2010年02月23日
泣ける話 14 思い出のタバコ
No.504 ☆☆☆思い出のタバコ★★★ より
646 :774mgさん :2006/04/02(日) 17:54:10 ID:SOXwi9qL
先週命日だったので書き込ませていただきます。
俺の近所には2つ上の姉ちゃんがいた。
その姉ちゃん空手の段位保持者で小学生の俺から見れば最強の存在だった。そして可愛かった。
生まれつき茶髪で虐められていた俺を助けてくれて、喧嘩の仕方とか教えてくれた。
ある日虐めていた奴らを返り討ちにしたとき俺はそのことを報告しにいった。
「いい?○○(俺の名前)。人が暴力に訴えていいのは最終手段だよ?
すぐに腕を上げるのは男として最低だからね!」
彼女がそうやって俺に教えてくれたことを今でもちゃんと覚えている。
高校に入ってすぐ俺が告白して、姉ちゃんと付き合った。
もちろん彼女と喧嘩しても力で勝つことはできなかったw。俺の心の中でやっぱり最強の存在だった。
そんな彼女と17歳のとき、俺は寝た。
初めて女を知った日だった。最強の彼女はやっぱり女だった。
そのとき彼女はキャスターマイルドを吸っていて
「体に悪いから二十歳になるまで吸っちゃ駄目だぞ~」
19歳のくせにそんなこと言うと煙をふかしながら彼女は言った。
647 :774mgさん :2006/04/02(日) 17:56:07 ID:SOXwi9qL
そして彼女を追いかけるように同じ大学を受験、そして合格。
同じ大学で彼女と楽しい時間を過ごしたかった。過ごすはずだった。
入学式1週間前、彼女は死んだ。交通事故だった。
最強の存在だった彼女はあっけなく死んでしまった。
通夜のとき彼女の棺桶に沢山のキャスターを入れてやった。不思議と涙は出なかった。
そして普通に学校に通って成人式を迎えた。友達と酒飲んで酔っ払って帰宅している途中だった。
タバコの自販機を発見。彼女の言葉が思い浮かぶ。
近寄ってたどたどしい手つきで小銭を投入。
キャスターマイルドのボタンを押す。
家に帰ってからく暗い部屋の中タバコに火を点した。
吸い方がわかんなくて思いっきり吸って、むせた。
そして、もう一口恐る恐る吸ってはいた。
彼女の匂いだった。
涙が出た。思い出、温もりが走馬灯のように頭をかすめ。ただ泣いた。
今までためてきたものを全部流すように泣いた。
そんな俺は今21歳、吸ってる銘柄はもちろんキャスター
彼女の命日になるとキャスマイを2箱買って、1つは墓前にもう1つはゆっくり時間をかけて吸いきる。
そうすれば彼女がすぐそばにいるように感じるから。
由佳
いままで楽しい思い出をありがとう。
お前のことは忘れない。
194 :774mgさん :2005/09/26(月) 02:53:02 ID:NR/Ccfbm
禁煙して、と言った彼女に駅の改札口で振られた後、
俺はホームで呆然と電車を待ってた。
もう21時をまわってて、田舎だから他にはオッサンしかいなかった。
とりあえず一部始終はそのオッサンに見られていたと思う。
もう全部どうでもよくなって、自販でセッタを買って喫煙所まで行って気付いた。
火がない。
急にいろいろ思い出して、惨めになって、
目を潤ませながらカバンをゴソゴソやってる俺に、オッサンが
火、いるかい?
俺はうなずいて火をもらい、一服した。
同時に、涙がこぼれた。
お礼の一言を口から出すことができなかった。
オッサンは、俺の肩をたたいたあと、黙っていてくれた。
オッサン、ありがとう。
690 :774mgさん :2006/04/11(火) 17:34:02 ID:r1P/Plcj
姉は中学校の頃からセブンスターを吸っていた。
私と7個年の離れた姉は、私と双子の妹が10歳の頃から、家庭の事情で自分の事なんて放り出してずっと一人で私達を育ててくれた。
母は元々体が弱い人で、私達双子を産むときに死んでしまったそうだ。
母が死んでからは父が私達を育ててくれた。
その父は私が9歳の時に仕事をクビになり、中卒で就職した姉の給料だけを頼りに生活していた。
でももちろん姉の給料だけでは足らず、生活保護などの知識は全くなかったため、うちの家計は苦しいどころか借金まみれになっていった。
姉は普段の事務職の他に、コンビニで深夜バイトに入った。
姉には休みなんかなかったんじゃないかな。
そんな状態の中、父が倒れた。脳梗塞だった。
命は助かったが後遺症が残り、右半身が動かなくなってしまった。
691 :>>690 :2006/04/11(火) 17:45:58 ID:r1P/Plcj
姉は毎日満足に寝ないまま仕事へ行き、休みの日には私たちを連れて父の所へ連れてってくれた。
毎日仕事で大変なのに、家事もご飯作りも全部やってくれた。
くわえ煙草で料理をする姉の姿はいつも見ていた。
私と双子の妹によく優しくしてくれた。
姉と話せるのは朝、学校に行くまでの2時間だけだったがすごく楽しかった。
そんな状態が続き、私たちが中学2年になってすぐ、2度目の脳梗塞で父が死んだ。
それからも姉は私達の学費や生活費を稼ぐために一生懸命働いてくれた。
私達はなんの不自由もなく地元の短大ではあったが、大学も卒業させてくれた。
692 :>>691 :2006/04/11(火) 18:06:18 ID:r1P/Plcj
在学中は私も妹もバイトして、姉がコンビニで働かなくてもいいようにと、自分たちの学費分だけでもと、一生懸命働いた。
姉の25歳の誕生日には2人で初めての誕生日プレゼントを渡した。
あまり高いものではなかったけど、マッサージチェアをあげた。
すごく喜んでくれてうれしかった。
大学を卒業した年、双子の妹が結婚した。
相手はとても優しそうな人で、よく家に遊びに来ては姉の手伝いをしてくれた。
私は卒業後すぐに地元の幼稚園で働きだした。
その幼稚園で同じ保育士として働いていた今の旦那と3年後に結婚した。
久しぶりにみんなで会い、お酒を飲んだ時、姉は酔っぱらって、煙草を吸いながらこんな事を言った。
「アンタ達2人とも、やっと結婚してくれたからやっとお姉ちゃんも身を固められるよ。」と。
詳しく聞くと、この時連れてきていた男の人と、16歳の時から付き合ってたって。
父も大変な事になり、私たち2人がちゃんと大人になって結婚しない限り、
私一人では幸せになることなんか出来ないとずっと彼氏を待たせて、
私たちを見守っていてくれたようだ。
私と妹は大きな声で泣いてしまった。
今まで姉は、愚痴も泣き言も言わず、いつも笑顔で私たちを支えてくれた。
ずっと姉に頼ってばかりだった。
そんな姉も今はいそいそと結婚に向けて準備している。
もちろん、くわえ煙草で。
いつの間にかセブンスターはホープのメンソールになっていた。
これまで姉はどれだけの不安と愛情で私達を育ててくれたんだろう。
どれだけの自分を無駄にして私達を笑顔にしてくれたんだろう。
姉に怒られたり、笑わされたり、たくさんいろんな事があったけど、これからは私達がお姉ちゃんを支えて行くからね。
10年もお姉ちゃんのそばにいてくれた、旦那さんと幸せにね。
お姉ちゃん、結婚おめでとう。
ここまで育ててくれてありがとう。
お姉ちゃん、大好きです!
912 :774mgさん :2006/07/31(月) 04:14:57 ID:FilFKxqZ
セブンスターカスタムライトかな。去年逝った親父が吸ってたもんで。
正直言って親父にはろくな思い出がない。
酒、煙草、ギャンブル…全部やってる人間だった。まるでドラマにでも出てきそうなダメ親父。
糖尿になって酒煙草を辞めろ、と医者に言われても「酒煙草が出来ねぇなら死んだ方がましだ!」とか言ってたなぁ…
お金も家にはろくに入れず、しょっちゅうお袋と喧嘩してた。
こんな親父だから当然俺は親父の事を軽蔑してた。今でもそうだけど。
ただ、一度だけ尊敬出来た事がある。
中1の時に親父の仕事を手伝ったんだよ。
その時ばかりは普段とは違って仕事に集中している姿に、俺は親父を誇りに思った。
そのあと休憩になって喫煙所へ行き、親父が煙草を吸い出した。
すると親父は、ぽろっと「〇〇、俺みたいにはなるなよ…自分の好きな事を全力でやればいいんだからな…」と溢した。
913 :774mgさん :2006/07/31(月) 04:30:03 ID:FilFKxqZ
何故かは分からないが涙が溢れた。どうしようもなく泣いた。
親父は黙って俺の肩を叩きながら煙草をふかしていた。
その後、俺は何とか大学まで進んだ。
その間も親父は今まで通り体たらくな生活を繰り返していた。
そんなある日、親父は突然逝った。心筋梗塞だったらしい。
葬式では家族全員涙なんか流さなかった。
とりあえず一段落して、親父の部屋を掃除していると3枚の手紙が出てきた。
それは俺、兄貴、お袋宛てだった。
その手紙の旨は、8割近くが謝罪文だった。
それも汚ったねぇ字で。
俺たちはその手紙を黙々と読んだ。
みな自然と涙していた。俺も号泣した。俺の手紙の最後には、
「俺は人間の屑だ。しかも親父としてお前に何も残してやれなかったが、お前への気持ちは本物だ。
絶対に俺のようにはならないでくれ。」と書いてあった。
「あんたみたいになんか絶対になるかよ…」俺は震える声で呟いた。
その後俺もいっぱしの社会人となり、忙しく会社で働いている。
休憩時間、喫煙所で煙草を吸っていて、ふと、あの時の事を思い出す事がある。
来週あたり、墓参り行ってやるかな…水代わりの焼酎に、線香代わりの煙草でも持って…
646 :774mgさん :2006/04/02(日) 17:54:10 ID:SOXwi9qL
先週命日だったので書き込ませていただきます。
俺の近所には2つ上の姉ちゃんがいた。
その姉ちゃん空手の段位保持者で小学生の俺から見れば最強の存在だった。そして可愛かった。
生まれつき茶髪で虐められていた俺を助けてくれて、喧嘩の仕方とか教えてくれた。
ある日虐めていた奴らを返り討ちにしたとき俺はそのことを報告しにいった。
「いい?○○(俺の名前)。人が暴力に訴えていいのは最終手段だよ?
すぐに腕を上げるのは男として最低だからね!」
彼女がそうやって俺に教えてくれたことを今でもちゃんと覚えている。
高校に入ってすぐ俺が告白して、姉ちゃんと付き合った。
もちろん彼女と喧嘩しても力で勝つことはできなかったw。俺の心の中でやっぱり最強の存在だった。
そんな彼女と17歳のとき、俺は寝た。
初めて女を知った日だった。最強の彼女はやっぱり女だった。
そのとき彼女はキャスターマイルドを吸っていて
「体に悪いから二十歳になるまで吸っちゃ駄目だぞ~」
19歳のくせにそんなこと言うと煙をふかしながら彼女は言った。
647 :774mgさん :2006/04/02(日) 17:56:07 ID:SOXwi9qL
そして彼女を追いかけるように同じ大学を受験、そして合格。
同じ大学で彼女と楽しい時間を過ごしたかった。過ごすはずだった。
入学式1週間前、彼女は死んだ。交通事故だった。
最強の存在だった彼女はあっけなく死んでしまった。
通夜のとき彼女の棺桶に沢山のキャスターを入れてやった。不思議と涙は出なかった。
そして普通に学校に通って成人式を迎えた。友達と酒飲んで酔っ払って帰宅している途中だった。
タバコの自販機を発見。彼女の言葉が思い浮かぶ。
近寄ってたどたどしい手つきで小銭を投入。
キャスターマイルドのボタンを押す。
家に帰ってからく暗い部屋の中タバコに火を点した。
吸い方がわかんなくて思いっきり吸って、むせた。
そして、もう一口恐る恐る吸ってはいた。
彼女の匂いだった。
涙が出た。思い出、温もりが走馬灯のように頭をかすめ。ただ泣いた。
今までためてきたものを全部流すように泣いた。
そんな俺は今21歳、吸ってる銘柄はもちろんキャスター
彼女の命日になるとキャスマイを2箱買って、1つは墓前にもう1つはゆっくり時間をかけて吸いきる。
そうすれば彼女がすぐそばにいるように感じるから。
由佳
いままで楽しい思い出をありがとう。
お前のことは忘れない。
194 :774mgさん :2005/09/26(月) 02:53:02 ID:NR/Ccfbm
禁煙して、と言った彼女に駅の改札口で振られた後、
俺はホームで呆然と電車を待ってた。
もう21時をまわってて、田舎だから他にはオッサンしかいなかった。
とりあえず一部始終はそのオッサンに見られていたと思う。
もう全部どうでもよくなって、自販でセッタを買って喫煙所まで行って気付いた。
火がない。
急にいろいろ思い出して、惨めになって、
目を潤ませながらカバンをゴソゴソやってる俺に、オッサンが
火、いるかい?
俺はうなずいて火をもらい、一服した。
同時に、涙がこぼれた。
お礼の一言を口から出すことができなかった。
オッサンは、俺の肩をたたいたあと、黙っていてくれた。
オッサン、ありがとう。
690 :774mgさん :2006/04/11(火) 17:34:02 ID:r1P/Plcj
姉は中学校の頃からセブンスターを吸っていた。
私と7個年の離れた姉は、私と双子の妹が10歳の頃から、家庭の事情で自分の事なんて放り出してずっと一人で私達を育ててくれた。
母は元々体が弱い人で、私達双子を産むときに死んでしまったそうだ。
母が死んでからは父が私達を育ててくれた。
その父は私が9歳の時に仕事をクビになり、中卒で就職した姉の給料だけを頼りに生活していた。
でももちろん姉の給料だけでは足らず、生活保護などの知識は全くなかったため、うちの家計は苦しいどころか借金まみれになっていった。
姉は普段の事務職の他に、コンビニで深夜バイトに入った。
姉には休みなんかなかったんじゃないかな。
そんな状態の中、父が倒れた。脳梗塞だった。
命は助かったが後遺症が残り、右半身が動かなくなってしまった。
691 :>>690 :2006/04/11(火) 17:45:58 ID:r1P/Plcj
姉は毎日満足に寝ないまま仕事へ行き、休みの日には私たちを連れて父の所へ連れてってくれた。
毎日仕事で大変なのに、家事もご飯作りも全部やってくれた。
くわえ煙草で料理をする姉の姿はいつも見ていた。
私と双子の妹によく優しくしてくれた。
姉と話せるのは朝、学校に行くまでの2時間だけだったがすごく楽しかった。
そんな状態が続き、私たちが中学2年になってすぐ、2度目の脳梗塞で父が死んだ。
それからも姉は私達の学費や生活費を稼ぐために一生懸命働いてくれた。
私達はなんの不自由もなく地元の短大ではあったが、大学も卒業させてくれた。
692 :>>691 :2006/04/11(火) 18:06:18 ID:r1P/Plcj
在学中は私も妹もバイトして、姉がコンビニで働かなくてもいいようにと、自分たちの学費分だけでもと、一生懸命働いた。
姉の25歳の誕生日には2人で初めての誕生日プレゼントを渡した。
あまり高いものではなかったけど、マッサージチェアをあげた。
すごく喜んでくれてうれしかった。
大学を卒業した年、双子の妹が結婚した。
相手はとても優しそうな人で、よく家に遊びに来ては姉の手伝いをしてくれた。
私は卒業後すぐに地元の幼稚園で働きだした。
その幼稚園で同じ保育士として働いていた今の旦那と3年後に結婚した。
久しぶりにみんなで会い、お酒を飲んだ時、姉は酔っぱらって、煙草を吸いながらこんな事を言った。
「アンタ達2人とも、やっと結婚してくれたからやっとお姉ちゃんも身を固められるよ。」と。
詳しく聞くと、この時連れてきていた男の人と、16歳の時から付き合ってたって。
父も大変な事になり、私たち2人がちゃんと大人になって結婚しない限り、
私一人では幸せになることなんか出来ないとずっと彼氏を待たせて、
私たちを見守っていてくれたようだ。
私と妹は大きな声で泣いてしまった。
今まで姉は、愚痴も泣き言も言わず、いつも笑顔で私たちを支えてくれた。
ずっと姉に頼ってばかりだった。
そんな姉も今はいそいそと結婚に向けて準備している。
もちろん、くわえ煙草で。
いつの間にかセブンスターはホープのメンソールになっていた。
これまで姉はどれだけの不安と愛情で私達を育ててくれたんだろう。
どれだけの自分を無駄にして私達を笑顔にしてくれたんだろう。
姉に怒られたり、笑わされたり、たくさんいろんな事があったけど、これからは私達がお姉ちゃんを支えて行くからね。
10年もお姉ちゃんのそばにいてくれた、旦那さんと幸せにね。
お姉ちゃん、結婚おめでとう。
ここまで育ててくれてありがとう。
お姉ちゃん、大好きです!
912 :774mgさん :2006/07/31(月) 04:14:57 ID:FilFKxqZ
セブンスターカスタムライトかな。去年逝った親父が吸ってたもんで。
正直言って親父にはろくな思い出がない。
酒、煙草、ギャンブル…全部やってる人間だった。まるでドラマにでも出てきそうなダメ親父。
糖尿になって酒煙草を辞めろ、と医者に言われても「酒煙草が出来ねぇなら死んだ方がましだ!」とか言ってたなぁ…
お金も家にはろくに入れず、しょっちゅうお袋と喧嘩してた。
こんな親父だから当然俺は親父の事を軽蔑してた。今でもそうだけど。
ただ、一度だけ尊敬出来た事がある。
中1の時に親父の仕事を手伝ったんだよ。
その時ばかりは普段とは違って仕事に集中している姿に、俺は親父を誇りに思った。
そのあと休憩になって喫煙所へ行き、親父が煙草を吸い出した。
すると親父は、ぽろっと「〇〇、俺みたいにはなるなよ…自分の好きな事を全力でやればいいんだからな…」と溢した。
913 :774mgさん :2006/07/31(月) 04:30:03 ID:FilFKxqZ
何故かは分からないが涙が溢れた。どうしようもなく泣いた。
親父は黙って俺の肩を叩きながら煙草をふかしていた。
その後、俺は何とか大学まで進んだ。
その間も親父は今まで通り体たらくな生活を繰り返していた。
そんなある日、親父は突然逝った。心筋梗塞だったらしい。
葬式では家族全員涙なんか流さなかった。
とりあえず一段落して、親父の部屋を掃除していると3枚の手紙が出てきた。
それは俺、兄貴、お袋宛てだった。
その手紙の旨は、8割近くが謝罪文だった。
それも汚ったねぇ字で。
俺たちはその手紙を黙々と読んだ。
みな自然と涙していた。俺も号泣した。俺の手紙の最後には、
「俺は人間の屑だ。しかも親父としてお前に何も残してやれなかったが、お前への気持ちは本物だ。
絶対に俺のようにはならないでくれ。」と書いてあった。
「あんたみたいになんか絶対になるかよ…」俺は震える声で呟いた。
その後俺もいっぱしの社会人となり、忙しく会社で働いている。
休憩時間、喫煙所で煙草を吸っていて、ふと、あの時の事を思い出す事がある。
来週あたり、墓参り行ってやるかな…水代わりの焼酎に、線香代わりの煙草でも持って…
2010年02月23日
泣ける話 13 嬉しかった上司や先輩の一言
No.503 嬉しかった上司や先輩の一言。 より
121 :名無しさん@明日があるさ :2006/05/19(金) 23:59:09
ウチの上司はオレの同僚のSばっかりにキツくあたってたけど
そのSが事故で亡くなっちゃってその葬儀のときに泣きながら
「10年後のオマエを見て怒っていた・・・10年後のオマエは出来る男になってた」
って言ったときは目から水でた
12 :名無しさん@明日があるさ :2005/10/18(火) 20:09:48
約10年くらい前の話。
そろそろ付き合っていた彼女と結婚を考えていた。
仕事の遣り甲斐も感じ、結婚しても仕事を続けたいと希望していた彼女と俺に
とってはまさに好条件が整った状況下で不運は突然訪れた。
地方への転勤。
全く異なる業務と理不尽な異動。
今思えば確かに上司と意見が食違いぶつかりあう事も多かった・・・。
どうしても納得出来なかった俺は、転勤して3日以内に辞めてやるっ、
更に憎まれ口を叩かれる存在になってやろうと決意した。
俺は転勤した後、誰とも口を聞かずまともに仕事もしなかった。
流石に3日でやめる勇気もなく1ケ月が過ぎたころ、残業中の俺に上司が声を掛けてきた。
「飲みに行かないか?」
行きたいとも思わなかったが断る理由もなかったので行く事にした。
店に着くとすぐに「何を悩んでいるんだ?」
普段、比較的厳しい人だったので突然、屈託の無い笑顔でそう言われた事にいささか拍子抜けしてしまった。
13 :名無しさん@明日があるさ :2005/10/18(火) 20:24:45
俺は矢継早に自分の主張や将来やりたいと思っていたこと、
そして何より彼女と真剣に結婚を考えていた事を正直に話した。
すると上司は「そうか、わかった。」
少しうつむき加減で答えたその言葉は俺にとってどう解釈してよいものなのかその時は分からなかった。
それから3ケ月が経過し突然上司から会議室へ呼ばれた。
概ね察しはついた。
どうせまた、悪条件での転勤だろうと。
あんな事、言うんじゃなかったとその時は後悔した。
ところが話しを聞くと転勤には変わりなかったのだが、俺が希望した好条件での転勤内容だった。
驚いて「なぜですか?」と弾む言葉を抑えながら質問した。すると、
「仕事以上にお前の一生を大切にしてやりたい。これからの人生を頑張れ。」
そう言われた。あれから10年経過するのだが今でも強く印象に残っている。
53 :名無しさん@明日があるさ :2005/10/25(火) 20:06:09
年老いた係長に「駄目な息子と一緒に仕事しているみたいだな(藁」
幼い時に父親を失った俺にとってはうれしい一言だった・・・。
よく飲みにも連れて行ってくれたっけ。昨年退社しちまったけど
○○さん、元気かなぁ・・・。
183 :名無しさん@明日があるさ :2006/09/25(月) 14:55:42
大卒から勤続8年目。
俺は上司含め、同僚が苦手、というかあまり好きではなかった。
ワイワイと騒ぐ職場で馴れ合いもせず、昼飯や飲みも付き合いはするが仲良い同僚なんてのもいなかった。
そんな俺の性格を理解してか、周りもあまり俺に近づいてこようとはしなかった。(仕事外ではね)
ある日外回りから帰ってさっさと席につきコツコツと事務処理をやっていた時の事。
上司が近づいてきて、「○○く~ん、このあいだの件(極秘な)ゲットできたらしいな、よくやった!」
…普段どんないい事しても褒めもしない上司が、褒めた。
しかも超笑顔。
さらに部下が
「○○さん、明日某客先に行くんですけど、教えてもらえますか?」
って、普段怖がってか俺に聞かないで俺より下の奴に質問してるおちゃらけ若者が俺に質問してくる。
とどめに女の子がコーヒー持ってきてくれたり。
184 :名無しさん@明日があるさ :2006/09/25(月) 15:03:57
明らかに俺は優遇されすぎていた。おかしい。
この時期に昇進か?まさか転勤…妻子も家もあるのに。って考えてたら。
やたら背の低い影が俺に近づいてきた。
息子だった…
びびって椅子からころげ落ちた。
どうやら幼稚園で父の仕事を発表する事があるらしい。
聞いてない。
のは俺だけで、嫁が事前に上司に許可もらってたと。
それで皆おかしかったのか、息子もなんだか嬉しそうだしいいのかな。
普段の俺を見たら寂しそうだなぁとか思ってただろうな。
その夜飲み会があった。
今回の件、課長が根回ししてくれてたり、うるさい若者が自ら話しかけにきたいと言った事とか、いろいろわかった。
泣いた。
それからは仕事に感情をだせるようになった。
仕事が、職場が楽しいと思えるようになった。
そして息子の発表会は行けなかったが、とても誇らしげに語ったみたい。
皆大好きだ!
45 :名無しさん@明日があるさ :2005/10/20(木) 20:19:34
自分のミスをかばってくれた上司。
漏れがお得意様の逆鱗に触れてしまったのだ。
上司はその事に誠意を持って陳謝してくれた。
プロジェクトからも外される覚悟でいたが、こう言った。
「プロは金をもらっている人間の事じゃない。金を払ってでも
その仕事をやってもらいたい人間の事を言うんだ。
お前にはその素質があるし、今後もこのプロジェクトに参加し続けてもらいたい。」
正直、トイレで泣いた・・・。
漏れはこの人の為に今、仕事をしている。
137 :名無しさん@明日があるさ :2006/05/21(日) 21:24:48
すべては自分たちの失敗から始まった取引先顧客への大損失だ。
社長室へ呼ばれオレも辞する覚悟はしてたものの、上司の口から出た言葉は、
「すべて私の責任です。彼らには仕事の楽しさを教えてあげる事さえ私は出来ませんでした。」
スッと差し出した辞表。
何故かその表情は安堵に満ちていた。
社長は「分かった」とだけ言ってその辞表を受け取る事はなかった。
あれから5年、その上司は社長になりあの時、辞表を差し出したときに
何故おだやかな表情をしていたかを勇気を出して聞いてみた。
「当たり前だろ。
もっとも信用していた君達に自分が愚直にやってきた仕事を
引き継げる、そう思ったからじゃないか。
何も不安は無かったよ。」
あんなに迷惑を掛けっぱなしだったのに・・・。
私達も頑張ります。
少しでも貴方に近づける様に。
47 :名無しさん@明日があるさ :2005/10/20(木) 21:10:22
俺がミスを重ねたために異動を余儀なくされた時に、上司がかけてくれた言葉。
「絶対に這い上がってこいよ」
あれから5年、来年から前の職場に戻る。
121 :名無しさん@明日があるさ :2006/05/19(金) 23:59:09
ウチの上司はオレの同僚のSばっかりにキツくあたってたけど
そのSが事故で亡くなっちゃってその葬儀のときに泣きながら
「10年後のオマエを見て怒っていた・・・10年後のオマエは出来る男になってた」
って言ったときは目から水でた
12 :名無しさん@明日があるさ :2005/10/18(火) 20:09:48
約10年くらい前の話。
そろそろ付き合っていた彼女と結婚を考えていた。
仕事の遣り甲斐も感じ、結婚しても仕事を続けたいと希望していた彼女と俺に
とってはまさに好条件が整った状況下で不運は突然訪れた。
地方への転勤。
全く異なる業務と理不尽な異動。
今思えば確かに上司と意見が食違いぶつかりあう事も多かった・・・。
どうしても納得出来なかった俺は、転勤して3日以内に辞めてやるっ、
更に憎まれ口を叩かれる存在になってやろうと決意した。
俺は転勤した後、誰とも口を聞かずまともに仕事もしなかった。
流石に3日でやめる勇気もなく1ケ月が過ぎたころ、残業中の俺に上司が声を掛けてきた。
「飲みに行かないか?」
行きたいとも思わなかったが断る理由もなかったので行く事にした。
店に着くとすぐに「何を悩んでいるんだ?」
普段、比較的厳しい人だったので突然、屈託の無い笑顔でそう言われた事にいささか拍子抜けしてしまった。
13 :名無しさん@明日があるさ :2005/10/18(火) 20:24:45
俺は矢継早に自分の主張や将来やりたいと思っていたこと、
そして何より彼女と真剣に結婚を考えていた事を正直に話した。
すると上司は「そうか、わかった。」
少しうつむき加減で答えたその言葉は俺にとってどう解釈してよいものなのかその時は分からなかった。
それから3ケ月が経過し突然上司から会議室へ呼ばれた。
概ね察しはついた。
どうせまた、悪条件での転勤だろうと。
あんな事、言うんじゃなかったとその時は後悔した。
ところが話しを聞くと転勤には変わりなかったのだが、俺が希望した好条件での転勤内容だった。
驚いて「なぜですか?」と弾む言葉を抑えながら質問した。すると、
「仕事以上にお前の一生を大切にしてやりたい。これからの人生を頑張れ。」
そう言われた。あれから10年経過するのだが今でも強く印象に残っている。
53 :名無しさん@明日があるさ :2005/10/25(火) 20:06:09
年老いた係長に「駄目な息子と一緒に仕事しているみたいだな(藁」
幼い時に父親を失った俺にとってはうれしい一言だった・・・。
よく飲みにも連れて行ってくれたっけ。昨年退社しちまったけど
○○さん、元気かなぁ・・・。
183 :名無しさん@明日があるさ :2006/09/25(月) 14:55:42
大卒から勤続8年目。
俺は上司含め、同僚が苦手、というかあまり好きではなかった。
ワイワイと騒ぐ職場で馴れ合いもせず、昼飯や飲みも付き合いはするが仲良い同僚なんてのもいなかった。
そんな俺の性格を理解してか、周りもあまり俺に近づいてこようとはしなかった。(仕事外ではね)
ある日外回りから帰ってさっさと席につきコツコツと事務処理をやっていた時の事。
上司が近づいてきて、「○○く~ん、このあいだの件(極秘な)ゲットできたらしいな、よくやった!」
…普段どんないい事しても褒めもしない上司が、褒めた。
しかも超笑顔。
さらに部下が
「○○さん、明日某客先に行くんですけど、教えてもらえますか?」
って、普段怖がってか俺に聞かないで俺より下の奴に質問してるおちゃらけ若者が俺に質問してくる。
とどめに女の子がコーヒー持ってきてくれたり。
184 :名無しさん@明日があるさ :2006/09/25(月) 15:03:57
明らかに俺は優遇されすぎていた。おかしい。
この時期に昇進か?まさか転勤…妻子も家もあるのに。って考えてたら。
やたら背の低い影が俺に近づいてきた。
息子だった…
びびって椅子からころげ落ちた。
どうやら幼稚園で父の仕事を発表する事があるらしい。
聞いてない。
のは俺だけで、嫁が事前に上司に許可もらってたと。
それで皆おかしかったのか、息子もなんだか嬉しそうだしいいのかな。
普段の俺を見たら寂しそうだなぁとか思ってただろうな。
その夜飲み会があった。
今回の件、課長が根回ししてくれてたり、うるさい若者が自ら話しかけにきたいと言った事とか、いろいろわかった。
泣いた。
それからは仕事に感情をだせるようになった。
仕事が、職場が楽しいと思えるようになった。
そして息子の発表会は行けなかったが、とても誇らしげに語ったみたい。
皆大好きだ!
45 :名無しさん@明日があるさ :2005/10/20(木) 20:19:34
自分のミスをかばってくれた上司。
漏れがお得意様の逆鱗に触れてしまったのだ。
上司はその事に誠意を持って陳謝してくれた。
プロジェクトからも外される覚悟でいたが、こう言った。
「プロは金をもらっている人間の事じゃない。金を払ってでも
その仕事をやってもらいたい人間の事を言うんだ。
お前にはその素質があるし、今後もこのプロジェクトに参加し続けてもらいたい。」
正直、トイレで泣いた・・・。
漏れはこの人の為に今、仕事をしている。
137 :名無しさん@明日があるさ :2006/05/21(日) 21:24:48
すべては自分たちの失敗から始まった取引先顧客への大損失だ。
社長室へ呼ばれオレも辞する覚悟はしてたものの、上司の口から出た言葉は、
「すべて私の責任です。彼らには仕事の楽しさを教えてあげる事さえ私は出来ませんでした。」
スッと差し出した辞表。
何故かその表情は安堵に満ちていた。
社長は「分かった」とだけ言ってその辞表を受け取る事はなかった。
あれから5年、その上司は社長になりあの時、辞表を差し出したときに
何故おだやかな表情をしていたかを勇気を出して聞いてみた。
「当たり前だろ。
もっとも信用していた君達に自分が愚直にやってきた仕事を
引き継げる、そう思ったからじゃないか。
何も不安は無かったよ。」
あんなに迷惑を掛けっぱなしだったのに・・・。
私達も頑張ります。
少しでも貴方に近づける様に。
47 :名無しさん@明日があるさ :2005/10/20(木) 21:10:22
俺がミスを重ねたために異動を余儀なくされた時に、上司がかけてくれた言葉。
「絶対に這い上がってこいよ」
あれから5年、来年から前の職場に戻る。
2010年02月23日
泣ける話 12 涙が出るほどいい話
No.507 【あの日の】涙が出るほどいい話【想い出】3.0 より
424 :ほんわか名無しさん :2007/10/13(土) 15:58:51 0
自分のことじゃなくて恐縮ですが、母が中学生の頃の話。
母は父親(私の祖父です)と二人で生活していました。その日暮らし、という
表現がまさにぴったりという貧乏振りだったそうです。
ある日、父親が風邪で寝込みました。それまで一度も倒れたことなどなかったのに、
高熱を出し、あまりに苦しそうな父の様子に、母は物凄く焦ったそうです。
たかが風邪なのに、薬を買うだけのお金がない。考えあぐねた母は、大事に
していた本を古本屋へ持って行きました。その本を買った古本屋へ。
古本屋のおじさんは、おそらく切羽詰った母の表情から何かを感じ取ったのでしょう。
その本を売ったお金で、無事に風邪薬が買えたそうです。
この話が出たのは、アイヌの神さまにまつわるちょっとした雑談がきっかけでした。
「コタンの口笛」っていう、大好きな本があって……という回想から、急に
思い出したのだそうです。
母はもう65、記憶に間違いがなければ、たぶんあの時の古本屋のおじさんと同じくらい。
「あの時はとにかく必死だったけど、あんな本一冊売っただけで薬が買えるわけ
ないのよね……それだけ必死な顔してたのかも」と、呟いておりました。
大げさかもしれないけれど、母を救い祖父を救ってくれた、見も知らぬ古本屋のおじさん。
もしかしたら、今ある家族を救ってくれたかもしれない方へ、心から感謝します。
母が大事にしていたという本をネットで調べて注文しました。
もうじき母の誕生日なので、びっくりさせようと思います。
18 :ほんわか名無しさん :2007/02/18(日) 04:32:37 0
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。
往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。
まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。
106 :ほんわか名無しさん :2007/04/20(金) 01:34:43 0
会社の机に部下である僕らの席と名前を書いた紙をセロテープでとめて
手帳は僕らの特徴で真っ黒
10年付き合った若年性アルツハイマーの上司
彼の書いた注文書を確認する担当
彼の受注をもう一回お客さんに確認する担当
彼のアルツハイマーシフトは僕らのせめてものお返しだった
笑って「アルツの上司だぞ好きにやってしまえ!期待してるぞ!」
という笑えないジョークで涙を誘うバカな上司
新入社員の倍手間のかかる上司
新入社員を俺と勘違いして10分説教してしまう上司
まちがって俺に辞表を提出した彼は会社をやめることができなかった
最後に彼の率いる支店はダントツの一位をとって
「勇退」という花束を僕らは渡した
50 :ほんわか名無しさん :2007/03/04(日) 20:49:30 0
すこし長くなりますが、父の話をします。
うちは5人家族に犬が2匹、父は小さな会社の平社員で、決して裕福な家庭ではありませんでした。
無口でシャイな父は、普段から家族ともあまり話さず、友人も少ないようでした。
私はそんな父が大好きでしたし、時々休みの日に何も言わず遊びに連れ出してくれるのが、とても嬉しかったです。
母、姉、妹は明るくてお喋りでしたが、私だけは父に似たのか小さい頃から物静かで、
父とは言葉を交わさなくても、一緒にいるととても幸せでした。
今まで母には数え切れないくらい叱られ、叩かれたことも星の数ほどあります。
でも父に叱られた記憶はありません。もちろん叩かれたことも。
母に叱られて泣いている私を、やんわりと庇ってくれる優しい父でした。
そんな父が、突然入院しました。私が高校2年生の夏でした。
身体が大きくて丈夫だった父ですから、私も最初は軽い気持ちで、すぐ退院できるものだと考えていました。
でも、日を追うごとに父は痩せ細り、お見舞いに行く度に酸素マスクやら呼吸器やらが増えていきました。
それでも父は私がお見舞いに行くと嬉しそうで、特に言葉も交わさず、
病室に備え付けられたテレビを長いこと一緒に観たりしていました。
しかし、入院してから1ヶ月近く経ち、父は自分で呼吸ができなくなりました。
体内に機械を入れて呼吸しなければならない、
でもそうすると物も食べれないし言葉も話せなくなると、先生に言われました。
父は「治ればまたもとに戻るんだから」と言って、機械を入れる直前も、
特にたくさん物を食べたり話したりすることもありませんでした。
それから1週間も経たずに、父は眠るように亡くなりました。入院から1ヶ月とすこしでした。
私はすぐに現実を受け入れることができなくて、涙が出てきませんでした。
まだあのベッドに父が横になっているような気がして。
また父が家に帰ってきて、靴箱の上に自転車の鍵を置く音がするような気がして。
51 :ほんわか名無しさん :2007/03/04(日) 20:50:52 0
お通夜の日に、父の友人の奥さんが私に話をしてくださいました。
無口な父が、友人に私の話をしていたそうです。
「あの子は教えてもないのに、昔から絵がすごく上手なんだ」と、私の自慢をしていたそうです。
それを聞いて、私は涙が止まりませんでした。
私は小さい頃から絵が好きで、よく絵を描いていたのですが、
父が面と向かってそれを褒めてくれたことなんてなかったからです。
ああ、お父さんは何も言わないけど私のことをちゃんと見ててくれたんだ。
そう思うと嬉しくて、それにありがとうと言えないのが悲しくて、涙が溢れて止まりませんでした。
それから数日後、父の遺品を整理しているとき、私が幼稚園くらいの頃に描いた下手くそな絵が
大事にしまわれているのを見つけて、また泣きました。
あれから2年半が経ちました。
私は今、芸術系の大学で、絵の勉強をしています。
奨学金を受けながら、ギリギリの生活だけど、毎日頑張っています。
あのとき、父の話を聞いて、真っ直ぐ夢に向かって進む決心がつきました。
お父さん、私、お父さんのおかげで、今、とっても毎日が充実しているよ。
何も言わなくていいから、天国から見守っていてね。ずっと大好きだよ。
433 :424 :2007/10/24(水) 15:07:45 0
先日、母に件の本をプレゼントしたので、後日談として報告にまいりました。
残念ながら母が以前に持っていたハードカバー(絶版のようです)ではなかったのですが、
非常に喜んでもらえました。
父からはサプライズの花束(花屋さんからの配達。毎年やってます)、姉からは
母の好きな抹茶と葛湯の詰め合わせと、本人いわく充実した誕生日になったそうです。よかった。
本の表紙を懐かしそうに眺めながら、「やっぱりねえ、こんな本一冊に、薬が買える
だけの値段がつくわけないよねえ……」と、しみじみ呟いておりました。
小さな助け合いが大きな未来に繋がるのだと実感した出来事でした。
それでは、名なしに戻ります。お付き合いありがとうございました。
424 :ほんわか名無しさん :2007/10/13(土) 15:58:51 0
自分のことじゃなくて恐縮ですが、母が中学生の頃の話。
母は父親(私の祖父です)と二人で生活していました。その日暮らし、という
表現がまさにぴったりという貧乏振りだったそうです。
ある日、父親が風邪で寝込みました。それまで一度も倒れたことなどなかったのに、
高熱を出し、あまりに苦しそうな父の様子に、母は物凄く焦ったそうです。
たかが風邪なのに、薬を買うだけのお金がない。考えあぐねた母は、大事に
していた本を古本屋へ持って行きました。その本を買った古本屋へ。
古本屋のおじさんは、おそらく切羽詰った母の表情から何かを感じ取ったのでしょう。
その本を売ったお金で、無事に風邪薬が買えたそうです。
この話が出たのは、アイヌの神さまにまつわるちょっとした雑談がきっかけでした。
「コタンの口笛」っていう、大好きな本があって……という回想から、急に
思い出したのだそうです。
母はもう65、記憶に間違いがなければ、たぶんあの時の古本屋のおじさんと同じくらい。
「あの時はとにかく必死だったけど、あんな本一冊売っただけで薬が買えるわけ
ないのよね……それだけ必死な顔してたのかも」と、呟いておりました。
大げさかもしれないけれど、母を救い祖父を救ってくれた、見も知らぬ古本屋のおじさん。
もしかしたら、今ある家族を救ってくれたかもしれない方へ、心から感謝します。
母が大事にしていたという本をネットで調べて注文しました。
もうじき母の誕生日なので、びっくりさせようと思います。
18 :ほんわか名無しさん :2007/02/18(日) 04:32:37 0
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。
俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」
正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。
往年の面影も消え、ガリガリになった親父がまた時計をくれた。
まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」
オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後親父は死んだ・・・・
親父が死んだ今も金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。
106 :ほんわか名無しさん :2007/04/20(金) 01:34:43 0
会社の机に部下である僕らの席と名前を書いた紙をセロテープでとめて
手帳は僕らの特徴で真っ黒
10年付き合った若年性アルツハイマーの上司
彼の書いた注文書を確認する担当
彼の受注をもう一回お客さんに確認する担当
彼のアルツハイマーシフトは僕らのせめてものお返しだった
笑って「アルツの上司だぞ好きにやってしまえ!期待してるぞ!」
という笑えないジョークで涙を誘うバカな上司
新入社員の倍手間のかかる上司
新入社員を俺と勘違いして10分説教してしまう上司
まちがって俺に辞表を提出した彼は会社をやめることができなかった
最後に彼の率いる支店はダントツの一位をとって
「勇退」という花束を僕らは渡した
50 :ほんわか名無しさん :2007/03/04(日) 20:49:30 0
すこし長くなりますが、父の話をします。
うちは5人家族に犬が2匹、父は小さな会社の平社員で、決して裕福な家庭ではありませんでした。
無口でシャイな父は、普段から家族ともあまり話さず、友人も少ないようでした。
私はそんな父が大好きでしたし、時々休みの日に何も言わず遊びに連れ出してくれるのが、とても嬉しかったです。
母、姉、妹は明るくてお喋りでしたが、私だけは父に似たのか小さい頃から物静かで、
父とは言葉を交わさなくても、一緒にいるととても幸せでした。
今まで母には数え切れないくらい叱られ、叩かれたことも星の数ほどあります。
でも父に叱られた記憶はありません。もちろん叩かれたことも。
母に叱られて泣いている私を、やんわりと庇ってくれる優しい父でした。
そんな父が、突然入院しました。私が高校2年生の夏でした。
身体が大きくて丈夫だった父ですから、私も最初は軽い気持ちで、すぐ退院できるものだと考えていました。
でも、日を追うごとに父は痩せ細り、お見舞いに行く度に酸素マスクやら呼吸器やらが増えていきました。
それでも父は私がお見舞いに行くと嬉しそうで、特に言葉も交わさず、
病室に備え付けられたテレビを長いこと一緒に観たりしていました。
しかし、入院してから1ヶ月近く経ち、父は自分で呼吸ができなくなりました。
体内に機械を入れて呼吸しなければならない、
でもそうすると物も食べれないし言葉も話せなくなると、先生に言われました。
父は「治ればまたもとに戻るんだから」と言って、機械を入れる直前も、
特にたくさん物を食べたり話したりすることもありませんでした。
それから1週間も経たずに、父は眠るように亡くなりました。入院から1ヶ月とすこしでした。
私はすぐに現実を受け入れることができなくて、涙が出てきませんでした。
まだあのベッドに父が横になっているような気がして。
また父が家に帰ってきて、靴箱の上に自転車の鍵を置く音がするような気がして。
51 :ほんわか名無しさん :2007/03/04(日) 20:50:52 0
お通夜の日に、父の友人の奥さんが私に話をしてくださいました。
無口な父が、友人に私の話をしていたそうです。
「あの子は教えてもないのに、昔から絵がすごく上手なんだ」と、私の自慢をしていたそうです。
それを聞いて、私は涙が止まりませんでした。
私は小さい頃から絵が好きで、よく絵を描いていたのですが、
父が面と向かってそれを褒めてくれたことなんてなかったからです。
ああ、お父さんは何も言わないけど私のことをちゃんと見ててくれたんだ。
そう思うと嬉しくて、それにありがとうと言えないのが悲しくて、涙が溢れて止まりませんでした。
それから数日後、父の遺品を整理しているとき、私が幼稚園くらいの頃に描いた下手くそな絵が
大事にしまわれているのを見つけて、また泣きました。
あれから2年半が経ちました。
私は今、芸術系の大学で、絵の勉強をしています。
奨学金を受けながら、ギリギリの生活だけど、毎日頑張っています。
あのとき、父の話を聞いて、真っ直ぐ夢に向かって進む決心がつきました。
お父さん、私、お父さんのおかげで、今、とっても毎日が充実しているよ。
何も言わなくていいから、天国から見守っていてね。ずっと大好きだよ。
433 :424 :2007/10/24(水) 15:07:45 0
先日、母に件の本をプレゼントしたので、後日談として報告にまいりました。
残念ながら母が以前に持っていたハードカバー(絶版のようです)ではなかったのですが、
非常に喜んでもらえました。
父からはサプライズの花束(花屋さんからの配達。毎年やってます)、姉からは
母の好きな抹茶と葛湯の詰め合わせと、本人いわく充実した誕生日になったそうです。よかった。
本の表紙を懐かしそうに眺めながら、「やっぱりねえ、こんな本一冊に、薬が買える
だけの値段がつくわけないよねえ……」と、しみじみ呟いておりました。
小さな助け合いが大きな未来に繋がるのだと実感した出来事でした。
それでは、名なしに戻ります。お付き合いありがとうございました。
2010年02月23日
泣ける話 11 奥様編
2010年01月21日23:49 旦那をずっと大好きな奥様part3(;´Д`) より
41 :可愛い奥様:2005/06/15(水) 17:25:32 ID:xkUFauIr
昨日、私が緊急に手術を受けることになりました。
(簡単な一時間程度の手術)
手術前は
「おなか減った~。
お前が手術室に行ったら
俺は一人ですぐご飯食べに行くから!」
ってしきりに言っていた旦那。
(朝から飲まず食わず。ちなみに手術は夕方。)
で、手術が終わって病室に戻るときに
旦那がかけよってくる足音が聞こえました。
意識が戻っていた私に
「何が食べたい?買ってくる!」
と言って私の分と自分(旦那)の分を買ってきてくれた。
なにさ。
私が手術室に向かったらすぐご飯食べに行くって言ってたくせに。
食べてないじゃん。
食べるどころか飲み物も飲んでないじゃん。
チョト、泣けた。
162 :可愛い奥様:2005/07/22(金) 20:56:55 ID:tgZcMKoG
昨日は私の誕生日だった。
朝なにも言わずに出掛けていった夫が
帰宅するとなにやら紙包みを
「ほい、プレゼント」
開けてみるとお気に入りのショップの可愛いハンドバッグ。
「ったく、若い女がいっぱいいて買い物の邪魔でよぉ~」
と悪ぶるけど仕事帰りのYシャツ姿で女のコに囲まれて
右往左往している夫を想像したら笑えるやら涙が出てくるやら・・・
「で、ホントはこれ誰と選んだの?」とからかったら
「俺に決まってるだろっo(`ω´*)o」ってムキになってやんの。
嘘だよ。大切にします。ありがとう。
354 :可愛い奥様:2005/08/19(金) 18:38:47 ID:v//1tsyG
旦那大好きだ。
結婚して7年目。久々の妊娠もまた流産というツライ結果になってしまった。
でも電話で明るく「大丈夫だよ」って言ってくれた。
あんなに妊娠を喜んでくれてたから、本当はツライ気持ちなんだと思う。
ごめんね。そしてありがとう。
あなたの優しい声にどれだけ救われたか。
またしばらくふたりきりになるけど、これからもよろしくね。
そしていつか必ず、3人目の家族を笑顔で迎えようね。
あなたと結婚できて本当に良かった。心からそう思う。
彼を産み育ててくれたご両親、本当にありがとう。
555 :可愛い奥様 :2005/09/01(木) 09:49:18 ID:M/F0TiU6
残業続きで疲れているようなので、最近会社までよく送り迎えをしてる。
昨日も遅くて、迎えに行ったら、車に乗り込むや否や
「○○ちゃんが健康でよかったなって思う。」
なんだか、理解できずに「どうした?」って聞いたら、
「いや、入院もしたけどさ元気なのが一番うれしいなって。」
くそう。うれしくて泣きそうになったじゃん。
心配かけててごめんね。
あなたこそ倒れないでね。
830 :可愛い奥様 :2005/09/20(火) 09:24:49 ID:Io8/IeQg
ある漫画を見ていたら、
40の男と26の女の子が結婚したんだがその旦那さんが
「俺の持ってるもの、全部たかちゃんにやるよ」って言うのさ。
なんで?って聞くと、
自分は奥さんより年上で、絶対先に死んじゃうからって。
私が先に死ぬかもよ、って言うとそんな事想像したくないとか
私が先に死んだら意外とまた新しい奥さんもらっちゃうかもよ、
それでもいいけど幸せになってねとか、
たまには私のことも思い出してねって言うシーンがあって
それは私達が結婚した時と全く同じやりとりだった。
すごく切なかった。
やっぱり歳の差のある夫婦ってのはみんな同じことを考えてるんだろうか。
旦那は本当に高額な生命保険に入り、家のローンももうすぐ完済できるよう
返済を繰り上げて頑張ってる。
「俺が死んでも、困らないだけのものは遺してあげるから」
そんなのいいから長生きして。お願いだから無理しないで。
316 :可愛い奥様:2005/08/11(木) 04:14:13 ID:n4U3LdlE
うちのダンナ出張先から帰ってきませんでした。
毎日「好きー」「愛してるー」って言ってたのに、
私をおいて、とても遠いところに旅立ってしまいました。
出張先の警察から電話がかかってきたときに、
何を言われているか理解できなくて、
ただひたすら受話器を握りしめて立ちつくしていました。
トメ(姑)と病院駆けつけて、ダンナと対面して。
現実感がなくて、涙も出なくて、冗談じゃないのかなーと思って。
でも、やらなきゃいけないことが沢山あって。
最近やっと泣けるようになったんですよ。
寂しくて寂しくて、帰ってきてほしくなるんですけど、
でも声も届かないんですよね、
きっと。
一緒に連れて行ってほしかったなーとか思ったり、
今からでも遅くないから、あとからついていこうかと思ったり。
ダンナー、ずっとずっと大好きだよ、
愛してる、愛してるから一度だけでいいから帰ってきてー
一緒にご飯食べて一緒のお布団で寝ようよー。
って大きな声で言いたい、
叫びたい。
帰ってきて欲しい。
331 :316:2005/08/12(金) 21:53:19 ID:zPhDmWRh
ドラえもんが帰った後、部屋ががらんとなっちゃったって
のびたがつぶやくシーンがあったじゃないですか。
そんな感じ。
まだ、心配するなよ…ってダンナに言ってあげられないですけど、
少しづつ前を向いていかないと、生活もできないですしね。
私もいつ何があっても悔いがないように愛してきたつもりだったけど。
でも、やっぱり悲しみが後から後からあふれてきて。
まだまだ辛いです。
「そろそろ仕事もペース元に戻してね、
いつまでも悲劇のヒロインやってないでね」
とか、上司に言われると激しい怒りとともに途方もない喪失感とかやるせなさに襲われます。
最期の言葉は「ごめん、ごめんね」だったそうです。
私を選んでくれてありがとう、
愛してくれてありがとう、
もう謝らなくていいから、
私を見守っていてね。
いずれまた会おうね。
もう既婚の奥様じゃないので、
どこか違う板に行きますけど、
ほんとにダンナを愛してるならダンナを大事にしてあげてねー。
皆さんのダンナと皆さんが幸せであるように。
41 :可愛い奥様:2005/06/15(水) 17:25:32 ID:xkUFauIr
昨日、私が緊急に手術を受けることになりました。
(簡単な一時間程度の手術)
手術前は
「おなか減った~。
お前が手術室に行ったら
俺は一人ですぐご飯食べに行くから!」
ってしきりに言っていた旦那。
(朝から飲まず食わず。ちなみに手術は夕方。)
で、手術が終わって病室に戻るときに
旦那がかけよってくる足音が聞こえました。
意識が戻っていた私に
「何が食べたい?買ってくる!」
と言って私の分と自分(旦那)の分を買ってきてくれた。
なにさ。
私が手術室に向かったらすぐご飯食べに行くって言ってたくせに。
食べてないじゃん。
食べるどころか飲み物も飲んでないじゃん。
チョト、泣けた。
162 :可愛い奥様:2005/07/22(金) 20:56:55 ID:tgZcMKoG
昨日は私の誕生日だった。
朝なにも言わずに出掛けていった夫が
帰宅するとなにやら紙包みを
「ほい、プレゼント」
開けてみるとお気に入りのショップの可愛いハンドバッグ。
「ったく、若い女がいっぱいいて買い物の邪魔でよぉ~」
と悪ぶるけど仕事帰りのYシャツ姿で女のコに囲まれて
右往左往している夫を想像したら笑えるやら涙が出てくるやら・・・
「で、ホントはこれ誰と選んだの?」とからかったら
「俺に決まってるだろっo(`ω´*)o」ってムキになってやんの。
嘘だよ。大切にします。ありがとう。
354 :可愛い奥様:2005/08/19(金) 18:38:47 ID:v//1tsyG
旦那大好きだ。
結婚して7年目。久々の妊娠もまた流産というツライ結果になってしまった。
でも電話で明るく「大丈夫だよ」って言ってくれた。
あんなに妊娠を喜んでくれてたから、本当はツライ気持ちなんだと思う。
ごめんね。そしてありがとう。
あなたの優しい声にどれだけ救われたか。
またしばらくふたりきりになるけど、これからもよろしくね。
そしていつか必ず、3人目の家族を笑顔で迎えようね。
あなたと結婚できて本当に良かった。心からそう思う。
彼を産み育ててくれたご両親、本当にありがとう。
555 :可愛い奥様 :2005/09/01(木) 09:49:18 ID:M/F0TiU6
残業続きで疲れているようなので、最近会社までよく送り迎えをしてる。
昨日も遅くて、迎えに行ったら、車に乗り込むや否や
「○○ちゃんが健康でよかったなって思う。」
なんだか、理解できずに「どうした?」って聞いたら、
「いや、入院もしたけどさ元気なのが一番うれしいなって。」
くそう。うれしくて泣きそうになったじゃん。
心配かけててごめんね。
あなたこそ倒れないでね。
830 :可愛い奥様 :2005/09/20(火) 09:24:49 ID:Io8/IeQg
ある漫画を見ていたら、
40の男と26の女の子が結婚したんだがその旦那さんが
「俺の持ってるもの、全部たかちゃんにやるよ」って言うのさ。
なんで?って聞くと、
自分は奥さんより年上で、絶対先に死んじゃうからって。
私が先に死ぬかもよ、って言うとそんな事想像したくないとか
私が先に死んだら意外とまた新しい奥さんもらっちゃうかもよ、
それでもいいけど幸せになってねとか、
たまには私のことも思い出してねって言うシーンがあって
それは私達が結婚した時と全く同じやりとりだった。
すごく切なかった。
やっぱり歳の差のある夫婦ってのはみんな同じことを考えてるんだろうか。
旦那は本当に高額な生命保険に入り、家のローンももうすぐ完済できるよう
返済を繰り上げて頑張ってる。
「俺が死んでも、困らないだけのものは遺してあげるから」
そんなのいいから長生きして。お願いだから無理しないで。
316 :可愛い奥様:2005/08/11(木) 04:14:13 ID:n4U3LdlE
うちのダンナ出張先から帰ってきませんでした。
毎日「好きー」「愛してるー」って言ってたのに、
私をおいて、とても遠いところに旅立ってしまいました。
出張先の警察から電話がかかってきたときに、
何を言われているか理解できなくて、
ただひたすら受話器を握りしめて立ちつくしていました。
トメ(姑)と病院駆けつけて、ダンナと対面して。
現実感がなくて、涙も出なくて、冗談じゃないのかなーと思って。
でも、やらなきゃいけないことが沢山あって。
最近やっと泣けるようになったんですよ。
寂しくて寂しくて、帰ってきてほしくなるんですけど、
でも声も届かないんですよね、
きっと。
一緒に連れて行ってほしかったなーとか思ったり、
今からでも遅くないから、あとからついていこうかと思ったり。
ダンナー、ずっとずっと大好きだよ、
愛してる、愛してるから一度だけでいいから帰ってきてー
一緒にご飯食べて一緒のお布団で寝ようよー。
って大きな声で言いたい、
叫びたい。
帰ってきて欲しい。
331 :316:2005/08/12(金) 21:53:19 ID:zPhDmWRh
ドラえもんが帰った後、部屋ががらんとなっちゃったって
のびたがつぶやくシーンがあったじゃないですか。
そんな感じ。
まだ、心配するなよ…ってダンナに言ってあげられないですけど、
少しづつ前を向いていかないと、生活もできないですしね。
私もいつ何があっても悔いがないように愛してきたつもりだったけど。
でも、やっぱり悲しみが後から後からあふれてきて。
まだまだ辛いです。
「そろそろ仕事もペース元に戻してね、
いつまでも悲劇のヒロインやってないでね」
とか、上司に言われると激しい怒りとともに途方もない喪失感とかやるせなさに襲われます。
最期の言葉は「ごめん、ごめんね」だったそうです。
私を選んでくれてありがとう、
愛してくれてありがとう、
もう謝らなくていいから、
私を見守っていてね。
いずれまた会おうね。
もう既婚の奥様じゃないので、
どこか違う板に行きますけど、
ほんとにダンナを愛してるならダンナを大事にしてあげてねー。
皆さんのダンナと皆さんが幸せであるように。