2010年10月01日
心霊イイ話 父の匂い
父の匂い
637 本当にあった怖い名無し 2006/11/06(月) 23:00:33 ID:awEXq398O
怖い話と言うか…
俺は小学生の時父親を亡くし母一人子一人で育ったんだけど…
中学生の時、授業中に突然先生から「おい〇〇!!お母さんが職場で倒れたそうだ。すぐに××病院に行け!!」と告げられ、自転車で慌てて向かった。
病院まではかなりの距離があり途中には長い上り坂があった。
こいでもこいでも坂は続いていてなかなか上り切らない…
気ばかりが焦っているとフッとペダルが軽くなった。
まるで誰かに押されたかの様に…
俺は振り返って確かめようとしたけど出来なかった…
なぜならその時、亡くなった父親の匂いがしたから…
なんとも懐かしい匂いになぜだか涙があふれてきた…
息を切らして何とか坂を上り切った時、俺は泣きながら「ありがとう」と呟いた…
病院では母親が意識を失っていたけど何とか一命は取り止めた。
後日、意識を取り戻した母親から聞かされた。
意識を失ってる間ずっと父親の夢をみていたと…
俺は心の中で改めて父親に礼を言った。
637 本当にあった怖い名無し 2006/11/06(月) 23:00:33 ID:awEXq398O
怖い話と言うか…
俺は小学生の時父親を亡くし母一人子一人で育ったんだけど…
中学生の時、授業中に突然先生から「おい〇〇!!お母さんが職場で倒れたそうだ。すぐに××病院に行け!!」と告げられ、自転車で慌てて向かった。
病院まではかなりの距離があり途中には長い上り坂があった。
こいでもこいでも坂は続いていてなかなか上り切らない…
気ばかりが焦っているとフッとペダルが軽くなった。
まるで誰かに押されたかの様に…
俺は振り返って確かめようとしたけど出来なかった…
なぜならその時、亡くなった父親の匂いがしたから…
なんとも懐かしい匂いになぜだか涙があふれてきた…
息を切らして何とか坂を上り切った時、俺は泣きながら「ありがとう」と呟いた…
病院では母親が意識を失っていたけど何とか一命は取り止めた。
後日、意識を取り戻した母親から聞かされた。
意識を失ってる間ずっと父親の夢をみていたと…
俺は心の中で改めて父親に礼を言った。
2010年10月01日
コワイ話 建前と本音
仕事でも、人を傷付けちゃいけません。
仕事でも、自分に嘘ついちゃいけません。
仕事よりも道理をとりましょうよ。ねぇ。
思いやりと正直が第一です。
___________
建て前と本音
106 1/4 sage 2009/09/23(水) 01:32:25 ID:4wlNAHeP0
俺は小売業で、いわゆる「バイヤー」をやっていた。
簡単に言えば、メーカーから品物を「安く仕入れる」仕事だ。
仕入れ値が安ければ、その分儲けは多くなる。簡単な理屈だがメーカーも儲けの為にはなかなか仕入れ値は下げない。
そこを何とかあの手この手で下げさせるのがバイヤーの手腕であり、俺も随分メーカーの営業を泣かせてきた。
これだけ仕入れてるんだから、お宅以外にも取引先はたくさんある、この値段で出せないならもう取引停止だ、等などかなり強気にやってきた。
そんなやり方だったから、俺と商談する営業の中には体を壊したり、精神を壊したりする奴も結構いた。担当が替わるたび、新しい担当がオドオドした目で俺を見てくるのが不愉快でもあり、苦痛でもあった。
そんな中、唯一俺の強気な商談にも、いつも調子良く答えてくれるTという営業がいた。他社が逃げ出すような値段でも、ちょっと考えただけで「わかりました!」と快諾してくれるTは、俺にとっても非常に有難い存在だった。
Tとの付き合いは長く、仕事を離れて飲みに行ったり、互いにお中元、お歳暮など送りあったり、今では数少なくなった「古き良き付き合い」をしていた。
107 2/4 sage 2009/09/23(水) 01:33:44 ID:4wlNAHeP0
そんなTが、あるときこんな事を言った。取引先メーカー内で、俺の存在が日に日に煙たくなっていると。Tは長い付き合いもあってか俺に同情的だったが、担当がコロコロ替わっている他のメーカーは、俺のやり方にもううんざりしていると。
俺は、日ごろから言われている事だ、と笑い飛ばしたが、商談の最後にTが神妙な顔で気をつけた方がいいですよ、と俺に言ったのが印象的だった。
それから程なくして、実害が出始めた。俺の家に嫌がらせの張り紙や、無言電話がかかってくるようになった。妻は社内結婚ということもあって、俺のやり方はわかっており、それに対する嫌がらせだということもわかっていたので、張り紙をはがし、無言電話は無視するかすぐ切るという冷静な対応をしてくれた。
だがある夜帰ると、妻の顔色がすぐれない。ポストを見てきて、と微かに震えた声で言う。
何事かと思いポストを見ると、血塗れの塊が入っている。何かの内臓のような、肉片だった。
俺は、嫌がらせにしては度が過ぎると思い、次の日出社すると、片っ端から取引先に電話をした。営業たちは慌てて否定していたが、犯人がこの中にいることは明白だった。
信頼のおけるTにも内容を話し、取引先同士の横のつながりから、犯人の目星をつけてもらうよう依頼した。Tも乗り気で、探偵ごっこみたいで楽しそうですね、などとのんきなことを言っていた。
電話口で、全員に対して犯人扱いをし、金輪際こんな嫌がらせはするな、ときつく言い放った俺だったが、その後も嫌がらせは終わる気配が全くなかった。
毎日のように商談で俺に会いにくるTの方も、手がかりは掴めていないようだった。
108 3/4 sage 2009/09/23(水) 01:34:37 ID:4wlNAHeP0
業を煮やした俺は、玄関に小型のビデオカメラを設置した。植え込みに隠すように設置し、テープの時間目いっぱいまで録画した。映っていればしめたもの、動かぬ証拠として犯人を呼びつけてテープを見せつけてやるつもりだった。
そして、カメラを設置した翌日、録画されたテープを再生していた俺は、信じられないものを見た。顔はよく見えないが、見覚えのあるネクタイが映っていた。
そのネクタイは、その日の商談でTがしていたものだった。歳の割りに若いデザインで、もう若くないんだぞ、とからかった記憶がまざまざと甦ってくる。
信じたくない気持ちと、裏切られた気持ちで俺はTとの商談を迎えた。Tは変わらずいつもの調子で笑いながら「手がかりはまだつかめない」などと言っている。俺はこらえきれず切り出した。
ビデオカメラを設置していたこと、人影が映っていたこと。ネクタイに見覚えがあったこと。
Tはそれらを聞いたあとも、いつもの調子を崩すことなく笑っていた。「そうですか」と。
俺はその様子にたまらなく不気味なものを感じ、Tをそれ以上問い詰めることができなかった。
Tの上司から俺に今回の件についての説明をするように、と言うのがやっとだった。
Tは笑いながら「わかりました」と答え、去っていった。
109 4/4-1 sage 2009/09/23(水) 01:36:04 ID:4wlNAHeP0
それから2週間、Tとは音信不通になった。Tの上司が、後任と思われる若い営業を連れ、菓子折りを持ってやってきたのは3週間後だった。
上司は、俺との挨拶もそこそこに土下座した。大変申し訳ありません、と。
俺はまだTに裏切られたショックが癒えず、激昂する気力もなかったので、ただ説明を求めた。
何故Tは俺に嫌がらせをしたのか、毎日のように顔を合わせていて、それなりに信頼関係もあったはずなのに。そして上司の口から説明をするよう求めたのに、3週間も待たされたのは何故なのか。
これらの事を話していると、みるみる上司の顔色が変わってきた。後任の営業も言葉を失っている。
訝しげにその様子を見ていると、上司は「これから話すことは、的外れかもしれませんが」と前置きした上で話し始めた。その内容を聞いているうち、俺は気が狂いそうになった。
110 4/4-2 sage 2009/09/23(水) 01:36:49 ID:4wlNAHeP0
そもそも、Tは3ヶ月前に俺の担当を外されていた。そして後任の営業が決まり、社内での引継ぎも終わり、あとは俺への挨拶だけ、というところまで行っていたが、Tは頑なに後任を俺に会わせようとはしなかった。
「お前じゃあいつの相手はできない。あいつは人の皮を被った悪魔だ」と、Tは後任に言っていたらしい。
そしてTは毎日のように無断で外出を繰り返し、2ヶ月前には停職処分となっていた。
停職となった後も、Tは後任に電話をかけ、俺の元に行かないように念を押していた。後任もTのあまりの気迫と異様な執着を不気味に感じ、俺に会いに来れなかった。
そして1ヶ月前、自宅で首を吊っているTが発見された。Tの社内では大騒ぎになったが、俺への連絡は後任に任され、後任は後任でまだ俺への挨拶も済ませていない手前、いきなり「Tが自殺しました」と言い出すことができず今日に至ったと。
Tは担当を外されても何故、俺の元へ毎日のように来ていたのか。
1ヶ月前に死んだTが、何故3週間前に俺の家に嫌がらせをし、翌日の商談に現れたのか。
今ではもう知るすべはない。霊なんて信じちゃいないし、例え3週間前に現れたTが霊であったとしても、それは些細な問題だ。俺が一番怖かったのは、人間の情念と、建前と本音の落差だ。
表面上の付き合いをうまくやれる奴ほど、その反動として裏の顔が凄まじいものになる。
俺は程なくして会社を辞めた。今でも最後に会ったときのTの無機質な笑顔をふと思い出す。
仕事でも、自分に嘘ついちゃいけません。
仕事よりも道理をとりましょうよ。ねぇ。
思いやりと正直が第一です。
___________
建て前と本音
106 1/4 sage 2009/09/23(水) 01:32:25 ID:4wlNAHeP0
俺は小売業で、いわゆる「バイヤー」をやっていた。
簡単に言えば、メーカーから品物を「安く仕入れる」仕事だ。
仕入れ値が安ければ、その分儲けは多くなる。簡単な理屈だがメーカーも儲けの為にはなかなか仕入れ値は下げない。
そこを何とかあの手この手で下げさせるのがバイヤーの手腕であり、俺も随分メーカーの営業を泣かせてきた。
これだけ仕入れてるんだから、お宅以外にも取引先はたくさんある、この値段で出せないならもう取引停止だ、等などかなり強気にやってきた。
そんなやり方だったから、俺と商談する営業の中には体を壊したり、精神を壊したりする奴も結構いた。担当が替わるたび、新しい担当がオドオドした目で俺を見てくるのが不愉快でもあり、苦痛でもあった。
そんな中、唯一俺の強気な商談にも、いつも調子良く答えてくれるTという営業がいた。他社が逃げ出すような値段でも、ちょっと考えただけで「わかりました!」と快諾してくれるTは、俺にとっても非常に有難い存在だった。
Tとの付き合いは長く、仕事を離れて飲みに行ったり、互いにお中元、お歳暮など送りあったり、今では数少なくなった「古き良き付き合い」をしていた。
107 2/4 sage 2009/09/23(水) 01:33:44 ID:4wlNAHeP0
そんなTが、あるときこんな事を言った。取引先メーカー内で、俺の存在が日に日に煙たくなっていると。Tは長い付き合いもあってか俺に同情的だったが、担当がコロコロ替わっている他のメーカーは、俺のやり方にもううんざりしていると。
俺は、日ごろから言われている事だ、と笑い飛ばしたが、商談の最後にTが神妙な顔で気をつけた方がいいですよ、と俺に言ったのが印象的だった。
それから程なくして、実害が出始めた。俺の家に嫌がらせの張り紙や、無言電話がかかってくるようになった。妻は社内結婚ということもあって、俺のやり方はわかっており、それに対する嫌がらせだということもわかっていたので、張り紙をはがし、無言電話は無視するかすぐ切るという冷静な対応をしてくれた。
だがある夜帰ると、妻の顔色がすぐれない。ポストを見てきて、と微かに震えた声で言う。
何事かと思いポストを見ると、血塗れの塊が入っている。何かの内臓のような、肉片だった。
俺は、嫌がらせにしては度が過ぎると思い、次の日出社すると、片っ端から取引先に電話をした。営業たちは慌てて否定していたが、犯人がこの中にいることは明白だった。
信頼のおけるTにも内容を話し、取引先同士の横のつながりから、犯人の目星をつけてもらうよう依頼した。Tも乗り気で、探偵ごっこみたいで楽しそうですね、などとのんきなことを言っていた。
電話口で、全員に対して犯人扱いをし、金輪際こんな嫌がらせはするな、ときつく言い放った俺だったが、その後も嫌がらせは終わる気配が全くなかった。
毎日のように商談で俺に会いにくるTの方も、手がかりは掴めていないようだった。
108 3/4 sage 2009/09/23(水) 01:34:37 ID:4wlNAHeP0
業を煮やした俺は、玄関に小型のビデオカメラを設置した。植え込みに隠すように設置し、テープの時間目いっぱいまで録画した。映っていればしめたもの、動かぬ証拠として犯人を呼びつけてテープを見せつけてやるつもりだった。
そして、カメラを設置した翌日、録画されたテープを再生していた俺は、信じられないものを見た。顔はよく見えないが、見覚えのあるネクタイが映っていた。
そのネクタイは、その日の商談でTがしていたものだった。歳の割りに若いデザインで、もう若くないんだぞ、とからかった記憶がまざまざと甦ってくる。
信じたくない気持ちと、裏切られた気持ちで俺はTとの商談を迎えた。Tは変わらずいつもの調子で笑いながら「手がかりはまだつかめない」などと言っている。俺はこらえきれず切り出した。
ビデオカメラを設置していたこと、人影が映っていたこと。ネクタイに見覚えがあったこと。
Tはそれらを聞いたあとも、いつもの調子を崩すことなく笑っていた。「そうですか」と。
俺はその様子にたまらなく不気味なものを感じ、Tをそれ以上問い詰めることができなかった。
Tの上司から俺に今回の件についての説明をするように、と言うのがやっとだった。
Tは笑いながら「わかりました」と答え、去っていった。
109 4/4-1 sage 2009/09/23(水) 01:36:04 ID:4wlNAHeP0
それから2週間、Tとは音信不通になった。Tの上司が、後任と思われる若い営業を連れ、菓子折りを持ってやってきたのは3週間後だった。
上司は、俺との挨拶もそこそこに土下座した。大変申し訳ありません、と。
俺はまだTに裏切られたショックが癒えず、激昂する気力もなかったので、ただ説明を求めた。
何故Tは俺に嫌がらせをしたのか、毎日のように顔を合わせていて、それなりに信頼関係もあったはずなのに。そして上司の口から説明をするよう求めたのに、3週間も待たされたのは何故なのか。
これらの事を話していると、みるみる上司の顔色が変わってきた。後任の営業も言葉を失っている。
訝しげにその様子を見ていると、上司は「これから話すことは、的外れかもしれませんが」と前置きした上で話し始めた。その内容を聞いているうち、俺は気が狂いそうになった。
110 4/4-2 sage 2009/09/23(水) 01:36:49 ID:4wlNAHeP0
そもそも、Tは3ヶ月前に俺の担当を外されていた。そして後任の営業が決まり、社内での引継ぎも終わり、あとは俺への挨拶だけ、というところまで行っていたが、Tは頑なに後任を俺に会わせようとはしなかった。
「お前じゃあいつの相手はできない。あいつは人の皮を被った悪魔だ」と、Tは後任に言っていたらしい。
そしてTは毎日のように無断で外出を繰り返し、2ヶ月前には停職処分となっていた。
停職となった後も、Tは後任に電話をかけ、俺の元に行かないように念を押していた。後任もTのあまりの気迫と異様な執着を不気味に感じ、俺に会いに来れなかった。
そして1ヶ月前、自宅で首を吊っているTが発見された。Tの社内では大騒ぎになったが、俺への連絡は後任に任され、後任は後任でまだ俺への挨拶も済ませていない手前、いきなり「Tが自殺しました」と言い出すことができず今日に至ったと。
Tは担当を外されても何故、俺の元へ毎日のように来ていたのか。
1ヶ月前に死んだTが、何故3週間前に俺の家に嫌がらせをし、翌日の商談に現れたのか。
今ではもう知るすべはない。霊なんて信じちゃいないし、例え3週間前に現れたTが霊であったとしても、それは些細な問題だ。俺が一番怖かったのは、人間の情念と、建前と本音の落差だ。
表面上の付き合いをうまくやれる奴ほど、その反動として裏の顔が凄まじいものになる。
俺は程なくして会社を辞めた。今でも最後に会ったときのTの無機質な笑顔をふと思い出す。
2010年10月01日
コワイ話 誇り
誇り
724 本当にあった怖い名無し sage 2009/09/04(金) 14:31:38 ID:0U0ZTix/0
うちの婆ちゃんから聞いた戦争のときの話。
婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、
戦闘機に乗って戦ったらしい。
そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。
当時婆ちゃんは、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。
ある日の夜、コツンコツンと雨戸をたたく音がしたそうです。
だれぞと声をかけども返事はなし、
しょうがなく重い雨戸を開けたのですが、それでも誰もいない。
婆ちゃんは、それになにか虫の報せを感じたそうで、
「兄ちゃんか?」と叫んだそうです。返事はありませんでした。
その後戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。
そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。
婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。
遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。
婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。
「キミイよ。兄ちゃんが天国いけるように祈ってくれ。弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。
この国を、日本を頼んだぞ。負けても立ち上がれ、誇りを捨てるな。
まずしくともよし、泥をかぶってもよし。かねを持っても、うまいものを食ってもよいのだ。
ただひとつ心を汚すな。それが日本人だ。心を汚されたときこそ、おこれ。
黄色のりぼんがよく似合っていた。兄はいつも共にある。うつくしくあれ、キミイよ。」
婆ちゃんは疎開先の製糸工場にいるとき、当時出来たばかりの新商品である黄色のヒモを
毎日お下げに巻いていたそうです。
お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、
あの雨の日にワタシに会いに来たんだと、婆ちゃんは生涯信じていました。
724 本当にあった怖い名無し sage 2009/09/04(金) 14:31:38 ID:0U0ZTix/0
うちの婆ちゃんから聞いた戦争のときの話。
婆ちゃんのお兄さんはかなり優秀な人だったそうで、
戦闘機に乗って戦ったらしい。
そして、神風特攻にて戦死してしまったそうです。
当時婆ちゃんは、製糸工場を営んでいる親戚の家に疎開していました。
ある日の夜、コツンコツンと雨戸をたたく音がしたそうです。
だれぞと声をかけども返事はなし、
しょうがなく重い雨戸を開けたのですが、それでも誰もいない。
婆ちゃんは、それになにか虫の報せを感じたそうで、
「兄ちゃんか?」と叫んだそうです。返事はありませんでした。
その後戦争が終わり、婆ちゃんは実家に戻りました。
そしてお兄さんの戦死の報せと遺品、遺書が届いたそうです。
婆ちゃんは母親、他の兄弟たちと泣いて泣いて悲しみました。
遺書には、お母さんや他の兄弟について一人一人へのメッセージが書いてありました。
婆ちゃん宛には、次のように書かれていたそうです。
「キミイよ。兄ちゃんが天国いけるように祈ってくれ。弁当を食べてから逝くから、空腹の心配は無い。
この国を、日本を頼んだぞ。負けても立ち上がれ、誇りを捨てるな。
まずしくともよし、泥をかぶってもよし。かねを持っても、うまいものを食ってもよいのだ。
ただひとつ心を汚すな。それが日本人だ。心を汚されたときこそ、おこれ。
黄色のりぼんがよく似合っていた。兄はいつも共にある。うつくしくあれ、キミイよ。」
婆ちゃんは疎開先の製糸工場にいるとき、当時出来たばかりの新商品である黄色のヒモを
毎日お下げに巻いていたそうです。
お兄さんにその黄色のヒモを見せたことは一度も無かったので、
あの雨の日にワタシに会いに来たんだと、婆ちゃんは生涯信じていました。