに説明しながら涙があふれてきてる。

そしたら娘が来て、笑いながら
「お父さんがんばろうね。裕太くんが見てるもんね。」って言うんだよ。

裕太ってのは長男の名前なんだけど、当時のことなんか娘は知るよしもないわけで、つらい事だけど娘にはちゃんと説明してるんだよね。
二人でお母さんやお兄ちゃんのことを忘れないで、そうやって声を掛け合ってるわけよ。

励まそうと思ってやってきた俺らだけど、逆に力をもらったよ。
酒が入ってたのもあるけど、どんどん涙が出てきて・・・泣いた。

みんなもがんばれよ



656 :コピペ :04/09/05 21:43 ID:HTzNbDxE

ホームに滑り込んできた電車に飛び込もうと身構えた

その瞬間、隣のOLが先に線路めがけて飛び込んだ。
あっと言う間の出来事だった。
思わずそれに続いて俺も飛び込んだ。
急ブレーキをかける音が駅一帯に広がった。
ほんの数秒間ホーム全体が静寂に包まれた。
少々のかすり傷で俺と彼女は救出された。
またたく間に拍手と喝采で周りはにぎわった。

あれから5年後俺達は3人の子宝に恵まれ
ささやかながら幸せな毎日を送っている。

俺の妻となった彼女には、あの日自殺を図ろうとホームに
立っていた事は冥土の土産にする予定だ。

今は妻に俺の命を救ってくれたことを心より感謝している。



370 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/07/23 11:03 ID:XBAS2ClT

うちの親達、漏れが生まれてから
休まずにもう30年以上、夫婦で食い物屋をやってるんだ
その間、人に騙されてかなりの額の借金を背負ったりして
本当に苦労ばかりしててね

でも、人をうらんだりする姿なんて二人とも一度も見せなかった
そして漏れら兄弟数人の事、大事に育ててくれたんだ
いつも働きづくめで金策で泣きそうになってたはずなのに

自分が大人になった時に、父親がこう言ったんだよ
「人間はね、お金じゃなくて、人や気持ちが財産なんだよ」って

年に2~3日しか休まず長い間ずっと頑張ってきた事
それだけでも本当に尊敬してるのに
金関係でかなり苦労もしてきたのに
人に騙される事も何度もあったのに
こういう風に言える親を、漏れは心から尊敬してる



631 :癒されたい名無しさん :04/09/04 01:13 ID:u4/w7n12

俺は数年前、仕事で躓いて自暴自棄になっていた。
毎日家では文句を言い、両親にあたり散らして、なにもかもヤケクソになりどんどん荒んでいった。

そんなある日、嫁いだ姉が日帰りで来たみたいだったが俺は帰宅が深夜になって会わなかった。
そして自分の部屋の戸を開けたら手紙と俺の好物のお菓子が置いてあった。
手紙には「なんか仕事が大変みたいだけどこれでも食べて元気をだしなよ。」
さらに手紙の最後に「会社なんかに負けるな!!ガンバレ!!」と書いてあった。

いつも生意気な口ばかりきいていて、結婚が決まった時はもちろん、嫁ぐ時だって照れくさくて
「おめでとう」すら言ったかどうかも記憶にない俺のことを心配してくれていたと思うと涙が出た。

このことは一生忘れない。



632 :癒されたい名無しさん :04/09/04 01:31 ID:aKZ5XXWY

うちの母は、小さい頃から「人のためになることをしろ」と子どもに教えてきたのよ。
だから、大人になってなんの疑いもなく骨髄バンクに登録したんだ。
知らせたら「それはいいことだね。いつか提供できるといいね」と言っていた。

で、ドナーに選ばれてさ。
「その人が元気になれるといいね。登録しててよかったね」
と母は言っていたわけよ。自分でもそう思ってた。

ところがですよ。いざ、提供の最終同意の段になったら、ものすごく険しい顔で
「心配なんです。後遺症が残るんじゃないか、本当に無事に終わるのか」なんて言い出した。
何言ってんだよ。俺が登録するって言った時も、ドナーに決まったって言った時もずっと賛成してたじゃんか。喜んでたじゃんか。

そう言ったら、言うわけよ。
「心配なんだよ、親なんだから。お前が心配しなくていいって言ったって、親なんだから心配するんだよ!」
だから、俺は言ってやった。
「極当たり前に、人のためになることをしようと思えるように俺を育てたのは母さんたちだろう。心配ないよ、絶対大丈夫だって」
それで、提供の入院するときも、完全看護なのに毎日見舞いに来てくれてさ。
いらないって言ってるのに、心配だから行くんだって怒るんだよ。
まったく、勝手だよな、親ってさ。

で、無事に骨髄採取してさ。そしたらさすがにショックで血圧下がって、氷みたいに体が冷たくなっちゃってさ。
電気毛布とかかけられて寝てるとき、母が手を握り締めてきて、言うのよ。
「無事に終わってよかったね」
手が、ものすごくあったたかった。 きっと、あのあったかさは忘れない。



44 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/04/27 20:51 ID:r6n5n5mV

父が死んで一年になる。
父は母の再婚相手で、俺が小学生の時に突然父親になった。

当初は「父さん」と呼べず、悲しい思いをさせたかもしれない。
「○○(父の名)さん」と息子に呼ばれるのはどんな気持ちだっただろう。
息子に「本当の父さんじゃないくせに!」と言われる父はどんな気持ちだっただろう。
毒づき、当たり散らす息子にとても手を焼いていたと思う。

俺が中一の時に事故で両足を折ってしまい、歩けなくなったときがあった。
その時期に期末テストで、追試はほぼ決定だと思っていた時、父がおぶって学校まで連れて行ってくれた。
学校に近づくにつれて他の生徒の好奇の目に晒されている気がして、俺はとても恥ずかしくなった。
実際中一にもなって父親におぶられている俺をクスクス笑う女子もいた。
そんな折、ふと父の顔を背中越しに見ると、とても堂々としていた。

「自分の息子をおぶって何が悪い?」今にもそう言いそうな表情で。

謝罪も感謝の言葉も贈れないまま、父はもう二度と会えないところへ行ってしまった。

俺には叶わない夢がある。
もし父が歩けなくて困ってしまうような時がきたら俺がおぶってやる。 叶わない夢だけど…



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Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 14:17 │Comments(0)泣ける話

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アマミちゃん(野崎りの)
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小さい頃の夢はマザーテレサとジャンヌダルクでした。
あれから20数年、今では立派なメタボとなりました。

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