2010年03月11日
泣ける話 25 萌えた父親のエピソード
No.482 うっかり萌えた父親のエピソード 4 より
246 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/11(日) 14:15:05 ID:cV+9y1NB
久々実家に帰って、母とテレビを見ながら
「倖田來未のDVD欲しいんだよね~」
なんて何気なく会話してたりした。
そんな会話してたのなんか忘れてた 数日後…
自分で録画したであろう、倖田來未のDVD(PVとかではなく金スマやタモステ) が父から届いた。
ほしいって聞いたので送ります。父さん
西郷高盛みたいな父が倖田來未を録画する姿を想像して萌えた。
そしてちょっと泣いた。
145 :おさかなくわえた名無しさん :2006/05/23(火) 04:26:38 ID:2vthEk7W
高校で停学処分の前に学校に呼び出しを受けた時、普段車でしか移動しない父が電車で行くと言った
私がいつもどういう道のりを通っているか知りたかったらしい
無口で厳格な父が切符を買うのにあたふたしたり改札で戸惑ったり満員電車で慌てている姿を見て、なんだか切ないというか愛しくなった
と同時に申し訳ない気持ちでいっぱいだった
今でもその時の父の姿思い出すと切なくて泣けてくる
147 :おさかなくわえた名無しさん :2006/05/23(火) 06:13:39 ID:TcJREWMz
この前父さんとバッティングセンターに行った。
病院の帰りに、私の気を晴らそうとしてくれたんだろう。
やってみたら意外にハマっちゃって、80キロまでの球ならたまにしょぼしょぼ当たった。
で、父は120キロに挑戦。
そりゃもう凄くて全部「カキーーーン」と飛んでいく。
で、「すごい!!パパすごいっ!!」と褒めたら
普段厳格な父は「いや、まだまだだよ。」なんて言いながら(ノ´∀`*)←こんな顔してたww
彼氏が出来てから半年振りにまともに喋ったよ、パパン大好きだよ。
ちなみにうちは三人娘に、一人息子だが息子には厳しく、姉と妹には優しく、私は猫っ可愛がりw
「短気で頑固なとこが俺に一番性格似てっからな……あいつ(私)もいいとこあんだよ。」と母親にしょっちゅうこぼしているらしい。
ごめんねパパン、たまには実家帰るよ。
214 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/05(月) 05:58:57 ID:PVEvk6jI
自分の話じゃなくて恐縮なんですが、友達のパパンに萌えた。
「旅に出る」と一言いって急にいなくなったらしい友達の父。
そんなことは初めてだったらしくみんなたいそう心配したそう。
しかし、3日後くらいから葉書が毎日届いた。
「7月23日。父は釧路の港に降り立ち候。薄く煙った霧にかすむ海。」
みたいな堅苦しい感じの文章なんだけど、自分でかいたイラスト入り。
しかも毎日、何を食べた。どこに泊まった。温泉に入った、等事細か。
友達もその絵入り葉書を大事にアルバムに保管してて、見せてくれた。
なんか、ぐっときました。
272 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/12(月) 14:02:29 ID:v6h5YCwY
元々,食の細い父ちゃん。
よくそれだけで,あんな肉体労働できるね?って不思議なくらい。
この間も母ちゃんが「豆腐と枝豆くらいしか食べない」といっていたので,実家に帰った時にハンバーグを作った。
あまり良い出来ではなかったけど,よく食べておかわりまでした。
「美味いから久々によく食べれたよ」と苦しそうにいう父ちゃん。
泣かせるつもりだったのに,泣かせないでくれよ。
357 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/19(月) 16:11:23 ID:b5t0U7jI
書斎に飾ってある絵画の額裏に
私が小さい頃描いた父の似顔絵が貼ってある事を、最近私は知った。
定年退職祝いのプレゼントをにこりともせずに受け取る無愛想な父だが、
時々その絵を見ては、ニヤニヤしているのだと母が教えてくれた。
「ばは だすき」と書かれたその絵に覚えはないけれど、
にこやかに微笑むその顔は知っている。
537 :おさかなくわえた名無しさん :2006/07/11(火) 12:48:01 ID:CzReXlWI
最近気づいた。
子供のころ工作で父ちゃんと願いの叶う箱ってのを自分で作った。
その箱に「500円ほしい」とか「お好み焼き食べてみたい」とか紙に書いて入れておくと
数日中に思わぬお小遣いがもらえたり、お好み焼き屋に連れて行ってもらえていた。
スゲー神様いるんだー!って喜んでたけど
神様は父ちゃんだったんだな・・・。
願いの叶う箱は近所の友達にあげちゃった。
「すごいよ!願い事が叶っちゃうんだから!」とか言って。
もったいないことしたわ。
744 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/06(日) 17:08:04 ID:qm43kBIC
光学式のマウスを買った父。
ブックカバーをマウスパットにしていたので、子犬の寝顔のマウスパットをプレゼントしました。
で、こないだ実家行ったら相変わらずブックカバーを使っているので、母親に事情を聞いたら
「だってマウス上に置いたら見えなくなっちゃうでしょ?」
と言って使わなかったらしいのです。
マウスパットは、窓辺に写真のように飾られていました。
811 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/10(木) 23:37:59 ID:GY0PjiOT
私が小学校5年の父の日。父に買い物に誘われた。
普段から父とは仲良しだったので、喜んでついていった。行き先は御徒町。
どこに行くでもなくプラプラと歩いていたら露店でバッグ類を売っていた。
覗いてみると旅行用の大きな、でも薄っぺらい、お人形がたくさん描いてあるバッグがあり、手にとって見た。
「買うか?」
「いいの?でも今日は娘の日じゃなくて父の日だよ?」
「父の日だから子供に買ってあげるんだよ」
この会話をはっきりと覚えてる。
いいのかなーと思いながら、ニコニコ顔の父に買ってもらいました。
自分が親になった今、父の気持ちが分かります。
娘の笑顔が嬉しかったんだろうなぁ。
流行遅れでボロボロのバッグは、未だに捨てられません。
いや、一生とっとくんだろうな私。
246 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/11(日) 14:15:05 ID:cV+9y1NB
久々実家に帰って、母とテレビを見ながら
「倖田來未のDVD欲しいんだよね~」
なんて何気なく会話してたりした。
そんな会話してたのなんか忘れてた 数日後…
自分で録画したであろう、倖田來未のDVD(PVとかではなく金スマやタモステ) が父から届いた。
ほしいって聞いたので送ります。父さん
西郷高盛みたいな父が倖田來未を録画する姿を想像して萌えた。
そしてちょっと泣いた。
145 :おさかなくわえた名無しさん :2006/05/23(火) 04:26:38 ID:2vthEk7W
高校で停学処分の前に学校に呼び出しを受けた時、普段車でしか移動しない父が電車で行くと言った
私がいつもどういう道のりを通っているか知りたかったらしい
無口で厳格な父が切符を買うのにあたふたしたり改札で戸惑ったり満員電車で慌てている姿を見て、なんだか切ないというか愛しくなった
と同時に申し訳ない気持ちでいっぱいだった
今でもその時の父の姿思い出すと切なくて泣けてくる
147 :おさかなくわえた名無しさん :2006/05/23(火) 06:13:39 ID:TcJREWMz
この前父さんとバッティングセンターに行った。
病院の帰りに、私の気を晴らそうとしてくれたんだろう。
やってみたら意外にハマっちゃって、80キロまでの球ならたまにしょぼしょぼ当たった。
で、父は120キロに挑戦。
そりゃもう凄くて全部「カキーーーン」と飛んでいく。
で、「すごい!!パパすごいっ!!」と褒めたら
普段厳格な父は「いや、まだまだだよ。」なんて言いながら(ノ´∀`*)←こんな顔してたww
彼氏が出来てから半年振りにまともに喋ったよ、パパン大好きだよ。
ちなみにうちは三人娘に、一人息子だが息子には厳しく、姉と妹には優しく、私は猫っ可愛がりw
「短気で頑固なとこが俺に一番性格似てっからな……あいつ(私)もいいとこあんだよ。」と母親にしょっちゅうこぼしているらしい。
ごめんねパパン、たまには実家帰るよ。
214 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/05(月) 05:58:57 ID:PVEvk6jI
自分の話じゃなくて恐縮なんですが、友達のパパンに萌えた。
「旅に出る」と一言いって急にいなくなったらしい友達の父。
そんなことは初めてだったらしくみんなたいそう心配したそう。
しかし、3日後くらいから葉書が毎日届いた。
「7月23日。父は釧路の港に降り立ち候。薄く煙った霧にかすむ海。」
みたいな堅苦しい感じの文章なんだけど、自分でかいたイラスト入り。
しかも毎日、何を食べた。どこに泊まった。温泉に入った、等事細か。
友達もその絵入り葉書を大事にアルバムに保管してて、見せてくれた。
なんか、ぐっときました。
272 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/12(月) 14:02:29 ID:v6h5YCwY
元々,食の細い父ちゃん。
よくそれだけで,あんな肉体労働できるね?って不思議なくらい。
この間も母ちゃんが「豆腐と枝豆くらいしか食べない」といっていたので,実家に帰った時にハンバーグを作った。
あまり良い出来ではなかったけど,よく食べておかわりまでした。
「美味いから久々によく食べれたよ」と苦しそうにいう父ちゃん。
泣かせるつもりだったのに,泣かせないでくれよ。
357 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/19(月) 16:11:23 ID:b5t0U7jI
書斎に飾ってある絵画の額裏に
私が小さい頃描いた父の似顔絵が貼ってある事を、最近私は知った。
定年退職祝いのプレゼントをにこりともせずに受け取る無愛想な父だが、
時々その絵を見ては、ニヤニヤしているのだと母が教えてくれた。
「ばは だすき」と書かれたその絵に覚えはないけれど、
にこやかに微笑むその顔は知っている。
537 :おさかなくわえた名無しさん :2006/07/11(火) 12:48:01 ID:CzReXlWI
最近気づいた。
子供のころ工作で父ちゃんと願いの叶う箱ってのを自分で作った。
その箱に「500円ほしい」とか「お好み焼き食べてみたい」とか紙に書いて入れておくと
数日中に思わぬお小遣いがもらえたり、お好み焼き屋に連れて行ってもらえていた。
スゲー神様いるんだー!って喜んでたけど
神様は父ちゃんだったんだな・・・。
願いの叶う箱は近所の友達にあげちゃった。
「すごいよ!願い事が叶っちゃうんだから!」とか言って。
もったいないことしたわ。
744 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/06(日) 17:08:04 ID:qm43kBIC
光学式のマウスを買った父。
ブックカバーをマウスパットにしていたので、子犬の寝顔のマウスパットをプレゼントしました。
で、こないだ実家行ったら相変わらずブックカバーを使っているので、母親に事情を聞いたら
「だってマウス上に置いたら見えなくなっちゃうでしょ?」
と言って使わなかったらしいのです。
マウスパットは、窓辺に写真のように飾られていました。
811 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/10(木) 23:37:59 ID:GY0PjiOT
私が小学校5年の父の日。父に買い物に誘われた。
普段から父とは仲良しだったので、喜んでついていった。行き先は御徒町。
どこに行くでもなくプラプラと歩いていたら露店でバッグ類を売っていた。
覗いてみると旅行用の大きな、でも薄っぺらい、お人形がたくさん描いてあるバッグがあり、手にとって見た。
「買うか?」
「いいの?でも今日は娘の日じゃなくて父の日だよ?」
「父の日だから子供に買ってあげるんだよ」
この会話をはっきりと覚えてる。
いいのかなーと思いながら、ニコニコ顔の父に買ってもらいました。
自分が親になった今、父の気持ちが分かります。
娘の笑顔が嬉しかったんだろうなぁ。
流行遅れでボロボロのバッグは、未だに捨てられません。
いや、一生とっとくんだろうな私。
2010年03月11日
泣ける話 24 二度と会えない友達
.483 二度と会えない友達 より
32 :大人になった名無しさん :03/10/26 03:08
小学校の時ラオスの難民の子達が何人か編入され、そのうちの二人と友達になった。
卒業し、中学生になった時、2人とは離れ離れに。
一人は学力が追いつくまで他の小学校に再編入。
もう一人は在学中に白血病で亡くなった。
枯葉剤というものの恐ろしさを知ったのはその時だった。
薬の副作用で髪の毛が抜け落ち、学校生活の半分を保健室で過ごしながらも一生懸命日本語を勉強していた彼女。
2年ほどの短い付き合いだったけど未だに忘れられない。
197 :大人になった名無しさん :04/06/03 21:50
5年前、仕事で一年間インドネシアのアチェに派遣された。
そこで18歳の青年と仲良くなり、同僚達と一緒に彼が働いてる店によく飯を食べにいった。
彼は母親と6歳年下の妹の3人暮らしで、父親は7年前に国軍との戦闘で戦死してしまったらしい。
夢はでっかい店を建てて母と妹に裕福な生活をさせてやる事だとよく言っていた。
派遣されて11ヶ月が過ぎた頃、我々のキャンプに彼がやってきた。
仕事が終わって帰ったら母と妹がいなくなっていたらしい。
俺は同僚達と共に周辺地域を朝まで捜索したが結局見つからなかった。
彼のもとに母と妹は二度と帰ってはこなかった。
俺と同僚達は一年が経ったので帰還した。
非常に後味が悪い仕事だった。
2年後、我々の依頼人であった人物からメールが届いた。
母と妹を失った青年は、我々が帰還してすぐGAMに入ったらしい。
そして、その青年は父親と同じ運命を辿ってしまった。
289 :1/4 :04/10/07 15:58:56
小6の春から3年間同じ塾に通って高校受験を一緒に乗り越えた奴らは男女も越えて、友達というよりは仲間・・
「戦友」という言葉がしっくり来る。
あいつらと出会ってもう10年になるのかな。
私が鬱病で毎日死にたくて苦しんでいた時、一人が
「あんたがたとえ鬱病でも人殺しても借金まみれになっても、味方だから」
って言ってくれたりした。
高校受験で、成功した奴も失敗した奴もいたけど、
もう二度と会えないのは、失敗して大学の付属に行った中の一人の男の子、T君。
第一志望に彼より成績がちょっと悪かったような奴が受かったりもしたのに
笑顔で「おめでとう!良かったな!」って言っていた。
高校に入っても、お互いの文化祭に行ったり、集まって遊んだりして月日は過ぎた。
高3の冬、12月の寒い日だった。
私は受験を控えて、学校が終わった後ミスドで勉強してた。
そこに、仲間のひとりの女の子Aから電話。
「お、ひさしぶり~^^ 元気~?」
能天気な私の言葉に、返ってきたのはそれを打ち砕く一言だった。
「さっきね、T君が亡くなったらしいんだ」
「・・は?う、嘘でしょ?なんで!?」
想像だにしていなかった私は、ドッキリでひっかけようとしてるのかとさえ思った。
「私もT君がずっと入院してたの昨日知って、
明日お見舞い行こうって約束したばっかりなんだよ・・まさか今日死んじゃうなんて・・」
「は!?入院なんてきいてないよ!?」
「みんなは受験があるからって、私たちに心配かけないように秘密にしてたらしいんだ。
入院してるって、昨日T君の学校の人からきいて知ったんだよ。 ・・本当に信じられないよ」
「嘘でしょ・・・」
信じられなかった。
私と同じ年の、18歳の、仲間が、T君が、病気で、死んだ?
頭が真っ白になって、お店の中の雑音も遠くに聴こえた。
もちろん勉強どころじゃなくなって、仲間内に電話をかけまくった。
連絡をとりあって、みんなでお通夜に一緒に行くことにした。
お通夜の日。
色々な制服で集まった。
高校の制服姿の参列客が列を作っていた。
T君は、遺影の中でいつも通り笑っていた。
お焼香の順番が回ってきて、T君そっくりな弟を見たとき涙が溢れた。
泣いている私に向かって、お母さんが深く頭を下げてくれた。
みんな、若い友達が死ぬということに現実感がなかった。
私たちはケンタッキーに行って、学校のことや受験のことを喋ってバカなことをやって、いつも通り笑い合うことしかできなかった。
通夜帰りに笑うなんて不謹慎かもしれない。
でも、どうしても、誰も、T君のことに触れられなかった。
信じたくなかった。
もう会えないなんて、もう話ができないなんて。
お見舞いにすら行けなかった悔しさが胸に渦巻いた。
喋ったら、その瞬間に本当のことになってしまいそうで。
笑っていないと、悲しみが堰を切ってしまって耐え切れないだろうことがみんなわかっていたから。
帰り際、一人の男の子がポツリと言った言葉は今でも忘れない。
「もうこの先50年は、この中の誰も死ぬな。約束だからな。」
T君が亡くなって、もうすぐ4年。
いつもの仲間と飲みながら、ようやくT君の名前が出せるようになってきた。
香典返しに同封されていたテレホンカードは、
今でも未使用のまま財布の中に入れて持ち歩いています。
627 :大人になった名無しさん :2006/03/32(土) 10:04:40
別れの季節から、出会いの季節へ。
どうか、あの人に会えるように。
32 :大人になった名無しさん :03/10/26 03:08
小学校の時ラオスの難民の子達が何人か編入され、そのうちの二人と友達になった。
卒業し、中学生になった時、2人とは離れ離れに。
一人は学力が追いつくまで他の小学校に再編入。
もう一人は在学中に白血病で亡くなった。
枯葉剤というものの恐ろしさを知ったのはその時だった。
薬の副作用で髪の毛が抜け落ち、学校生活の半分を保健室で過ごしながらも一生懸命日本語を勉強していた彼女。
2年ほどの短い付き合いだったけど未だに忘れられない。
197 :大人になった名無しさん :04/06/03 21:50
5年前、仕事で一年間インドネシアのアチェに派遣された。
そこで18歳の青年と仲良くなり、同僚達と一緒に彼が働いてる店によく飯を食べにいった。
彼は母親と6歳年下の妹の3人暮らしで、父親は7年前に国軍との戦闘で戦死してしまったらしい。
夢はでっかい店を建てて母と妹に裕福な生活をさせてやる事だとよく言っていた。
派遣されて11ヶ月が過ぎた頃、我々のキャンプに彼がやってきた。
仕事が終わって帰ったら母と妹がいなくなっていたらしい。
俺は同僚達と共に周辺地域を朝まで捜索したが結局見つからなかった。
彼のもとに母と妹は二度と帰ってはこなかった。
俺と同僚達は一年が経ったので帰還した。
非常に後味が悪い仕事だった。
2年後、我々の依頼人であった人物からメールが届いた。
母と妹を失った青年は、我々が帰還してすぐGAMに入ったらしい。
そして、その青年は父親と同じ運命を辿ってしまった。
289 :1/4 :04/10/07 15:58:56
小6の春から3年間同じ塾に通って高校受験を一緒に乗り越えた奴らは男女も越えて、友達というよりは仲間・・
「戦友」という言葉がしっくり来る。
あいつらと出会ってもう10年になるのかな。
私が鬱病で毎日死にたくて苦しんでいた時、一人が
「あんたがたとえ鬱病でも人殺しても借金まみれになっても、味方だから」
って言ってくれたりした。
高校受験で、成功した奴も失敗した奴もいたけど、
もう二度と会えないのは、失敗して大学の付属に行った中の一人の男の子、T君。
第一志望に彼より成績がちょっと悪かったような奴が受かったりもしたのに
笑顔で「おめでとう!良かったな!」って言っていた。
高校に入っても、お互いの文化祭に行ったり、集まって遊んだりして月日は過ぎた。
高3の冬、12月の寒い日だった。
私は受験を控えて、学校が終わった後ミスドで勉強してた。
そこに、仲間のひとりの女の子Aから電話。
「お、ひさしぶり~^^ 元気~?」
能天気な私の言葉に、返ってきたのはそれを打ち砕く一言だった。
「さっきね、T君が亡くなったらしいんだ」
「・・は?う、嘘でしょ?なんで!?」
想像だにしていなかった私は、ドッキリでひっかけようとしてるのかとさえ思った。
「私もT君がずっと入院してたの昨日知って、
明日お見舞い行こうって約束したばっかりなんだよ・・まさか今日死んじゃうなんて・・」
「は!?入院なんてきいてないよ!?」
「みんなは受験があるからって、私たちに心配かけないように秘密にしてたらしいんだ。
入院してるって、昨日T君の学校の人からきいて知ったんだよ。 ・・本当に信じられないよ」
「嘘でしょ・・・」
信じられなかった。
私と同じ年の、18歳の、仲間が、T君が、病気で、死んだ?
頭が真っ白になって、お店の中の雑音も遠くに聴こえた。
もちろん勉強どころじゃなくなって、仲間内に電話をかけまくった。
連絡をとりあって、みんなでお通夜に一緒に行くことにした。
お通夜の日。
色々な制服で集まった。
高校の制服姿の参列客が列を作っていた。
T君は、遺影の中でいつも通り笑っていた。
お焼香の順番が回ってきて、T君そっくりな弟を見たとき涙が溢れた。
泣いている私に向かって、お母さんが深く頭を下げてくれた。
みんな、若い友達が死ぬということに現実感がなかった。
私たちはケンタッキーに行って、学校のことや受験のことを喋ってバカなことをやって、いつも通り笑い合うことしかできなかった。
通夜帰りに笑うなんて不謹慎かもしれない。
でも、どうしても、誰も、T君のことに触れられなかった。
信じたくなかった。
もう会えないなんて、もう話ができないなんて。
お見舞いにすら行けなかった悔しさが胸に渦巻いた。
喋ったら、その瞬間に本当のことになってしまいそうで。
笑っていないと、悲しみが堰を切ってしまって耐え切れないだろうことがみんなわかっていたから。
帰り際、一人の男の子がポツリと言った言葉は今でも忘れない。
「もうこの先50年は、この中の誰も死ぬな。約束だからな。」
T君が亡くなって、もうすぐ4年。
いつもの仲間と飲みながら、ようやくT君の名前が出せるようになってきた。
香典返しに同封されていたテレホンカードは、
今でも未使用のまま財布の中に入れて持ち歩いています。
627 :大人になった名無しさん :2006/03/32(土) 10:04:40
別れの季節から、出会いの季節へ。
どうか、あの人に会えるように。
2010年03月11日
泣ける話 23 思い出の一本
No.487 思い出の一本 ( )y-o O O より
710 :名無しは20歳になってから :04/03/09 23:01
大好きな叔父さんがいた。
柔道をやってた叔父さんはガッチリしてて、酒も強かった。
少し酒臭かったけど叔父さんの膝の上が好きだった。
ずっと兄が欲しかった親父も「兄貴」と親しんでいた。
叔父さんは俺の誕生日にいつも欲しい物をくれた。
遠慮がちの子供だった俺は親にも欲しい物を言ってなかったのに、
どういうわけか俺の欲しかった物をピタリと当てて買ってきてくれていた。
小学校最後の誕生日に叔父さんが家に来た。
「はい。誕生日おめでとう。」と渡されたのは安いトランプだった。
全然嬉しくなかったのに俺は一生懸命笑顔を作って「ありがとう」と言った。
残念がってるのにそれを隠そうとする俺を見た叔父さんは「男だな、お前は。」とニコっと笑って、
後ろに隠していた当時並んでも手に入らなかったスーパーファミコンとソフト3本を手渡してくれた。
そんな意地悪をする叔父さんが憎かったけど大好きだった。
叔父さんが次の日、突然失踪した。
原因は当時わからなかったけど今思えば納得がいく。
金があればすぐブランド物に手を出す叔母さん、そんな娘を何よりも愛する祖父。
比較的高学歴高収入のウチの家系で高卒の一般サラリーマンの叔父さんをよく思っていたのは俺と俺の両親だけだった。
いつの間にか叔父さんの失踪も記憶から薄まってきた10年が過ぎたつい先日、
大学から帰った俺が部屋に着いて煙草に火をつけて間もなく、母親が俺の部屋のドアをノックした。
「○○叔父さんね、死んだって」
ウチの家系からは誰も葬式に出なかったらしい。
俺の両親も妻や祖父に止められてどうしても出させてもらえなかったらしい。
(そもそも叔父さん側の肉親がウチの家系を憎んでいたため簡単には出れるとは思っていないが。)
俺は悲しみと悔しさで涙をこらえるのが精一杯だった。
母が俺の部屋を出るときに言った。
「あんたは覚えてないかもしれないけどね。あんたが吸ってるその煙草、叔父さんも吸ってたのよ。」
せめて煙草の火を消すまで泣くまいと思ったが、ドアが閉まってすぐに声をあげて泣いた。
火を付けただけでほとんど吸わずにフィルターまで灰にした思い出の一本。
218 :名無しは20歳になってから :03/04/08 01:15
吸い出してから田舎に遊びに行った時、いつも帰る寸前は、軒先で吸っていました。
それを見ていた家の叔母ちゃんが、「そこで吸うと美味しいかろ、爺さんも、父さんも、
そこで、吸ってから、家を出ていったんよ」と聞いて(爺さん、父さんと一緒に吸ったことがない)
それから、弟と二人、少しでも、親父達と共通の思い出の時間がほしいと、火をつけて
吸わずに、ずっと、そこから見える風景を眺めるようになりました。
522 :名無しは20歳になってから :03/10/19 21:14
大学に入って彼氏が出来た。
私の事が好きだと言って、この人なら好きになれそうだと、押されて付き合った。
話しの流れで私が煙草を吸ってることを知った彼は、「もう吸わないで」と言った。
私はその時「付き合ってるからって指図されたくない。
○○(彼氏)の前では吸ったりしないし、関係ない。なんでそんな事言うの」
とちょっと不機嫌になった。
でも彼は、好きな人の身体を心配するのは当然だよ、吸ってほしくないと言った。
いまいちピンと来なかったけど、一生懸命そう言う彼を見て、もう吸わないと言った。
彼も以前は煙草を吸っていた人で、ヘビースモーカーの友達とバイトしていたときには
ガマン出来ずに喫煙してた時があった。
その時私は「人に吸うなっていうんだから○○も吸っちゃだめだよ」と怒った。
また彼は煙草をすわなくなった。二人で煙草はだめだよと言い合った。
今思えばそれもちょっとした束縛だったのかな。
私は彼を本当に好きになって、好きな人と一緒にいる喜びとか、愛しさを知った。
でも、私の気持ちが彼への思いでいっぱいの時に、彼の気持ちはゆっくりと冷めていった。
彼の変化に戸惑って、何度も電話したりメールを送った。
この先どうなるんだろうと思って眠れない夜を過ごした。食事も食べられなくなって、4キロ痩せた。
結局そんな毎日に疲れて、私は彼に「別れよう」とメールを打った。
彼は引きとめもせず、あっさりと私達の関係は終わった。
煙草を買って火をつけて、一緒に撮ったプリクラと写真と、二人で行った場所のチケットを破って捨てた。
毎晩毎晩泣いて、彼の夢を見て、朝起きて途方にくれる。
いつかまた、私を愛してくれる人が現れたら禁煙しようって思います…。
876 :前編 :04/05/21 08:22
では俺も一服。
数年前、姉が死んだ。白血病。煙草が嫌いで、酒は二十歳で止めていた。
2年近くも無菌室に入っていて、白い肌が自慢だったのに、死んだときは真黒になってた。
自分自身、「いつ死んでも動じない」ってつもりでいたし、通夜の夜はそうしていた。
お葬式が済むと焼き場に行った。みんなが泣く。こいつら馬鹿じゃないかと思った。
一旦家に帰り、時間を潰して、焼きあがったころにもう一度焼き場に行く。
骨だけになっていた。それを壷に入れて、箸で潰して、ぐしゃぐしゃにして蓋をする。
身長160センチの姉が高さ40センチに満たない壷に収まった。
877 :後編 :04/05/21 08:30
急に泣きたくなった。隠したくて、胸元探りながら親戚の兄ちゃんに訊いた。
「煙草吸っていいですかね?」
声が初めて震えた。兄ちゃんは困った顔で「駄目だろ」と言った。
それから自分でも止められないくらい泣いて、父親にしがみついて泣いた。
帰って、誰にも見られない部屋で吸った。
フィルターが手についた涙でふやけるくらい泣きながら。
ふやふやになった煙草の味と形。忘れられない一本です。
319 :名無しは20歳になってから :03/06/22 20:51
そいつは何も取り柄の無い…むしろ、ダメな部分しか無い奴だった。
学生時代はイヂメしか思い出が無く、小企業に入っても
仕事の失敗ばかりを繰り返しては上司にしかられる毎日。
もちろん、彼女もいなければ20になっても童貞のまま。
人生が嫌になって、とうとう首をくくる時が来た。
死んだほうが生きているよりもいいだろう、まさしく死んだほうがマシ ってやつだ。
でも、いざロープを目の前にすると恐怖でなかなか先に進めない。
死ぬ勇気すらも無い、完全な落ちこぼれ 社会のゴミ。
そんな彼は、21という若さで会社をクビになった。
死ぬ勇気も不良やホームレスになる勇気も無い。
まさしく生き地獄だった。
実家に帰り、嫌で仕方の無かった親の家業を継ぐことになった。
親はしがない町のおもちゃ屋だった。
近くの小学校の全校生徒合わせて10人もいないガキが客。
おもちゃが売れるわけも無かった。
そんなある日、親父が42という若さでこの世を去った、死因は単なる風邪だった。
そして、とうとう店をたたむことになった。
おもちゃは捨てるのはもったいないので、売ることにした。
そして、人生の転機は訪れた…
古いおもちゃのほとんどに莫大なプレミア価格がついているものが山ほどあったのだ。
そして、その日初めて 親父と同じマイセンに火をつけた。
今、その彼はマンションを買い、生活費も楽に稼いでいる
嫁も子供も出来て幸せな生活が手に入った…
親父の吸っていたマイセンをくわえて毎日親父の遺影に手を合わせて
心から感謝の言葉を並べる。
線香と1本のマイセンを立てて…
今日も俺は親父への感謝を忘れない。
335 :名無しは20歳になってから :03/07/23 23:35
高3の秋、大好きだったおじいちゃんが亡くなりました。
母方の祖父で、私は(今もですが)父と仲が悪く、あまり好きじゃなかったので
父に怒られたり殴られたりした時はいつもおじいちゃんの家に逃げていました。
高校生になってもボロボロ泣いて飛び込んでくる私におじいちゃんは何も聞かずに、
たくさん用意してあるお菓子を目の前に出しては
「そんなに泣かないでいいから、これ食べてお茶でも飲め」
と、慰めてくれました。
仕事熱心であんなに元気だったおじいちゃんも、4年前に膵臓癌で亡くなりました。
最近おばあちゃんと2人で、おじいちゃんの使っていた農作業用具の物置を掃除していたら、
見覚えのあるタバコ入れが落ちていました。
病気になってから家族に喫煙をとめられていたにもかかわらず、きっと物置に隠れて
こっそり吸っていたんじゃないかと思います。
小さい頃からいつも見ていた青いタバコ入れが物置にポツンと落ちているのを見て、
私は涙が止まりませんでした。
たまに大声で怒鳴っても、私にはいつも優しかった。
昏睡状態に入る何日か前、私に笑いかけながら言おうとした言葉は何だったのか、
聞きたいことも話したいこともまだまだいっぱいありました。
4年経った今でも、ぶどう畑に行けば、青いタバコ入れを胸ポケットに入れたおじいちゃんが
黙々と働いているんじゃないかと思ったりもします。
タバコ入れはお仏壇の引き出しにしまってあります。
いつか私が結婚して家を出ることになったら、持って行きたいと思ってます。
710 :名無しは20歳になってから :04/03/09 23:01
大好きな叔父さんがいた。
柔道をやってた叔父さんはガッチリしてて、酒も強かった。
少し酒臭かったけど叔父さんの膝の上が好きだった。
ずっと兄が欲しかった親父も「兄貴」と親しんでいた。
叔父さんは俺の誕生日にいつも欲しい物をくれた。
遠慮がちの子供だった俺は親にも欲しい物を言ってなかったのに、
どういうわけか俺の欲しかった物をピタリと当てて買ってきてくれていた。
小学校最後の誕生日に叔父さんが家に来た。
「はい。誕生日おめでとう。」と渡されたのは安いトランプだった。
全然嬉しくなかったのに俺は一生懸命笑顔を作って「ありがとう」と言った。
残念がってるのにそれを隠そうとする俺を見た叔父さんは「男だな、お前は。」とニコっと笑って、
後ろに隠していた当時並んでも手に入らなかったスーパーファミコンとソフト3本を手渡してくれた。
そんな意地悪をする叔父さんが憎かったけど大好きだった。
叔父さんが次の日、突然失踪した。
原因は当時わからなかったけど今思えば納得がいく。
金があればすぐブランド物に手を出す叔母さん、そんな娘を何よりも愛する祖父。
比較的高学歴高収入のウチの家系で高卒の一般サラリーマンの叔父さんをよく思っていたのは俺と俺の両親だけだった。
いつの間にか叔父さんの失踪も記憶から薄まってきた10年が過ぎたつい先日、
大学から帰った俺が部屋に着いて煙草に火をつけて間もなく、母親が俺の部屋のドアをノックした。
「○○叔父さんね、死んだって」
ウチの家系からは誰も葬式に出なかったらしい。
俺の両親も妻や祖父に止められてどうしても出させてもらえなかったらしい。
(そもそも叔父さん側の肉親がウチの家系を憎んでいたため簡単には出れるとは思っていないが。)
俺は悲しみと悔しさで涙をこらえるのが精一杯だった。
母が俺の部屋を出るときに言った。
「あんたは覚えてないかもしれないけどね。あんたが吸ってるその煙草、叔父さんも吸ってたのよ。」
せめて煙草の火を消すまで泣くまいと思ったが、ドアが閉まってすぐに声をあげて泣いた。
火を付けただけでほとんど吸わずにフィルターまで灰にした思い出の一本。
218 :名無しは20歳になってから :03/04/08 01:15
吸い出してから田舎に遊びに行った時、いつも帰る寸前は、軒先で吸っていました。
それを見ていた家の叔母ちゃんが、「そこで吸うと美味しいかろ、爺さんも、父さんも、
そこで、吸ってから、家を出ていったんよ」と聞いて(爺さん、父さんと一緒に吸ったことがない)
それから、弟と二人、少しでも、親父達と共通の思い出の時間がほしいと、火をつけて
吸わずに、ずっと、そこから見える風景を眺めるようになりました。
522 :名無しは20歳になってから :03/10/19 21:14
大学に入って彼氏が出来た。
私の事が好きだと言って、この人なら好きになれそうだと、押されて付き合った。
話しの流れで私が煙草を吸ってることを知った彼は、「もう吸わないで」と言った。
私はその時「付き合ってるからって指図されたくない。
○○(彼氏)の前では吸ったりしないし、関係ない。なんでそんな事言うの」
とちょっと不機嫌になった。
でも彼は、好きな人の身体を心配するのは当然だよ、吸ってほしくないと言った。
いまいちピンと来なかったけど、一生懸命そう言う彼を見て、もう吸わないと言った。
彼も以前は煙草を吸っていた人で、ヘビースモーカーの友達とバイトしていたときには
ガマン出来ずに喫煙してた時があった。
その時私は「人に吸うなっていうんだから○○も吸っちゃだめだよ」と怒った。
また彼は煙草をすわなくなった。二人で煙草はだめだよと言い合った。
今思えばそれもちょっとした束縛だったのかな。
私は彼を本当に好きになって、好きな人と一緒にいる喜びとか、愛しさを知った。
でも、私の気持ちが彼への思いでいっぱいの時に、彼の気持ちはゆっくりと冷めていった。
彼の変化に戸惑って、何度も電話したりメールを送った。
この先どうなるんだろうと思って眠れない夜を過ごした。食事も食べられなくなって、4キロ痩せた。
結局そんな毎日に疲れて、私は彼に「別れよう」とメールを打った。
彼は引きとめもせず、あっさりと私達の関係は終わった。
煙草を買って火をつけて、一緒に撮ったプリクラと写真と、二人で行った場所のチケットを破って捨てた。
毎晩毎晩泣いて、彼の夢を見て、朝起きて途方にくれる。
いつかまた、私を愛してくれる人が現れたら禁煙しようって思います…。
876 :前編 :04/05/21 08:22
では俺も一服。
数年前、姉が死んだ。白血病。煙草が嫌いで、酒は二十歳で止めていた。
2年近くも無菌室に入っていて、白い肌が自慢だったのに、死んだときは真黒になってた。
自分自身、「いつ死んでも動じない」ってつもりでいたし、通夜の夜はそうしていた。
お葬式が済むと焼き場に行った。みんなが泣く。こいつら馬鹿じゃないかと思った。
一旦家に帰り、時間を潰して、焼きあがったころにもう一度焼き場に行く。
骨だけになっていた。それを壷に入れて、箸で潰して、ぐしゃぐしゃにして蓋をする。
身長160センチの姉が高さ40センチに満たない壷に収まった。
877 :後編 :04/05/21 08:30
急に泣きたくなった。隠したくて、胸元探りながら親戚の兄ちゃんに訊いた。
「煙草吸っていいですかね?」
声が初めて震えた。兄ちゃんは困った顔で「駄目だろ」と言った。
それから自分でも止められないくらい泣いて、父親にしがみついて泣いた。
帰って、誰にも見られない部屋で吸った。
フィルターが手についた涙でふやけるくらい泣きながら。
ふやふやになった煙草の味と形。忘れられない一本です。
319 :名無しは20歳になってから :03/06/22 20:51
そいつは何も取り柄の無い…むしろ、ダメな部分しか無い奴だった。
学生時代はイヂメしか思い出が無く、小企業に入っても
仕事の失敗ばかりを繰り返しては上司にしかられる毎日。
もちろん、彼女もいなければ20になっても童貞のまま。
人生が嫌になって、とうとう首をくくる時が来た。
死んだほうが生きているよりもいいだろう、まさしく死んだほうがマシ ってやつだ。
でも、いざロープを目の前にすると恐怖でなかなか先に進めない。
死ぬ勇気すらも無い、完全な落ちこぼれ 社会のゴミ。
そんな彼は、21という若さで会社をクビになった。
死ぬ勇気も不良やホームレスになる勇気も無い。
まさしく生き地獄だった。
実家に帰り、嫌で仕方の無かった親の家業を継ぐことになった。
親はしがない町のおもちゃ屋だった。
近くの小学校の全校生徒合わせて10人もいないガキが客。
おもちゃが売れるわけも無かった。
そんなある日、親父が42という若さでこの世を去った、死因は単なる風邪だった。
そして、とうとう店をたたむことになった。
おもちゃは捨てるのはもったいないので、売ることにした。
そして、人生の転機は訪れた…
古いおもちゃのほとんどに莫大なプレミア価格がついているものが山ほどあったのだ。
そして、その日初めて 親父と同じマイセンに火をつけた。
今、その彼はマンションを買い、生活費も楽に稼いでいる
嫁も子供も出来て幸せな生活が手に入った…
親父の吸っていたマイセンをくわえて毎日親父の遺影に手を合わせて
心から感謝の言葉を並べる。
線香と1本のマイセンを立てて…
今日も俺は親父への感謝を忘れない。
335 :名無しは20歳になってから :03/07/23 23:35
高3の秋、大好きだったおじいちゃんが亡くなりました。
母方の祖父で、私は(今もですが)父と仲が悪く、あまり好きじゃなかったので
父に怒られたり殴られたりした時はいつもおじいちゃんの家に逃げていました。
高校生になってもボロボロ泣いて飛び込んでくる私におじいちゃんは何も聞かずに、
たくさん用意してあるお菓子を目の前に出しては
「そんなに泣かないでいいから、これ食べてお茶でも飲め」
と、慰めてくれました。
仕事熱心であんなに元気だったおじいちゃんも、4年前に膵臓癌で亡くなりました。
最近おばあちゃんと2人で、おじいちゃんの使っていた農作業用具の物置を掃除していたら、
見覚えのあるタバコ入れが落ちていました。
病気になってから家族に喫煙をとめられていたにもかかわらず、きっと物置に隠れて
こっそり吸っていたんじゃないかと思います。
小さい頃からいつも見ていた青いタバコ入れが物置にポツンと落ちているのを見て、
私は涙が止まりませんでした。
たまに大声で怒鳴っても、私にはいつも優しかった。
昏睡状態に入る何日か前、私に笑いかけながら言おうとした言葉は何だったのか、
聞きたいことも話したいこともまだまだいっぱいありました。
4年経った今でも、ぶどう畑に行けば、青いタバコ入れを胸ポケットに入れたおじいちゃんが
黙々と働いているんじゃないかと思ったりもします。
タバコ入れはお仏壇の引き出しにしまってあります。
いつか私が結婚して家を出ることになったら、持って行きたいと思ってます。
2010年03月11日
泣ける話 22 泣ける思い出
No.488 泣ける思い出話しようぜ より
134 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 02:55:19 ID:aMjldn2b
中学の頃、学校でいじめにあっていた、教室に入れなくていつも保険室に通っていた。
いじめの事は家族にも言っていない、ただ私のワガママで保険室に通っているだけ、と教師、両親は思っていた。
いじめは段々とエスカレートし、また陰湿だった…
でも回りに心配かけたく無くて、いつも無理して笑っていた。
辛くて孤独でどうしようも無くて、死んでしまおうと決心した日、高校生の兄が修学旅行から帰って来て私にお土産をくれた。
どこかのドライブインに売っているような、キーホルダーのオルゴール、長崎に行って来たハズなのに…
幼い頃から、兄と常に一緒にいたが、兄にはいつもイジメられた記憶しか無い。
だから、長崎のお土産を私にだけはくれなかった、そう思った瞬間、学校でのイジメと重なり、私はそのお土産を『こんなのいらない!!』と投げつけてしまった…
すると、その衝撃でオルゴールがなった、題名は知らないけど
『涙など見せない強気なアナタをこんなに悲しませてるのは誰なの?』
って言う歌詞の曲が…
兄は、何も言わずにそのお土産を拾おうとしゃがんだ、兄は泣いていた。
初めて兄が泣いているのを見て、呆然としていると、兄がポソリと言った
『お前をイジメて良いのは、兄貴の俺だけだ、それ以外のヤツがお前をイジメるのは許せない、俺は知ってるから、お前が家で我慢して笑ってる事。
小さい頃からいつも俺の前で泣いてたんだから、我慢なんかしなくて良いんだぞ。
俺は、イジメてばかりの兄貴だけど、他人に妹をイジメられて黙っていられる兄貴じゃないからな。』
138 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 04:19:47 ID:aMjldn2b
その言葉を聞いて、私は号泣、学校のイジメの事を全て吐き出しました、泣きすぎて喘息で咳き込みながら、全部…
兄は横に座って聞いてくれていました。
全部話し終わると、『よく頑張った』と一言言って頭をポンポンと撫で、
『今日は寝ろ、明日は学校行かなくて良い』 と言って部屋から出て行きました。
暫く一階で母親と兄が会話している声が聞こえてきました。
翌日から暫く学校を休み、再び登校すると、イジメはかなりされなくなっていました。
教師に聞くと、兄が中学の教員室に乗り込みぶちギレて行った様でした。
高校の生徒会長が乗り込んで来た為、教師も慌ててイジメに関して動き、結果私を含め多人数がイジメの被害にあっていた事も判明しました。
その何年か後、私は旦那と知り合い、結婚式を挙げた時、兄貴は
『小さい頃から、俺は妹をイジメて泣かして来た、
でも、お前をイジメるヤツは俺は許さない、
どうかこれからは、俺の変わりに守ってやってくれ。』と…
兄ちゃん、今日は兄ちゃんの結婚式だよ、お返しに今日は私が兄ちゃんを泣かすから。
139 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 11:34:21 ID:XpSTD73+
涙など見せない強気なアナタを~
『元気をだして/竹内まりや』
100 :おさかなくわえた名無しさん :2007/09/09(日) 07:37:01 ID:bAHHBoA+
昨日娘の一歳の誕生日でした。
朝、誕生日の支度をしていると母が一つの古い包みを持って来ました。
包装紙は黄色く変色し、リボンもクシャクシャなソレを母は私に渡すと、『お父さんからだよ』と一言言って、奥の部屋へ行ってしまいました。
お父さんからって…お父さんはもう12年前に亡くなったじゃないか…と思いながら包装を解くと、木彫りのオルゴールが出て来ました。
蓋を開けると、メッセージカードが入っており、ソレには
『お爺ちゃんの孫へ、 あなたのママが生まれた日、このオルゴールを見つけました、いつかはあなたのママもお爺ちゃんの様に親になる日の為に、このオルゴールを送ります。 パパになったばかりのお爺ちゃんより。』
生きてる時、随分気の早い性格な人だったと覚えていたケド…
こんなに気が早いなんて、亡くなる前に母にこの包みを渡して『孫が出来て、一歳の誕生日に渡してくれ。』と頼んだらしい。
ありがとう、お父さん。
236 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/26(金) 22:11:09 ID:vBWJM1zv
交通事故に遭って左半身に少し麻痺が残り、
日常生活困るほどではないけど、歩くとおかしいのがばれる。
付き合い始めの頃、それを気にして一歩下がるように歩いてた私に気付いて
手をつないで一緒に並んで歩いてくれた。
家に帰ってから訳を聞かれて「○君に恥ずかしい思いをさせたくなかったから」
って言ったら「どうしてそんな考え方をするんだ」と怒られたので
「大好きだった○君と付き合えてるだけで幸せだから。
私と付き合うことで○君に少しでも嫌な思いをさせたくないから」
と言ったら泣きながら私の両手を持って目の中を覗き込むようにして諭してくれた。
「俺はお前と付き合ってあげてるわけじゃない。
俺がお前を好きで一緒にいたい、付き合いたいと思ったから付き合ってるんだ。
お前の体のことなんか、ずっと前から知ってたけど、
一緒に歩いて恥ずかしいなんて一回だって思った事はないよ。
お前がそんな風に考えてるのが俺は悲しい。
俺に気を使わないで。自分の事を恥じないで。
もっと自信をもって胸を張ってほしい。
ずっと並んで歩こうよ。お前は俺の自慢の彼女なんだから」
私のことをここまで思ってくれる人には絶対会えないと思う。
すごく嬉しくて、涙が止まらなかった。
今は、どこに行くときも並んで歩いています。
140 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 12:10:14 ID:aMjldn2b
今着付けが終わって覗いたら、曲の題名が!!
ちょっと行って探して買って来ます!!
ありがとうございます!上の方!!
141 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 12:24:04 ID:XpSTD73+
>>140
急げ妹!曲をBGMに兄を泣かせてやれ!
143 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 21:52:42 ID:aMjldn2b
何とか走り回って CDを見つけて買い、式に間に合わせました。
途中転んで、着物はボロボロになりましたが…
良かった、本当に今日思い出の曲が判るなんて、式でこの曲と一緒に手紙を読みました、中学の頃の話しです。
オルゴールの事も話しました、私も兄ちゃんもボロボロ泣いて、お義姉さんも泣いていました。
いつか、思い出になったら、またここに書き込みさせて下さい。
曲名を教えて下さって本当に本当にありがとうございました。
134 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 02:55:19 ID:aMjldn2b
中学の頃、学校でいじめにあっていた、教室に入れなくていつも保険室に通っていた。
いじめの事は家族にも言っていない、ただ私のワガママで保険室に通っているだけ、と教師、両親は思っていた。
いじめは段々とエスカレートし、また陰湿だった…
でも回りに心配かけたく無くて、いつも無理して笑っていた。
辛くて孤独でどうしようも無くて、死んでしまおうと決心した日、高校生の兄が修学旅行から帰って来て私にお土産をくれた。
どこかのドライブインに売っているような、キーホルダーのオルゴール、長崎に行って来たハズなのに…
幼い頃から、兄と常に一緒にいたが、兄にはいつもイジメられた記憶しか無い。
だから、長崎のお土産を私にだけはくれなかった、そう思った瞬間、学校でのイジメと重なり、私はそのお土産を『こんなのいらない!!』と投げつけてしまった…
すると、その衝撃でオルゴールがなった、題名は知らないけど
『涙など見せない強気なアナタをこんなに悲しませてるのは誰なの?』
って言う歌詞の曲が…
兄は、何も言わずにそのお土産を拾おうとしゃがんだ、兄は泣いていた。
初めて兄が泣いているのを見て、呆然としていると、兄がポソリと言った
『お前をイジメて良いのは、兄貴の俺だけだ、それ以外のヤツがお前をイジメるのは許せない、俺は知ってるから、お前が家で我慢して笑ってる事。
小さい頃からいつも俺の前で泣いてたんだから、我慢なんかしなくて良いんだぞ。
俺は、イジメてばかりの兄貴だけど、他人に妹をイジメられて黙っていられる兄貴じゃないからな。』
138 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 04:19:47 ID:aMjldn2b
その言葉を聞いて、私は号泣、学校のイジメの事を全て吐き出しました、泣きすぎて喘息で咳き込みながら、全部…
兄は横に座って聞いてくれていました。
全部話し終わると、『よく頑張った』と一言言って頭をポンポンと撫で、
『今日は寝ろ、明日は学校行かなくて良い』 と言って部屋から出て行きました。
暫く一階で母親と兄が会話している声が聞こえてきました。
翌日から暫く学校を休み、再び登校すると、イジメはかなりされなくなっていました。
教師に聞くと、兄が中学の教員室に乗り込みぶちギレて行った様でした。
高校の生徒会長が乗り込んで来た為、教師も慌ててイジメに関して動き、結果私を含め多人数がイジメの被害にあっていた事も判明しました。
その何年か後、私は旦那と知り合い、結婚式を挙げた時、兄貴は
『小さい頃から、俺は妹をイジメて泣かして来た、
でも、お前をイジメるヤツは俺は許さない、
どうかこれからは、俺の変わりに守ってやってくれ。』と…
兄ちゃん、今日は兄ちゃんの結婚式だよ、お返しに今日は私が兄ちゃんを泣かすから。
139 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 11:34:21 ID:XpSTD73+
涙など見せない強気なアナタを~
『元気をだして/竹内まりや』
100 :おさかなくわえた名無しさん :2007/09/09(日) 07:37:01 ID:bAHHBoA+
昨日娘の一歳の誕生日でした。
朝、誕生日の支度をしていると母が一つの古い包みを持って来ました。
包装紙は黄色く変色し、リボンもクシャクシャなソレを母は私に渡すと、『お父さんからだよ』と一言言って、奥の部屋へ行ってしまいました。
お父さんからって…お父さんはもう12年前に亡くなったじゃないか…と思いながら包装を解くと、木彫りのオルゴールが出て来ました。
蓋を開けると、メッセージカードが入っており、ソレには
『お爺ちゃんの孫へ、 あなたのママが生まれた日、このオルゴールを見つけました、いつかはあなたのママもお爺ちゃんの様に親になる日の為に、このオルゴールを送ります。 パパになったばかりのお爺ちゃんより。』
生きてる時、随分気の早い性格な人だったと覚えていたケド…
こんなに気が早いなんて、亡くなる前に母にこの包みを渡して『孫が出来て、一歳の誕生日に渡してくれ。』と頼んだらしい。
ありがとう、お父さん。
236 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/26(金) 22:11:09 ID:vBWJM1zv
交通事故に遭って左半身に少し麻痺が残り、
日常生活困るほどではないけど、歩くとおかしいのがばれる。
付き合い始めの頃、それを気にして一歩下がるように歩いてた私に気付いて
手をつないで一緒に並んで歩いてくれた。
家に帰ってから訳を聞かれて「○君に恥ずかしい思いをさせたくなかったから」
って言ったら「どうしてそんな考え方をするんだ」と怒られたので
「大好きだった○君と付き合えてるだけで幸せだから。
私と付き合うことで○君に少しでも嫌な思いをさせたくないから」
と言ったら泣きながら私の両手を持って目の中を覗き込むようにして諭してくれた。
「俺はお前と付き合ってあげてるわけじゃない。
俺がお前を好きで一緒にいたい、付き合いたいと思ったから付き合ってるんだ。
お前の体のことなんか、ずっと前から知ってたけど、
一緒に歩いて恥ずかしいなんて一回だって思った事はないよ。
お前がそんな風に考えてるのが俺は悲しい。
俺に気を使わないで。自分の事を恥じないで。
もっと自信をもって胸を張ってほしい。
ずっと並んで歩こうよ。お前は俺の自慢の彼女なんだから」
私のことをここまで思ってくれる人には絶対会えないと思う。
すごく嬉しくて、涙が止まらなかった。
今は、どこに行くときも並んで歩いています。
140 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 12:10:14 ID:aMjldn2b
今着付けが終わって覗いたら、曲の題名が!!
ちょっと行って探して買って来ます!!
ありがとうございます!上の方!!
141 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 12:24:04 ID:XpSTD73+
>>140
急げ妹!曲をBGMに兄を泣かせてやれ!
143 :おさかなくわえた名無しさん :2007/10/02(火) 21:52:42 ID:aMjldn2b
何とか走り回って CDを見つけて買い、式に間に合わせました。
途中転んで、着物はボロボロになりましたが…
良かった、本当に今日思い出の曲が判るなんて、式でこの曲と一緒に手紙を読みました、中学の頃の話しです。
オルゴールの事も話しました、私も兄ちゃんもボロボロ泣いて、お義姉さんも泣いていました。
いつか、思い出になったら、またここに書き込みさせて下さい。
曲名を教えて下さって本当に本当にありがとうございました。