2010年02月12日
泣ける話 9 父親編
330 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/17(土) 22:05:08 ID:yX0VN6j+
今日一日早く父の日のプレゼントが実家に届いたらしい。
俺は事前に何にも言ってなかったし、今まであげたこともなかった。
けどこのスレ(をまとめたブログだけど)見ててあげようと思った。
品は親父様の好きなビール。
それもベルギーの地ビールとかいう普段はあまり呑まなさそうなの。
俺は成人はしてるがアルコール類さっぱりなのでそれが旨いのか不味いのかわからずに送るよう手配したのだが、それで今日電話があった。
「何?」(用件は判ってたがちょっと恥ずかしかった
「あのさ、ええと、ありがと。ビール」(親父も照れくさそう
「ああ、うん。旨かった?」
と聞いた瞬間照れくささが吹っ飛んだのか、電話の向こうで絶対(´∀`) みたいな顔して語りだした。
「美味いよ! いやーやっぱり地ビールだから独特の味がね…」
その口調が非常に珍しく電話越しにも浮かれているのが判って萌えたんだが、
「昼ごろ荷物来たんだけどさ、お母さんが勝手に開けちゃってさ、もー俺にきた荷物なのに勝手にあけちゃってさ」
とか語りだして、電話の向こうでオカンも
「おとーさんほとんど一人で飲んだじゃない!」とか言ってるの聞こえて更に萌え。
でも、「……お前と一緒に呑みたかったなあ」と言われてトドメのようにキュンときた。
あと何年かして呑めるようになったら、呑もう。
何ならそのベルギービールもう一度買うたるから。
何度も何度も「ありがと」って言われた。
思えば多分二十何年一度もあげてなかったもんな。
393 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/23(金) 14:37:37 ID:O7iQY3zM
二年前に母を亡くした我が家は娘二人と父の3人暮らし。
父は最近やっと一人でコンビニへ行けるようになった。
ある朝起きるとテーブルの上に菓子パン二つと
「食ってよし」のメモ一枚が置かれていた。
私も妹も全然好みじゃないすごいカロリー過多なパンだったけど、
仕事ばかりで全然父親らしいことをしない父のその行動に驚いた。
起きてきた父に「誰かがパン買ってきてくれてる!」と大げさに言うと
父は猫を抱き上げて「こいつが買って来たんだろ」と言った。
みんなでにやにやした。
417 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/26(月) 12:44:02 ID:RNK07K8i
先日私が二人目を妊娠している事が判り、早速実家に電話。
最初に出たのは父だったのだけど、
「そういう事はお母さんに言いなさい」
と、すぐに母に代わってしまった。
おめでとうくらい言って欲しかったなー(´・ω・`)
と思いながら母と話をしていたら、物凄い物音が。
どうやら長男が生まれた時に買った椅子などを取り出そうと
廊下の物置を開けて雪崩を起こしたらしい。
…夏に帰省する時にはまだまだお腹の中ですよ、パパン。
575 :おさかなくわえた名無しさん :2006/07/20(木) 11:11:41 ID:FnOoINE8
私が中学生くらいのころ、父が指に包帯巻いて帰ってきた。
私「どーしたのその指?」
父「ちょっと…ドアに挟んだ」
私「ふーん」
父はいわゆる頑固父。当時は年齢的にもあんまり父と話さなかった。
その数週間後、父の会社の部下が家に菓子折り持って訪ねてきた。
なんでもその部下が何かの病気の発作がおき
下手したら自分で舌を噛み切ってしまうので父がとっさに自分の指を噛ませたらしい。
で一命をとりとめたと。
そのとき父が誇らしく見えました。
今でも傷跡がはっきりと残ってます。
そんなこんなで今は父と仲いいです。無口で無骨なとこは相変わらずですが。
591 :おさかなくわえた名無しさん :2006/07/21(金) 19:49:37 ID:xPwDAKvr
高校生の頃、生まれて初めて渡した父の日のプレゼントは
センスのないポプリと素直になりきれなくてひねくれた感じの感謝の手紙。
父「お父さんこんなもの使わないよ(`・ω・´)」
私は腹立って部屋にこもった。
暫くしてそっと部屋の襖を開けると、手紙を読みながらプルプル震える父の背中。
時々 ぐすっぐすっと鼻をすする音がしてた。
もうポプリの匂いはないけれどお母さんの仏壇に飾ってある。
708 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/02(水) 01:29:38 ID:DXBRv2tF
普段口数が少なく、厳格な父。
私の結婚が決まった時、私達が挨拶に行く前に、母が父にそのコトを伝えた。
すると食べていたご飯を途中で全部残し
「風呂に入る」と言って風呂に行ってしまったまましばらく出てこなかったので、心配した母がコッソリ風呂場にいくと父が泣いていたらしい。
そして何事もなかったかのように振る舞い、「もう寝る」と布団にもぐりまた泣いていたらしい…。
パパン…
751 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/07(月) 19:09:32 ID:ft6+re0v
私が小学生クリスマス前後の時の話です。
いつもは厳しく、テストで良い点をとっても誉めてくれなかった父。
ホントに怖くて、いたずらをして夜外に出されたこともあり父が苦手でした。
そんなある日、学校帰りに、父がおもちゃ屋に入っていくのを見つけ、つけていくと小学生の女の子が好きそうな、おもちゃを手に眉間に皺を寄せる父。
考え込んでは近くにいる店員さんに何か話しかけ、たまに近くにきた私と同い年の子と話をしたりしていました。
父が帰った後、店員さんに、それとなく聞くと父は毎日、来てはクリスマスのプレゼントを吟味しているとのこと。
翌日も張っているときました。その次の日も、クリスマスイブまで毎日、考えていました。
752 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/07(月) 19:22:51 ID:ft6+re0v
思えば、父は毎日同じ時間に帰宅する人だったのに、ある時から急に遅くなりました。
それは、おもちゃ屋通いが始まってからです。
あんな堅物な父がと、当時はとても嬉しかったです。
クリスマス翌日、「サンタさんからプレゼントはあったか?」と聞く父に、
ニヤニヤしながら「サンタさんは〇〇〇屋で買ったんだよね、一ヶ月前に日本に来て、下見してから」
と言うと、 Σ( ̄□ ̄;)!!な顔をしていました。
もう、そろそろ父が逝って3回目の夏がきます。
懐かしくて書き込んでしまいました。
770 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/08(火) 07:29:09 ID:a+/am+Yj
私は父子家庭だから、離れて暮らしている今、父親の家にご飯を作りにいく。
きんぴらゴボウやひじきは小分けして冷凍して帰ってくる。
次回行ったら、いつも全て一個ずつ残ってる。
その日用に作ったサラダも、5日は保たせてちょびっとずつ食べてる。
行くたびに、「お父さんの事はいいから。自分の事だけ考えなさい。三番目くらいに思い出してくれたらいいから(=^▽^=)」と笑う。
でも私が作るご飯が一番おいしいと言い、いつも食べ過ぎてる。
ちゃんとまたすぐ作りに行くから、全部食べきっていいんだよ。(^-^)
なくなるのが寂しいみたい(´・ω・`)
895 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/16(水) 22:48:39 ID:xVX9ydWw
高校生の頃、母親の再婚した相手(義父)と喧嘩ばっかしてて、むしゃくしゃして
ちょっとした悪さをしていた時期があった。
で、それが義父にバレて1ヶ月ほど家を追い出された事があったんだけど
他に行くあてが無い私を、母親がみかねて別れた父親に連絡をとり
その父親の家で面倒見てもらうことになった。
当時の私には家を追い出された事がとってもショックで
実の父が迎えにきた車に乗った途端、号泣してしまったことがあった。
私が号泣してんの見て、父が運転しながらおろおろしてたのを未だに覚えている。
父の家に行ってから3日後。
私はバイトが休みだったので家に居たら、夜になって父が帰ってきた。
スーパーの袋に何故か猫缶。
左手に抱きかかえてたのは、なんと仔猫。しかもアメショー。
猫なんて飼えないアパートなのに、私を元気にしようと友人が里親募集してるのを
聞いてすぐさま貰ってきたらしい。
もちろん、「私を元気づけようと」なんて父は口が重い人だから言わないけど
あれから数年経って、やっとあの時の父の気持ちがわかるようになった。
最近あってないなぁ…
903 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/17(木) 01:21:54 ID:x2MvhAQm
お嫁に行く事になった。
結婚式場に向かう為に家を出る時、父が一つの小さな紙袋を渡してくれた。
「式場についたらあけなさい」
なんだろう?と不思議に思い式場につき、開けてみた。
お弁当だった。
小学生入学後初めての遠足の時、
母親は妹弟(双子)のお産の為入院してた。
祖母がお弁当を作ってくれるんだろうなって思ってたら、
普段は全く炊事をしない父が作ってくれた。
不器用な父が作ってくれたお弁当は、
卵焼きが焦げてたり、おにぎりの具がはみだしてたり、
不格好ながら、とっても嬉しかった。
お弁当の中身はあの時と一緒だった。
母に聞いたら、私が喜んだ事が嬉しくて、
お嫁に行く時に渡す!と練習してたそうだ。
ちょっと甘い卵焼き、あの時より綺麗に焼きあがってた。
今日一日早く父の日のプレゼントが実家に届いたらしい。
俺は事前に何にも言ってなかったし、今まであげたこともなかった。
けどこのスレ(をまとめたブログだけど)見ててあげようと思った。
品は親父様の好きなビール。
それもベルギーの地ビールとかいう普段はあまり呑まなさそうなの。
俺は成人はしてるがアルコール類さっぱりなのでそれが旨いのか不味いのかわからずに送るよう手配したのだが、それで今日電話があった。
「何?」(用件は判ってたがちょっと恥ずかしかった
「あのさ、ええと、ありがと。ビール」(親父も照れくさそう
「ああ、うん。旨かった?」
と聞いた瞬間照れくささが吹っ飛んだのか、電話の向こうで絶対(´∀`) みたいな顔して語りだした。
「美味いよ! いやーやっぱり地ビールだから独特の味がね…」
その口調が非常に珍しく電話越しにも浮かれているのが判って萌えたんだが、
「昼ごろ荷物来たんだけどさ、お母さんが勝手に開けちゃってさ、もー俺にきた荷物なのに勝手にあけちゃってさ」
とか語りだして、電話の向こうでオカンも
「おとーさんほとんど一人で飲んだじゃない!」とか言ってるの聞こえて更に萌え。
でも、「……お前と一緒に呑みたかったなあ」と言われてトドメのようにキュンときた。
あと何年かして呑めるようになったら、呑もう。
何ならそのベルギービールもう一度買うたるから。
何度も何度も「ありがと」って言われた。
思えば多分二十何年一度もあげてなかったもんな。
393 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/23(金) 14:37:37 ID:O7iQY3zM
二年前に母を亡くした我が家は娘二人と父の3人暮らし。
父は最近やっと一人でコンビニへ行けるようになった。
ある朝起きるとテーブルの上に菓子パン二つと
「食ってよし」のメモ一枚が置かれていた。
私も妹も全然好みじゃないすごいカロリー過多なパンだったけど、
仕事ばかりで全然父親らしいことをしない父のその行動に驚いた。
起きてきた父に「誰かがパン買ってきてくれてる!」と大げさに言うと
父は猫を抱き上げて「こいつが買って来たんだろ」と言った。
みんなでにやにやした。
417 :おさかなくわえた名無しさん :2006/06/26(月) 12:44:02 ID:RNK07K8i
先日私が二人目を妊娠している事が判り、早速実家に電話。
最初に出たのは父だったのだけど、
「そういう事はお母さんに言いなさい」
と、すぐに母に代わってしまった。
おめでとうくらい言って欲しかったなー(´・ω・`)
と思いながら母と話をしていたら、物凄い物音が。
どうやら長男が生まれた時に買った椅子などを取り出そうと
廊下の物置を開けて雪崩を起こしたらしい。
…夏に帰省する時にはまだまだお腹の中ですよ、パパン。
575 :おさかなくわえた名無しさん :2006/07/20(木) 11:11:41 ID:FnOoINE8
私が中学生くらいのころ、父が指に包帯巻いて帰ってきた。
私「どーしたのその指?」
父「ちょっと…ドアに挟んだ」
私「ふーん」
父はいわゆる頑固父。当時は年齢的にもあんまり父と話さなかった。
その数週間後、父の会社の部下が家に菓子折り持って訪ねてきた。
なんでもその部下が何かの病気の発作がおき
下手したら自分で舌を噛み切ってしまうので父がとっさに自分の指を噛ませたらしい。
で一命をとりとめたと。
そのとき父が誇らしく見えました。
今でも傷跡がはっきりと残ってます。
そんなこんなで今は父と仲いいです。無口で無骨なとこは相変わらずですが。
591 :おさかなくわえた名無しさん :2006/07/21(金) 19:49:37 ID:xPwDAKvr
高校生の頃、生まれて初めて渡した父の日のプレゼントは
センスのないポプリと素直になりきれなくてひねくれた感じの感謝の手紙。
父「お父さんこんなもの使わないよ(`・ω・´)」
私は腹立って部屋にこもった。
暫くしてそっと部屋の襖を開けると、手紙を読みながらプルプル震える父の背中。
時々 ぐすっぐすっと鼻をすする音がしてた。
もうポプリの匂いはないけれどお母さんの仏壇に飾ってある。
708 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/02(水) 01:29:38 ID:DXBRv2tF
普段口数が少なく、厳格な父。
私の結婚が決まった時、私達が挨拶に行く前に、母が父にそのコトを伝えた。
すると食べていたご飯を途中で全部残し
「風呂に入る」と言って風呂に行ってしまったまましばらく出てこなかったので、心配した母がコッソリ風呂場にいくと父が泣いていたらしい。
そして何事もなかったかのように振る舞い、「もう寝る」と布団にもぐりまた泣いていたらしい…。
パパン…
751 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/07(月) 19:09:32 ID:ft6+re0v
私が小学生クリスマス前後の時の話です。
いつもは厳しく、テストで良い点をとっても誉めてくれなかった父。
ホントに怖くて、いたずらをして夜外に出されたこともあり父が苦手でした。
そんなある日、学校帰りに、父がおもちゃ屋に入っていくのを見つけ、つけていくと小学生の女の子が好きそうな、おもちゃを手に眉間に皺を寄せる父。
考え込んでは近くにいる店員さんに何か話しかけ、たまに近くにきた私と同い年の子と話をしたりしていました。
父が帰った後、店員さんに、それとなく聞くと父は毎日、来てはクリスマスのプレゼントを吟味しているとのこと。
翌日も張っているときました。その次の日も、クリスマスイブまで毎日、考えていました。
752 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/07(月) 19:22:51 ID:ft6+re0v
思えば、父は毎日同じ時間に帰宅する人だったのに、ある時から急に遅くなりました。
それは、おもちゃ屋通いが始まってからです。
あんな堅物な父がと、当時はとても嬉しかったです。
クリスマス翌日、「サンタさんからプレゼントはあったか?」と聞く父に、
ニヤニヤしながら「サンタさんは〇〇〇屋で買ったんだよね、一ヶ月前に日本に来て、下見してから」
と言うと、 Σ( ̄□ ̄;)!!な顔をしていました。
もう、そろそろ父が逝って3回目の夏がきます。
懐かしくて書き込んでしまいました。
770 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/08(火) 07:29:09 ID:a+/am+Yj
私は父子家庭だから、離れて暮らしている今、父親の家にご飯を作りにいく。
きんぴらゴボウやひじきは小分けして冷凍して帰ってくる。
次回行ったら、いつも全て一個ずつ残ってる。
その日用に作ったサラダも、5日は保たせてちょびっとずつ食べてる。
行くたびに、「お父さんの事はいいから。自分の事だけ考えなさい。三番目くらいに思い出してくれたらいいから(=^▽^=)」と笑う。
でも私が作るご飯が一番おいしいと言い、いつも食べ過ぎてる。
ちゃんとまたすぐ作りに行くから、全部食べきっていいんだよ。(^-^)
なくなるのが寂しいみたい(´・ω・`)
895 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/16(水) 22:48:39 ID:xVX9ydWw
高校生の頃、母親の再婚した相手(義父)と喧嘩ばっかしてて、むしゃくしゃして
ちょっとした悪さをしていた時期があった。
で、それが義父にバレて1ヶ月ほど家を追い出された事があったんだけど
他に行くあてが無い私を、母親がみかねて別れた父親に連絡をとり
その父親の家で面倒見てもらうことになった。
当時の私には家を追い出された事がとってもショックで
実の父が迎えにきた車に乗った途端、号泣してしまったことがあった。
私が号泣してんの見て、父が運転しながらおろおろしてたのを未だに覚えている。
父の家に行ってから3日後。
私はバイトが休みだったので家に居たら、夜になって父が帰ってきた。
スーパーの袋に何故か猫缶。
左手に抱きかかえてたのは、なんと仔猫。しかもアメショー。
猫なんて飼えないアパートなのに、私を元気にしようと友人が里親募集してるのを
聞いてすぐさま貰ってきたらしい。
もちろん、「私を元気づけようと」なんて父は口が重い人だから言わないけど
あれから数年経って、やっとあの時の父の気持ちがわかるようになった。
最近あってないなぁ…
903 :おさかなくわえた名無しさん :2006/08/17(木) 01:21:54 ID:x2MvhAQm
お嫁に行く事になった。
結婚式場に向かう為に家を出る時、父が一つの小さな紙袋を渡してくれた。
「式場についたらあけなさい」
なんだろう?と不思議に思い式場につき、開けてみた。
お弁当だった。
小学生入学後初めての遠足の時、
母親は妹弟(双子)のお産の為入院してた。
祖母がお弁当を作ってくれるんだろうなって思ってたら、
普段は全く炊事をしない父が作ってくれた。
不器用な父が作ってくれたお弁当は、
卵焼きが焦げてたり、おにぎりの具がはみだしてたり、
不格好ながら、とっても嬉しかった。
お弁当の中身はあの時と一緒だった。
母に聞いたら、私が喜んだ事が嬉しくて、
お嫁に行く時に渡す!と練習してたそうだ。
ちょっと甘い卵焼き、あの時より綺麗に焼きあがってた。
2010年02月12日
泣ける話 8 家庭の味
No.529 (*`Д´)家族との思い出の味(´Д`*) より
85 :もぐもぐ名無しさん :03/06/27 08:25
俺が中学ぐらいの時、両親の仲が悪くて、俺もひねくれてて
みんなぎくしゃくして、家の中がすごい荒れてた
どんくらい荒れてたか今じゃわからない
その時の食事風景の記憶が怖いぐらいないんだよ
ただうっすら覚えてるのは会話が無かったことぐらい
親父が塩とってって言ってもみんな無視
ずっとこんな感じだったんだと思う
そんな時期に、幼馴染の家に呼ばれて晩飯食べにいった
その時のことがすごい印象に残ってるんだ
友達のおっちゃんが冗談言って、おばちゃんとか友達とかがつっこんで、笑って。
俺も一緒に冗談いったりして、すごい楽しかった
そんでさ、晩御飯食べ終わってもみんなテーブル囲んで座ってるんだよ
本当に楽しかった。
その後、自転車漕いで家に帰ったら、やっぱり親父とお袋の間の空気おかしくて
自分の部屋行ってから、耐え切れずに泣いちゃった
なんで、そうなんだよって呟いてたの今でも覚えてる
一番悲しかったさ
312 :もぐもぐ名無しさん :03/08/28 04:06
私が幼い頃に両親が離婚して、今は母親と2人暮らし。
母が1週間に1度取れる休みの日だった。
しかしその日は高校見学で、午前中は高校に、
そして午後は友人と突然決めた遊びの約束。帰りは7時頃になった。
テーブルには冷めた野菜炒めがあって、母はそれに口をつけず、私の帰りを待っていてくれた。
普段仕事のある日は朝と夜しか顔を合わせる事が無いので、
休みの日はできるだけ一緒にいようと決意した矢先、母に少なからずも寂しい思いをさせてしまった。
2人でその野菜炒め、ご飯、味噌汁を食べながら
その日にあった出来事を話していると、泣きそうになってしまった。
我慢して我慢して、必死に涙を堪え、面白おかしく喋った。
夕飯を食べ終えた後も、いつもの自分でいることができた。
自分が泣いている姿を母に見せずに済んだ。
つい最近の、よくあることだけど
一生忘れないと思える、冷たいけど美味しい野菜炒めだった。
私立の高校に行きたいなんてわがまま言ってごめんね、今までも散々わがまま言ってきたのに。
大人になったらいっぱい働いて、絶対親孝行するから。
これ打ってる途中で泣いてしまった。長文失礼致しました
90 :もぐもぐ名無しさん :03/07/06 12:05
俺が小さい頃、貧乏だったので中流家庭で食べるような物がご馳走だったよ。
ハンバーグ、焼肉、ケーキ等は何かのイベントの時だけ食べさせてもらえた。
友達の家で初めて手作りピザを食べて、家でも作ってくれってダダこねたら、
母ちゃんは料理の本見ながら、冷蔵庫にある材料でピザ作ってくれた。
キノコの代わりに椎茸、家庭菜園で作ったトマト、生ハムのかわりに薄切りハム。
給食の残りで貰ったチーズ。生地は小麦粉と塩を水で練ってフライパンで焼いた。
少し焼いた生地を持ちやすい大きさにカットしてその上に具をのせてオーブントースターで焼いた。
出来上がった頃に毎日のようにやっている夫婦喧嘩が始まり、なんだか悲しい気持ちでそのピザを食べた。
せっかく楽しい気持ちだったのにって泣きながら食べたのを覚えてる。
楽しい家族団欒を見ると、羨ましいと今でも思う。
440 :もぐもぐ名無しさん :03/10/19 16:28
私がまだ学生だった頃、父は突然会社を辞めて、自営を始めて家にいたんだよね。
その頃は私も反抗期の終わりかけで、勝手に会社を辞めてずっと家にいる父が鬱陶しくて無視したりしてた。
母は遅くまで外で働いていたので、夕食は父が作ったり、私が作ったりでいつも2人で食べてた。
でも、反抗期だったのもあって、父が作ってくれた夕食も、わざと時間をずらして食べたり、
階下にいる父が「○○〜玉子焼き食べるか〜?」とか「味噌汁飲むか〜?」
なんて声かけるたび「いらない。」なんて答えてた。
父は玉子焼きが大好きで、自分でも良く作ってた。正直、その玉子焼きは美味しかった。
父はその後、自殺した。興した会社がうまくいかず、すごい借金抱えて悩んでいたんだと思う。
でも、私はもちろん母さえも、事業がうまくいっていないと気づかなかった。
今思えば、会社を突然辞めたのだってリストラされたんだと思う。
父は私たちに気づかせないようにしながら一人で悩んで逝ってしまった。
今思うと、あの時の玉子焼き、ちゃんと食べておけば良かったと思う。
しばらくは階下から「○○〜玉子焼き食べるか〜?」って声が聞こえるような気がして
自分の行動を悔やんだ。
今ではそれはもう思い出だけど、夫に「玉子焼き焼くの上手いね」と言われる度に
「うちの父の焼く玉子焼きはもっと美味しかったよ。」と答えて、ちょっと泣きそうになったりする。
490 :もぐもぐ名無しさん :03/11/06 15:38
家庭の味ではないけど。
母が風邪で寝込んでいた時に、母の好物のうめぼしおにぎりを作ってあげた。
翌日、母が「おにぎりのお礼に、たこ焼き買っておいたよ!」
保温の為でしょう、そのたこ焼きは炬燵の中に入っておりました。
おかーさん、タコが変な味するよう!
口直しにコンビニでたこ焼きを買ってきて、母と二人で笑って食べました。
翌日の夜、母は40代の若さで脳梗塞で亡くなりました。
たこやきは、母から、私からの最後のおやつになりました。
今、子供がたこ焼きを食べたがるたびに思い出します。
768 :もぐもぐ名無しさん :04/01/31 23:17
ある夜、大量のお刺身が夕飯のテーブルに並んだ。
普段よりもずっとずっと多くて、「なんじゃこりゃ」って思った。
母が「お父さんが買ってきたのよ」って言って、食事ははじまった。
そのころは父とご飯を食べるなんて、もうなかった。
自分でも、もううちの両親はだめだろうって思ってたころだったし。
案の定、両親は離婚して。
でもさ、父ちゃん。
いなくなるならいなくなるって、そう言ってよ。
お刺身の次の日、父の荷物が根こそぎなかった。
何も言わずにいなくなるなんてずるい。
お刺身買って来てくれてありがとう、だって伝えてないのに。
その日の夕飯は、私の忘れられない食事になった。
85 :もぐもぐ名無しさん :03/06/27 08:25
俺が中学ぐらいの時、両親の仲が悪くて、俺もひねくれてて
みんなぎくしゃくして、家の中がすごい荒れてた
どんくらい荒れてたか今じゃわからない
その時の食事風景の記憶が怖いぐらいないんだよ
ただうっすら覚えてるのは会話が無かったことぐらい
親父が塩とってって言ってもみんな無視
ずっとこんな感じだったんだと思う
そんな時期に、幼馴染の家に呼ばれて晩飯食べにいった
その時のことがすごい印象に残ってるんだ
友達のおっちゃんが冗談言って、おばちゃんとか友達とかがつっこんで、笑って。
俺も一緒に冗談いったりして、すごい楽しかった
そんでさ、晩御飯食べ終わってもみんなテーブル囲んで座ってるんだよ
本当に楽しかった。
その後、自転車漕いで家に帰ったら、やっぱり親父とお袋の間の空気おかしくて
自分の部屋行ってから、耐え切れずに泣いちゃった
なんで、そうなんだよって呟いてたの今でも覚えてる
一番悲しかったさ
312 :もぐもぐ名無しさん :03/08/28 04:06
私が幼い頃に両親が離婚して、今は母親と2人暮らし。
母が1週間に1度取れる休みの日だった。
しかしその日は高校見学で、午前中は高校に、
そして午後は友人と突然決めた遊びの約束。帰りは7時頃になった。
テーブルには冷めた野菜炒めがあって、母はそれに口をつけず、私の帰りを待っていてくれた。
普段仕事のある日は朝と夜しか顔を合わせる事が無いので、
休みの日はできるだけ一緒にいようと決意した矢先、母に少なからずも寂しい思いをさせてしまった。
2人でその野菜炒め、ご飯、味噌汁を食べながら
その日にあった出来事を話していると、泣きそうになってしまった。
我慢して我慢して、必死に涙を堪え、面白おかしく喋った。
夕飯を食べ終えた後も、いつもの自分でいることができた。
自分が泣いている姿を母に見せずに済んだ。
つい最近の、よくあることだけど
一生忘れないと思える、冷たいけど美味しい野菜炒めだった。
私立の高校に行きたいなんてわがまま言ってごめんね、今までも散々わがまま言ってきたのに。
大人になったらいっぱい働いて、絶対親孝行するから。
これ打ってる途中で泣いてしまった。長文失礼致しました
90 :もぐもぐ名無しさん :03/07/06 12:05
俺が小さい頃、貧乏だったので中流家庭で食べるような物がご馳走だったよ。
ハンバーグ、焼肉、ケーキ等は何かのイベントの時だけ食べさせてもらえた。
友達の家で初めて手作りピザを食べて、家でも作ってくれってダダこねたら、
母ちゃんは料理の本見ながら、冷蔵庫にある材料でピザ作ってくれた。
キノコの代わりに椎茸、家庭菜園で作ったトマト、生ハムのかわりに薄切りハム。
給食の残りで貰ったチーズ。生地は小麦粉と塩を水で練ってフライパンで焼いた。
少し焼いた生地を持ちやすい大きさにカットしてその上に具をのせてオーブントースターで焼いた。
出来上がった頃に毎日のようにやっている夫婦喧嘩が始まり、なんだか悲しい気持ちでそのピザを食べた。
せっかく楽しい気持ちだったのにって泣きながら食べたのを覚えてる。
楽しい家族団欒を見ると、羨ましいと今でも思う。
440 :もぐもぐ名無しさん :03/10/19 16:28
私がまだ学生だった頃、父は突然会社を辞めて、自営を始めて家にいたんだよね。
その頃は私も反抗期の終わりかけで、勝手に会社を辞めてずっと家にいる父が鬱陶しくて無視したりしてた。
母は遅くまで外で働いていたので、夕食は父が作ったり、私が作ったりでいつも2人で食べてた。
でも、反抗期だったのもあって、父が作ってくれた夕食も、わざと時間をずらして食べたり、
階下にいる父が「○○〜玉子焼き食べるか〜?」とか「味噌汁飲むか〜?」
なんて声かけるたび「いらない。」なんて答えてた。
父は玉子焼きが大好きで、自分でも良く作ってた。正直、その玉子焼きは美味しかった。
父はその後、自殺した。興した会社がうまくいかず、すごい借金抱えて悩んでいたんだと思う。
でも、私はもちろん母さえも、事業がうまくいっていないと気づかなかった。
今思えば、会社を突然辞めたのだってリストラされたんだと思う。
父は私たちに気づかせないようにしながら一人で悩んで逝ってしまった。
今思うと、あの時の玉子焼き、ちゃんと食べておけば良かったと思う。
しばらくは階下から「○○〜玉子焼き食べるか〜?」って声が聞こえるような気がして
自分の行動を悔やんだ。
今ではそれはもう思い出だけど、夫に「玉子焼き焼くの上手いね」と言われる度に
「うちの父の焼く玉子焼きはもっと美味しかったよ。」と答えて、ちょっと泣きそうになったりする。
490 :もぐもぐ名無しさん :03/11/06 15:38
家庭の味ではないけど。
母が風邪で寝込んでいた時に、母の好物のうめぼしおにぎりを作ってあげた。
翌日、母が「おにぎりのお礼に、たこ焼き買っておいたよ!」
保温の為でしょう、そのたこ焼きは炬燵の中に入っておりました。
おかーさん、タコが変な味するよう!
口直しにコンビニでたこ焼きを買ってきて、母と二人で笑って食べました。
翌日の夜、母は40代の若さで脳梗塞で亡くなりました。
たこやきは、母から、私からの最後のおやつになりました。
今、子供がたこ焼きを食べたがるたびに思い出します。
768 :もぐもぐ名無しさん :04/01/31 23:17
ある夜、大量のお刺身が夕飯のテーブルに並んだ。
普段よりもずっとずっと多くて、「なんじゃこりゃ」って思った。
母が「お父さんが買ってきたのよ」って言って、食事ははじまった。
そのころは父とご飯を食べるなんて、もうなかった。
自分でも、もううちの両親はだめだろうって思ってたころだったし。
案の定、両親は離婚して。
でもさ、父ちゃん。
いなくなるならいなくなるって、そう言ってよ。
お刺身の次の日、父の荷物が根こそぎなかった。
何も言わずにいなくなるなんてずるい。
お刺身買って来てくれてありがとう、だって伝えてないのに。
その日の夕飯は、私の忘れられない食事になった。
2010年02月12日
心霊イイ話 祟られる
これはすっごい好きな話ですわー。
_______
96 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/03/31 00:40
ありゃたしか小3の頃だよ確か。10年くらい前
そん日はダチが誰も来なくて一人で山に行ったんだよ。
んで当時俺は、兄貴が持ってたビデオの仮面ライダーブラックが大好きだったもんで
ライダーキックやらパンチやらして遊んでたワケよ。一人で。
馬鹿丸出し。そんで俺は「ん?」と思った。
もう目をつぶってもダッシュで10往復くらいできるこん山になんか見知らぬ
側道があるわけ。つーか獣道。もー俺ワクワク。新境地大発見みてーな?
んだよここは。豆みてーな山なのに随分長げーな。舐めてんのかこの道は、なんて思って
歩いてると目の前になんかちっちゃい神棚?社?なんつーんだっけアレ。
とにかくなんか祀ってあんよ。
高さは当時の俺の身長の高さよりちょっとデカイくらいで、扉が開いてて
中にはなんか狐がいっぱいはいってんの。しかもこれが笑ってやがるんだ。
当時の俺はこれを即悪と認定。扉をおもむろに閉めてライダーキックを敢行。
意外と頑丈だったけど何度か繰り返すと餓鬼にも破壊可能なくらいには
ボロってたようで、程なく木でできた前面部は大破。
97 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/03/31 00:42
本当はもう全部壊したいみたいな感じだったんだけど暗くなったのでその日は帰ることに。
で、家帰ったらやっぱりお約束みたいに倒れたね。
熱が40度近く出た。新手の風邪かインフルエンザかと思って「やた!学校休める!」と大喜び。
でも結局死んだ方がマシ級に苦しんだんで直ぐに後悔。
んで夜中にトイレに起きたの。なんか犬が吼えてんの。
ウルセーなこんな夜中に。飼い主はナニやってんよ?と窓覗くとなんか
田んぼに無数の光が灯ってんの。つーか炎みたいのがういてんの。
なんか農家でやってんのかな?と思って更に
見てると窓越しになんか聞こえてくる「まだ」「入れない」とかイッテンの。
その声がまた変。TVでよくスローにした時に出る声。あれみたいな重低音な声と
俺と同じくらいのガキの声。あれが交互にボソボソ聞こえてくる。
さすがに怖くなってその日は布団に潜って寝てしまった。
数日しても熱下がらない。病院で調べてもなんか
風邪でもインフルエンザでもツツガムシとかでも無いらしい。
いわゆる原因不明の熱?県庁所在地にある大病院言っても同じ結果。
俺ヤバい。マジやばい。死ぬ。冗談抜きで。
んでちょうど夜中に起きて「またあの炎か」とかって窓見てると
親が丁度タオル代えに来て。何してるか聞かれたから
98 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/03/31 00:43
見た事を話すと、なんか真っ青になっちゃって次の日病人の俺を無理やり引き摺って
地元の昔からいる霊能者のババアんとこに連れて行かれた。
んで行くなり、アンタ稲荷に祟られてるって言われた。
さすがの俺も、先日の山中でのお茶目を思い出す。
んで御詫びに、その社を修復してオアゲでも供えなさいって事になったんだけど
どうもそっからがおかしな事になった。
だってそんな社最初ッから無かったんよ。
俺が言った場所には獣道なんてどこにも無かったんだって。そんな筈無いって
ダチに言って案内させようとしたけどやっぱそんなん無かったらしい。
ていうかそこの地主にもそんな無いって言われた。
したらその霊能者のババアが言うには、どうも厄介な事になったらしくて。
話を聞くと、どうやら「俺が社を壊したから」祟ったのではなく
「俺を祟るため」に社を「俺に壊させた」んだというんよ。
悪質なのに捕まっちゃったみたい。嵌められた。俺狐に嵌められた。
んで普通なら速攻憑り殺されてるんだけど、家守ってる動物がいるから
狐は入って来れないでいるって事らしい。
ババアの家を出ると流石に体力の限界が来たらしい。
貧血が真っ白んなるみたいに視界と意識がフェードアウト。
目が覚める。なんかもうボーっとしてる。体も動かない。
99 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/03/31 00:45
ん?と横目を見ると。
狐。狐に囲まれてる俺。
なんで?家には入って来れない・・・ってここ病院じゃねーか!
マジやばい。俺ヤバイ。「もらうもらう」とか言ってる。
俺タマ取られちゃう。金玉じゃなくてタマと書いて命と書くほうのタマ。
俺ピンチ。にはは。
したら不意に病院の壁から手が出てきたの。「ぬっ」て。
帝国軍人が。あれすか?親玉すか?とか思ってると狐を遮るように俺の前に仁王立ち。
そして帝国軍人はおもむろに日本刀を振り上げ殺戮開始。
エイヤーとばかりに狐たちを切り捨てていく。狐も応戦してるけど貫目が違う。
程なく狐は全部切り捨てられて消えてしまいまった。
んで振る帰ると、その軍人。俺を撫でてくれた。
そしたらその軍人さん、みるみる顔が年取っていって、見覚えのある顔に。
死んだ爺ちゃんだった。
俺なんかうれしくなっちゃって、涙出てきて。
100 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/03/31 00:46
したら爺ちゃんいきなり「泣くな」って頭をグーで殴りやがった。
間違いないね。もっとガキの頃、泣き止まない俺の口に飴玉を10個くらい
放り込んで「これやるから泣くな」って、そらもっと泣き喚きますよって感じの爺ちゃんに間違いない。
さらに見ると後ろにでかいセントバーナード。
爺ちゃんが飼ってた犬だ。ああそうか。お前が吼えて守ってくれたんだなって思った。
次の日目が覚めると熱はパーペキ治ってた。
帰りに味噌ラーメン大盛りとギョーザとライス食ったくらい治ってた。
しばらくしてから、その山でガケ崩れがあって、丁度俺が社があると思ってたあたりが完璧エグれて無くなったらしい。
うわーなんか長々書いちゃったよ。
思い出しながら時間忘却全快で。
でもあれはやっぱ夢だったのかな?
わーけわからん。
じゃ。
爺ちゃんありがとう。
_______
96 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/03/31 00:40
ありゃたしか小3の頃だよ確か。10年くらい前
そん日はダチが誰も来なくて一人で山に行ったんだよ。
んで当時俺は、兄貴が持ってたビデオの仮面ライダーブラックが大好きだったもんで
ライダーキックやらパンチやらして遊んでたワケよ。一人で。
馬鹿丸出し。そんで俺は「ん?」と思った。
もう目をつぶってもダッシュで10往復くらいできるこん山になんか見知らぬ
側道があるわけ。つーか獣道。もー俺ワクワク。新境地大発見みてーな?
んだよここは。豆みてーな山なのに随分長げーな。舐めてんのかこの道は、なんて思って
歩いてると目の前になんかちっちゃい神棚?社?なんつーんだっけアレ。
とにかくなんか祀ってあんよ。
高さは当時の俺の身長の高さよりちょっとデカイくらいで、扉が開いてて
中にはなんか狐がいっぱいはいってんの。しかもこれが笑ってやがるんだ。
当時の俺はこれを即悪と認定。扉をおもむろに閉めてライダーキックを敢行。
意外と頑丈だったけど何度か繰り返すと餓鬼にも破壊可能なくらいには
ボロってたようで、程なく木でできた前面部は大破。
97 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/03/31 00:42
本当はもう全部壊したいみたいな感じだったんだけど暗くなったのでその日は帰ることに。
で、家帰ったらやっぱりお約束みたいに倒れたね。
熱が40度近く出た。新手の風邪かインフルエンザかと思って「やた!学校休める!」と大喜び。
でも結局死んだ方がマシ級に苦しんだんで直ぐに後悔。
んで夜中にトイレに起きたの。なんか犬が吼えてんの。
ウルセーなこんな夜中に。飼い主はナニやってんよ?と窓覗くとなんか
田んぼに無数の光が灯ってんの。つーか炎みたいのがういてんの。
なんか農家でやってんのかな?と思って更に
見てると窓越しになんか聞こえてくる「まだ」「入れない」とかイッテンの。
その声がまた変。TVでよくスローにした時に出る声。あれみたいな重低音な声と
俺と同じくらいのガキの声。あれが交互にボソボソ聞こえてくる。
さすがに怖くなってその日は布団に潜って寝てしまった。
数日しても熱下がらない。病院で調べてもなんか
風邪でもインフルエンザでもツツガムシとかでも無いらしい。
いわゆる原因不明の熱?県庁所在地にある大病院言っても同じ結果。
俺ヤバい。マジやばい。死ぬ。冗談抜きで。
んでちょうど夜中に起きて「またあの炎か」とかって窓見てると
親が丁度タオル代えに来て。何してるか聞かれたから
98 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/03/31 00:43
見た事を話すと、なんか真っ青になっちゃって次の日病人の俺を無理やり引き摺って
地元の昔からいる霊能者のババアんとこに連れて行かれた。
んで行くなり、アンタ稲荷に祟られてるって言われた。
さすがの俺も、先日の山中でのお茶目を思い出す。
んで御詫びに、その社を修復してオアゲでも供えなさいって事になったんだけど
どうもそっからがおかしな事になった。
だってそんな社最初ッから無かったんよ。
俺が言った場所には獣道なんてどこにも無かったんだって。そんな筈無いって
ダチに言って案内させようとしたけどやっぱそんなん無かったらしい。
ていうかそこの地主にもそんな無いって言われた。
したらその霊能者のババアが言うには、どうも厄介な事になったらしくて。
話を聞くと、どうやら「俺が社を壊したから」祟ったのではなく
「俺を祟るため」に社を「俺に壊させた」んだというんよ。
悪質なのに捕まっちゃったみたい。嵌められた。俺狐に嵌められた。
んで普通なら速攻憑り殺されてるんだけど、家守ってる動物がいるから
狐は入って来れないでいるって事らしい。
ババアの家を出ると流石に体力の限界が来たらしい。
貧血が真っ白んなるみたいに視界と意識がフェードアウト。
目が覚める。なんかもうボーっとしてる。体も動かない。
99 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/03/31 00:45
ん?と横目を見ると。
狐。狐に囲まれてる俺。
なんで?家には入って来れない・・・ってここ病院じゃねーか!
マジやばい。俺ヤバイ。「もらうもらう」とか言ってる。
俺タマ取られちゃう。金玉じゃなくてタマと書いて命と書くほうのタマ。
俺ピンチ。にはは。
したら不意に病院の壁から手が出てきたの。「ぬっ」て。
帝国軍人が。あれすか?親玉すか?とか思ってると狐を遮るように俺の前に仁王立ち。
そして帝国軍人はおもむろに日本刀を振り上げ殺戮開始。
エイヤーとばかりに狐たちを切り捨てていく。狐も応戦してるけど貫目が違う。
程なく狐は全部切り捨てられて消えてしまいまった。
んで振る帰ると、その軍人。俺を撫でてくれた。
そしたらその軍人さん、みるみる顔が年取っていって、見覚えのある顔に。
死んだ爺ちゃんだった。
俺なんかうれしくなっちゃって、涙出てきて。
100 名前: あなたのうしろに名無しさんが・・・ 04/03/31 00:46
したら爺ちゃんいきなり「泣くな」って頭をグーで殴りやがった。
間違いないね。もっとガキの頃、泣き止まない俺の口に飴玉を10個くらい
放り込んで「これやるから泣くな」って、そらもっと泣き喚きますよって感じの爺ちゃんに間違いない。
さらに見ると後ろにでかいセントバーナード。
爺ちゃんが飼ってた犬だ。ああそうか。お前が吼えて守ってくれたんだなって思った。
次の日目が覚めると熱はパーペキ治ってた。
帰りに味噌ラーメン大盛りとギョーザとライス食ったくらい治ってた。
しばらくしてから、その山でガケ崩れがあって、丁度俺が社があると思ってたあたりが完璧エグれて無くなったらしい。
うわーなんか長々書いちゃったよ。
思い出しながら時間忘却全快で。
でもあれはやっぱ夢だったのかな?
わーけわからん。
じゃ。
爺ちゃんありがとう。
2010年02月12日
心霊イイ話 ロベルト!
こんなエピソードを知るのは大事です。私はそう思いますね。
_____
ロベルト!
927 5-1 04/11/28 21:31:41 ID:UtE+qDiS
これは俺が3~4年前の夏、イタリアのローマで体験した話です。
俺は大学でイタリア文学を専攻していて、大学4年の時に休学して半年間ローマに留学してたんだけど、
その時にローマの郊外にある、エウルっていう穴の開いたチーズみたいなビル(参照:
www.mediawars.ne.jp/~tanimura/a_map/foreign/form/italy/eur.html)を1人でブラブラ
見に行ったんだ。
直射日光が凄くてめちゃめちゃ暑い日だったんだけど、ビルが建ってる所が高台になってて、街が見渡せて
涼しい風も吹いてたから、建物の影になってる所に座って一服しながら景色見てたのね。そしたら、ちょっと
前まで誰もいなかったんだけど、いきなり3つ揃えのスーツをバシッと着た小さい90ぐらいの爺さんが俺の
肩を後ろから叩いて、「よう!ロベルト、久しぶりだな!」って声かけてくるんだよ。俺も、不意打ちだった
もんだから、一瞬ビクッとしたんだけど、すぐに人違いかなと思って、その歳の割には元気のいい爺さんに
「あの、人違いですよ。ぼくは日本人ですし、ロベルトという名ではありません。」ってキッパリ言ったの。
そしたら、爺さんの方は、凄い嬉しそうな顔して「やっぱりロベルトじゃないか!」って益々大きな声で言い
だしたんだ。俺は、いよいよこのジジイぼけてんのかな?って思ったけど、まとわりつかれても嫌だなと思っ
たから、「だから、ロベルトじゃないって。普通の日本人はそんな名前じゃないよ!」って言ったら、爺さん
は笑いながら「そんな事は知ってるわい!」みたいな感じで事の経緯を話しだしたんだ。
以下、俺と爺さん談(イタリア語だったので、それっぽい口調になおしました。)
928 5-2 04/11/28 21:32:52 ID:UtE+qDiS
爺「もちろん、君の本名がロベルトじゃないって事ぐらい知ってるさ。君は見たところ日本人っぽいし、
わしは今年で92になるが、まだそこまで耄碌してないつもりだよ。君は昔、イタリアとドイツと日本が
戦争で同盟を結んでいたって事を、学校かどこか勉強した事があるかね?」
俺「もちろん、知ってますよ。僕だけじゃなく、日本人なら大抵の人は。」
爺「よろしい。わしは第1次、第2次と2つの世界大戦に最初から最後まで海兵として従軍したんだが、
当時はドイツや日本からこの地に派遣された、若い将校や外交官なんかと親睦を深めるためによくつるんで
飲みにいったりしたもんだ。お互い、言葉も文化も違うが、当時の我々にとっては、そんな事は大して重要
じゃなかったし、とにかく共通の敵がいる味方どうし、若かったってのもあるが大いに盛り上がったもんだ
よ。そして当時は、わしらみたいにつるんでた連中は、イタリア兵もドイツ兵も日本兵もみんな、お互いを親
愛の情をこめてロベルトって呼びあったもんさ!」
俺「はぁ…。でもまた、なんでロベルトなんっすか?」
929 5-3 04/11/28 21:34:22 ID:UtE+qDiS
爺、にっこり笑って「わからんかね?ロベルト(ROBERTO)というは頭文字を合わせたものさ。
3国の首都 ローマ(ROme)・ベルリン (BERlin)・東京(TOkyo)の。だから、君を見かけた時、
日本人じゃないかと思ってロベルトと声かけたってわけさ!」
俺「へぇ~。なんか歴史を感じる話っすね~」
爺、急に笑顔から一変して渋い表情で「ところで、君のご家族やお知り合いの方で、第二次大戦に従軍された
方はいるかな?」
俺「うーん…。祖父は従軍しましたけど、もうとっくに他界したし… あ!親戚の爺さんでまだ1人生きて
ますよ!」
爺「そうか、そしたら今度あった時には、イタリアが途中で戦線を放棄したことに関しては、本当に遺憾
に思っており、わしの人生においてただ一点の心残りであり、日本の皆さんには謝っても謝りきれない事をした
と思っている。と伝えてくれ。」と目に涙を溜めながら、俺に訴えてきた。
930 5-4 04/11/28 21:35:32 ID:UtE+qDiS
俺「うーん、今さらそんなに怒ってる人もいないんじゃないかなぁ?あの小うるさかった俺の祖父でさえも、
イタリアの事で、ぼやいてた事は一度もないし…。」
爺「我々はあの時、誓って誰一人戦線を放棄したいと思ってる奴はいなかった。わしの海軍部隊では政治的に
戦争が終わった時でさえ、皆悔しさに泣き、同盟国を見捨てるのかと、誰もが断腸の思いだった。拳銃で自殺
をしたものだっている!でも、わしはあの時何も出来なかった…。昨日まで、同じテーブルで酒を飲み、
ロベルトと呼びあい、同じ敵を蹴散らそうと雄叫びを上げあった仲にも関わらず、同盟国の戦況が日に日に
悪くなっていくのが、ラジオで伝えられようと、何も出来なかったんだ…。特に、日本の方々が最後まで意志
を貫かれているという報道を聞くたびに、どれだけ5体が引き裂かれるような思いがしただろう。だから、
日本の方々には戦線を離脱した腰抜け、裏切り者と思われても止むを得まい。そして、イタリア人
はテレビで見るような、ちゃらついて女の尻を追いかけるだけの、軟派者と思われているかも知れない。
しかし、その後の半世紀以上、わしを含めた海兵全員は一日だってその事を悔いなかった事はないのだよ…。
だから、君のお知り合いには、是非すまなかったとお伝えください…。」
931 5-5 04/11/28 21:36:42 ID:UtE+qDiS
そういうと、爺さんは年甲斐も無く泣き崩れた。そしてよく見ると爺さんの胸には、会社の社章のような
小さいもので気付かなかったが、古びたイタリア海軍の所属部隊のバッジが着いていた。そして、急な展開に
戸惑った俺は、「わかりました、今度会ったら必ず伝えておきます。」とだけ言って、挨拶をしてその場を
去り、また炎天下の中に戻っていった。今まで、不思議ととても涼しく心地よかったのだが、その場を離れた
瞬間また砂漠のような猛烈な暑さに見舞われた。そして数メートル進んだ後、爺さんが何だか気になって振り
向くと、このテの話にありがちだが、もうそこには誰も居なかった。その爺さんが、幽霊だったかどうか
なんて、今となってはわからない。ただ俺は、爺さんと最後に交わした挨拶を思い出して少し、変だなと
思った。
爺「ここにいれば誰か日本の方が来ると思って、ずっと待っていたが、わしの話を聞いてくれた人はどれくら
いぶりだろう。皆、わしがまるで見えないかの様に、無視をして立ち去ってしまうのだから。ありがとう。」
俺「いいんですよ。でも、ここよりもっと街の中心の観光スポットに行った方が、日本人はいっぱいいるん
じゃないですかねぇ。コロッセオとか。それでは、お元気で。」
後日帰国して、久方ぶりに、家で寝たきりになって殆ど誰とも口をきかない親戚の爺さん(元海軍)を訪ね、
その話をした。爺さんは、何も言わず、ただ目に涙を溜めていた。そして、その話を聞いた1週間後に老衰で
他界した。世話をしていた従姉妹によると、俺が会った後の1週間は爺さんが妙に明るく、皆に積極的に話し
かけてたと言う。 長文・駄文スマソ。
_____
ロベルト!
927 5-1 04/11/28 21:31:41 ID:UtE+qDiS
これは俺が3~4年前の夏、イタリアのローマで体験した話です。
俺は大学でイタリア文学を専攻していて、大学4年の時に休学して半年間ローマに留学してたんだけど、
その時にローマの郊外にある、エウルっていう穴の開いたチーズみたいなビル(参照:
www.mediawars.ne.jp/~tanimura/a_map/foreign/form/italy/eur.html)を1人でブラブラ
見に行ったんだ。
直射日光が凄くてめちゃめちゃ暑い日だったんだけど、ビルが建ってる所が高台になってて、街が見渡せて
涼しい風も吹いてたから、建物の影になってる所に座って一服しながら景色見てたのね。そしたら、ちょっと
前まで誰もいなかったんだけど、いきなり3つ揃えのスーツをバシッと着た小さい90ぐらいの爺さんが俺の
肩を後ろから叩いて、「よう!ロベルト、久しぶりだな!」って声かけてくるんだよ。俺も、不意打ちだった
もんだから、一瞬ビクッとしたんだけど、すぐに人違いかなと思って、その歳の割には元気のいい爺さんに
「あの、人違いですよ。ぼくは日本人ですし、ロベルトという名ではありません。」ってキッパリ言ったの。
そしたら、爺さんの方は、凄い嬉しそうな顔して「やっぱりロベルトじゃないか!」って益々大きな声で言い
だしたんだ。俺は、いよいよこのジジイぼけてんのかな?って思ったけど、まとわりつかれても嫌だなと思っ
たから、「だから、ロベルトじゃないって。普通の日本人はそんな名前じゃないよ!」って言ったら、爺さん
は笑いながら「そんな事は知ってるわい!」みたいな感じで事の経緯を話しだしたんだ。
以下、俺と爺さん談(イタリア語だったので、それっぽい口調になおしました。)
928 5-2 04/11/28 21:32:52 ID:UtE+qDiS
爺「もちろん、君の本名がロベルトじゃないって事ぐらい知ってるさ。君は見たところ日本人っぽいし、
わしは今年で92になるが、まだそこまで耄碌してないつもりだよ。君は昔、イタリアとドイツと日本が
戦争で同盟を結んでいたって事を、学校かどこか勉強した事があるかね?」
俺「もちろん、知ってますよ。僕だけじゃなく、日本人なら大抵の人は。」
爺「よろしい。わしは第1次、第2次と2つの世界大戦に最初から最後まで海兵として従軍したんだが、
当時はドイツや日本からこの地に派遣された、若い将校や外交官なんかと親睦を深めるためによくつるんで
飲みにいったりしたもんだ。お互い、言葉も文化も違うが、当時の我々にとっては、そんな事は大して重要
じゃなかったし、とにかく共通の敵がいる味方どうし、若かったってのもあるが大いに盛り上がったもんだ
よ。そして当時は、わしらみたいにつるんでた連中は、イタリア兵もドイツ兵も日本兵もみんな、お互いを親
愛の情をこめてロベルトって呼びあったもんさ!」
俺「はぁ…。でもまた、なんでロベルトなんっすか?」
929 5-3 04/11/28 21:34:22 ID:UtE+qDiS
爺、にっこり笑って「わからんかね?ロベルト(ROBERTO)というは頭文字を合わせたものさ。
3国の首都 ローマ(ROme)・ベルリン (BERlin)・東京(TOkyo)の。だから、君を見かけた時、
日本人じゃないかと思ってロベルトと声かけたってわけさ!」
俺「へぇ~。なんか歴史を感じる話っすね~」
爺、急に笑顔から一変して渋い表情で「ところで、君のご家族やお知り合いの方で、第二次大戦に従軍された
方はいるかな?」
俺「うーん…。祖父は従軍しましたけど、もうとっくに他界したし… あ!親戚の爺さんでまだ1人生きて
ますよ!」
爺「そうか、そしたら今度あった時には、イタリアが途中で戦線を放棄したことに関しては、本当に遺憾
に思っており、わしの人生においてただ一点の心残りであり、日本の皆さんには謝っても謝りきれない事をした
と思っている。と伝えてくれ。」と目に涙を溜めながら、俺に訴えてきた。
930 5-4 04/11/28 21:35:32 ID:UtE+qDiS
俺「うーん、今さらそんなに怒ってる人もいないんじゃないかなぁ?あの小うるさかった俺の祖父でさえも、
イタリアの事で、ぼやいてた事は一度もないし…。」
爺「我々はあの時、誓って誰一人戦線を放棄したいと思ってる奴はいなかった。わしの海軍部隊では政治的に
戦争が終わった時でさえ、皆悔しさに泣き、同盟国を見捨てるのかと、誰もが断腸の思いだった。拳銃で自殺
をしたものだっている!でも、わしはあの時何も出来なかった…。昨日まで、同じテーブルで酒を飲み、
ロベルトと呼びあい、同じ敵を蹴散らそうと雄叫びを上げあった仲にも関わらず、同盟国の戦況が日に日に
悪くなっていくのが、ラジオで伝えられようと、何も出来なかったんだ…。特に、日本の方々が最後まで意志
を貫かれているという報道を聞くたびに、どれだけ5体が引き裂かれるような思いがしただろう。だから、
日本の方々には戦線を離脱した腰抜け、裏切り者と思われても止むを得まい。そして、イタリア人
はテレビで見るような、ちゃらついて女の尻を追いかけるだけの、軟派者と思われているかも知れない。
しかし、その後の半世紀以上、わしを含めた海兵全員は一日だってその事を悔いなかった事はないのだよ…。
だから、君のお知り合いには、是非すまなかったとお伝えください…。」
931 5-5 04/11/28 21:36:42 ID:UtE+qDiS
そういうと、爺さんは年甲斐も無く泣き崩れた。そしてよく見ると爺さんの胸には、会社の社章のような
小さいもので気付かなかったが、古びたイタリア海軍の所属部隊のバッジが着いていた。そして、急な展開に
戸惑った俺は、「わかりました、今度会ったら必ず伝えておきます。」とだけ言って、挨拶をしてその場を
去り、また炎天下の中に戻っていった。今まで、不思議ととても涼しく心地よかったのだが、その場を離れた
瞬間また砂漠のような猛烈な暑さに見舞われた。そして数メートル進んだ後、爺さんが何だか気になって振り
向くと、このテの話にありがちだが、もうそこには誰も居なかった。その爺さんが、幽霊だったかどうか
なんて、今となってはわからない。ただ俺は、爺さんと最後に交わした挨拶を思い出して少し、変だなと
思った。
爺「ここにいれば誰か日本の方が来ると思って、ずっと待っていたが、わしの話を聞いてくれた人はどれくら
いぶりだろう。皆、わしがまるで見えないかの様に、無視をして立ち去ってしまうのだから。ありがとう。」
俺「いいんですよ。でも、ここよりもっと街の中心の観光スポットに行った方が、日本人はいっぱいいるん
じゃないですかねぇ。コロッセオとか。それでは、お元気で。」
後日帰国して、久方ぶりに、家で寝たきりになって殆ど誰とも口をきかない親戚の爺さん(元海軍)を訪ね、
その話をした。爺さんは、何も言わず、ただ目に涙を溜めていた。そして、その話を聞いた1週間後に老衰で
他界した。世話をしていた従姉妹によると、俺が会った後の1週間は爺さんが妙に明るく、皆に積極的に話し
かけてたと言う。 長文・駄文スマソ。