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2010年02月11日

泣ける話 7 セピアな思い出

セピアな思い出∫泣ける話 より


170 :大人になった名無しさん :04/10/12 04:22:02

ところで、なんで良いヤツに限って、早死にするんだろうな。
俺も8年前、親友を失ってる。

高校1年の時にその親友が死んだとき、自分でも信じられないくらい泣いた。
忘れもしない夏休み間近、月曜日の全校朝礼。
ハゲの校長が壇上に上がって、しばらく沈黙したあと、しゃっくりまじりの声で俺ら生徒に前日の訃報を報告してきた。
その報告を受けた瞬間、俺は学ランを頭にかぶせて大声出して泣いた。
つられて泣いてるやつの鳴き声がいろんな角度から聞こえてた。
俺はもともと無口な方でいわゆる「クールなヤツ」って周りから言われてた。
そんな俺が大声出して泣いてるのがみんなには衝撃だったかもしれん。
すぐに担任のセン公がかけつけてきて、俺を抱きしめて一緒に泣いてくれた。

通夜の時、朝の出来事を誰かに聞いたらしく、親友のかあちゃんも俺を抱きしめてくれた。
小さな声で「ありがとう、アンタみたいな親友をもてて、あの子は幸せ者やった」って言ってくれた。俺はまた泣いた。
それから何度か女子に告白された。理由は全校朝礼の出来事で心が打たれたんだってよ。
そんなもんこっちは望んでないんだよ。

つーか、なんで良いヤツほど早く死ぬんだろうな。



275 :大人になった名無しさん :2005/03/24(木) 10:07:59

たまに思い出す、俺たち家族

―俺と弟、おやじ―

これが俺の物心ついた頃からの家族だった。
かあちゃんがいない理由は小学生の時になんとなく。
かあちゃんの親がおやじに額を畳にこすりつけるような詫びをしにやってきたのは知っているが、それ以上は知らない。
ていうかどうでもよかった。

トラック乗りのおやじもいつ家に帰ってくるのかわからん男だったから、
いない時はじっちゃんのアパートに、いる時は3人で家に、という具合だ。
じっちゃんとこと違うのは、うちの方が雨漏りがたまにするくらい。
大した違いはない。
「兄弟一致団結して」というのは嘘八百。
喧嘩は絶えず。 おやじがいてもいなくても関係なく、殺伐とした兄弟だったように思う。

そんなある日、おやじが土日2日間休みが取れたからと言う。
そしておもちゃ屋につれてってやると言う。
おもちゃ屋かよ、別に欲しい物なんてねーよ、と思ったが口には出さない。
弟も弟で、興味ない様子。

果たして休日を有意義に過ごせるのだろうか?



276 :大人になった名無しさん :2005/03/24(木) 10:09:38

日頃薄汚いおやじが朝から床屋に行った。
俺と弟はじっちゃんの家に前もって用意してもらった新しい服を取りに行った。
3人が合流したのは10時30分。
こぎれいな3人に汚い黄色の軽自動車で向った。

到着。
とりあえず昼を食って弟と距離を保って歩いていると後ろを歩いていたおやじがいない。
「いねーじゃねーか、おやじが迷子になるなよな」
「そうだな」
弟と意見が合った。
探していると、見つかった。
ボードゲームのコーナーにいる。
しゃがみこんで何かを手にしている。

「将棋セット」

駒と折りたたみの板のセットだ。
将棋? なんで将棋なんだよ、と思った俺。
とりあえず、俺はその後学校で知ってるやつに聞いてメモして家に帰った。
弟はとっくに将棋のことなんか忘れてテレビを見ている。
嫌がる弟に強制的にルールを覚えさせ、ひとまずやってみた。
3分で終わった。
勝負がついたからではない。
つまらんくなって弟が駒を投げたからだ。

その日から将棋セットは押し入れの奥へ行った。



277 :大人になった名無しさん :2005/03/24(木) 10:11:51

今日は喪主である俺がいろいろと動いた。
身内もほとんどいない俺たち家族だが、盛大に行いたいとの俺たち兄弟の考えで、おやじにとって満足できる出来映えだっただろう。

弟は仕事先の海外から家族と共に、俺は離婚した1ヶ月後にその日を迎えた。
おやじは体を壊したのが3年前、寝たきりになっってしまったのが半年程前だ。
痴呆?みたいなものにもなっていた”らしい”。
苦しまずに逝けたのが幸せか。

棺を前にして俺と弟は話しをした。

「あの時のこと覚えてるか?将棋セット」
「覚えてる。おやじ、嬉しそうだったな。」

急に俺は、探して見たくなって押し入れを探した。
すぐ見つかった。
弟と一緒に箱から開けてちょっとやってみようかという話しになった。
駒を並べ終え、始まって10分ほどした時、ヘルパーのE子さんが立ち止まったままこちらを見ていたのに気がついた。
E子さんはおやじのことで本当に世話になった人だ。


「あ、どうかなさったんですか?」俺は聞いた。
「お父さま、今年の初め頃でしたかしら、その駒を握って涙を流しながら、
 仲良うしろよ、仲良うしろよ、とおっしゃっていたもので・・・」

みるみるうちにE子さんの顔が紅潮している。
目の前の弟は下を向いたまま動かない。
俺は、箱の中に入っていたおやじが自分で鉛筆で書いた駒の動き方のメモを見ながら泣いた。

おやじ…

うまく書けないが、これが俺たち家族でした。



726 :大人になった名無しさん :2007/04/22(日) 21:27:50

R君が小5の頃、R君のお母さんが病気で亡くなった。
何でかは忘れてしまったけど。
R君はいつも活発な子で、学校ではムードメーカーみたいなタイプだった。
だから友達みんなもR君にいつも励まされたりしてるから
R君の事、励ましていこう、と思ってた。

だけどR君は葬式のとき全くもって泣いてなかった。
むしろ、笑ってた。
大爆笑してた。  お母さん死んだし~、うけんねって。
みんなR君が頭おかしくなっちゃったんだ、と思った。

違った。
みんなが、心配するから。
みんなの前で泣いたらみんな気まずくなっちゃうから、迷惑かかるから

笑った。

あとから友達の話。
葬式のあとR君はお父さんと二人ずっとずっと
泣いていた。

今でも、彼は彼のお母さんが居ない事を知らない人にお母さんの話を
されてもワラってる。
実際、転校してきた子に言われていた。

凄い豪華だね。 そのお弁当、全部お母さんの手作り?
母さんじゃない、自分だよ。
お母さんは作ってくれないの?
うん。
何で?
作れないからかな。
何で作れないの?
ちょっと遠くに住んでるんだ。 

R君より強い人を見たことがない。
  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 10:16Comments(0)泣ける話

2010年02月11日

泣ける話 6 父親編

うっかり萌えた父親のエピソード より


133 :おさかなくわえた名無しさん :2005/08/24(水) 15:50:50 ID:LNepweEf

何年も前の紅白で森山良子が「さとうきび畑」を歌った
戦争で父を亡くした子の歌なんだが、途中
「お父さんて呼んでみたい」と森山良子が歌ったところで
妹が父に「お父さん」と呼びかけると、父は「はあい」と返事をした
「お父さんどこにいるの」と歌は続き、
父は小さく手を振って私たちに「ここにいるよ」と言った
萌えた

父はその2ヶ月後に他界した。「ここにいるよ」と笑った顔は一生忘れない



398 :おさかなくわえた名無しさん :2005/10/16(日) 11:25:34 ID:SNFFF+21

私は今年の4月、実家(関西)を出て東京の企業に就職した。
始めてのGW、両親と兄弟が東京に遊びに来た。
もちろん家を出てから会うのは初めてだったし、1ヶ月以上会わなかったのも初めてだ。

父のことは、嫌いじゃないけどやたらとスキンシップを
取ろうとしてくるところがずっと苦手だった。
抱きつこうとしてきたり、ほっぺにちゅーしようとしてきたり
あくまでも冗談なのはわかってたけど、やっぱり嫌だった。

久しぶりに会った家族と、東京を観光してまわった。
楽しかった。
そんな時間はすぐ過ぎて、別れるとき。
私は母親と、兄弟とハグをした。母も兄弟も、ちょっとうるうるしていた。
普段じゃ絶対思わないけど、父親ともハグしたい、と思って父に向き直ったら、
「……頑張れよ」
そう言って、父は手を差し出した。
普段なら私がそういう仕草を見せたら、大喜びしたのに。
私はうん、と言いながらその手を握り返して、皆は改札の向こうに消えていった。

うっかり萌えて、ちょっと泣いた。



465 :おさかなくわえた名無しさん :2005/10/24(月) 02:34:31 ID:pagx+QnU

初めてハムスターを飼った時。
うちの父は子供の頃のトラウマからネズミ系が嫌いで大反対された。
ケージから出して抱こうものなら「早くケージにしまえ!」って怒鳴ってくる始末。
近寄りもしなかった。
でもそのハムが死んでしまって私が大泣きしていた朝、
会社に行く前に父がハムにお線香をやって手を合わせてくれて
「生まれ変わったらまた○○(私)に飼ってもらいなさい」
大泣きした。
いま書いてても涙が止まらない。



866 :おさかなくわえた名無しさん :2005/12/01(木) 20:37:44 ID:E+eegU05

結婚式の時さ、バージンロード歩く前
「これからうんと幸せになれ」ってさぁ
充分幸せに幸せにしてもらったから
お父さん、大好きだよ。



246 :おさかなくわえた名無しさん :2005/12/19(月) 09:45:32 ID:cL+aKuck

何気にこのスレ覗いたら父親との会話が懐かしくて「いいなぁ…」と思う。

俺の親父は割と寡黙で仕事バカな男で、休みの日になると酒を飲んでるか
城や戦艦のプラモを買って組み立てたり、刀のレプリカ(備前長船)を買って悦に浸り、
誰も居なくなったらパジャマ姿で抜刀の練習をして俺に見られて照れる親父だった。

ある時、盆で親戚が集まって宴会になってる時
母:「この人の夢って、○○と酒を飲む事なんだって」
父:「バカ、恥ずかしいこというな」
で、俺は子供だったので右から左に聞き流していた。
そして俺が成人を迎えてしばらくしたら病気で逝っちまった。

社会人になって理解したが「男親にとって息子と酒を飲む」ってのは
特別な事なんだと。これが親孝行の類に入るとは思わないが、
ただ「孝行したい時に親は無し」とはよく言ったモンだなぁ、と思った。



729 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/02(木) 14:49:48 ID:ycxaeGJW

頑固でいつも眉を吊り上げてる昭和一桁生まれの父。
当時うちには雑種犬が2匹いて、父は特に可愛がってるでもなく、
犬も子供と同じように厳しくとかって言ってよくぶん殴ってた。

その犬が11歳で死んだ。
フィラリアで、最期は家族みんなで介護した。
母と私達姉妹はわぁわぁ泣いたが、父はいつものように眉をつり上げて黙っていた。
その夜、夕食の席で、いつもはあぐらをかいている父が正座している。
やがて少し上を見上げて「実に…実に残念だなぁ…」って言った途端、涙をボロボロこぼした。
手を膝において眉をつり上げたまま。

あんなに悲しんでる人を見たのは初めてだと、今でも思ってる。
鬼瓦みたいな顔して心の中に優しい気持ちを隠してたお父さん、私はずっと好きだからね。



770 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/04(土) 02:13:24 ID:FKDXs6bq

もう何年も前の話だけど、私が高校卒業して進学の為に上京する日の事。
夕方のブルートレインで行く事になってて、家族が皆で駅まで見送りに来てくれた。
行きたくなくて泣きたいんだけど、昔っから家族の前では涙を見せなかった私は、
旅立ちの日だと言うのにホームでニヤニヤニヤニヤ。
入線して来たブルートレインを見てヘラヘラヘラヘラ。

絶対泣くかと決めてたから妙にハイテンションのまま乗車し、
家族も私も微妙な雰囲気のまま、微妙な別れをしてしまった。(車内で号泣)

その後聞いた話で、あの日終始無言でニヤニヤニヤニヤしてた父は、
電車が発車すると、窓から顔を出す車掌さんを追い掛けながら、
「娘が上京するんです。よろしくお願いします!」と涙目で頭を下げてたとか。
そんな父に、車掌さんも敬礼を返してくれたそう。

意地っ張りな、変な所が似ちゃったなと思う長女。(顔も父似)
そんな父にちょっと萌え。



799 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/05(日) 03:25:54 ID:xL0PDTP3

男です。

大学入学と同時に一人暮らし。もちろん長期の休み等には帰省。
卒業して就職後も、会社近くで一人暮らしを継続。
が、就職してからは、忙しさでなかなか帰省できず。

ある日、仕事で実家のそばを車で通る事になり、数分だけ実家に立ち寄った。
その日は日曜日で(仕事は休日が稼ぎ時の仕事です)家族は家に滞在。
到着後、俺が放った一言で親父を号泣させてしまいました。

泣きながら「ここはお前の家だ。他人行儀な事するな!」と怒鳴る親父。
俺と、おかん、兄貴呆然。とりあえず必死でなだめて、「もうああいう事は言わない」と固く約束。
今まで生きてきて、親父が泣く姿を2回しか見てなかった俺は、ショックを受けながら
ホントに悪い事したと車内で涙目になりながら後悔しました。

ちなみに俺が目撃した、親父が泣いた時とは
祖母が亡くなった時と映画「ハチ公物語」を見た時。

俺が親父を号泣させた一言
「ごめん、トイレ貸してくれ」



839 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/07(火) 03:10:54 ID:moQ5VX0v

私はあまり家で料理とかしないんだけど、この前彼氏が泊まりに来たから、カレーを作ったんです。
次の日鍋を見たら、カレーはまだいっぱい残ってて、誰も手をつけてませんでした。
あーあっせっかく作ったのに。と大きな独り言を言っても、みんな無視。
私は拗ねて自分の部屋に戻りました。
何時間かして、台所に戻って鍋を見たら、失くなってました。
近くにいた母が『あんたが拗ねたりするから、お父さんが全部食べたよ。お父さんカレー嫌いなのにねぇ。』
と言われて泣きそぅなった。



850 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/07(火) 22:17:21 ID:F3134j9x

4年程前の話。

母方の祖父がなくなった葬儀の帰り。
母親が自分の父親を亡くして
本当に悲しんでいるのを見たためと思われる、
二人きりの車の中で言った一言。

『○○、大丈夫、お父さんは死なないぞ。お父さんは不死身だからな!』

私を悲しませまいとするパパン。ありがとう。
お母さんのことも私のことも大切に思って
言ってくれた一言だったんだろうなって思ってちょっと泣いた。



276 :おさかなくわえた名無しさん :2006/03/12(日) 21:18:59 ID:Os2U/yfA

萌えるとは少し話が違うかもしれないけど、俺は死んだ親父の大ファン。
教師をしていて、授業の腕もクラス造りの腕も抜群で生徒や保護者からの信頼も厚かったんだが、生徒をかばうために上司と喧嘩をしたりで経営陣からは煙たがられていた。
学校で不審者による事件が起こり、全校生徒を休ませる事になったが校長だけが反対。
「俺は自分を悪者にしてでも生徒をかばうぞ!」と言う発言と共に校長を殴り、解雇。
当時学生だった俺と妹の学費を払うために塾講師のバイトを掛け持ちするが、収入が減ったのと担任を持って生徒と直に触れ合えないのでストレスが溜り、飲酒運転をして事故を起こし、45歳の働き盛りで教育界から追放。
それからはいつもジャージで髪はボサボサ、無職で酒を飲んでばかりの生活に。
酔っぱらって石段からころげ落ち、一時入院。
その後いつもうわ言のように「担任を持ちたい~」と言いながら酒をあおり、51歳で亡くなった。
無職の落ちぶれた親父の葬式なんて誰も来ないと思ってたら教え子が1700人参列。
破滅型人生だが、こんなにも自分の職業を全うした人間はいないと思う。



381 :おさかなくわえた名無しさん :2006/03/21(火) 10:08:54 ID:312nh1nx

うちのとうちゃん、飼ってた九官鳥に父ちゃんと呼ばれて喜んでた。
すごく、すごーく可愛がっていて。
なのに父ちゃんが会社に行ってる間に放し飼いの猫に襲われた。
九は父ちゃん父ちゃんと助けを呼んだが、がっつりやられてご臨終。
父ちゃんに電話したら九の声が届いていたらしい。
いま、呼ばれた気がして昼休みにでも電話しようと思っていたと
・・・事の顛末を説明。
電話先では怒るでもなく、泣くでもなく、ただうなずいていた。
帰りに九の好きなバナナと花を買ってきた。
かあちゃんにさえ花なんて買ってくること無かったのに。

それ以来猫嫌いで動物は飼ってない、飼えない。



580 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/07(金) 19:04:02 ID:4IifbRgO

去年のGWに結婚式をした。
花粉症が酷くてさ~なんていいながら、真っ赤な目でうるうるしてた父。
パパ、知ってるんだよ、花粉症じゃないよね??



639 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/14(金) 23:27:03 ID:pynkqxLg

親父は母方の家業を継ぐため夫婦揃って家を離れていった。俺と兄を一戸建ての家に残して。
数年後兄も結婚し家を出た。
そして俺も転勤で家を出ることになった。
とりあえず家をどうするかは後回しで、俺の引越しの準備のため親父が遠路はるばるやってきた。
俺は母譲りの心因性貧乏症ゆえなかなかモノが捨てられず、我が家はゴミ屋敷状態だったのだ。
家族が揃ってた頃は、ソレによる夫婦喧嘩もよくあった。

親父がやってきて片づけをはじめたが、案の定モノ貯めすぎだとグチグチ口うるさかった。
そしてひと段落ついた今日、俺が会社行ってる間にようやく親父は帰った。
帰宅し、手伝ってくれたことには感謝しつつもようやくのんびり落ち着けると思いながら静かになった部屋の明かりをつけると置き手紙が。
仕事しっかりやれとかエロ本きちんと片付けろといった小言が続き辟易してたら……

家を片付けてると押入れの奥から懐かしいものが出てきたと書かれていた。
俺ら兄弟が赤ん坊の頃のかいまきや子供服やらおしめやらタオルやら、そんなものまで丁寧にしまわれていたという。ソレを見つけた親父は涙が止まらなかったそうだ。
手紙も、そのあたりで文字は滅茶苦茶に乱れ、読み取るのに往生した。

変にこだわらず捨てろ捨てろとうるさかったくせに……。
なんかキーが打ちづらいな、タイプミスしまくり。何でだろ?

俺の転勤先は今よりは親元に近いから、父の日には親孝行してやるか。



777 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/26(水) 16:50:19 ID:BJGHnsT4

私の父は真面目で寡黙、自分にも他人にも非常に厳しいひとだった。
中学生の時のこと。
リビングで寝ていた父が突然ガバっと起き上がり
隣でテレビを見ていた私に言った。
「比叡山いこっ!比叡山!」
私が( ゚д゚)ポカーン な顔をしているとまたすぐに寝てしまった。
どうやら私が小学校のときに
家族で比叡山へ登った時のことを夢に見ていたらしい。
普段の物静かな父とのあまりのギャップに萌えてしまった。
朝になってこのことを言うと
「知らん!覚えてない!」とのこと。
このころは家族仲があまりよろしくなくて
父なりに昔のようになりたいと頑張ってたんだろなぁ・・。

結局一緒に行ってあげることは叶わなくなりましたが、
残された家族は今仲良く暮らしてるよ。
心配しないでね。



825 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/28(金) 21:12:35 ID:FtMBstoA

オトンが毎日納豆を食べていた。
納豆2パックに卵1個に大量のネギ。
卵を1個まるまる入れるのでちょっとちょっとゆるい感じがする。
で、オトンは納豆を酒のつまみにして
私もおすそ分けしてもらった納豆をご飯のおかずにして……

それから約30年。私は嫁に行った。
ダンナは納豆にたれとカラシの普通の食べ方だった。
オトンに孫を見せると喜んでくれた。
で、オトンが死んだ。別に急死でも変死でもなかった。
今年3回忌だった。
思い出話の1つとして「お父さん、納豆好きだったよね」と母に話した。
私「お父さん、いつも納豆2パックに卵1個入れてたよね」
  「そういう食べ方ってわりと珍しいよね」
母「お父さんっていうよりあんたが好きだったからね」
  「お父さんは普通に醤油かけるのが好きみたいだったよ」
  「あんたがそういうの食べたいっていうから」
 
あやー、オトン、バッカじゃない。
納豆くらい自分の好きなように食べればいいじゃない。
30年ホントに全然気がつかなかったよ。

オトンのバカへ。ありがとう。



984 :1/2 :2006/05/08(月) 21:50:40 ID:ALFFcM60

うちの父は傍若無人で「子供か!」と思うぐらいバカな奴だった。
小学校5年の時に脳内出血で右半身不随になったけど、病院でもワガママばかりで、
トラブルを起こしまくり、最終的に病院から追い出された。
転院先も見つからず、自宅介護になったが、殿様気分な態度でウンザリしてた。

当然、父の事は大嫌いだった。憎んでいたかも知れない。

私が受験の時にもワガママをぶつけてきて、
「(私が産まれた事や生きてる事や暮らしてる事全てをひっくるめて)誰のおかげだと思ってんだ!」
の一言にぶち切れて「お前さえいなければー!」と殴りかかった事もあった。
身動きの取れない病人相手だったので、当らないようにわざと外して枕やクッションを殴ったけど、
父にとってはショックだったと思う。
その時、父は「情けない」と大泣きしていた…。
その言葉が自分に対してなのか、親に殴りかかった娘に対してなのか今でもわからないが…。



985 :2/2 :2006/05/08(月) 21:51:30 ID:ALFFcM60

時が過ぎ、24歳になった頃…
父はすっかり衰え(…と言ってもワガママと傍若無人は相変わらず)合併症を起こして再入院していた。

元々余命3日と言われた状態で14年生きてきたので、いつ何があってもおかしくは無かったけど、
やせ細って 食欲も落ち「本当に長くはないんだろうなぁ…」と言う感じだった。

丁度その頃、結婚を考える彼氏がいた。彼には重荷だったと思うが、
一度見舞いに付き合ってもらい、父に「息子になるかも知れない人」だと説明した。

てっきり怒るか拗ねるか説教するかと思ってたら、父はとても嬉しそうに笑った。
「いい男じゃないか」と言ってニコニコしてた。
後日、叔母にも嬉しそうに自慢していたらしい…

その数日後、父は他界した。  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 10:04Comments(0)泣ける話

2010年02月07日

泣ける話5 奇跡

泣ける2ちゃんねる 11 奇跡編 編集する 2010年01月28日17:57 No.522 【奇跡】こんな事あるんだなぁ~と思った時 より


618 :おさかなくわえた名無しさん :2005/10/26(水) 13:49:09 ID:32Gq+IV8

道に500円が落ちてるのを見つけて小走りに拾いに行って、
かがんだ瞬間空から男の子が落ちてきた。
俺の背中にボトっ→俺ぐちゃっ→どちらも無傷でした

ベランダから落ちたんだってさ。男の子のカアチャンに泣きながら感謝された
「いや、まぁ間に合って良かったですよ!」とかいって格好良く去ったけど、
手の中の500円玉は、ギターか何かの銀色ピックでした

なんでこれを500円玉だ!と思ったのか不思議ってくらいに、ただのピックでした

なんか卑しい性格を利用されたような気がするけど、奇跡だと思ってるんだけど・・・・



735 :おさかなくわえた名無しさん :2005/11/10(木) 00:52:37 ID:iS8vNhW/

私には12才年上の兄がいる。若げの至りっぽい感じで18才でケコン。
奥さんも同じ年で我が家に同居。すごく優しい人で実の妹のように
可愛がってくれて毎日が楽しかった。
だけどドキュな兄の浮気のせいで1年後にリコン。
ある日学校から帰ったらお姉さんの荷物は無く、寂しさに泣いた。

月日は流れドキュ兄は再婚、大人になった私はブティックで働いていた。
ある日購入を決めたお客さまをレジに案内し、クレジットカードにサインを頂いた。
書かれた名前を見て、私は思わず あ…!!と叫んでしまった。
するとそのお客さまは私の顔と、カードの係員欄に書かれた私の名前を見て
同じく あ…!!! と。そして手を取り合ってふたりで泣いた。

最後の別れから20年後の出来事。兄には言わなかった。



860 :おさかなくわえた名無しさん :2005/12/01(木) 19:48:41 ID:eAWMGRsb

小学生の頃いきなり夢に双子の妹が出てきた。
1人っ子だったんだけど、子供ながらに何か確信みたいなものがあって
母に聞いてみたらめちゃくちゃ泣かれた。
どうしても探したくて、自分で書いたポスター(妹を探しています、みたいなやつ)を電柱や民家のドアに張りまくりさらに泣かれた。
小さい村で生まれたから噂は一気に広まり広報の人が家にまで来る始末。 とんでもない事をしてしまったと気づき泣きながら謝ったけどすでに遅く、根も葉もない変な噂がたってしまい引っ越す事になった。

それから何となく母と折り合いが悪くなり、高校を卒業してすぐ家を出た。
そしたらバイト先(ファミレス)で妹に再会。見た瞬間分かった。向こうも私の夢を見ていたらしくずっと探してくれていた。

二人で手を繋いで母の元へ帰った。
色んな事情があって片方を養子に出さなきゃならなかったと聞き、これから三人で楽しくやっていこうと笑い泣きしながら話した1ヶ月後、母が死んだ。

私達は仲良くやってます。
あの頃問い詰めてり恥をかかせたり、苦労かけて本当にごめんなさい。



937 :おさかなくわえた名無しさん :2005/12/14(水) 12:22:55 ID:Amxz8cas

去年の新潟の地震で、俺の親が新潟出身だから叔父に安否情報を出したんだ。だが夜とかに1chanで見ても名前など出ては来なかった
数も膨大な量だから諦めていた時
月曜がオフだから朝10時くらいにボーと起きて来て4のヨン様のドラマを見ていたんだ。
マジな話 この後の事は記憶にないんだが、ふとリモコンで3に回したみたいなんだよ そうしたら5秒くらいたってから俺の親の名前が呼ばれていてびっくりした!
マジに奇跡だと思った 何故あの時普段見ない3に回したのか 記憶もないし シャーマンみたいに身体を媒介にされたみたいだった。 俺は子供の頃 霊を見ているから体質なのかと思った。今はもう霊は見れないけど
あまりの事で涙が出ていたな 俺の祖父や祖母などが力を貸してくれたんだろうかと思ったらね。



195 :おさかなくわえた名無しさん :05/03/08 15:18:00 ID:e0MCmRHP

病院での親子3人の会話は
「来年桜が咲く頃、和は小学生になるんだよ」

妻は来年の桜が見れそうも無い。
セミの鳴く帰り道、家の近くの公園で
俺と息子は夏に咲く桜の木を見た。満開だ。

わかってる。
あの時は疲れていたし、暑さで幻をみたのだろう。
それでも翌日、息子と一緒に病室の妻へ「夏にも桜が咲くんだね」
って興奮気味に話しをした。
妻は「夏に桜が咲くぐらいだもの、来年の桜だって簡単に見れちゃう」
笑って答えてくれた。

夏に桜が咲くのが奇跡なら
低血圧な妻に代わって、息子の弁当を作る俺の今の生活も奇跡

ってゆーか誰だよ!あの公園の木に悪戯した奴!
それともホントに奇跡か?やっぱり幻か?

今となってはどちらでもよい。ただ感謝感謝。

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 07:39Comments(0)泣ける話

2010年02月07日

泣ける話 4 少し泣いた話

No.521 【 。・゚゚・少し泣いた・゚゚・。 】 2回目 より


629 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/11/18 23:24:18

夜中、布団の足元を軽い物体が通った。
ああ、飼い猫のミーか。
「おいでー。今日は寒いから、布団にお入り・・・」
あれ?違う。
息子がトイレに起きたのか。

あれ?何か変だ。
ああ、ミーはもう死んじゃったんだった。
息子が赤ちゃんの頃に、死んじゃったんだった。

布団をかぶって、少し泣いた。



33 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/08/09 07:39

ここ3年ほど単身赴任をしている。
私の単身生活の開始とともに思春期を迎え、ほとんど会話をする
ことがなくなった娘も中3になった。
先日、仕事を終えて単身寮に帰ったら娘から小包が届いていた。
自分でも忘れていたけど、そう言えば今月は誕生日だったんだっけ。
中には高価な物ではないけれど、少ない小遣いを一生懸命貯めて
買ったと思われるネクタイとメッセージカードが入っていた。
「誕生日おめでとう。ホントはお父さんが大好きです。」

嬉しくて、年甲斐もなくちょっとだけ泣きました。



174 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/08/18 19:29

今日仕事帰りに見た光景。小学1年生くらいと3年生くらいだろうか、
頭ひとつ分くらい違う兄妹らしき二人が、車道と歩道が分かれていない道の右端を歩いていた。
お兄ちゃんと思しき子は、自分が車道側になり、妹には建物の方を歩かせ、しっかり手をつないでいた。
結構交通量の多いところで、お兄ちゃんを頼って一生懸命歩く妹、小さいながらに妹を守ろうとする兄、
二人の後姿に、少し泣いた。



257 :名無しさん@お腹いっぱい :04/08/27 15:31

胃腸の具合がずっと悪くて食欲も無くヘロヘロになって病院に行った。
ストレスも原因のひとつですからね、と診察してくれた医師は言い、
診察が終わった時、にっこり笑って「無理しないでください」と握手してくれた。
なんか変だったけど、実際ストレスたまりまくってたので少し泣けた。



338 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/08 01:32

8月のおわり頃のある日、車の中で聞いていたラジオからサザンが流れてきた。
ああ、夏も終わりかと思ったらせつないような・・・・
何かやり残したことはないかと自分に問うて、次の瞬間自分の歳を思い出す。
あの輝やいていた日々から20年以上。
あんな夏は2度と戻らず、どんどん遠くなるというのに、
毎年同じような気持ちに襲われる自分に・・・少し泣いた。



419 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/24 10:47:21

2ヶ月前、ストレスでどうしようもなくなって会社を辞めた。
夏の間に療養して、やっと求職活動を始めたが、あまりいい勤め先が見つからなかった。
それでもこれ以上遊び暮らすわけにはいかないので妥協しようかと思っていたら
かつての取引先の部長から「ぜひ、ウチの会社に来てくれ」と電話が来た。
会ったこともない相手なので戸惑っていたら、俺が取引していたその人の部下達が
熱心に薦めてくれたらしい。

少し泣いた。



428 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/09/27 02:30:13

夢の中で8年前に投身自殺した同僚を止められなくて泣いた。
夜泣きして起きた。彼が亡くなった時と同じ年齢になった。
こんな想いで毎日生きていたんだなぁ~彼は・・・
私はまだゲームは諦めないぞっと



452 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/10/02 16:43:12

幼稚園の登山遠足があった。
足の不自由な息子と一緒に登った。
二年前は途中で主人が息子をオンブしたのだが、
ことしは、自分の足で歩いた。
標高三百メートル少しの山だが、
街が見渡せ、秋のさわやかな風が吹いていた。

記念写真を撮るため、ファインダーをのぞいたが、
二人の笑顔が涙でぼやけてしまった。



501 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/10/12 23:12:45

夫が単身赴任した。

東京駅まで見送り家に戻ってきた。
家の中は何一つ変わっていないのだけど、
夫の物が入っていたタンスの引き出しが空っぽなのをみて、泣いた。



513 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/10/13 22:26:25

普段はそっけないけどね男の子のほうが根は優しいよ。
これ実感・・・・マジ泣ける。

普段クソババ言ってる子がおかんが熱だして寝込むとほんと
色々気つかってくれる。学校から帰るなり
「おかん、しんどくないか?買物行って来るよ?」
多いに泣いたよ。



599 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/11/08 20:36:12

元彼女の父親が亡くなったのを新聞で知ってお葬式に行った。
十ん年ぶりだしわからないだろうと思って焼香して声かけず帰ろうとしたら
後から追いかけてきて「わざわざどうもありがとう」と言ってくれた。
そっくりな小さな女の子を抱いて優しいお母さんになってた。
家に帰ってひとりで少し泣いた・・・



632 :名無しさん@お腹いっぱい。 :04/11/20 01:22:10

知り合いの女性が亡くなった。

告別式に行ったら、ご主人と恋人時代から現在までの写真が
飾ってあった。
「〇〇さん、かわいらしかったね。」と隣りの人と話していたら、
「そうなんですよ。彼女は本当にかわいらしかったんですよ。
 僕の初恋の人だったんです。」
とポロポロ涙を流しているご主人が後ろに立っていて、一緒に
もらい泣きした。


  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 07:38Comments(0)泣ける話

2010年02月06日

泣ける話3 思い出の弁当

No.520 【母ちゃん】思い出の弁当PART2【サンキュー】 より


21 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/06/09(木) 00:26:40 ID:5L9SLk1h

うちは母親の得意なおかずがナスを炒めてあんかけにしたやつだったんだけど
確かに美味しいんだけど弁当のおかずにされるのは恥ずかしくて嫌だったんだ。
見た目がどうもね、良くなくてさ。
でも嫌だとは言えず週に3・4回は食べてた。

成人して間もない頃に母が死に、まだその死の実感が湧かないうちに上京して、
食費浮かそうと思って弁当生活始めたんだけど、
どうしてもあのナスが食べたくてさ、アレがないと物足りないんだよね。

でも作れないんだよね、おんなじように。
そん時ふと「あ、おかんに訊いたらええんやん」と思ったんだ。
で、やっと実感したんだよね、母はもういないんだ、訊けないんだ、って事。

味の違うナス弁当に詰めながら顔パンパンに腫れるまで泣いた。
仕事の昼休み、食べる時にもまた泣いてしまって、他の人を困らせた。

上京して10年、ようやく母の味に近づいてきたけど弁当のおかずには
その日以来一度もしてない。
弁当にナス炒めは私にとっては切ないメニューだから。



82 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/07/15(金) 20:50:14 ID:A0aUA0cp

つい先日お母さんが白血病で入院して、それからは私が料理を作ることになりました。
夕飯も大変だけど、一番はやっぱりお弁当が大変。
私も兄も高校生でただでさえ朝は早くて忙しいのに輪をかけて忙しくて、
でもあまり冷食には手を出さないようがんばっているんですが、
一生懸命作ったお弁当は何か物足りなくて、いっつも兄と父に申し訳ないです。
それと同時にお母さんの偉大さを実感しました。

お弁当は作ってもらって当たり前だと思っていたけど、今はそんなことこれっぽっちも感じない。
台所に立って初めてお母さんの気持ちが分かった。
もうすぐ夏休みなので、これを機に料理の練習して新学期からは満足のいくお弁当を作れるようになりたいです。
お母さん、本当にありがとう。私もお母さんの味を再現できるようがんばるよ。



90 :名無しさん@お腹いっぱい :2005/07/18(月) 00:52:19 ID:ygR91g+Z

独身の男が40を過ぎて、学生に戻りました。
ここを読んでいたので、母に週に何度か弁当を作ってもらってます。
すっかり茶色い弁当が大好きになりました。
でも、母は「もう、20年も生きられないからさびしい」とよく言います。
そんな時、弁当の味が染み渡ります。
仕事もせずに、学生に戻ったことも、
厚かましく弁当を作ってもらっていることも、感謝してます。
これも、ここのみなさんのおかげです。
親孝行は、できそうにないけど、精一杯甘えています。ありがとう。



111 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/08/11(木) 21:23:16 ID:xK+lf5Cs

嫁と去年離婚、息子は俺が引き取った
離婚の原因は夫婦の感情だけの問題で子供は関係ない
が、理由はどうあれいきなり小学2年の育ち盛りのご飯を
俺が作ることになった

もともと学生時代は食堂でバイトしてたし料理は好きだ
会社も家から近いので晩御飯なんかはそんなに苦ではない
しかし弁当は違ったよ なんせ量の加減が難しい
決められたスペースにきっちり収めないといけないし
学校でほかの子に見られても恥ずかしくないようにいろどりも重要だ
毎朝5時半に起きてあーでもないこーでもないと頭をひねってた

でもそんな弁当がいつまでも続くわけでもなく3ヶ月ぐらいで
俺は息子に500円玉をわたすようになってしまった…

そんな時に母の弁当を思い出した
前日の残りや冷蔵庫の常備のおかず(ひじきの炊いたのや漬物、佃煮とか)が
微妙に前日とかぶらないようにアレンジが加えてあった弁当
俺は鶏のそぼろを混ぜた炒りたまごが大好きでそれがおかずの日の弁当は
「母ちゃん、メシきっちり詰めといてくれよ!」
と言ってずっしり重い弁当箱を持って通学してた

何の気なしに食ってたあの弁当を思い出してまた息子の弁当を作り始めた
母ちゃんが逝っちまって10年も経つのに驚くほど味を覚えてる
でんぶや大葉やゆでたまごで色彩豊かにしてくれてたのも思い出した
どうしても作り方のわからないものは姉に電話して聞いた
「あーあれなー、あれ実はアタシの初恋の人に弁当作ったげようと思って
 母ちゃんに教わってたからよー覚えてんでー」
と、俺が知らなかった母と姉のエピソードまで聞いた

息子が俺の弁当を喜んで持っていくようになった最近、
嫁から「やりなおしたい」って電話をもらった
正直、なにをいまさらって気持ちもあったけど
息子がこのまま母の味を知らないまま大きくなるのは
なんだかとても悲しいことのように思えた

俺と嫁もまたまだまだ母ちゃんや父ちゃんの領域には達していない
これからも喧嘩やいざこざを繰り返していくかもしれないけど
それでも息子のためにもチャレンジを繰り返していかないとって思えた

母ちゃんはこんなに大きくなった俺にまだ影響を残している
嫁とこれからどうなっていくか、まだまだ不安もあるけど
でも、俺も弁当のおかずは作りつづけようと思う



122 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/08/16(火) 14:28:18 ID:BjEh+roq

うちは親父が幼稚園くらいの頃ガンで死んで母親が働き始めた。
母は毎日毎日夜遅くまで働いてたから朝は仕事行くまでぐっすり寝てた。
だから中学校の時の弁当はいつも祖母が作ってたよ。
周りとは違うんだ、弁当。
祖母の料理は美味しいんだけど他の子の弁当と比べたら古臭いっつーか。
ある日友達が小さいオムライスを作ってもらってて羨ましくなったから、
祖母にオムライスを作ってくれと頼んだ。
でも祖母はオムライスというものがよく分からんと言い出した。
俺は親父が死んで家族のみんなが死人みたいになったのを見たときから、
絶対家族迷惑とかかけちゃいけない、何事にも文句は付けないって決めてた。
でもなにかが吹っ切れた。今まで溜まってたなにかが吹っ切れた。
だから祖母に文句を言った。オムライスくらい作れって。
なんで母親は俺の親なのに弁当作らないのかって叫んだ。
そしたら祖母はおお泣きし始めた。ごめんね、ごめんねって謝り続けた。
祖母がおお泣きしたのは親父が死んだ日以来だった。
その後家にあった料理の本全部出してオムライス作り始めた。
次の日の弁当には、2段弁当とは別の入れ物に、でっかいオムライスが入ってた。
すっげー美味いんだそれが。初めて作ったとは思えないくらい。
その祖母はちょうど2年前くらいに膵臓の病気で死んだんだけど、
死ぬ数ヶ月に母に言ったらしい。俺に定期的にオムライスを作ってやってくれって。
もうそれ聞いた瞬間どうしようかと思ったよ。涙が止まらなかった。
だからここで言う。
お婆ちゃん、ほんと美味かったよ。オムライス。



157 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/09/20(火) 20:07:29 ID:s3XbL1nw

俺の母さんは鬱入っている人で子供の頃から一度も弁当なんか作ってくれなかった。
むしろ晩飯もろくに作らず、たとえ作ったとしても手抜きをしすぎて
決しておいしいとはいえなかった。
そんな母さんだから、高校の時は学食で食ったり、コンビニでパンを買ったり、
自分で朝早く起きて弁当作って持っていっていた。
でも俺が大学受験が近づいて夜遅くまで勉強するもんだから、
朝起きれず弁当が作れなくなり、自然と学食中心の食事になった。
で、本命の大学受験当日、コンビニでおにぎりでも買っていこうと思っていたら、
母さんが「○○(俺の名前)頑張っているのに、いつも何もしなくてごめんね。受験頑張ってね。」
って言いながら弁当を手渡してくれた。

試験会場で食った弁当の味は世間的には美味しくないのかもしれないけど、
母さんの弁当を始めて食った俺にとっては一生忘れられない味だった。

そしてその弁当の味は俺に春をはこんできてくれた。



208 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2005/10/29(土) 11:55:19 ID:TAUTxVsb

きっとやさしいからいつも唐揚げなのは嫌だ、って言えなかったんだよ。
もしくは言ったとしても
「おばあちゃん年寄りくさいものしか作れないから皆に見られたら恥ずかしいんじゃないかな」
なんて思って入れなかったのかもしれないよ。
うちのばーちゃんがそうだった。
私の好きなものをと思ってよく唐揚げとかカツとか入れてくれたけどあまりにもアブラモノが続くから
たまには変えてって言ったらそう言われた。
母が入院してる数ヶ月の間の事だったけど嬉しかった。
ばーちゃん朝起きるの早いのにする事ないから喜んで作ってくれてたなぁ。
元旦に私が初めて作ったお雑煮食べてもらおうと思ってたのに、母が呼びに言ったら寝室で眠るように死んでた。
だから正月がばーちゃんの命日。
お弁当じゃないけどこの時期お重につまったおせち見本見る度にばーちゃん思い出すよ。



361 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/01/25(水) 20:40:42 ID:28A/I84M

実家の近くで朝早くから仕事があったので、
昨夜、しばらくぶりで生家を訪れた。
半分雪に埋もれてた。

そういや年末も友人と遊びに行ってて帰って無かった。

今朝起きたら茶の間の卓に弁当が置いてあった。
母ちゃんは台所で目玉焼きを焼いてた。

早朝出発だったので「朝飯イラね」といってたんだけど、
弁当まで作ってもらってた。
高校以来の母ちゃんの弁当だ。

もう俺ボロボロ泣いちゃって朝飯なんか照れくさくて食えなくって
「時間無いから、いかねぇと」と弁当持って家を出てしまった。

ごめんな母ちゃん、週末は雪かきに帰るから、待ってでけろ。



366 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/07(火) 04:37:53 ID:EfJjiIsk

なんだこの良スレはw
ぢゃ、おいらが10歳の時天国にいったかあちゃんの弁当の話しでも

幼稚園の時にお弁当の日があって、弁当箱をあけてみるとご飯がなくて一面の炒り卵!!
大喜びして食べ始めたら、下からご飯が出てきてがっかりw
まあ、当然なんだけど馬鹿で卑しい幼稚園児だからな

お弁当じゃないけど、風呂敷おにぎりも思い出だな
ノリを丸々1枚使った大きなおにぎりで作る方も手が汚れなくていいんだよね
かあちゃんが寝坊したとき朝飯で出てきたのが最初だったな
それ以来気に入ってよく作ってもらったけ
普段のおむすびは俵型だったなあ

子供のころの好物は炒り卵と餃子だった
まだ、田舎のことで市販の餃子なんてなくて一緒に手伝って餃子つくたなあ
誕生日に餃子食べたいっていったら大量の餃子が!!
いつどうやって作ったの?ってきくと「肉屋さんの機械をかりたのよ」だって
きっと肉屋の餃子を買ってきただけだったんだろうけど、主婦のプライドがあったんだろうな
いつのまにか、かあさまやとうさまが天国に逝った歳をこえちゃったよ
若くして死んだんだなってつくづく
いかん、弁当から話がどんどんずれたスマソ



403 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/23(木) 01:12:24 ID:Fzvairm8

小学生の時に両親が離婚して、私は父親の方に残ったんだけど、
中学生の時に父親が作ってくれたお弁当はかなり茶色かった。
けどおいしかった。
さすがに女友達には見せられなくていつも
お弁当隠して食べてたけど、
唯一『お前の弁当いつも旨そう』って言ってくれた男の子がいました。
父親は7年前に亡くなりましたが、
あの時お弁当を誉めてくれた彼と今夏
結婚します。
お父さんに直接は会ってないけれど、きっとお父さんも喜んでくれると思います。



491 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/04/05(水) 04:36:17 ID:DSQpFVfG

8才の息子がさ「ママのお弁当最高!世界一!」って言ってくれるんですよ。
『ぼくのすきなたべものらんきんぐ』の一位に『ままのおいなりさん』て書いてくれるんですよ。
「おいしいお弁当作ってくれてありがとうね」って言ってくれるんですよ。
キッチンで思わず涙出そうになるのを誤魔化して「どういたしまして~」なんて言っちゃうけど
本当に心の底から嬉しいんですよ。
「お弁当作って良かった」どころか「この子を産んで母親になって本当に良かった」とか思っちゃうんですよ。

お弁当づくりは母ちゃんにとっても思い出です。
ヨボヨボの婆になってもお弁当作っていつか息子に言ってやるんだ。
「こちらこそ、美味しく食べて元気に育ってくれてありがとうね。」って。



726 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/22(金) 18:18:51 ID:KxJ12qcH

俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。

なので料理は基本的に父が作っていた。
でも遠足などで弁当がいる時は、母さんががんばって作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を友達に見られるのが嫌で、とうとう
「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」 と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった・・・・。

時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
遠足の時に作ってくれたものとは味も見た目もよくなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。



727 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/22(金) 18:19:46 ID:KxJ12qcH

と、思ったのもつかの間。
肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。
弁当を作り始めてから3ヶ月しかたたぬうちに・・・。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺のために、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。

そして後日、その定食屋に行ってみた。
定食屋のおばちゃんと俺は直接のかかわりはないけど、やさしそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、 ハンバーグ。それの定食を頼んだ。
そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。
腕がまともに動かせないのに、がんばって作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とてもおいしかった
あのハンバーグの味。



743 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/09/28(木) 04:09:06 ID:U6DCiJoP

小さいときから共働きで、いつも忙しそうだった母。
私が高校に入学するほぼ同時期に、父と一緒に自営業をはじめ、さらに忙しくなった。
高校は給食なんて無いし、学食も無かった。
だが母はそれどころではなく、毎日お金を渡された。
購買部で売っている味気ないパンを食べている私には、
「毎日同じものばっかで飽きた」
と言っている友達の手作り弁当がもの凄く羨ましがった。

でも体育祭だけは違ったんだ。
高校だし、観戦なんかにはこないんだけど、朝、おっきな風呂敷包みをくれたんだ。
「お弁当」って。
もうね、本当に馬鹿みたいにおっきいの。
開けてみたら、馬鹿みたいに豪華なの。
食べきれるわけないじゃん!!とか文句言いつつも、
本当に本当に嬉しかった。

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 17:16Comments(0)泣ける話

2010年02月06日

泣ける話2 いい人の話

No.516 □ いい人・やさしい人のお話 8 □ より


147 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/15(水) 01:16:37 ID:A0XABywG

買い物に行った店で傘立て見て今にも泣きそうになってる小学生の女の子がいた。
自分のビニール傘出すついでに「どうしたの?」と聞いたら
「傘持って来たのに…盗られたみたいです」とか細い声で答える。

外を見たら土砂降りだし手には買い物袋提げてるしあんまり気の毒になって
「ツレと車で来てるからここ(入り口)まできてもらえば私は傘使わなくていい。
小さくて汚いけど使って。返さなくて良いから。」という感じの事を言って差し出したら
顔いっぱいに驚きを浮かべて「いいです、貰えないです…!」と首を振る。
(最近物騒だし女でも警戒しちゃうんだろうなあ)と思ったらその子がすごく真面目な顔で
「だって貰っちゃったらお姉さんにお礼ができないから」と言う。
何て律儀な子なんだと思いつつ本当に安物だから良いよ、使って欲しいからと渡すと
「私は**小学校5年*組の***子です。絶対絶対返します。ありがとうございます!」って
何か本当に涙が出そうになった。

重ね重ね言うが安物であげてもよかったけどそうするとかえって女の子が気にしそうだから
後日待ち合わせして返してもらった。
わざわざお母さんも一緒に来て丁寧にお礼を言ってくれ二人で作ったお菓子をくれた。
心が温かくなったよ。



201 :おさかなくわえた名無しさん :2006/02/19(日) 21:35:23 ID:iI5MlZ8a

小学校の頃、家はどうしようも無く貧乏だった。
父親を交通事故で無くし母一人子一人の母子家庭だった。

小学校の時、俺は遠足におやつを持っていく事が出来なかった。
前日のホームルームで「バナナはおやつに入りますか?」と
戯けるクラスメートを横目に絶対いかないと心に決めていた。
放課後帰ろうとする俺を理科室に来るよう担任の先生に言われた。
理科室へ行くと先生は目に涙を浮かべながら300円を握らせてくれた。
そして続けてこういわれた。

「いいか、お前は他の子よりも先に人生の不条理や苦痛を感じられ幸せだと思え。
 親の代では負けたかもしれない、でも其れはお前の責任じゃない。
 この悔しさをバネに伸し上がってお前の代では勝て。
 もしお前の子供が悲しい思いをする事があったら其れはお前の責任だ。
 金をやるのは一回だけだ。大切に使え。」

俺はその時買ったビックリマンのチョコの味を忘れない、そしてそのシールは
今でも大切に保管している。



426 :おさかなくわえた名無しさん :2006/03/14(火) 09:39:04 ID:nk4AzUyj

スーパーのレジをしてて、今日来た二人組のお客。
見た目はどちらも普通の男子高校生って感じだった。
が、並んだ新人のレジでエラーがでてまま動かない。
ベテランのパートさんが気付いて急いでレジを直しに。

それを見て並んでいる二人
「あーもう、急いでるんやからさっさとしろよオバサン!ほらほら早く早くー」と、
からかうもんだから余計に焦ってうまくいかない。新人も涙目になってた。

そしたら後ろにいたヤンギャルっぽい女の子がいきなり
「お前ら子供じゃないねんからちょっとの間くらい待てへんのか?
 全部が自分の都合で回ると思ってんなよボケ」
と一喝したら二人恥ずかしそうに黙りこんでしまった。結局レジは数秒で直った。

女の子は新人のレジを通る時「あんなんいっぱいいるけど頑張りなよ、泣かんときや」と言ってくれたそう。
人は見た目では判断出来ないなと改めて思った。



532 :おさかなくわえた名無しさん :2006/03/19(日) 09:11:16 ID:HKRd96Fy

プロポーズは呉の居酒屋でされました。

旦那(当時は彼氏)と一緒に初めて入った焼き鳥屋さん。
お酒も入り、野球の話で店内のお客さん同士で盛り上がり、なぜか自己紹介。

私たちは結婚を前提に付き合ってるんですという話をしたらお客さんの一人が
「今ここでプロポーズしろ!」といいだし、店外に旦那を連れて行きました。

ほどなくして戻ってきた旦那さんの手には、顔が見えなくなるほどの真っ赤なバラの花束。

旦那『結婚してください』
私『はい、ありがとうございます』
涙声で、それ以上いえませんでした。

バラの花束は、店外に旦那を連れ出した人(実は自衛隊の艦長さんでした)が
買ってくださったそうです。
100本以上のバラの花束・・・重たかったです。



556 :おさかなくわえた名無しさん :2006/03/22(水) 19:31:57 ID:60j/Xf9O

今日誕生日。
遠距離恋愛中だし友達も忙しい時期だから、有休取って1人で家に居たら友達から「今からうちに来ない?」の電話。
どうせ暇だし…と、行ったら玄関先で友達と子供2人がお出迎え。

部屋に入った途端、3人で「(せーの!)はっぴばーすでーつーゆー♪」
壁には画用紙を切って貼った「○○(名前)たんじょうびおめでとう!」の文字、テーブルにはバースデーケーキ。
もう、びっくりしたのと嬉しいのが一緒になって、座り込んで泣いてしまった。

上の子がくれた手紙には、一生懸命書いたであろう「おたんじょうび おめでとう」の文字とウサギの絵。
下の子は泣いちゃった私に何度も「なかないでね、わらってね」と言って頭を撫ででくれた。
友達は「1人で過ごすよりも、皆で過ごした方がいいよね」ってニコニコ笑いながら抱きしめてくれた。
今まで生きてきた中で、一番嬉しい誕生日を過ごせた。



725 :おさかなくわえた名無しさん :2006/03/29(水) 00:50:49 ID:NOdFqMeO

何年前かちょっと覚えてないんだけど、
真夜中の帰り道で、コンタクトを落としたことがある。
街灯もほとんどないような道で、諦めかけてたんだけど
その当時はレンズを新しく買うお金もなくて
泣きそうになりながら(と言うより半べそかきながら)
必死で探してた。

そしたらそこを通りかかった人が
「コンタクト? ピアス?」
って言いながら一緒に四つんばいになってくれた。
結構時間がたっても見つからなかったからこれは駄目だと思って
「もういいです、ありがとうございました」って言って
また一人で探した。そしたらその人が友達連れて戻ってきて、
「今明かり持ってきたからね、すぐ見つかるよ」って言って
ペンライトつけてまた探してくれた。
見つかったときも皆拍手して「よかったねー」って。

プライベートで打ちのめされてた時だったから本当に嬉しかった。
お礼をって言ってもいいからいいからと言って去っていった。
「俺らかっこよくね?」
って言いながら。

あのときの人、本当にありがとうございました。最高にかっこよい人たちでした。



852 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/10(月) 02:26:12 ID:fDMokacI

1月の終わり頃、会社の帰りに道の端ででうずくまっているおじさんがいた。
なんだろなー、汚いなーと思って通り過ぎようとすると、少し前を歩いていた同じ会社の人が向きをかえておじさんに向かって歩いていく。
二言三言言葉をかわし、彼女は小走りに近くのコンビニに走っていった。

後日、彼女になんだったか聞いてみた。
彼女も一度は通り過ぎようかと思ったが、具合が悪い人だといけないので声をかけてみたとの事。
変な人だったらどうしようとドキドキしながら声をかけてみたようだ。

話を聞くと、最初は大丈夫ですと答えていたが、ポツリと悪い人にだまされて住むところがなくなってしまったと。
彼女はお腹が空いていないか聞き、3日も食べていないと言われたので急いでカップ麺を買ってあげたとの事。
寒いから暖まるものを選んだらしい。
さらに、翌朝用にパンも買って、自分がもっていた小銭とその時にしていたマフラーもあげたらしい。

そんな事しなくても、と言ったら彼女はニッコリとし、だってお腹が空いてるのは一番辛いじゃないですか、と。
その人が言ってる事がたとえ全部嘘でも、今お腹が空いてるのは嘘ではないだろうし、自分にしてあげられることはあのくらいしかないから……と言って仕事に戻っていった。
なんだか天使のような人だなと思いつつ、ただ通り過ぎようとした自分を恥じた。



872 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/11(火) 20:25:55 ID:WjrsBVs+

同僚のばーちゃんは、温和で優しい人なんだそうだ。
いつもニコニコ笑っていて、いかにも人のよさそうな感じなので、
同僚は「詐欺に引っ掛からなければいいな」と思っていたとか。

で、ある日、同僚がそのばーちゃんちへ遊びに行っていたら、
「恵まれない人達に云々」とボランティアが寄付を貰いに来た。
胡散臭い感じがしたので、同僚が追い払おうとすると、
ばーちゃんはニコニコ笑いながら千円出してしまった。
やっぱり!と思いながら同僚が
「ダメだよばーちゃん、あんなのに千円も払っちゃ。
あんなの、きっと恵まれない人の所へなんか回らないよ」と言うと、
ばーちゃんは相変わらずニコニコと笑いながら
「いいんだよ。ばーちゃんの千円で、きっとあの人が助かるんだから」
と答えたんだそうだ。

なんか話しながら、同僚が涙目になってた。



906 :おさかなくわえた名無しさん :2006/04/14(金) 06:03:56 ID:YcAgl7uz

たった今、登戸駅を過ぎたJR南武線の中で流れた車内アナウンス

「えー、大変ご迷惑をおかけしております。
 只今、この電車のすぐ横を、犬 が 並 走 し て お り ま す 。
 このままスピードを上げますと犬を引いてしまう怖れがありますので、ご迷惑ではありますが暫く徐行運転させていただきます。」

数分後、

 「ご協力ありがとうございました。
  犬は無事線路の外に出ました。
  ご協力ありがとうございました。」




もう俺は一生南武線に付いて行くぜと思った。




  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 17:08Comments(0)泣ける話

2010年02月06日

泣ける2ちゃんねる 

2010年01月28日18:21 No.510 涙が出るほどいい話 2粒目 より


361 :癒されたい名無しさん :04/12/17 23:41:09 ID:4pu++1Hs

両親が死んだのは、兄が大学2年生、私が小学5年生の時でした。
お兄さん、やっと素敵な人と巡り会えて、幸せな結婚をできた私のお兄さん。
親の庇護のもとで明るい青春を送る人たちの中で、お兄さんは自分の境遇を
どう思ったのでしょう。
もしかしたら、私の知らないところで嘆いていたのかもしれない。でもまだ子供の私に、
あなたは愚痴ひとつ言いませんでしたね。
大学に入った今なら、お酒を仲間と飲む楽しさが分かります。でもお兄さんは、
いつも私と一緒に夕飯を食べてくれましたね。
一番遊びたかったはずなのに。一番楽しいときだったのに。
あなたは私の母親になろうとし、父親の代わりになろうとしました。

中学に上がった頃、私はお兄さんにあまり甘えなくなりましたね。
寂しそうな顔が、今でも目に浮かびます。ごめんね。
これ以上負担になりたくなかくて、私は何も言わず、かえってお兄さんを傷つけてしまった。
私をお荷物だなんて、お兄さんは決して言ったことなどなかったのに。それどころか
自分の不遇に気づかない位、私を大きな愛情で包んでくれていたのに。

好きな人ができたとき、お兄さんは最初に私に紹介してくれました。
素敵な人を今、隣に迎えたお兄さん。やっとです。やっと、支えてくれる人を
見つけることができたんですね。よかったね、お兄さん。
嬉しすぎて、他に言葉が見つからない。嬉しすぎて、涙が後から後からあふれてくる。
ありがとう、お兄さん。本当におめでとう。



511 :癒されたい名無しさん :05/01/19 01:54:48 ID:HjpRu69i

訳あって引き取って育ててたかわいげ皆無なクソガキがけっこーいい大学に受かった。
正月に親戚が集まったときあんまり性格がよくない俺の嫌いなおばちゃんに
「私たちのところで引き取ってたらもっといいところに行けたかもね」
ってそのそいつが言われてて、
(そのおばちゃんはこいつを誰が引き取るかっていう親族会議になったとき
 「私は絶対嫌」って本人の前で言いやがった。一番経済的な余裕があるのに!
 それで俺が勢いで「じゃー俺育てます」って言っちゃったんだけど)
俺はいらいらしつつもああそうなのかもな、俺がもっといい会社に就職したりはやく出世したりしてれば、
こいつにもっといい環境を与えてやれただろうし塾だって通わせてあげれたのにな、
よく考えれば俺があのときこいつを引き取るなんて言わなければ他のもっと金持ってる誰かがこいつを引き取っただろうし、
あー俺もしかして悪いことしちゃったのかな、って思ってたらそのクソガキ、
「今の自分があるのは○○(俺の名前)さんのおかげだし、俺がこんなとこに受かれたのも○○さんのおかげです」
って。言ったんだよ。おばちゃん沈黙。
そいつ普段俺の名前にさんなんかつけないんだ。常にえっらそーに呼び捨てなんだ。
ほんっとに死ぬほど嬉しかった。今まで生きてきた中で一番嬉しかった。
帰りの車で、俺すっごい浮かれてて、そのガキに
「ありがと」
って言ったら、奴は俺がそのとき襖一枚向こうにいたのを知らなかったらしく、
怪訝な表情をして、そんでしばらくしてからマフラーに顔埋めてそっぽむいた。どうやら照れてるらしかった。
すっげえかわいかった。俺、こいつ引き取ってからこの瞬間までこいつをかわいいって思ったことなかった。
クソ生意気で補導はされるわ女連れ込むわ俺の大っ嫌いな煙草をわざわざ俺の寝室で吸うわ
もうほんっとにどーしよーもないガキだったけど、もうほんとかわいかった。
実際に子供いたらこんな感じなのかなって思った。



583 :ともだち :05/02/01 18:22:21 ID:a/pT0epJ

私には小学校5年の時に小児喘息で亡くした友がいました。
以後毎年命日の前後には友と彼の家へ顔を出しに行きました。

あれから10数年が過ぎました。
昨年9月、私は友人たちの中では一番早く結婚することになり、
小学校以来仲の良かった友人が3人披露宴に出席してくれました。
余興をしてくれるよう前もってお願いしておいたのですが、
内容は当日の彼らの出番まで内緒にされていました。

彼らの余興の番が来ました。
一人の彼がマイクを手に取りました
「今日は本当におめでとう。この場には3人しかいないけれど
 ○○も天国から駆けつけて来てるから僕たち4人からこの唄を送ります。」

その唄は亡くなった彼が一番好きだった「てんとうむしのサンバ」でした。
当時10歳だった私たちが彼の柩を前に号泣しながら大合唱したあの光景を
思い出して、涙が止まりませんでした。
新郎の私は当然引っ張り出され、友と共に熱唱しました。
○○、天国からお祝いしてくれてありがとう!
今度赤ちゃんが生まれたら見せに行くからな。



667 :癒されたい名無しさん :05/02/14 04:52:49 ID:zdiE8p+k

親戚にとても仲のいい幼い兄妹がいた。
兄は3才の康介ちゃんで妹は2才の愛ちゃん。
21だった当時の俺も可愛くてたまらない子供達だった。

しかしある年末、その仲のいい兄妹の妹の愛ちゃんがトラックにひかれて死んだ。
その愛ちゃんの家族・親戚はもちろん泣いていた。
俺はあまりにも急過ぎて実感がなかった。そして愛ちゃんの兄、康介ちゃんも泣いていなかった。
俺は多分3才だから何が起きたかわかってないんだろうなあと思っていた。

そして棺桶に眠っている愛ちゃんを見れる最後の時(火葬の前)
みんなが最後の別れをしている中、一人違う所へ走って行く小さな姿があった。
俺は多分康介ちゃんと思い追い掛けた。すると康介ちゃんは泣いていた。
大泣きじゃない、必死に涙をこらえようとしていた。

それでも涙が出てきていた。俺は間違いに気付いた。
康介ちゃんは愛ちゃんが死んだ事がわからなくて泣いてなかったわけではなく、
妹の前では立派でたくましいお兄ちゃんでありたいと思って涙をこらえていたのだと。

それを感じた俺も涙が出てきた。3才の康介ちゃんの心情を思うと悲しくて。
俺は泣いている康介ちゃんの手を引っ張って愛ちゃんの所へ連れてった。
康介ちゃんは愛ちゃんの顔を見るなりついに大泣きしだした。『愛ちゃん行っちゃだめだよ!』
とも連呼していた。俺を含む大人達にはその言葉があまりにも痛かった。

小さな体の康介ちゃんと愛ちゃんだけど2人の間には
大きな絆みたいな物があったんだろうなと思う。

  


Posted by アマミちゃん(野崎りの)  at 11:00Comments(2)泣ける話

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小さい頃の夢はマザーテレサとジャンヌダルクでした。
あれから20数年、今では立派なメタボとなりました。