2010年02月12日
泣ける話 8 家庭の味
No.529 (*`Д´)家族との思い出の味(´Д`*) より
85 :もぐもぐ名無しさん :03/06/27 08:25
俺が中学ぐらいの時、両親の仲が悪くて、俺もひねくれてて
みんなぎくしゃくして、家の中がすごい荒れてた
どんくらい荒れてたか今じゃわからない
その時の食事風景の記憶が怖いぐらいないんだよ
ただうっすら覚えてるのは会話が無かったことぐらい
親父が塩とってって言ってもみんな無視
ずっとこんな感じだったんだと思う
そんな時期に、幼馴染の家に呼ばれて晩飯食べにいった
その時のことがすごい印象に残ってるんだ
友達のおっちゃんが冗談言って、おばちゃんとか友達とかがつっこんで、笑って。
俺も一緒に冗談いったりして、すごい楽しかった
そんでさ、晩御飯食べ終わってもみんなテーブル囲んで座ってるんだよ
本当に楽しかった。
その後、自転車漕いで家に帰ったら、やっぱり親父とお袋の間の空気おかしくて
自分の部屋行ってから、耐え切れずに泣いちゃった
なんで、そうなんだよって呟いてたの今でも覚えてる
一番悲しかったさ
312 :もぐもぐ名無しさん :03/08/28 04:06
私が幼い頃に両親が離婚して、今は母親と2人暮らし。
母が1週間に1度取れる休みの日だった。
しかしその日は高校見学で、午前中は高校に、
そして午後は友人と突然決めた遊びの約束。帰りは7時頃になった。
テーブルには冷めた野菜炒めがあって、母はそれに口をつけず、私の帰りを待っていてくれた。
普段仕事のある日は朝と夜しか顔を合わせる事が無いので、
休みの日はできるだけ一緒にいようと決意した矢先、母に少なからずも寂しい思いをさせてしまった。
2人でその野菜炒め、ご飯、味噌汁を食べながら
その日にあった出来事を話していると、泣きそうになってしまった。
我慢して我慢して、必死に涙を堪え、面白おかしく喋った。
夕飯を食べ終えた後も、いつもの自分でいることができた。
自分が泣いている姿を母に見せずに済んだ。
つい最近の、よくあることだけど
一生忘れないと思える、冷たいけど美味しい野菜炒めだった。
私立の高校に行きたいなんてわがまま言ってごめんね、今までも散々わがまま言ってきたのに。
大人になったらいっぱい働いて、絶対親孝行するから。
これ打ってる途中で泣いてしまった。長文失礼致しました
90 :もぐもぐ名無しさん :03/07/06 12:05
俺が小さい頃、貧乏だったので中流家庭で食べるような物がご馳走だったよ。
ハンバーグ、焼肉、ケーキ等は何かのイベントの時だけ食べさせてもらえた。
友達の家で初めて手作りピザを食べて、家でも作ってくれってダダこねたら、
母ちゃんは料理の本見ながら、冷蔵庫にある材料でピザ作ってくれた。
キノコの代わりに椎茸、家庭菜園で作ったトマト、生ハムのかわりに薄切りハム。
給食の残りで貰ったチーズ。生地は小麦粉と塩を水で練ってフライパンで焼いた。
少し焼いた生地を持ちやすい大きさにカットしてその上に具をのせてオーブントースターで焼いた。
出来上がった頃に毎日のようにやっている夫婦喧嘩が始まり、なんだか悲しい気持ちでそのピザを食べた。
せっかく楽しい気持ちだったのにって泣きながら食べたのを覚えてる。
楽しい家族団欒を見ると、羨ましいと今でも思う。
440 :もぐもぐ名無しさん :03/10/19 16:28
私がまだ学生だった頃、父は突然会社を辞めて、自営を始めて家にいたんだよね。
その頃は私も反抗期の終わりかけで、勝手に会社を辞めてずっと家にいる父が鬱陶しくて無視したりしてた。
母は遅くまで外で働いていたので、夕食は父が作ったり、私が作ったりでいつも2人で食べてた。
でも、反抗期だったのもあって、父が作ってくれた夕食も、わざと時間をずらして食べたり、
階下にいる父が「○○〜玉子焼き食べるか〜?」とか「味噌汁飲むか〜?」
なんて声かけるたび「いらない。」なんて答えてた。
父は玉子焼きが大好きで、自分でも良く作ってた。正直、その玉子焼きは美味しかった。
父はその後、自殺した。興した会社がうまくいかず、すごい借金抱えて悩んでいたんだと思う。
でも、私はもちろん母さえも、事業がうまくいっていないと気づかなかった。
今思えば、会社を突然辞めたのだってリストラされたんだと思う。
父は私たちに気づかせないようにしながら一人で悩んで逝ってしまった。
今思うと、あの時の玉子焼き、ちゃんと食べておけば良かったと思う。
しばらくは階下から「○○〜玉子焼き食べるか〜?」って声が聞こえるような気がして
自分の行動を悔やんだ。
今ではそれはもう思い出だけど、夫に「玉子焼き焼くの上手いね」と言われる度に
「うちの父の焼く玉子焼きはもっと美味しかったよ。」と答えて、ちょっと泣きそうになったりする。
490 :もぐもぐ名無しさん :03/11/06 15:38
家庭の味ではないけど。
母が風邪で寝込んでいた時に、母の好物のうめぼしおにぎりを作ってあげた。
翌日、母が「おにぎりのお礼に、たこ焼き買っておいたよ!」
保温の為でしょう、そのたこ焼きは炬燵の中に入っておりました。
おかーさん、タコが変な味するよう!
口直しにコンビニでたこ焼きを買ってきて、母と二人で笑って食べました。
翌日の夜、母は40代の若さで脳梗塞で亡くなりました。
たこやきは、母から、私からの最後のおやつになりました。
今、子供がたこ焼きを食べたがるたびに思い出します。
768 :もぐもぐ名無しさん :04/01/31 23:17
ある夜、大量のお刺身が夕飯のテーブルに並んだ。
普段よりもずっとずっと多くて、「なんじゃこりゃ」って思った。
母が「お父さんが買ってきたのよ」って言って、食事ははじまった。
そのころは父とご飯を食べるなんて、もうなかった。
自分でも、もううちの両親はだめだろうって思ってたころだったし。
案の定、両親は離婚して。
でもさ、父ちゃん。
いなくなるならいなくなるって、そう言ってよ。
お刺身の次の日、父の荷物が根こそぎなかった。
何も言わずにいなくなるなんてずるい。
お刺身買って来てくれてありがとう、だって伝えてないのに。
その日の夕飯は、私の忘れられない食事になった。
85 :もぐもぐ名無しさん :03/06/27 08:25
俺が中学ぐらいの時、両親の仲が悪くて、俺もひねくれてて
みんなぎくしゃくして、家の中がすごい荒れてた
どんくらい荒れてたか今じゃわからない
その時の食事風景の記憶が怖いぐらいないんだよ
ただうっすら覚えてるのは会話が無かったことぐらい
親父が塩とってって言ってもみんな無視
ずっとこんな感じだったんだと思う
そんな時期に、幼馴染の家に呼ばれて晩飯食べにいった
その時のことがすごい印象に残ってるんだ
友達のおっちゃんが冗談言って、おばちゃんとか友達とかがつっこんで、笑って。
俺も一緒に冗談いったりして、すごい楽しかった
そんでさ、晩御飯食べ終わってもみんなテーブル囲んで座ってるんだよ
本当に楽しかった。
その後、自転車漕いで家に帰ったら、やっぱり親父とお袋の間の空気おかしくて
自分の部屋行ってから、耐え切れずに泣いちゃった
なんで、そうなんだよって呟いてたの今でも覚えてる
一番悲しかったさ
312 :もぐもぐ名無しさん :03/08/28 04:06
私が幼い頃に両親が離婚して、今は母親と2人暮らし。
母が1週間に1度取れる休みの日だった。
しかしその日は高校見学で、午前中は高校に、
そして午後は友人と突然決めた遊びの約束。帰りは7時頃になった。
テーブルには冷めた野菜炒めがあって、母はそれに口をつけず、私の帰りを待っていてくれた。
普段仕事のある日は朝と夜しか顔を合わせる事が無いので、
休みの日はできるだけ一緒にいようと決意した矢先、母に少なからずも寂しい思いをさせてしまった。
2人でその野菜炒め、ご飯、味噌汁を食べながら
その日にあった出来事を話していると、泣きそうになってしまった。
我慢して我慢して、必死に涙を堪え、面白おかしく喋った。
夕飯を食べ終えた後も、いつもの自分でいることができた。
自分が泣いている姿を母に見せずに済んだ。
つい最近の、よくあることだけど
一生忘れないと思える、冷たいけど美味しい野菜炒めだった。
私立の高校に行きたいなんてわがまま言ってごめんね、今までも散々わがまま言ってきたのに。
大人になったらいっぱい働いて、絶対親孝行するから。
これ打ってる途中で泣いてしまった。長文失礼致しました
90 :もぐもぐ名無しさん :03/07/06 12:05
俺が小さい頃、貧乏だったので中流家庭で食べるような物がご馳走だったよ。
ハンバーグ、焼肉、ケーキ等は何かのイベントの時だけ食べさせてもらえた。
友達の家で初めて手作りピザを食べて、家でも作ってくれってダダこねたら、
母ちゃんは料理の本見ながら、冷蔵庫にある材料でピザ作ってくれた。
キノコの代わりに椎茸、家庭菜園で作ったトマト、生ハムのかわりに薄切りハム。
給食の残りで貰ったチーズ。生地は小麦粉と塩を水で練ってフライパンで焼いた。
少し焼いた生地を持ちやすい大きさにカットしてその上に具をのせてオーブントースターで焼いた。
出来上がった頃に毎日のようにやっている夫婦喧嘩が始まり、なんだか悲しい気持ちでそのピザを食べた。
せっかく楽しい気持ちだったのにって泣きながら食べたのを覚えてる。
楽しい家族団欒を見ると、羨ましいと今でも思う。
440 :もぐもぐ名無しさん :03/10/19 16:28
私がまだ学生だった頃、父は突然会社を辞めて、自営を始めて家にいたんだよね。
その頃は私も反抗期の終わりかけで、勝手に会社を辞めてずっと家にいる父が鬱陶しくて無視したりしてた。
母は遅くまで外で働いていたので、夕食は父が作ったり、私が作ったりでいつも2人で食べてた。
でも、反抗期だったのもあって、父が作ってくれた夕食も、わざと時間をずらして食べたり、
階下にいる父が「○○〜玉子焼き食べるか〜?」とか「味噌汁飲むか〜?」
なんて声かけるたび「いらない。」なんて答えてた。
父は玉子焼きが大好きで、自分でも良く作ってた。正直、その玉子焼きは美味しかった。
父はその後、自殺した。興した会社がうまくいかず、すごい借金抱えて悩んでいたんだと思う。
でも、私はもちろん母さえも、事業がうまくいっていないと気づかなかった。
今思えば、会社を突然辞めたのだってリストラされたんだと思う。
父は私たちに気づかせないようにしながら一人で悩んで逝ってしまった。
今思うと、あの時の玉子焼き、ちゃんと食べておけば良かったと思う。
しばらくは階下から「○○〜玉子焼き食べるか〜?」って声が聞こえるような気がして
自分の行動を悔やんだ。
今ではそれはもう思い出だけど、夫に「玉子焼き焼くの上手いね」と言われる度に
「うちの父の焼く玉子焼きはもっと美味しかったよ。」と答えて、ちょっと泣きそうになったりする。
490 :もぐもぐ名無しさん :03/11/06 15:38
家庭の味ではないけど。
母が風邪で寝込んでいた時に、母の好物のうめぼしおにぎりを作ってあげた。
翌日、母が「おにぎりのお礼に、たこ焼き買っておいたよ!」
保温の為でしょう、そのたこ焼きは炬燵の中に入っておりました。
おかーさん、タコが変な味するよう!
口直しにコンビニでたこ焼きを買ってきて、母と二人で笑って食べました。
翌日の夜、母は40代の若さで脳梗塞で亡くなりました。
たこやきは、母から、私からの最後のおやつになりました。
今、子供がたこ焼きを食べたがるたびに思い出します。
768 :もぐもぐ名無しさん :04/01/31 23:17
ある夜、大量のお刺身が夕飯のテーブルに並んだ。
普段よりもずっとずっと多くて、「なんじゃこりゃ」って思った。
母が「お父さんが買ってきたのよ」って言って、食事ははじまった。
そのころは父とご飯を食べるなんて、もうなかった。
自分でも、もううちの両親はだめだろうって思ってたころだったし。
案の定、両親は離婚して。
でもさ、父ちゃん。
いなくなるならいなくなるって、そう言ってよ。
お刺身の次の日、父の荷物が根こそぎなかった。
何も言わずにいなくなるなんてずるい。
お刺身買って来てくれてありがとう、だって伝えてないのに。
その日の夕飯は、私の忘れられない食事になった。
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