2010年03月08日
泣ける話 21 ペットにまつわる感動話
No.489 ペットにまつわる感動話 より
12 :わんにゃん@名無しさん :04/06/05 08:45 ID:jTVnt4kr
ウチのオヤジも猫嫌いだったなー。近くへ寄って来るとしかめ面で追っ払ってた。
オヤジは晩酌が日課だったんだが家族が食事が終わってもいつも一人で台所のテーブルで
飲んで居た。
ところがいつの間にか飼ってた猫がオヤジの足元でツマミの刺身を貰うようになっていた。
猫が無言で足元に座るとオヤジもナイターを見ながら足元に刺身をちぎって落としてやる。
猫もさも当たり前のようにむしゃむしゃと食ってた。食い終わってから猫はいつも一声鳴いてから
その場を去るようになった。
しばらくして猫は病気で死んだ。
猫がお骨になって帰って来た日も仕事から帰ったオヤジはいつもと変わらず晩酌を始めた。
お袋がいつものように刺身をツマミにオヤジに出した。
オヤジが意外な事を言った。「オイ、多いぞ。食い切れん。猫に供えてやれ」と。
それから一週間オヤジは同じことをお袋に言った。
いつも一人酒に付き合ってくれた仲間へのオヤジなりの供養だったらしい。
もうオヤジも鬼籍に入って久しいがオレのオヤジの思い出の一端。
82 :わんにゃん@名無しさん :05/03/18 16:08:49 ID:qnTwmz8k
11年前の2月、何も無い湖の駐車場でガリガリの猫が寄ってきた
俺たちの前によろよろと来るとペタンと腹をつけて座った
「キタねー猫だなー」と思っただけで他に何とも思わなかった
猫を飼っていた彼女がその猫を撫でながら言った
「ここにいたら死んじゃうね」
ヤングだった俺は頭にきた
「何、病気なのか?死ぬと分かってて放っておくのは殺すのと一緒だろ!何言ってんだオメー」
そのまま膝の上に乗っけて車を運転して帰った
顔は目ヤニだらけ、鼻水で鼻はガビガビ、尻から出てきた回虫が俺のズボンの上を這っていた
コホコホ咳をして、くしゃみで車のドアはベトベト、痰でゴロゴロいっていた
「どうするの、その子?」
「治るまで俺が飼う」
「じゃあ名前は?」
「うーん…痰が詰まってるから…痰助」
「変な名前」
「うるせー」
風呂場で綺麗に洗って、シシャモとちくわを食わせた、びっくりする位食った
獣医に連れって行って虫下しと風邪の薬を貰って帰った
もともと飼い猫だったようで、トイレは最初からできた
ペットが駄目なマンションだし、治って暖かくなったら逃がすつもりだったが、1週間で方針を変えた
あっという間に倍くらいに太り、夕方になると玄関で俺の帰りを座って待つようになった
当時は分からなかったが、そうとう歳をとった猫だった
すごい食いしん坊だったが、歯が何本も抜けていて、毛も艶が無かった、一日中じっとしていた、走ることもめったになかった
ちょうど1年後、痰助は死んだ
板で小さな棺を作り、痰助に出会った湖の桜の木の下に埋めた
今になれば分かる
出会った日、あれは痰が詰まってたんじゃなく、嬉しかったんだと
たんすけのおかげで、俺はすっかり猫バカになった
今俺は10歳の小吉と6歳の良男と暮らしている
今日も壁に掛かったコロコロのたんすけが行儀良く座って俺を見ている
変な名前付けて悪かったな、たんすけ
でも、今うちにいるやつらもみんな変な名前だから、勘弁しろよ
105 :パパ :2005/04/07(木) 07:01:09 ID:hkIiA9/j
昭和の終わり1987年の秋頃、
父親と同じ会社に勤める人の近所で子犬が産まれた。
最初に父親が子犬の話を持ってきたとき、
「絶対に世話をしないから」と母親は猛反対。
兄弟三人は「絶対に散歩するから」、
「エサ代出すから」と母親を説得した。
犬を貰いに行くとき、当時小1の末妹を含め父親と兄弟三人で行った。
自分は雌犬、末妹は雄犬が欲しかったが、二人でジャンケンし、末妹が勝った。
その雄犬は自分の手の中で眠りながら、家に来た。
106 :パパ :2005/04/07(木) 07:02:02 ID:hkIiA9/j
最初、犬の世話は兄弟三人でやった。
犬の名前をどうしようかと悩んで、一ヶ月近く名無しだった。
犬を飼うのが嬉しくて、学校から帰る都度、
兄弟それぞれが散歩に連れていった。
でも犬が大きくなってくると、母親が結局一人でやるようになった。
それから、10年近く、
2000年春に末妹は「犬の世話をする」と獣医学科に入った。
末妹の進路に大きな影響を与えたと思う犬は2003年秋に16歳で亡くなった。
貰われてきた時と同じく、自分の手の中で息を引き取った。
ラッキー、元気かい?
おまえの正確な誕生日を聞いておかなくて本当にゴメン。
おまえが夜泣きしてるときに、叩いて叱ってゴメン。
おまえがいなくなってから、みんな寂しいよ。
これからも家族みんなを見守っててくれ。
159 :ケイ :2005/05/12(木) 15:05:10 ID:bwuq6tvZ
私が物心ついた時から家にシェパードがいた。
名前はビル。近所に事件がおこったりすると警察がビルを借りにきたりしていた優秀な犬。
茶色の目でまっすぐな優しい目でいつも私の事みていてくれた記憶がある。
ビルは本当に大きくて、ビルと一緒にいると、大人しい私が何だか自分まで強くなるようで誇らしかた。
大好きで大好きでビルの小屋で一緒に寝たいと、両親を困らせた事もあった。
夏休み友達が遊びに来た時、些細な事でケンカしてしまい友達は帰ってしまった。
(お人形を頂戴といわれ断ったのが原因)
めったに吠えないビルの声が聞こえてびっくりして外にでた。
友達がビルに石を投げていた。走っていって友達を突き飛ばしてしまった。
ビルはその間ずっとほえていた。
幸い友人の怪我はうちみ程度ですんだが、当然私は両親と相手の両親からもこっぴどく叱られた。ただ、おばあちゃんは「○○子が理由もなくそんな事はしない」と言ってくれた。友達は複雑な顔でそっぽを向いていた。
次の日の夕方ビルの散歩に行った時、小川でビルが水を飲んでいるところをボ~っと座ってみていた。
ビルが隣に来ていつも通り横に座った。暑かったけど心地よくって離れたくなかった。
ビルの目の上には石をぶつけられた時の傷があった。
161 :ケイ :2005/05/12(木) 15:19:03 ID:bwuq6tvZ
悔しくて悲しくて涙が出てきた。大声で泣いてしまった。その時ずっと私のほっぺをなめていてくれた。
その時「もう大丈夫だから泣かないで」と誰かが言った。
びっくりして後ろを向いても、どこを見ても誰もいない。
ビルの顔をみるとジッと私を見ている。
又「大好きだから泣かないで」って聞こえた。
れから家に帰って父や母にこの事を言っても笑って信じてくれなかった。
おばあちゃんだけは信じてくれた。
私が大学に入って、しばらくしてビルは死んでしまった。老衰でした。
それから動物を飼うことはなかった。
今思うと子供の想像力か、単なる幻聴か情緒不安定な時でそんな声が聞こえたのかと思う時がある。
でも幻聴でもなんでもいい。私を励まそうとした事は確かだった。
大学を卒業し、普通に就職、そして結婚した。
今年の結婚記念日に主人がプレゼントを買ってきてくれた。
首にピンクのリボンをつけたシェパードの子犬だった。
あの目、ビルの目。大泣きしてしまった。
私の泣きっぷりに主人はびっくりしてたけど理由を話したら「大事にしような」と言ってくれた。
現在私のお腹には7ヶ月の女の子がいる。
二代目ビルとお腹にいる子供が良い関係になれたらいいと思っている。
61 :わんにゃん@名無しさん :05/01/08 07:17:07 ID:QokVWUb4
昔犬を飼ってた。確か柴犬だった気がする。
当時まだちっちゃかった俺にとって柴犬でも大きく見えてちょっとビビッてたw
でも今考えるととても温厚な犬で、吠えられるどころか顔をなめられた記憶がある。
このスレみててその犬のこと思い出しちゃったよ。
俺が4~5才くらいのときに死んじゃったんだけど、まだその頃は死ぬとか良く分かってなかったな・・
俺が覚えてる最初の犬だ、今度帰ったら手を合わせてこよう。
確かあのみかんの木の下だったな。
12 :わんにゃん@名無しさん :04/06/05 08:45 ID:jTVnt4kr
ウチのオヤジも猫嫌いだったなー。近くへ寄って来るとしかめ面で追っ払ってた。
オヤジは晩酌が日課だったんだが家族が食事が終わってもいつも一人で台所のテーブルで
飲んで居た。
ところがいつの間にか飼ってた猫がオヤジの足元でツマミの刺身を貰うようになっていた。
猫が無言で足元に座るとオヤジもナイターを見ながら足元に刺身をちぎって落としてやる。
猫もさも当たり前のようにむしゃむしゃと食ってた。食い終わってから猫はいつも一声鳴いてから
その場を去るようになった。
しばらくして猫は病気で死んだ。
猫がお骨になって帰って来た日も仕事から帰ったオヤジはいつもと変わらず晩酌を始めた。
お袋がいつものように刺身をツマミにオヤジに出した。
オヤジが意外な事を言った。「オイ、多いぞ。食い切れん。猫に供えてやれ」と。
それから一週間オヤジは同じことをお袋に言った。
いつも一人酒に付き合ってくれた仲間へのオヤジなりの供養だったらしい。
もうオヤジも鬼籍に入って久しいがオレのオヤジの思い出の一端。
82 :わんにゃん@名無しさん :05/03/18 16:08:49 ID:qnTwmz8k
11年前の2月、何も無い湖の駐車場でガリガリの猫が寄ってきた
俺たちの前によろよろと来るとペタンと腹をつけて座った
「キタねー猫だなー」と思っただけで他に何とも思わなかった
猫を飼っていた彼女がその猫を撫でながら言った
「ここにいたら死んじゃうね」
ヤングだった俺は頭にきた
「何、病気なのか?死ぬと分かってて放っておくのは殺すのと一緒だろ!何言ってんだオメー」
そのまま膝の上に乗っけて車を運転して帰った
顔は目ヤニだらけ、鼻水で鼻はガビガビ、尻から出てきた回虫が俺のズボンの上を這っていた
コホコホ咳をして、くしゃみで車のドアはベトベト、痰でゴロゴロいっていた
「どうするの、その子?」
「治るまで俺が飼う」
「じゃあ名前は?」
「うーん…痰が詰まってるから…痰助」
「変な名前」
「うるせー」
風呂場で綺麗に洗って、シシャモとちくわを食わせた、びっくりする位食った
獣医に連れって行って虫下しと風邪の薬を貰って帰った
もともと飼い猫だったようで、トイレは最初からできた
ペットが駄目なマンションだし、治って暖かくなったら逃がすつもりだったが、1週間で方針を変えた
あっという間に倍くらいに太り、夕方になると玄関で俺の帰りを座って待つようになった
当時は分からなかったが、そうとう歳をとった猫だった
すごい食いしん坊だったが、歯が何本も抜けていて、毛も艶が無かった、一日中じっとしていた、走ることもめったになかった
ちょうど1年後、痰助は死んだ
板で小さな棺を作り、痰助に出会った湖の桜の木の下に埋めた
今になれば分かる
出会った日、あれは痰が詰まってたんじゃなく、嬉しかったんだと
たんすけのおかげで、俺はすっかり猫バカになった
今俺は10歳の小吉と6歳の良男と暮らしている
今日も壁に掛かったコロコロのたんすけが行儀良く座って俺を見ている
変な名前付けて悪かったな、たんすけ
でも、今うちにいるやつらもみんな変な名前だから、勘弁しろよ
105 :パパ :2005/04/07(木) 07:01:09 ID:hkIiA9/j
昭和の終わり1987年の秋頃、
父親と同じ会社に勤める人の近所で子犬が産まれた。
最初に父親が子犬の話を持ってきたとき、
「絶対に世話をしないから」と母親は猛反対。
兄弟三人は「絶対に散歩するから」、
「エサ代出すから」と母親を説得した。
犬を貰いに行くとき、当時小1の末妹を含め父親と兄弟三人で行った。
自分は雌犬、末妹は雄犬が欲しかったが、二人でジャンケンし、末妹が勝った。
その雄犬は自分の手の中で眠りながら、家に来た。
106 :パパ :2005/04/07(木) 07:02:02 ID:hkIiA9/j
最初、犬の世話は兄弟三人でやった。
犬の名前をどうしようかと悩んで、一ヶ月近く名無しだった。
犬を飼うのが嬉しくて、学校から帰る都度、
兄弟それぞれが散歩に連れていった。
でも犬が大きくなってくると、母親が結局一人でやるようになった。
それから、10年近く、
2000年春に末妹は「犬の世話をする」と獣医学科に入った。
末妹の進路に大きな影響を与えたと思う犬は2003年秋に16歳で亡くなった。
貰われてきた時と同じく、自分の手の中で息を引き取った。
ラッキー、元気かい?
おまえの正確な誕生日を聞いておかなくて本当にゴメン。
おまえが夜泣きしてるときに、叩いて叱ってゴメン。
おまえがいなくなってから、みんな寂しいよ。
これからも家族みんなを見守っててくれ。
159 :ケイ :2005/05/12(木) 15:05:10 ID:bwuq6tvZ
私が物心ついた時から家にシェパードがいた。
名前はビル。近所に事件がおこったりすると警察がビルを借りにきたりしていた優秀な犬。
茶色の目でまっすぐな優しい目でいつも私の事みていてくれた記憶がある。
ビルは本当に大きくて、ビルと一緒にいると、大人しい私が何だか自分まで強くなるようで誇らしかた。
大好きで大好きでビルの小屋で一緒に寝たいと、両親を困らせた事もあった。
夏休み友達が遊びに来た時、些細な事でケンカしてしまい友達は帰ってしまった。
(お人形を頂戴といわれ断ったのが原因)
めったに吠えないビルの声が聞こえてびっくりして外にでた。
友達がビルに石を投げていた。走っていって友達を突き飛ばしてしまった。
ビルはその間ずっとほえていた。
幸い友人の怪我はうちみ程度ですんだが、当然私は両親と相手の両親からもこっぴどく叱られた。ただ、おばあちゃんは「○○子が理由もなくそんな事はしない」と言ってくれた。友達は複雑な顔でそっぽを向いていた。
次の日の夕方ビルの散歩に行った時、小川でビルが水を飲んでいるところをボ~っと座ってみていた。
ビルが隣に来ていつも通り横に座った。暑かったけど心地よくって離れたくなかった。
ビルの目の上には石をぶつけられた時の傷があった。
161 :ケイ :2005/05/12(木) 15:19:03 ID:bwuq6tvZ
悔しくて悲しくて涙が出てきた。大声で泣いてしまった。その時ずっと私のほっぺをなめていてくれた。
その時「もう大丈夫だから泣かないで」と誰かが言った。
びっくりして後ろを向いても、どこを見ても誰もいない。
ビルの顔をみるとジッと私を見ている。
又「大好きだから泣かないで」って聞こえた。
れから家に帰って父や母にこの事を言っても笑って信じてくれなかった。
おばあちゃんだけは信じてくれた。
私が大学に入って、しばらくしてビルは死んでしまった。老衰でした。
それから動物を飼うことはなかった。
今思うと子供の想像力か、単なる幻聴か情緒不安定な時でそんな声が聞こえたのかと思う時がある。
でも幻聴でもなんでもいい。私を励まそうとした事は確かだった。
大学を卒業し、普通に就職、そして結婚した。
今年の結婚記念日に主人がプレゼントを買ってきてくれた。
首にピンクのリボンをつけたシェパードの子犬だった。
あの目、ビルの目。大泣きしてしまった。
私の泣きっぷりに主人はびっくりしてたけど理由を話したら「大事にしような」と言ってくれた。
現在私のお腹には7ヶ月の女の子がいる。
二代目ビルとお腹にいる子供が良い関係になれたらいいと思っている。
61 :わんにゃん@名無しさん :05/01/08 07:17:07 ID:QokVWUb4
昔犬を飼ってた。確か柴犬だった気がする。
当時まだちっちゃかった俺にとって柴犬でも大きく見えてちょっとビビッてたw
でも今考えるととても温厚な犬で、吠えられるどころか顔をなめられた記憶がある。
このスレみててその犬のこと思い出しちゃったよ。
俺が4~5才くらいのときに死んじゃったんだけど、まだその頃は死ぬとか良く分かってなかったな・・
俺が覚えてる最初の犬だ、今度帰ったら手を合わせてこよう。
確かあのみかんの木の下だったな。
2010年03月08日
泣ける話 20 恋人からの大きな愛情を実感した出来事
No.490 恋人からの大きな愛情を実感した事 より
1 :恋人は名無しさん :2007/01/23(火) 16:27:09 ID:8O1hfy/10● ?2BP(4658)
恋人からの大きな愛情。
「ここまでしてくれるなんて…」と感動してしまったような素晴らしい出来事。
531 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 13:43:50
俺には3年付き合った彼女がいたんだけど、2年前のある日彼女が事故に遭いました。
(俺と会う約束をしてて青信号を急いで渡ってたら右折した車にはねられた。)
すぐ病院に運ばれた彼女はなんとか一命をとりとめたんだけど、生きてるのが奇跡ってぐらいの大事故で、
下半身不随、顔面マヒ、右足切断はのがれられない状態になってしまった。
だけど俺、馬鹿なことに彼女が事故にあったなんて全く知らなくて、彼女が事故にあった日も普通に家で彼女を待ってていつまで待ってもこないし電話も繋がらないからイライラしてたり心配したりしてた。
彼女の両親に連絡したら「今は家にいて勉強してる」とか言われるし、
「俺もう無理なのかな?なにか怒らせたのかな?」とか
へこみまくる毎日を過ごしていたある日、彼女からやっと一通のメールが。
『わかれよう』
見た瞬間「あぁ、やっぱり」って思って涙が止まらなかった。
電話をしてもでないし、メール送っても返事はなかった。
534 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 14:01:02
あれだけ仲よかったのに、こんな終わり方とかどぉなんだよ!
と毎日怒りと悲しみで荒れ狂いながら友達と失恋の痛みを癒すために朝まで飲み歩いていた。
半年ほどたったある日彼女の妹と偶然近所のコンビニで会った。(彼女とは地元が一緒)
俺の姿をみてビックリする妹に俺は笑いかけながら「元気?○○(彼女の名前)も元気にしてる?」と聞いたら、妹はうつむいて何も話そうとしませんでした。
「どしたん?」言いながら妹の頭を撫でてやると意を決したように
「お姉ちゃんのことまだスキ?」と聞かれました。
「めちゃめちゃ大好きだよ~」って苦笑いした途端妹の目に涙があふれでてきて、
「お姉ちゃんも●●(俺の名前)のこと大好きなん。●●を会わしたいよ」って泣きながら言われました。
テンパる俺に妹が涙目で見つめながら
「●●はどんな姿のお姉ちゃんでも好きですか?」と聞いてきた。
そして俺はやっと勘というものが働いた。
「○○になにかあった?」
ゆっくり頷く妹をみて俺の目の前は真っ白になった。
536 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 14:19:00
聞くと半年前、俺と遊ぶ約束したあの日に彼女は事故に遭った。
『わかれよう』ってメールは彼女に頼まれて妹が打って送ったという。
「お姉ちゃんは今右足ないし、ほとんど喋れないし、オシッコも一人でできないし、字もかけないし、ケイタイも触れない。
でも●●からのメールや電話がある度に嬉しそうにしたり悲しそうにしたりしてる」と。
俺は本当に自分が馬鹿だと思った。
悔しくて悔しくて仕方なかったし、なんで第6感が働いて彼女の危機を知れなかったのか、
もっと彼女の状態を知ろうとしなかったのか。
本当に悔しくて悲しくてその場で号泣してしまった。
彼女の妹(あ、言い忘れてたけど彼女の妹は当時小4で、俺と彼女が19歳でした。)と喫茶店で色々話をした。
彼女の今の状態、今でも俺が大好きでよく泣いてること、
「こんな状態で生きてても辛いだけ、楽しくない」って何度も自殺未遂を犯したこと。
今の彼女の姿をみて俺は普通を装えるのか?
不安になりながらも俺は彼女に会う決心をしました。
537 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 14:36:13
病室に入るとそこは無人でした。
「この時間はお姉ちゃんトレーニングの時間だからあと20分ぐらいしたら帰ってくるよ」
妹が時計を見ながら言いました。
部屋を見渡すと、ベッドには俺との写真や、二人でUSJに行った時に買ってあげたぬいぐるみが飾られ、
カレンダーには俺たちが付き合った7日の所に赤でいびつな形のハートマークが書かれていた。
動かしにくい手を動かして書いてくれたんだなぁと思いながら、色々な所に目をやる。
部屋にはかすかに彼女の匂いがするような気さえした。
椅子に座って妹と話をしながら待つことにした。1分1分が物凄く長く感じる。
そして妹が言っていた予定時刻になった途端、ノックと同時に病室の扉が開いて車椅子に乗った彼女と付き添いの看護婦さんが現われた。
彼女が俺をみた途端動きが止まる。
俺は彼女に会ったら変わり果てた姿をみて泣いたり、ひいてしまったり、
普通に接することができないんじゃないかと不安だったけど
彼女を見た途端俺は嬉しくて嬉しくて嬉しくて気付いたら彼女を抱き締めていました。
539 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 14:53:35
抱き締めた彼女は折れそうなくらい細くなっていて、髪の毛からは俺の知ってるシャンプーじゃない匂いがしました。
でもすべてが彼女で懐かしくてたまりませんでした。
「なんで言ってくれんかったん!」更に力を込めてぎゅー!と抱き締めた。
「○○・・・」彼女が一声一声をしぼりだすようにして俺の名前を呼んだ。
彼女の顔を見ると、涙があふれていて、俺もつられて泣いてしまった。
・・・カッコ悪くてごめん。
気付いたら看護婦さんも妹も病室にはいなかった。
きっと気をきかせてくれたんだろう。
彼女の顔をマジマジとみる。
口が閉まらなくなってしまったようだが、目元や口元にあるホクロは俺のよく知ってる彼女だった。
そして彼女にキスをして、
「気付いてやれんくてごめんな、ホンマ大好きやからもう一回付き合ってください」
ってまた彼女を抱き締めました。
彼女は泣きながら何か言いましたが聞き取れませんでした。
俺が聞き返そうとすると彼女は無言で何度も頷いてくれた。
「どんな姿の○○でも俺には必要な子だからね、
ホンマに付き合ってくれてありがとう!」
って言いながら彼女の涙を何度も拭き取りました。
543 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 15:51:12
で、俺たちは晴れてまた付き合うことができました。
足がない分俺が彼女の足になって支えるし、
Hはできないけどキスできるし彼女とまたこうして隣同士でいれて幸せです。
そしてついこの間、彼女がリハビリを受けてる間に机を開けたら一冊のノートがでてきました。
こっそり中をみてみると、どうやら字を書く練習をするためのノートのようで、一冊まるまる使いきっていました。
ガタガタの歪みきった字で『1』とか『2』とかいった数字や、『りんご』『あかあお』といった簡単な単語が並んでいました。
そしてどんどんとページをめくっていくにつれ、俺の名前をたくさん練習した形跡が。
『●●に会いたい』
『●●大好き』
『●●つらいよ』
『●●にあえなくてさみしい』
といった文章がたくさんでてきました。
離れ離れの間俺のことをこんなにも必要としてくれて想ってくれてたのかと思うと涙がでてきました。
本当に彼女に出会えてよかったです!
で、今自分を振り替えるためにこの話を打ちながら婚姻届を貰ってきました!
今から彼女に渡します!
557 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 21:22:32
彼女に婚姻届け渡してきました!
彼女は泣きながら喜んでくれました。彼女を抱き上げて一緒に喜びました。
彼女のご両親にも『大学を卒業したら是非』と承諾を貰いました!(俺は今4回生なんで。)
「●●は私なんかでいいの?私こんなんだよ?もっと素敵な人いるよ?」
って彼女があんまり不安そぉだったけど、
「いやいや、俺が○○じゃないと駄目やの。俺のワガママやの」
って返したら更に泣かれました(苦笑)
ちなみに俺たちは高校時代から付き合いました。
お互い両想いなのに気付かず、目が合うだけでドキドキした1年間を過ごし、
やっと勇気をだして告白したらなんと彼女も俺と同じだったんです。笑
付き合ってから毎週月水金は必ず手作りのお弁当を作ってくれました。
俺が受験の時は手作りのお守り作ってくれたり、
とにかく常に俺の側にいて俺を暖かい愛情で包んでくれました。
お互い実家も近いため、高校時代は彼女を自転車の後ろに乗せて毎日通学して、
まわりも公認のバカップルでした。笑
二人でフランス旅行にいくためにコツコツ貯めたお金も、
3年間で30万以上貯まりました。
558 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 21:30:06
だから結婚するのは当たり前だと思ってたし、彼女以外ありえないんです。
だからみなさんが俺のことを「すごい!」っていうけれど、ある意味俺のワガママなんです。(苦笑)
彼女の愛情がないと俺は駄目になっちゃう男なんです・・・笑
彼女と付き合い直して1年半がたちました!
俺が今彼女から感じてる大きな愛情は、
毎月の記念日に時間をかけて一生懸命書いた愛情たっぷりの手紙をかかさず貰えることです!
559 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 21:34:07
>>558
スレタイ通りに彼女もあなたに対して感じてると思いますよ。
1 :恋人は名無しさん :2007/01/23(火) 16:27:09 ID:8O1hfy/10● ?2BP(4658)
恋人からの大きな愛情。
「ここまでしてくれるなんて…」と感動してしまったような素晴らしい出来事。
531 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 13:43:50
俺には3年付き合った彼女がいたんだけど、2年前のある日彼女が事故に遭いました。
(俺と会う約束をしてて青信号を急いで渡ってたら右折した車にはねられた。)
すぐ病院に運ばれた彼女はなんとか一命をとりとめたんだけど、生きてるのが奇跡ってぐらいの大事故で、
下半身不随、顔面マヒ、右足切断はのがれられない状態になってしまった。
だけど俺、馬鹿なことに彼女が事故にあったなんて全く知らなくて、彼女が事故にあった日も普通に家で彼女を待ってていつまで待ってもこないし電話も繋がらないからイライラしてたり心配したりしてた。
彼女の両親に連絡したら「今は家にいて勉強してる」とか言われるし、
「俺もう無理なのかな?なにか怒らせたのかな?」とか
へこみまくる毎日を過ごしていたある日、彼女からやっと一通のメールが。
『わかれよう』
見た瞬間「あぁ、やっぱり」って思って涙が止まらなかった。
電話をしてもでないし、メール送っても返事はなかった。
534 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 14:01:02
あれだけ仲よかったのに、こんな終わり方とかどぉなんだよ!
と毎日怒りと悲しみで荒れ狂いながら友達と失恋の痛みを癒すために朝まで飲み歩いていた。
半年ほどたったある日彼女の妹と偶然近所のコンビニで会った。(彼女とは地元が一緒)
俺の姿をみてビックリする妹に俺は笑いかけながら「元気?○○(彼女の名前)も元気にしてる?」と聞いたら、妹はうつむいて何も話そうとしませんでした。
「どしたん?」言いながら妹の頭を撫でてやると意を決したように
「お姉ちゃんのことまだスキ?」と聞かれました。
「めちゃめちゃ大好きだよ~」って苦笑いした途端妹の目に涙があふれでてきて、
「お姉ちゃんも●●(俺の名前)のこと大好きなん。●●を会わしたいよ」って泣きながら言われました。
テンパる俺に妹が涙目で見つめながら
「●●はどんな姿のお姉ちゃんでも好きですか?」と聞いてきた。
そして俺はやっと勘というものが働いた。
「○○になにかあった?」
ゆっくり頷く妹をみて俺の目の前は真っ白になった。
536 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 14:19:00
聞くと半年前、俺と遊ぶ約束したあの日に彼女は事故に遭った。
『わかれよう』ってメールは彼女に頼まれて妹が打って送ったという。
「お姉ちゃんは今右足ないし、ほとんど喋れないし、オシッコも一人でできないし、字もかけないし、ケイタイも触れない。
でも●●からのメールや電話がある度に嬉しそうにしたり悲しそうにしたりしてる」と。
俺は本当に自分が馬鹿だと思った。
悔しくて悔しくて仕方なかったし、なんで第6感が働いて彼女の危機を知れなかったのか、
もっと彼女の状態を知ろうとしなかったのか。
本当に悔しくて悲しくてその場で号泣してしまった。
彼女の妹(あ、言い忘れてたけど彼女の妹は当時小4で、俺と彼女が19歳でした。)と喫茶店で色々話をした。
彼女の今の状態、今でも俺が大好きでよく泣いてること、
「こんな状態で生きてても辛いだけ、楽しくない」って何度も自殺未遂を犯したこと。
今の彼女の姿をみて俺は普通を装えるのか?
不安になりながらも俺は彼女に会う決心をしました。
537 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 14:36:13
病室に入るとそこは無人でした。
「この時間はお姉ちゃんトレーニングの時間だからあと20分ぐらいしたら帰ってくるよ」
妹が時計を見ながら言いました。
部屋を見渡すと、ベッドには俺との写真や、二人でUSJに行った時に買ってあげたぬいぐるみが飾られ、
カレンダーには俺たちが付き合った7日の所に赤でいびつな形のハートマークが書かれていた。
動かしにくい手を動かして書いてくれたんだなぁと思いながら、色々な所に目をやる。
部屋にはかすかに彼女の匂いがするような気さえした。
椅子に座って妹と話をしながら待つことにした。1分1分が物凄く長く感じる。
そして妹が言っていた予定時刻になった途端、ノックと同時に病室の扉が開いて車椅子に乗った彼女と付き添いの看護婦さんが現われた。
彼女が俺をみた途端動きが止まる。
俺は彼女に会ったら変わり果てた姿をみて泣いたり、ひいてしまったり、
普通に接することができないんじゃないかと不安だったけど
彼女を見た途端俺は嬉しくて嬉しくて嬉しくて気付いたら彼女を抱き締めていました。
539 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 14:53:35
抱き締めた彼女は折れそうなくらい細くなっていて、髪の毛からは俺の知ってるシャンプーじゃない匂いがしました。
でもすべてが彼女で懐かしくてたまりませんでした。
「なんで言ってくれんかったん!」更に力を込めてぎゅー!と抱き締めた。
「○○・・・」彼女が一声一声をしぼりだすようにして俺の名前を呼んだ。
彼女の顔を見ると、涙があふれていて、俺もつられて泣いてしまった。
・・・カッコ悪くてごめん。
気付いたら看護婦さんも妹も病室にはいなかった。
きっと気をきかせてくれたんだろう。
彼女の顔をマジマジとみる。
口が閉まらなくなってしまったようだが、目元や口元にあるホクロは俺のよく知ってる彼女だった。
そして彼女にキスをして、
「気付いてやれんくてごめんな、ホンマ大好きやからもう一回付き合ってください」
ってまた彼女を抱き締めました。
彼女は泣きながら何か言いましたが聞き取れませんでした。
俺が聞き返そうとすると彼女は無言で何度も頷いてくれた。
「どんな姿の○○でも俺には必要な子だからね、
ホンマに付き合ってくれてありがとう!」
って言いながら彼女の涙を何度も拭き取りました。
543 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 15:51:12
で、俺たちは晴れてまた付き合うことができました。
足がない分俺が彼女の足になって支えるし、
Hはできないけどキスできるし彼女とまたこうして隣同士でいれて幸せです。
そしてついこの間、彼女がリハビリを受けてる間に机を開けたら一冊のノートがでてきました。
こっそり中をみてみると、どうやら字を書く練習をするためのノートのようで、一冊まるまる使いきっていました。
ガタガタの歪みきった字で『1』とか『2』とかいった数字や、『りんご』『あかあお』といった簡単な単語が並んでいました。
そしてどんどんとページをめくっていくにつれ、俺の名前をたくさん練習した形跡が。
『●●に会いたい』
『●●大好き』
『●●つらいよ』
『●●にあえなくてさみしい』
といった文章がたくさんでてきました。
離れ離れの間俺のことをこんなにも必要としてくれて想ってくれてたのかと思うと涙がでてきました。
本当に彼女に出会えてよかったです!
で、今自分を振り替えるためにこの話を打ちながら婚姻届を貰ってきました!
今から彼女に渡します!
557 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 21:22:32
彼女に婚姻届け渡してきました!
彼女は泣きながら喜んでくれました。彼女を抱き上げて一緒に喜びました。
彼女のご両親にも『大学を卒業したら是非』と承諾を貰いました!(俺は今4回生なんで。)
「●●は私なんかでいいの?私こんなんだよ?もっと素敵な人いるよ?」
って彼女があんまり不安そぉだったけど、
「いやいや、俺が○○じゃないと駄目やの。俺のワガママやの」
って返したら更に泣かれました(苦笑)
ちなみに俺たちは高校時代から付き合いました。
お互い両想いなのに気付かず、目が合うだけでドキドキした1年間を過ごし、
やっと勇気をだして告白したらなんと彼女も俺と同じだったんです。笑
付き合ってから毎週月水金は必ず手作りのお弁当を作ってくれました。
俺が受験の時は手作りのお守り作ってくれたり、
とにかく常に俺の側にいて俺を暖かい愛情で包んでくれました。
お互い実家も近いため、高校時代は彼女を自転車の後ろに乗せて毎日通学して、
まわりも公認のバカップルでした。笑
二人でフランス旅行にいくためにコツコツ貯めたお金も、
3年間で30万以上貯まりました。
558 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 21:30:06
だから結婚するのは当たり前だと思ってたし、彼女以外ありえないんです。
だからみなさんが俺のことを「すごい!」っていうけれど、ある意味俺のワガママなんです。(苦笑)
彼女の愛情がないと俺は駄目になっちゃう男なんです・・・笑
彼女と付き合い直して1年半がたちました!
俺が今彼女から感じてる大きな愛情は、
毎月の記念日に時間をかけて一生懸命書いた愛情たっぷりの手紙をかかさず貰えることです!
559 :恋人は名無しさん :2006/11/06(月) 21:34:07
>>558
スレタイ通りに彼女もあなたに対して感じてると思いますよ。
2010年03月08日
泣ける話 19 嗚咽
No.491 嗚咽 その7 より
650 :威月 ◆KqZQ//HYDE :05/01/19 05:51:48 ID:l7flPOtp
9歳の時、お父さんが車を使い排ガス自殺した。
私はお父さんが遺書を書いていたところを見ていたのに、それと気付かず…
幼かった私はお父さんがうつ病だと知らずに、仕事を休んでいたのをズル休みだと言ったり、汚い言葉を吐いた。
でもお父さんは私を叱ることなく困ったように笑っていた。
「○○(名前)、お父さん体良くなったらステーキでもなんでも食べに連れていってやるぞ」
反抗期で機嫌が悪くなるとこう言って私の機嫌をなおしてくれた。
お母さんの作るレバニラ炒めが好きで、死ぬ少し前、夕飯の残りのレバニラ炒めを一人で泣きながら食べていた。
今思えば遺書といい、予兆はたくさん出ていたのに…
お父さん、ごめんね…私気付いてあげられなかった……。
今年6月、私はかなり年上の彼と結婚することになった。
お披露目もかねてお正月の挨拶に二人で実家に行った時、親戚のおばちゃんたちがくちぐちに
「利行(父)にそっくりな人だねぇ」
と。
…言われるまで気付かなかったよ…
思わずみんないるところで号泣してしまいました(´;ω;`)
お父さん、私あの人と幸せになるよ。
お父さんは私を絶対嫁に出さないって言ってたけどねf^_^;
でも、あの人は本当に私を大切にしてくれるから!
だからずっと見守っていて下さい…
695 :687 :05/01/29 02:45:44 ID:fiw2yBFJ
まず、俺の婚約に泣いて喜んでくれた友に感謝したい
11年も前になるが、俺には婚約者がいた
彼女は両親と姉を交通事故で亡くし、自身も聴覚と右腕に障害を負っていた
そんな境遇のせいか、俺と付き合っていた頃は暗くて泣いてばかりの記憶しかない
(彼女の同級生に昔の話を聞くと、明るい感じのイメージが残っているらしいが)
俺は当時、仕事がかなり忙しく、式の日取りとか決めなきゃなーと思いつつも
なかなか会えない日々が続いていた
たまにしか会えなかったが、会う度に嬉しそうな顔をする彼女が本当に愛しかった..
ある日彼女は失踪した
慌てて警察に届け出たが、対応は恐ろしく冷たかった
家族でない俺が届け出たことで、逆に疑われていたようだった
結局、今も彼女の行方は知れないままだ
失踪当初は警察への怒りで満ちていたが、時間が立つにつれ自己嫌悪にまみれていく
精神安定剤を飲んでいた事も知らなかった
いつも泣いていた彼女を支えられなかった
それからと言うもの、生活も荒み転職ばかりしていた
女性と付き合うのも怖いと感じるようになっていた
自分が許せなかったのもあるが、何よりも恋愛に傷つくのがとても恐ろしかった
あれから11年。友の叱咤激励に押され、ちょっとづつではあるが気持ちの整理がついたと思う
新しい彼女との婚約を友に報告すると、
「お前は色々苦労したからな、幸せになれ」
と泣いてくれた
なんでお前が泣いてるんだよ! と思ったが、もう涙でそいつの顔見えないや
なれと言われるまでもなく俺はもう幸せです。
あと、4年前と2年前に死んだ、お袋と親父に
「孫の顔見せられなくてごめん。でも俺なんか幸せかも」
712 :大人の名無しさん :05/02/02 18:46:14 ID:jWN7gCbd
俺が小3の時、ガンを患っていた母が亡くなった。
それから父は、俺と当時2歳だった妹の世話をすることになった。
慣れない家事と仕事の両立に父は懸命だった。
当然遊び盛りだった俺も否応なく、家の事を手伝わせられた。
なぜ母を奪ったのかと、ずっと己の不幸を呪い、この世に神様はいないと天を恨んだ。
やがて幼かった妹にも手がかからなくなり、俺は高校へ進んだ。
学費はバイトを始めることで何とかなった。
ところが妹も小学校の高学年に進み、胸が膨らみ始めた。
これまで恥を忍んで妹の下着を買って来た父も、ブラジャーなど買った
ことがあるはずもなく、途方にくれていた。
そんな時、俺にバイト先で知り合った彼女ができた。
事情を話すと、彼女は妹と一緒に下着を買いに行ったり、生理用品の事など、なにかと妹の面倒を見てくれた。
当初戸惑っていた妹も、やがて彼女を実の姉のように慕うようになった。
彼女が遊びに来て4人で食事をしていた時、母が死んで以来やめていた酒を父が久しぶりに飲んで酔っていたのをはっきり憶えている。
俺は亡くなった母が彼女と俺を引き合わせてくれたのかと、神様に深く感謝した。
母がいないことをのぞいて、やっと普通の家庭とはこんなものなのかと思える日々が訪れた。
そして社会人となった俺は彼女と結婚した。父と妹も、もちろん祝福してくれた。
父は定年退職したが、子会社のちょっとした役職で再雇用して貰えたと嬉しそうに話していた。
そんなある日、高校生になっていた妹が突然交通事故で死んだ。
葬式の数日後、父は会社に辞表を出し、俺は悲しみで何をする気力もなかった。
妻は父と俺のそんな気持ちを察してか、
妹の遺品を全て処分しようとして妹のタンスから
最初に買ってやったブラジャーを見つけて、泣き崩れた。
あの日から、俺は神も仏も信じられなくなった。
790 :大人の名無しさん :05/02/20 12:08:16 ID:GpnFoYJu
うちのかーちゃん
おやじの酒乱で離婚
以後3人の子を一人で育てる
姉貴二人遠くに嫁ぐ
俺とかーちゃん二人暮らし
かーちゃん
酒を飲むようになる
度を越すようになる
俺に怒られるから隠れて飲む。
友達から「電話したらお前のかーちゃんまたよぱらってたぞ」と言われ
怒ってかーちゃんを蹴っ飛ばす
「クソババー てめー電話出るなこの!!」
「お母さん飲んでないよ」
ろれつが回らない言葉で俺に許しを乞う
それを聞いてまたかーちゃんの頭を思い切りひっぱたく
そんな日が続いた
結婚が決まった
嫁と2人きりで海外で挙げた。
かーちゃんには式の写真とビデオをやっただけ
嫁にも極力合わせないよーにしてた
別々に暮らして半年
ある日夜遅く保険の証書を取りに実家に帰ると真っ暗な部屋の中
テレビのあかりだけ
その前にかーちゃんがボーッと正座していた
「こんな夜中に何やってんのよ
またさけ飲んでるのかこの野郎っ」
叩こうと思ってふとテレビを見ると
俺の挙式のビデオだった
「叩かないで
ごめんね
ごめんね」
ろれつが回らない言葉で這いつくばって懇願するかーちゃん
俺はぼーぜんとした
毎晩一人ぼっちでこのビデオを見てたのか・・・
ごめんねお母さん
本当にごめん。もう叩かないから
来週嫁さんと一緒にどっかおいしいものでも食べに行こうよ。
昨日の晩
母と嫁と食事してきました。
「嫁さんが母さんとメシ一緒に食べたいんだってさ」
って言ったら喜んでた。自分がビール飲みながら
「母さんも1杯どう?」
て言ったら
「私はいいから」
って・・無理すんなよな
嫁に嫌われたくないのだろうか
一生懸命嫁に俺のこと頼むって
優しい子だからって
親バカだなー
嫁さんニコニコして頷きながら聞いてた。
母さん嬉しそうだった。
896 :大人の名無しさん :05/03/08 10:32:35 ID:B2ZTecn2
小学校入学を控えた長男のもとに、新しい学習机が届いた。
無邪気に喜ぶ長男は同じ歳で白血病になり天国に行ってしまった実弟と
同じ笑顔をしていた。
涙が止まらなかった。わあわあ声上げて泣いた。
897 :大人の名無しさん :05/03/08 12:05:52 ID:x/fgHAEW
>>896
あなたは女性(姉の立場)ということでよろしいのでしょうか。
いえ私も姉&弟の構成なので…
もし自分だったらどうだろうと我が身を重ねてしまいました。
あなたの弟さんを思う涙とお気持ちはきっと天まで届いていますよ。
898 :896 :05/03/08 17:30:04 ID:B2ZTecn2
>>897さん
レスありがとうございます。恥ずかしながら、また泣けてしまいました。
私は姉の立場になります。
といっても、6年しかねーちゃんやらせてもらえなかったんですけどね……。
弟とは年子なので1歳違ってたんです。私は弟のことが大好きでした。
入院したのは小学校入学して最初の夏休みからでした。
母からは「長い風邪だ」と聞いてたんで、すぐ治ると思ってましたが
よく考えれば母はもうその時に病状を知っていたんでしょうね。
入院中に母に買ってもらったアニメのまくらを、弟は
「これねーちゃんが好きだから、ねーちゃんにあげて」って言ったらしいんです。
まくらをもらったとき、私は弟に
「お返しに退院したら大好きな超合金のおもちゃをおこづかいで買っちゃるね」
って約束していたんです。弟はとても喜んでいました。
でもその約束は果たせませんでした。退院したらじゃなくて、すぐ買えば良かったです。
当時小学2年生の私は「入院しても必ず退院できるもの」と思ってましたから……。
来週にはランドセルが届きます。その時また泣くんでしょうね。
だって息子…… 弟にすごい顔が似てるんですもの。
899 :大人の名無しさん :05/03/08 17:34:46 ID:3RHg1b5M
>>898
ねーちゃん大好きだから生まれ変わったんだよ。
今度は楽しい思い出いっぱいいっぱい作ろうね!
900 :896 :05/03/08 17:46:01 ID:B2ZTecn2
>>899さん
ありがとうございます。勿論、息子達(2人いますが)とは
弟の分まで精一杯幸せになってほしいし、楽しい思い出を
家族で作ろうと思ってます。
あと…… 母にも一杯親孝行したいです。
今になって、看病してる母がどれだけ辛い思いでいたか分かったような気がします。
以前
「○○と××(長男と次男)に遊べるおもちゃいっぱい段ボールにしまってるけど、
なかなか開けられんのよね」
といったときの、寂しそうな表情が忘れられないんです。
650 :威月 ◆KqZQ//HYDE :05/01/19 05:51:48 ID:l7flPOtp
9歳の時、お父さんが車を使い排ガス自殺した。
私はお父さんが遺書を書いていたところを見ていたのに、それと気付かず…
幼かった私はお父さんがうつ病だと知らずに、仕事を休んでいたのをズル休みだと言ったり、汚い言葉を吐いた。
でもお父さんは私を叱ることなく困ったように笑っていた。
「○○(名前)、お父さん体良くなったらステーキでもなんでも食べに連れていってやるぞ」
反抗期で機嫌が悪くなるとこう言って私の機嫌をなおしてくれた。
お母さんの作るレバニラ炒めが好きで、死ぬ少し前、夕飯の残りのレバニラ炒めを一人で泣きながら食べていた。
今思えば遺書といい、予兆はたくさん出ていたのに…
お父さん、ごめんね…私気付いてあげられなかった……。
今年6月、私はかなり年上の彼と結婚することになった。
お披露目もかねてお正月の挨拶に二人で実家に行った時、親戚のおばちゃんたちがくちぐちに
「利行(父)にそっくりな人だねぇ」
と。
…言われるまで気付かなかったよ…
思わずみんないるところで号泣してしまいました(´;ω;`)
お父さん、私あの人と幸せになるよ。
お父さんは私を絶対嫁に出さないって言ってたけどねf^_^;
でも、あの人は本当に私を大切にしてくれるから!
だからずっと見守っていて下さい…
695 :687 :05/01/29 02:45:44 ID:fiw2yBFJ
まず、俺の婚約に泣いて喜んでくれた友に感謝したい
11年も前になるが、俺には婚約者がいた
彼女は両親と姉を交通事故で亡くし、自身も聴覚と右腕に障害を負っていた
そんな境遇のせいか、俺と付き合っていた頃は暗くて泣いてばかりの記憶しかない
(彼女の同級生に昔の話を聞くと、明るい感じのイメージが残っているらしいが)
俺は当時、仕事がかなり忙しく、式の日取りとか決めなきゃなーと思いつつも
なかなか会えない日々が続いていた
たまにしか会えなかったが、会う度に嬉しそうな顔をする彼女が本当に愛しかった..
ある日彼女は失踪した
慌てて警察に届け出たが、対応は恐ろしく冷たかった
家族でない俺が届け出たことで、逆に疑われていたようだった
結局、今も彼女の行方は知れないままだ
失踪当初は警察への怒りで満ちていたが、時間が立つにつれ自己嫌悪にまみれていく
精神安定剤を飲んでいた事も知らなかった
いつも泣いていた彼女を支えられなかった
それからと言うもの、生活も荒み転職ばかりしていた
女性と付き合うのも怖いと感じるようになっていた
自分が許せなかったのもあるが、何よりも恋愛に傷つくのがとても恐ろしかった
あれから11年。友の叱咤激励に押され、ちょっとづつではあるが気持ちの整理がついたと思う
新しい彼女との婚約を友に報告すると、
「お前は色々苦労したからな、幸せになれ」
と泣いてくれた
なんでお前が泣いてるんだよ! と思ったが、もう涙でそいつの顔見えないや
なれと言われるまでもなく俺はもう幸せです。
あと、4年前と2年前に死んだ、お袋と親父に
「孫の顔見せられなくてごめん。でも俺なんか幸せかも」
712 :大人の名無しさん :05/02/02 18:46:14 ID:jWN7gCbd
俺が小3の時、ガンを患っていた母が亡くなった。
それから父は、俺と当時2歳だった妹の世話をすることになった。
慣れない家事と仕事の両立に父は懸命だった。
当然遊び盛りだった俺も否応なく、家の事を手伝わせられた。
なぜ母を奪ったのかと、ずっと己の不幸を呪い、この世に神様はいないと天を恨んだ。
やがて幼かった妹にも手がかからなくなり、俺は高校へ進んだ。
学費はバイトを始めることで何とかなった。
ところが妹も小学校の高学年に進み、胸が膨らみ始めた。
これまで恥を忍んで妹の下着を買って来た父も、ブラジャーなど買った
ことがあるはずもなく、途方にくれていた。
そんな時、俺にバイト先で知り合った彼女ができた。
事情を話すと、彼女は妹と一緒に下着を買いに行ったり、生理用品の事など、なにかと妹の面倒を見てくれた。
当初戸惑っていた妹も、やがて彼女を実の姉のように慕うようになった。
彼女が遊びに来て4人で食事をしていた時、母が死んで以来やめていた酒を父が久しぶりに飲んで酔っていたのをはっきり憶えている。
俺は亡くなった母が彼女と俺を引き合わせてくれたのかと、神様に深く感謝した。
母がいないことをのぞいて、やっと普通の家庭とはこんなものなのかと思える日々が訪れた。
そして社会人となった俺は彼女と結婚した。父と妹も、もちろん祝福してくれた。
父は定年退職したが、子会社のちょっとした役職で再雇用して貰えたと嬉しそうに話していた。
そんなある日、高校生になっていた妹が突然交通事故で死んだ。
葬式の数日後、父は会社に辞表を出し、俺は悲しみで何をする気力もなかった。
妻は父と俺のそんな気持ちを察してか、
妹の遺品を全て処分しようとして妹のタンスから
最初に買ってやったブラジャーを見つけて、泣き崩れた。
あの日から、俺は神も仏も信じられなくなった。
790 :大人の名無しさん :05/02/20 12:08:16 ID:GpnFoYJu
うちのかーちゃん
おやじの酒乱で離婚
以後3人の子を一人で育てる
姉貴二人遠くに嫁ぐ
俺とかーちゃん二人暮らし
かーちゃん
酒を飲むようになる
度を越すようになる
俺に怒られるから隠れて飲む。
友達から「電話したらお前のかーちゃんまたよぱらってたぞ」と言われ
怒ってかーちゃんを蹴っ飛ばす
「クソババー てめー電話出るなこの!!」
「お母さん飲んでないよ」
ろれつが回らない言葉で俺に許しを乞う
それを聞いてまたかーちゃんの頭を思い切りひっぱたく
そんな日が続いた
結婚が決まった
嫁と2人きりで海外で挙げた。
かーちゃんには式の写真とビデオをやっただけ
嫁にも極力合わせないよーにしてた
別々に暮らして半年
ある日夜遅く保険の証書を取りに実家に帰ると真っ暗な部屋の中
テレビのあかりだけ
その前にかーちゃんがボーッと正座していた
「こんな夜中に何やってんのよ
またさけ飲んでるのかこの野郎っ」
叩こうと思ってふとテレビを見ると
俺の挙式のビデオだった
「叩かないで
ごめんね
ごめんね」
ろれつが回らない言葉で這いつくばって懇願するかーちゃん
俺はぼーぜんとした
毎晩一人ぼっちでこのビデオを見てたのか・・・
ごめんねお母さん
本当にごめん。もう叩かないから
来週嫁さんと一緒にどっかおいしいものでも食べに行こうよ。
昨日の晩
母と嫁と食事してきました。
「嫁さんが母さんとメシ一緒に食べたいんだってさ」
って言ったら喜んでた。自分がビール飲みながら
「母さんも1杯どう?」
て言ったら
「私はいいから」
って・・無理すんなよな
嫁に嫌われたくないのだろうか
一生懸命嫁に俺のこと頼むって
優しい子だからって
親バカだなー
嫁さんニコニコして頷きながら聞いてた。
母さん嬉しそうだった。
896 :大人の名無しさん :05/03/08 10:32:35 ID:B2ZTecn2
小学校入学を控えた長男のもとに、新しい学習机が届いた。
無邪気に喜ぶ長男は同じ歳で白血病になり天国に行ってしまった実弟と
同じ笑顔をしていた。
涙が止まらなかった。わあわあ声上げて泣いた。
897 :大人の名無しさん :05/03/08 12:05:52 ID:x/fgHAEW
>>896
あなたは女性(姉の立場)ということでよろしいのでしょうか。
いえ私も姉&弟の構成なので…
もし自分だったらどうだろうと我が身を重ねてしまいました。
あなたの弟さんを思う涙とお気持ちはきっと天まで届いていますよ。
898 :896 :05/03/08 17:30:04 ID:B2ZTecn2
>>897さん
レスありがとうございます。恥ずかしながら、また泣けてしまいました。
私は姉の立場になります。
といっても、6年しかねーちゃんやらせてもらえなかったんですけどね……。
弟とは年子なので1歳違ってたんです。私は弟のことが大好きでした。
入院したのは小学校入学して最初の夏休みからでした。
母からは「長い風邪だ」と聞いてたんで、すぐ治ると思ってましたが
よく考えれば母はもうその時に病状を知っていたんでしょうね。
入院中に母に買ってもらったアニメのまくらを、弟は
「これねーちゃんが好きだから、ねーちゃんにあげて」って言ったらしいんです。
まくらをもらったとき、私は弟に
「お返しに退院したら大好きな超合金のおもちゃをおこづかいで買っちゃるね」
って約束していたんです。弟はとても喜んでいました。
でもその約束は果たせませんでした。退院したらじゃなくて、すぐ買えば良かったです。
当時小学2年生の私は「入院しても必ず退院できるもの」と思ってましたから……。
来週にはランドセルが届きます。その時また泣くんでしょうね。
だって息子…… 弟にすごい顔が似てるんですもの。
899 :大人の名無しさん :05/03/08 17:34:46 ID:3RHg1b5M
>>898
ねーちゃん大好きだから生まれ変わったんだよ。
今度は楽しい思い出いっぱいいっぱい作ろうね!
900 :896 :05/03/08 17:46:01 ID:B2ZTecn2
>>899さん
ありがとうございます。勿論、息子達(2人いますが)とは
弟の分まで精一杯幸せになってほしいし、楽しい思い出を
家族で作ろうと思ってます。
あと…… 母にも一杯親孝行したいです。
今になって、看病してる母がどれだけ辛い思いでいたか分かったような気がします。
以前
「○○と××(長男と次男)に遊べるおもちゃいっぱい段ボールにしまってるけど、
なかなか開けられんのよね」
といったときの、寂しそうな表情が忘れられないんです。
2010年03月08日
泣ける話 18 家族との思い出②
No.495 思い出してホローリくる家族との思い出Part2 より
529 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/05/21 22:44 ID:???
高校時代、母親が嫌いでした。
嫌いというか、うざったいというか、まあそんな感じで。
特に受験期なんて「うるさい。默って。」位しか口にした覚えがないです。
そして、大学に受かって、一人暮らしを始めて2年半位。
いい加減反抗期(?)も過ぎて、どうにかコミュニケーションをとろうとしていた時期。
実家の妹からの電話で、どうも母親の調子が悪いということを聞きました。
私は、母と電話を代わって貰い「早く病院行って見てもらいなよ」と言いました。
家族らしい会話の仕方が分からなくて、凄くたどたどしい言い方だったと思います。
母は「病院に行って、もし入院でもさせられたら嫌じゃない」と言って笑っていました。
ちなみに、妹に聞いたところによると
母は「『お姉ちゃん、急に良い子になってびっくりした』って言って笑ってた」そうです。
それから何ヶ月後の年末、久しぶりに私は実家に帰りました。
出迎えてくれた母の顔がいやにこけていて、見た瞬間恐怖を感じたのを覚えています。
「まさか」とか思いつつ、その正月は父が、私と妹にお年玉を渡すのと一緒に
母にペンダントを贈ったりして、凄く「家族」というものを実感した数日でした。
父が母に何かを贈るのなんて初めて見たんです。
そしてその年の4月11日23時半くらい、父からの電話で、母が亡くなったことを知りました
530 名前:529 投稿日:02/05/21 22:45 ID:???
本当は全然急じゃ無かった筈なんですが、その時の私には急で、全然実感が湧きませんでした。
その日は遅かったので、寝て、起きて、準備して、電車に乗って、
ホントにその間、泣きもせず、喪服が無い…なんてことを考えていました。
でも、実家のある駅まであと10分位になった時、急に
「次に帰ったら、グラタンとロールキャベツ作って貰おう」
と思っていたことを思い出して、そしたら馬鹿みたいに涙が出てきました。
悲しいとか淋しいとか後悔とか、全部いっしょくたになって。
母は、その頃もう、滿足に食事をしたり、歩いたりも出来ないくらい悪かったそうです。
父は、同じ家にいた自分が助けてやれなくて、と泣きました。
私は、そんなこと、全然知らなかったんです。
あれだけ兆候はあったのに、どうしてもっと気にしてあげられなかったんだろう。
私は、ひねくれたまま家を出てそのままで、「ありがとう」の一言も言ってないです。
高校時代、ずっと酷いことしか言わなかったこと。
それでも母は一度も本当に怒ったりしなかったこと。
私が母の体を心配した時の母の言葉、手料理、小さい頃抱きしめて貰ったこと。
ふとした瞬間に思い出して、泣きたくなります。
738 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/17 22:19 ID:KNaJf8JV
高校を卒業して初めての一人暮らしへの旅立ちの日の朝。
私は前の日に原因は忘れちゃったけどささいなことでお父さんと喧嘩してた。
それでもおばあちゃんに
「お父さんに一言くらいは何か言っていきなさい!」ってうるさく言われて
ちょっと気まずいながらも洗面所で顔を洗ってた父のもとへ。
それでも意地っ張りな私は何ていっていいか分からず、一言
「・・・行って来るね。」ってぶっきらぼうにつぶやいた。
父は何も言わなかった。でも、洗った顔をタオルでごしごしこすりながら
目を真っ赤にしてるのを見たとき、初めて父が泣いてるのに気づいた。
何も言わなかったけど、お父さん実はすごく淋しいんだろうなーって思ったら
私も駅までの道で涙を抑えずにはいられなかった。
799 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/07/23 01:32 ID:tHmWWTGI
小さい頃から無口で無愛想でたまに喋っても何かと理屈ばかりの
いわゆる理系の人間で俺のことに関しては何も言わず無関心ぽい感じだった。
精神論て概念なんぞ何一つ持ち合わせてないロボットみたいな父親だった。
そんな父親の背中を見てきたせいか俺は友達も少なく、外にも出ないので
激しく世間知らず、と自分で言うのもなんだけどかなりのダメ人間だった。
そんな俺は18になって本格的に自分を変えようと父親に「東京の大学へ進学する」と言った時
てっきり、しっかり勉強しろよとかロクでもない事言うのだろうと思ってたら
「自分の目で都会をしっかり見て来い」と言った。
なぜか涙が止まらなかった。
あとから母に教えてもらったけど俺の大学進学費用をかなり貯めていたらしく
俺の知らない学資保険まであった。地元の大学なら余裕でおつりが出るくらい。
俺が都会の大学に進学するだろうと、父親が車も買わずにかなりつぎ込んでたらしい。
てっきり無関心かと思ってたらちゃんと俺の事を考えていてくれた事が分かって今頃感動してしまった。
916 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/09/16 20:51 ID:QtfVTqYI
妻と結婚する前、THE BLUE HEATSのライブを見に行った。
まだその頃はあまり有名ではなく、俺はあんまり乗り気じゃなかった。
しかし、そいつらの姿を初めて見た時はびっくりした。
そこら辺のダメ人間の集まりみたいな奴等だった。
しかし、その格好とは裏腹に心に残るなんとも言えないメロディーに俺は魅かれた。
二年後、結婚して息子が生まれ3人でまたライブを見に行った。
その時の最後に歌ったリンダリンダがとても印象的で、俺はわけも分からず涙を流した。
それから3ヶ月後、妻は交通事故で急逝した。
俺は半場ヤケにながらガムシャラに働いた。
息子が母親がいない事を馬鹿にされない為に料理も母に簡単な物を教わり寂しくない様
なるべく家にいるように心がけた。
息子も気を使ってくれ、俺に文句は一つも言わなかった。
今年息子も中学生なり、だいぶ手が離れ俺はゆとりを持てるようになってきたある日
飲んで帰ってきた時、頭にあの歌が響いてきた。
幻かと俺は思い辺りを見回した。
すると、息子が大音量で物いれから引っ張ってきたリンダリンダを聞いていた。
息子がライブの事を覚えてる訳はないのだが俺はたまらなく悲しくなってきて、家を出て近くの公園で泣いた。
881 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/09/06 19:01 ID:ZXug+wTu
母の余命が長くても3ヶ月と言われた頃、一週間の休みを貰って地元に帰った。
母の最期の外泊許可が出て姉の家にみんなが集まった。
母は座っているのも辛いようで、ずっと横になってばかりいた。
地元に帰る前、どうしても母の作ったおにぎりが食べたいと思っていた。
最後になるだろう母のおにぎりを味わって食べようと思っていた。
別におにぎりが好きな訳でも、思い出がある訳でもない。
ただ無性に母の作ったおにぎりが食べたかった。
でも横になってばかりいる母を見て、とても言い出せなかった。
3時頃、お腹がすいたので「なんか腹減ったなー」と独り言を
言ったら母は立ち上がり、なんとおにぎりを作り出した。
どこか痛いのか、顔をゆがめながら作ってくれた。
食べながら涙が出てきた。止まらなかった。
甥っ子が俺の方見て「からいの?」なんて聞いてきたら笑いながら号泣した。
母は作り終わった後、相変わらず横になって苦しそうにしていた。
それから2ヵ月後、母は亡くなった。
俺の子供の顔を見ることも無く。
何が言いたいのか自分で分からなくなってきた。
親孝行したい時には親はなし
親孝行したいと気付いた時にはもう遅い
529 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/05/21 22:44 ID:???
高校時代、母親が嫌いでした。
嫌いというか、うざったいというか、まあそんな感じで。
特に受験期なんて「うるさい。默って。」位しか口にした覚えがないです。
そして、大学に受かって、一人暮らしを始めて2年半位。
いい加減反抗期(?)も過ぎて、どうにかコミュニケーションをとろうとしていた時期。
実家の妹からの電話で、どうも母親の調子が悪いということを聞きました。
私は、母と電話を代わって貰い「早く病院行って見てもらいなよ」と言いました。
家族らしい会話の仕方が分からなくて、凄くたどたどしい言い方だったと思います。
母は「病院に行って、もし入院でもさせられたら嫌じゃない」と言って笑っていました。
ちなみに、妹に聞いたところによると
母は「『お姉ちゃん、急に良い子になってびっくりした』って言って笑ってた」そうです。
それから何ヶ月後の年末、久しぶりに私は実家に帰りました。
出迎えてくれた母の顔がいやにこけていて、見た瞬間恐怖を感じたのを覚えています。
「まさか」とか思いつつ、その正月は父が、私と妹にお年玉を渡すのと一緒に
母にペンダントを贈ったりして、凄く「家族」というものを実感した数日でした。
父が母に何かを贈るのなんて初めて見たんです。
そしてその年の4月11日23時半くらい、父からの電話で、母が亡くなったことを知りました
530 名前:529 投稿日:02/05/21 22:45 ID:???
本当は全然急じゃ無かった筈なんですが、その時の私には急で、全然実感が湧きませんでした。
その日は遅かったので、寝て、起きて、準備して、電車に乗って、
ホントにその間、泣きもせず、喪服が無い…なんてことを考えていました。
でも、実家のある駅まであと10分位になった時、急に
「次に帰ったら、グラタンとロールキャベツ作って貰おう」
と思っていたことを思い出して、そしたら馬鹿みたいに涙が出てきました。
悲しいとか淋しいとか後悔とか、全部いっしょくたになって。
母は、その頃もう、滿足に食事をしたり、歩いたりも出来ないくらい悪かったそうです。
父は、同じ家にいた自分が助けてやれなくて、と泣きました。
私は、そんなこと、全然知らなかったんです。
あれだけ兆候はあったのに、どうしてもっと気にしてあげられなかったんだろう。
私は、ひねくれたまま家を出てそのままで、「ありがとう」の一言も言ってないです。
高校時代、ずっと酷いことしか言わなかったこと。
それでも母は一度も本当に怒ったりしなかったこと。
私が母の体を心配した時の母の言葉、手料理、小さい頃抱きしめて貰ったこと。
ふとした瞬間に思い出して、泣きたくなります。
738 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/06/17 22:19 ID:KNaJf8JV
高校を卒業して初めての一人暮らしへの旅立ちの日の朝。
私は前の日に原因は忘れちゃったけどささいなことでお父さんと喧嘩してた。
それでもおばあちゃんに
「お父さんに一言くらいは何か言っていきなさい!」ってうるさく言われて
ちょっと気まずいながらも洗面所で顔を洗ってた父のもとへ。
それでも意地っ張りな私は何ていっていいか分からず、一言
「・・・行って来るね。」ってぶっきらぼうにつぶやいた。
父は何も言わなかった。でも、洗った顔をタオルでごしごしこすりながら
目を真っ赤にしてるのを見たとき、初めて父が泣いてるのに気づいた。
何も言わなかったけど、お父さん実はすごく淋しいんだろうなーって思ったら
私も駅までの道で涙を抑えずにはいられなかった。
799 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/07/23 01:32 ID:tHmWWTGI
小さい頃から無口で無愛想でたまに喋っても何かと理屈ばかりの
いわゆる理系の人間で俺のことに関しては何も言わず無関心ぽい感じだった。
精神論て概念なんぞ何一つ持ち合わせてないロボットみたいな父親だった。
そんな父親の背中を見てきたせいか俺は友達も少なく、外にも出ないので
激しく世間知らず、と自分で言うのもなんだけどかなりのダメ人間だった。
そんな俺は18になって本格的に自分を変えようと父親に「東京の大学へ進学する」と言った時
てっきり、しっかり勉強しろよとかロクでもない事言うのだろうと思ってたら
「自分の目で都会をしっかり見て来い」と言った。
なぜか涙が止まらなかった。
あとから母に教えてもらったけど俺の大学進学費用をかなり貯めていたらしく
俺の知らない学資保険まであった。地元の大学なら余裕でおつりが出るくらい。
俺が都会の大学に進学するだろうと、父親が車も買わずにかなりつぎ込んでたらしい。
てっきり無関心かと思ってたらちゃんと俺の事を考えていてくれた事が分かって今頃感動してしまった。
916 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/09/16 20:51 ID:QtfVTqYI
妻と結婚する前、THE BLUE HEATSのライブを見に行った。
まだその頃はあまり有名ではなく、俺はあんまり乗り気じゃなかった。
しかし、そいつらの姿を初めて見た時はびっくりした。
そこら辺のダメ人間の集まりみたいな奴等だった。
しかし、その格好とは裏腹に心に残るなんとも言えないメロディーに俺は魅かれた。
二年後、結婚して息子が生まれ3人でまたライブを見に行った。
その時の最後に歌ったリンダリンダがとても印象的で、俺はわけも分からず涙を流した。
それから3ヶ月後、妻は交通事故で急逝した。
俺は半場ヤケにながらガムシャラに働いた。
息子が母親がいない事を馬鹿にされない為に料理も母に簡単な物を教わり寂しくない様
なるべく家にいるように心がけた。
息子も気を使ってくれ、俺に文句は一つも言わなかった。
今年息子も中学生なり、だいぶ手が離れ俺はゆとりを持てるようになってきたある日
飲んで帰ってきた時、頭にあの歌が響いてきた。
幻かと俺は思い辺りを見回した。
すると、息子が大音量で物いれから引っ張ってきたリンダリンダを聞いていた。
息子がライブの事を覚えてる訳はないのだが俺はたまらなく悲しくなってきて、家を出て近くの公園で泣いた。
881 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:02/09/06 19:01 ID:ZXug+wTu
母の余命が長くても3ヶ月と言われた頃、一週間の休みを貰って地元に帰った。
母の最期の外泊許可が出て姉の家にみんなが集まった。
母は座っているのも辛いようで、ずっと横になってばかりいた。
地元に帰る前、どうしても母の作ったおにぎりが食べたいと思っていた。
最後になるだろう母のおにぎりを味わって食べようと思っていた。
別におにぎりが好きな訳でも、思い出がある訳でもない。
ただ無性に母の作ったおにぎりが食べたかった。
でも横になってばかりいる母を見て、とても言い出せなかった。
3時頃、お腹がすいたので「なんか腹減ったなー」と独り言を
言ったら母は立ち上がり、なんとおにぎりを作り出した。
どこか痛いのか、顔をゆがめながら作ってくれた。
食べながら涙が出てきた。止まらなかった。
甥っ子が俺の方見て「からいの?」なんて聞いてきたら笑いながら号泣した。
母は作り終わった後、相変わらず横になって苦しそうにしていた。
それから2ヵ月後、母は亡くなった。
俺の子供の顔を見ることも無く。
何が言いたいのか自分で分からなくなってきた。
親孝行したい時には親はなし
親孝行したいと気付いた時にはもう遅い